乙川(おとかわ)優三郎作品のページ No.2



11.さざなみ情話

12.露の玉垣

13.闇の華たち

14.逍遥の季節

15.麗しき花実

16.脊梁山脈

17.トワイライト・シャッフル

18.太陽は気を失う


【作家歴】、霧の橋、喜知次、屋烏、五年の梅、かずら野、生きる、冬の標、武家用心集、芥火、むこうだんばら亭

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11.

●「さざなみ情話」● 


さざなみ情話画像

2006年06月
朝日新聞社刊

(1500円+税)

2007年10月
朝日文庫化

2009年10月
新潮文庫化

   

2006/08/13

 

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女は、松戸の食売旅籠で女中の傍ら客に身体を売っているちせ。一方の男は高瀬舟で荷を運ぶ船頭の修次。船頭といっても舟は中古でまだ借金が残り、母妹の面倒をみて決して楽ではない。
いつしか気持ちが通い合い将来を約束したが、ちせは8年半の年季奉公明けまで4年を待たなくてはならないし、修次はちせを身請けするために金を貯めなくてはならない。
年季明けに希望を持ちながらも、行きずりの男たちに身を任せる毎日の中で流されそうになる気持ちを維持していくのは困難なことであるし、一方の修次にしても余裕のない中身請け金を用意することは気持ちのうえで相当な負担になっている。
将来に希望を抱くといっても、2人はいつまで今の気持ちを変わることなく持ち続けていくことができるのか、そんなストーリィです。
私の好きな藤沢周平「橋ものがたりの中の一篇、「思い違い」に登場する男女2人のその後を読むような気がします。

ストーリィは2人が今の状況を堪え、気持ちを維持していくため懸命に支えあっている様子に終始しますので、正直言って読み手の方でもその鬱屈を共有せざるを得ません。
そのため、読み応えより耐え難さを感じてしまうところがあります。本作品の評価が低くなった理由は、そのことと私個人として乙川作品に少し飽きが来た所為かもしれません。
最後、ちせと修次の思いを弄ぶかのように金のある商人からの身請け話がちせの上に降って来ます。
ハッピーエンドか悲劇で終わるのか、どちらにもなりうるストーリィ。乙川さんが選んだ結末は私の意表を突くものでした。

なお、脇ストーリィとなりますが、幼い頃に身体についた火傷痕のため嫁入りを諦めている修次の妹・やす、彼女の人生への対峙のしようが興味深い。そのまま別のストーリィとしても十分成り立ちうるて手応えを感じます。

  

12.

●「露の玉垣」● ★★


露の玉垣画像

2007年06月
新潮社刊
(1500円+税)

2010年07月
新潮文庫化

   

2007/07/05

 

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徳川治世下の外様大名で、唯一国替えを免れた越後の新発田藩。 
免れたとは言っても、米の他に特産物はなく、広大な土地と水に恵まれながら潟や湿地が多いために度々水害に見舞われ、藩士も農民も常に貧困に喘ぎ続けてきた藩。 
本書は、そんな藩を支えてきた、名も無い家臣たちの姿を描いた短篇集です。

本書の基になっているのは、家老役を勤めた溝口半兵衛長裕が1786年に書き始めた「世臣譜」。それは家臣の人間像にまで言及し、計19巻10冊にも及ぶ書物だったそうです。その世臣譜に名づけられた外題が「露の玉垣」だったとのこと。
したがって、各篇に登場するどの藩士も皆実在の人物ですが、その殆どは国史に名を留めないような人物たちだったと言う。そんな彼らの物語だからこそ、継いだ家と家族を地道に守り、そして実直に藩を支え続けた姿に、しみじみとした感動を覚えます。
現代のように自由に引越しもできない、職業も変えられない。残された道はひたすら耐えることだけ。耐え続けて長い人生を生き抜いていくことはどんなに辛いことだったか。
そうした祖先の辛苦のうえに我々の今の生活があると思うと、殊更に味わい深い。

本書の中でも印象に残ったのは、次の3篇。 
代官になった今も自ら百姓仕事に汗を流す遠藤吉衛門が、昔仕えた家の嫁ながら、今は離縁されて病の身であるという於橘の見舞いに赴く「きのう玉垣」。 
藩の為に尽くし、隠居した日々を磊落に過ごす元中老を描く「異人の家」
そしてそれ以上に哀しさを感じるのが「宿敵」。部屋住みから漸く養子入りした先でも実家以上の窮迫に耐えたものの、ついに乱心した藩士の話。その事件の当事者となった実弟と夫の弟の両方を思う姉の胸中もあまりに切ない。とくに秀逸な一篇です。

乙路/新しい命/きのう玉蔭/晩秋/静かな川/異人の家/宿敵/遠い松原

  

13.

●「闇の華たち」● ★★


闇の華たち画像

2009年04月
文芸春秋刊
(1400円+税)

2011年12月
文春文庫化

 

2009/05/16

 

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江戸時代、封建社会という中でしがらみに囚われ、武士は自由な生き方ができませんでした。
しかし、武家の女性にとってはそれ以上。親たちが決めたままに嫁ぎ、嫁ぎ先では先方の都合のままに生きるほかなかったのですから。

本短篇集、いつもながらに味わい深い作品ばかりですが、特にそうした女性たちの姿が印象的です。
自分の思うに任せない領域で起きた事柄で不幸になり、自らの手でそこから脱することもできない、という武家の女性たち。
それでも耐え忍んだ後に、ようやく再び明るい兆しを手に入れた彼女たちの姿に愛おしさを感じて止みません。
その象徴ともいえるのが、「花映る」「悪名」の2篇。
本書中ではこの2篇が私は一番好きです。

「花映る」は、ふとした斬り合いの結果横死した親友の仇を討つことになった隼之助の、苦さ残る胸の内を描いた篇。そんな隼之助と、夫の急死の呆然としたまま虚ろな表情を浮かべる新妻=つきの胸中が対照的に描かれていて、秀逸な篇。
「悪名」は、子ができないことを理由に離縁され料理屋で女中奉公する多野と、立身出世したものの不行跡を理由に合力に落とされ悪名高くなっているかつての幼馴染=小坂重四郎の2人を描いた篇。
どうにもならない鬱積を抱え込んだような2人の行く末に、明るい陽は差すことがあるのか、深い味わいと共に一筋縄ではいかない読み応えが魅力的な一篇。

「冬の華」に登場する橘という女性も印象的。ストーリィに全く共通するところはありませんが、どこか冬の標明世に通じる女性像を感じて得難い一篇です。

花映る/男の縁/悪名/笹の雪/面影/冬の華

   

14.

●「逍遥の季節」● ★☆


逍遥の季節画像

2009年09月
新潮社刊

(1400円+税)

2012年03月
新潮文庫化

 

2009/09/29

 

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芸能や技術に拠って生きていこうとしつつも、男との宿縁あるいは恋情から自由ではいられない女たち。そんな女たちの姿を描き、凛とした気品を漂わせて味わい深い短篇集。

かつて直木賞を受賞した北原亞以子「恋忘れ草。様々な職業に持つ江戸の女たちを描いて時代版キャリアウーマン小説といった観ある短篇集でしたが、本書と通じるところがあります。
ただし、本短篇集では、妾という形で男の庇護を受けざるを得ない、あるいはどこかで男の手を拒めずにいるという、頼る家族を持たずに生きる女性の哀しさが色濃く映し出されているところが印象深い。
そうした部分があってこそ、現実に生きていくことの厳しさと、それでもなお自分らしさを通していきたいという彼女たちの切実な願いが息づくように感じられるところに、乙川さんならではの風情、味わいがあります。
テーマがはっきりしている分、乙川作品にしてはさらりと軽く読める、スケッチ風な短篇集です。

そう感じていたのは、実は最後の2篇を読むまで。
手を携え、気合を入れて世の中に立ち向かっていこうとする観ある髪結いの師匠と弟子という2人の女性を描いて小気味良いのが「細小群竹」。先に希望を切り開いていくかのようで清々しい。
また、幼い頃からの親友同士、男との関係など超越しさらに切磋琢磨して各々生け花、手踊りの世界で才を発揮していこうとする女性2人を描いた「逍遥の季節」。2人の女性の覚悟の程を示しめしているようで真に圧巻。
この秀逸な2篇を最後に持ってきた、構成の良さが光ります。

竹夫人/秋野/三冬三春/夏草雨/秋草風/細小群竹/逍遥の季節

   

15.

●「麗しき花実」● ★★


麗しき花実画像

2010年03月
朝日新聞社刊

(1800円+税)

2013年05月
朝日文庫化

 

2010/04/02

 

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松江で蒔絵師の一家に育った主人公、理野
父親の跡を継ぐ長兄と別の道を辿るべく、江戸で蒔絵師の修行を志す次兄に付いて、理野も江戸に上ります。
ところが、江戸で有名な蒔絵師である原羊遊斎の工房で働くことを許されたのも束の間、次兄は急死。
一人遺された理野は、請うてそのまま次兄の代わりに原工房で働く道を選びます。
羊遊斎や酒井抱一など、実在の名人を登場させながら、江戸で職人の道を志す若い女性を主人公に、江戸の芸術家あるいは職人の世界を描いた時代物長篇小説。

丹念に絵画、蒔絵という職人の姿、その世界を描いていく乙川さんの姿勢がとても印象的。
私が好きな乙川作品に冬の標がありますが、画家を目指す女性が主人公という点で本作品に共通するところはあるものの、同作品の主題は、女性の生きるべき道、という点にありました。
それに比し、本作品は純粋に職人、芸術の世界が主題。
芸術作品を生み出す職人現場を描き、そこからさらにその仕事に携わる人間自身を描いていくという、深みある展開。
生計を立てるための職人芸なのか、それとも報酬など求めず芸術の創作にかけるのか。また、仕事をとるのか、それとも女性の幸せを求めるのか。それらは現代でも難しい選択でしょう。ましてや江戸時代であってみれば。
本ストーリィの視点は、職人の技、あるいは芸術の創作にあります。
しかし、本書の主人公は女性。自立した職業婦人など考えられなかった時代ですから、理野には、蒔絵師の道を歩もうとする強い気持ちがある一方、他に生きる道のない女の哀しさを噛み締めているところがあります。
その2面性が、本作品に緊張感のあるバランス感覚を与えているように感じます。

主人公である理野自身の視線もそうなのですが、本作品自体に、冷静かつ分析的な視線が常に保たれているように感じられます。それが本ストーリィを引き締めていて、快い。
ちょうど、寒さ厳しい冬の朝、冷え切った大気にむしろ凛々しい気持ち良さを感じるに似ています。
江戸時代の美術工芸の世界を、そこで生きようと志す一人の女性の姿を通じて描いた、時代小説の佳作。

            

16.

「脊梁山脈」 ★★☆         大佛次郎賞


脊梁山脈画像

2013年04月
新潮社刊

(1700円+税)

2016年01月
新潮文庫化

  

2013/05/13

  

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乙川さんには珍しい、というより初の現代小説。とはいっても今現在ではなく、戦後すぐの時代。
主人公の
矢田部信幸24歳が敗戦により上海から復員してきたところから、本ストーリィは始まります。
その矢田部が東京へ向かう列車の中で具合が悪くなった時、親切に世話してくれたのがやはり復員兵の
小椋康造。その小椋は、故郷に戻って山の中に籠りたいという意思を矢田部に伝えていた。

戦後の混乱と復員兵というスタートから、戦後社会を背景に主人公が再び人生を取り戻していく過程を描く小説かと思いきや、本作品はまるで違った様相を見せ始めます。
まず矢田部が、世話になった小椋に再会したいと彼を探して信州の山を巡りますが、会うこと叶わず。その代わりに矢田部が知ったのは、
木地師と呼ばれる人々のこと(※木地師とは、轆轤を用いて日常使う木工品を製造する職人を言うとのこと)。
そこから木地師に興味を惹かれた矢田部は、日本の古代史にまで遡って木地師の由来を調べていきます。
上記過程の中で矢田部は、女手のみでスタンドバーを営む
佳江という曰くありげな女性、そして木地師の娘=小倉多希子という女性と知り合い、彼女らと長く関わっていくことになります。

様々な顔を見せる長篇小説。戦争の傷を心に背負った人々の姿だけでなく、木地師という職人たちの由来を調べて日本の古代史へと遡っていく部分は、趣向は違えど山の民を描いた「吉原御免状」隆慶一郎作品を思い起こさせますし、佳江や多希子と関わる部分では川端康成「雪国」「伊豆の踊子」の面影を感じさせられます。
その中でも特に興味深いのは、天武・持統天皇時代、さらに天皇の起源にまで遡る部分。そこはもはや驚きという他ありません。
古代と現代、まるで異なる物語がひとつの小説の中に混在しているように感じられるかもしれませんが、木地師が辿った歴史も、佳江や多希子が辿ろうとする道も、人が生きる道を求めて流離うという点では共通するところがあるように感じます。

本書が特異な作品であることは間違いなく、それ故に戸惑う方もいれば、その抱える複層的な物語構造に興味尽きない方もいると思います。
興味惹かれた方には是非読んで欲しいとお薦めしたい一冊です。

月の夜/塞の神/蘇芳赤花/漂鳥/山路の菊/変身

    

17.

「トワイライト・シャッフル Twilight Shuffle And Other Stories... ★★☆


トワイライト・シャッフル画像

2014年06月
新潮社刊

(1400円+税)

2017年01月
新潮文庫化

  

2014/07/12

  

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ずっと時代小説を書いてきた乙川さんの、脊梁山脈に続く現代小説。
初めての現代もの短篇集であり、乙川さんの意識としては習作という位置づけとのことですが、それにしては驚くほど水準の高い短篇集に仕上がっています。

舞台は房総(千葉県)、海辺の街。主人公はずっとそこに住んでいた人もいれば、他の土地から移り住んできた人もいます。
いずれの主人公においてもここを最後の土地とする風なのですが(但し最終篇を除く)、でもそう思い定めていいのか、自分の人生をもうそこで止めてしまっていいのか、逡巡する気持ちが窺えます。
今までの人生、そしてこの土地での人生。収録された13篇はどれも短い篇ですが、その中に彼らの人生の来し方が凝縮されています。
これまでの人生と、これからの人生の間にある一地点に立ち、これからの自分の居場所を見定めようとするストーリィ。
だからこそ13篇の人生から受ける味わいはとても豊かです。まさに珠玉の短篇集。

※作品それ自体の評価を別にして、夫が出奔し取り残された主婦が週末の夜酒を片手に読書にふける
「ビア・ジン・コーク」チェーホフアリステア・マクラウドヘミングウェイという名前を目にするのは望外の喜び。また、「私のために生まれた街」ではジュンパ・ラヒリの本が登場します。見知らぬ地で懐かしい人の名前を耳にしたような嬉しさがありました。

イン・ザ・ムーンライト/サヤンテラス/ウォーカーズ/オ・グランジ・アモール/フォトグラフ/ミラー/トワイライト・シャッフル/ムーンライター/サンダルズ・アンド・ビーズ/ビア・ジン・コーク/366日目/私のために生まれた街/月を取ってきてなんて言わない

            

18.
「太陽は気を失う The Sun Also Falls Into A Faint. ★☆


太陽は気を失う

2015年07月
文芸春秋刊
(1500円+税)

 


2015/07/30

 


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定年退職、老齢、そうした人生の最終局面に差しかかり、残る人生を前にした時、人は何を思うのでしょうか。
本書は、そうした状況に至った人たちの姿を描いた短篇集。

人生の最終局面に至った時、ふと気づくと、自分の目の前には何も残っていなかった。その時人は、それまで歩んできた人生に後悔を覚えるのでしょうか。でも結局は、それしかなかったと思うの筈ではないか。
そしてそれより喫緊の問題は、これからの人生をどう送ればいいのか、ということ。悔恨、困惑、不安、等々。
人生の黄昏に至った時、予想もしなかった課題が目の前にぶらさがっていた。現代だからこそクローズアップされてきた問題であろうと思います。

定年退職して多くの時間を費やしてきた仕事を失う。子供はといえばもう独立している。夫婦で何か楽しもうと思っても、既に興味はかけ離れている・・・・。あるいは未だ独り身かもしれず、金銭的にも老後の生活に不安がある・・・・。
収録短篇は全部で14篇。本書の中には様々な人たちの姿、様々な人生が描かれています。
概ね感じたことは、男性より女性の方がその点では強く、単なる主婦よりは仕事を持っている女性の方が強い。何故ならば、することが今もあるから。
人生の黄昏を感じさせる短篇集だけに、うら寂しいものを感じてしまうのはやむを得ないことでしょう。

※さて私自身はどうかと言うと、読書の楽しみがなくならない限り、そうしたことにはならないよなァと思っています。


太陽は気を失う/海にたどりつけない川/がらくたを整理して/坂道はおしまい/考えるのもつらいことだけど/日曜に戻るから/悲しみがたくさん/髪の中の宝石/誰にも分らない理由で/まだ夜は長い/ろくに味わいもしないで/さいげつ/単なる人生の素人/夕暮れから

     

乙川優三郎作品のページNo.1

 


 

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