1977年、猪木が一連の異種格闘技戦を行っていた頃、既に世界格闘技連盟(当時の略称はWMA)の構想は生まれていた。佐山サトルは指の動くグローブを考案、目白ジムでキックのトレーニングを行い、全米マーシャルアーツのマーク・コステロと対戦した。
その後、異種格闘技戦の終結とともに忘れ去られたかにみえた世界格闘技連盟構想だったが、元柔道世界王者であった小川直也のプロ格闘家転向を機に、猪木と佐山の師弟関係も復活した。 世界格闘技連盟は「WMA」から「UFO」に様変わりし、格闘芸術を追求すべく、猪木は新たなる道にその第一歩を踏み出したが、UFOもいつしか活動の場を失い、その後、猪木軍と呼ばれた選手たちもやがて猪木の元を離れていった。猪木自身もプロレス界から身を引くそぶりを見せた。
しかし、元気のなくなったプロレス界を元気にできるのはやはり猪木しかいないという声とともに猪木がプロレス界に帰ってきた。新団体IGFを旗揚げし、猪木の新たな旅が始まる。
2022年、猪木が亡くなる前に、猪木元気工場 INOKI GENKI FACTORYの設立を発表。遺志を引き継ぎ、IGFが復活した。
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