第4回 夢見の寺

  ----Pura Panarajon,G.Panulisan.



 「智慧主クンピ・アナン
  ダナンジャヤの如き、
  南北を行き交う放浪者集団を移住せしめチンタマニ高地の
  荘園の守護者たるを布告す」

 サカ暦804年7月1日パサル・ウィジャヤプラの日(西暦882年)――バリで最も古い日付が刻まれた王勅碑は、このように書き始まる。

 これに続き、現在キンタ・マニと呼ばれる高地地方における隠棲者のための施院の建立と境界の設定、免税地などの特権、院内の物品と住民に関する細々(こまごま)とした規定が列挙される。

 末文では、サディヤシワという書記の名、上述の日付に続き、シンガマンダワの最高君主が「右、王勅を裁可する」と結ばれている。
 シンガマンダワは王の名ではなく、ペジェン地方にあった王宮の名である。最古の王名が出現するのは、この年より31年後、913年のサヌール石柱を待たねばならない。


 美耶子と厚木、ニョマン、そして新参の奥山を加えた四人は、ペジェンより北へ30キロ余、バトゥール火山の西北にそびえるグヌン・プヌリサンの頂上に建つプラ・プナラジョン寺(トゥグー・コリパン寺東境内)を訪れた。先ほど来、境内にはスマル・プグリンガンの優雅な調べが流れていた。

 厚木らと別れ、美耶子はニョマンと一緒に境内を巡った。ウパチャラが近いらしい。バレでは壮年の男衆が寄り合い、談合しているのが見えた。その傍らでは若者らが供物台を作っている。

 奥に進むに連れ、ガムランの音色は次第に微細になり、木立の揺らぎ声に混じって小鳥のさえずりが聞こえてきた。
 最奥部にひっそりと佇む祠堂の前で、美耶子は足を止めた。朽ち果て古びた吹き抜けの祠堂には、粗い火山性の岩に神仏や女神、鬼、人物を彫刻した像やリンガなどが所狭しと置かれていた。

 その中に、身分の高そうな男女を彫刻した石像を美耶子は見つけた。仲睦まじく蓮台に乗り、蓮の蕾に似たリンガ状のものを携えた二人は、身体に比して大きな顔に気品が漂っている。しばらくの間、その石像に魅入ってしまった。

 「その像が気に入ったかね」と、突然美耶子の背後で声がした。
 恐る恐る振り返ると、小柄な初老の男性が立っていた。先ほど、四人に入山の「儀式」を施したプダンダである。

 「その像は」と、プダンダはニョマンにバリ語で話しかけた。「マヘンドラダッタ女王とウダヤナ王じゃよ」ニョマンは美耶子に通訳した。
 「正確には」と、宙を仰ぎ見るような面持ちでプダンダは言った。「シュリ・グナプリヤダルマパトニ・ウィシュヌワルダニシュリ・ダルモダヤナワルマデワじゃ」
 シュリ・グナプリヤ・・・、舌を噛みそうな名前だ。

 「ここに」と、プダンダは像の背を示した。「『ムプ・ブガ』のサインがある」
 覗き込むと、摩滅しているものの確かに文字らしきものが彫ってある。美耶子は意味を訊ねた。

 「サカ暦933年ポサの月(西暦1011年6月)」と、プダンダは答えた。「パサル・ウィジャヤマンガラの日、ムプ・ブガこれを彫刻す
 ムプとは「主」の意味で、高僧や学者、宮廷詩人、あるいは人並外れた呪力の持主に対する尊名である。

 「そうじゃ」と、プダンダは言った。「お前様に見せたいものがある」
 プダンダは、数棟離れた祠堂に美耶子を案内した。微かながら再びガムランの響きが戻ってきた。堂内に安置された等身大に近い石像の前で立ち止まった。

 「この像は」と、厳かに、まるで美耶子の脳裏に焼き付けるようにプダンダは言った。「バタリ・マンドゥルじゃ」

 アナック・ウンスの妃で、死後夫ともどもグヌン・カウィ墓廟に葬られたこと以外、彼女の行状は不明である。バタリとは女神を意味するところから高位の出身と想像され、おそらく正妃と思われる。


バタリ・マンドゥル立像(JPEG/71KB)

 その時、ガムランの旋律に合わせ、一人の男が謡い始めた。

 「ヤワドウィーパの東に小さな島あり
  人々の曰く、ブミ・バントゥン
  神々に捧げられ給う島
  この地に比類なき国王あり」

 「ブーミ・ジャワに咲いた一輪の花、
  栄えあるクディリの王マクタワンサワルダナの愛しき姫君
  ジャワのプトリ、シュリー・グナプリヤダルマパトニー・
    ウィシュヌワルダニー(マヘンドラダッタのこと)
  その婿、バリのプトラ、シュリー・ダルマウダヤナワルマデーワ
    (ウダヤナのこと)の御子と聞こえ、」

 「ウィシュヌ神の化身と称えらる、ルシ・エルランガの弟君と
    聞こえる、
  アナック・ウンシュとはその御方なり
  偉大なる王の下天の時刻()を覚り、
  バタリー・マンドゥル、バリドウィーパ・マンダラに化生し給う」

 ババッドを詠じる大きく澄んだ声が全山に染み入った。しばらく詠唱に耳を傾けていると、突如頭がクラクラし、美耶子は気を失った。


 気が付くと、美耶子はバレに寝かされていた。ニョマンとプダンダ、それに厚木と奥山が心配そうに顔を覗き込んでいた。
 直に起き上がれたものの、微かだが目眩が残っていた。まだぼんやりしている美耶子に代わり、ニョマンが先ほどの顛末を二人に語った。

 「プダンダは」と、厚木は訊ねた。「彼女がバタリ・マンドゥルの生まれ変わりとおっしゃるのですか」
 軽くうなずき、プダンダは答えた。「君の『生まれ変わる』というニュアンスと違うかもしれんが、この娘はバタリ・マンドゥルと同じ魂を持っておる」
 二人は互いに顔を見合わせた。

 「君達が来る前」と、プダンダは言った。「儂()はある夢を見たのじゃ。ジャワの王子がバリの王女を探しに来た夢をな」
 二人は黙していた。プダンダとの間に湿った空気が流れた。

 「心当たりがあるじゃろう」と、厚木と奥山を見据え、確信にあふれる口調でプダンダは言った。「君達はジャワで何かを体験したのではないかね」
 答えるまでもない。プダンダは何もかも知っていた。

 先ほどまで儀礼の準備に勤しんでいた筈の村人たちだが、いつの間にか美耶子とプダンダを囲んで人垣ができていた。奥山の耳にも囁き声が聞こえてくる。
 「おい、プトリ・バリだってよ」
 「あの娘か?」
 「どっちかって言うと、プトリ・チナだな」
 「馬鹿。魂がどうのって言ってるぜ」

 「気を失っている時」と、美耶子はようやく口を開いた。「とても高貴な女の人が現われました」
 その時、美耶子を見つめるプダンダの眼光が輝きを増した。

 「バタリ・マンドゥル・・・」と、美耶子は言った。「その人はそう名乗りました。高僧の娘だったそうです」
 たとい一言足りとも美耶子の言葉を聞きのがすまいと、厚木と奥山は耳を傍立てた。
 「夫君アナック・ウンス王は」と、美耶子は言った。「とても優しい方でした。兄のアイルランガ王をはばかり、生涯『末の弟』と名乗ったのです」

 当時の状況は碑文からしか伺い知れない。1007年頃にマヘンドラダッタ女王、1016年にウダヤナ王が死去した後、王と係累不明のサン・アジュナデウィという女性が即位し、1022年から1025年まで王の第2子マラカタが王位にあったことが知られる。

 その後、1026年から1048年までの碑文が発見されておらず、23年もの間空白である。アナック・ウンスの名で碑文が布告され始めた1049年は、アイルランガが死去した年に当たる。
 長兄に一目置いていた「末弟」は、(その間に次兄も死去していたとすれば)バリの王位をアイルランガに委ね、長兄の死後晴れてバリの王を宣言したとも想像できる。だが、これを裏付ける資料はジャワにもバリにも残っていない

 「二人の間に御子が無かったのは」と、美耶子は言った。「王共々仏教に深く帰依していたからです。でも、子供が無かったことを悔やんでおられる様子でした。グヌン・カウィに墓廟は残りましたが、二人の王国は跡絶えてしまったのですから」

 繰り返すが、アナック・ウンスは、常に長兄アイルランガの存在を意識していた。
 1016年、史伝によればダルマワンサの王女とアイルランガ王子の正しく婚儀の最中(さな)、スマトラのシュリウィジャヤ軍の急襲によりクディリの王宮は焼き払われ、その後の戦闘で国王は戦死した。炎上するクラトンから辛くも逃れた王子は、義父の王国の復興に尽力する。1019年、ジャワを平定すると、自らをウィシュヌ神の化身と称した。

 東ジャワにプヌングンガン山という霊山がある。この山の東麓にある霊水沐浴場遺蹟には、二体の女神像を両脇に配し、霊鳥ガルーダの背に坐すウィシュヌ像がある。現在モジョクルト博物館に保管されるこの像は、捲土重来を期して瞑想に耽るアイルランガ王子をモデルにしていると伝えられる。

 バリに目を移そう。碑文の中で、アナック・ウンスは、ウィスヌ神とシワ神が合体したハリ神と称している。グヌン・カウィの山肌に掘られた壁龕は、同時期の東部ジャワに見られるチャンディ様式に酷似している。

 さらに、梵語碑文を除き、バリの碑文は古代バリ語で書かれるのが通例だったが、ウダヤナ王の治世期に当たる989年以降、次第に古ジャワ語が混じるようになった。アナック・ウンスの名で公布された1069年の碑文は、全文が古ジャワ語で書かれており、以後バリ語は王国の公用語としての地位を失った。

 ジャワの影響力が強まる一方の宮廷内にあって、ウダヤナ王が容易にバリ語の使用を廃さなかったことがバリ人としてのささやかな抵抗であったとすれば、他方、アナック・ウンスは極力兄の範に倣おうとしたことにより、結果ジャワの影響が強まったかのような印象を受けるのかもしれない。


 美耶子とプダンダのやり取りを見守っていた男たちが、一人また一人と各々の持ち場に戻って行った。ガムランは再び音色を奏で始めた。今度は天界の住人も驚き落ちてくるかと思うような音のシャワーである。
 、、、ジャン、、、
 、、、トコトコ、、、
 、、、ジャンジャンジャン、、、

 プダンダに暇を乞い、四人は「下界」へと続く階段を降りて行った。次第に遠ざかるゴン・クビャルの旋律を形見として。

(第4回終わり、未完)

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Created by
NISHIMURA Yoshinori@Pustaka Bali Pusaka,1998-2000.