資料室 1

 蒸気機関車の歴史  18世紀イギリスで始まった産業革命。SLの開発史をまとめました。
明治のSL(1) 日本の鉄道網の発展と歴史、草創期の蒸気機関車の話題とその後をまとめました。
明治のSL(2 明治時代のSL(タンク機)発達史、鉄道国有化の歴史をまとめました。
明治のSL(3) 明治時代のSL(テンダ機)の発達史、機関車国産化の歴史をまとめました。
大正時代のSL(1) 国産標準機関車の6760形、8620形の歴史をまとめました。
会津地方の鉄道史 会津地方の鉄道の歴史を下記に整理してみました。
動力近代化と、SL全廃の道 国鉄の動力近代化とは何だったのか、SL全廃の過程を整理してみました。
会津区の年代別SL配置表 会津区で走ったSLを年代別(1931年〜74年)配置表に整理してみました。
会津若松機関区略史 会津若松機関区の歴史を整理して表にまとめました。
晩年の会津地区のSL時刻表 1973年10月1日改正の会津地区のSL時刻表をまとめました。


会津地方の鉄道史

江戸時代会津若松は会津藩・松平23万石のの城下町として栄えました。当時の交通ルートはまっすぐ南下して田島・五十里峠を越え日光街道を経て江戸に向かうのが参勤交代の最短ルートだったようだが、商業物資の流れは阿賀野川を船で下り新潟港から北前船で日本海沿いを運ぶのが主流でした。
明治維新を迎え殖産興業政策により全国に鉄道が整備された、当時の奥羽(東北)地方では裏日本と表日本を結ぶ鉄道は4路線の施設申請があったが、明治政府は大陸と戦争がもし勃発すれば新潟港を守る新発田連隊だけでは不十分であったため、仙台師団や関東の兵隊を新潟に輸送する軍事上の目的から鉄道の敷設が急務と考えて、郡山〜若松〜新潟を結ぶ岩越鉄道(民鉄)に最初に認可を下しました。
元来、鉄道は地域の住民のため、産業の発展のために建設されるべきものなのだが、明治政府は富国強兵の掛け声のもとに防衛ラインの補給線としての鉄道敷設を優先した時代でした。
いきさつはどうであれ清水トンネルの難工事のため1931年(昭和6年)にずれ込んだ上越線全線開通まで、この磐越西線・東北本線ルートが新潟と東京を結ぶ主要幹線の役割をになっていました。

1887年 (明治20年) 7月16日、 日本鉄道(民鉄)奥州線(東北本線)宇都宮〜郡山間開業により、上野ー郡山間が開通しました。

1897年(明治30年)1120日、北越鉄道(民鉄)により新津駅が開業。

1899年(明治32年)715日、岩越鉄道(民鉄)郡山〜会津若松間が開通しました。

開業当時は郡山〜会津若松間を1日3往復の運転で2時間45分を要したという。

1904年(明治37年)120日、会津若松〜喜多方間が開業。

1906年(明治39年)3月31日、岩越鉄道が国有化され国鉄岩越線と改称。

1910年(明治43年)10月、新津〜馬下間開業。同年12月、喜多方〜山都間開業。

1913年(大正2年)61日、馬下〜津川間開業。同年8月、山都〜野沢間開業。

1914年(大正3年)111日、野沢〜津川間が開通し郡山〜新津間が全通しました。

「磐越西線」と改称。1931年9月上越線の全通まで、新潟〜上野間を12時間30分で結ぶ最短ルートでした。

1926年(大正15年)1015日、会津線(現在の只見線)の若松〜坂下間が開業。

1927年(昭和2年)11月1日、会津線(現在の会津鉄道)西若松〜上三寄間が開業。

1928年(昭和3年)1120日、只見線、坂下〜会津柳津間が開業。

1934年(昭和9年)12月27日、会津線、上三寄〜会津田島間が開業。
    
1934年 (昭和9年)11月1日、 会津若松〜柳津間でキハ40000形気動車試験運転

1938年(昭和13年)8月18日、日中線の喜多方〜熱塩間が開業。(〜米沢間は戦争のため中止)

1941年(昭和16年)1028日、只見線、会津柳津〜会津宮下間が開業。

1953年(昭和28年)11月8日、会津線、会津田島〜会津滝ノ原間が開業。(当時は会津滝ノ原線と呼んでいた)

1956年(昭和31年)920日、只見線、会津宮下〜川口間が開業。

1959年(昭和34年)922日、DC準急「あいづ」「あがの」、SL準急「ばんだい」運転開始。

1962年 (昭和37年) 5月12日、磐越西線にDL機関車運転開始。

1963年(昭和38年)820日、只見線、川口―只見間が開業。(当時は会津只見線と呼んでいた)

1964年 (昭和39年) 5月1日、 会津線のDC運転始まる。

1965年(昭和40年)101日、特急「やまばと」が会津若松に乗り入れ開始。

1967年(昭和42年)615日、郡山〜喜多方間電化により郡山〜若松間の無煙化完了。

1968年(昭和43年)101日、上野〜会津若松間で特急「あいづ」運転開始。

1969年(昭和44年)930日、磐越西線(新津〜若松)旅客列車がDL化。

C57180が最後の旅客列車を牽引。

1971年(昭和46年)829日、只見〜大白川間開通により会津若松〜小出間全通。

1972年(昭和47年)101日、磐越西線(新津〜若松)貨物列車がDL化。

51238が「さようならD51」のHMを付けて最後の貨物列車を牽引。

1974年(昭和49年)1031日、会津地区の貨物、旅客列車の無煙化完了。

    同年1110日、C1163後逆C1180が会津若松〜熱塩間でさよなら運転。

1978年 (昭和53年) 1月10日、DE15形、DD14形ラッセル車各1両配備。

1980年 (昭和55年) 11月30日、大川ダム建設のため上三寄〜湯野上間(会津線)新線に変更。

1984年(昭和59年)331日、国鉄再建法に基づき日中線が廃線。

1986年(昭和61年)716日、会津線が第3セクター化「会津鉄道」と改称。

199022日、D51498による「SL磐梯・会津路号」(会津若松〜郡山)の冬季運転開始。

1999429日、C57180による「SLばんえつ物語号」(新津〜会津若松)の定期運転開始。

2001年10月6日、C11325による「SL&DL会津只見号」(会津若松〜只見)が只見線で3日間運転。

2002年10月12日、C11325による「SL会津只見号」(会津若松〜只見)が只見線で3日間運転。

(修正&追加事項がありましたらメールにて教えて下さい)

トップページに戻る