(きぬた) ―日本の砧・朝鮮の砧―

(講演レジュメ)

 

1、「砧」とは何か?

1)砧の意味

砧は洗濯後の仕上げ工程の一つで、皺を伸ばして艶を出すことを目的に布を打つ道具もしくはその行為である。砧の道具は、綾巻・台・横槌で構成される。

2)「砧」の使い方の誤り

藁打ちを「藁砧」、また木製の横槌を「砧」、叩き洗いの洗濯方法を「砧」と呼称する事例が多いが、本来の意味の砧ではなく間違いである。

 

2、日本の砧

1)具体的資料

 絵巻物や浮世絵、本の挿図などの絵画資料が大部分。明治時代には砧を打つ風習が廃れ、実物資料の遺存例はほとんどない。

2)二種類の砧

T型(綾巻に布を巻いて打つ)とU型(布を畳んで台に置いて打つ)の二種類のタイプがある。T型は、当初は綾巻・台・横槌の三つを使い、後に台に板柱を立てるようになる。U型は綾巻がなく台と槌の二つを使う。

3)T型の砧の変化

 13世紀の『伊勢新名所歌合絵巻』が最古。以後、次のように変化。

@台に綾巻を直接載せるもの(T−a型)。元禄(1680年代)まで。

A受け枠を取り付ける(T−b・c型)。元禄年間、16801690年代。

B受け枠が発達して板柱になり、綾巻はこれに渡しかけるので高い位置となる(T−d型)。享保年間、1720年代まで。

C綾巻の両端に軸を取り付ける(T−e型)。安永年間、1770年代まで。

D軸の一方を板柱のほぞ穴に挿入する(T−f・g型)。天明年間1780年代〜幕末。

この変化はT型の砧を使いやすくするために改良してきた発達史と言える。

4)能楽「砧」

 世阿弥の名曲「砧」の舞台で使われる小道具はT−d型を模したものなので、17世紀末〜18世紀中頃(元禄以後〜安永以前)に出現したものと考えられる。この能楽の上演は一旦途絶えたとされるが、復活したのはこの間と推定できる。

5)U型の砧

 12世紀の中尊寺蔵『大般若波羅蜜多経』見返絵が最古。その後では近世の『名所図会』等の絵画資料。資料の数は少ない。西宮市立郷土資料館にこのタイプと思われる砧が所蔵されている。

6)砧の槌

 叩く砧の槌は敲打部と柄部との境に段差を持つ。敲打部の短いものをAタイプ、長いものをBタイプと呼ぶ。この槌を右手に持って叩き、左手は綾巻を回す。資料的にはBタイプが多いが、Aタイプもある。

7)砧は秋の風物詩

 夏に蒲団や着物の糸を解き綿を出して洗濯し、秋に砧を打ち、冬に裁縫して元通りに綺麗に仕上げて正月を迎える。この一連のサイクルから、砧は秋の風物詩となった。源氏物語や和歌、俳句など、古典文学に多く登場する。「ころも打つ」「擣衣(とうい)」という言い方もする。

8)和菓子「きぬた」

 京都の伝統菓子に長久堂の「きぬた」がある。円柱状の羊羹を芯にして、求肥を羽二重のように薄く延ばして巻いて作った棹物。これはT型の綾巻を模したもの。幕末に郷里で砧の音を聞いて感動し、考案されたという。

 また何かを巻いて作る料理を「砧巻」と言うが、これも綾巻からできた言葉。

 

3、朝鮮の砧

1)具体的資料

 朝鮮では古来砧打ちの慣習は盛んで、1945年の解放後も続き、韓国では70年代に廃れる。日本と同じくT・U型の二種類があり、両タイプとも実物と写真資料が残る。19世紀末より以前の資料は見当たらない。

 在日朝鮮人社会では60年代には既に廃れており、砧道具はゴミとして廃棄されてきた。

2)T型の砧

 T―a型である。日本のように変化せず、中世の形を残したと考えられる。19世紀末に英国女性イサベラ・バードの旅行記『朝鮮とその近隣諸国』の挿図が最古資料。しかし疑問点がある。確実なものは日本統治時代の写真資料。実物資料は民族学博物館に所蔵例がある。なお今の韓国ではこのタイプの資料がほとんどない。

3)U型の砧

 このタイプは日本統治時代から写真資料が多く、また今韓国に残る砧の実物もこれがほとんどである。

4)二種類の砧の使い分け

T型は仕上がりの布に折り目がつかず、U型は折り目がつくという違いがある。

T型は絹、U型は木綿、というように生地によって使い分ける。

5)砧の槌

槌は段差のない野球バット状のGタイプ。これを二本両手にそれぞれ持って交互に叩く。T型でもU型でも同じタイプの横槌である。

6)砧と洗濯

朝鮮の洗濯(パレ)は昼間に川辺で行う叩き洗いで、一本の槌を片手で持って打つ。その後に家に持ち帰って夕方以降に砧(タドゥミ)打ちをするが、それは一対の槌を両手で持って交互に叩く。槌の形状は、洗濯と砧では違いがある。

砧と洗濯は、道具も叩き方も用語も工程も目的も場所も時間も違う。しかし砧と洗濯を混同する事例が多い。

7)宮城道雄の「唐砧」

 邦楽の宮城道雄は大正時代の朝鮮での生活中に、日本では聞くことがなかった砧の音を聞き、名曲「唐砧」を作曲。この曲のなかで表現されている砧の音は、朝鮮女い性が打つ音色であった。

8)「砧」の諺

 朝鮮では「砧」にまつわる諺が多い。砧の知識がなければ、その意味が分からない。

「真夜中に綾巻」        ‥‥「藪から棒」に同じ。T型。

「砧槌を食らって綾巻で返す」  ‥‥仕返しは倍にして返す。T型。

「綾巻に花が咲く」       ‥‥いくら願っても実現しない。T型。

「綾巻で牛を追う」       ‥‥無理を強いること。T型。

「砧の台を枕にすると口が曲がる」‥‥品のないことをするな。U型。

 

4、日本と朝鮮の砧の比較

共通点

 砧は着物の糸を解いて反物状にして洗濯した後の仕上げ工程の一つ。家庭内の女性の仕事とされる。

 打つときは座って打ち、立って打つことはない。一人だけでなく二人で打つことも多い。

 T・U型の二種類がある。

相違点

 日本では12世紀からの絵画資料があり、文学や芸能にも取り上げられてきた。朝鮮では19世紀末より以前の資料がなく、その歴史を明らかにできない。

 T型は日本では近世にT−a型からg型に発達したが、朝鮮ではT-a型が変化しなかったと考えられる。従ってT−a型が砧の原形となろう。

 横槌は日本ではAもしくはBタイプ一本を片手に持って打つことが多いが、朝鮮ではGタイプ二本を両手にそれぞれ持って交互に打つ。

 日本では明治以降に砧を打つ風習は廃れて、その道具を見つけることは困難。韓国では1970年代まで砧の風習が残り、遺存例も多い。北朝鮮では今も残る。

 

5、砧の展示

 大阪近辺では民族学博物館にT型、人権博物館にU型が展示されていたが、今はどちらも外されている。砧の現物を見ることは日本では困難な状況。

韓国では中央博物館だけでなく地方の博物館でもU型が見られる。

 

 

資料

【朝鮮語の語句説明】

다두미(タドゥミ)

砧】 洗濯後の仕上げで、布を打って皺を伸ばし、艶を出す道具。もしくはその作業。

홍두깨(ホンドゥケ)

【綾巻】 T型の砧で布を打つときに、その布を巻きつける棒。

홍두깨 다두미(ホンドゥケ タドゥミ)

【綾巻 砧】 布を巻いた綾巻を台に置いて打つ砧。T型。

다두미(ノッ タドゥミ)

【平 砧】綾巻を使わず、布を畳んで台の上に置いて打つ砧。U型。

다두미 방망이(タドゥミ パンマンイ) 

【砧 槌】 砧を打つときに使う木製の横槌。野球バット状のGタイプ。二本を両手でそれぞれに持って打つ。T型もU型も同じ形状の槌を使う。

다두미 (タドゥミ トル) 

【砧 石】 U型の砧を打つときに使う台。この台の上に布を畳んで置く。石製だけでなく、木製もある。

빨래()

【洗濯】 家事として行なう洗濯。なおクリーニング屋がする洗濯は「セタ」という

빨래 방망이(レ パンマンイ) 

【洗濯 槌】 叩き洗いの洗濯をする時に使う木製の横槌。片手で打つ。砧槌とは形状が違う。

 

 

資料

「砧」を題材にした主な文学作品

紫式部(『源氏物語』夕顔の帖)

  白妙(しろたえ)の ころもうつ きぬたの音も かすかに こなたかなた 聞き渡され‥」

 

式子内親王(『新古今和歌集』)

  「()たび()つ きぬたの音に 夢さめて 物思(ものおも)(そで)の (つゆ)(くだ)くる」

 

世阿弥(謡曲『砧』)              

  シテ「(あや)(ころも)に打ちて、心を(なぐさ)まばやと(おも)(そうろう)。」

ワキ「悲しなや。なんどは(いや)しき者の(わざ)にてこそ(そうら)へ、さりながらおん心(なぐさ)めんためにて(そうら)はば、をこしらえて参らせ(そうろう)べし。」

 

松尾芭蕉(『野さらし紀行』ほか)

  「(こえ)()みて 北斗(ほくと)にひびく (かな)」   「()て (われ)に聞かせよや (ぼう)(つま)

 

イサベラ・バード(『朝鮮奥地紀行』朴尚得訳 平凡社東洋文庫)

「(洗濯して)乾かされた後、衣類は円筒形の台の上で、木の棒きれで冴えない繻子(しゅす)に似た色艶になるまで叩かれる。朝鮮の女性は洗濯場の奴隷である。ソウルの夜のしじまを破る唯一の物音は、女性たちがを打つ規則正しい音なのである。」

 

異河潤(『朝鮮訳詩集』金素雲訳 創元社 1953

「    遠砧(とほきぬた)

   秋の()の長きをこめて  鳴りつゞく遠き(きぬた)の  窓深き内房(へや)にこもりて 

(ころも)打つ加羅のをとめが  そと洩らすためいきに似て  いやせちにこゝろぞわぶる。

宵毎に聴ける()ながら  聴き古りぬひびきあらたし  秋草にすだく蟲の音 

それならで白きころもの  白かれとねがひ打ち打つ  あはれとよ加羅のたをやめ。」        

(註:加羅=韓)

 

 李恢成1971年下期・芥川賞受賞作品『砧をうつ女』)

「張述伊(母)はもっと奔放な女だった。をうって一生を過ごす邑の娘達のようにはなりたくなかった。‥日差しを溶かしている川はぴちぴちと躍って流れていて、どこからかをうつ音が聞えてくる日のことだ。‥川はゆっくり流れていたが、たえず光の粒を湧きかえらせていた。をうつ女達の白い着物を見たように思う。母はその乾いた着物を重ねてトントンとでたたいたものである。‥

重ねた衣服類に布地をかぶせて、で気長にうつのである。毎日のように見る光景であった。見飽きているはずなのに母がトントン、トントンとやっているのを眺めるのはたのしみであった。‥を打ちながら、母は何を考えていたのだろう。」