法政大学社会学部メディア社会学科 津田研究室




理論社会学

『イデオロギーとユートピア』 『ウェーバーの思想における政治と社会学』 『ギデンズの社会理論』
『支配の社会学』 『社会学の新しい方法基準(第2版)』 『社会学的想像力』
『社会認識と想像力』 『社会理論と社会構造』 『性格と社会構造』
『日常世界の構成』 『文化的再生産の社会学』

ヴェーバー・マックス、世良晃志郎訳(1960,1962)『支配の社会学 T、U』 創文社
 『経済と社会』の第2部、第9章、第1節から第7節の翻訳です。膨大な歴史的知識を背景に書かれている著作なので、それが欠けている僕には(特に家父長制や封建制について)結構つらいものもありましたが、やはり近代国家や官僚制の問題を考えるためには避けては通れない著作だと思います。伝統的支配、カリスマ的支配、合法的支配と政治学や社会学の教科書でおなじみの概念も登場し、やはり教科書では得られない知識が得られるように思います。全体としてみれば、(少なくとも僕にとっては)ものすごく刺激的というわけではありませんでしたが、随所に卓見が見られ、気づけばかなりの箇所に線を引いていました。やっぱり古典というものは、読まれるべくして残ってきているものだと痛感させられますね。(2003年3月)。

ガース・ハンス、ミルズ・ライト、古城利明ほか訳(1953=1970)『性格と社会構造』 青木書店
 個々人の性格と社会構造とがいかなる関連にあるのかを心理学や社会心理学などの知見を用いながら説明している本です。こう書くと分かるように、内容的には地味な本であり、最新の社会学理論とはとても言えない内容であると言わざるをえません。けれども、それだけに基本的な知識がぎっちり詰まっており、読んでとても勉強になる本だと思います。また、『パワー・エリート』とか『ホワイト・カラー』といったセンセーショナルな著作でミルズは有名なわけですが、そうした著作の背後には実はしっかりした理論的土台があったということが分かるでしょう。ちなみに、2段組で解説まで含めると500ページ以上ある本です。読み応え十分、といったところでしょうか(青木書店の現代社会学体系のシリーズはこんな本ばっかり)。 (1999年)

ギデンズ・アンソニー、岩野弘一・岩野春一訳(1972=1988)『ウェーバーの思想における政治と社会学』未来社
 マックス・ヴェーバーの膨大な業績を、ヴェーバーの生きた時代の政治的・社会的情勢と照らし合わせながら簡潔にまとめた好著です。ギデンズの初期の著作にあたるわけですが、その後の彼の活躍の背景には、このような社会学の基本的な文献の地道な読解があったのだということを改めて認識させられます。また、内容的にも、例えば「相異なる倫理体系間の永遠の闘争は、合理的な知識の増大によっては決して解決され得ない」(p.61)といったウェーバーの発想は、賛同するにせよしないにせよ、今でも色褪せていないと言えるのではないでしょうか。(2004年1月)

ギデンズ・アンソニー、松尾精文ほか訳(1993=2000)『社会学の新しい方法基準(第2版)』而立書房
 社会学の諸潮流を統合し、今後において進むべき方向性を指し示すことを目的とした野心的な著作です。より具体的には、個人の行為に注目するミクロ社会学と構造に重点を置くマクロ社会学とに分裂してきた社会学を「構造化理論」によって架橋する試みと言うことができるでしょう。従って、社会学の入門書としてよりは、ギデンズの「構造化理論」の基本を学ぶことができる一冊として位置づけられる本だと思います。あまりエキサイティングではないかもしれませんが、学ぶことの多い一冊ではないでしょうか。(2004年1月)

厚東洋輔(1991)『社会認識と想像力』 ハーベスト社
 「我々はいかに社会を認識するのか」というのは現象学的社会学の根本となる問いなのですが、本書では「想像力」をキーワードとして近代における社会認識の特性が論じられています。僕としては、近代市民社会における社会認識を論じた第7章が面白く、たとえば近代における都市の都市の位置づけが以下のように論じられています(p.127)。

「無限に沢山ある目新しい現象のなかで、認識するに値するかどうか判断の基準を提供したものこそ<都市>にほからない。その現象が<都市>に存在していたかどうかがポイントとなる。これまでの<都市>に見られなかった現象こそが真に新しい。人々の認識活動の対象となるのは、こうした本質的に新しい事態である。同時代の「新しさ」は<都市>からのズレ、あるいは<都市>との断絶性によって定義された」

それ以外でとりわけ興味深かったのは、「物語」という観点から社会認識を論じた第IV部です。日常生活での物語的な社会認識の重要性が指摘されているほか、社会学や歴史学などの学問による社会認識と物語との関連が分析されています。
 全体として見れば、正直、華々しい著作だとは言い難いようにも思うのですが、地道かつ着実な研究の成果という印象を受けますし、新しい発見がいくつもありました。その意味でなかなか勉強になる一冊だと言えるでしょう。(2006年6月)


バーガー・ピーター、トーマス・ルックマン、山口節郎訳(1966=1977)『日常世界の構成』新曜社
 現象学的社会学の名著で、1960年代におけるアメリカ社会学の成果の一つと言ってよい本です。難解な表現ができるだけ避けられていて、現象学になじみのない人にもとっつきやすい本なのではないでしょうか(それでもちょっと難しいところはあるのですが)。<現実>がどのように間主観的に構成されてゆくのか、一度構成された<現実>がどのように正当化され客観的に維持されてゆくのか、ということがよく分かります。また、人間はいかにして人間になってゆくのか、つまり、どのようにして社会の決まりを身につけてゆくのか、なんていうこともなかなか面白く読むことが出来ました。(1998年)

マートン・ロバート、森東悟ほか訳(1957=1961)『社会理論と社会構造』 みすず書房
 マートンの論文集といえば、他にも『社会理論と機能分析』が青木書店から出ているわけですが、マスコミに興味があるのであれば、この『社会理論と社会構造』を読んだほうがいいでしょう(もちろん、両方読むに越したことはないわけですが…)。この本では、本当に地味な機能主義の議論が展開されているわけですが、それだけに勉強になるところも多い本だということができるでしょう。特に、「予言の自己成就」の章はとても刺激的で、一読の価値アリです。また、マス・コミュニケーション効果研究の限定効果モデルで重視される準拠集団に関しても詳細な議論が展開されています。とはいえ、570ページの二段組と、かなり分厚い本なので、相当な気合を入れて読む必要があるでしょう。ちなみに、この本は僕がインターネットの古書販売を通じて購入した最初の本でもあったりします。(2000年7月)

マンハイム・カール、鈴木二郎訳(1929=1968) 『イデオロギーとユートピア』未来社

 知識社会学を語るならば、忘れてはならないのがマンハイムであり、彼の代表的な著作と言えるのがこの『イデオロギーとユートピア』です。とはいえ、ものすごく面白いかと聞かれると、正直、「うーん」となってしまいます。もちろん、僕に教養が足りないために十分に理解できていないことはあるのだと思いますが…。しかし、イデオロギーに関する記述はなかなか興味深く、しばしば批判される「自由に浮動する」インテリゲンチャ(要するに、自分の階級的帰属に束縛されずに、知識人は広い視野をもつことができる、ということ)も、その是非はともかく、面白く読めました。さらに、シニシズムが蔓延する現代社会において、「ユートピアの様々な形態を放棄するにつれて、歴史を作ろうとする意思を失い、それとともに歴史を洞察する力をなくしてしまう」(p.282)というマンハイムの警句は、重要な意味を持ちうるのではないか、と思います。(2002年4月)

宮島喬(1994)『文化的再生産の社会学』 藤原書店
 現代のフランスを代表する社会学者、P・ブルデューの文化的再生産の議論を解説している。『再生産』や『ディスタンクシオン』といったブルデュー自身の著書は非常に難解なので、ブルデューの理論を理解したい人にはうってつけの入門書と言えるでしょう。また、単にブルデューの理論の解説に終わらず、ブルデューの理論の日本社会に適応出来るか否かを、筆者自身の観点から解説しているところにも好感が持てます。 (1997年)

宮本孝二(1998)『ギデンズの社会理論』 八千代出版
 本書は、現代を代表する社会学者の1人であるアンソニー・ギデンズの著作を体系的にまとめたものです。もっとも、単なる著作紹介ではなく、パワー概念がギデンズの構造化理論の中心を成すという著者自身の観点からの整理を行っており、ギデンズの理論の問題点をも浮かび上がらせている点に好感が持てる著作です。日本でもさまざまな著作や論文でギデンズは引用されていますが、これほどまでに緻密な読解を行っているものは少ないと言えるのではないでしょうか。(2004年2月)

ミルズ・ライト、鈴木広訳(1959=1965)『社会学的想像力』 紀伊國屋書店
 疎外の進行する現代社会にあって、人々は自己の生活になんとなく不安を覚えながらも、その不安の原因が何であるのかが理解出来ない。ミルズは、この状態を「社会学的想像力」によって突破し、日常生活とより大きな社会構造とを結び付ける思考を可能にしなければならないと論じる一方、現在の(ミルズの時代の)社会学は決してその要請に答えうるものではないと批判します。そこで、当時主流であった、パーソンズ流の社会学や経験主義的な社会学に対し、真っ向から批判の矢を浴びせ掛けています。特に、パーソンズに対しては、パーソンズの難解な文章を分かりやすく書き直してみたりと、かなりスゴイことをやっています。僕個人としては、付録の知的職人論を読んで、ミルズの学問に対する姿勢の厳しさを痛感するとともに、反省させられることしきりでした。 (1999年)