〜信濃路のおもひで〜
走行した都府県 新潟 長野 山梨 岐阜 富山
2年目のツーリングは長野県を中心としたコースに決まりました。長野県は私の両親の故郷であることから、何度か足を運んだことがあったため、山形同様、若干の道案内ができると思ったのが選定理由でした。しかし、何度かと言っても幼い頃に1度、大人になってから2度ほど行ったことがあるだけですから、ほとんど初めて行くのと変わりありません。まあ覚えていると言えば、善光寺さんと志賀高原、野尻湖ぐらいたっだでしょうか・・・。
注1) | 行程表に記載されている道路ナンバー、各種料金等は当時のものであり、現在そのまま適応できるかどうかは不明です。 |
注2) | これはあくまでも計画表であり、時間の都合上割愛した場所も多々あります。 |
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札幌の我が家の前に集合し出発式です。11時30分発の小樽発新潟行きのフェリー乗るため、9時集合です。天気がよくて、みんなウキウキです。 | 13時間半の船旅です。風もなく、海はべた凪でした。 | S寝台です。個室ではありませんが、一人一人のブースがあり、結構快適でした。 | ||
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新潟到着!ルートの確認です。 | 本来、バイク乗りは安全のため長袖のジャンバーかライディングウエアを着るべきなのでしょうが、我々北海道人にとって本州の夏は地獄の暑さであり、とても長袖なんかは着ていられません。いつも半袖に日焼け止めクリームです。 |
長野県、野沢温泉の舗装された急な坂をバイクで登っていくと登り切ったあたりに麻釜という源泉がわき出ている五つの大きな湯溜まりがありました。これはそのうちの一つ大釜です。熱湯近い温度で地元の人は卵などをゆでるのに使っているそうです。危険なので観光客は立ち入り禁止らしいですが、そんなこととは知らずバイクをブンブン言わせながら近くまで行ってしまいました。地元の商店の人たちもみんな見ていましたが、何も言われませんでした。 | ||
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野沢温泉の共同浴場の「大湯」です。料金は特に決められたものはなく、設置してある賽銭箱に「気持ち」だけ入れてくればOKです。なかなか風情のある建物で、旅の汚れを洗い流しました。 | 善光寺です。大湯に入っているときからなにやら雷鳴らしきものが聞こえてはいたのですが、ここで、土砂降りの雨となりました。 | 二日目(陸泊一日目)の宿泊地となった鬼無里村です。この村の名前の由来は、天武天皇が鬼退治をしたとか、鬼さえいない山奥だとか、いろんな説があるようですが、ここも土砂降りでやっと宿泊地にたどり着いたといった感じでした。 | ||
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三日目になりました。長野オリンピックの舞台となった白馬ジャンプ競技場です。ここでいろんなドラマが生まれたんだなぁ・・・。 | 安曇野にある、いわさきちひろ美術館です。本人だけではなく、多くの絵本画家の描いた原画があり、感動ものです。 |
このあと、大事件が発生しました。ちひろ美術館を出るとまたもや雨が落ちて来たので、カッパを着て再び走り始めること約5分。T君を先頭に、私、M君の順でしたが、T君が左折すべきところを直進しようとしたため、一番後ろのM君が「T君!左折だよ!!」と無線で連絡。「了解!!」とセンターライン側を走行していたT君が真ん中からがいきなり左折。私の目の前を横切ります。驚いた私は急ブレーキをかけましたが、道路は雨でツルツルです。300kgのマシーンが簡単に止まるわけがありません。そのまま車輪がロックし、スリップしている状態で横切ったT君のバイクの後部に接触し、転倒!大惨事となってしまいました。
バイクのダメージ
一見あまりダメージがなさそうなバイクですが・・・・。
折れたシフトペダル 削れたインテークとマフラー
写真にはありませんがダミータンクも大きなへこみができ、クラッチマスターと左バックミラーも激しく削れ、要交換でした。まあ、外装関係は、帰ってから何とかするとしても一番困ったのは折れたシフトペダルでした。予備は持っていないし、ここは結構な山の中。バイク屋さんなんてあるような場所ではありません。仮にあったとしてもV-maxのシフトを在庫しているとは思えないし、注文して何日もかかるようであれば当然ツーリングを続行することはできません。ツーリングを中止して、バイクを北海道まで陸送しようかとも考えましたが、できればせっかくの旅行をリタイアしたくありません。
折れたシフトをよく見ると写真のように若干外側に向かって曲がっています。何とかこの曲がりにうまく足を引っかけて、シフトチェンジができないものかと試してみると、何とかなりそうではありませんか!!!もちろんやり易くはありませんが、ローからトップまでゆっくりと動作すればきちんと入ります。
この時点でツーリング続行が決定しました。根本からボッキリと折れていれば、どうすることもできなかったと思いますが、不幸中の幸いです。神様ありがとう!!!
しかし、折れた先は非常に鋭利で、あっという間に靴に穴が開いてしまったため、写真のようにホームセンターで、ビニールのホースを買い、5cmくらいに切って差し込みました。しかしこれはすぐに抜けてしまってあまり使い物になりませんでした。
体のダメージは??
バイクにこれだけのダメージがあれば当然体も相当ダメージを受けているはずです。具体的には、左肘の擦傷、左腰骨付近の打撲が主なダメージでしたが、幸いなことに立てなかったり、バイクに跨げなかったり、というほどのものではありませんでした。(しかし、しばらくは痛くて寝返りができませんでした)
その後の過酷なバイク走行!!
走行開始!!
ツーリング続行を決定した我々一行は、何とか走行開始!。本日の宿泊場所まで約j250km。山もいくつか越えなければならないことを考えると、5時間以上はかかります。とにかく山の中なので怪我の手当もできないので、まずは何とか軽井沢まで行って薬局を探すことにしました。とはいっても軽井沢までは200km弱。途中に志賀高原があります。本来ならバイクで最高に気持ちのよい高原走行のはずでしたが、あいにくの雨に加え、気温も低く、むき出しの傷のままの走行ですから、痛いし寒いしやらで泣きたくなるくらいつらい走行だった記憶があります。
薬局(軽井沢)到着
軽井沢に着いたのは、もう暗くなってからでした。夏の夕暮れですから、もう午後8時近かったと思います。やっとの事で街中に入り、薬局を探し当てたときは、もう身も心もズタズタでした。バイクを薬局の前に止めましたが、フラフラでバイクを支えることができず、さっきと反対方向にバイクを倒すわ、体が痛くてバイクは起こせないわで、限界に近い状態でしたが、仲間の助けでようやく薬局に入ることができました。
いざ宿泊地へ!
薬局で、消毒薬やガーゼ、湿布薬等を買い、応急手当を済ませてひと休みし、再び本日の宿泊地である、高根荘ロッジ目指して走行を開始しました。M君の話では目的地まで後30kmくらいであるということだったので、4〜50分程度で着くだろうと思って出発しましたが、行けども行けども目的地は見えてきません。2時間ほど走ってようやく目的地に到着しました。後で行程表を見直してみると、軽井沢から目的地の高根まで80kmもあるではありませんか・・・。M君の勘違いだったようですが、到着は午後の10時を過ぎていました。
ロッジって木でできたテントのことかい!!!
宿泊地の高根荘のロッジというのは何のことはない山の斜面にあるキャンプ場でした。ロッジというのはいわゆる木でできたテントのようなもので、ロッジとは言いながら、ログハウスか何かのペンションみたいなものを想像していた私にとってはちょっとショックでした。もう10時を過ぎているのでキャンプ場も真っ暗です。受付の人にだいたいの場所を聞いてバイクで道なき道を登って行きます。「もう、皆さんはお休みになっているので静かに行ってください。」と言われましたが、砂利が轢いてあるような山道をバイクが静かに登っていけるはずがありません。ハンクラでブンブンいわせながら登って行くとT君が行方不明に・・。、遙か彼方でブーンブーンとエンジンを空ぶかしする音が・・・。後で聞くと、砂利でコケてバイクを起こそうとアクセルを回してしまったみたいです。
ふとんがない!!!
なんとかロッジにたどり着き、灯りに群がる虫を払いながら小屋の中へ。確か、夕食は途中で買ってきたコンビニ弁当だった気がします。夜も遅いので本当は時間外のはずでしたがセンターハウス内の大浴場に入れていただき、一日の汗と、汚れと(血と・・・・)を洗い流して就寝準備へ。ロッジの中には押し入れのような棚があり、寝具がありました。よくは覚えていませんが、たしか薄いマットレスのようなものと毛布のようなものがあったような気がします。いわゆる寝袋に毛の生えたような寝具しかありませんでした。夏ですから寒くはないのですが、寝返りがうてないような体で薄っぺらいマット一枚では、体がいたくてよく寝らなかった思い出があります。(こんな日に限ってふとんなしかよ〜!!)
旅の記録(後半)
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四日目。傷や打撲の痛さはあまり変わりませんが、雨が上がったせいか、元気が出ました。本日のメインは富士山です。多少寒かったですが、ナイスライディングができました。ここは三合目付近だったと思います。 | 五合目までは車やバイクで行くことができます。写真は五合目の休憩所です。登山者の多くはここから登り始めますが、我々はここまでです。 | 五合目と言うから3776mの半分1888mと思いきや2305mと言う事で頂上まであと4割弱のところまで登っていることになります。 | ||
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松本城です。時間が遅かったため外側から眺めるだけの見学となりました。このあと伊那の宿泊地に向かいました。 | 五日目の始まりは天竜川舟下りです。10:00出発の舟でしたが道に迷って間に合わず、5分遅れで船着き場に着きました。半ばあきらめていたのですが、何とか出航に間に合いました。 | 舟下りは約30分。流れが結構速くてスリルがありました。天気もよく気持ちよかったです。帰りはJRで戻りました。 | ||
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中山道の宿場町、妻籠宿と馬籠宿を見学しました。どちらも江戸時代の町並みがそのまま残っています。 | まるで江戸時代にタイムスリップしたような光景です。生の歴史が感じられます。 | 山の中のくねくね道をかなり走り、白骨温泉に到着しました。ちょうど、温泉に入浴剤混入の事件があった直後でしたが、乳白色の温泉で体の傷も癒されました。 | ||
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陸泊最後の宿泊地である飛騨高山です。こちらの宿は民宿でしたが大変サービスがよく、大満足の宿でした。 | 高山市の町並みです。宿場町を思わせる歴史のあるたたずまいが並んでいます。 | 最後の晩餐は飛騨牛づくしでした。牛刺しや、ステーキなどすばらしく美味しい料理をいただきました。もちろんT君のおごりです。感謝!感謝! | ||
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飛騨民族村 飛騨の里です。合掌造りの民家が移設された集落博物館です。M君は愛知県にある実家に帰省するためここでお別れです。今まで一緒に旅をした仲間が抜けるのは寂しいものです。 | M君と別れた後、T君と私は新潟港目指して340kmの道のりを爆走しました。当時は高速道路は使いませんでしたので、相当遠かった記憶があります。写真は帰りのフェリーの1等船室です | 帰りのフェリーにバイクを乗せたところです。早く帰って、バイクを修理したい気持ちでいっぱいでした。 | ||
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苫小牧港に到着しました。旅もいよいよ終わりです。 |