ホームトップ>旅目次エジプト日記>(1)ピラミッドの街へ
(1)カイロ (ピラミッドの街 ギザへ

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外務省の「観光旅行自粛勧告地域」「危険喚起地区」の指定が1997年以降から出されているエジプトへ、六組の夫婦と八人の単独参加者からなる二十人のツアーは11月の半ば、代表的な地区のみではあったが、無事エジプト観光を終えた。

三十年来訪れてみたいと願い続けたエジプトの遺蹟の数々が今、無造作に目の前に広がっていた。以下はその十日間の仰天日記である。







スフインクス

     
クフ王のピラミッド(盗掘の穴から入る)
*ピラミッドの街ギザからダハシュール、サッカラへ

ピラミッドは、突然街の喧騒の中から顔を覗かせた。関空からシンガポール、ドバイ、と丸一日の長旅にボーとした目に、いきなりそれは立ちはだかってきた。

カイロの西にあるギザの三大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王の手になる三基)は、斜めに並び、お互いに太陽を遮らないように並んでいると言う。近くに寄ってみると、それはもはや三角形の稜線が鋭角ではなく、下は崩れはじめた石が重なった小山の状態になりかかっている。しかし、パノラマ・ポイントからみるこの景色は息をのむほどの感動をもって迫ってきた。

悠久の時の流れに屈することなく四千年に及ぶ歴史を見つめ続けてきたこの巨大な建造物は、そこに込められた王の執着と怨念ともいうべき思いに答えて、いまなお尋ねる人の胸を打つことをやめない。

古代からエジプトの人達は「全ての世界は時の流れには逆らえずひれ伏す、しかし時の流れはピラミッドの前にひれ伏す」と考えてきたというが、この巨大な最古の建造物が人々の小さな力の結集であることを思えば、時の王達の権力の大きさと、来世にかける夢のすさまじさに言葉を失う。


今日はクフ王のピラミッドに入れてくれるらしい。一日三百人程度しか入れないとのことで、ガイドのハッサンの薦めで、朝の内にどれか一つのピラミッドに入る事になった。

予定ではいったんホテルに入り、落ち着いてからだったはずなのに、兎に角ピラミッドに入るのが大事と予定はドンドン変更され、あれよあれよという間にクフ王のピラミッドの前に着いてしまう。しまった!ホテルに荷物を置く時に靴を履き替えるのを忘れた!さっきまで感じなかった暑さを初めて意識する。砂漠気候は太陽と共に動き、日差しはジリジリと強くなって来た。

同行した友人は、泥縄式で覚えてきたビデオカメラの操作に手間取り、あちこちいじくりまわして首をかしげながら、これでいいか?これでいいか?と聞いてくる、そんなもの、私にもさっぱり解らないよぅ・・・日本で練習したんとちゃうの?

ピラミッドの下の方に入口がぽっかりと口を開けている。ハッサンはここで待っているか
ら入って来いと言って、ニヤリと笑い、皆のカメラを預かる。
「あれっ?ガイドなしでこんな狭い暗い所へ入るの?」

「出てこられなかったらどうするのさ?」

「大丈夫、いつか出られる」・・・


冗談じゃない・・こちらは立派な「閉所恐怖症」なんだから・・高い所なら平気だけれど、狭くて暗い所は大嫌い、寒気がしてくるのに・・(幼い時にいたずらをしては押し入れに放り込まれた後遺症だ)

入った途端に道は狭く、暗くなる、目がなれないせいか余計に暗い、中腰で両側の手すりにすがってそのままの形で進む。足元は板敷きでガタガタしていて、なにしろ腰を伸ばして立つことが出来ない、これは大変だ、肩に下げた鞄が前にずり落ちて首にひっ絡まる。いくら行っても何も無い・・・もう引っ返したい、と思ったらぽっかりと空間が広がった、そこにはガランとした石の部屋があった。

そこで腰を伸ばし、また登る。もう引き返せない、後から後からいろんな国の人達が並んで入って来るから、狭い回廊でのすれ違いは出来ないようになってしまっている。まるでチューブの歯磨きのように押し出されて前へ行くしかなくなってきた。ようやく広い所に辿り着くとそこが玄室の跡らしく、花崗岩の石の桶がポツンとある。

これだけーっ?」「なーんだ、何にも無い」あーしんど・・・」下からの人の切れ目を狙って降りはじめるが混んでいてなかなか降りられない。中腰での歩行は長旅の後ではこたえる、みんな黙ってしまう、あちこちでゴツン!ゴツン!と頭を打って、「イターッ」と言う声がする、疲れてつい頭が上がってしまい思い切りぶつけてしまうのだ。やっと二股になった所へ出てきた先頭の人が怒鳴る

「どうする?又登りだけどーっ?!」

「もういいわ、下の方にしょう!」

と怒鳴りかえす。

「O K下の道にする! 」

ドタドタドタドタと明かりに向かって中腰のまま進むと、ポコンと外に出た!すかさずハッサンが「お疲れ様でした」!「何も無かったよー」「ああしんどい」
何も無いって言ってくれたらいいのにと言うと、彼は「そんなことを言ったら、誰も入らないから、僕は何も言わない」


(カイロ大学日本語科を卒業したガイド・ハッサン君)


 (ツアー同行宮本氏撮影)
         

(ツアー同行宮本氏撮影)
*音と光りのショー

夜になってピラミッドとスフインクスのショウが行われた。「音と光のショウ」と題して、英語劇調の説明がながれるが、前の席の人達は間もなく首を垂れ、眠りに入った様子・・・無理も無い、長旅の後の強行軍ののち、ナイトショウの英語を聞いていたら眠くなるのは当たり前だ。光源が弱く、撮影はフラッシュをたいても心もとない。
ファラオ達は今も、ここで魂の復活を願っているのだ!!


ジャジャーン!!                 
、、、と、ショウは終わった。混雑の中をガイドを必死に探しながら、ゲートに戻った。(ビデオの持ち込みには千円程取られる、商売やなぁ)

やっとホテルに落ち着く、ピラミッドの見える部屋が「うり」のメリディアンホテルだ。なるほど、部屋からはピラミッドの頭が二つチョコンと見える。前評判通りの一流らしい。しかしこのホテルは、とんでもない水の出るバスルームを用意していたのだった。


(ツアー同行鈴田氏撮影、ホテルの部屋のスタンド)
部屋に戻り、ようやく荷物を広げる、砂にまみれてジャシジャシするので、バスルームに直行した。栓をひねる・・・何と!出てきたのはまさにチョコレート色の水・・・

ギャッ!なんやのん、これ?友人は私の悲鳴にちらっと顔を出し「あら!大変!」と言ったきり、荷物整理に没頭している様子で一向に慌てる様子もない。仕方なくフロントに電話する。

「モシモシ!バスルームの水が使えません!!」

「すぐ来て見てください!」

ドアの所で待機していると、ゴヤゴヤと三人の男が現われた。黒服に蝶ネクタイと、グレーの背広と、ナッパ服の三人、バスルームに入って大袈裟に肩をすくめて、○∞・・×・・∞○∞・×・∞ ・・・・と三人で話しあっている、その間も水はチョコレート色のまま、バスタブに流れ続けた。

「マダム!あと5分このままにしておいて下さい」

「あと5分?ほんとに5分?」「・・・」

「エート・・あと10分」「ほんまに10分?」「・・・」

「アノーあと30分」「ほんまやね!絶対30分ね?」

「30分で O K !O K ]

と男達は帰っていった。しかし1時間出し続けても水は濃い味噌汁くらいになっただけだった。


結局、足だけ洗い(かえって汚れそう!)ミネラルウオーターで流して終わり、友人は今夜はもうバスは使わないと寝てしまった。賢いよー!

翌朝、ロビーはこの話でもちきりになった。それにしても日本人はおとなしい、文句を言ったらしい人はなく、バスは使わなかったと言う人が大半だった。

「玄関の横で土管工事をしてましたやろ!あれが原因でっせ!」

「一気にみんなが風呂を使ったからねェ・・」

「タンクの底のヘドロが出てきたんですやろ・・」

とか色々言い合って、これからの旅の難儀さを一行は肝に銘じたのだった。

クフ王のピラミッド(大ピラミッド)

・ BC2610年頃建立

・ 高さ 137メートル

・ 一辺の長さ230メートル

・ 使用された石の数 約230万個

・ のべ一億人の人間で三十年の歳月を要したと言う

*サッカラ・ダハシュールへ

ギザの南サッカラにはジョセル王の階段ピラミッド、右方向のダハシュールにはスネフル王の屈折ピラミッドと赤のピラミッドなどがある。エジプト古王国時代の王の権力は神と同等であり、膨大な権力を持っていたため、数多くのピラミッドが建設された。  

サッカラ街道を左に進むと、古王国時代の首都だったといわれるメンフィスに出る。上エジプトと下エジプトを初めて統一したとされているメネス王(ナルメル王)が作った都で、ラムセスU世の巨像が横たわっている。


     (ラムセスU世の巨像・ここの番人は写真を撮るとチップを要求した)
     
     

(屈折ピラミッド)


    (階段ピラミッド)


(メンフィスのスフインクス・高さ4メートルあまり)

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