お祭の日に山車の上から聞こえる祭囃子に郷愁を覚える方も多くおられることでしょう。小田原では神社祭礼以外にも道祖神のお祭に曳かれる山車もあり、城下町の往時の華やかさを今に伝えています。
 小田原には50台以上の山車(屋台)があると言われています。その多くは1階部分に出格子が取り付けられ、2階部分は数多くの丸提灯(ほおずき)で覆われています。そして格子状の屋根の前後に唐破風がしつらえてあり、その上には鬼板、下には懸漁が付けられているのが一般的です。さらに様々な彫り物や真鍮の隅金具で飾られているのも多く見受けられます。山車の運行は現代の交通事情と電線との戦いで、行く先々で電線係が竹竿で電線を持ち上げながら進みます。さらに最上部の鬼板は蝶番で根元から倒れるようになっていて、いざという時はこれを倒して進みます。
<代官町の山車>
 代官町にも古くからの山車がありましたが、関東大震災で焼失してしまい、新しく作り直すまでの間、お隣の千度小路よりお借りして運行していた時期もありました。今の山車は昭和28年に着工し、30年に完成したものです。代官町の山車は4年に一度の運行で、子供達を中心に「代官町の屋台、景気をつけろ、それ、わっしょい!」の掛け声で曳き回します。しかし、少子化や運行を司る鳶の高齢化、お囃子の問題などで現在は残念ながら運行を見合わせています。


下の写真は平成12年5月に最後に運行した時の様子です。
 山車の上で奏される道楽(みちがく)が祭囃子ですが、小田原にも神奈川県無形民族文化財に指定された「小田原囃子」があります。
 小田原囃子は神奈川県下では最も古く、享保年間から宝暦年間にかけて下総葛西地方から伝わった「葛西ばやし(和歌ばやし)」が独自の発展を遂げたものと言われています。葛西ばやしは、京都祗園ばやしを伝習した神職・能勢環が創作したものを代官・伊奈半左衛門が広めたと言われ、これが江戸ばやしのルーツでもあります。小田原には葛西より直接伝えられたため、同じ神奈川県内でも江戸を経由して伝わった川崎・横浜のそれとは特徴を異にしています。
 小田原囃子の基本は大太鼓(大胴)一人、締太鼓四人、笛一人、すり鉦一人という構成で、太鼓同士の絡みよりもそれぞれの間を生かすのが特徴で、大太鼓が要所要所を力強くしめるため、やや低い響きのするものを縦に据え置いて用いています。曲目としては、「屋台ばやし(はやし)」「昇殿」「神田丸」「鎌倉」「四丁目」や地域によっては「馬鹿ばやし」などが挙げられます。小田原市内には「小田原ばやし多古保存会」をはじめ、約20ほどの団体が活動しています。
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