道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 日高・大谷沢  ◆◆◆◆◆◆

狭山市の柏原と上広瀬の境を北西に向かった鎌倉街道上道は、智光山公園の前を通り日高市に入ります。圏央道をくぐりしばらく行くと、国道407号線(日光裏街道)と交差します。そこの交差点信号名は「鎌倉街道」といいます。信号から更に道なりに400メートルほど行くと、道は下り坂になり右へカーブして行きます。下の写真はその辺りのものです。現在この道は鎌倉街道信号の少し先から両側は工場用地となり金属塀が立っていて、まわりは何もわからず、やがて石垣の切り通しの緩い下り坂となります。かってのこの場所は旧街道らしい見事な切り通しがあり、道のまわりは木がうっそうと繁っていたといいます。

日高市大谷沢のかって掘割状遺構があった切り通し

石垣の切り通しを下りると、突然視界は開け、第二小畔川の前に出ます。川の手前、道路右手に写真の「鎌倉街道上道碑」が建っています。平成3年11月に日高市教育委員会によって建てられたもので、碑の隣にには鎌倉街道上道の案内版が立っています。歴史の道の調査(昭和56~58年)をしていた頃は、ここから南は幅3メートルほどの砂利道で、見事な切り通しを形成していたということですが、今はその面影はどこにもありません。唯一この碑が往時を語りかけています。案内版の最後にはこのように書かれています。「より便利になるのは、時代の趨勢でもあるが、この地の故老は、彼らが少年の頃まだ十分古道の名残りを留めていた上道を偲んで、今でもこの道を鎌倉街道と呼んでいる」。

大谷沢の鎌倉街道上道の碑

工場用地の金属塀と石垣の切り通しに視界を遮られていた道路は鎌倉街道上道碑の前から突然解放された広く明るい景色になります。目の前にはのどかな田園風景が開けます。現在は舗装路ですが、舗装以前は田圃の中の畔道だったようです。向こうの丘までの途中、左端に小さな馬頭観音石塔があります。ここの景観は舗装路と電線を除けば、以前とあまり変わっていないようです。

鎌倉街道上道碑前より女影方面を見る

田園の中の舗装路が急に狭くなった所は昔の街道のままなのでしょうか。写真の道の左側のみ切り通しの跡が残っているようです。この先は道は狭いながらも舗装されていて、住宅地の中を通り抜けて行きます。途中に交差する道があり、そこを右に曲がると下小畔川を渡り、JR川越線の武蔵高萩駅西の鎌倉街道踏切に通じていた道だそうですが、今はその道筋も明確ではないようです。直進すると住宅の中ではありますが、切り通しが現れ、下ると霞野神社前にでます。

女影に向かう登りの切り通し道

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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