第2回 記 憶

  ----Museam Bali,Denpasar.



   バリ博物館は、ププタン広場の東側を走るレトダ・スドゥ・ウィスヌ通りを越えた向かいにある。
 門の脇にあるワルンで厚木は待っていた。美耶子を挟んで坐った二人は、挨拶を交わした。三人はコピ・ススを注文し、朝食を取っていない奥山はナシ・ゴレンを追加した。

 「さっきはびっくりしました」と、美耶子は厚木に言った。「突然、過去を思い出したなんておっしゃるものですから」
 「すみません」と、奥山は詫びた。「驚かすつもりはありませんでした」
 「それよりも」と、美耶子は訊ねた。「なぜ、あのような場所に居られたのですか。ツーリストは滅多に立ち寄らない所ですよ」

 ジョクジャ発の夜行バスで今朝方デンパサールに到着した奥山は、ガジャ・マダ通りで降車し、そのままププタン広場まで歩いてきたという。今は独立記念広場となっている古戦場址を眺めながら、ソロのマンクヌガラン王宮における体験を思い起こしていた。美耶子が声をかけたのはその時だったのである。

 二人が話をしている最中(なか)、厚木はそわついていた。だが、しきりに首を傾げる二人は厚木の様子が目に入らなかったようである。
 「実は」と、厚木は言った。「僕もソロでシンクロニシティを体験したことがあるのです」
 二人は顔を見合わせた。
 「僕の場合は」と、コーヒーを一口すすり厚木は言った。「スロクルト王宮の方ですが」

 「やはりガムランを聴かれていたのですか」と、美耶子の蔭から身を乗り出して訊ねる奥山に、厚木はうなずいた。
 その時の様子を美耶子が訊ねると、「うむ」と、溜息にも似た唸り声をあげ、一呼吸置いてから厚木は語り始めた。「ガムランの演奏が始まってから、5分くらい経ったころでしょうか。快い気分になってくると同時に、無性に眠くなってきました」

 その時、ワルンの調理台でジューという音とともに火の粉が上がった。厚木は一瞥しただけで、再び話を続けた。
 「夢か現実か分からぬまま、どうやら昔のジャワにいたようです。服装などからパンゲランに仕えるパティのようでした」パンゲランは王子、パティとは身分の高い家臣のことである。

 「僕の場合は」と、奥山が言った。「女性の姿になっているので驚きました。服装や部屋の調度品などから想像すると、クラトンに住む王女だったようです」奥山が指で科を作って見せたので、美耶子は笑いを堪えた。

 「それから」と、奥山は話を続けた。「四人で踊る踊り・・・、何と言いましたっけ・・・」
 「スリンピですか」と、間髪を入れず厚木が言った。
 「はい」と、深くうなずきながら奥山は言った。「スリンピを踊っていました」
 「やはり」と、厚木は言った。「ジャワの王女様だったようですね」

 スリンピは、王家の子女が礼儀作法や強い精神力を養うための特別な舞踊であり、王族としての義務であり、彼らのみが踊ることを許された。


クラトン・ヨクヨクルト宮廷舞踊スリンピのイメージです(JPEG/23KB/190×297Pixel)クラトン・ヨクヨクルト宮廷舞踊スリンピのイメージ(JPEG/23KB)

 「ガムランには」と、賛同を得たい口ぶりで奥山は訊いた。「過去の記憶を呼び覚ます力が備わっているのでしょうか」
 「でも」と、美耶子は言った。「バリではそのような話を聞きませんね」
 「バリのガムランには」と、厚木が言った。「大きく三つの流れがあります。ゴン・グデとスマル・プグリンガン、そしてゴン・クビャルです」

 ゴン・グデは、低く荘重な響き、スマル・プグリンガンは柔らかで繊細な音色、ゴン・クビャルは派手で華やかな音を持つ。
 前二者がいわゆる伝統的なガムランなのに対し、クビャルは1920年代北部のブレレン地方に始まり瞬く間に島中に広まった。寺院祭や影絵芝居など特殊な場を除き、現在バリ・ガムランとして聴いているのはゴン・クビャルである。

 1930年代ウブッドで暮らし、ガムランの採譜を行なったアメリカの音楽家コリン・マクフィーは、バリ人が古い荘重なガムランを鋳潰し騒々しいゴン・クビャルに作り変えていくのを見て嘆いている。

 音楽ばかりでなく、観光客向けのパンフレットにバリの伝統舞踊(traditional Balinese dances/performances)などと紹介されている舞踊もまた、大半はゴン・クビャル用に創作され改編されたものである。

 「しかし」と、奥山が訊ねた。「ジャワのガムランも変化しているのでしょう」
 「そこなのです」と、厚木は言った。「バリの人たちにその話をすると、ジャワのガムランは『冷たく』、舞踊は『死んでいる』と言います。優雅で単調な伝統様式を批評したものでしょうが、新し物好きなバリ人や派手なゴン・クビャルを基準にすればその通りです」

 18世紀来、政治的にオランダの監督下で余命を永らえていたジャワの王宮では、各王家がいわば「家元」となり、「伝統文化」の保持を担っていた。オランダ政府もそれを奨励した。その一方で、当時のジャワ人知識階層は「王宮の博物館化」を危惧した。

 ジャワの王家の場合、「伝統」の核とされたのは第一にヒンドゥー文化であり、そこにヒンドゥー以前の基層文化、中国やイスラムなどの外来文化を盛りつけ、最後に西洋文化というシロップをかけて「スタンダードな」ジャワ「伝統」文化が練り上げられていった。ひと度「伝統」が決まってしまうと、容易にそこから抜け出せなくなる。

 「だから」と、厚木は言った。「オランダ人をして『世界一優良な植民地』と言ってはばからなかったジャワと『最後の楽園』と謳われた観光地バリとでは、事情が違うのです。バリに比べ大きな四つの王宮のみに『伝統』が集約し、華麗な文化を誇る一方で民衆は搾取されていたジャワと、小さなプリがいくつも点在し、上下の区別なく島民が外国人の目にさらされ、島全体が『博物館』の様相を呈していたバリとでは、伝統に対する考え方に違いが生じたのでしょう」

 「それなら」と、奥山が言った。「ジャワでも同じことです。ジョクジャと比べ、ソロは保守的な土地柄と聞きました。オランダによる支配を承認してまで伝統を保持しようとしたススフナンを戴くソロと、オランダに不服抗戦しスロクルト王宮と袂を分かったジョクジャとでは、王宮と住人の気風や街の雰囲気が違うのです」

 この気風の違いは、インドネシア独立戦争時代にも発揮されることとなった。日本軍撤退後、連合軍の支援を背景にオランダはインドネシア再統治を目論んだ。
 ソロのススフナンがオランダによる再統治を望んだのに対し、ジョクジャのスルタン・アマンクブウォノ9世は独立派を援護した。ジャカルタを追われたスカルノ大統領ら政府要人を王宮内に匿い、一時期ジョクジャは新生インドネシア共和国の首都となった。
 その功績により、独立後、ソロの旧王領地が中ジャワ州の一地域に収まったのに対し、ジョクジャは特別地区(自治領)に認定され、スルタン家は世襲州知事、パクアラムの当主も世襲副知事の地位を獲得した。

 その時、ワルンのイブができ上がったばかりのナシ・ゴレンを奥山の前に置いた。湯気をあげる熱々のナシ・ゴレンを奥山がほおばり始めた。

 奥山がイブと片言のインドネシア語で話を始めると、厚木と美耶子は席を外した。食事を終えたのを見張らかい、奥山を挟んで坐った。

 「彼女が」と、厚木が切り出した。「僕たちの話に興味を覚えたらしく、シンクロニシティが体験できる場所がバリにもあるかと、訊くのです」
 「先ほどもお話ししましたが」と、美耶子の方に向きを変え奥山は言った。「シンクロニシティが起きるのに特定の場所はありません」
 「でも」と、美耶子は反駁した。「お二人ともソロで体験なさっているでしょう」

 「それは」と、厚木が言った。「その場所と僕たちの側に、シンクロニシティが生じる条件が揃っていたのだろう。第一、過去世と繋がっていなければ意味がないよ」
 「私の場合は」と、奥山に向かい美耶子は言った。「バリと繋がっていたと思う時があります」

 「おもしろい」と、奥山は大きくうなずいた。「美耶子さんがそう確信するなら、力をお貸ししましょう。きっと見つかりますよ。厚木さんは如何ですか」
 「いや」と、厚木は言った。「僕は構いません。でも、あなたを煩わせてしまって良いものでしょうか」
 「ご心配には及びません」と、奥山はかぶりを振った。「先ほど、美耶子さんは嫌な顔一つなさらず僕の話に耳を傾けてくださいました。バリへ着いてすぐお二人にお会いできたのも、天の思し召しかもしれません」

 「お若いのに」と、微笑みながら美耶子は言った。「珍しいことをおっしゃるのね」
 「おそらく」と、毅然とした口調で奥山は言った。「ソロのプンドポであのような体験をしなかったら、このような考え方はしていないでしょう」

 道路の向こう側に開けるププタン広場では、子供や大人が凧を上げているのが見えた。青い空、熱気混じりの湿った空気、轟音をあげて走るベモ――何もかもあの日――美耶子が初めてここを訪れた日と同じであった。

 一見何の変化もないかのように装う風景のどこかに、あの殺戮の記憶がインプットされているのだろうか。それとも、人間の想念から溢れ出た虚像にすぎないのだろうか。はたまた、浮き雲のようにはかない人間の運命を玩ぼうとする神々の成せる悪戯なのか・・・。


デンパサールのププタン広場の写真です(JPEG/83KB/372×260Pixel)ププタン広場(JPEG/83KB)

 「ところで、今日の宿は決まっておいでですか」と、厚木が訊ねると、奥山はかぶりを振った。 
 「よろしかったら」と、横から美耶子は言った。「私たちの所にいらっしゃいませんか。ペジェンの田舎ですけれど」

 一瞬恐縮した素振りを見せ、奥山は大きくうなずいた。

(第2回終わり)

ブックリストへリンクボタンのアイコンですジョクジャに関する読書案内です

次章へリンクボタンのアイコンです第3回へ進みます

   ●目 次  ●索引地図  ●表 紙

Created by
NISHIMURA Yoshinori@Pustaka Bali Pusaka,1998-2000.