トキと近辻宏帰さん

(平成21年 6月 27日更新)

「OB近況」頁へ。

朱鷺戸籍
[トキのミチコに戸籍]

佐渡を飛び出し、新潟・山形・宮城・福島などを飛び歩いていた、昨年9月に 放鳥されたトキのうちの1羽が、富山県の黒部市に落ち着いたところで、 黒部市が住民票を交付しました。同時に佐渡市も「ミチコ」名の戸籍をつくり ました。
「ミチコ」という名は、近辻宏帰夫人の道子さんからつけられたもので、 もともとは#04と番号で呼ばれていたメスです。 このトキが順化センターにいたころ、組織に属さず、自分勝手な行動が目立つ という特徴を環境省の職員から近さんが聞き、「うちの道子みたいだ」 と言ったことから、愛称として呼ばれるようになったそうです。

近辻遺影
[近辻宏帰さん逝去]
2009年5月5日未明、近辻宏帰さんが佐渡総合病院で亡くなりました。
近辻さんは1965(昭和40)年に早稲田大学を卒業、1967年春に高野伸二さん のご紹介で、トキの保護を担当するため佐渡に渡り、以来40年以上を佐渡 の地でトキの保護に尽力されました。
その間、中国から贈られたトキから1999年優優が誕生。2003(平成15)年 退職後の10月に トキ・キンが死んだことにより日本産トキは絶滅。 キンは近辻さんが佐渡に渡った年に生まれ、36年の生涯を近辻さんと共に した鳥でした。
その後、生まれた子孫達が100羽以上に増えたことから、2008(平成20)年 9月に10羽のトキの放鳥が行なわれ、佐渡の空に再びトキが舞う姿が見られ るようになりました。
一方、近辻さんは2007年8月に食道ガンが見つかり2ヶ月あまり入院。
ご本人も病気のことはよく分かっていましたが、入院中も体調がいいと野外 に出て鳥の観察を続けられ、ケアシノスリやベニヒワ、ユキホオジロなどの 観察記録を生物同好会の鳥仲間に度々送って下さいました。
皆はこのメールが来ると、近さん元気なんだ・・とホッとしたものですが、 ご本人は自分の体調と相談し、したいことを出来ていたので毎日感謝して 生活されていたそうです。
2008年9月25日には トキの放鳥が新穂で行なわれ、秋篠宮殿下のトキ放鳥の補佐役を勤め、殿下 からねぎらいの言葉を掛けられ、その後の記者会見でもお元気に対応されて いました。
今年になってからは 1月にご夫婦で上京され、同好会OBの新年探鳥会(行徳)に参加、 翌日は以前から見たいと言っていたミヤコドリを観察に船橋へ、 更に鎌倉での羽箒の会と園部邸訪問と、一連の行事をこなして佐渡に戻られ たのが、我々の仲間との最後の別れとなりました。
実は、トキ放鳥の際に仲間達で贈ったお祝い金を利用して、亡くなった翌々日 の5月7日に佐渡を出発し、道子夫人と2人で北海道旅行を行なう計画でした。
最初に訪問するのはタニシ・井上両先輩がガイドのボランティア活動中の 天売島、そして後半に根室の高田勝君の風露荘に行く計画で、天売島は高野が、 根室以降は園部君が同行する予定でした。
直前まで北海道行きを楽しみにしておられ、本州に渡ってしまったトキ雌1羽 が宮城や山形を飛び回っているのを、「なにしろあいつはミチコ(愛称)だか ら、何処行くか判りゃしない」と面白そうに電話で話していたのが、私にとっ て近さんとの最後の会話でした。
今頃はトキのキンや、敬愛する故高野伸二さん、故薮内正幸さんたちと再会 して、再び佐渡の空に舞ったトキの話題で盛り上がっているかもしれません。
ご冥福をお祈りします。  (2009年5月:高野凱夫)
近辻さん葬儀の様子
生物同好会のみなさまへ 近辻さんの訃報に接し皆さんも悲しく切ない思いをされていることと存じます。 道子さんと連絡をとり、心配だったので、通夜、告別式に参列してまいりました。
佐渡では荼毘にふしたあと、通夜、告別式当日に35日49日法要となるそうで、 当初の予定の新幹線をキャンセルし、夜行バス、フェリーと乗り継いで佐渡に渡 りました。
近さんのお顔は穏やかで少し若くみえたほどで、ちょっとほっとしました。 納棺やお棺を運ぶお手伝いなどを、皆様の代わりに務めて参りました。
同好会関係の出席が通夜にはおられなかったので、僭越ながら、告別式も含め、 道子さんのご指名により弔辞も読ませていただきました。
佐渡はじまっていらいではないかと言われるほど、立派なお葬式で、佐渡市長 自ら通夜・告別式も弔辞を読まれていました。
秋篠宮さま、環境大臣はじめ弔電も200通を越し、花に埋もれた近さんの写真 はとてもよい顔でほほえんでいました。
同好会からは盛花が6篭でていました。 告別式にはお3方おみえでした。
田無のお兄様と、道子さんのお兄様が、お二人で葬儀をきりもりされていました。 道子さんは泣かれることもありましたが、最後までがんばっておられました。
皆様にメーリングリストでお知らせをするべきところですか、明日からの芦屋市 谷崎潤一郎記念館原画展関連イベントで空路、大阪入りしたため、上野さん真柳さ んお二人のアドレスしか手元になく、お知らせする手立てがありません。 お二人から、同好会の皆様にお知らせいただければありがたいです。
携帯からなので、読みにくいかと思いますがご容赦ください。
  5月8日夜 谷口高司(S44卒)
告別式行ってきました
ぬけるような青空で、波が静かな今日の佐渡。盛大な告別式が行われました。
8時のジェットホイルで1時間。タクシーで15分。タクシー乗り場で、喪服を着て いるので分かったのか、「近辻さんの?」といわれてご一緒した方がなんと捕獲時 の県庁の担当官でした。同乗の間、当時のことを詳しく語ってくださいました。 またタクシーの運転手が近辻さんがマスコミの方を連れてよく利用したという運転 手さんで、思い出を語ってくれました。
ホールに着く間際、「ここが近辻さんのお宅です」などと教えてくれたり。

大場宏一さん、渡辺(上野)尚代さん、谷口高司さんとお目にかかりました。 谷口さんの弔辞は、彼の誠実な語りかけが一層近辻さんのお人柄をよくあらわして くれました。暖かく、素敵なものでした。
どのように人と関わってきたか、エピソードから浮かび上がってくるものでした。

そして道子さんの喪主ご挨拶は、豊かな人生を二人で歩んできたのだなと思わせる ものでした。道子さんが近辻さんと過ごした日々を満足した幸せな日々であったと 語る言葉に、「こんな風に、夫を語ってくれる妻を持って、近辻さんはなんて幸せ な方だろう」と思いました。
悲しみの中にも、満ち足りたものを感じられる、上質なスープを味わうような告別 の辞でした。
「本当だったら今ごろ天売島に旅していたはずなのに、北海道よりもっと遠いとこ ろに行ってしまった」と語る道子さんでした。
  5月8日 柳(田口)義子(S42卒)

[近辻夫妻上京に伴う行事 2009.1/17〜20]
新年探鳥会に合わせて上京した近辻夫妻は、同好会関係者との探鳥や 会合を重ね、21日に佐渡に戻りました。

1月17日(土)
行徳での新年探鳥会。「OB探鳥2009」の頁参照。
1月18日(日)
午前は三番瀬で145羽?ものミヤコドリや、ミユビシギ、ハジロコチドリ、 ハマシギの群れなどを観察。参加者は近辻夫妻と孫の優帰君、谷口 ・真柳・園部の各氏と新浜3人娘の楡里・鈴木さんら。
右写真はミヤコドリ観察中の近辻夫妻と優帰君。
下は堤防上に並ぶミヤコドリの群れとハマシギの群飛。(高野撮影)
午後は、谷津干潟に移動。

1月20日(火)

鎌倉駅前の日本料理屋で、近辻夫妻と羽箒研究家の下坂(玉起)さんを囲み、 高野と母、妹、そして元野鳥の会の副支部長の杉本(怜一)氏とで、昼食を とりながら、主に羽箒の話しで盛り上がりました。
これは昨年、朱鷺放鳥の祝賀会の席で下坂さんから羽箒の話を聞き、高野 の母が羽箒を持っていたのを思い出したことから実現したもの。
高野母の羽箒は戦前に入手したもので、高田勝君の判定でオジロワシの2〜3歳 の若鳥の尾羽と分かり、そのほか下坂さん持参のトキやタンチョウの羽箒も見せ ていただきました。
この会合のあと、近辻夫妻と高野は、迎えに来た園部氏の車で彼の西鎌倉の家に 案内されました。
園部氏の鳥関係のたくさんの本を見せていただき、同行した児童文学者の国松 (俊英)先生も交え、鳥の絵や書籍の話に時のたつのを忘れました。

「ブリタニカ」のコラム頁
百科事典で知られるブリタニカの、ネット頁(国際年鑑)のコラムに、 トキに関する近辻さんの寄稿文(英文)が載っています。
この頁が今回の放鳥にあわせて改訂され、放鳥時の写真も数点載り ました。
下記の頁から[The Japanese Crested Ibis Flies Back from Extinction] というタイトルをクリックすると表示されます。写真を含めた本文は、 頁のずっと下のほうにあります。  「ブリタニカ」のコラム頁('08.11.17掲載)へ。

囲む会0 [近辻さんを囲む会]
 2008.11/8-9 
トキ放鳥関係の仕事が一段落した11月8日(土),永野忠さん,吉井正孝さんの発案で、 佐渡市小木宿根木「花の木旅館」で近辻さんの長年の労苦をねぎらい、放鳥を祝う 「近辻さんご夫妻を囲む会」が行われた。
参加者はS40,41年卒を中心にした13名(近辻夫妻をのぞく)。
前列左より;岸田功,吉田恒美,永野俊,永野忠,近辻宏帰,水越雄二,近辻道子
後列;遠藤建治,佐久間俊昭,タキ アルフォンセ(コートジボワール留学生),吉井正孝,渡辺尚代,山田ひとみ,井口一正,川島武
名前は失念したが永野さん提供の貴重な フランス産貴腐ワインで乾杯,佐渡の銘酒「金鶴」を片手に夜遅くまで青春の思 い出に浸る。
翌日は早朝から探鳥。ねぐらからとび出す瞬間や,田んぼで餌を探すトキを観察 したりと,全員がトキを無事目撃。
昼食後,近辻さんご夫妻との別れを惜しみつ つ12時40分発のおおさど丸で離島した。(岸田功:写真も)

[2008.11/1〜2 佐渡] 真柳
1泊2日の佐渡行き。 佐渡でのトキへの関心は非常に高く、「トキを見に」の一言から、 見ず知らずの人とでも話が盛り上がり、トキがうちに来てくれたと 手放しで喜ぶ奥さんなど、トキが島民の皆さんに愛されていること が良くわかりました。
集まった情報に乗り、近辻さんに案内していただいたおかげで #6(殿下),#9(Qちゃん),#11(愛称失念),#15(蜜柑ちゃん)を見る ことが出来ました。

視点・論点「トキ・27年目の飛しょう」

視点・論点「トキ・27年目の飛しょう」[出]近辻宏帰・・が、 2008年10月8日夜に、NHK教育テレビで放映されました。 いささか緊張した顔でのお話でしたが、トキの放鳥 にいたるまでの経緯を要領よくまとめたお話でした。
視点
放鳥見学 また、ほんの僅かな時間でしたが、放鳥の際の見学者の画像がながれ、そこには 山田さん(左から2番目)と大場さん(手前)の姿が映っていました。
この画像は放鳥当日の昼のニュース で流れたものの一部で、写真はそのときの画像です(下坂玉起さん提供)。

「トキ放鳥」

近辻宏帰さんの長年の夢が現実となり、2008年9月25日に佐渡市新穂で、 秋篠宮殿下ご夫妻らの手で、10羽のトキが野外に放たれました。
写真の左端で殿下のサポートをしているのが近辻さん(高野撮影)。
放鳥
殿下と近辻氏 交流会館
放鳥式後の25日夜、新穂の割烹居酒屋「なっちゃん」で、近辻夫妻を 囲んで、小高・石川・井上・山田・大場・高野・金田のOB仲間7名と、 天売島の寺沢孝毅さん、下坂玉起(ののたんぽぽ)さんとで、祝賀会を 開きました。この席でOB仲間77人から預かったお祝い金が近さんに 渡されました。
鳥の写真は、トキの放鳥の頁へ。また放鳥後のトキの様子はトキ放鳥情報の頁で分かります。
放鳥

[トキ関連の頁へのリンク]
「日本最後のトキ」の写真頁へ。 「たにし:佐渡arcive編」の頁へ。

「OB近況」の頁へ。