はんそで通信=はんそで王のひとりごと 下の方にあるのが古いもの。ほぼBroomBall日記となってしまっておる。

12/23(-25)
祝日なのに仕事するのやだな、と思いつつ半日お仕事していたら倦怠感と腰痛関節痛。やる気のなさが体調に出るのだなぁ、いちおう体温も計ってみとくかな。……38.2度! 寝ます。30時間寝たら治った。クリスマス三連休はそれでおしまい。

11月
旭川行ったのにラーメン食いそびれた。塩ホルは食った。夜中にはんそでで街中を歩いていたら道行く人に指を差された。

9月-10月
暑くてたまらん。秋はどうした。

8/5-7
マイレージでフライトとれたので千歳入り札幌経由苫小牧。こんな時期にとれるなんて奇蹟。年イチの札幌詣では今季もクリアした(たぶん4〜5年継続中)ものの、またしてもFightersは遠征期間でした。日程合えば札幌ドーム行ったのになぁ。くやしいなぁ。というか蒸し暑くてまいった。札幌のくせに! 苫小牧も蒸し暑くてまいった! 湿度高くてムレムレ←地元民も「こんな気候はめったにない」と驚いてました。あ、そうだ、札幌のファイターズショップに行く途中でONちゃんを見たよ! ちょっとうれしかった。(ONちゃん/オンちゃんについては各自調査のこと)
そして月末には釧路にも行ったので8月は2度の渡北。お金がありません。

4-5-6-7月-
放射性物質絶賛放出中
ですが、屋外で運動しまくりのすけ。食い物飲み物も気にしてません(好き嫌いはあるけど)。ジジイだからもういい。でも他の人はもっとちゃんと気を使うべきだと思うがね。

3月
3.11。古いマンションの地下にいたので倒壊圧死すると思ったよ。TVの津波中継に愕然。交通網は全停止しているので泊まりを覚悟。19時頃にコンビニに晩飯を探しにいったら甲州街道に人は溢れ、店の棚はカラッポで、トイレには行列ができていた。23時に各私鉄運行開始。改札は大渋滞だったが電車内は意外にすいていた。自室に帰ったらいろんなものが散乱していたがそのままにしておいて寝た。原発のことはタダチニは思い至らなかった。その後の半月間にかなりの放射性物質を吸引していると思う。でもまあ、もうジジイだし個人的には気にしてもしょうがない。なぜだか世界中に知人がいるので、あちこちから「おい、大丈夫かー?」メールをもらった(英語)。ありがたいことです。

1-2月
いつもの道東遠征(雄武、北見、北見)。例年と比べたら雪がぜんぜんなかった。道で転ばなかったし。

2011年↑/↓2010年

12/11
深夜から腹痛。食あたり? なんかおかしなもの食ったか? そのうち腰痛。前も後ろも痛くて眠れない。まる一日、寝床とトイレで過ごす。食事もなし。翌日、を出し切った気がしたのでフラッグの練習に行った。無謀にもほどがある。練習後にビール飲んで、死にそうになって帰宅。そのまま半日気絶。無謀にもほどがある。

11/26-28
年に一度の旭川。ラーメン食おうと梅光軒に行ったら閉まっていたので山頭火本店へ。塩チャーシュー。うまいけどものたりない……。翌日、すがわらでラーメン。トンカツラーメン塩。うまい! ラーメンの上にトンカツというとんでもない食い物。量にも満足。旭川なのに今年も雪ないなあと思っていたら最終日午後から暴風雪! 飛行機が30分おくれました。雪国をなめてはいけない。 残念ながら旭山動物園には行けず。

11/21
高校の同窓会。都立Q高校10期。すでにもうこの学校はない。数年前に廃校になった。同窓会はそれぞれの期で10年ごとにやっていて10期生会は3回目なのだが、出席するのは始めて。今回はなんとなく行ってみようかなと思ったもので(実はそういう人が多かったらしい)。30数年ぶりの人たちと再会。100人ぐらい参加者いたのかなぁ、顔見ても名札見ても誰だかわからん。とりあえず当時憧れていたSさんとお話できてよかったよかった。で、最終的には皆様キチジョージで泥酔。ではまた10年後。

10/30-11/8
ブルームボールという誰も知らない競技の大会でオーストリア、インスブルックへ。オーストラリアではない。成田〜チューリヒ(11時間)でスイスから入って、バスで4時間かけてインスブルック着。実は人生初のヨーロッパ。でもヨーロッパにとくに関心ないのでなんの感慨もなし。インスはほんとに四方が山でそれなりに風光明媚なところでした。とはいっても例によって観光はぜーんぜんしてない。山間部で寒いんだべかと思っていたらなんだかずいぶんと暖かくて、日中は16度くらいあった。さすがに夜は冷えてきてましたが。大会の方はいいこともいろいろあり、しかし残念なこともいろいろあって、楽しかったです。ビールもうまかった。事情があって海外携帯電話をレンタルしていったのだが、最終的な通話時間は1分未満であった……。

7/25
フラッグフットボールの練習で金沢八景の関東学院大学グラウンドへ。こんなところ来るのは初めてだ。しかし練習開始早々にふくらはぎが破裂した。いきなり足にボン!という感覚。人生初のほんものの肉離れでした。というか、病院には行かずじまいだったのでほんとに肉離れだったのかどうかはわからない。しかしこれで翌週のフラッグ公式戦には出られなくなってしまった。デビュー戦の予定だったのになぁ。とりあえずテーピングぐるぐるとサポーターぎちぎちで3週間で治しました。でも暑くてまいった。

7/15
あいかわらず釧路にも通っております(4〜10月)。7月は釧路直行がとれなかったので札幌から入った。それにしてもここ数年必ず年イチで札幌に来てるのにその度にファイターズが遠征中なのは誰のいやがらせだよ! とか思いながらスープカレー食べて、カプセルホテルで寝て(というかうるさくて暑くて寝苦しくてほぼ不眠)、翌日にバスで5時間かけて釧路まで行きました。クーラーボックスを用意してビールを詰め込んで車中で延々と飲んでいた次第。

4-5-6-7-8-9
ファイターズ2軍の鎌ヶ谷年間パスポートを買ってしまったので片道2時間かけて何度も通いましたよ。缶ビールとお弁当を持ち込んで若手の試合を堪能させてもらいましたよ。楽しかった。マニアですまん。カビーLOVE。

2/19
急激な体重減少がさすがに気になっていたので、献血のふりをして(というかほんとに献血したのだが)血液検査してみました。結果は、ばりばりの健康体。

2/15
北見に行ったついでに、網走へ。流氷ノロッコ号という観光列車に乗ってみた。網走〜知床斜里まで海沿いを片道1時間かけてゆっくり走る。10年前客車に窓がなくて吹きさらしだったそうだが、今はちゃんと窓があって、寒冷地マニアとしては残念。しかし中国人観光客がわんさか乗っていてうるさくてまいった。面白がって車内ストーブでスルメを焼くので臭くてたまらん。着いた先の斜里にはなーんにもないので、滞在30分でそのまま往復で網走まで帰った。でもまぁ、なかなか面白かったです。斜里の売店でちくわパンというものをはじめて食べた。うまかった…

2/5-8
ここは地の果て、雄武町。アウトドアでブルームボール大会。気温はマイナス14度だが、暴風が吹き荒れて体感は軽くマイナス20度を下回ったね。自分的にはたぶん今まででいちばん寒かった大会。

1月
体重が5ヶ月で6キロ落ちた。原因は不明。

2010年↑/↓2009年

12月
↓1ヶ月で治しました!

11/30
深夜に左肩に激痛が発生。痛くて死ぬかと思った。原因は石灰沈着。人生3度目の石灰。石灰沈着を伴う左肩腱板損傷で全治1ヶ月から最大で6ヶ月と診断された。かなりショック。とりあえず断酒(詳細)

11/28-29
年に一度の旭川。2年ぶりに旭山動物園にも行った。「オオカミの森」がよかった。まぁどう見てもただの丘で森じゃないんだけど。それはそれとして、これで年間12回の北海道遠征を達成。今年行ったのは釧路、北見、佐呂間、札幌、苫小牧、帯広、旭川、ちょっとどうかしている。

11/3
フラッグフットボールというものをやってみた。難しい……けど面白い。ちなみにグランドシニアという年長カテゴリーのチームでやらせてもらったのだが、なんと俺が最年少でした。びっくり仰天。

10/17-18
帯広は何度か通り過ぎたことはあったが、滞在はほぼ初めて。帯広がスイーツの本場(六花亭、柳月、スイートポテトのクランベリー)とあらためて認識したよ。帯広の人に東京からお菓子をオミヤゲとして持っていくのはちょっと考えものだな。

9/8-13
ブルームボールという誰も知らない競技の大会でオーストラリア、シドニー近郊のペンリスへ。ひとりぼっちの日本人。でもみんなオトモダチなので楽しく過ごしました。ただし体力的にはへとへと。びっくり事件がいくつもあったのだがあまりに面白すぎてめんどくさいので割愛

8/8
酔っぱらって夜道で転んで前歯(差し歯)を飛ばした。歯はそのまま行方不明。

5-6-7-
右手首痛(原因不明)と腰痛(30年もの+ギックリ腰?)で戦闘力半減。が、べつに安静にしてたわけでもない。

5/6
鎌ヶ谷という誰も知らないところに行ってきたよ。遠かった。

5/1-3
今年はコロラドに行けなかったなぁ。経済的なもんだい。GW料金のバカ高さよ。

3/21-22
2月の払い戻し金で3月に札幌(苫小牧)へ。夜は札幌で宴会して(なんか若い娘さんが横に座ってくれる店に行った気がしないでもない)、翌朝にブルームボールという誰も知らない競技の練習会で苫小牧へ。苫小牧は初上陸。街中は思ったより寂れてて大変そうでした。帰りは強風で飛行機が遅れて新千歳空港に5時間くらいいた。しかたないのであちこち探検してた。時間待ちに使えるけっこうな穴場を見つけたよ。

2/21
ブルームボールという誰も知らない競技の大会で北見へ、のはずが道東に暴風雪でフライト欠航。近年けっこう飛行機に乗ってますが、人生初の「欠航」。羽田行く山手線の途中で連絡うけた。浜松町まで行って払い戻し手続きして家に帰りました。とほほ。

1/23-25
ブルームボールという誰も知らない競技の大会で佐呂間町へ。いつも使っていた温泉ホテルが休館となってしまったので泊まりは町中の旅館。というか主に建設作業員の方が利用するという施設で、いわゆる旅館ですらない。こりゃ下宿アパートだなぁ。ちょっとびっくりした。朝食はうまかったです。

2009年↑/↓2008年

11/28-30
一年ぶりの旭川。凍結した道で今シーズン初転び。梅光軒のラーメン(塩バター)が超うまかった!

11/1-10
ブルームボールという誰も知らない競技の大会でバンクーバーへ。正確にはバンクーバー市のとなりのバーナビー市。世界各地のオトモダチにも一度に会えたし大会自体は楽しかったけど、ものすごく悔しい思いもないことはない(詳細は略す)。滞在中ずーっと雨だったが、観光してないのであんまり関係ない。試合スケジュールのおかげて会場に10時間居続けの毎日。まじで「空港」「試合会場」「開会/閉会パーティの会場」とスーパーと酒屋しか行かなかった。でも別にそれはそれでいい。ちなみに今回参加した日本人のほとんどは風邪ひいて帰ってきた。カナダ風邪おそるべし。ちょっとがんばってブルームボールという誰も知らない競技のコーチの国際資格をとった(レベル1でいちばん下のランクですが)。日本人初

4〜10月
半年間で釧路に6回行った。アタマがおかしい。8月に行ったときは暑くて死ぬかと思った。釧路なのに。

4/24-29
ブルームボールという誰も知らない競技をしにサンフランシスコ経由(一泊)で恒例のコロラドスプリングスへ。SF空港に着いたとたんに地元の友人(アメリカ人)に「ではこれからベースボールを観にいくのだ」と言われて、オークランド・アスレチックス×クリーブランド・インディアンス戦。ダフ屋のおかげて超いい席でした。天気もよかった。でもアタマ朦朧(だって10時間フライトから直行だよ!)。翌日からコロラド。もう5回目。いつも通りで楽しかった。

3/29-30
札幌。ブルームボールという誰も知らない競技をしに行った。エアドゥの「片道無料」と「知人宅に無理矢理泊めてもらう」を駆使して安くあげました。つーか、夜は宴会だし昼はファイターズ・グッズを買いあさったりだし、結局そんなに安くあがってない。

1/18-2/23
隔週で北海道にいた。ひと月だけでもこっちに住むべきか、本気で考えた。最後の一週は東京でガイジン(オーストラリア人とカナダ人)のお友達のお世話。その準備だの打ち合わせだのスケジュール作成だの、これまでの人生で書いた総量を軽く凌駕するくらいの英文を書いた。英会話もした。こんなワタシが中高と英語がアカ点だったうえにその後も特に英語の勉強をしたこともない、とは誰も思うまい。

2008年↑/↓2007年

12/13
カゼをひいて恒例の忘年会をお休み。ひじょーに珍しいことです。

11/26
ブルームボールという誰も知らない競技の大会があったので、24-26と旭川へ。11月末とはいえ、雪が積もっていた。でもってついでに(というよりこちらが主目的?)旭山動物園へ。面白かった。見どころは数多くはないのだけれど(冬季なのでクマとアザラシとペンギンぐらい)、その見せ方はさすが。行動展示はすばらしい。ほんとに目の前をホッキョクグマが豪快に泳ぐ姿には感動いたしました。また行きたい! あと、アザラシ担当のお姉さんがなかなか可愛くてよかったです、はい。ただ、観客の年齢層が異常に高くてジジババばっかりで子供があんまりいなかったのにびっくり。変な動物園。ちなみにこの日は「珍しくすいている」(by スタッフ)とのことでしたが、それでもあちこちに行列ができていた。

9/2-9
オーストラリア。通算で4回目。ブルームボールという誰も知らない競技の大会でシドニー近郊のペンリスという町へ。なんとまぁ、日本からただひとりの遠征。ろくに(つーか、ほぼまったく)英語できないのによく行くよ。車も(予算も)ないので、現地移動は電車と徒歩ですませた。飯は日本から持ち込んだチキンラーメン。なんだかすごい極貧な生活のようだが、じつは部屋だけは豪華だった。まぁ、だだっ広い部屋で孤独にズルズルとチキンラーメン食ってる姿はあんまり人に見せられない。試合はアデレードのチームに入ってやらせてもらえたけど、なんとか恥かかない程度にプレイできたのでよかった。しかし連中は名前の「TSU」とか「CHI」とか発音できないので俺に対して試合中に指示が出せない。なので「お前の名前は今からボブ!」ということになってしまった。AUSSIE BOBと呼ばれてなんだか大会の人気者になった。「BOBだってよ〜」と笑われていたようなものです。そのおかげでビールをいろんな人からたくさん奢ってもらえたけど。とかなんとか、なんだかすごく楽しい一週間ではあった。

4/19-24
4回目のコロラドスプリングス。いつものデンバー空港でなく、コロラドスプリングス空港を使用。小さいけど機能的できれいな施設。さすがに空気薄いのにもなれた。現地でいきなり「ホテルやめて地元民の家に泊まればいい」と言われて、なんとチームごと(アメリカ男5/日本男2/日本女2)一軒の家にホームステイ。ホテル代まるまる浮いた。夜はあっちの空港で買った睡眠導入薬を飲む。あっというまに寝た。おそろしい効き目。微妙にGW直前ということで長居もできず、すぐ帰国。乗り継ぎLAX空港は20年ぶりだった。が、前回の記憶は全然なし。

4/14-15
釧路。なんと着いたら
が降っていた。けっこうな大雪。夜は夜で久々に「知らない人」が活躍していたらしい。

1/26-2/5
11日間で延べ8日、北海道にいた。雄武、佐呂間。会う人ほぼ全員に「こっちに住めばいいべさ」と言われた。自分でもそう思う。さらにこの10日後にはまた北海道にいた(北見)。そしたまたほぼ全員に「こっちに住めばいいべさ」と言われた。自分でもそう思いつつ、買収騒動のサッポロビールを支援すべく、サッポロクラシックをたくさん飲んだ冬であった。

2007年↑/↓2006年

10/28-11/6
ブルームボールという誰も知らない競技の大会でミネアポリスヘ。02年に続いて二度目、じゃなかった、三度目だ。86年に来てる。今年はなんだか乾燥しまくっていて、お肌がカサカサになった。諸事情により今大会はプレイヤーじゃなくてJAPAN女子チームのカントク。それなりに面白かったけど精神的に疲れた。詳細はめんどくさいので略す。そんでも最終夜の表彰式では WOMEN'S ALL STAR TEAM COACH とかいう賞をいただきました。ちょっとびっくりした。

10/6-8
実は4月から毎月釧路に行っている。全部自腹。さすがにマイレージがたまったので今回はタダで飛べる。ただし……釧路往復がとれなかったので行きは帯広〜帰りは女満別。しかもこの時期、道東は爆弾低気圧の直撃を受けて大荒れの天候となった。金曜は帯広で一泊し(本場の豚丼に満足)土曜朝のJRで釧路へ。鈍行で3時間! そのうち2時間、乗客は俺ひとりきりだった。そりゃ廃線にもなるわな。大荒れの天気で、高波が砕け散る海沿いはかなり迫力があった。まじでちょっと怖かった。着いた釧路も大雨。日曜はちょっと収まったものの、夕方、車で女満別に向かう。3時間。ところがひとつ峠を越えたら大暴風雨。風で車が横揺れするほど。「これは……飛行機飛ばないのでは……」と30分おきにケータイでフライト状況をチェック。始めてそんな使い方したよ。とりあえず空港まで行って待つしかない。待った。飛んだ。揺れた。でもまぁちゃんと帰ってこれたのでこうしてここにいます。それにしても帯広入りで釧路でBBやって女満別から帰って、って、我ながら頭のおかしな人のやることだと思う。

9/28
北海道日本ハムファイターズがパリーグ・レギュラーシーズンの一位に。
よくやった!

4/27-5/1-5/5
恒例の「Make-A-Wish Broomball コロラド大会」。去年のコロラドは雪だったが、今年は快晴で暖かい。昼間は暑いくらい。高地で太陽に近いからか? 3回目の大会参加。なんかもう時差ボケにも高地運動にも慣れた(動揺しなくなったというだけのことで、苦にならないということではない)。夜はダブルベッド2台の部屋に4人(うち2名はアメリカ人)、必ず誰か一人はイビキ状態という環境だったけど、クスリ(=漢方系睡眠導入薬・ナイトミン。ドリエルは効果がないのでやめた)飲んでむりやり寝た。効いたのか? とりあえず毎晩3〜4時間は意識がない時間があった。大会の方はというと、JAPANチームはなんと決勝進出を果たして、大会準優勝。すごいね。個人的にも準々決勝で1点とって、これが海外での初得点。けっこう嬉しかった。1日には今年もまたサンフランシスコへ。今回は郊外のフレモントにあるHOLUGUIN宅にお世話になった。広い家だけどさすがに日本人5人が泊まると場所がない。俺は客間のカウチで寝た。玄関脇。タダなので文句はありません。つーか、寝心地は上々でした。宿泊も飯も観光も全部世話してもらって、ほんとにもう感謝感謝大感謝。まぁ、「飯」の中には「晩飯のデザートにどう考えても日本なら4人分はあるアイスクリーム」とか「朝からいきなり砂糖とチョコとホイップクリーム満載のでっかいドーナツ3個」とかちょっぴり迷惑なものもあったのだけれど。観光は、ワイナリーと、ジェリービーンズ工場と、チャールズ・シュルツ美術館。シュルツはスヌーピーのピーナツ・シリーズの作者ですね。ここは狭いけどそれなりに面白かった。けっこう田舎の方なんだけど、日本人観光客も少なからずいた。ふんとに日本人はスヌーピー好きだなあ。最終夜はオークランドのマカフィー・コロシアムでアスレチックス対クリーブランド・インディアンズ戦。球場まではリムジン(レンタカーだけど)で送迎! 試合前にはなんと駐車場でテールゲート・パーティ。HOLUGUINファミリーの身内友人12〜3人集まってホットドッグ焼いて食べた。うまかった。試合は3-14くらいで大敗……。かくれA'sファンとしてはまことに残念。4日SFO発5日NRT着で帰国。今回のフライトは全部通路側か窓側かでほんとにラッキーだった。が、この後にそのまま成田から品川へ出て居酒屋で帰国解散会。でかい荷物持ったままで、これが全行程中一番キツかったかもしれない。ああ疲れた。

2/3-5
雄武町。5年ぶりだよ。女満別から車で3時間超はちょっと遠い。今年は流氷は見られなかった……。3日間のうち50時間くらいは酔っぱらっていた。

1/27-29
北見。2年ぶりにオホーツクビアファクトリーへ。できたてオホーツクビールはやっぱり日本一うまい。3日間のうち50時間くらいは酔っぱらっていた。いないあいだに東京は大雪(都心積雪9センチ)だったらしいが、知ったことではない。

2006年↑/↓2005年

11/27
釧路。豚丼を食った。おぉー、感動的にうまい! 帰りは大雪で飛行機飛ばないかと思ってちょっとびびった。

10/15-16
帯広経由で釧路へ。車で2時間。「とかち帯広空港」で道内6空港を制覇!

9/13-15
いろいろと事情があって京都へ。行きはバスで8時間。帰りは飛行機で1時間。

8/5-7
札幌へ。6日札幌ドームで野球観戦(Fightersの項参照)。7日は朝からブルームボール。札幌は期間中「夏祭り」で、ススキノ〜狸小路〜大通りと全部の通り毎に大騒ぎしていた。大通りのビアガーデンはビールメーカー4社毎のエリアが作られてて、相当な人出。暑くてうるさくて温くてあんまりビールもうまくなかった。スープカレーは食い損ねたのでレトルトを買って帰った。東京にも売っていた……(でもうまかった)。

4/29-5/5
成田〜シアトル〜デンバー。シアトルでのアメリカ入国に際しては否応無しに指紋を採られた。人権軽視の国だなあ。デンバーは! その中を車でコロラド・スプリングスへ。日本から移動20時間で夜8時過ぎに着いたのに、いきなりリンクで練習(させられた)。高度1600m。酸素切れ。でもその後、スポーツバーでビール。ほぼ意識のないままホテルへ。でも眠れず。大会中もほとんど眠れず。それでも運動してる自分もちょっとすごい。ただし感情の反応速度はゼロ。酔っぱらってるか、黙ってるか、意識が飛んでいる状態しかない。大会後は今回もサンフランシスコへ。市内バス観光と湾内クルーズ。たぶん生涯初めて外国都市の「観光ルート」を体験。帰国便は満席で最後の最後まで搭乗が確定せず。なんかもう疲れきっててどうでもよかったので、どうせなら代替便のハワイ経由でもよかったなぁ。しかし、ものすごい疲れたけどものすごい楽しい一週間だった。ちょっとしたことでも楽しくてしかたがなかった。酸素不足と寝不足と疲労で脳内モルヒネだかなんだかが出まくってたのかね。ほぼ徹マン朝方の状態でした。

2/18-21
網走。オーロラ号に乗った。二度目。ナイトクルーズだった。流氷観光は4回目(!)だが、一番よかったかもしれない。それはそれとして、前歯が折れた。クリス・ベノワみたいになった。

2/4-7
ブルームボールという誰も知らない競技の大会で紋別へ。紋別空港を使用。これで道内の5空港(新千歳/女満別/旭川/釧路/紋別)を制覇。で……なんにもない町でした。あ、港にロシア語の看板を発見してちょっと感動。ガリンコ号に乗った。二度目。

2005年↑/↓2004年

10/31-11/8
ブルームボールという誰も知らない競技の大会でニューファンドランドへ。カナダの東のはじっこの島。日本とは時差12時間という、まるっきり地球の裏側の場所。空港はディアレイク、目指す町はコーナーブルック。日本から一日では着かないので、途中トロントで一泊して乗り継ぎ。トロント泊の夜にカナダでは夏時間から冬時間に変更になっていた。そうとも知らずに1時間早くチェックアウトしようとして(朝7:00のつもりが6:00)ホテルのフロントで笑われてしまいました。トロントからハリファックス、さらにそこから双発プロペラ機でディアレイク空港へ。すんげぇ騒音だった。で、ニューファンドランドは「でっかい北海道」でした。例によって時差ボケとハードワークで朦朧とした中での一週間だったが、すごくいいところで、すごくいいリンクで、すごくいい大会でした。楽しかった。しかし、片道19時間(飛行時間)はあまりに遠過ぎる!

6/19-20
北海道日本ハムファイターズの試合を観に旭川へ。ファイターズ項目内「旭川観戦記」参照のこと。試合後に翌日のブルームボールという誰も知らない競技の練習会のために釧路へ。移動に車で4時間かかった。運転してくれた友人に感謝。途中でシカとキタキツネをそれぞれ10頭ずつくらい見た。夜の闇の中にいきなりいるのでびっくりした。むこうもびっくりしていた。

4/29-5/5
ブルームボールという誰も知らない競技の大会でコロラドスプリングスへ。行きは成田〜シアトル乗り継ぎ〜デンバー国際空港。そこから車で1時間ちょい。広大。ちょっとだけロッキー山脈が(近くに)見えた。ショッピングモールの建物の中にスケートリンクがある。すごいいいリンク。でも、空気が薄い! デンバーが高度1600メートル、コロラドスプリングスはそこより更に高いとこある。なにしろUSオリンピックセンターがあって選手が高地トレーニングするようなところなのだ! ちょっと動いたら息ができなくなって倒れた。でも不思議なもので三日で体が慣れた。ま、慣れたときにはもう大会は終わっていたのだが。帰りはサンフランシスコ経由。18年ぶり。当時泊まった安ホテルが解体中なのを発見。感慨深いものがあった。夜にステーキをもりもり食ってビールをがぶがぶ飲んでよろよろとカラオケに行った。朝は死んだまま空港へ。ほぼ寝たまま成田着。楽しい遠征でした。でも(行ってるあいだも帰ってからも)時差ボケがつらかった。

4/10-11
ブルームボールという誰も知らない競技の大会で釧路へ。釧路は初めてだが、すでにこの年3度目の北海道。土曜の夜はなんだかいろんな人に会った。そんで酔っぱらった。しらない人にも会った。診療所項目内「私のしらない人」参照のこと。

2004年↑/↓2003年

6/4-11
ブルームボールという誰も知らない競技の大会でオーストラリアへ。成田はSARSのおかげで閑散としてて、気持ちがいいくらいだ。ちなみに係官以外は誰もマスクなんかしてない。JAL直行便。たぶんJAL国際線は初めて。国内線は25年前に札幌に行ったときに乗った(ような気がする)。それにしても直行便だよ。15年前にオーストラリア行ったときはマレーシア航空のクアラルンプール経由路線で、なんだかんだで片道30時間かかった。「飛行機にも鈍行があるのか?」と言われたもんだ。今回は夜行便だったので寝よう(機内もガラガラ)と思っていたのだが「シカゴ」を上演していたのでついつい観てしまった。すげー面白い。キャサリン・ゼタ・ジョーンズがすんごくいい。ま、今さら俺が言うことじゃないな。6/5 なんとかそれでも2時間くらい寝れたかな。寝不足とはいえ時差がないのはらくだよ。シドニーに着いた。朝。全然寒くない。チーム「JAPAN−AM」は日本人(6人)とアメリカ人 (8人)の混成なのだが、アメリカさんたちとは偶然空港で出会えた。自己紹介されたけど名前が覚えきれない。そのまま午前中はダーリングハーバー(オペラハウスとかあるあたり)をふらふらしてそのまま車でシドニー郊外にあるペンリスへ。その夜はそこのリンクで試合。そんなことでもなきゃペンリスなんてとこに、日本人は来ないに違いない。試合となるとチームメイトであるアメリカ人は完全に戦闘モードで「掴め、押さえ込め、倒せ」などとおっしゃる。「ブルームボールはノーコンタクトで楽しく誰でもできるスポーツ」と教わって日々にこにことプレイしている日本人はなかなかついて行けない。アメリカ人に火を点けられて、本来血の気の多いオーストラリア人もエスカレートして激しくなってくる。しかし、初日はまだ甘かった。我々草食の民が肉食動物の恐ろしさを知るのはこれからなのだった。夜食はモーテル隣接のPUBでVB(ビクトリア・ビター・ビール、おお、久しぶり!)とミートパイ(美味い!)。寝る。6/6 朝5時起きではるか南西の首都・キャンベラヘ。途中で道に迷ってどうなることかと思った。道中のBGMは松田聖子。大自然に若き日の松田聖子はよく似合う。若き日の、限定。走り続けてキャンベラの試合会場に着いたのが10時過ぎ、先に到着していたアメリカンだけで試合が始まってしまっていた。あわてて着替えて参加するが、なんか最後まで試合に乗れなかった……。ここまでMEN'Sは2分け(NSW 2−2、QL 1−1)、MIXは2連敗(NSW 1−2、ACT 0−10)で勝ち星なし。アメリカ人は欲求不満でかなりカッカしている。午後は時間があいたけど、キャンベラは観光地じゃないのでどこも行くところがない。中華を食って終わり。深夜のWOMEN'Sを応援しながらビールをいくつか消費して(なんと今回の日本人初勝利は女子チームだった。NSW.II 6-0)、ホテルへ帰って寝る。既に2時。6/6 他のメンバーは全員、地元民に朝食に招かれたので7時に出ていった。でも俺は起きられなくて寝てた。すでにへとへと。朝3時と8時にサンフランシスコからわざわざ電話かけてきたM本の相手をてきとうにして寝続ける。キャンベラのホテルはかなりいいホテルだったんだけど、大会主催者がディスカウント価格で部屋を押さえたのでルームサーヴィスは一切ないということが判明。ええ? タオルがびちゃびちゃのままだよ。でも疲れてるのでそんなこと気にする余裕もない。夕方に試合。やっと勝った。対SA 3 -1。アメリカ人もお喜び。正直ほっとしたよ。MIXも3−1でSAを下してみんなニコニコ。そしてここから長い夜が始まるのであった6/8 WOMEN'Sの試合が午前2時から。「俺らは寝てるから君らはがんばってきなさい」というわけにもいかないので、日本人部隊はリンクへ行く。このあと3時30分、5時45分、8時と試合がある。それがぜーんぶ終わるまで寝られないのだ。しかも2時に行ってみたら「WOMENのこの試合はキャンセル」という発表! 日本女子と合同で組んでいたQL女子が出場辞退したとのこと。日本人怒りまくり。チーム組んでる以上、こっちにひと言あってしかるべきだろーに! まあ、この場で言ってもしかたがないのでただ次の試合を待つしかないのだった。やれやれ。なんか半分寝たままMIXは敗戦(QL 1−5)ココロを入れ替えたQL女子と再合同したWEMEN'Sは引き分け(1−1)。そしていよいよやって来ました。11年連続豪州王座に君臨するACT-MEN'Sとの対戦。とんでもない試合だった。当たるアメリカ人、押すオーストラリア人、転がる日本人、抑えつけるアメリカ人、はねのけるオーストラリア人、飛ばされる日本人……。怒鳴り合い、罵り合いの中でコトバがわからないままに見幕に怯えでとまどう日本人……。まったくもって戦場に迷い込んだ子犬状態。いやまあ、いい経験でした、とは言っておこう。MEN'S2勝2分、MIX1勝3敗、WEMEN'S1勝2敗1分で終了。日米連合はゲスト扱いなので決勝には進めない。決勝もなかなかすごい試合で(MEN'SはACTがV12達成)オーストラリアのレベルの高さを痛感。6/9 キャンベラで唯一の観光名所(?)国会議事堂を見て(ここは中も外もなかなか美しい)それからシドニー北のワイン名産地ハンターヴァレーへ。車で5時間走りづめ。着いてみると、ぶどう畑が一面に広がってて、さらに地域限定バブルらしく新しい建物も多い。で、ワイナリー巡りで試飲試飲試飲でワインがぶ飲み。どれもうまいので、けっこう酔う。宿は森の中のコテージで着いた時には真っ暗。南十字星を見て、ワインで大貧民。6/10野生のカンガルーが来る」というので早朝にコテージの周囲を偵察。いた。のそのそぴょんぴょん。あんまり近づけないけどそれなりに満足。午前中からまたワイナリーで試飲試飲で、それからシドニーへ。そこでいよいよ最終夜となる。最後のホテルは複合大型ビルでホテルとか劇場とかカジノがぜーんぶ一カ所に入ってる。豪華。シドニー市内で買い物とかして、先に帰る人を空港に送って、みなはカジノへ。俺はバクチに全く感心がないので部屋で風呂を泡風呂にして遊んでビール飲んでWWEとか見てた。残ってたVBとFOSTERを消化。けっこう飲んでしまった。6/11 朝9時35分シドニー発。夕方には成田。東京は梅雨入りしてた。暑い! おわり。で、今回は8日間でどれくらいビールを飲んだかと言うと、そんなには飲んでない。常識的な量。一日平均1500ccくらい。オーストラリアにはVBとかFOSTERとかまあまあのビールも多いんだけど、まずいものは平気でまずい。リンク併設のPUBにはその「まずい」系しかなかったので(TOOHEYSとか)量をこなす気になれなかった。試合のプレッシャーもあったし。ま、最終的にはその分ワインをけっこう飲んだけど。あ、今回最大の心残りはハンターヴァレーでワインに気を取られて「地ビール」を飲みそこなったことだ。PORTERとかいうブリュワリーがあったのになあ。ああいうものはその地でしか飲めないのだ。今度行く機会があったら絶対飲む! と日記には書いておこう。日記があればね。

2/14-17
恒例の北海道参り。今年は網走。例によって観光はほとんどしてないけど網走監獄と流氷クルーズには行った。どっちも一度くらいは行ってみた方がいい。

2003年↑/↓2002年

11/2-11
ブルームボールという誰も知らない競技の大会でミネアポリスへ。ノースウエスト航空の本拠地なのでこんな田舎街なのに成田直行便がある。それはそれでよいのだが、シートは今どき横10人がけ(むろんエコノミーだけど)。去年乗ったコンチの広々シートが恋しいよ。例によって全然眠れないまま到着。15年ぶり二度目となるミネアポリスは昼間とはいえたいして寒くない。アメリカの冷蔵庫という異名にちょっと期待(?)していたのだが拍子抜け。滞在期間中に一日くらい小雪模様の日があったものの、ほぼ連日最高気温10℃を切る程度で、まったくもってガッカリ。着いたその日は夜に川の対岸セントポールまで行ってNHLホッケー観戦。70ドルもするすげーいい席。地元ワイルドは負けたが面白かった。でも眠い。でもホテル帰ってベッド入っても眠れない。ああまた時差ボケ地獄に突入だよ。11/3 アメリカ最大のショッピング・モール「モール・オブ・アメリカ」へ。アメリカ最大ということは世界最大ではないのか? よくわからんがとにかく広い。遊園地まで入ってる。ジェットコースターもあって、わりと評判らしいのだが、しかしたいしたことなかった。としまえんの方が楽しい。比べるのもおかしいんだが。肝心の買い物は……何も買うモノがない! 店数は多いんだけど俺の物欲を刺激するものがぜーんぜんないのよ。なんかがっかり。あ、ひとつだけあったな。なんつーか、馬の首に棒がついてて子供がまたがって遊ぶやつ。それのオオジカ・バージョン。彼と目が合ってちょっとドキドキした。20ドル。でも長いんだよ、ううーん。持って帰れないのでガマンしました。で、4時間くらいの間に何を買うでもなくモール全体(4ブロック3フロア)を4周した。5キロくらい歩いたことにならんか? これはちょっと自慢? さあ帰ろうと思ったら待ち合わせ時間に同行「買い物ガールズ」2名が現れない!! 余計に待たされている間にモールの床にへたりこんでしまい睡魔に襲われて死ぬかと思った。でも夜はやっぱり眠れない。11/4 大会前にリンクで練習。すげー立派なリンク(アリーナ建物内に4面ある!!)でびっくり。夜は眠れず。11/5 開幕。人のいるアリーナは昨日の印象の300倍大きく感じる。売店の食い物もまずまず。初戦0−0引き分け。でも打たれまくってた。ディフェンスでへとへと。これはあかん、と前途多難を痛感。夜は眠れず。11/6 一日3試合。朝から夕までリンクで過ごす。相手はすべて強豪。3連敗。3試合目は全然動けなかった。トシだなあ……。なんかすげーヒザが痛い。あとで見たら青あざだらけ。相手のシュートブロックに行っててやられた。要はそんだけパワーのあるショットを打たれてるってことだな、しかも何本も何本も。それにしても痛い。でも夜は眠れず。11/7 残り2試合のうちひとつ勝たないと順位戦に進めない。相手はイタリアと、前回大会からのおともだちチームCASTLE NUT KIGHTS from Eugene Oregon。イタリアにはこてんぱんにやられて試合後には「ジャポネーゼ、スロースロー」とかばかにされてしまった。それにしてもあいつら異常に陽気。アメリカ人とはひと味違ったバカ。最後の勝負となったユージーン戦では前半にフェンスボードに激突。自覚はなかったんだが、後ろからかなりの勢いで押されたらしい。頭から突っ込んで首が折れた。そのまま動けなくなって試合中断。なんとか立てたのでよかった。でも首が上にも下にも右にも左にも回らない。自己診断は頸椎捻挫だが、そのままベンチで最後の試合、しかも負け試合を見てるしかなかった。残念。というわけで、今大会はこれで終戦になってしまった。しかもやっぱり眠れず。11/8 することがないので余ってるリンク借りて練習試合(首が動かないのでGK)。あとは観戦。夜、Eugeneとの宴会に出ようとしたらホテルのロビーでケベックのフレンチ集団に囲まれた。記念品交換用のてぬぐいを欲しがって俺にもくれ私にもくれとあちこちから手が出てきた。しかもフランス語。なぜかオバチャン二人に左右からキス攻撃され、怖かった。夜はちょっと眠れた。11/9 大会終日。決勝戦観戦。自分らとはレベルが違いすぎる。明日は帰国なので夕刻のうちに荷造り。やたらと荷物が増えてバッグが膨れあがった。お、重い……。夜は閉幕パーティー。相変わらず日本グッズは人気。みんなガイジン相手にいろいろと交換してた。夜はなんとなく眠れた。11/10(〜11) 空港の日本料理屋でカリフォルニア・ロールを発見。初めて食べてみた。さして旨くもなし。帰りもタコ部屋フライト。でもなんだかぐーすか眠れた。飛行機であんなに寝たのは初めてだ。8時間くらいは寝てたんじゃないか? 帰宅しても眠くて眠くてたまらなくて即寝。12時間くらい寝た。これで一気に寝不足解消かと思ったら、それからまたた時差ボケ地獄。連日朝3時に目がさめてしまう。そのまま朝。んで、夕方に強烈な睡魔が襲い来る。1週間たっても直らず。なんとか抜け出したのは10日後(11/21)。11/2〜11/20までの平均睡眠時間は3時間あるかないかだったな。やれやれ。で、今回はあんまりビール飲まなかった。アメリカンビアーが不味いということを差し引いても、異常に少ない消費量だった。これにも時差ボケの影響大。次回はいよいよクスリ使うしかないかな。ううーむ。
それにしても首が痛い。

5/17
久しぶりに「しらない人」が出現。「私のしらない人」参照。泥酔爆眠のまま帰宅(したらしい)。

2/23-25
なんと、一ヶ月間で三度目の北海道。一週おきに来てるよ。おっかないので費用のことは計算しないことにした。北見に行くんだったが、羽田〜女満別の航空便がとれなくて(流氷観光シーズン)、入りは札幌、帰りは旭川というルートになってしまった。エアドゥで新千歳へ。札幌出てラーメン食って、札幌〜北見は高速バスで5時間。アメリカとかオーストラリア行った時のグレイハウンドを思い出した。でもまあ、半分は寝てたんでたいして苦じゃなかったな。グレイハウンドなんかに比べたらシートはファーストクラスだ。北見ではまた運動してビール飲んで焼肉を死ぬほど食った。それ以外のことはしなかった。帰りの北見〜旭川(3時間)もバス。旭川で久しぶりに会った友人に有名なラーメン蜂屋に連れて行ってもらった。不思議なコゲ味。それから男山資料館でサケを試飲しまくって酔っぱらった。んで、やっぱり北海道はあったかくて、旭川でさえ全然雪つもってなかった。新しくてきれいな旭川空港で大雪地ビール(まあまあ)飲んで最終便で帰京。つかれた……

2/8-2/11
またしても北海道。佐呂間へ。こっちも雪なかった。晴天で気温はそんなに低くはないのだが、風がびゅーびゅー吹いてむちゃくちゃ寒い。体感温度はマイナス20度くらいだったんじゃないのか。サロマはカキとかエビとかホタテが(あとカボチャも)名産なんだが、俺はどれも食えないので関係ない(カボチャも)。あ、玉子焼きがうまかった。って玉子焼きは名物じゃあないか。

1/25-27
北見へ。なんかあんまり雪つもってなかった。数日前に異常に暖かくなってみんなとけたらしい。でも着いた日にはまたマイナス10度。あいかわらずオホーツクビールがうまい。端から順番に全部の種類を飲んだら地元民に感動された。北見は焼肉屋の街でもある。なので死ぬほどたらふく焼肉を食った。久しぶりの焼肉。すんげーうまかった。運動してうまいビールを飲んでうまい肉を食う。至福。もっといたかったけどそういうわけにもいかないので日曜夜に帰京。帰った翌日は数十年ぶりとかいう猛吹雪だったそうだ。なんかそれはちょっと体験したかった。

2002年↑/↓2001年

9/11
家に帰ってテレビをつけたらWTCが黒煙を上げていた。「あ、タワーリングインフェルノだ」と思った直後に2機目が突っ込んだ。そのままずーっとライブで見ていた。崩壊するところはちょっと衝撃的だった。15年前、実際に本物のWTCを下から見上げたことがある。あれがなくなった、と思うとやっぱりショックだ。しかし、カナダからアメリカ経由で帰ってきたのが10日前。ちょっとずれてたらマジで足止めくってたわけだよな。

8/24(-9/3)
ブルームボールという謎の競技の合宿のようなものをやるのでトロントまで行く。成田からの直行便(エアカナダ)だと片道13時間。でもお高い。夏休みだしな。調べた中で一番安かったのはコンチネンタル航空ヒューストン乗り継ぎの便。南へ行ってから北へ上がるという大回りルートで、乗り継ぎ待ち時間入れて片道18時間くらい。でも直行便より5万円くらい安い。で、もちろんそれで行った(他の参加者はみんな直行便なのでひとりきり)。乗ってる間に寝てればいいや、つー安易な目算だったのだがいまだかつて飛行機では眠れたことがないのを忘れていた。なんでか知らんが飛行機だと全然眠れないのだ。時差ボケの前兆なのだろうか。今回もだめだった。寝ようと努力してもまるで眠れない。しかたがないのでゲームボーイでドラクエ3をやっていた。レベル60を越えたものの、機械的にモンスター退治してるだけなのでシナリオ的にはぜんぜん進めない。眠いという感覚は断続的に襲い来るのだが、目を閉じてもまったく眠れない。ほんとにつらい。そんなわけでヒューストン到着時には不眠のだるさでへとへとよれよれ。英語の聞き取り能力ゼロの人間が半ゾンビと化しているのだから、これでなにかまちがいが起こらない方がおかしい。案の定、乗り継ぎ待合所でぼんやりしてるところへ「トロント」のアナウンスが聞こえたような気がしてあわてて立ち上がったら「to ロンドン」だった。まぎらわしいことを言うな!! ああ、あぶないあぶない。まあ、それでもなんとか乗り継ぎには成功したのだが、そうやってトロントに着いた時には完全に生ける屍この時点で30時間以上寝てない。しかしそれは大きな問題ではないはずだった。空港出口には地元民(カナダ人)が迎えに来ててくれるはずだったのだから。そこから先は人の後ろをついて行けばいいだけのはずだったのだから。さて、賢明な読者はお気づきのことであろう。はずだった、なんて言うくらいだから当然その迎えの人物はそこにはいなかったのだ。「ど、どしたらいいの?」と「ね…ねむい……」という困惑と朦朧の狭間にあって、私は夜8時のトロント空港第3ターミナル到着ゲートでひとりぽつんと途方に暮れるのであった。(そのまま意識が飛んだまま4時間ほど中略)なんだかんだで(ビール飲んだ後)床についたのは深夜0時過ぎ。で、5時には目がさめてしまった。時差ボケ地獄の始まりであった。8/25 モーローとしたまま今回の宿泊地WATERLOO(トロントから100キロの近郊)を徘徊。大学のあるところで観光地ではないのでなーんにもない。襲い来る時差ボケに立ち向かうべくビールをたくさん飲む。そしてやっぱり眠れず。8/26 ほとんど寝てないとゆーのに朝8時からブルームボールという謎の競技の練習をさせられて死ぬ。さらに夕方に試合して、ビールをたくさん飲んだがろくに眠れず。メノナイトというアーミッシュみたいな変人たち(失礼)が馬車に乗って道路をパカパカと走っていた。8/27 自分の意志と関係なく落ちてくるマブタと戦いつつ15年ぶりに「ナイアガラの滝」に行った。前回より1ミリくらい滝口が削れてたかもしれない。臭くて有名だった「霧の乙女号のレインコート」は使い捨て式になってた。ちょっと残念。レストランで隣の人間とおなじクロワッサンサンドを食べようようとして「セイムメニュー」と言ったら「サーモン」が出てきた。8/28 馬という生き物に乗った。でかかった。手綱の使い方とか教わったが、馬という生き物はそんなものと関係なく勝手に歩いていた。「言うことを聞いたなら馬をほめてやれ」と言われたので「Good Boy」とか言って首をなでてやったら馬という生き物は「さわるんじゃねぇよ!!」と怒っていた。その馬という生き物は意外と臭くなかった。乗馬ってのもいいな、とちょっと思った。常時眠気に襲われているので、馬の上でも眠りそうになった。夕方から練習と試合。夜は不眠。8/29 カヌーで川下りした。10キロくらいの距離だったが、なにしろ真っ直ぐ漕げないのでおもいっきり蛇行してその4倍は漕がされたような気がする。とんでもない全身運動のうえ、指にマメができてつぶれた。疲れたまま練習と試合。だがしかし、そんなに疲れたのに(ビールもたくさん飲んだのに)夜ろくに眠れない。8/30 到着から6日、やっと眠れたような気がする。本屋に行ったらキンセラの短編集がいっぱいあったのでつい買い込んでしまった。本は重たいから買うのやめようと思ってたのになあ(それにどうせ日本に帰ったら読みゃしねぇんだよな…)。夜に最後の練習と試合。カナダ人選手の体臭ともこれでお別れ。8/31 この日はまた眠れなかった。翌日の帰国に備えてそのままトロント市内へ。ホッケーの殿堂というところへ行ったが寝不足でほとんど意識がないまま徘徊。最後の夜、スカイドームで野球観戦。ビールを飲んだら目がさめた。球場は見やすくてきれいだった。大好きなラウル・モンデシーが2ランをかっ飛ばしたけど、3-4でデトロイトに敗戦。最後のバッターはトニー・フェルナンデス。今年限りでの引退を表明しているので観客は拍手。ビールをたくさん飲む。ホットドッグがうまかった。また眠くなってきたが翌朝早いのでほとんど.眠れそうにない……9/1 帰国のため、朝5時起きで空港へ。空港へのシャトルバスがあると聞いて泊まったホテルなのに「そんなものはない」と言われた。しかたがないのでタクシー呼んでもらった。余ったカナダドルでたくさんチップをやったら運転手に感謝された。ちょっとお大尽気分。ところがチェックインして出発ゲートまで行ったところでトロント発ヒューストン行きが1時間遅れていることが判明。当初の予定ではヒューストン着が11時、そこで乗り継ぐ成田行きが12時発なので「どしぇー、これはまにあわんぞなもし!!」とあせった。が、もうどうしようもないので状況に身をまかせて放心状態。結果的にはなんとか間に合った。ただしマジで出発10分前というギリギリ。まあ、ああいうものは少々送れても待っててくれるもんなのだろう、と勝手に思う(ほんとは待っててくれない)。ヒューストンは嵐で、上から見たら街が泥流に洗われてた。おっかない。そのまま成田まではすこし寝た。飛行機であんなに眠れたのは初めてだ。コンチネンタル航空のボーイング777はシートが広くて楽だ。ひと席ずつモニターがあるし、ヘッドレストが曲げられるようになってて寝るのにもいい。だがしかし、客室乗務員は太ったおばちゃんばっかりだが。9/2 時差があるので夕方に成田着。トロントをこっちよりも6時間後に出たエアカナダ直行便に余裕で抜かれてしまった。機内で寝たことは寝たが、へとへと。帰宅後も時差ボケでほとんど眠れず。今回のカナダ行き、7泊9日で通算10時間くらいしか寝てないような気がする。でもビールは20000ccくらい飲んだ。いつものことか。9/3 不眠による体力の消耗と運動によるカロリー消費でけっこうやせちゃったかも、と思って体重を量ってみたら行く前とまったく変わってなかった。でもって時差ボケで一日中眠くてなんにもする気にならない。

3/24
3月は全部合わせたら40曲くらい歌ったと思う。でも全盛期に比べたら半分くらいだな。

3/10 (-3/11)
小田原。5年ぶりくらいにテニスをした。思ったよりできた。でもへたなので誘わんでくれ。久々の二日酔い+車酔いでちよっと死んだ。もう車はイヤだったので新松田というところから(新宿まで)電車に乗って、これまた久々に電車内で完睡。あやうくまた小田原まで戻るところだった。

2/9 -2/12
北海道紋別郡雄武町というさいはての地に行った。あらゆるものが凍っていた。ほんものの吹雪のさなかに露天風呂に入った。マイナス20℃。頭が凍った。カニには関心がないのでそのへんにあったクリオネグミという不思議なものを食ったら、歯の冠がとれてしまった。4日間でビールを20リットルくらい飲んだような気がする。

1/20 -1/24
前日の試合で腰がこわれた。立てなくなった。立つと左後ろのへんがものすげー痛い。もともと腰痛持ちなんだが、こんな腰痛いのははじめて。とりあえず土曜日だったので寝ていた。日曜日も寝ていた。月曜日になったら立てた。水曜日は試合出た。負けたけど。

2001年↑/↓2000年

12/14
PowerBook2400が起動しなくなった。電源は入るのだが、ハードディスクを認識しない。
なんか直前にSCSIを付け替えたのが原因のような気がするが、よくわからん。いろいろやってみるがどうにもならないので12/15にNCRに持っていった。いちおう説明しておくとNCRは対面修理で知られるMacユーザーの救急病院みたいなものなのだが、そこで「来週からはApple製品の修理は一切受付できなくなるんですよ」と知らされた。Apple製品の修理はぜーんぶAppleに送らねばならなくなったそうだ。このへんの事情はいろいろと難しくも腹立たしいApple様(通称・バカ会社)のお考えがある(ほんとにあるのか?)のだが、めんどくさいから略す。早い話が、とりあえずわしのPB2400はギリギリセーフだったというわけなのだ。NCR様は起動できるまで復活させてくれた(むろんその時点で中のデータはまるごとパーではあるが)。「ただし不安定な状態なので、やっぱりハードディスク交換が必要となるかもしれません」と言われつつも、とりあえずほっとして持ち帰って再設定し始めた。そしたらまた止まった。再びハードディスク不認識状態。そして途方に暮れた。12/16 ついに観念して代替機を買うことにした。PB2400を修理に出すとしても、どんなに早くても年明けまで戻ることはないだろうからである。それで結局、PB2400の中古を買うことにした。PB/G3、あるいはいっそiB00kという選択肢もあったのだが、今の周辺機器がそのまま使える、が最優先だったのだ。しかし実はPB2400(中古)は人気機種でもあるらしい。人気機種=品薄&けっこうなお値段、ということだ。展示してある中古品も価格のわりに「○○欠品」とか「キズあり」とか、なんかちょっと不安な表示のあるものばかり。でもしかたがない。「キズなんかあったって動きゃいいんだよ、動きゃ」と腹立ちまぎれのヤケクソでそこそこリーズナブルと思える価格のものを購入した。で、結論から言って、購入して持ち帰ったその中古のPB2400は動かなかった。そしてまたボクちんは途方に暮れるのであった。12/17 動かないものとにらめっこしててもしかたがないので、返品しに行った。店の方でも「不良品」であることを確認して「同等の商品と交換させていただきます」ということになった。同等の商品つーたってどれも中古なんだが。とにかくまた売り場を見てみると、やっぱり人を不安にさせるようなものしかない。特にキズモノを一回掴まされてる身としてはちょっと躊躇せざるをえない。いちおう店員に「PB2400はここに出てるだけっすか?」と聞いてみたらなんと「たった今、買い取り窓口に状態のいいPB2400が入った」とのこと。査定が終わるまで待つなら、それを優先で回してくれるという。そりゃあ、待ちますとも。ここで待たんでどこで待つ。 (中略) 斯くして、数時間後に再び店頭を訪れた私の前にはなんと2台ものかなり状態のいいPB2400(中古)が鎮座ましましていたのでした。え、なになに、好きな方選んでいいの? わーい、えへへ、どっちにしょーかにゃー。なんて迷ってみせたりして。でもほんとは迷うまでもなかった。なんでかっつーと、そのうちのひとつはPB2400の改良後期型モデル2400/240だったからだ。今まで使ってたのは2400/180(G3にしてはあるけど)。まさかここでそんなものが手に入るとは思ってもみなかったよ。ほんと。なんかここ数日の苦闘と落胆から一気に救われた気がする、とついつい浮かれてしまうのであった。その先にまたすべての再設定という大作業があることも忘れて……(結局、実用できる段階にするまで一ヶ月以上かかったのだった)。
後日談・んで、先代のPB2400/180はめんどくさくなって修理にも出さずにおいといた。年が明けて、ふと思いついて電源をいれてみたらちゃんと起動してハードディスクも認識できた。なんなんだ、てめえはよ!! 人をバカにしてんのか!!
さらに後日談・ユーザーからクレームの嵐となり対面修理は復活したようだ。
そのまた後日談・先代のPB2400/180はまたハードディスクを認識しなくなっていた。もうしらん。

10/28-11/6-11/13
カナダ。たいして寒くない。初日バンクーバー泊。ビール飲んでも時差ぼけで眠れず。翌日、ビクトリアへ移動。ビール飲んでも時差ぼけで眠れず。三日目も四日目も五日目も六日目もビール飲んでも時差ぼけで眠れず。七日目、ビール飲んでやっと時差ぼけ克服。八日目、ビール飲んで快眠。九日目、帰国。ビール飲んでも時差ぼけで眠れず。ビール飲んでも眠れぬまま本日に至る。

8/26
朝4:00起きで軽井沢へ。井荻で車で拾ってもらった。さすが早朝、そこから実質2時間で着いてしまった。最短記録。でも軽井沢も暑かったのでまいった。スケートリンクでブルームボールという謎の競技を3試合やって、夕方からビールに溺れた。リビングデッドと化してビール瓶を何本も抱えて宿の廊下を徘徊していたような気がする。8/27午前3時から試合。GKだったのでゴール前で横になっていればよかったので楽だった。試合終了あたりから半日にわたって二日酔いと暑さと寝不足で廃人。でも夕食のバーベキューで死ぬほど肉を食った。うまかった。ビールも飲んだ。うまかった。そんで寝た。8/28月曜日。暑い。軽井沢のアウトレットモールとかいうところに行ったら、いままで東京でも見たことがないくらい大量の人がいた。あきれて新幹線で帰った。東京行きの新幹線は乗車率200パーセントくらいでぎゅうぎゅう詰めだった。月曜日なのに!! そんで家帰ってビール飲んで寝た。3日間で10000ccくらい飲んだような気がする。

そのまえはわすれた。


王宮へもどる。
ふりだしにもどる。