小田原の松原神社氏子町内では、神輿の運行に「木遣り唄」は欠かすことのできないものです。当地の神輿には木遣り師がいて、木遣りによって神輿を動かします。静止した神輿を前に木遣り師が木遣りを唄うと、担ぎ手はそれに合わせてハヤシを入れます。最後に木遣り師が唄い終わるか終わらないかの間合いで、担ぎ手は掛け声もろとも勢い良く走り出すのです。これは当地のかつての漁業者達が、網引唄(漁木遣り)で網を一斉に引き揚げる動作と符合しています。
 小田原の漁業者に伝わる網引唄がいわゆる漁木遣りです。神輿渡御の木遣りとは若干の違いはありますが、仕事唄と儀式唄とを兼ねたものとして、全国的にも珍しいものだそうです。その詞型は八・八の短調で、音頭を取る木遣り師の唄に合わせて網を引き揚げます。
<木遣り師>ソーリャァーセー  木遣りしゃにぶても
<漁夫>(網をつかんで)ソラドットコセェー
<木遣り師>掛け声頼むぞ
<漁夫>ヨーイヤァ、ヨイトコセ、ヨイトコセ
(3節に分けて網を引く)
漁木遣りは過酷な重労働にリズムと活気を加えるのに優れた効果を発揮していました。
 掛け声の持つ「霊力」と担ぎ手の「気」が一体化し、大きなエネルギーとなり神輿を動かします。私達松原神社氏子町内の神輿の特徴である「静」と「動」を演出するのもこの神輿木遣りです。木遣り唄の語尾や節回しは地域によって、またそれぞれの木遣り師によって多少の違いがあり、一例をご紹介するに留めざるを得ません。以下に記したものは代榮會四代目会長・鈴木一正の監修によるものです。
<木遣り師>そぉーおお  りゃんえーええ  <担ぎ手>おう
<木遣り師>富士の白雪は  やーぁあーえ  <担ぎ手>そぉりゃあー  やっとこせー  おー
<木遣り師>そーぉりゃあー  朝日でとけるよ  よぉぃーとなー
以下、歌詞のみを記します。
目出た目出たの  若松様だよ

前は相模灘  うしろは箱根よ

締めてもしめても  カンタが見えぬよ
        (カンタ…地引網の浮き樽)

うなぎの初昇りや  つるつる昇るよ

一締めしめれば  ぶり網大漁だよ

一締めしめれば  万両の株だぞ

わたしゃ小田原  荒波そだちよ

木遣り者二分でも  かけ声頼むぞ

木遣り者二分でも  若い衆頼むぞ

黒金山でも  人数にはかなわぬ

えびす大黒  ニコニコ顔だよ

姉は二十歳で  妹は十六

ぶり網締めれば  千両万両だぞ

惚れてかよえば  千里も一里

娘と茶碗は  一度は割れる

佐渡と越後の  境は桜だ
<数え唄>

一に大山の  石尊様だぞ

二には日光の  東照宮様だよ

三に讃岐の  金比羅様だよ

四には信濃の  善光寺様だよ

五つ出雲の  色神様だよ

六には六角堂の  六地蔵様だよ

七つ成田の  不動様だよ

八つ八幡の  八幡様だよ

九つ高野の  弘法様だよ

十にところの  氏神様だよ
 数え唄の木遣りは愛知県碧海郡にもあるそうです。三から八までは同じで、一は天照皇大神宮、二は丹羽田井戸神様、九は熊野権現、十は豊川稲荷になっているということですが、その伝播の経由は不明です。
 また当地では「門付け(かどづけ)」といって、ご祝儀をいただいたところの軒先に神輿を突き入れ、御霊(みたま)の霊力を注ぎ込む際にも木遣り唄を唄います。お祭の日に市内のあちこちで神輿が門付けする光景は小田原ならではと言えるでしょう。
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