道・鎌倉街道探索日記

◆◆◆◆◆◆ 小川・輪禅寺  ◆◆◆◆◆◆

輪禅寺

小川町上横田の輪禅寺は鎌倉街道上道からは大きく西に外れ、鎌倉街道とも関連のないお寺ですが、芳賀善次郎氏が『鎌倉街道・探索の旅』で書かれているように、秘めた歴史を今に伝える寺で、ここでも紹介させて頂きます。この寺は県道菅谷寄居線よりも国道254号線の近くにあり、奈良梨の交差点から県道熊谷小川秩父線を小川町駅方面にしばらく行ったところにあります。

小川町上横田の輪禅寺前の道

輪禅寺は武田信玄の弟、武田信実が長篠合戦で戦死しましたが、その子信俊は武蔵のこの地に落ちのびて住んだといいます。寺はその武田氏の館跡だといわれています。寺には町指定文化財の武田信俊筆鷹絵図・二幅があります。武田信十郎信俊が描いたものと伝えられ、これを旧家臣の五藤重郎兵衛と千野弥五右衛門の2人が信俊在世中に拝領し、信俊の十三回忌に菩提を弔うために当時に寄進したといいます。
武田氏は織田信長に滅ぼされてしまったと思っていましたが、密かにこの土地で生き伸びていたのでした。この地の近くの奈良梨は諏訪氏が移り住んだところといわれ、諏訪氏と武田氏の関係から鎌倉街道とは無縁ではないのかも知れません。武田氏は八幡太郎源義家の弟、新羅三郎源義光を祖としている源氏の一族です。

小川町上横田の輪禅寺

武田氏一族の墓

輪禅寺は江戸時代、上横田を治めた武田新十郎信俊が父信実(武田信玄の異母弟)の追福と一族の菩提とするために、慶長13年(1608)にすでにあった安養寺を廃し、新たに建てた寺です。墓地には一族五十二基あまりの墓石があるそうです。その後武田氏はこの地を支配し、江戸時代には旗本5000石を領し、この地の枝状に伸びている谷間を利用して水田用の用水溜を造り善政を敷いたといいます。意外な小川町の武田氏ゆかりの寺、武田氏一族の墓石前に立ち、甲斐の国の山河が目に浮かぶような思いに駆られるのでした。

輪禅寺墓地の武田一族の墓石

 

 

オリジナルを重視するため、鎌倉街道上道(埼玉編)の作成当初の市町村銘そのままにしています。 平成27年の鎌倉街道上道が通る市町村は、以下のとおり変更(合併)されています。

花園町→深谷市  川本町→深谷市  児玉町→本庄市

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