乙川(おとかわ)優三郎作品のページ No.1


1953年東京都生、本名:島田豊。千葉県立国府台高校卒業後、国内外のホテルに勤務。96年「藪燕」にてオール読物新人賞、97年「霧の橋」にて第7回時代小説大賞、2001年「五年の梅」にて第14回山本周五郎賞、2002年「生きる」にて直木賞、04年「武家用心集」にて第10回中山義秀文学賞、13年「脊梁山脈」にて第40回大佛次郎賞を受賞。


1.霧の橋

2.喜知次

3.屋烏

4.五年の梅

5.かずら野

6.生きる

7.冬の標

8.武家用心集

9.芥火(文庫改題:夜の小紋)

10.むこうだんばら亭


さざなみ情話、露の玉垣、闇の華たち、逍遥の季節、麗しき花実、脊梁山脈、トワイライト・シャッフル、太陽は気を失う

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1.

●「霧の橋」● ★★   時代小説大賞



1997年03月
講談社刊
(1500円+税)

2000年03月
講談社文庫化

1998/05/15

「藤沢周平を想起させる」と評価された、時代小説大賞受賞作。
プロローグの重たさが当初気になったものの、読み終えてみれば非常に気持ちの良い読後感が得られました。まさに受賞にふさわしい作品。
侍をやめて商人になったものの気持ちの切り替えがなかなかできない、という主人公の自戒は、充分納得がいくものでした。その前提に立って武士物語と商人物語の二股をかけたという観のある分、両方のバランスを保つのが難しいと思えますが、巧みにうまく纏め上げたという感じです。この点、大いに評価されるべきところだと思います。

読み始めはかなり藤沢作品を意識させられましたが、読了の頃にはまるで気にならなくなっていました。
それより、帯の宣伝文句が気になります。誇大宣伝ぎみで、読者に不適当な先入観を与えかねません(例:私 ^^;)。これから読む場合、宣伝文句は無視したほうが良いでしょう。

 

2.

●「喜知次」● 


 
1998年02月
講談社刊

2001年03月
講談社文庫化

1998/05/02

時代小説大賞を受賞した後の第一作。
仲の良い武家の少年3人の辿る運命と、養女として主人公の妹となった花哉との愛にまつわるストーリィ。

情趣ある作品という雰囲気であるけれど、表面的なものに過ぎず、あまり評価する気にはなれません。
ストーリィとしては藤沢周平蝉しぐれ」「風の果てを合わせたような作品ですが、主人公の行動にとくに強い印象もない。また、花哉については主人公の主観として語られることが多く、主人公のみがいつまでもこだわっている感じで未練がましさを感じます。それと、エピローグで語られる事実には、騙されたような思いを禁じ得ません。
読後に納得感、充実感が残らないばかりか、かえってすっきりしない感じが残った作品。

    

3.

●「屋 烏(おくう)」● ★☆




1999年02月
講談社刊

2002年02月
講談社文庫化

 

2003/01/21

いずれも静かな印象の短篇5作を収録。
藤沢周平作品に似て、藤沢作品にはない柔らかさを感じます。その辺りが、乙川作品の特徴でしょう。
主人公の人生におけるヒトコマを描くことにより、その背景にある人生すべてを映し出そうとするかのような短篇ばかり、という印象です。
その味わいはなかなか捨て難いものがあります。

「禿松」は、昔別れた許婚との関わりを描いた作品。
表題作である「屋烏」は、両親亡き後その家と弟を守って婚期に遅れてしまった姉娘が、初めて恋慕を覚えたストーリィ。本書中では最も気持ちの良い作品です。
その一方、最も重たいものを感じたのは、最後の「穴惑い」。仇討ちの旅に出てから34年、長い年月を経て漸く宿願を果たして帰藩した武士の、帰参後のゴタゴタを描くストーリィ。武士だからこその悲惨な宿命とも言える仇討の、最終的な姿を描いた作品として、心に強く残ります。また、広がりのあるストーリィであるという点も印象的。

禿松/屋烏/竹の春/病葉/穴惑い

  

4.

●「五年の梅」● ★★☆     山本周五郎賞




2000年08月
新潮社刊
(1500円+税)

2003年10月
新潮文庫化

 

2000/09/15

秀逸な時代小説・短篇集です。
過ぎた過去を振り返ると、悔いの残ることばかり。でもそれは、自分だけが悪かったということではなく、周囲の状況により仕方ないことでもあった。しかし、これから辿る人生はどうしたものか。これまで通り成り行きに任せるだけのことか、それとも、新たな気持ちでこれからの人生に踏み出すべきものか。すべては、結局、主人公それぞれの心次第にあります。本書は、そうした共通のストーリィをもった5短篇を収録した一冊です。

何より良いのは、5短篇の収録順序。
冒頭2篇をまあまあという気持ちで読み過ぎた後「小田原鰹」で深い感慨にとらわれました。短篇とは思えない、長編作品のような充実感、深みをもった1篇。乙川さん独自の境地が感じられます。老境に入りかけた年齢で縁切れとなった夫婦のその後を、2人、2通りに見事に描ききったところに、なかなか他では見られない味わいがあります。
「蟹」は気持ちの良い作品ですが、割とありがちなストーリィ。
そして最後の「五年の梅」に至ると、若気の至りから別離することとなった男女2人の、その後の5年の辛苦、再会後の運命に、深い感動を覚えます。この作品も短篇でありながら、長篇小説なみの内容を含んでいます。

この5篇を順序どおりに読み進むのは、まるでオードブルから始まる見事なフルコースの料理を味わうかの感動があります。時代小説ファンには見逃してもらいたくない一冊です。

後瀬の花/行く道/小田原鰹/蟹/五年の梅

   

5.

●「かずら野」● ★★




2001年08月
幻冬舎刊
(1500円+税)

2004年04月
幻冬舎文庫化

2006年10月
新潮文庫化

 

2001/09/15

作者の乙川さんが、今後の時代小説を担う作家の一人であることに間違いはありません。しかし、その作風は、これまでの時代小説(池波、藤沢も含む)と、一線を画すような違いのあることが感じられます。それはどんな点か。
登場人物の心情を深く、深く掘り下げていく、そんなところに、他の時代小説にはない乙川作品の特徴があるように思うのです。表面的には単純に見えても、その背後には深い心情が隠されている、そしてそれは時に連れて変わり、ますますその襞を深めていく、というように。さしづめ、フランス心理小説の流れを時代小説に持ち込んだ、という気がするのです。
本書はまさしくその傾向が典型的に現れた作品。作品としては、前作五年の梅の方が味わいありますし、気持ちよさも本書より優っていますが、乙川さんの特徴をはっきり印した作品として、強く印象付けられます。

本書の主人公は、松代・真田家に仕える足軽の次女・菊子。実家の貧窮故に、菊子は糸師を営む富商・山科屋の元へ一生奉公に出されます。しかし、思いがけない行き掛かりから、菊子は山科屋の息子・富治と共に、故郷、家族を捨て、流転の人生を歩むことになります。
富治とかりそめの夫婦となった菊子は、重い過去を背負った富治と共に、その運命の定めを共に担うかのように転落の人生を辿っていきます。菊子自身には、幾度もそれを抜け出す機会はあったものの、彼女は富治を見捨ててしまうことができないでいる。
非情な運命にしたがって生きる菊子を描いた圧迫感のあるストーリィ。幸せの少ない作品ですが、手応えは充分です。

    

6.

●「生きる」● ★★       直木賞




2002年01月
文芸春秋刊
(1286円+税)

2005年01月
文春文庫化

 
2002/08/10

生きる、というのは、時によって死ぬよりずっと辛く、悲しいことがある。本書3篇の内、最初の2篇はそんな趣旨を語った作品です。
表題作の「生きる」は、恩義ある主君に殉死することを止められた武士の苦渋であり、「安穏河原」は自分の武士としての本分を貫くことにより妻・娘を貧苦に落としてしまった武士の悔いが描かれます。
武士でなかったらもっと素直に生きることもできたのでしょう。あるいは、武士らしく切腹してしまえば、そんな苦しみを舐めることもなかった。切腹というのは、武士にとってはもっとも楽な逃げ道だったとも言える訳です。
それは武士ならずとも、現代でも言えること。乙川さんの本作品にかける思いは、決して時代小説にとどまるものではない筈、と思います。

最後の「早梅記」は、藤沢周平「風の果てを連想させる作品。人生晩年に至った主人公の回想に、懐かしさと僅かな悔恨が滲み出ています。

生きる/安穏河原/早梅記

  

7.

●「冬の標」● ★★★




2002年12月
中央公論新社
(1600円+税)

2005年12月
文春文庫化

 
2003/01/11

 
amazon.co.jp

久々に快心の時代小説を読んだ、と高揚する気分です。
静かでいて、毅然とし、清冽。そして気品漂う、という印象。のめり込むように、かつ愛おしく読み通した一冊です。
本作品の直前に読んだ重松清トワイライト
が、子供の頃の希望を失った中年男女を描いて、読者に問い掛けるストーリィだったため、あたかも本作品はそれへの回答のように感じられました。

主人公は小藩の武家に生まれた娘、明世。13歳の頃から画塾に通い、一時絵の道に志を抱いたものの、親の決めた結婚を拒むことは到底許されない。嫁ぎ、子を成したものの、夫は若死にしたうえ舅も没し、婚家は零落。姑と息子を抱え、窮境に置かれます。そんな18年間を過ごしても明世の絵に対する情熱は少しも失われることなく、明世は画への道を今度こそ自らの手でつかみとろうとします。
絵への志を貫こうとする明世の凛とした姿勢、師である葦秋、画塾の友であった修理平吉と心の通い合う様子は、胸熱くさせられるものがあります。そして絵の観賞を語る部分にも、惹きつけて止まない魅力があります。
幕末に時代設定されていますが、この時代に留まらず、現代にも通じるストーリィ。その点、藤沢周平さんが自らの作品について語ったことと同じことが本作品について言えます。その点で、藤沢周平「蝉しぐれに匹敵する名品と感じられます。
是非お薦めしたい一冊。

   

8.

●「武家用心集」● ★★☆     中山義秀文学賞




2003年08月
集英社刊
(1500円+税)

2006年01月
集英社文庫化

 
2003/
10/18

「処世術」を意味するような題名ですが、人が生きていく上での智慧、覚悟といったものを、さりげなく語った短篇集。

各篇いずれも、現代に通じる、あるいは現代において少しも変わるところないストーリィ、という印象です。
物静かでありながら、それでいて人が生きる営みの奥深さを伝えてくれる、そんな味わい深さが本書にはあります。
乙川作品の中でも、とくに熟達した筆を感じる一冊。

もうひとつ特徴として感じることは、藤沢周平作品とよく似たストーリィがあること。
これは決して、藤沢作品の真似という意味ではありません。合い通じるものを描いてきた結果として、同じような味わい、同じようなストーリィに至ったということでしょう。ファンとしては、嬉しい発見です。
ちなみに、合い通じるものを感じた藤沢作品は、次のとおり。
「九月の瓜」・・長篇風の果て
「邯鄲」・・・・短篇「隠し剣鬼ノ爪」「隠し剣孤影抄」

田蔵田半右衛門/しずれの音/九月の瓜/邯鄲/うつしみ/向椿山/磯波/梅雨のなごり

    

9.

●「芥 火」● ★☆
 (文庫改題:夜の小紋)




2004年09月
講談社刊

(1500円+税)

2007年09月
講談社文庫化

 
2004/11/24

人生の区切りを迎え、次に新たな人生を自分の手でつかもうとする人々の姿を描いた短篇集。
5篇いずれのストーリィも、隅田川沿いに繰り広げられるところが舞台設定としての共通項になっています。

乙川作品の特徴は、その凛々しさにあります。その所為か武家を描いた作品が主体という印象があります。武家以外の主人公を描いた長篇作品もありますが、それはかなりドラマチックな内容。その点で市井もの短篇集である本書は乙川作品としては珍しいと言えますが、凛々しさのある趣は変わることありません。
時代小説ではありますけど、ひとつの人生を終えた後に再度新たな人生を模索するというテーマは、むしろ現代にこそあてはまるものでしょう。私は本書を、現代的なストーリィとして読みました。
5篇の中ではまず「夜の小紋」、次いで「柴の家」が印象に残ります。両篇とも、乙川作品の中で私が一番好きな冬の標に通じる作品です。「虚舟」も味わいある作品です。いいなぁ。

芥火/夜の小紋/虚舟/柴の家/妖花

     

10.

●「むこうだんばら亭」● ★★☆




2005年03月
新潮社刊
(1500円+税)

2007年10月
新潮文庫化

  

2005/04/28

 

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その先のない突端の地、とっぱずれ(銚子の東端)の飯沼村にある小さな居酒屋、いなさ屋
その亭主である孝助と、孝助に身請けされたたか女の2人を狂言回しに、何処にも行きようもなくこの地で生きる他ない女たちの姿を描いた連作短篇集。

だんばら波の逆巻く突端の地という舞台設定が、本書に欠かせない重要な要素になっています。賑やかな銚子の中心ではなく、外れにある土地。
そこに生きる女にしろ、他からこの土地にやってきた女にしろ、もう他に行く場所がないという境遇を背負っています。そもそも孝助自身、そうした身の上の人物です。
そうした希望のない境遇にあっても、そう簡単に生を捨てることはできません。たとえ身をひさぐにしろ、自分のできる限りを尽くして生きていく他ない。
そんな寂寥感のうえに立って幾つものストーリィが展開されますが、単なる哀切感を超えて人々のしたたかさ、しぶとさを感じさせられる短篇集です。
その点に、これまでの市井もの作品から一皮向けた味わいが感じられます。愛おしいとは思えないまでも、玄人好みの、ちょっと忘れ難い陰影のある作品集と言って良いでしょう。

その意味で象徴的なのは、14歳で家族の糧を稼がなければならない娘すがを描いた「散り花」
本書8篇中、私としては「男波女波」「古い風」が好みです。
そして最後の「果ての海」は、嬉しさを覚える終焉。
時代小説の中でもいぶし銀のような味わいのある短篇集です。

行き暮れて/散り花/希望/男波女波/旅の陽射し/古い風/磯笛/果ての海

  

乙川優三郎作品のページNo.2

  


 

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