ホームトップ旅目次エジプト日記(4)再びカイロへ
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(4) 再びカイロへ

*カイロ市内

明け方、空が白んでくると、何処からともなくコーランの声が響いて来る。幻想的なその声は目覚めの体にしみ込んでくるようだ。カイロの朝は早い。




(カイロの市場ハンハリーリ附近)



(カイロ市内・珍しく女性の姿があった)


ルクソールからエジプトタイムで再びカイロに戻る。待望のエジプト考古学博物館見学が残っているからだ。のんびりした昼食はハンハリーリというスーク(市場)にあるレストランだった。レンズ豆のスープがどうも胃にもたれる。

ツアーも終盤になり、頑張ってはいるものの、食欲の無くなった人や、おなかをこわしたらしい人が出て来はじめた。なにしろ毎食がエジプト料理で、油の質が違うのか、ゴトゴトした感じで重い、毎食出るエジプトパン(平べったいチャパティのようなパン)に飽きてしまった。

バスの窓からぼんやりと外を眺めていたら 「D A I H A T S U 」と書いたトラックが通る、「あっ!ダイハツの車!」と思って荷台を見ると、二人のおっさんが荷台の中で何やら齧りながら話している。腰をおろしている座布団の如きものは・・・!あの毎日食卓に出てくるエジプトパンではないか!


(同行宮本氏撮影)

立てかけてあるのは、どうやらまな板か、パンを伸ばす板のようだ、まるで石ころでも積むように荷台に放り込んで、覆いもしていない、一斉に窓に駆け寄ってシャッターをきる。おっちゃんはむしゃむしゃと商売物を食べながら呑気なものだ。

「アレーッ!今日のお昼はあのパンかもよー!」

「ヒャーッ!私、もうパンはやめとく!」

「食品衛生はどないなってますのやろ?」


とか言いながら、みんなおなかが心配になってくる。見なくてもいいものを見てしまったなぁ、、今迄も、青黴の付いたパンもあったし、大丈夫やろか。

薬を持って来ている事を誰からとも無く聞いたとか、Tさんは「実は昨日から胃が痛んで食欲が無い、主治医に貰ってきた薬をのんだが、効かない」とおっしゃる。あまり気の毒だったので、手持ちの錠剤を差し上げた。インフォームドコンセント?が良かったらしく、すぐに調子がよくなったとのことでホッとする。


* エジプト考古学博物館へ


エジプト考古学博物館 ( BOW先生HPより)  

考古学博物館は沢山の人達でごった返していて、なかなか入れない、おまけにカメラはフラッシュなしが条件だ。諦めてカメラを預けて中に押し込まれるように入った。中は蒸し暑く、空調も今一つの感じで、各国のガイドの怒鳴り声のような説明が入り乱れて、まるで芋洗いの状態、ゆっくり立ち止まることも出来ない。

しまいには一つの展示物の前で日本語とスペイン語が音声多重放送の如く交互に聞こえて、まるで頭に入らない。重要な物だけをハッサンは要領よく選んで見せてくれるが、さすがのタフな彼も疲れと暑さと、タバコの禁断症状で、声もかすれてくる。

ミイラの展示室には又1400円程の別料金が必要だ。エジプトポンドだけしか扱わないというので、諦めていたら、ハッサンはお金は立て替えるから入って来いとしきりに薦める。前にも日本の展示会で見たことがあるからいい、と言っても彼は真剣な顔をして、「折角来たのだから、見てきて!」と言う。あまりの熱心な薦めに、入ってくることにした。

ミイラ・・復活を信じて作られたこの内臓無き亡骸は静かに眠っていたが、部屋の気温と湿度が高いのが気にかかった。

二階はツタンカーメンの秘宝の部屋だ。黄金のマスクをはじめ、数知れない宝物の素晴らしさにしばし時を忘れる。棺を何重にも囲っていた箱や厨子、ミイラの形の内棺、そのどれもが今ここに持って来られたかのように光り輝いている。




若い王と女王の形を浮き彫りにした黄金の玉座は傷みも無く、完璧な形でそこにあった。発見当時の古い写真に興味を引かれた。掘り出した時のままの玄室の中がまざまざと写っている。発見者の興奮が今に伝わるかのような写真だった。

黄金のマスクは額に王の象徴、コブラの彫刻、目の周りには青いラピスラズリがはめ込まれている。その他、多くの首飾りや装飾品はデザインといい、色といい、現在にもそのまま通用する見事なものばかりだ。あらためて古代エジプトの文化の高さ、深さに驚いてしまう。


人波に押されて、絵葉書を買わなければならないことを思い出すのが遅すぎた!大急ぎで売店に行くと、そこは黒山(茶色山?)の人だかりで、とても買い物をするどころではない、しかし、カメラが使えないのだから、どうしても資料を手に入れたい・・ホームページに是非載せたいし・・と必死に人をかき分けて、ようやく絵葉書を数枚掴んだ。
エジプトポンドだけ!と言う売り子の手に強引にドル札を押し込んで、やっとこさ手に入れた。そこへ友人が「あらっ!私も、、」もう集合まで5分しかないから無視して出てしまう、彼女は後で恨みがましく言った。

「あんたって冷たいのねー!」

「ハイハイ、冷たいですとも!」



エジプト考古学博物館

・タハリール広場の北の一角
(正面の池にはエジプトの象徴、蓮とパピルスがある)

・ 9.00〜17.00
・金曜日は休み

* ナイル川クルーズ

いよいよ最後の夜になった。今夜はナイルに浮かぶ船に乗って、ディナークルーズが用意されている。ベリーダンスもあるというので友人はウキウキして、着ていくドレスがなかなか決まらない。どうせ夜だし誰もお婆二人のことなど見てはいませんよー!早く決めてー!

船は満員の人を山盛りに乗せて、出発!バンドのおにいさん達が入って来る客に合わせて、そつなくその国の音楽を奏でる。一昔前のナイトクルーズと言えばすきやきソング(上を向いて歩こう)だったけれど、今夜のは新しい曲で何の曲かわからなかったが、次の曲「キサス・キサス」に俄然のってしまった。

食事はバイキングだから、いちいち立って行かなければならないし、鞄も心配だし、一皿に熱の加わった物だけチョッピリ持って来て、もう立たないことにした。

ベリーダンスは黒い衣装で肌も出さずにすこぶるお行儀がいい、イスラム原理主義者の抗議で、薄物で覆い、肌は出さないようになったらしい。男性には少しお気の毒・・

お客さんの中から誰か飛び入りした!良く見ると同じツアーのMさんだ!腰を振ったり、膝を回したり、珍妙なその姿に観客は大爆笑、彼は日本人ばなれのした容貌で、彫りが深く、おまけに趣味の畑仕事で真っ黒に日焼けしてはる。

ラテン系の雰囲気だから、日本人には見えない。曲が長く、疲れて、クネクネダンスになってきて、ますます可笑しい、しまいに腰が抜けたようになってしまって、大笑いの大サービス、素晴らしい飛び入りアトラクションになった。

えらいよー!Mさん!だれもが大笑いで涙まで流して笑っている。彼は、もう一度出て踊ろうとして、奥様にきつく引っ張られて、やっと諦めはった。明日の朝ぎっくり腰にならなければいいけど。

帰り道でNさんが、おっしゃる、「正直言うと、もう二、三人踊り手がいて、もうちっと出して貰いたかったですわな」

「はぁ?」(そうでしょうとも!)

ホテルに帰ると、結婚式の真っ最中、ジャンジャカジャンジャカと音楽に合わせて踊りながら階段を登って行く派手なものだ。友人はビデオを持ってついて行ってしまって、なかなか戻ってこない。

あ〜ぁこれでもう全部終わりだなぁ、、ベランダに出るとナイル川に灯かりが映り、高い塔はシルエットになって黒くそびえ、橋の上は車のライトが交差して、まばゆいばかりだ。見上げる天空に星は煌いて、カイロでの最後の夜はゆっくりとふけていった。

古代王国のファラオ達の遺蹟からパワーを貰い続けた十日間、「つかの間の人生から得る、取るに足らない物・・」を、もう少し得るべく、又前へ!未来の扉へ進みましょうか!
開けーっ!ゴマ!!(エフタ・イエ・セムセム!)
ショッコラン!!ショッコラン!!


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