UFO&猪木軍関係者プロフィール

 小川直也(UFO)
193cm 115kg
1968年3月31日生 東京都杉並区出身

高校時代から柔道を始め、86年に明治大学に入学。1年生で全日本学生選手権に優勝。87年には世界選手権無差別級で優勝。史上最年少王者となる。89年の世界選手権では、95キロ超級、無差別級の2階級を制覇。90年に明治大学を卒業し、日本中央競馬会(JRA)に入社。92年バルセロナ五輪では95キロ超級で銀メダルを獲得。96年のアトランタ五輪は5位に終わり、引退。後進の指導を務めたが、97年、JRAを退社しプロ格闘家に転向。97年4月12日の橋本真也戦でデビューを飾る。


 初代タイガーマスク(佐山聡)
173cm 95kg
1957年11月27日生 山口県下関市出身

75年、新日本プロレス入門。76年5月28日、後楽園ホールの魁勝司戦でデビュー。78年にメキシコ遠征。メキシコでも現在も伝説のレスラーとして名を残す大活躍。イギリス遠征を経て、81年、タイガーマスクに変身。一大ブームを巻き起こす。83年に電撃引退。84年に旧UWFでスーパータイガーとして復帰。85年に前田日明と不可解なケンカマッチを行い、再び引退。日本プロ・シューティング協会を設立、独自の総合格闘技路線を歩む。95年、猪木のファイナル・カウントダウンに名乗りを上げ、プロレス界に復帰。 97年4月12日の猪木戦からタイガーキングに改名。99年にはUFOを離れ、掣圏道を創設する。


 村上一成(UFO)
186cm 95kg
1973年11月29日生 富山県婦負郡八尾町出身

高校時代から柔道を始め、拓殖大学柔道部時代に先輩である西良典と出会い、95年4月、西が主宰する和術 慧舟会に入門。同年8月に真・格斗術トライアルトーナメント・グローブルール重量級で優勝。96年10月 18日、オクラホマ州タルサで開催された第3回エクストリーム大会に出場し、バート・ベイルに1回戦TK O勝ち。97年3月28日の同第4回大会では、モーリス・スミスの持つエクストリーム・ファイティング・ ヘビー級王座に挑戦し、敗れる。同年10月11日の「PRIDE−1」では第1試合でジョー・ディクソン に完勝した。98年7月、「国際柔術連盟・順道会館」を設立する。99年4月、正式にUFOの所属選手となる。


 藤田和之(猪木事務所)
182cm 115kg
1970年10月16日生 千葉県船橋市出身

高校時代からアマレスに熱中し、日本大学時代には全日本学生選手権4連覇の実績を残す。大学卒業後の93年にアトランタ五輪を目指し「闘魂クラブ」に入団。全日本選手権に2度優勝したが、五輪出場はならず、96年新日本プロレスに入門。その圧倒的なパワーで頭角を現し、将来を期待されたが、00年1月新日本を退団し、総合格闘家に転向。猪木事務所預かりとなり、PRIDEシリーズに参戦。霊長類最強と呼ばれたマーク・ケアーに勝利するなど、活躍し、最後の燃える闘魂伝承者と呼ばれる。


 安田忠夫(猪木事務所)
193cm 138kg
1963年10月9日生 東京都大田区出身

孝乃富士の四股名で大相撲の小結まで昇進する。角界廃業後の93年に新日本プロレスに入団。日本武道館の馳浩戦でプロレスデビュー。将来を期待されたが、ギャンブル癖が治らず、引退状態となる。00年に心機一転し猪木に弟子入り。LAジムで修行を積み「PRIDE13」に参戦し、佐竹雅昭に勝利。PRIDEと並んで再び新日本プロレスでも活躍。01年の猪木祭りではメインに抜擢され、K−1のジェロム・レ・バンナと対戦する。


 藤井克久(UFO)
193cm 138kg
1972年8月15日生 広島県福山市出身

高校時代からアマチュア・レスリングを始め、94年には全日本学生選手権、全日本大学選手権でフリースタイル82キロ級3位の実績を残す。修斗のリングでプロ・デビュー。DEEPやパンクラスにも参戦。パンクラス初代ヘビー王座決定トーナメントでは高橋義生に敗れたが、決勝に進出した。六本木の酒場で用心棒もしている。


名誉会長 モハメッド・アリ
1938年セントルイス生まれ

猪木と世紀の対決を展開したボクシング史上最大のスーパースター。猪木の最大の敵であり、戦友でもある。現在は病に冒され体調を崩し気味だが、北朝鮮の平和イベントにはゲストとして参加。また、アトランタ・オリンピックでは聖火ランナーを務め、世界中から喝采を浴びた。猪木の引退試合にも来場し、旧交を暖めた。UFOの発足にあたり、名誉会長に就任。元プロボクシング世界ヘビー級王者。


スペシャルアドバイザー 藤原敏男
1948年3月3日生 岩手県宮古市出身

1969年、目白ジムに入門。71年に全日本ライト級王座を獲得。77年のタイ遠征で現役王者チャランポン・ソータイに勝利して、翌年、モンサワン・ルークチェンマイにKO勝ちし、外国人として史上初のラジャダムナンスタジアム・ライト級王者となる。通算戦績は141戦126勝(97KO)13敗2分。現在は、 「新格闘術・藤原道場」師範として後進の指導に当たる。


スペシャルアドバイザー ブラッド・レイガンス
1935年12月13日生 アメリカ・ミネソタ州アップルトン出身

13歳のときからアマレスを始め、1972年にワールドカップ・フリースタイル92kg級で優勝。モントリオール五輪ではグレコローマン100kg級4位。79年の世界選手権では3位入賞。同年のモスクワ五輪では金メダル確実といわれながら、アメリカのボイコットにより不出場。AWAの帝王バーン・ガニアにスカウトされてプロ転向。89年3月には、ケン・パテラとのタッグでAWA世界タッグ王座を獲得。現在はミネアポリスにレイガンス道場を開き、スコット・ノートンらのレスラーを育成。ドン・フライらのマネージャー も務める。