Genesis e:1 そもそもの始まり
"In the beginning"


「気持ち悪い ‥‥」

ほとんど唇は動かないながら意外にしっかりしたその声と、 うつろな眼のまま彼女がシンジの頬を撫でる。アスカが息を吹き返したことに、 シンジは思わず喉を絞める手を緩めた。
生きているかもしれない、生きていないかもしれない、その不確かな恐怖の中にあって シンジが舞い戻った先でしたことは、彼女の喉を絞めることだった。 彼女が生きているのなら ‥‥ シンジに事を締めくくるだけの覇気は無かった。

彼は自分の手と、アスカの硬い、それでいて未だ何も映し出していない表情を見比べた。 まだ掌に残る感触がゆっくりと腕を這いのぼって胸に達し、彼の肺を絞め上げる。 彼女が眼を覚ましたという喜びはどこにも無い。うちすてられた誰も居ない浜辺で二人だけ、 そして自分以外の唯一人のヒトである彼女に対する罪をまた一つ増やした、 彼を庇う者はどこにもいない、何も彼女を妨げるもののない世界において為した罪と、 これから彼をみまうであろうその報復。

すべてが一つになりかかっていた世界に於いて苛烈を極めた罰の記憶は まだ生々しく、シンジは背後の海、かあるいは巨大な湖の沖に沈む綾波の巨大な骸に つい意識を向け、そしてそのことがさらに彼を責めたてた。
綾波の精神の前で彼は宣言した。全てを一つにするか、あるいは再び孤独なる魂にもどるか、 全ての選択権を彼が握った時、 一つになることを拒絶した宣言の象徴たる巨石に彼は見守られていた。 いやむしろ彼の感覚では睨みつけられていた。

一言喋ったきり口を閉じるアスカと、背後で無言のまま睨みつけるレイの間で、 彼は心臓を捩り上げられたまま震え、呼吸困難なままかろうじて声を絞りだした。

「あの ‥‥」

その問いに視線さえ向けてもらえず、彼のどこかがついに切れた。

「アスカっ! アスカってば! ‥‥!」

彼女の肩を揺さぶるそれは、彼にも既視感があったが、彼はそれ以上は言わなかった。 「僕を馬鹿にしてよ!」 ‥‥ それは言えなかった。

彼女も無反応でいることに飽きたのか、そっと彼の手をどかし、半身を起こした。 彼女の上に馬乗りになったままのシンジは彼女と真正面から見つめ合うことになり、 彼はおびえるかのように彼女から退いた。

「あの ‥‥ アスカ ‥‥」

それでも一度合わせた視線を彼は恐怖しながらも外さなかった。 その蒼ざめた表情を理解しているのかいないのか、彼女はごく微かに微笑む形に唇を歪ませた。 それを嘲りととった彼は必死で唾を飲み下し 「ご、ごめん ‥‥」 と喘ぎながら謝る顔をつくり出す。 その喉を潰されたような声が届いたのかどうか、 彼女は、すこし頭をふらつかせながらもゆっくりと立ち上がった。
シンジはこれから始まることを想像しておびえつつ、彼女の次を見守る。 彼女は特に怒りもせず無表情のまま彼を見下ろして、口を開けた。

「あんた、何やってんの ‥‥?」
「あの、 ‥‥ アスカ、怒って、ないの ‥‥?」

無言。

「え、えーと、‥‥」
「あんたのこれから次第ね」
「え?」

シンジの尋き返しには答えず、彼女があたりを見回す。
濃青の空に映える赤い帯にどこからか陽が反射し、 夜明けが近いことを想像させる他は空から分かることは無い。 巨大な石の彫刻と、その他にはビルの残骸以外に対岸が見えない湖に浮かぶものもない。
波が打ち寄せる下をみれば足元の妙に白い砂はきめが細かく、 砂というよりは粉に近いという以外に語るものもなく、 人工の灯らしきものは地平線、水平線のどこにも見当たらない。 弱々しげにうちよせる波は遠い目には赤く、掬うと少し黄味を帯びた透明なさらっとした液体。

彼女がすぐ近くの小さな丘の向こうを透かして見るようにするころ、 シンジも正面の視界を防いでいる向こう側に期待するしかない気持ちになっていた。 もっとも、まったく人気のない状況で何を期待するのも虚しさが漂う。
ふと彼女が視線をシンジに戻して尋ねた。

「で、何がどうなってる訳?」
「さあ ‥‥」
「『さあ』って、あんたが決めたんでしょう」
「で、でも、僕も戻ったばかりで良く知らなくて ‥‥」
「あんたと二人だけ、ってことはないでしょうね?」
「さ、さあ ‥‥」

アスカの詰問にシンジは言葉を濁した。しかし少なくともシンジは、 ことによると二人だけかもしれないと半ば諦めていた。そっとアスカの方を伺うも、 その表情は依然として固く閉ざされていて、何も読みとることは出来なかった。
もっとも、彼女の何かを読み取ったことはおそらくない。 いつも彼女が見せているものしか彼は見て来なかった、 それは彼があの世界で学んだ、あるいは学んだつもりになっていることの一つだった。

「他に人が居ればいいけど、‥‥ もし二人しかいなかったらどうしよう ‥‥?」

彼はアスカに訊いた。 彼女は無表情のままシンジを一瞥して、

「その場合は食べ物と、今日の夜までに住むところと、着替える物ね。とりあえずは」

ひどく現実的な反応、やや意外に感じた彼はすっと眼を伏せて視線を外す。 弱気を怒鳴るか、嫌悪を示すか、 そのいずれかを無意識のうちに期待していたことにシンジは気付いた。 彼女は自分の腕に目を落して続けた。

「それと、出来れば医療関係の、包帯やら何やらが欲しいわ」
「そうか、そうだね ‥‥」

彼女の右腕には包帯が巻かれていたし、左眼にも包帯が巻かれていた。 シンジもそのことを思い出し、頷いてそっと尋ねた。

「‥‥ 痛む?」
「別に」

そのぶっきらぼうな言葉がシンジの耳に気遣い無用と響く。 シンジは伸ばし掛けていた腕を降ろした。


地に何が起ころうと、陽はまた昇る。 誰も見つからない絶望の淵にあって綾波の湖の向こうに顔を覗かせた陽は、 それでも記憶にある通りのいつもの太陽。
周囲から血の色が抜け落ちるにつれ、シンジの表情からも脅えが消えていく。
── ただ、彼女の表情には依然として何も映し出されているものはなかった。

「誰も居ないね ‥‥」

やや見晴らしのよい地に立ち、周囲の荒れ地を見下ろしてシンジは 聞こえるかどうか位の声で呟いた。
彼らが立つ場所さえシンジには定かでない。 第三新東京市のビルに良く似た残骸はその辺りに残っていたものの、 「第三新東京市」という地名が意味を持つのかどうか、 そもそも元の世界なのかどうか、ということからしてすでに怪しい。 それほど周囲の風景は激変していた。

「どうなっちゃったんだろう ‥‥」

「補完計画」。彼には選択点以外はほとんど知らない。 望めは元の「他人」が得られる、とはレイに聞いた。 しかし補完実施直前にあった戦争、その直後の爆発などが「元」に戻るとは聞いていないし、 実際、綾波の巨石があることからして 補完プロセスそのものは無かったことになっていない。
彼は少し離れた場所に腰かけているアスカに振り向いてすぐに顔を逸した。 返事があるような言葉ではない。頭の中で別の言葉を組み立てる。

「どうするの ?」
「予定通り、食べ物と住むところと着替えるものね」

あっさりと断言するアスカに彼は見通しがあるのかどうかいぶかったが、 そんなシンジを置き去りにするようにして彼女は丘を下りだした。 シンジも慌てて後を追う。

「ちょっと、まってよ」
「浜に戻るわ」
「え、何で?」
「‥‥‥ まず、水が飲めるかどうか確かめるの」

これまでさまよった荒れ地には水の気配さえなかった。 湖の「水」が淡水でなければ二人とも三日ほどの命だろう、 シンジは昔、ケンスケから聞かされていたことを思いだし身震いすると共に、 かつての友人を思い浮かべて天に横たわる帯を見上げた。 夜の血の色と違い、 今は青空の中に黒く見えるそれは彼に何の感慨ももたらすことはなかった。
一方、アスカはシンジが見上げたまま立ち止まったのに気付くこともなく、 そのまま浜に降り立つ。

しばらくしてシンジが浜のアスカに追い付くと、彼女は何やら泥をこねくりまわしていた。

「アスカ ?」

シンジに一瞬だけ眼を向けて、アスカはそのままその泥の小さな玉を口に入れる。

「アスカ !?」

シンジの驚愕の声に彼女は平然と答えた。

「食べられるわよ。この泥」
「そんな、食べられるたって、‥‥」

喉を通る味ではあっても中身は分かったものではない、彼がそう云おうとすると、

「じゃ、あんたは明日まで我慢すれば ?」

その意味するところは。 彼は慄然として、 砂浜でとりあえず小さな泥の玉を作っておそるおそる口に入れる。

「‥‥ 甘い」

意外な味と、しっかりとした歯応えに驚いていると、

「水も飲めるわよ」

シンジに見向きもせず、彼女が告げる。 彼は一口すくってみた。 微かに黄色味を帯びるさらっとした水は、 なにやら鉄分のような生臭い味がしたものの吐き気を催すほどでもない。 やはり明日になって腹を壊さないという保証は無いように思えるものの、 見掛け通りというのか、それほど感覚から外れていない味に彼はむしろ胸を撫で下ろした。
泥玉一つ、それに水一掬い。シンジの朝食はそれだけだったが、 彼女はもう一つ二つ口に入れていた。シンジはその様子をぼんやりと眺めていた。

泥が食べられるといったことをはじめとして、 不思議に思わなければいけないことは多い。 もちろん彼女なら気付いていてよさそうな。 そんな疑問に一切触れることなく無心に彼女は食事を続けている。
とりあえず食べ終るのをまつべく 綾波の岩に背を向けるようにして砂浜に座りこみながら、 シンジはアスカの様子を振り返ってふと首を傾げる。 会話の調子がどこか妙で 本調子ではないのだろうと彼は想像したが、 しっかりとした行動に彼につけ入る隙があるはずは無かった。

彼女は食べ終った後も座り込んだまましばらく湖のうちよせる波を眺め、 それから逡巡するようにしてシンジの方を向いた。

「袋か何か ‥‥ は、持ってないか」
「袋?」
「水筒の代わり」
「え、と、無い、と思う ‥‥ ごめん」

彼女は無いことだけ聞くと後半のシンジの言葉は聞かずに汀に寄って、

「とりあえず、これでいい」

と何かを拾う。シンジが脇から覗きこむと、それはビーカーで、 うち捨てられていた割にはヒビさえ入っておらず奇麗なもの。 彼女が軽く泥を払い、陽を透かして少し輝きをみせるビーカーにシンジは見入った。

廃虚。高くのぼりはじめた太陽を除けば なにかの残骸を想像させないものは何もない、そういう空間にあって、 ビーカーはいくら奇麗であっても、 実験室かなにかの残骸を連想させるものでしかなかったが、 それは世界でただ一つ傷のない、壊れたところのないモノといえた。

「それを、どうするの ?」

彼が両者 ── アスカとビーカー ── に敬意を払うように尋ねると、 彼女はシンジにも見せるようにして するする右腕の包帯を少し外してビーカーの周りに器用に括りつけ、 簡単なバケツをつくり出した。 もっとも、細かい目のものだったとはいえ包帯で作ったフタが ちゃんと役目を果たすかどうかは分からない。

「へえ ‥‥」

シンジの感嘆の声に関わらず、すたすたと歩きだしたアスカに驚き、 ついで自分が驚いたことに気付いて、ことここに至って ようやくシンジはアスカとの会話の違和感の底にあるものに思い当たった。
尋ねられれば答える。しかし、決してアスカからはシンジを誘わない、云わない、 そして何も押し付けない。

初めて出会った時から先の夢の中に至るまで彼女は彼をひっぱり回してきた。 その行為に根拠があろうとなかろうと、 あるいはその行動が彼にとって理不尽なものであろうと、客観的に間違ったものであろうと、 そういったことをほとんど考慮せずに常に彼を怒鳴りつけてきた。 彼の都合におかまいなしに土足で彼の領域に踏み込んでくる。 どちらかといえば、‥‥ ではなくはっきりと迷惑なことの方が多かったそれが 奇麗さっぱり無くなっていた。
余計な恐怖感が巻き上がってくる予感にシンジは首を振って思考を打ち切った。 そして背後の視線に追いたてられるかのようにアスカの後を追う。 彼女の後ろ姿を見つめながら彼は唇をかみしめ、右手を握りしめた。 「覚悟」はないでもなかったが、これとは違っていた。


砂漠といって通じるほどの荒涼とした大地しか見当たらない中を、 彼女がしっかりとした足取りでゆっくり登っていく。 すでに後背の湖はほぼ全景を想像させるところまできていた。 手前の岸の円弧と遥か遠くの対岸の向こうにある山々の影からして 湖は奇麗な円形をしており、巨大な火口湖かなにかのように見える。 それを振り返りもせず、 何らかの確信があるかのような紛れのない彼女の姿は 気付いてしまえば厳然たる拒否を示しているようにも思えた。 右手の汗を無意識にズボンの裾で拭くこと五度目か六度目にして彼はそのことに気付き、 掌を見つめてぎゅっと握り、アスカに声を掛けた。

「あ、あのさ ‥‥」
「‥‥」

聞いているのか聞いていないのか、無言のアスカ。 彼は続けた。

「その、‥‥」
「‥‥」
「どこに行くの ‥‥? どこまで行くの ‥‥?」
「‥‥」
「え、と、ほら、プラグスーツのこともあるし ‥‥」

アスカが登りきったところで立ち止まって、振り返る。

「スーツ ?」
「だって、ほら、バッテリは半月くらいで切れるし、砂利道、歩くと痛みそう ‥‥」

二人は期せずして自分の足元に視線を落した。 つま先から足首にかけて乾いた細かい土で薄茶色になっている。 そして、ほとんど同じタイミングで顔を上げる。 アスカが一瞬だけ眉を顰めた。僅かに生まれた表情に、 開いた岩戸に腕を差し込み捩るようにしてシンジは、

「アスカ、ねえ、やめようよ、こういうの、よくないよ、謝るから、‥‥」
「‥‥ 何を?」
「だから、‥‥ 愛想つかすのは当然だけどさ、でも、今は二人しかいないじゃないか、 せめて生き延びられることが分かるまでは、こういうの止めようよ、‥‥!」

喘いだ息を整え、言葉を繋ぐ。

「綾波と約束したんだ」
「ファーストと約束したから、あたしの前に居る訳 ?」

アスカの口調に微かに感情が現れた。これは怒気。 シンジは すでに空になった肺の空気を全て振り絞るようにして弁明を続けた。

「違う、違わないかもしれないけど、でも違う、そうじゃなくて、」
「足手纏いなら要らないわ」

シンジの言葉を遮り、なにごとかを待つように彼女が沈黙する。 肩で息をしながらアスカをじっとみつめるシンジだったが、 再び完全な無表情になった彼女に手掛かりになるようなものは何もなかった。
互いに何を伝えるでもなく見つめ合い、長い長い数秒という時間が過ぎる。
それからシンジは、ぎこちない微笑みを作っておずおずと右手を差し出した。

「大丈夫だよ、多分、‥‥ それに、そうなったら、置いてっていいよ」

アスカに表情が生まれる。呆れた、軽蔑した様子でその手を眺める彼女に、 腕を反射的にひっこめそうになりながらもシンジは次の動作を待って耐えた。

「生意気。ほんとに置いてくからね」

先に目をそらしたのはアスカだった。 結局アスカがその手をとることはなく、前を向いて歩きだす。 シンジは空振りに終った自分の右手をみつめ、その場に立ちすくんだ。

「‥‥ うん」
「で、続きだけど。」
「うん」
「あの湖、あれ ‥‥ 芦ノ湖よ」
「?」

それは分かっていると表情で云うシンジに、彼女はやや苛つく身ぶりで岸の一角を指し示した。 それが何であったかに気付いて彼は今一度、湖を含む風景を眺める。
高台のこの位置からは湖全景が良く見通せた。 その形は見知った湖のものではない。そもそも大きさからして違う。 湖の反対側は遥かに遠く、 典型的なカルデラ湖である三日月の芦ノ湖とは似ても似つかないし、 使徒との戦いの中で増えて行った爆発跡地の湖でもない。 湖の中に転がる残骸から、その辺りが前は街であったに違いないということだけは分かるが、 風景の中に自分を当てはめる所も無いままで地理的勘が戻る訳もない。
彼女が示したのは、岸辺の形。それはもともとの芦ノ湖南端の形をかろうじて残していた。 湖や周囲の山の形まで見知らぬものになっていたが、 富士山の成れの果てらしき山も、山の裾の形から今ならそれと分かる。 第三新東京市とその周辺の地理はネルフでたたきこまれていた。それが今シンジの頭に甦った。

「ああ ‥‥」

地図を思い浮かべ、現在位置をその地図に記す。いま向かっている方向と合わせ、 彼女の意図もシンジは知った。
海岸に向かっている。第三新東京市、ジオフロントはいずれも綾波レイの湖に沈んだ。 一番近い街の一つ、 新富士市は富士山の形からしておそらく第三新東京市と運命を共にしただろう。
今むかっている方角なら、 もうすこし歩けば新横須賀市がみえてくるだろう。‥‥ もしまだあればの話とはいえ。
彼はアスカの横顔を見つめた。 固く引き締められたその唇からは、あいかわらず何も読みとることはできなかったが ‥‥


その日、陽が沈むと同時に「雪」が降り出した。雪といっても氷の結晶ではなさそうで、 うすぼんやりと赤く光る小さい玉のようなもの。手を伸ばしても届きそうにない 5m くらいの高さのところまで舞い降りて、ふ、と消えていく。 日が暮れて上空の帯は再び夜空に赤く浮かび上がるようになり、 あたかもその帯から舞い落ちてくるようだった。

シンジが寒さにふと目を覚ますとアスカの姿は無かった。 首を横を向けると、彼女が膝を抱えて赤い「雪」を見上げている。 その姿は無表情でない、曰く云い知れぬ感情を醸し出していた。
彼はすぐにまた眠りに落ちた。何か声をかける間もなく。


翌日。海岸が遠くに見えるその時、アスカの顔が初めて憎悪に歪んだ。 ビーカーを地面に叩きつけて上空に向かって叫ぶ。

「ファーストっ!!」

そして消えた。 彼女の身体が一瞬にして液状化し沸騰する、 彼が驚いて瞬きするほどの時間も無かった。 頭の中が真っ白になる。

「あ、あ、あ、な、なんで?、アスカ? アスカ、アスカっ !?」

周りを見回しても、なにも変わったところはない。ただ彼女だけが消えてしまった。 彼の足元の濡れた土の上にばらまかれたガラスの破片と包帯だけが さっきまでその場にアスカがいたことを主張していた。 彼は震える手でその破片をひとつ摘み上げ、 それが確かにビーカーの破片らしきことを知った。

「‥‥ なんで ?」

もはや聞く者もない世界で独り呟く。 どうしようもない悔悟の念が彼を襲った。 彼の創り出した世界に唯一人。

「いいえ。あなたとは関係がない ‥‥」

と、それに応える声があった。彼はびくっと身体を震わせた。 ほとんど何の感触もなかったが、いつのまにかシンジは後ろから抱きすくめていた。
── 綾波レイ。その身体は半ば彼に融け込むように一体化していた。


次回
ファースト

[目次] [次へ] [日誌]