読書を助けるための用語説明4


ガジャ・マダ
?〜1364年。マジャパイトの大宰相。第3代ラージャパトニ女王と第4代アヤム・ウルク王の治世にかけ、34年間宰相を務めた。在任中は領土拡張政策を推進し、古代インドネシア史上最大の版図を築いた。現在インドネシア各地の都市では、最も繁華な街路をガジャ・マダ通りと命名していることが多い。<戻る>

ププタン記念碑
ププタンはバリ語で「終焉」の意味。古来バリでは、戦闘で敗北を期した王が名誉ある死=自決を選び、多くの場合その家族や家臣が殉死する慣わしがあった。現在ププタンという語は、19世紀末のオランダ侵攻から独立戦争に至る外国の侵略に対するバリ人の集団自決行動(玉砕)という民族主義的な脈絡で使われることが多く、反植民地、独立のシンボルとなっている。ププタン記念碑もその一つである。<戻る>

ベモ
小型の乗合バス。インドネシアにはベチャと呼ぶ三輪の人力輪タクがあるが、ベモとは、ベチャ・モトル、すなわちモーター付ベチャの意味である。四輪のワゴン車が一般的だが、デンパサールの市街地を循環するベモは三輪車が使用されている。<戻る>

ススフナン
ジャワ語で最高位の王、主。現在中部ジャワには、マタラム王国の王統に連なる四つの王家が存在するが、この称号を継承するのはソロのパク・ブウォノ家の当主のみである。<戻る>

オランダ東インド会社
1603年、アムステルダムに設立され、世界最古の株式会社とされる。1799年に解散するまで、バタヴィア(現在のジャカルタ)を拠点にインドネシアの香辛料貿易を独占した。日本の鎖国時代、長崎で貿易を行なったのもこの会社である。<戻る>

プンドポ
ジャワの王宮内の建造物の一種。低い方形または矩形のテラスの上に軒の深い屋根を架し、外壁や間仕切りなどがない柱列だけのオープンな広間。王宮の中心の王の住居と広場の中間に配され、王(すなわち神)と民衆とが接する場所とされ、表彰や裁判が行なわれた。(石井米雄鑑修『インドネシアの事典』より)。<戻る>

プソコ
ジャワ語で、先祖代々継承される家宝、門外不出の神器、遺宝。クリス(短剣)、槍、傘、楯、装身具、楽器、ワヤンの人形、舞踊、水田など。これらは何れも呪力があると考えられた。<戻る>

バレ・アグン
バレは四方の壁がない吹き抜けの小屋。東屋、四阿。「大きな(アグン)バレ」の意味で、村の集会場に使われる。<戻る>

クラトン
ジャワ語で王宮、宮廷。語源的にはク・ラトゥ・アン、すなわちラトゥ(王)の居住地を意味する。<戻る>

チャンディ
語源は、シワ(シヴァ)神の妻で死の女神ドゥルガー(バリでは魔女ランダと同一視される)の別名チャンディカに由来するという。狭義には王や貴族の墓廟と、ヒンドゥー教、仏教の神仏像を安置する金堂を意味するが、広義にはヒンドゥー=ジャワ期のあらゆる宗教建築物を意味し、仏塔や僧院を含む。<戻る>

バリ博物館
デンパサール博物館ともいう。1910年に時のオランダ植民地政府が創立し、その後1932年に開館した。バリ各地の代表的なプラとプリ、すなわち寺院と宮殿を模して造られた数棟の陳列館は、先史時代から現代に至るバリの歴史、生活、絵画、舞踊などの資料を展示している。<戻る>

ププタン広場
ププタンはバリ語で「終焉」の意味。古来バリでは、戦闘で敗北を期した王が名誉の死=自決を選び、多くの場合その家族や家臣が殉死する慣わしがあった。現在ププタンという語は、19世紀末のオランダ侵攻から独立戦争に至る外国の侵略に対するバリ人の集団自決行動(玉砕)という民族主義的な脈絡で使われることが多く、反植民地、独立のシンボルとなっている。この広場は、1906年デンパサールのプムチュタン王家のププタンが行なわれた場所で、毎年インドネシア独立記念日には州政府主催の記念祝典が催される。<戻る>

ワルン
簡単な造りの小さな店、茶店、屋台。どこの村にも、コーヒーや軽食、菓子、日用雑貨を売る小さな店がある。<戻る>

ガジャ・マダ
?〜1364年。マジャパイトの大宰相。第3代ラージャパトニ女王と第4代アヤム・ウルク王の治世にかけ、34年間宰相を務めた。在任中は領土拡張政策を推進し、古代インドネシア史上最大の版図を築いた。現在インドネシア各地の都市では、最も繁華な街路をガジャ・マダ通りと命名していることが多い。<戻る>

クラトン
ジャワ語で王宮、宮廷。語源的にはク・ラトゥ・アン、すなわちラトゥ(王)の居住地を意味する。<戻る>

ゴン・グデ、スマル・プグリンガン、ゴン・クビャル
グデは「大きい」の意味。ガムラン・ゴンともいわれ、文字通り大編成のガムランである。寺院の古典祭式音楽に用いられる。
スマル・プグリンガンは、古い寺院音楽の大編成で、後に舞踊音楽となり、プレゴンガンとしてレゴンの伴奏音楽に発展した。
クビャルは「閃光」の意味。ゴン・グデの一種で近代的に編成されたガムラン。クビャルという男性の座舞(クビャル・ドゥドゥク)の伴奏音楽として用いられる。<戻る>

プリ
梵語のプリーという語に由来する。バリ語で王宮、宮廷の意味。先のクラトンと同義だが、バリではプリと呼ぶことが多い。<戻る>

ススフナン
ジャワ語で最高位の王、主。現在中部ジャワには、マタラム王国の王統に連なる四つの王家が存在するが、この称号を継承するのはソロのパク・ブウォノ家の当主のみである。<戻る>

パクアラム
ナポレオンがオランダを併合した際、1811年イギリスはジャワを占領した。ジャワ副総督スタンフォード・ラッフルズはヨクヨクルトに遠征し、王宮の古文書、宝物を略奪した。その後、スルタン家の王位継承紛争に干渉し、1816年スルタン家よりパクアラム家を分立した。<戻る>

プンドポ
ジャワの王宮内の建造物の一種。低い方形または矩形のテラスの上に軒の深い屋根を架し、外壁や間仕切りなどがない柱列だけのオープンな広間。王宮の中心の王の住居と広場の中間に配され、王(すなわち神)と民衆とが接する場所とされ、表彰や裁判が行なわれた。(石井米雄鑑修『インドネシアの事典』より)<戻る>

プラサスティ
梵語名プラシャースティー。石板、銅板、木板などに彫刻された碑銘文書、碑文。9世紀から14世紀まで約200点が知られており、古代史を探る上で重要である。<戻る>

オダラン
バリの寺院(プラ)はそれぞれ固有の「創立記念日」をもち、バリの暦で1年あるいは半年に1度に巡ってくるその日に数日間催される祭りのこと。実際にはその日に最も近い満月の日前後が選ばれることが多い。オダランには信徒が集まって寺院を飾り付けて神々を寺院に招き、持ち寄った供物で饗応し、祈りを捧げる。<戻る>

バリス・グデ
バリスは「戦士」、グデは「大きい」の意味。バリの儀礼的な舞踊の一種。バリの寺院祭の儀礼に欠かせない舞踊で、数人から数十人の男性によって踊られる。<戻る>

ムプ・ブガ
ムプとは「主」の意味で、高僧や学者、宮廷詩人、あるいは人並外れた呪力の持主に対する尊名である。<戻る>

リンガ
バリ語の発音はリンゴ。男根を模した彫像。陽石、石棒。ヒンドゥー教ではシワ(シヴァ)神のシンボルとされるが、バリでは太古から男根崇拝があった。<戻る>

ルーロフ・ホリス
1898〜1965年。オランダの考古学・文献学・宗教学・歴史学者。遺蹟の発掘、碑文の集成と研究などで有名。デンパサール南郊のウダヤナ大学付近に、彼の名をとどめた街路がある。<戻る>

24種の碑銘
地域別の内訳は、スカワナ5、プヌリサン5、キンタ・マニ6、バトゥール=アバン4、トゥルニャン4となっている。<戻る>

プダンダ
バリ語の発音はプダンドゥ。ブラフマナ(同ブラフマノ、婆羅門)階級出身の僧侶、祭司。それに対して平民出身の僧侶はプマンクという。<戻る>

マントラ
バリ語の発音はマントゥロ。梵語で咒文、真言の意味。ヒンドゥー教や仏教の儀礼で僧侶が唱える祈祷文のこと。<戻る>

ブダ=ポン
バリ語の発音はブド=ポン。バリ暦では、周期の異なる複数の暦を組み合わせ、行事の吉日を決めたり、その日の運勢を占ったりする。ブダは七曜(サプタワラ、バリ語の発音はサプタワロ)で水曜日のこと。ポンは五曜(パンチャワラ、同パンチョワロ)の一つである。<戻る>

クバティナン
今日のジャワでジャワ的な神秘主義を呼ぶのに用いられることば。「内」「隠された」などの意味をもつアラビア語からの借用語バティンに由来し、「内なる隠されたること」といった意味をもつ。狭義のクバティナンとは、神秘主義の師とその弟子たちによる瞑想・禁欲行などの行為と、それを支える世界の内面の隠された心理・実在・力についての思想をいう。(石井米雄鑑修『インドネシアの事典』より)<戻る>

ジョヨボヨ王
東部ジャワのクディリ朝の王で、分裂していた王国を統一した。しかし、この王の歴史上の業績以上にその名を不朽のものにしているものは、「ジョヨボヨ予言」と『ブロトユド』書である。前者はジャワの将来の歴史、植民地支配と日本軍政時代、独立に関する予言を含み、後者はインドの叙事詩『マハーバーラタ』を宮廷詩人ムプ・スダーとムプ・パヌルに命じてジャワ語に翻案させたものである。なお、プリンボンに関する読書案内を参照。<戻る>

プトリ・バリ
「バリの王女」の意味。ちなみに、プトラは王子のこと。<戻る>

ダナンジャヤ
バリ語の発音はダナンジョヨ。古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』に登場するパンダワ5兄弟の3男、アルジュナ(同アルジュノ)の一名。美貌と武勇を兼備した武将の代名詞。その恋多き性格からプレーボーイの代名詞でもある。<戻る>

サカ暦
バリ語の発音はサコまたはソコ。古代インドのシャカ(サカ)族の暦法。西暦78年を元年とする。1年は354〜356日、30か月毎に閏月を設け、太陽暦との誤差が修正される。現在もバリで使用され、この暦の元旦をニュピという。<戻る>

サヌール石柱
サヌール南郊のプラ・ブランジョン寺境内にある石柱碑文。二つの異なる言語と文字が使用され、古代バリ語文が南インド系の前ナーガリー文字、梵語文が古代バリ文字で書かれている。なお、クンピ・アナンの注を参照。<戻る>

スマル・プグリンガン
ガムランの一種。バリのガムランは大別して三つの異なる編成がある。低く荘重な響きをもつゴン・グデ、派手で華麗な響きをもつゴン・クビャル、そして柔らかで繊細な響きをもつスマル・プグリンガンである。<戻る>

ウパチャラ
バリ語の発音はウパチャロ。「儀礼」の意味。<戻る>

バレ
四方の壁がない吹き抜けの小屋。東屋、四阿。寺院内の建物、村の集会場に多く見られる。<戻る>

リンガ
バリ語の発音はリンゴ。男根を模した彫像。陽石、石棒。ヒンドゥー教ではシワ(シヴァ)神のシンボルとされるが、バリでは太古から男根崇拝があった。<戻る>

プダンダ
バリ語の発音はプダンドゥ。ブラフマナ(婆羅門)階級出身の僧侶、祭司。それに対して平民出身の僧侶はプマンクという。<戻る>

バタリとは女神...
バタリ・マンドゥルという名には「山の神」という意味もある。このような神格を帯びた女神=王妃像が祀られているところにも、ペジェン王国におけるこの寺(山)の重要性がうかがえる。<戻る>

ヤワドウィーパ
梵語ヤーヴァ・ドヴィーパに起源するジャワ島の古名。「大麦(ヤワ)の島」の意味。古代インド叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する。<戻る>

ブミ・バントゥン
バリの古名。「供物(バントゥン)の土地」を意味する。<戻る>

ルシ・エルランガ
バリ語の発音はエルランゴ。マヘンドラダッタとウダヤナの長男、アイルランガのこと。ルシ(梵語リシ)とは王族出身の隠棲者を指す語。アイルランガとは「海を渡った者」という意味でもあり、バリで出生した彼が海峡を渡ってジャワの王家に入婿したことと関係があると思われる。<戻る>

バリドウィーパ・マンダラ
梵語に由来するバリ島の古名。バリ・ドウィーパは「奉献米(バリ)の島」の意味。マンダラは密教でいう曼荼羅すなわち神仏の世界のこと。1177年にジャヤパングスという王が布告した銅板碑文にこの名が見える。<戻る>

ババッド
王朝の歴史を主として王侯貴族の行状、英雄譚を中心に物語る文学の総称。ガンブーというバリ舞踊のジャンルでは、ババッドによる筋書きが演じられる。<戻る>

プトリ・チナ
「中国(チナ)の王女」の意味で、ジャワやバリの王に入嫁した中国の王女(公主)のこと。古代より、インドネシア各地の国王は中国歴代皇帝に入貢し、しばしば婚戚関係を結ぶことがあった。歴史書からバリでもその存在が知られている。<戻る>

シュリウィジャヤ
現代インドネシア語の発音ではスリウィジャヤ。7世紀から14世紀にかけ、南スマトラのパレンバン(室利仏逝)およびジャンビ(三仏斉)を中心に繁栄した海上通商国家。長期にわたりマラッカ海峡の通航権を握り、最盛期の通商範囲は南インド、東南アジア沿岸から台湾まで及んだ。この国の公用語がムラユ語(マレー語)でインドネシア語の母型である。<戻る>

クラトン
ジャワ語で王宮、宮廷。語源的にはク・ラトゥ・アン、すなわちラトゥ(王)の居住地を意味する。<戻る>

プヌングンガン山
東ジャワ州スラバヤ市の南約50km、マラン市との間にある山。海抜1653m。円錐形の頂上を四つの峰が二重に取り囲み、上空から眺めると八葉蓮華が開いたように見えるという。古来、ジャワのスメール山(須弥山=仏教学で宇宙の中心にあると説く聖山)として神聖視されてきた。山中に太古以来の遺蹟が80か所以上ある。<戻る>


Created by
NISHIMURA Yoshinori@Pustaka Bali Pusaka,1998-2000.