<松原流>
 全国には一種独特の神輿の担ぎ方をする所が数多くありますが、小田原総鎮守・松原神社氏子町内の神輿の担ぎ方にも独特のものがあります。その昔、千度小路と古新宿の漁業者によって担がれていたものが基礎になっているため、その動きは船の動く様を表していると言われています。近年これを「小田原流」と呼ぶ向きもありますが、あくまでも松原神社氏子町内の担ぎ方ですから、むしろ「松原流」といった方が良いのかもしれません。ここでは便宜上「松原流」と呼ばせていただいています。
神輿の前の無理な横断は危険です!
 松原神社氏子町内の神輿は勢い良く「とぶ」ことで知られています。「とぶ」とは小田原から静岡にかけての方言で「走る」ことを意味します。「オイサー」「コラサー」と交互に声を掛け合い、要所と定めた場所で木遣りをかけ、数十メートル疾走します。そしてそれをピタリと止める「静」と「動」の表現は見事です。時として担ぎ手の士気が高まると、神輿を先導する高張り提灯を先に行かせ、「オリャ、オリャ」と野声(やごえ)を掛けてとんで行きます。それでも担ぎ手の高まりがおさまらなければ、さらに高張り提灯は急いで先へ進み、またそこまでとんで行きます。十分な場所と担ぎ手の気合があればそれを何度でも繰り返します。お祭の日に小田原へおいでになった方は、くれぐれも神輿に轢かれないようご用心下さい。
 また、松原神社の東にある山王神社でも同様に木遣りをかけて突っ込みます。この山王神社氏子地区には「山王原大漁木遣唄保存会」(昭和55年発足)があり、木遣り唄の伝承を行っているそうです。
 もともと松原神社神輿の担ぎ手は浴衣着用というのが基本でした。夏場の神幸祭で付き添いの役員が浴衣を着ている光景はよく目にしますが、担ぎ手が揃いの浴衣着用というのは稀なようです。上記の山王神社でも同様に浴衣を着用しますが、これもまた小田原ならではと言えるでしょう。現在松原神社氏子26ケ町の内、私達代官町を含めおよそ10町内が浴衣着用の古式を留めています。
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