『カードキャプター さくら』 #65 の感想

(初出及び補足, revised Nov 24, 2000)

粗筋
力の欠乏で危険な状態になっていたユエをみかね、桃矢は自分の力を渡すことで彼を救う。 雪兎を気遣ったさくらは偶然それを知って ──
概観
終わりの始まりをはっきりと示した話。 65 話放送の 2 日前くらいに劇場版 I を DVD で観ているが、 同じテーマで繋がっている。なかなか良いタイミングで DVD を観たことになるが、 おしむらくは同じネタ(かわい〜い!)まで使ってたのがちょっち。

話の構成そのものが「さくら」というよりはネタを最後まで引っ張る探偵物語風。 話の半分以上が前振りにすぎないってのが豪快。

奈久留にすこし粘りが足りないかな? 桃矢の手をすりぬける雪兎の手は 薄くなって通りぬける形をとるのかとおもったけど、ふつーにこなしてた。 でもそんなとこまで観るヒマないほど見るべき内容は多かったので、 そのあたりはどーでもよろし。

なんといっても、さくらを家に送ったとこで知世と小狼が顔を見合わせるのが深い味だしていた。

細かいことだが、そろそろ適切なカードの使い方を覚えましょう > さくら。
たかが雪兎を浮かせるだけでウインディという高位カードを持ち出すのは、 ちょっともったいない。フロートあたりで十分のところ。 適切時に適切なカードを選ぶセンスを鍛えるのは、状況が厳しい時に意味をもってくる。
とくに「かばわれている」だけで済ませたくないなら、大切だと思うが。

ほとんど最初から二人の会話を聞いていたさくらの表情がどういう風に変化していったかと 想像するに、.... けっこう百面相していそうである。かわいいかもしれん。

こういう時にどういう言葉をかけるかで全人格が問われそうなところ、 ユエもケロも長生きしてきただけのことはあると。

さくらの環境をなす鼎
61話や 63話でちらと触れたが、さくらは非常に強い肯定感情によってとりかこまれている。 ユエの審判の後でいえば 54話で藤隆が自分を否定した言葉を洩らしたのがさくらの目の前に現われた否定感情の稀有な例ではなかろうか。 エリオルの「さくらさんと李君のボケ ...」や桃矢のからかいにも負の成分はない。

このおそろしく恵まれた環境を崩しうるものが 3 つほどある。

ひとつめはカード捕獲ないしその後の問題に家族を関わらせるつもりが さくらに全くないというやつ。 桃矢にも力があることは既知だから、協力を得ることは原理的には可能だが、 そんなもんカケラも出て来ない。 日常と非日常の分離つうか断絶つうか隔離ってことだな。 「心配かけたくない」ってこともあれば、 これはバレた時に「心配をかけてるだろーな」という形でさくらの足をひっぱるってことでもある。

さくら自身は必要がなければ(あっても)他人に協力をもとめないから、 つまりたとえば知世や小狼にでさえ「電話するって約束したから」電話しているのだから、 さくらからこの問題を持ち出すことはないけれど、 ケロベロスが持ち出さないのは不可解ってことで。 つまり、ケロが「さくらにはまだ無理や」という判断をすることがあるが、 この時に戦力の強化という選択肢が頭にない、という意味で。

ようするに、 さくらたちは日常世界に非日常世界を干渉させたくないってことなんだと思う。

ふたつめ。
ユエとは主でなく友達になりたい ... ということだったが、雪兎とは「友達」でいいわけか? ケロベロスでさえ、小さい時と大きい時で別人格扱いしている風もときどき見られる。 どうあがいても、ユエ/雪兎の主たる持ち主はユエのほうなんだから、 雪兎が消える危険はつねにある。.... ってのをさくらは知っていて忘れてるふりをしている。

ユエがさくらの前で表面化するのは非日常の時だけで、 雪兎は逆に非日常の時には表れないからさくらにとってはバランスがとれている。 たとえば小狼は日常の時にもユエに会ってたりするので、 さくらがユエと日常の時に会わずにすんでいるのはユエの配慮でしかない。 ユエの都合でいつでも崩れうるものである。

みっつめ。
無敵の呪文「ぜったいに大丈夫だよ」... に根拠なんかない。 信じてるのはタダだし、信じてることにそれなりの効果はあるが、 つねに「大丈夫」である保証はない。 さくらはまだトラウマになりうるほどの致命的な失敗をしたことがなく、 ... 22 話で藤隆のパソコンを壊したのでさえ、さくらは recovery に成功したと思っている。 少なくとも、あとをひいた様子はない。
したがって、ちっとも「大丈夫」でない結果に終わった時、それがさくらに与える影響は まだ未知数である。

さくらの傷となりうる点みっつ ... 裏をかえすとさくらを支える点みっつ(家族、雪兎、本人の気質)ということでもある。 ... というか、さくらを支えるのは何か、ってことを考えれば、 「それが崩れた時は...」という思考がでてくるだろう、ってことにすぎないけど。

今回、この三つの琴線すべてを響かせてきた。

書き忘れたけど、さくら〜小狼の関係の動きなんぞ いまんとこ さくらの側からすれば些細なことである。

桃矢
「かえられちゃこまるんだよ。あんたが消えたらユキも消えるんだ、
さくらを守って、自分の身も守ってくれ」
ボケっとしてると読み流してしまいそうな、 どこまで読みこんでいいかわからんセリフ。
つまり、なぜ雪兎が消えちゃ困るんか ... ってあたり。

桃矢にとっての雪兎が消えるのが困る、というだけでは少し主張が弱い。 これだとユエ/雪兎の人格統合にも桃矢は反対しなければならなくなるが、 ふつー二重人格の統合はやむをえないものとして扱うところ。
まあ、これだけしつこく「おまえが消えてなくなるのは嫌だ」 と言い張ってるとこのあたり弱いんだけども、雪兎が消えていなくなることを、 ユエに向かっては「それはダメ」とは主張できない。それは基本的にユエの自由だから。

また、セリフ後半からするに「自分の身も守」らないと「さくらも守」ったことにならない、 つまり さくらからみても雪兎が消えてなくなっては困る、 さらに二重人格の統合の件で裏をとって 雪兎いなくなくことは、たとえユエが生き残っていたとしても困る、つまり

ユエ/雪兎の二つの人格の統合(実質、雪兎の消失)が さくらの目の前で展開してもらってはまだ困る ──
というあたりまでは読んでいいのだと思うし、 ここまで読まないと桃矢がシスコンであることが主筋の中で生きてこない。 もちろん、こうでないと(さくらの利益にかかわることでないと) ユエに対してなにごとかを頼むこともできない。

もすこし読むと、「ユエが消えないことはさくらの利益である」と表向き主張することによって、 桃矢の親友としての雪兎が消えないように、と自分の利益を確保したようにも見える。 ... ここまで裏読みすると読み筋も安定して、一見正解に見えないこともないけど ... ううむ、無意識のうちといっても さくらをダシにして自分の利益を計るような桃矢ではないと思うんだが。

ま、いずれにせよ、外でさくらが立ち聞きしてんだから、 さくらに桃矢の心理をマル読みされるレベルで モノが語られつくされるような物語を作ってもらっては困る。

さくら
「ごめんなさい、... わたしの力が足りないから、雪兎さん消えそうになってたんですね ... おにいちゃんの力もらわないと、だめだったんですね ... ごめんなさい ...」
やや説明口調なのがアレだが、裏に 2 つかぶってるなと見たところで 一つはラストで語られていた。

「雪兎さんが」消えかけたことについてさくらがどう思ったかという点と、 それ以外のふつーの人が消えることについて、つまり 「わたしの力が足りない」ことによって「だめになる」ことがあること。 ... つまり、(さくらが守るべき)誰かが、 さくらの場合でいえば雪兎さんを失うケースに匹敵するような状況に、 さくらの責任で、 陥るかもしれないということをさくらが認識したということ ── 「ぜったい大丈夫だよ、なんとかなるよ」 という呪文の限界(がありうること)を、 知ったということ .... さあ鼎の二角、次に崩れるのはどっちだ?!

ケロベロス
「言うたらさくら自分を責めるやろ? 自分の力がたりんからやて、
おまけになんとかしよ思てさくら無茶するやろ?
せやからさくらには何も言わんとこって決めたんや」
煩いこというとセリフとして正しくない。非常に細かいことだけど、 これだとユエが消える危機に陥ってもさくらの協力を求めない、 ケロもユエも最後の一線ではさくらを信頼していない、と言うニュアンスが紛れ込みかねない。 「疑うことをしらない」さくら相手とはいえ、すこし不用意。

「〜何も言わんとこって思たんや/〜何も言わんかったんや」 くらいでとどめて 解決策が見出せなかった場合に無理を承知で さくらの協力を得る可能性があった、ことにしておかないとさくらへの衝撃が大きくなる。 実際、ケロやユエにはどうしようもなかった訳で。

それと、せっかくだから「さくら無茶するやろ?」の部分、 53 話での無茶と淡くでいいからリンクしてあると話として深みがでるっつうか、 ふつーそんなことまで覚えねぇぞ、というか ...

にしても「太陽」のくせに「月」くらい「星」に頼らずちゃんと輝かせんかい > ケロベロス

今回、この一言
「わたし、ケロちゃんにもユエさんにも、かばってもらってばっかりだね」
ハイレベルの大接戦だった。 先に挙げたさくらの「ごめんなさい、... わたしの力が足りないから 〜」も内容として深く、 初出の日記ではそちらを「この一言」としたが、 翌日逆転

当時「かばって〜」は前後のコンテクストがないと意味が通らない (この字面だけでは自嘲成分の内容がよく分からない)ので落したんだけど、 いやあ、セリフの底力の差だ。

ここで挙がってきた感覚、いつかどっかの SS で扱ってみたいな ... ってのはつまり、

「かばってもらってばっかりという認識はしたと。で、それで何をどうするの?」
というあたり。これだけ取り出すとかなり間抜けだが、 ユエのセリフと合わせると良い感じで裏打ちされてくる。 いずれにせよ「子供」のさくらが、 不世出の魔術士が作りだしたカードやユエ、ケロベロスをあっさりと支えるようなことがあっては そりゃあ困るだろう、いろいろな方面の方々がいろいろといろいろ(をい)。

ユエ、ケロベロスや桃矢から見て さくらが「絶対、大丈夫」だと言い難いのは仕方なく、 その実例が今回さくらの前で展開した。 「かばってもらってばっかり」なのを気に病もうが負担に思おうが そのていどのことでは現状も未来も変わるまい。 そしてそれを自覚していてのさくらのセリフだ、もちろん。
ケロベロスの言い方だと、この場合悪くはないけど問題を先送りにしてるだけ、 でも、しょうがなしと。さくらに理解できるよう何かを語れるとこでもない。

「その重みを知るにはまだ早い」
とケロベロスは言うてる訳だが、.... これに気付かんようではそらまだ早かろう。 ここでケロベロスは「助けるのは当然だ」という論理を持ち出したが、 物事の順序を間違うと桃矢を巻き込んで当然だと言うに等しい論理である。

ところでこのセリフ、 さくらには「桃矢にかばってもらって」という意識は頭に無かったようだなぁ ... 実例が目の前にあったばっかりだが、日頃の行ないか? とりあえず桃矢が家に戻ってきたとき、どんな顔して桃矢と会うつもりだろ。 桃矢の側からは、さくらに向かって

「(「愛しい雪兎さん」を助けた借りは)当番 5 回な」
で終わりそうだが、藤隆になんで交替したのか突っ込まれると困るかな? でもできれば次回の冒頭でちゃんと描いていただけると私は嬉しい。
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