Evangelion Genesis y:x 更新日誌(2000 年 11 月)

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11 月 29 日。
本日の御言葉。
.... だめなのね、もう ...

あいかわらず錯乱しております。 とりあえず、来月中に Internet 常接環境となることにあいなりし。
... 言い回しが中途半端なんは、何がどうなってるのやらよくわからんからである(をい)


11 月 28 日。
28 日の日誌とかいいながら 27 日の夜中に書いている。 日誌を put したついでに徘徊してたら面白いネタがあったので。 これで 28 日サボれるし(てゆーか書いてないで寝てろよ > 私)。

モトねたは white さん家からさらに辿った kisa という方のお家だが white さんの発言から。

「既存のツールに人間が慣れようって発想がヘン」

emacs に RED (MS-DOS 時代に使ってたエディタ) のまねごとさせてる身には white さんの発言は「ンなもん今さら何を」としか思わんかったが、 元ネタ 辿るに、

「自分で作るよか既存のであるならそれでいいじゃん」
... というのもまた、自分で作る前には当然のように ベースになりそうなやつをそこらをあさって捜してたりするので、 「ま、当然ですな」 とか思ってしまうのである。理由も kisa さんに同じ。 車輪の再発明ほど美しくない作業はない。ちなみに、このふたつ、あわせて
「人様の作ったアプリだろうがなんだろうが俺に逆らうことは許さん」
という論理になるので私的には矛盾はなく。転じて
「コンピューターは(覚えるものでも習うものでもなく)調教するもんだ」
という形で発言することもある。 コンピューターに対する態度としては当然のことだと思っているが、 なんだかしらないがけっこうウケるので、いちおう持ちネタの一つだったり。 アトムが生まれたら態度を変えるかもしれんけど、それまではこのまんまだろう :-)

当然ながら調教しやすい、つまり自分の言うことをきかせやすい、 柔軟なアクション&カスタマイズのとれるものほど私の評価は良い傾向にある。
ちなみに私が emacs 使いなのはこのあたりに由来する。vi に RED の真似事ができるなら、 ここまで emacs 信者にはならなかった。
もちろん MobileGear(UNISHELL), Psion5 (EPOC) に言うこときかせて UNIX のようにコキ使うために 隣のPLP 階層なり PSION 階層なりが存在するわけである。

覚書。
27 日公開、28 日コメントアウト、12 月 6 日再公開。


11 月 27 日。
ダン=シモンズの『ハイペリオン』文庫版、入手。
.... 落ちてくるまで『ファウンデーション』なみに長かったような気がする。 買ったばっかで読んでないが、風邪が長引いて読む気力がでーへん。

敬愛せし某 wizard の発言。

「Linux 2.4.0? ありゃボロボロよ。何やってるんだか」
... 2.2.15 以後、大量に 2.2.x へ流入する 2.4.0 由来のコードをみてても 確かに「2.4.0 大丈夫かあ?」と思わないでもなかったが、 そうはっきり明言せんでも(^^;

Linux 使ってるのは *BSD 族に比較して負荷が軽い時にシステムがより軽かった (個人用途だとハードウエア資源が少なくてすむ)からだが、 いいかえると重負荷かけると *BSD よか損な訳で、 ハードに余裕のある昨今、そろそろ見捨て時かと思うことはある。

でも GNU programs のポータビリティ考えると、移行も大変なんだな。make すら互換でないから ... 身体が GNU make に慣れてしまって、BSD make が使えん。 NetBSD カーネル + GNU utils な distribution どっかで用意してくれんものか。

ところで昨日の「さくら」の件だが、読み返してみれば ぜんぜんほめとらん(ほめそうなとこぜんぶ略してしまったからな)のでフォロー。 さくらかわいかった。


11 月 26 日。
NHK『世紀を越えて』。
google がでていた。
「よく見られるページを先に list するようになっている ...」
うぉ、初めて知った、そうか、そうだったのか (^^;

『CC さくら』#66 「さくらの一番好きな人」

わたし、雪兎さんが好きです ──

どのへんが要約なんだろう? まあ、いいよね、きっと。散文的にまとめる気のせんとこだし。

フィクションというものが好かれるのはこういうあたりなんかな。
話がレールに乗ってしまっていて、右にも左にもブレられない。 どの人物のどんな視点からもレールを壊すことができなくなっている。
見てて安定感があるつうか、予定調和があるっつうか、さくらの視点にせよ、小狼の視点にせよ、 かなりの不安定感を感じないといけないような気がするが、 どんなに感情移入しても、不安定感まではない。 動物園の檻の向こうのライオンに(安全距離ぎりぎりまで)近付くような、 その程度のスリルとそういう安定感。
最大のヤマとすべきところだからこそ、 一言でも二言でもいいから、ラインから外れたセリフが欲しい。ゼータクかなあ。 でも『エヴァ』は どうかすると視聴者にむけて切りかかってくるような話だったからねぇ、... 竹光だったにせよ。 たとえば、

「でもねっ、そうじゃない『好き』も、雪兎さんにはあったの ...
ほんのちょっとだけど、お父さんとは違った『好き』が ...」
あったんなら、雪兎に問われた時にそう答えていれば、どうなっていたか。 「さくらの一番は雪兎でない」と雪兎が先に明言する形で誘導尋問的になっていたから、 これを壊すところから形を作らないと話がレールに乗る。

自分を安全地帯に置くのは嫌いじゃないが、 用意された安全地帯に押し込められるのは嫌かも。
というわけで、 芸の細かい知世の表情の動きの順序とか、 ぎりぎりまで削られてしまった小狼の筋とか、 読むべきところは妙に多かったんだけどぜんぶ略。

この話、この一言:

「出来るか? 俺に」
わざわざ本筋から外す奴 ...
一瞬芸だけど、かっこよかったっす > 小狼
11 月 25 日。
某 Mac 屋さんが地元の PowerPC に不満を洩らしているが、 1 GHz にまで上げなければ競争相手にすらならない IA32 が腐ってるんであって、 話としては逆だと思う。

トランスメタのクルーソーにせよ、IA32 の中でこそ低消費電力を唱えるが 他の ARM や SH と比較すればそのへんの one of them である。 アーキテクチャが悪すぎて IA32 ファミリはルールをそろえれば他の連中に勝てない。 数がでてるから 0.18μベースと進展が早いおかげで保ってるけど、 底力の差がもろにでてくる RC5 レースなんかをみれば一目瞭然である。 まあ ARM にせよ PPC にせよ Alpha にせよ、もすこし安くなってくれんもんかってのはあるか ... タコなんだよぉ > Intel 系 FPU

とかいいつつ非 Intel 系 linux と付き合うのも飽きて来て IA32 なマシンも物色してる奴が何かいえることではないかもしれない。 WindowsCE 機に linux つっこむくらいなら小さい Intel 系ノートから HDD ひっこぬいて PC card I/F - 2.5inch HDD adapter かませてソリッドステート化すれば WindowsCE 機に linux つっこんだ位のバッテリライフはたたき出せる。 WindowsCE 機 linux の最大派閥の MIPS 系は消費電力的にはイマイチだから IA32 でも対抗できてしまう。
Psion5 に X を乗せる見通しが立ち、 Intel 系ノートと使い道に差がなくなってくると逆に存在意義が不安定になってきて、 このへんの計算を裏でしながらって感じになってるんで、つい。

アニメ散見。

『CC さくら』
ようやく復活の兆し。 .... てゆーか、基本的に脚本書きとしては下手なのですね > 大川七瀬。 劇場版みてそう思った。切札的ネタの 1 話をとりまとめることはできても、 落ち着いて話を進めるということは出来ないらしい。

『コナン』
灰原のでた回のみ(をい)。でも灰原の表情描くのわずかにすべったと思う。 あんなに感情の読みやすい表情にするなよなぁ。 さて、またいましばらく冬眠の日々が始まる。

『アルジェントソーマ』
脱落の危機にあるのは変わらず。
#8の「追憶と孤独と」を観て、 その話の造りというか製作者の姿勢が気に食わず、観るのを止めようかと思っていたころ、 fj.rec.animation に上がってきた感想を読んで 「そーか、これって、そう読むのか ....」 と思いし。でも感想を書くつもりはなかったりして。

『Sci-Fi ハリー』
脱落。同時に 1 つのことしか出来ないバカばっかで観てて話が窮屈でかなわん。

『哲也』
『ハリー』録るのについでに録れたんだったか。 もすこし静かにゲームできないものか ...


11 月 24 日。
民間療法(生姜湯)で明け方の咳を止めた。 民間療法が効くのは精神的に療養モードに入ってたということもあるんだろうが、 .... 西洋医学の妥協案(薬屋で売ってる風邪薬) より有効なこともある。 が、体調そのものは依然としてイマイチ。

... ていうか、明け方のが止まったので油断したらなんか悪くなってる。ごほ。

更新日誌:
『CC さくら』#65 の感想を置くとともに、 「さくら」の感想のページに 第 3 期のインデックスと評点を追加。 ひさりぶりにアニメ階層の更新。

ところで、どうにも「さくら」後半の DVD の配分が分からんのだが、 .... 1〜3 が 1 巻、それ以降が 4 話ずつ、だと 2 期と 3 期にまたぐ巻が出て来るんだけど、 ええと、2 期の頭を 36〜38 で 10 巻、として残りを 4 話ずつ、でいいのか? したら、とりあえず 59〜62 の奴は買うと思う。未鑑賞の 59 と◎の 61 ってことで。

25 日追記。
10 巻は 36〜39, かわりに 12巻が44〜46 となってここで調整し、 3 期はすべて 4 話ずつとのよし。26日の出来如何なれど 59〜62 の16巻ほぼ購入確定。 thanks > Y さん。


11 月 22 日。
風邪が長引いてここんとこ明け方の咳がひどい。おもわず起き出して google 検索しちまったい。 いろいろ日記があたったんだが、自分のこと棚に上げて
「病院いけよ、おまえら ...」
と思ったりもした。 病気なキーワードで検索すると、 いかに不摂生が蔓延しているかよくわかって面白い。 ちなみに咳は肺からのもんではない(呼吸に影響がない)ので喘息ではないが、 いちおう結核は疑ってみた (... をいをい、結核も肺じゃないのか? )

症状的には小学生の頃の風邪の一つに良く似たものがあったのを覚えているが、 当時記録はとってなかったので詳細が分からない。ううむ、役に立たんデータベースだ。 記録を残すように決めたっつうても過去に遡ってつけ直すわけにはいかんからなあ。


11 月 21 日。
今日のネタは 1 ヵ月位まえから決まっていた。よかれあしかれ ...
今日、現時点最小の PDA, DataSlim2 の SDK が open になった。 もっとも、コンパイラは別売りで、その値段をあわせると Workpad c3-50 の値段を上回る(こちらは本体が 3万、SDK はコンパイラ含めて free)あたりちょっちナンである。 DataSlim2 でもそのうち誰かが free のコンパイラでも動くようにするのだろうが ...

ひそかに狙っていた linux on DataSlim2 は DataSlim2 の中身が Z80, アプリ一つあたり 8kB までということで、ちょっち無理そうである。 これよりは Wonderswan (中身 i8088) のほうがまだ ELKS (linux/8086) が動く可能性がある。

というわけで、評価は合い半ばする。ん〜 Workpad (ちなみに中身 MC68000) と、どうするかな。

あと知っておきたいのは VAIO の InfoCarry の中身だなぁ。Palm Vx 以下の筐体に 320x240 の LCD なので text viewer としては Palm より使い手があるが、 USB 専用というのがイマイチ。

22 日追記。
InfoCarry の中身は H8 らしい。どっかの micro controller だろうとは思ったが、 そうか、そうくるか。


11 月 20 日。
Eva っぽいページから "Summer With..." を拾ってきた。展開した。トップページを見た。

さて。「IE5 しか知らんよ」というのはわりとよくある。それはいいとする。 IE5 以外では製作者の意図した画面効果が無いことが 確認されています。って、... ンなこと確認するなぁ! ってのがとりあえずウケた。 (そーか、そういう書き方があったか ...)

ちなみに NN3 for linux (JavaScript on, Auto Load Images on) では、 綾波レイ以外は、 ラストのスクロール含めて製作者の意図の許容範囲内にたぶん入ってると思う。 midi はかかんなかったけど、これはこちらの環境のせいなので詳細は不明 (システム的に MIDI がかかんないようになっている)。 綾波レイについては、... 残念ながら無茶苦茶である。 NN と IE のテーブルタグの文字幅の計算アルゴリズムの違いに由来するやつで、 縦書き 1 行表示というとても読めたもんでないレイアウトになった。

国会のどたばた。
「いま選挙やったら負けるから ...」という論理がまかりとおるのが 良く考えるとすごい。
「選挙に勝てさえすればいい」というのが 選挙制度によってたつ最低限の民意じゃないのか ...? 選挙にすら勝てない連中が政権にぎってるというのは、 ルソーもホッブズも想像しなかったにちがいない。

そりゃあ 4000 年程の昔、 「政府はあるのかないのがわからんのがもっともよろし」とは隣の国の名言だけどねぇ。 ついでだから在日中のフジモリさんが大統領を退いたところで首相にスカウトしたら? そのへんの生粋の日本人より上手に統治してくれそうである。 って、首相は国会議員でないといけなかったか。みゅ。

一夜あけてみれば昨日の「さくら」、

「わたし、ケロちゃんにもユエさんにも、かばってもらってばっかりだね」
のほうが心に浮かびあがる率が高い。確かにこれ最後まで迷ったんだけども ... 前後のコンテクストがないと意味が通らない(この字面だけでは自嘲成分の内容がよく分からない) ので落したんだよな。ああ、ここで挙がってきた問題、いつかどっかの SS で扱ってみたい。 ケロベロスの言い方だと、この場合悪くはないけど問題を先送りにしてるだけ。

ところで。「桃矢にかばってもらって」というのは頭に無かったようだなぁ ... 実例が目の前にあったばっかりだが、日頃の行ないか?


11 月 19 日。
『CC さくら』#65「さくらと雪兎と消えゆく力」
力の欠乏で危険な状態になっていたユエをみかね、桃矢は自分の力を渡すことで彼を救う。 雪兎を気遣ったさくらは偶然それを知って ──

いよいよ終わりの始まり ... 寂しくなるなぁ。
それにしても、実は最強のタイミングで劇場版 I を観たことになるのか。 直接繋がってるじゃん。てゆーか、をいをい、同じネタ(かわい〜い!)使ってないか?

話の構成そのものが「さくら」というよりはネタを最後まで引っ張る探偵物語風。 奈久留にすこし粘りが足りないかな? 桃矢の手をすりぬける雪兎の手は 薄くなって通りぬける形をとるのかとおもったけど、ふつーにこなしてた。 でもそんなとこまで観るヒマないほど見るべき内容は多かったので、 そのあたりはどーでもよろし。

なんといっても、さくらを家に送ったとこで知世と小狼が顔を見合わせるのが深い味だしてます。
今回、さくらの環境をなす鼎の一角(家族不可侵)がついに落ちた。 また、雪兎がユエであるということによる危機が存在したということは 雪兎がユエであるということそのものが一定の負担になるということで ...
雪兎とユエを別人格扱いしてる問題が棚上げになってるのは 小狼にも知世にも分かってるわけで。 どっちにころんでも、さくらに負荷がかかる方向の問題があと二つ。

細かいことだが、そろそろ適切なカードの使い方を覚えましょう > さくら。
たかが雪兎を浮かせるだけでウインディという高位カードを持ち出すのは、 ちょっともったいない。フロートあたりで十分のところ。 適切時に適切なカードを選ぶセンスを鍛えるのは、状況が厳しい時に意味をもってくる。

ほとんど最初から二人の会話を聞いていたさくらの表情がどういう風に変化していったかと 想像するに、.... けっこう百面相していそうである。かわいいかもしれん。

こういう時にどういう言葉をかけるかで全人格が問われそうなところ、 ユエもケロも長生きしてきただけのことはあると。

この話、この一言:

「ごめんなさい、... わたしの力が足りないから、雪兎さん消えそうになってたんですね ... おにいちゃんの力もらわないと、だめだったんですね ... ごめんなさい ...」
よくできた会話が多く、一言で決めるとなると難しかった。
この部分やや説明口調なのがアレだが、裏に 2 つかぶってるなと見たところで 一つはラストで語られていた。
「雪兎さんが」消えかけたことについてさくらがどう思ったかという点と、 それ以外のふつーの人が消えることについて、つまり 「わたしの力が足りない」ことによって「だめになる」ことがあること。 ... つまり、(さくらが守るべき)誰かが、 さくらの場合でいえば雪兎さんを失うケースに匹敵するような状況に、 さくらの責任で、 陥るかもしれないということをさくらが認識したということ ── 「ぜったい大丈夫だよ、なんとかなるよ」 という呪文の限界(がありうること)を、 知ったということ .... さあ鼎の二角(雪兎の件、さくらの負の感情の件)、次に崩れるのはどっちだ?!

ま、でも小学生の段階で「いつどんなことがおこるか分からないから」 という感情はもちたくはないもんだ。... てゆーか、ちゃんとフォローせんかい > ケロベロス。


11 月 18 日。
SD 誌が来た。
「うう、みんなずるい〜 ;_;
みんなページ数のきなみ大幅に超過してる。 確かにあんまり煩いこといわれなかったから「ヘンだな」とは思ったんだが ...
自主規制でいろいろ圧縮したのにぃ。 いや、そんだけ。中身読んでないし。

『Sci-Fi ハリー』。
#6 が初見。いや、時間がずれるとか忘れるとかで見る機会なかったから。
... 面白いのかもしれないが、いいや、どうでも :-)

日誌もいいかげんだが、風邪の調子がいまひとつ。晴れてんのにしし座群は見る予定なしと。 系内屋(太陽系内天体を主に観てる)としては ... ま、いいか、別に。


11 月 17 日。
『CC さくら』劇場版 I
福引でさくらが当たった香港旅行。それは偶然などではなかった。 しかし。さくらをいざなったはずの魔道士は、 訝るようにさくらに告げた── 「なぜお前が来た?」と。
ううん、線の細いつうか描き方の狭い話ですねぇ。いつだったかも書いたけど、 見せたいポイントに脚本屋自身まで集中しちゃダメだし、 (30 分もない TV ならともかく) 80 分かそこらある劇場版では特にそうだ。
さくらについてはいい。 魔道士について気付くべきことに気付いて、それを語ったというところが すべて押えられている。ただこれも、一度桃矢に怒られていてなんでまた暴走する話にするかねぇ。 ちゃんと後ろ髪ひかれる描写入れろよなぁ ... このまんまだとさくらって知世に後始末押しつけた生粋の「バカ」ってことになるんですが。 そのフォローを放棄しちゃって、まったく。

知世はどうか? 魔道士について、さくらとほぼ同等の情報を与えられていて、 あのさくらでさえ気付いたことに、なぜ気付いていない? これがないからラスト船ん中でのさくら〜知世間の感情の交流の乏しいこと。 なによりも、井戸のそばでさくらを心配するところが知世の見せ場(この話において 知世という人物が依って立つ処)だろ? 井戸の異変の前後で 知世の感情変化のシーンきっちり決めてほしかったぞ。いいかげんに流しやがって。

小狼。さくらとの共同作戦から自分だけ閉じ込められて、その中でダウンするまでが 小狼の筋の「起承転」。こうするんだったら、魔道士消滅後 4 人が現われたところで さくらがほっとした時に気付くなりなんなりして、「あの魔道士は?」 と周りを見回すトコでも入れてちゃんと小狼の筋をきちんと終わっておいて欲しい。
それと、小狼が魔道士の想いについて気付く必要はないが、 魔道士消滅のキーとなったことをさくらから聞くことは出来、それについて 小狼が何を思ったかをさくらが知ることができたはず。
ラストの船の中でさくらが思うべきことが、さくらの視点からしか展開してなくて 非常に狭いものになっているのは、知世や小狼の視点がさくらの中に吸収されていないからだ。

桃矢。さくらの日常とのキーとなる人物 ... として描写するつもりなら ラストでさくらに対して「(海に)落ちるぞ」なりなんなりとからかうことで (さくらの周囲が)再び日常へと回帰したことを明示してほしい。 本に吸収されるという、非日常にまきこまれたところで桃矢の筋が切れてしまってる。

雪兎。.... こいつはこいつの役割をきっちりと果たしただけだが .... ここまでしてなおユエは表面化しないのか? ちゃんとそれで「さくら」全体の話の辻褄あってんのか...?

クロウリード。諸悪の根源、さくらを巻き込んだ張本人、なんだったら ちゃんとそれらしく感情描写せんかい。 さくらを支援する分についてはこんなもんだとしても、魔道士について語る分がないのは片手落ち。
ついでにいえば、クロウリードは確かに「死んでいる」がいまもまだ「居る」。 この微妙なところをちゃんと扱えばもすこし鮮やかな話になったはず (クロウの残留思念は他の残留思念と交流すると支えている魔道が崩れるとかどうとか) だが、単に「死んだ」だけをネタにした。そういう風にしたのも まあわからんでもないでもないけど、 さくらがクロウからの支援を受けてんのに魔道士がクロウからの支援もとい話をしては いけないというルールはでてきてなかったはずである。 少なくとも、さくらはクロウが語り掛けて来ていたことに気付いた時に 魔道士とクロウが話をするチャンスを作れなかったことを悔いるべきだった。 なんかもー、ひでー話だ。

以上まとめて。さくら以外の人物の話がちゃんと立っていない。 オーケストラをさくらのソロだけで演奏するようなもんである。 コンサートマスター林原めぐみの腕は確かにとびぬけて凄かった ── これが林原の全力かぁ、フェイん時でさえ抑え気味かい、と思った位凄かったし、 ほとんど一人で物語を支えんと孤軍奮闘してるけど、さすがに それだけで物語は支えきれるもんじゃない。

ところで香港だが、香港島側は夕方に中環(セントラル)まで買いだしに行ったくらいで 昼の香港島はよくしらない ... 李家は山頂(ビクトリアピーク)のどっかにあるようだが、 うう ... ピークトラムも乗ってねーだ ;_;

この話、この一言:

「ひとりでどこ行ってたんだっ!」
本筋ぜんぶ押し退けて、本気で心配気な桃矢のセリフの勝ち、
にせざるを得ないのがこの話の線の細さ、というやつである。
11 月 16 日。
ってわけで、大聖書展を覗いてきた。 死海文書の断片が公開されていた。 ちなみに一本ほどパーペキなのがある(イザヤ書)そうだが、 さすがにイスラエルの宝は持ってこられなかったそうな。

人の山の列のうしろに並んでから中に入るまで約 1 時間。 最初の部屋にいきなり死海文書の復元本があった。 ここでヘブライ文字の一夜漬けもとい 5 分漬けをして次の部屋へ。 どうやら部屋毎に区切られていて、適当にひと集団ずつ部屋に 入れるように交通整理しているらしい。人の山のわりにはそれほど窮屈感は無い、 なかなかよろし。

ちなみに写しをケースの上から見た時、反射的に「あ、逆から見てる」と思って ケースの反対側に回ってしまったが、実は合っていた ... ヘブライ語は右から左に書くので行の左が揃わない。雰囲気的に 逆から読んでるような気になる。アラビア語とか、文字に馴染みがあれば 文字の向きで分かるけど、ヘブライ文字は文字そのものに馴染みがない (個人的に上下の区別がつかない)からねぇ。 文書はギリシア語のつもりで眺めるとけっこう読める、 ところもないでもなかった (^^;

羊皮紙のサンプル(現在も使ってるそうな)や死海文書が 見付かった状況などのビデオみて、 さらに暗い部屋にうつるとそこは死海文書のおかれてる部屋。 中入ってからここまで所用およそ 30 分。

死海文書(発見された最古の聖書)の入っていた壷など発掘されたものに 感心して、本物を見る。

壷(なんと文書保管専用の壷。しかもおそらくは聖書専用!) に密封されて酸化・風化を免れていたとはいえ けっこうぼろぼろである。話に聞いていたとおり、字は かなり小さい(12pt 位? 羊皮紙は高価だからねぇ)が、鮮明で読みやすかった。 解読は楽だったろう。

このあとバチカン所蔵の聖書など、ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、ドイツ語、 英語、イタリア語がとびかう文書を 頭の中を随時きりかえながら読んだり眺めたりしていく ... けっこ面白かったけど詳細は略。
もすこしちゃんと聖書史やっとくんだった。

でてくると、なんとなくキリスト教に ハマってもいいなとか思わないでもない気分にはなっていた .... 日本聖書協会が主宰してるんだが、きっと聖書展をひらいただけのことはあったにちがいない。

ぜんぜん関係ないけど、帰りは新宿を経由したついでに『CC さくら 劇場版 I』の DVD を買った。


11 月 15 日。
風邪は順調に悪化している。気力もつきてサボってたが、 ようやく復帰 ... つうか、となりの階層に更新があったんにここがないという訳にもいくまい。 気力無しなんで、となりの階層もえーかげんだ。

ふと気付いて(思い出して)あっちこっち当たって 大聖書展 なるものを見付けた。 せっかく(表の)死海文書が日本に来ているわけで、 もーれつに混んでるらしいが、行ってみるか、などと思っている。 今週末までだが 20 時までやってるので行く機会はあるはずだ、というか、 あるといいなあ。

母親が NEC のノートパソコンを買った。同僚と同じモンってことなんで、 型番もようわからへんらしい。適当に雑誌みせて「どれ?」とやったところ、 A4 級のわりとふつーな奴らしかった。「ラビィって言うんやけどぉ」などとのたまいていたが、 今の NEC なノートはどれもラビィだってば ...

PS.
5 日遅れたけど、... 4 周年おめでとうございます > 蘭間林さん
ここの URL (Geocities.com/Tokyo) も昔は日本人だから "tokyo" なんだろーな と思ってたんだよな。Geocities.com/Tokyo エリアは当時はここしか知らなかったし。 アニメ系のやつが "Tokyo" とは、 おもいっきり japanimation な偏見に汚染されている ... > geocities


11 月 12 日。
風邪気味んとこで胃を悪くして、
「胃薬のむべきか、風邪薬のむべきか、That is a question ...」
などとしていた一昨日。ちなみに胃薬を優先した結果として、きっちり風邪をひいている。

で、おとなしくしてたとこで 『あおいちゃんパニック!』(1)、 『フェッセンデンの宇宙』、 『バケツ一杯の空気』などなどを読み、 そんな訳で日誌は一杯に埋まった(さっさと寝てろよ ...)。

エドモンド=ハミルトン 『フェッセンデンの宇宙』
ミクロコスモス系統の超古典、元祖。 階層論理は突き放し型 (我々の宇宙にも .... いる「かもしれない」) で、きっちり再帰した ヴォクト『銀河帝国の創造』 などにくらべるとパワーは弱いかもしんない。 自分で作った宇宙なんだからどーしようと勝手だろ、という論点なら すでに大和真也で読んでいたこともあって新味なしって『フェッセンデンの宇宙』 のほうが遥かに先でほんとは逆だけど (つーかパキパキの SF 読みですね > 大和真也)。 大和真也も復帰してくんないかなぁ〜
ところでこれ、何度きいてもタイトル覚えられないんですが (^^;
ふつー『フェデッセンの宇宙』だよねぇ ...

フリッツ=ライバー『バケツ一杯の空気』
「タイトルと最初の 3 行を見よ」という書評のあるこれは、 しかし、それだけみれば十分なのかもしんない。
空気がバケツで拾え、かつそれがバケツで数えるべきトコというだけで ほとんど唯一に状況は定まる。 そういう SF 的シチュエーションの冷徹な絞り込みがいい。 もっとも描き方は古典的で、物理的事実を淡々と並べればそれで話が出来てる (クレメント『窒素固定世界』とかと同形)というジュブナイルなので ほんとに最初の 3 行でぜんぶ終わる。 もっともタイトルの一発芸だけで名作たりえてるけど。
小林弘利『童話を胸に抱きしめて』とは同じ状況を描きながらえらい違い。
ところで、ライバーは『闇の聖母』を読み掛けで放棄したんで 実はこの短編『バケツ一杯の空気』しか読んだことはない ... わはは。

竹本泉 『あおいちゃんパニック!』(1) 文庫版
なにげに緻密な SF 世界は確かに今のコピー地球ワールドにも引き継がれてはいるが (てゆーか今のほうがしっかりしてるような気がするが)、 その上でこういうちゃんとストーリーのあるものも書いて欲しいな とか無理言ったりしてとは最新作『トランジスタにビーナス』読んだあとの感想。

『CC さくら』#64「さくらと吹雪のスキー教室」

スキー教室二日目。そこそこ滑べれるようになってきたさくらは エリオルと二人で中級コースに向かい、そこで吹雪に遭う ──
シメで僅かに画竜点睛を欠いた感があるけど、前回より良い出来でした。 ネタの集約していく方向を定めつつ密度の濃い人物描写まぜて、 中盤に置く小品としては正しい在り方。

画竜点睛を欠いた ... というのは さくらがタイム発動からファイアリーを起動しそこねた時のエリオルの描写不足。 タイムはエリオルを止めるためのものであるにもかかわらず、 その中でもエリオルが動けてしまうことをもすこし早めに エリオルがさくらの発想に感心するなりなんなりするシーンを挟んで 明示して欲しかったのと、 ファイアリー起動失敗後にエリオルが吹雪を止めるところでスロー回しで消すのでなく、 しゃきっと一発で止めて欲しかった。 ... つまり、さくらとエリオルの能力の差ということと、 一見どれほどさくらが危険に陥ったようにみえても即座にそれをキャンセルするだけの 保険がかかっていることをここで示しておいて欲しかった。

前回の佐々木利佳、今回のさくらと命の危険にさらされるレベルのゲームが続いていて、 これが完全にエリオルの支配下にあることを明示するだけの力の差、というものを 示しておくとこだと思う。 エリオルが自分の魔法を中断するのに一定の時間を必要とするのでは ぎりぎりまでエリオルは待つことができなくなる。 それはエリオルのゲームとして方針がすこしおかしいので。

それと、話のまとめかたとして、 タイム〜ファイアリーという大駒を起動しにいって失敗したさくらに対して それが自分の予測した範囲内だったのか範囲外だったのかの エリオルのコメントが欲しい ── 「少しやりすぎてしまいましたか? (私がここにいなければよかったのでしょうが)」 とか。 エリオル視点のエリオル主役で話が出来てるので、 エリオルの切れ味を示さないと話としてだらける。 「僕が苦手なのは あなたを悲しませることなのですが、もうしばらくは仕方ありません ...」 というのは悪くはないけど終わり方として少しハズしたと思う。

スキーについて。
これだけ綺麗に動かしてるとそろそろ余力はないのかもしんないが ...
エリオルが 10 年位前の抜重/加重のはっきりしたスタイル、 小狼が体重を前に乗せた攻め手一方のスタイル、とか細かい使い分けがあると 芸が効いるんだけどぉと思いながら 何の芸もなしに同じスタイルでエリオル、小狼、さくらが滑べってるのを見ていた ... けっこうアップでフォームがばっちり映る角度でカメラが動いてんだもん。もったいない。

ようやく初級を(一夜漬けで)卒業したばっかの奴が 雪がふりかけの中級に向かってはいけません。 それは危ないです。 下りのリフトに乗るというエリオルの判断は正しいんだけど、 状況の作り方がエゲつないなあ。
状況的にさくらの悲鳴で雪崩が起きた格好なんだけど、... いいのかそれって。

それにしても、パーペキに話から追い出されるようになってしまいましたな > 知世。
「先生に教わって 1 時間くらいですのにすごいですわ」ってのをこう目をキラキラさせて 語られると説得力皆無なんですが ... 事実だけで十分に語らせられるトコなのに、そんなちゃかした描写にしなくても。 さくらに驚いて心臓がハネあがる小狼の描写といい、すこし要らん描写がある。

山崎とエリオルのコンビ。... こいつらわざとかい。 その必要はないとこだから、エリオルのこれって地なんですな。 エリオルの雪女の話に、「全体が日本的だね」って、 山崎君の嘘八百はつまるところ読書量のたまものですか。

この話、この一言:

「好きなのは ───」
「ごめんね! 私なんかが聞いちゃ、だめだよねっ」

脇筋のネタ押え的なトコにすぎないけれど、体当り一発なシーンに力負けしました (^^;


11 月 11 日。
テニス全日本選手権の女子決勝、井上、浅越戦。
サービスはそのへんのママさんテニスなみに下手でぜんぜん参考にならず、 なんでこれで勝てるのだろーと不思議に思うくらいだが サーブ打ちの技術レベルからは想像もつかん精度でストロークが サイドに決まり、いまひとつ強いんか弱いんかよくわからんす > 井上清香。
浅越しのぶの現代的なパワーテニスのほうがフォームも綺麗だし個人的には好みだが、 井上にあわせた試合展開つくった段階で話は終わってる。 ともかく球筋が浅いんだもん。パワー vs コントロールの勝負になったら パワー側は相手をベースラインんトコまでちゃんと寄り切らないといけないでしょ。 コントロール側の思惑通りに左右に振りまわす展開にしちゃあかん。

ところでわりと二人とも無反動砲的な打ち方 (フォアストロークのヒットの瞬間後ろへジャンプする)だな。 身体への負担は少ないが、全日本程度でンなことしてるんじゃありません。 ジャンプしながらっつうてもちゃんとチャンみたいに前に体重移動しながらにしませう。

『アルジェントソーマ』#6 「争いと逃避と」

EXTRA-1 をハティを通じて対エイリアン戦に活用する! フューネラルはフランクの訓練を開始した。 そこでの銃音はハティを追い詰め、 ハティはフランクとともに再びフューネラルを脱けだす ──
録画から鑑賞までの時間が開きつつある(= 見てもなあ、という気分がある) 『アルジェントソーマ』だが、見ると「見てよかったなあ」というトコまではいく。 録画脱落の危険こそなかったが、いやあ、見ててよかったなあつうか #1 見落としたのが ここまできて響くかあ! というか。 いや、タクトとマキの関係の設定にすこし違和感があったので ... それと少し説教が煩いかな? ソーマ自身に返る言葉ではあるにせよ。 でもソーマの「うそつき」をこう使うんかあ、ううむ。いやいいもん見させて頂きました。 フランクの知的水準の描き込み、ソーマが銃を向けての沈黙の 60 秒、etc.etc. 実に内容の濃い、レベルの高い 26 分間でした。

犬の手術をマジメにやってくれる軍病院 ... カウンセラーなんて安易なもんを持ち出すかと思っていた最初の 5 分、 うーむ、こういう切札的ネタがあったからこそのストーリー展開の余裕ですかい。 ソーマの心理が二層になってるのが相互に干渉しだし、 ハティがきっちりなついたところで上層部からのプレッシャーが次回に続く ... うまいっす。

あとは、もすこし見てて面白い話つくってくれれば(をい)。 いや深くて描写も手厚いんだけど、 なんつーか、それがいまひとつ感動という方向に繋がってなくて。 そーいや「リヴァイアス」もその傾向があったけど ...

この話、この一言:

「バカだなぁお前は。── 帰ろう、一緒に」
語り出すまえは(これまでの)ソーマだったんだけど、 confess したあとはソーマもちょっと変わったな。 このセリフはタクトとも少し違う。必要なとこで必要なセリフ。
「勘です」「許可する」とか、「お座り、お座りだよ、ウォルトじゃないっ」 とかいろいろあったけど、本筋からということで。
11 月 9 日。
橘裕『人形師の夜』(5) 白泉社
... まさか「人形師」を読み終えて幸せな気分になる日がこようとはおもわなんだぞ。 視点と感情移入のレベルのコントロールとブロックで 「人形師」の話を相手に心理戦する感じになることが多かったんだが。 冷たい方程式ばりの人形師のルールが表から見えなくなってるうえに わりと happy end なのでまんま無抵抗に読んでも潰されたりしない。

「人形師」以外からするにこっち(5 巻)のほうが作者の本来に近いかな。 てゆーか、この甘さはいったい。 確かに読んでて楽しかったが、 でも一言でいや毒気がぬけてる訳で、もすこし切れ味の良いものを希望。

この話、この一言:

「それに父への借金(かり)を返し終わるまではピアノ以外興味を持ちたくなくてね」
このへんがかつての「人形師」の風格 ... だったんだろうけど。 文字通りの意味(借金のネタになったこと以外に興味なし)以外に 父親との距離の相対化がきっちり出来たことも示すセリフなれど、 でも主筋から離れたぶんだけ弱々しく感じる。なんか挙げたのを後悔しそう。
11 月 7 日。
死んでた MBR7.4 に食われたまんまの CD を取り出すついでにちょろちょろといじったら直ったらしい。 フタ開けたんでメカ部分のストレスが取り除かれた(平均化された)ってことで。 7 枚チェンジャのラスト 2 つもほぼ復帰した。8cm CD は認識してくれないようだけど。

HDD がこれだけ安くなってくると連奏 CDROM ドライブの存在意義はかなり薄れ (つーか、まだ市場にあるのか...?)、CDROM をドライブに入れっぱなしにするくらいなら HD にコピーしてしまえってことになりそうで、 MBR7.4 は CDROM ドライブでなく CD player として使ってるので 手持ちの CD を mp3 化してぜんぶ HD に突っ込むということも検討はしたけど、 やっぱ面倒いもんねぇ。動いてよかったよかった。

宇河弘樹 『妖の寄る家』 少年画報社
OURs の最近の連載をみて名前を覚えた人の初期短編集で、 物語とは別次元のところですこし面白かった本。
1999 年の夏あたりに開眼したらしいのが手にとるようによくわかる。 それ以前のは まるで腹すかした子供が自宅の冷蔵庫や戸棚を漁った後のような乱雑な話をかきなぐってて、 夏あたりから作者の物腰がすいっと安定しだす。 ま、作者本人は最近の自分の話をあんまり好いてないようで話に触れてると 作者の嫌悪感みたいなもんを感じないでもないが ... ってのはつまり、話の造りが教科書的で (創造的な)神経つかってないトコがあるからだけど。
たとえば表題作の三部作も、 中心エピソード 1 つと、主役 2 名の過去話をそれぞれ 1 つの三部作なわけで、 書いたそばからネタがなくなったかぁ? みたいな素直な構成である。 しかもそれぞれの構成がイントロ + ヤマ + 小オチでエンド、の教科書のような起承転結。 なんてわかりやすい ...

もっとも、こーいっちゃわるいかもしんないが、 物語の背景に流れる作者の感情(シンパシィ)とモノ(時)の見方を味わうものであって (まだ?)ストーリーテリングは期待してないので話の造りのあたりは評価のうちに入らない。 ちなみに、表題作の続編にあたる「猫に憑く血」は本誌で読んだ覚えがあった。 で、そこそこ面白かった。 つうか、他は読んでたかもしれないが忘れ去られてもしかたなし、というか。

この話、この一言。

「母上君も、私もその寄る辺も皆
淘汰され、無言のうちに消えるべきものだったのだな ...」
セリフはセリフとして、なにげに双一郎の言葉に対する絶縁宣言になってるつうのがよろし。
11 月 6 日。
パスネットのカードを初めて買った。乗った。降りた。 乗っ ... ろうとしてコケやがった (-_-#
「... 一発で嫌いになれそうだ > パスネット」
カードが脆弱すぎる。便利つうか、改札を通過するときに緊張するようでは意味ないぞ。
11 月 5 日。
「さくら」を見ようかと mtv を起動した時、TV のほうでは たまたま『学校の怪談』がやってた。.... ちと毒気が足りないが、けっこう見られる話になってるじゃん。 次回(って何時や? この時刻でいいのか? なんや総集編だったらしいが)ちゃんと見てみよう。

『CC さくら』#63「さくらとプールと大きな波」

街に室内プール施設が出来た。さくらはみんなで出かけ、 隠れてついてきていたケロベロスをロッカーに戻そうと皆から離れた時、 プールに大波が押し寄せた ──
「さくら」らしい小品でした。クリームソーダ〜ケロベロスの話から奈久留が桃矢に ひっついてきているところまで一つのコンテクストにきっちりはまって。 最初のうち少し絵に手抜きが感じられるのが気にかからないでもなく 「またか...?」と思ったけど、 さくらがウォータースライダーからひっくりかえった水中のシーンがよくできてたので 力配分的にはおっけーだと思う。

ただ ── 「さくら」という話を積極的に嫌うことがあるとすれば この話はそれに直結するようなトコがあった。 負の感情をもたせて話に厚みをもたす役割を担う小狼とエリオルの扱いが この話では軽すぎる。利佳やさくらの正の感情の力押し (「フォームもきれいだし」「さくらちゃんのおかげだよ」 etc.) とのバランスが崩れてて、一種、仮面舞踏会的な嘘臭さを感じた。
カメラのフォーカスに意志統一感がなくてさくらを映す時に小狼視点から見てるのに 小狼を描写する時には さくらからカメラを回してるせいだな。両者の観察力が対等なら問題ないが、 「さくら」の場合はさくらが「ぼんやり」なので これをやると負を担当する小狼の心理描写が薄くなる。

「泳ぐことができるようになった」というネタを 「泳げるようになってたから助かった」という形で主筋に組み込むなら、 小狼とエリオルの会話「つねに冷静に ...」も どうにかして主筋に組み込んでおいてほしかった。

この話、この一言。

「佐々木さん。泳ぐこと、嫌いになってしまいましたか ...?」
「え? ── ううん、ちょっと恐かったけど」
... ラスト数分前まで「山崎君の嘘って最後まで聞かないと気になるよね」 になるかと思っていたんだけども。 感情表現とはこうありたい、というエリオルのセリフだった。
これがあるなら奈久留とエリオルのやりとりは必要ないと思うけど、 ま、しょうがないやね。
11 月 4 日。
チャリに乗っててハトをひきそうになった。... わざわざ進む方向に逃げるんだもん。
で、かろうじて回避したとこにヘビが道のどまんなかで S 字に寝ていた。 ちなみに長さ 1.5m, 胴周り 12cm ほど (このあたりに居ることは知っていた。去年からまあ一段と大きくなって ...)。 進行ルートは胴体の真ん中をつっきる格好。 道幅が狭かった(川土手の 4m 道路)ので ちらと内輪差のことが気になった(回避直後にハンドルを戻すと 後輪がヘビの頭の上を通過しそう)が、どーやらおたがい無事だったようである。

ひとつの critical section ならどーということもなく回避できる。 その直後の precharge time の期間にもひとつやってくると、さすがにアワくったのであった。

『アルジェントソーマ』#5 「憎しみと争いと」
水爆まで投入してたとは、攻撃オプションもうなんでもありですねぇ。 目的地が決まってるトコとか、エヴァなんですが。 「目的が分からない」ということならその目的とやら、 できればエイリアンにとってはくだらなく、人間にとってはけっこー致命的なものを希望。

高機動兵器に民間人のせてよく気絶しなかったな、とかパイロットスーツ着せてって あれって無茶苦茶重かったと思うんだがな、とか、いろいろつっこめるとこがおおい。 そのうえ人間の描写が薄かったのでイマイチ話に乗れなかった。 ネタはいろいろふってたんだけども。
たとえばこれ↓もそうだ。

「妖精くんは妖精くんだよっ、なんどもなんどもハティを助けてくれたもん!」
「なら、歌えよ。歌ってやれ。奴のために」

.... 裏がありそうで実はぜんぜんない -_-;
イントネーションに感情こめてそれっきり。 いくらでも裏打ちで豊かにできるセリフなのに ... 今回の脚本屋ってば、能ナシ。


11 月 1 日。
ここは y:x の更新日誌のためのページである。 決して linux 日記だったり(アニメ日記だったり)はしないのである。 ... その証拠に隣の PSION 階層にちゃんと linux 日記は置いてある(ほんとに証拠になってるのか?)。

その y:x の variant とゆーとこで、突然だけど e:0 を公開。

Genesis e:0 「時の間隙」

e シリーズのアスカ側としてとってあったメモを アサヒネットの a シリーズ用 (a:16) に書きまとめたもので、 e:x と a:x の分岐前の出来事なのでホームページ上では e シリーズとして公開... てゆーか、a 系列が属するとこって話がみんなとまってるんですが ...

ちなみにコレ読んだからといって e シリーズの理解が容易になったりはしないと思う。 a シリーズ用ということもあって、 解釈が唯一になるようなとこまでちゃんと clue は埋め込んだけど それでも例によって心理描写そのものはほとんどないし、 アスカ視点つうことで論理展開が途中をすっとばしまくってる上にアスカの思考に いくらかノイズが乗ってるので。


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