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ウギウギで行こうロゴ

「ウギウギで行こう」は、不定期発行のささやかな通信誌です。その中からいくつか掲載します(一部改変してあります)。タイトルをクリックするとジャンプします。「もどるアイコン」をクリックすると、このページのトップにもどります。
No.27(2004年12月)おたより ぽろりとひとこと  ウギ裏通り 手抜きで行こう  No.26(2004年7月)ぽろりとひとこと ウギ裏通り No.25(2004年3月)ぽろりとひとこと ウギ裏通り No.24(2003年10月)ぽろりとひとこと ウギ裏通り No.23(2003年5月)ぽろりとひとこと ウギ裏通り No.22(2002年11月)ぽろりとひとこと ウギ裏通り No.21(2002年7月)ぽろりとひとこと ウギ裏通り No.19(2001年3月)おたより ぽろりとひとこと ウギ裏通り No.18(2000年9月)ぽろりとひとこと ウギ裏通り  No.17(2000年5月)おたより ぽろりとひとこと  ウギ裏通り 

お た よ り か ら                       


No.17より

Hさんからいただいた、お便りの一部を紹介します。

〜前略〜
心配、問題点はありますが、なんとかこの分なら高校生活も熟せそうです。
問題はその後です。進路の受け入れ先がどこも定員いっぱいで、今年も自宅待機者がいるほどです。
〜中略〜
近年、よく言われることは「地元へ」。私はA市なのでそんなこと言われても本当に困ります。なぜなら、授産所はありますが指導員が少なく、経済的に、重度の子は無理と言われているからです。「手を結ぶ親の会」に入ってがんばって活動し、協力もしていますが、だから「OK」とはいかないのです。それでも「地元へ」と言われると本当に悩みます。
今、私たちは本当に何をしたらいいのでしょうか?役所の人たちは「今は経済的に無理、新しい施設をつくる予定はない」と言います。では「私設をつくる」と言っても難しいです。これは高校生の私たちだけの問題ではありません。小学生の小さいときから頭の中に入れ、役所の人に「行くところがない」ことを訴えながら、同じ障害程度の人たちと行動しなければならないと思います。
この問題は障害者にとって大きな大きな問題です。
今、Bが16才になって自分なりにがんばってきたつもりですが、いっぱい後悔しています。Bが3才から4才くらいの時からお世話になってきましたが「こんなことを家でしてみたら?」「こういう事したほうがいいよ」といろいろアドバイスしていただきましたよね。でも、生活が忙しいたらとか何とか理由を言ってはさぼってしまいました。今は、もっとしていたらどんなに変わっていただろうと思います。そして先生の指導していただいていることもとっても実になっていると今、実感しています。すぐには結果が出ないけれど、本当に何か変わるときが来ます。
毎週「面倒だな・・・」なんて思ってしまうときもあったけれど、がんばって通ってよかったと思ってます。
もう一つ私が今思っていることは、病院、床屋、歯医者等々、小さいときから一つ行きつけの場所を決めておいたらよかった・・・と思っていることです。大きくなってから新しいところへ行くことは、本人も私も大変なことです。今では、歯医者さんも個人のところでも理解していて下さるところも多くなっていて、小さい子どもさんなら今から決めて同じところへ通うことを進めます。
私はもう、ことばの教室を卒業してしまって先生とはお会いするチャンスもなかなかありません。(淋しいです・・・)が、何か通われる皆さんの力になりたいと思っています。あんまり「がんばるお母さん」ではありませんでしたが、中、高等部のこととか質問がありましたら連絡下さい。
〜後略〜

仕事でお会いする関係は「点」でしかなく、私自身の視野が狭くなってしまいがちです。
Hさんをはじめ、長くお付き合いをさせていただいた方たちのおかげで、思春期と、さらにその先に続く成人期まで見通した取り組みについて考え、学ばせてもらいました。
以前からこういった視点があれば、Hさんとも、また違った関わりを持つこともできたなあとも思います。

家族の関係はずっとつながっています。その積み重ね中から出てくることばや意見には重みがあり、
いろいろなことに気づかせてくれるのではないでしょうか。

家族がリラックスして、愉快に生活できることが家庭生活の基本です。愉快に生活できなくなるような、負担の大きい「家でこうした方がいいですよ」というアドバイスは、そのアドバイスが間違っているのです。
ウギへ来ることも、家で取り組むことも、親子で楽しみにしてもらえることが理想なのですけれど、力足らずです。
そんなわけで、私に関する部分はちょっと恥ずかしいのですが。

Hさん、お便りありがとうございました。

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No.19より

I さんよりいただいたお便りの一部を紹介させていただきます。

〜前略〜
  A達は、自分から友達や知人を増やすことができません。今まで出逢った人達をいつまでも、身近に感じるよう大切にしていきたいと思います。伊藤先生ともあまりお会いする機会がありませんが、Aの中にいつもいるようハガキを出したり先生の手紙を待っています。
  Aは10/11〜10/24までB町にあるコックス(佐川急便内)で現場実習をしています。一日中(9:00〜17:00)段ボールの底のテープをカッターで切って片づけをしています。就労はなかなか難しいです。
  今、私は作業所を立ち上げる準備をしています。そこでC君とまた出会いました。障害者の親は大変です。でもやりがいもあります。・・・・・・でもやっぱり大変です。
〜中略〜
  これからもたくさんの親の支えとなって下さい。

元気な足音、陽気なおしゃべり。
A君やお母さんとの記憶に私の方が支えられている気がします。
夏の旅行先からの絵はがき、年賀状・・・、それらのお便りにこんな思いが込められていたと気づきませんでした。
こんな情けない私ですので、「支え」にはほど遠いのですが、悩み、大変さ、喜びなど、少しでも共に感じられるよう頑張ります!


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No.27より

Hさんより、夏休みにメールを頂きました。今は施設で作業などがんばっている息子さん(イケメンのお兄さんですよ〜)を育ててきたお母さんです。とても励まされる内容なので、紹介させていただきます。

‥‥前略‥‥
最近のSは暮れに歯の治療を全身麻酔でしてから○○会の歯医者さんに毎週通っています。あれだけ歯医者さんが怖くて暴れて大変だったのに今では診察台に乗り,歯石を取り除く事もできるようになりました。
先生もとても理解のある先生で無理な事はしません。歯科衛生士?の方も遊びを取り入れながら気長に接していただいて怖くない。と、Sもわかったのでしょうね・・・・・5とか10数えるくらいはがんばって口をあけることができるようになりました。
口の中に器具が入る事もがんばれます。終わるとみんなで誉めてもらえるのでSも一緒になって手をたたいています。
診療所ではかなりの人がSの存在を知っていて声をかけてくれます。
でも、今まで毎週通っていたのにがんばってくれたおかげでこれからは、一月に一度になってしまいました。ちょっぴり残念です。
知能は10歳で伸びないとか何かの本で見た事がありますけど、Sは進化し続けています。
やることも随分変わりました。もちろん、何も変わらない所もありますが・・・・・・・
先々の不安は抱えつつも今は安定した生活を送っています。
今、ウギに通っている子!まだまだ、進化しますよ!諦めないで、前に進んで下さい。
人と人との出会いやつながりはとても大事です。お母さんも色々な所に行きましょう。こんな、ずぼらで、がんばらない私でさえ、本当に色々な人に助けていただきました。
あまり、がんばると息切れしますし、心が煮詰まります。明るく、ちょつとだけ頑張って、時々息抜きしましょう!
まだまだ、暑いし、夏休みも長いです。私も何度も、疲れて気持ちが煮詰まって苦しんだ覚えがあります。だから、気負わないで、頑張りすぎないでください。
‥‥後略‥‥

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「ぽ ろ り」と ひ と こ と   河 井 孝 仁              


No.17より

 唐突ですが、今回は「NPO」について書いてみます。
 NPOって、結構、「ことばと発達の部屋ウギ」とか「ウギ」を利用されている方にも関係あるような気がしますので。
 ほんとは、NPOをどう造って、子どもたちのしあわせにどう結びつけようか という話を書きたいなと思ったのですが、「だいたい、NPOってなんだかいやあ」という方もいられると思うんで、今回は、助走のつもりで書いてみようと思います。

 このコラムを読まれている皆さんは「NPO」ってご存じでしょうか。最近、新聞の見出しにもなっているので、多くの方が「ああ、あれね」って感じで頷かれたり、ひょっとすると、「私、NPOに参加してます」って人もいるんじゃないでしょうか。

 ご存じの人は少し目をつぶっていただけると、しばらく休憩できますので、そうしてください。「ちょっとわからんなあ」って人は少し目を開けてみてください。だんだん眠くなる、眠くなるということはないはずですが・・・

 NPOは Nonprofit Organization=非営利組織の略語です。わかったような、わからないような言葉ですね。眠くなりましたか? 最近、山岡さんという方(とても元気なおじさんです。あ、山岡さんごめんなさい)が、別の言い方を見つけました。New Public Organization "新しい公共組織" 。これはなかなかいいんじゃないか、と私は思ってます。

 今まで、公共っていうと、役所でした。公(おおやけ)は役所だと思っていませんでしたか。「公」という文字には「ひらく」という意味もあります。今の時代、「公」を役所に独り占めにさせておいては、どうしようもありません。

 役所は、おそらく皆さんが思っているより、動き出せば相当に行動力のある組織です。しかし、致命的な弱点があります。それは「公平」です。市民の方から預かった税金で動く以上、皆さんに納得してもらい、公平に使う必要があります。

 しかし、そのためには、何が公平か調査しなくてはなりません。「おい、困っている人が目の前にいるぞ。」と言われても、ひょっとすると、そこの物陰にもっと困っている人がいるかもしれません。調査しなくては・・・。

 これ、やっていると、ひどい話になるときがあります。大丈夫なときももちろんあるんですが。
 こういったとき"新しい公共組織"の出番です。「おい、困っている人、いるやないか」「わかった、ちょっと肩貸してやろ」ができる組織です。
 興味、湧きましたか?
 今度、NPOというアルファベットがでてきたら、「お、肩貸すの好きな人やな。しがらみ考えんと、目の前の課題にすぐに取り組もうというんやな。他人事やないな。自分に何できるかな」と思ってみると、面白いかもしれません。
 あの、もうNPO知っている人、話、終わりましたんで、起きていいです。おはようさん。いい天気ですね。
 では。

 怒られるといかんので言っときますが、NPOって、そんなものやない、という人もたくさんいます。上に書いたのは、私が、こんなふうに考えても面白いかな、と思って書いたものですから。そう、むくれんように。
 では、では。
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No.18より

 前回、NPOについて書いたところ、ごく一部から「おもしろかった」との声をいただきましたので、調子に乗って第2回を書いてみます。第3回が書けるかどうかは次回『ウギウギでいこう』が、私が耄碌(もうろく)する前に発行されるか否かにかかっています。さて、どちらが早いか。
 とにもかくにも、今回はNPOとボランティアについて書きます。
 前回(遠い昔ですのでお忘れかとは思いますが)NPOは「新しい公共の担い手」だと書きました。
 「公共」とはなかなか難しい言葉ですが、「さまざまな意見によって形づくられる、自分の利益だけを目指すのではない「ありよう」」ということもできるような気がします。「みんなを大事に」ってことと言えるかもしれません。
 じゃ、ボランティアと同じなのか。ボランティアも上に書いた「みんなを大事に」のの担い手でしょう。そう、ボランティアとNPOの間に1本のきっちりとした線を引くことはできないように思います。(できるという人もいますので、例によって私は「答え」を述べているわけではありません)
 ボランティアとNPOの間に1本の線があるのではなく、ボランティアとNPOを乗せる1本の線がある。そんなふうに考えられないでしょうか。
 連続した線のうえの一方の端に、ボランティア性のきわめて強い動きがあり、中ほどにはボランティアともNPOとも呼べるような、あるいはいずれとも呼びにくいようなありさまがあり、それがもう一方の端にいくとNPOとしか言えないような活動・組織がある。そういう線を考えてもいいと思います。
 で、一方の端にいるボランティアともう一方の端にあるNPOは違うものなのか。
 違うものです。…何が? それは「責任」ということばで表されるものだと考えます。
 もちろん、単純に「ボランティアは無責任だ」と言いたいわけではありません。責任を持ってボランティア活動をされている方を何人も知っています。ここで書きたいのは「責任」の「射程の長さ」とでも言う話です。
 ボランティアは自発性です。その自発性にとどまっているかぎり、ボランティアはボランティアであり続けるでしょう。
 NPOも自発性をその源とします。しかし自発性のすぐ横に「責任」ということばが伴走してきたときに、ボランティアはNPOへの動きをはじめるように思います。
 何に対する責任でしょうか。一つは、その活動に関わる人々(こうした人々を「ステークホルダー」と呼んだりします)への責任です。
 障害を持っているために今の社会では生きにくくされている人たちのために、自宅を開放し生活援助をしている熱心なボランティアの方がいたとします。自発性により「みんなが大事にされること」を支える活動です。
 そのボランティアの方が、ふと、「もし、自分が病気で動けなくなってしまったら、彼らはどうするだろう。」と考えたとしたら。
 そのとき「責任」という思いが生まれるように考えます。
 このことは、もう一つの「責任」に通じます。志(こころざし)・使命(また、片仮名を使えば「ミッション」ということになります)への責任です。
 NPOには志(ミッション)が必要です。「『みんなが大事にされること』のために何かをしたい」という強い思いです。その思いを表現したものです。表現された以上、その思いは、実現されること、実現がめざし続けられることが求められます。
 志(ミッション)に対する責任です。
 だからこそNPO(nonprofit organization=非営利『組織』)をつくるのだと思います。個では持ちきれない(射程の長い)責任を、組織という形で担う。それがNPOだと言えるかもしれません。
 先ほどの例で言えば、グループホームを運営するNPOは、そのように生まれることもあるように思います。
 今回はNPOとボランティアについて書きました。
 NPOをつくってみたくなりましたか? つくるのはさほど難しくありません。(法律に基づく「認証」を受けるのはさほど簡単でもありませんが)。さあ、ちょっと勉強してみますか?

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No.19より

 今回も、引き続きNPOについて書きたいと思います。
 NPOが新しい公共の担い手であり、ボランティアとは似ているようで違っているということまでは書きました。
 具体的な例を考えてみましょう。
 何人かの親たちが集まって、障害のある子どもたちのために、規模の小さな作業所を作りたいなと思ったとします。
 何が必要でしょうか?
 そう、まず「お金」、「お金」があれば何とかなるわけですが(もちろん、ここでは理念とか使命感とか言ったものは勘定に入っていません)、その「お金」で何を買うのか。
 ぷかぷか浮いている作業所は珍しくて見学者が増えるかもしれませんが、働く人たちが梯子を持って通勤しなくてはなりません。だから、土地がいります(これは購入しても、借りてもいいんでしょうが)
 土地の上に建物が必要ですね。雨が降ると困ります。せっかく作った製品が濡れてしまいますから。
 その他、たくさん、たくさん。
製品を作るための材料が欲しいですね。材料を売ってくれる会社を探さなくてはいけません。
 もっと、たくさん、たくさん
 作った製品を売りましょう。買ってくれる人も。
 このくらいにしておきます。
 で、問題です。
 土地を買うとします。誰の名義で買いますか?。お金は仲間が持ち寄ったり、寄付を募ったりしてなんとかかんとか手に入っているとします。誰の名義で買いましょう。
名義は「みんな」…、これでは登記できませんね。「みんな」と彫った印鑑作ってもダメです。おそらく。
 で、仕方がないから、誰か代表になって名義人になってもらいますか?
 ちょっと心配ですね。代表の人のお腹がちょっと黒ずんでいたりすると!!!!。それに永遠の命を持った人には会ったことがありません。そう、相続。仲間の誰も知らない人が作業所の土地の名義人になってしまうとしたら。
 共有という方法がありますね。仲間それぞれが何分の一かずつ持ち分を持つ。なんかよさそうです。でも同じことが起きます。持ち分を売ってしまう人がいたら?
 持ち分を相続する人がいたら…。
 NPOは法人です。正確には「特定非営利活動法人」といいます。気がつきました?
契約するとき、法人名義が使えます。
 もちろん、実際に契約を結ぶのは人間ですから、その、お方が腹にいちもつ、手に荷物ですと、売却されてしまうことがあるかもしれません。でもでも、民法という法律には、いくつか、そうした契約を取り消せる場合が定められています。もともと個人名義であるときより法的保護が利きやすいと思ってもらっていいでしょう。
 そして、さらに有利な点。法人は死にません。相続によるゴタゴタからは自由ですね。
 先に書いた建物も仕入先も顧客との関係も「契約」が基本です。つまり、おんなじようなことが問題になるということですね。
 NPO設立を選ぶのには、こんな理由もあるわけです。
 では、今回はここまで。
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No.21より

 この「ぽろりと一言」では、このところNPOについて書いています。しかしながら「ウギウギで行こう」の発行が間遠になってしまい、書いている本人も何を書いていたか忘れてしまう"ていたらく"であります。
 と、いうことで、前回からの続きというより、NPOについての思いつきを並べてみることにしました。
 で、関係ないような、あるような話からはじめるのですが。
 実は、わたくし、先日「憩室炎」という病気を患いました。これは大腸の一部が炎症を起こして痛むわけです。憩室とは大腸のどこかにできる、まあ、余分な「袋」みたいなもんなんでしょうが、ここが痛む。ところがこの「袋」が右の下腹にできてました。(連れ合いは「ポテトチップ」の食べ過ぎが原因だと主張してますが)
 普通、右の下腹が痛む、というと、素人は「盲腸」かと思いますね。正しくは虫垂炎で盲腸は別の場所らしいですが。とにかく素人は「虫垂炎」かと思うわけです。素人ですから単純なものです。
 で、お医者さまに行きました。本人は「虫垂炎」を疑っているわけです。右の下腹ですから。お医者さまは玄人ですから、右の下腹が痛む=虫垂炎なんて簡単には考えません。エコーをとります。超音波診断ですね。で、おっしゃいます。

 「典型的な虫垂炎ですね。即日手術です。」

 ま、間違いはあるわけです。似たような場所ですし。手術しました。腹をスススッと開いたところが憩室炎だったと。それだけのことです。細かいことですが憩室炎ですと手術はしなくてよかったみたいですが。
 お医者さまの名誉もありますので、付け加えますと、この判断は相当難しいようです。それに虫垂もとってしまえば、これからは虫垂炎にはなりませんし。正解です。
 これが、なぜNPOの話なのかと言いますと、手術日は実は、私が企画委員を務めている名古屋のNPOの総会兼「NPOと企業の第1回パートナーシップ大賞」最終選考及び表彰式の日でした。1年以上に渉って準備していたんですね。ここのところの私の最も大きなイベントです。まあ、手術は正解でしたから。
 本題を書くスペースが無くなりましたが、NPOと企業は実は相当うまくやれるという話です。ただ企業から寄付を受けるというだけでない、様々な展開があります。
ということで、この話は次回に。次の「ウギウギで行こう」の発行がいつになるか不明ですが…。
 … これで終わろうと思ったんですが、隣にいる「ウギウギで行こう」編集発行人が、本題を書けと迫りますので、すこし続けます。
 最近、NPOが自分たちの目標のために「行政」に働きかけたり、行政からの事業委託を受けたりということが増えています。
 しかし、もう一つ忘れてならないのが「企業」です。企業というと利益追求だからNPOとは違うと思う人もいるかもしれません。でも、今、目配りのしっかりした企業は地域社会への貢献という発想を持っています。長い目で企業が成長するには、地域や様々な人々から「信頼」されることが大事です。もちろん本業で信頼を失墜するようでは箸にも棒にも牛肉にもかかりませんが、本業を十分に行ったうえで、地域に貢献するという面でも社会の信頼を得ることが必要になってきています。
 NPOは、福祉や環境や街づくりやその他様々な社会的な目標を、しかも非営利で行うということから「信頼」を築きやすい存在です。(評価は厳しく必要ですが)
 NPOは企業が求めている「信頼」を供給できる存在になれる可能性があります。
 企業が、そのNPOと協働することで社会からの「信頼」(ことばを変えれば「評判」)を得られるようなNPOであれば、積極的なアプローチが可能です。
 人間関係のネットワークを広げ、企業人にも「私たちはこんなことをしています」と伝えることは大事です。その時「だから、寄付をください」だけではなく、「だから、一緒に何かやりましょう」と声をかけることもしてみたいですね。
 例えばアパレルの会社であれば「活動の時のユニフォームになるTシャツを提供してください。そのTシャツにはNPOのロゴと一緒に、御社の製品であることをプリントしましょう。御社の社員でボランティアをしてみたいという方は同じユニフォームで活動しましょう。社員の方の志気もあがるのではないでしょうか。」というような声かけもできるかもしれません。
 もっともっと色んなことができます。
 例えば、先に書いた第1回パートナーシップ大賞を受賞した企業は札幌の運送会社さんです。NPOはアジアに車椅子を送ることをミッションとする「飛んでけ、車椅子の会」。
 運送会社さんは、企業のノウハウを生かして車椅子の保管をしたり、関連企業の観光会社のルートを利用して、車椅子を航空機に持ち込める無料手荷物(!!)として運んでくれるアジアへの観光客の募集を支援したりしました。
 考えましょう。できれば企業の方と一緒に。できることは何かあるはずです。
 さて、これで終わりです。今からポテトチップを探しに台所に出かけます。では。

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No.22より

 この連載ではNPO、非営利民間団体の役割が、世の中でとっても大事なんだってことを言いつづけているわけです。
 で、今日は、ちょっとしたエピソード。
 10月27日の日曜日に、浜松友愛広場というイベントがアクトシティの展示イベントホールでありました。仮面ライダー アギト なるものも来て、「ワルモノ」をやっつけていました。この「ワルモノ」が「アンノウン」というのは、結構「深い」ですね。人はやはり「アンノウン=unknown=知らざる者」には怖れを感じるということでしょうか?「名前を付ける」ことで安心することって多くありませんか? 逆に「名前を付けてしまう」ことで、未知なるものや可能性を封印してしまうことも多いようにも思いますが。
 ところで仮面ライダーアギトは、「ワルモノ」との戦いでエネルギーがゼロに近くなったはずなのに、なぜか撮影会をやったりしました。涙が出ます。参加された方もいらっしゃるのではないでしょうか? 私の子ども3歳は「アギトは強い!」と感心していました。
 この友愛広場は障害のある方が多く参加されるイベントなのですが、昨年までは浜松城広場で行われていました。雨が降ったりでたいへんだったり、多くの人が利用できるファミリートイレがなかったりで、???という会場設定だったようです。
 そのファミリートイレの片隅ではなく、… 展示イベントホールの片隅で、「テレビ電話携帯活用視覚障害者支援実験」という、舌を噛むような名前の、文字で見ても画数のお化けみたいなことも行われていました。舌を噛む代わりに、言葉を噛み砕くと「テレビ電話のできるケータイ"FOMA"を使って目の不自由な方の手助けをしてみよう」というイベントです。
 見ることに障害のある方がテレビ電話のできるケータイを持ち、ケータイについたカメラで、動画を「基地」に送る。「基地」では、サポーターが、障害のある方から送られた動画を見ながら「それは赤い口紅」とか「それはポカリスエット、その右にお茶があります」なんて、目の代わりをする。
 障害のある方が「これ、便利です。けっこう使えます!」と喜ばれていました。
 わたしは県の職員でもありまして、このイベントの仲介役をやっていました。主に活動されていたのがNPOの方々です。
 障害のある方へのIT支援を志しているNPOや、視覚に障害のある方やその支援者によるNPOがイニシアティブを持って動いていました。おそらく、行政である県が、すべてを担ったとしたら、こんなに柔軟にはできなかったと思います。そして、NTTドコモ東海の皆さんの協力も素晴らしいものでした。NPOと企業が、行政を媒介にして出会い、可能性のある事業ができたように思います。
 もし、これを読まれた方で「NPO」を立ち上げよう、「NPO」に参加しようという方がいらっしゃったら、今回のことを参考に、私がちょっと大事だと思ったことを。
 それはネットワークの重要さ。
 「いいことだからやる」、その思いは素晴らしい。その時に、誰と誰が、どことどこが組めば、より大きな結果が生まれるだろう。そういう思いをもてるといいなと思います。今回の実験も、そういうネットワークをさらに編むことで、実験に終わらないようにできればと考えています。
 実は、このイベントはNHKのニュースで放送されました。インタビューに答える額の広い中年男を見て、私の子ども3歳は「父ちゃんだぁ」と飛び跳ねていました。中年男は、しまりのない顔のまま、ぐちゃぐちゃと何か言っているようです。
 つまり、子どものなかで、アギトと父ちゃんのどっちが「カッコよく」見えたか、大きな課題を残したイベントになってしまいました。あぁ。

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No.23より

 NPOについて何回か書いてきましたが、ちょっと見る方向を変えて、こんなことを考えてみました。

 それは4次元NPOということ。

 SF=サイエンスフィクションは興味ないぞぉという方も多いと思いますが、ちょっと路傍に立ち止まって、七味唐辛子じゃなく、バナナじゃなく、4次元NPOの御託を聞いていってくださいませ。

 4次元というのは、縦・横・高さの3次元=空間に、時間を加えた4次元です。

 で、何かというとNPO=コミュニティ(空間)+ノスタルジー(時間)なのかもしれないということ。

 コミュニティという言葉には定まった定義がないと聞いたことがあります。
 皆さんはコミュニティという言葉からどんな風景を連想されるでしょう?

 公園で三々五々集まり、なんとはなしに話をしたり、立ち止まったり、子どもに声をかけたりしている様子?
 公民館で、今年のお祭りをどうしようか、寄付集めをどう回ろうか、話し合っている様子?
 
ノスタルジーという言葉。
 記憶のなかの風景。別にセピア色ではなく、カラーだったり、ぼんやりしたモノクロだったりする頭のなかの景色。
 
 ノスタルジーというものは「一人」のものなのでしょうか?
 何人もに共通したノスタルジーってあるのでしょうか?

 もちろん、共通の土地を何らかの理由、戦争や災害で離れ、別の場所に移り住んだ人々には、共通したノスタルジーはあるような気がします。
 では、偶々、そこにいる人々が、同じように振り返るノスタルジーは?
 人間が、単細胞生物から進化してきたとすれば、そんなノスタルジーもあるかもしれません。

 コミュニティとノスタルジー。
 どちらにもつながることばとして「想像力」があるようにも思います。

 ただ、同じ場所に居るということで「コミュニティ」は生まれない。ただ、個々に此処にいるというありさまを、どこかで破って繋げるところに、コミュニティは成立するのかもしれません。

 ノスタルジーも「想像力」のもたらす力でしょう。過去からも、あるいは未来からも切り離されて、ただ此処にいる。そうではなく、一人ひとりの殻を破ってつながっていく記憶の共同体をどこかに探そうとする思いがノスタルジーにも思えます。

 人は場所と時間を繋ぎながら生きている。切り離されそうになる場と場をつなぎ、時間と時間をつなぐ。
 ひとりひとりにできることは、そうしたことなのだろうと思っています。

 B.アンダーソンという人の本に『想像の共同体』というものがあります

 NPOには、マネジメントのための毎日の帳簿も、何回ものメールや電話かけも、歩いて歩いて履きつぶした靴も必要です。

 でも、たまに立ち止まって空を見上げ、4次元ポケットの代わりにだぶついたお腹を抱え、「私は『想像の共同体』を創ろうとしている。」と思ってもいいのかなと、考えています。

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No.25より

 今日は「ブランド」について書きます。ブランド、好きですか? どんなブランドがあるでしょう? ルイヴィトン、カルチェ、ブルガリ、・・・・。このあたりは海外有名ブランドというところでしょうか。ルイヴィトンと言えば、LとVの文字を組み合わせたモノグラムがよく知られています。最近では現代美術の旗手とも言われ、短〜いスカートの女の子の等身大フィギュアがとてつもない値段で取り引きされたりもする村上隆氏がデザインしたバックなども扱っています。
 もちろん、キャノンも、ソニーも、ヤマハもブランドです。これらは国内のコーポレート(会社)ブランド。それぞれのブランドを聞いて、何となくイメージが生まれます。例えばソニーのイメージは何でしょうか。
 車会社のブランドでは、トヨタ、日産、ホンダ、スズキ。これらもコーポレートブランドです。トヨタの堅実さ、ホンダの先進性というようなイメージがあるかもしれません。
 スウォッチ、ロンジン、ラドー、オメガ。これらは何のブランドかわかるでしょうか。そう、皆、時計です。で、実はすべてスウォッチ・グループという同じ企業によるブランドです。コーポレートブランドではなく、商品ブランド。それぞれにターゲットとする顧客が異なります。最高級価格帯のモノから、廉価で求めやすいモノまで同じブランドにすることでイメージが拡散することを防ぐことができます。
 今、経営の世界で、このブランド価値が大きな関心を集めています。アメリカ・マーケティング協会のブランド定義を簡略にまとめてしまえば「ある売り手の製品及びサービスを、他の売り手の競合製品・サービスと差別化できる名称」です。こうして差別化され、特別なものとして認められたブランドが信用力を生み、無形の経営資源となると考えられています。
 雪印というブランドがあります。つい最近まで乳製品のトップブランドでした。それが、不祥事によって忌避されるブランドになってしまったのは御存知のとおりです。

 ここまで読まれた方。あれ? 今回はNPOの話じゃないんだと思われましたか? いえ、NPOの話です。
 私は「NPO」という言葉はブランドだったと考えています。1998年に特定非営利活動促進法が成立し、NPOという言葉が、一般的に使われはじめました。当初は、何やら胡散臭い横文字だったかもしれませんが、行政を中心にNPO支援とか、NPOが新しい社会の担い手であるなどの意見が広まり、すぐに、好意的な印象が生まれました。
 また、NPOも数が少なく、しかもそれまでに任意団体として市民活動や地域活動を重ねてきたグループがNPOとなったこともあり、積極的な活動が目立ちました。
 この時期であれば「NPOである」こと自体が、対外的な意義を持っていたと思います。人はNPOという言葉で、従来の行政などとは差別化された、多様で迅速で親身になってくれる公共サービスを思いました。
 しかし、特定非営利活動促進法成立後5年が経過し、今年8月末には12780団体となりました。既に112団体が解散しています。NPOも極めて多様です。良くも悪くも企業の営利活動の別働隊としか見えないNPOや、政府のお声掛かりでつくられるNPOも珍しくありません。
 もう、あと少しで「NPOである」ことは、いわば「鞄である」というような意味しか持たなくなります。
 例えば「ルイヴィトン」。そこに込められた歴史や品質や信頼が、他の鞄と区別されて消費者に刻印づけられる。
 それと同様に、利用者や支援者に信頼される団体となり、有意義な活動を実施するためには、当然ながら「NPOである」のではなく、どのようなミッション=活動の目的、使命を持っているか、どのような日常活動を行っているか、どのようにそれを知らせているか(この点はとても重要です。ルイヴィトンがルイヴィトンとしてブランド認知されるためには十分かつ的確な広告が行われています。)を、不断に意識している必要があります。
 NPOを立ち上げようとしている方へ。
 NPOであることには法人となることによる利点以外に何もないと考えてください。「NPO」はもう「鞄」になります。自らの団体に「ブランド」として信頼を与えるための活動が今までにも増して重要になると考えています。
 もちろん、ルイヴィトンだけが鞄ではありません。私は最近 Targus(ターガス)というブランドの鞄を購入しました。3300円のパソコンバックです。なぜ? ターガスは生涯保障サービスとかパソコンを守る堅牢性とか手軽な値段というイメージを持つブランドだと認識しているからです。
 「ルイヴィトンになりましょう」と言っているわけではありません。ターガスというブランドを好もしく思う顧客もいます。でも、ただ安いだけですぐに壊れる鞄を買った顧客は、ブランドの意味を再認識するでしょう。
 ところで、最近、街で 【KとV】のモノグラムのバッグを抱えている方に出会いました。・・・・・コレ、ヴィトン?

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No.25より

 このところ、NPOについて書かせてもらっています。今日は、いくつかの府県や区市町村で行われている「NPOによる政策提案」について紹介しましょう。
 静岡県でも「NPOアイデア活用協働推進事業」という名称で、NPOが「こんなことをすれば地域はもっと暮らしやすくなる」という政策提案を行う事業があります。
 御存知でしょうか。なんか、NPOがお役所に売り込んでいるなぁって感じられました?
私も、多くのNPOがお役所に自分たちのアイデアを売り込もうとして、この事業を利用しているんだろうなって考えています。
 でも、違う考え方もできるかもしれない。今回はそんな話です。
 ところで「政策」というと、何か難しそうでしょうか? それとも他人事に聞こえるでしょうか? あるいは、議員や政治家の顔が浮かびますか?
 ここでは「政策」ということばに、別の方向から光をあて、違う「かたち」の影を作ってみたいと思います。「政」治の「策」や行「政」の「策」から「政策」を救い出してみてはどうかという提案です。

 ご近所に住んでいる人たちの顔を知り、会えば挨拶を交わし、時間があれば立ち話をし、ひょっとすると夕食のおかずの融通をしあっていた頃、地域での困りごとは地域で解こうとしていたように思います。体の不自由な人がいれば、時々様子を見に行き、声をかけ、代わりにお使いに出かけていたかもしれません。
 しかし、今は、そうした暮らしから遠くなっているような気もします。とはいえ「だから、昔に帰ろう」ということとも違うような気もします。仕事の姿も変わり、多くの人がご近所から離れたところで長い時間働いています。「昔」はやはり「昔」なんだろうと思います。そうした「今」を当たり前のこととしたうえで、地域の困りごとをどうすればいいかを考えたいと思います。
 方法は2つあります。ひとつは、お役所に個別に苦情を言うことです。「外国語を話す人たちが、ゴミ出しのルールを守らない。市役所でなんとかしろ。地元の先生(議員)になんとかするように頼もう。」というわけ。
 もう一つは、なぜ、外国語を話す人たちがゴミ出しのルールが守らないのか聞き、どうすればいいのか考え、今の役所の決まりがどうなっているのか確認し、解決策を考え、それを実行することです。
 でも、後から書いたことは簡単にできませんよね。少なくとも一人でやれる方はごく僅かだと思います。じゃ、ご近所でやろうか。これも、普段から地域の交流があり、日常的に相談しあえていなければ難しいですよね。じゃ、諦めようか。
 それに税金払っているんだから、役所にやらせればいいじゃん。
 これも正解です。誤りでは決してありません。ただ、それには役所が的確に困りごとを解決できれば、という条件付きです。役所は税金で外国語の掲示板を作るかもしれません。あるいは外国語のチラシを作って地域全戸に配布するかもしれません。一件落着です。
 でも、落着したのは一件だけかもしれません。今度は、外国語を話す人たちが、夜、集まって楽器を鳴らしてうるさいという一件が出てくるかもしれません。役所に苦情を言いましょう。役所はまた税金を使って、チラシを作ります。・・・・・・・。
 『多文化共生』ということをミッション=使命、目的にしているNPOがあることを御存知でしょうか? そうしたNPOは違うアプローチをするかもしれません。地域に住む外国語を使う方、そして日本語で生活する方。できるだけ多くの方の参加で、小さな演劇サークルを作ることもあり得ます。そうしたなかで互いの文化の違いを学びあい、外国語で暮らしている人たちが夜の音楽が日本では喜ばれないことを知り、日本語で生活する人たちも、少しぐらいの音楽ならうるさいと思わなくなるかもしれません。
 行政=お役所も、NPOも、私たちが地域の課題を解決するためのエージェント=代理人です。
 ここで、話が「NPOによる政策提案」に戻ります。政策って、結局は地域の困りごとを解決するための策の「束」なんだろうと思います。政策を立案するのも、実行するのも、必ずしも行政でなくてもいい。NPOでもいいはずです。あるいは企業の地域貢献として立案され、実行されてもいい。
 だとすれば、「NPOによる政策提案」って行政への売り込みではないはずですよね。地域への、言葉を替えれば「公共」への売り込みのはずです。その解決策を「買う」のは、お役所でなくてもいいかもしれない。地域でNPOと一緒にやろうとする、あるいは企業がNPOと一緒に地域の課題を解決しようとする。そのための「政策」を探す場にも「NPOによる政策提案」はなるはずだと思います。
 で、そうした目で見たとき、静岡県の「NPOアイデア活用協働推進事業」はよくできています。なぜなら、今、NPOから提案されているアイデア=政策の種が、ホームページで一覧できるんです。そのなかから、地域の困りごとを解決する種が見つかるかもしれない。そうした政策を提案できる力をもったNPOに連絡することで、大きなヒントが得られるかもしれません。さて、どう、使いましょう。
 NPOアイデア活用協働推進事業のホームページは
 http://www.npo.pref.shizuoka.jp/idea/idea_01_02.asp です。
 一度、御覧になって考えてみてください。

 今日は「NPOによる政策提案」というものの持つ意味について、考えてみました。このことについては、まだいろいろと書きたいこともあるのですが、一応、今日はここまで。
 ではでは。

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No.26より

今回は、NPOは出てきません。
何が現れるかというと、雨です。それも大雨。

6月30日に静岡県の中部に大雨が降ったことを覚えていますか?
静岡市の一日雨量として、過去最高とのこと。
私は、その雨を焼津駅で見ていました。5時間。
雨を見ることは別に趣味ではないので、見せられていたわけです。5時間。電車が動かないんですね。5時間ほど。

浜松から静岡への出勤途中でした。浜松へ戻ろうかなとの思いもよぎったんですが、戻れません。雨、降ってますから。

雨って言ったって、中にある丶(点)が四つなんてものじゃなくて、四十ぐらい中にも外にもあるような代物ですから。
もちろん、進みもしない。

ここで、「雨に恨みは数々あれど」という話を書きたいわけじゃない。いちどホームに降りて駅員さんに、「藤枝までバスで戻れば、藤枝から折り返しで浜松まで電車動いていますか」って聞いてみました。
これが「わからない」んですね。「わからない」
「わからない」もんなんでしょうかね。動いているか、動いていないか、どっちかのほうが威勢がいいんですけど。「わからない」というのは、甚だ威勢がよくない。威勢がいいのは、中から外から四十も丶(点)をふり撒いてる「天水」だけです。そのうち雷さんの加勢まで受けますからね。ドーン、バリバリバリって音がします。

いえいえ「駅員さんに不満がある」ということを書きたいわけでもない。まぁ不満はほとんどない。ほんのちょっとだけ。つまるところ、少しはあるわけですが…、それは置いといて。

本題なんですが、前置きが長いんで本題はなくてもいいようになっちゃいましたが。

災害情報支援システム研究会の話です。どうも藪から棒みたいなことで。驚いちゃいますね。
私は静岡県のその災害情報とやらいう研究会のメンバーをやってまして。この研究会は、役所の出す災害情報だけでは身近なことがわからない、ついては、地域、民間、NPOからの災害情報を集め、市民がそれを評価することを可能にしつつ、一覧できるようにしよう ということを研究し、実際にも
http://www.toukaijishin.netというWebページで災害情報の発信をしている。そんな集まりです。
これって例えばの話。藤枝でも足止めされている人がいて、「藤枝でも停まってます。ずーっと詰まっているみたいです」と、そのhttp://www.toukaijishin.netに情報提供してもらえれば、他の方、例えば私が、その内容を参考にすることができるだろうというコンセプトです。5時間のうち、何分の一かは、そんなことを思い出していました。

課題は、その情報への信頼(の強弱)をどう埋め込むか、ということですね。
ただのデマかもしれない。しかし、普段から、この発信者の情報は的確だ とか。携帯から写真とともに情報発信をしているとか、役所の出す大枠の情報と整合性があるとか、いろいろ信頼(の強弱)について埋め込む方法はありそうにも思える。

今、そんなことを課題に研究している。ちょっと、そういう紹介でした。

やはり、話は簡にして要を得ているということが大事なので。本題はそういうことです。前置きについては触れません。どうもNPOもやっぱり出てきたようですが、大人(たいじん)は些事にはこだわりません。

ところで、5時間たって、電車は動きだしました。もう静岡までは3駅ですから。動きだせばすぐです。
私も安堵しながら窓の外を見ていました。もう雨も上がって。歩いている人も傘さしていない。いや、さっきまでの5時間は何だったんだっていう気持ちですね。

車の屋根も見えていました。……、見直したんですけどね、やっぱり。屋根しか見えてない。

あの日は、たくさんの車の屋根を見た日でしたね。

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No.27より
 今回は新潟の話です。中越地震はえらいことでした。寒さがつのるなかで、いまだに住居が再建されていない方も多く、気になります。
 それに引き替え、私はのんきなものです。
 中越地震後に、浜松でも震度2だったかの地震があったときには、深夜のトイレの中でゆらゆら揺れて、困っていたぐらいです。まったく。
 しかし、今回は新潟の話です。中越地震は…って、そうではなくて上越の話です。
 新潟県上越市に「くびき野NPOサポートセンター」というNPOを支援するNPOがあります。ところでこのNPOを支援するNPOを支援するNPOもあります。そのNPOを支援するNPOを支援するNPOを… って、書く内容を薄めようとするのがバレそうなので、このへんでやめておいてあげます。
 くびき野NPOサポートセンターの話です。浜松から5時間かけて辿りついた、この上越市のNPOは強者(つわもの)です。協働=パートナーシップの強者(つわもの)です。私が企画運営委員を務めているPSC(パートナーシップ・サポート・センター)というNPOが主催する、昨年度のパートナーシップ大賞を受賞しました。パートナーシップの強者ですが、ひとりでは強者にはなれません。ひとりでパートナーシップなんて言うと、「ウロボロスの蛇」を思ってしまいます。自分の尻尾をくわえている蛇です。あまり美味しくなさそうですし、美味しかったら大変です、気がつくと首のすぐ後ろに歯が迫っていることになりますから。
 尻尾ではないパートナーシップの相手方は「上越タイムス」という新聞社です。この新聞社は思いきった新聞社です。何を思いきっているのか。月曜日、上越タイムスを開いた注意深い読者は、欄外上部の見出しに気がつくでしょう。近くにある新聞を開いて下さい。「静岡新聞 平成16年(2004年)12月1日」とか「朝日新聞 2004年12月1日」とか書かれているでしょう。12月1日とは書かれていないと駄々をこねる人は、古新聞を探しに行って下さい。さようなら。
 残った人たちに続きを書きます。新聞を開いていきます。1面も、2面も、3面も、どの面でも「静岡新聞」とか「朝日新聞」とか書いてあるはずです。上越タイムスの話です。上越タイムスの1面にも「上越タイムス」と印刷されています。当たり前です。何枚かめくりましょう。「上越タイムス」と印刷されて… いないんですね。これが。
 「くびき野NPOサポートセンター」って書いてある。もう一度、1面に戻ります。「上越タイムス」、安心しました。で、何枚かめくる。「くびき野NPOサポートセンター」。手品じゃないんだから。
 上越タイムス社は、月曜日の新聞のうち四面分を「くびき野NPOサポートセンター」の取材、編集に任せています。さらに紙面の広告も「くびき野NPOサポートセンター」が取りに回ります。しかも、この広告料は上越タイムス社がもともと担っている紙面より高い料金です。
 すごいことです。
 上越タイムス社は、自分たちの最大の経営資源をNPOに提供し、それによって、もともとは弱かった「地域の街ネタ記事」を確実につかみます。実際にも、このパートナーシップ事業を行って後、販売部数は倍以上になっています。
 くびき野NPOサポートセンターは、自分たちの力を十二分に発揮し、NPO及びくびき野NPOサポートセンターの意義を広告主に説明しきって、他の面より高い広告料を確保してきます。そして、なかなか単独では作れない情報提供の手段を無料で手に入れ、縦横無尽な評価に耐える記事を作り出しています。それも毎週。
 たぬきの背中にうさぎが火を放つってところです。あ、すいません。駄洒落なんで。笑うところです。かちかち山です。win−winの関係…。
 皆さん、もう立ち直りましたか。…。続けましょう。
 NPOが企業とパートナーシップを結ぶという姿が見えましたか。個々のNPOが自分たちの強みは何なのか。もういちど振り返り、それをフルに生かして企業と連携しようとする。そこに協働が生まれます。「支援して下さい」というNPOはいくらでもいます。
 「私たちにはこれができます。それが御社にとって、これだけの意味がある、これだけの弱点を補強できる。」
 そう言えるNPOになることが、力を付けるという意味でも、自分たちをプレゼンテーション(説明)するという意味でも重要です。
 実は、この話は、もうすぐ販売される書籍『NPOからみたCSR』(同文舘出版)に、私が書いたものの「さわり」です。
 来年になったら本屋さんに急ぎましょう。あ、間違えて「たぬきの背中に火を…」を買っちゃわないように。

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ウ ギ 裏 通 り                          


No.17より

 二人目の子どもも、ハイハイが始まり、かわいいしぐさをたくさん見せてくれます。早いものです。

 この子が生まれて一ヶ月が過ぎた頃、顔を見つめてこない、むしろ視線を逸らしてしまう、ということに気づきました。子どもの行動の些細なことも意識にのぼってしまうという「職業病」のようなところがあるので、きっとそれで気になるだけなのだ、気にしないことにしようと思って日々を過ごしました。
 けれど、二ヶ月近くになってもやはり視線を避け、そのくせ手のひらなんかはしっかり追視してくる。とあるところで相談してみると、「発達障害の疑いも」と言われました。

 人が一人生まれるということは、とても大変で、「五体満足」であるなんて、奇跡のような出来事。誰にも小さな障害はいくつかあるし、配慮を多く必要とする子どもが生まれる可能性もある。
 だから、「どうしてうちの子だけが」とか、「信じられない」などとはまったく思いませんでした。

 それでは「発達障害の疑い」と言われて冷静だったかというと、そうではなかったのです。

 同じぐらいの月齢の子どもにじっと顔を見つめられたりすると、心がざわざわとするのです。そして、そんな自分にうろたえるのです。

 日々の仕事の中で感じていたことはなんだったの?その子が「在る」ことそのままを喜べないの?

 そんな心があるということ。それを認めた上で、この仕事をするということ。

 私の心の中の暗闇に、「どんな子どもでもいい、生まれてきてさえくれれば、うれしいよ」と願ったことは本当だし、結構すぐに、「なんにしたって、この子はこの子で、とっても素敵じゃん。母ちゃんの顔よりも、額縁や柵や手のひらが好きなら、母ちゃんがいっぱい見せてやるからねー」と、どんと構えてられるようになった気がするよ、と小さく言い訳してみるのでした。

 今じゃすっかりやんちゃ坊主で、甘えん坊の息子。どうしてあのいつまでも暑い初秋の頃、視線をあわせなかったのかな。
 いつも仕事で分かったふうのことをいい、偉そうにしているのを、「ショウモナイナー」って、教えに来てくれたのかな。
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No.18より

 小学校5年生の時、児童数の増加に伴って新設された学校へ移りました。
 そこには当時「特殊学級」と呼ばれていたクラス、「わ○○○」がありました。

 実はそれまでの学校にも「特殊学級」はあったのですが、校舎の隅に隔離されたようにあり、そのクラスの子どもたちと一緒に遊ぶこともなく、たまに花壇の手入れを先生としているところを見かける程度でした。
 「あの子達さあ、勉強せんくて、遊んでばっかりいるんだに」と、子ども同士小声でささやきあったりしました。

 新設校に赴任されたS校長先生は、それまでの校長先生とちょっと違っていました。
 初登校の日から、子どもたちの名前を知っていました。
 朝礼のときに、「早く終わらないかなあ」と思う説教じみた長い話はなく、代わりに、たくさんの動物が登場したりして、とても楽しいお話を聞かせてくれました。「どう思っただろうね」「どうすれば良かったんだろうね」と、考えさせてくれるお話でした。「○○くんは、長いお休みの後でも、わ○○○の先生をちゃんと覚えていたんだよ、大好きなんだろうね」「××くんは、色の名前はよく言えないけれど、ちゃんと信号を見てわたれるんだよ、先生も安心しました」など、よく「わ○○○」の子も登場しました。
 あまり校長室には閉じこもらず、校長室にも遊びにおいで、と言ってくれました。
 高学年の子どもは、図画工作の授業をしてもらえました。

 「わ○○○」は、校舎一階の、子どもたちが出入りしやすい、よく目に付くところにありました。 休み時間には他のクラスと同じように出入りしてよく、他のクラスよりもちょっと魅力的なおもちゃがあったりしました。そして、愛想がよくて「抱っこ」とくっついてきたり、鼻を垂らしていて世話がやけたり、いつも身体もことばも曲がったような感じがしたりする、何だか魅力的な子達がいました。
 6年生になると、数人の子こどもが「わ○○○」の掃除当番をすることができるのでした。

 ある日、朝礼でいつものように台の上に立った校長先生のお話が始まりました。
 でも、その日はちょっと様子が違いました。

 「昨日お葬式に行って来ました。「わ○○○」のTちゃんのお父さんが、急に亡くなられたのです。Tちゃんのおうちは、おかあさんと、Tちゃんと、小さな弟の三人だけになってしまいました。お葬式の時Tちゃんは、ニコニコニコニコ、はしゃいでいました。たぶん大勢の人が来てくれたので、嬉しくなってしまったんでしょうね。Tちゃんにはまだ、お父さんが亡くなった、ということがよく分からないのでしょうね」
 そこで、絶句されて、しばらく校長先生はお話ができなくなってしまったのです。
 その後、時折嗚咽を挟みながら、いまはよくわかっていないTちゃんも、お父さんにもう会えない悲しさを感じるときは必ずやってくる、みんなで、支えていってあげようね、大変なことがあったら、助けてあげようね、と言うようなお話をされたと思います。
 わたしも、「おとうさんが死んじゃったのによくわからず、はしゃいでいるTちゃん」のことを頭に浮かべたら、その馴染みのあるニコニコ顔に胸が苦しくなってしまったのです。

 S校長先生は、2年でよその学校へ変わられ、卒業後はお会いできなくなってしまいました。

 いま、Tちゃんは、毎日自転車をこいで、作業所へ通い、お母さんも元気に過ごされているそうです。
 おかげさまで、私もこの仕事をさせてもらっています。

 あれからもう、30年近くが過ぎました。

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No.19より

 随分前に、実際の殺人事件を基にしたお芝居を観たことがあります。
 歯が痛い、とにかく猛烈に虫歯が痛い、イライラする。そんな人が人殺しをしてしまった、というもの。

 罪を犯す人のうち虫歯があったり、頭が痛かったり、花粉症だったり、寝不足だったりしている人は、結構いるはず。でも、新聞やテレビで、「虫歯者、殺人」「花粉症者が犯人」というのは、見かけないですね。

 報道には、報道する側の主観が反映されています。

 最近は「女性管制官」なんて登場しました。男性だったら、「男性管制官」になったでしょうか。A管制官でいいところをなぜわざわざ「女性」にするのか。非常によくあるのが、「外国人が盗み」のようなもの。「日本人が、強盗」というのは見かけないのに。「精神科に通院中だった」は載るのに、「歯科に通院中」は載らない。「精神障害だった」は載っても、「健常者であった」は載らない。

 「虫歯者、殺人」という見出しを見て、「おお、虫歯者は怖いなあ。虫歯者のあの人、この人に殺されるかも」と思う人はほとんどないでしょう。でも「精神障害だった」と聞いて、「だから精神障害の人は怖い」と思う人は多いのではないでしょうか。実際の事件を起こす大半の人は、「精神障害」ではないにもかかわらず。
 それはなぜ?

 少し前に、「アスペルガー症候群」という恐らくあまり知っている人は多くないであろうことばが、マスコミで派手に取り上げられました。「人を殺してみたかった」という理由で本当に殺してしまったとされる少年が「アスペルガー症候群」で、「人を殺す」ということにこだわり、事件を起こしたと精神科医師に診断されたためです。
 「アスペルガー殺人」という見出しまであり、テレビのニュースなどでもセンセーショナルに取り上げられていました。
 アスペルガーの方たちをよく知らない、身近に出逢ったことのない人たちがこれを見たらどう感じるか。

 既にアスペルガーと診断されている方たち、これから診断されるかもしれない方たちは、どんなに辛く悲しい気持ちになっていることでしょう。
 「アスペルガー症候群です。こんな配慮をしていただけると助かります」と言えたら、生活していきやすくなるのに、こういう報道一つで、「え、アスペルガー?こわーい!」と感じてしまう人に囲まれる。

 たとえ本当にアスペルガーによる殺人へのこだわりからの事件であったとしても、殺人にこだわっていく、実際殺人を実行していくには過程があり、それは「アスペルガーだから」では片づけられないことがいくつもいくつも積み重なっていたはず。
 アスペルガーではない人たちの起こす事件と何らかわりはないはず。
 「アスペルガーだから」で片づけては、被害に遭われた方や身内の方々もやりきれないのではないでしょうか。

 ちなみに、アスペルガー症候群は、自閉性の障害のうち、知的発達に問題がなく言語の獲得もできるような人たちを指します。世間一般の多くの人と、異なる感じ方をもち、コミュニケーションの力が弱いとされています。脳機能に何らかの問題があるためで、育て方など環境によるものではありません。
 現状では小さなトラブルは起きやすく、多分生きにくさを感じておられる方が多いのではないかと思います。今の社会は、悲しいことに、アスペルガーに限らず、「多数と違うひと」と互いに理解し合い、尊重し合ってやっていこうという方向性が弱いからではないでしょうか。
 ただし、犯罪を犯す率は、「精神障害」の方と同様、「健常」と呼ばれる人よりもはるかに少ないとされています。

(注)申し訳ありません。ここでのアスペルガー症候群についての記述は、十分なものではありません。
アスペルガー症候群についての正確な情報をぜひご覧ください←クリックしてください

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No.21より 
           
 ここ半年ほど、体のあちこちに不具合がおきまして。気持ちの上ではいつまでも20歳の頃と変わらないつもりなのですが(それがよいかどうかは別にして)、身体は、ン十年生きてきた、その年月をきちんと積み重ねているのだと認めざるを得ないですね。
 5月の終わりに、卵巣を片方取りました。この入院生活、なかなか快適でした。術前には悪性の可能性も示唆されていましたが、たとえ悪性であっても、この病院でなら、前向きにがんばれるんじゃないかと感じられました。(術後検査の結果、幸い悪性の所見はありませんでした)。
 診察時には、治療内容について詳しくわかりやすい説明があり、文書にしてもらえます。ドクターも看護婦さんも、質問に丁寧に答えてくれます。くだらないような要望も、、可能な限り気持ちよくかなえてくれました。術後の体のつらさも、共感的に受けとめ、取り除ける苦痛には素早く対処してもらえました。
 こうしたスタッフのすばらしさだけでなく、「クリティカルパス」という制度もよかったです。
 「クリティカルパス」とは、入院から退院までのスケジュールをわかりやすく表にしたものでした。毎日の処置、点滴などの薬の種類や量、食事の内容、いつからシャワーやトイレに行けるかなど細かく書かれているので、いろいろなことが自分で把握できます。
 点滴のはずれる日が見通せると、注射針が刺さっている状態の苦痛が少なくなる気がしました。「常食」になる日が分かることで、廊下に掲示されている写真入り献立表をみて、どのメニューを選択しようかしらと考えたりして、入院生活にちょっとした張りができました。
 「見通しがもてる」「理解できる」ように工夫することは、認知やコミュニケーションなどにハンディを抱える人と互いに気持ちよく暮らしていく上で、大切なことと言われています。そういった工夫は、誰にとっても不安少なく、前向きに生活できる力となるのだと実感しました。
 さて、「ぽろりと一言」にあるように、私と入れ替わりに夫が緊急手術することになり、同じ病院を選びました。
 で、夫のクリティカルパスです。
 1日目「手術」2日目以降「経過による」。
 は?それだけ?「経過による」そんな当たり前すぎることだけ書かれてもねえ・・・。「使う人しだい」になっているようでは、この病院のクリティカルパス制度は発展途上ですね。
そして私、今度は胆石の手術をします。二つの医療機関でみてもらい、薬や衝撃波は無理、手術の適応とどちらでも言われ、観念しました。
夫の入院、手術ではやや不安を覚えましたが、また同じ病院のお世話になります。
今度の病棟はどんな感じかな?ドクターはとても誠実そうな印象だったけれど・・・。

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No.22より

 以前このコーナーに書いたのですが、生徒数の増加に伴って新設された小学校に5,6年と通いました。 その学校は、6年生になると「特殊学級」(発達学級)の掃除当番ができるのです。
 5年生の頃から「特殊学級」の雰囲気が気になっていたことと、掃除当番をしていた6年生のお姉さんが素敵であこがれだったことから、張り切って掃除当番を希望しました。
 掃除当番の一年間、そこでどんなことをして遊んだか、どんなおしゃべりをしたのか、どんな風に掃除をしたのか、不思議なことに全く思い出せません。ただ、そのクラスにいた小さなひとたち、なぜか1,2年生の男の子ばかり5人のクラスでした、が「りえおねえちゃん、りえおねえちゃん」とよく慕ってくれました。それがとてもうれしく、鬱々としたものも抱えはじめた思春期の入り口でしたが、学校へ行くことに張り合いを与えてもらっていたように思います。
 卒業式を終え、中学入学までのちょっとした間、ともに掃除当番を一年してきた友人と、このままお別れでは寂しい、あの子たちに何かお礼がしたいねと、「記念品」を持って一軒一軒自転車に乗って訪問することにしました。 
といっても、何か買うほどのお金もないので、私は家にあった使われていないハンカチを集め、隅に男の子と女の子の顔、その下に「○○くんとりえおねえちゃん」と刺繍したものを5枚用意しました。手芸など大嫌いで、ボタンつけや雑巾を縫うことですらぞっとするので子どもにやらせている今の私から考えると、よくできたなあと思います。
 突然の訪問なのに、招き入れ、お茶を出し、家でも「おねえちゃん、おねえちゃん」ととても喜んで話していたとか、小さな頃に大変だったこととか、小学生相手に涙ぐみながらあれこれ話してくださったお母さんもありました。小さなひとたちは、学校で会うときとはちょっと違って照れくさそうにしていたと記憶しています。
 中学へ入り、ときどき懐かしく思い出しながらも、あの子たちはきっともう忘れちゃってるだろうなあ、夏休み明けには先生のことも忘れちゃってた子もいたしなあ、と考え、また、ともに訪問した友人とも、新しい世界で過ごすうち、いつの間にか疎遠になっていました。
 中学も三年になった頃だったと思います、小学校の通学路で「みどりのおばさん」をしているのが「りえおねえちゃん」の母だと知った「特殊学級」に在籍するTちゃんのお母さんが、母にことづけてくださいました。
 「あの時のハンカチ、Tは今でも大切に持ち歩いて、絵を指してはうれしそうに『りえおねえちゃん』と、言ってるんですよ」。
 へたくそな刺繍のハンカチのことを思い出すたび、私のなかにゆっくりと温かなものが滲んでくるのを感じます。
 疎遠になっていた友人とは、最近になって、互いに生活上特別な配慮を要する子どもに恵まれたことを知り、イライラしたり、かっとなったりしてしまう子育ての悩みをメールでおしゃべりするようになりました。
 人と人とのつながりへの不思議な思いとともに、「特殊学級」の掃除当番をさせてもらえた1年に感謝しています。
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No.23より

 子どもが我が家へやってきてから「たいへーん、手伝って」と両親に助けを求めることが多々ありました。父は、母とやってきてくれるのですが、たまに「昔の母親は偉かったな。ひとりで子をちゃんと育てたもんだ」と皮肉っぽくつぶやいていました。
 子育てのおいしいところだけでなく、大変なところも大いに関わってくれる母は、そうは言いません。
 「昔はこんなに大変じゃなかった」といいます。
 今は育児にも便利なグッズがあふれ、楽になってもいいはずなのに、なぜ?

 今、親になっている世代は、群れて育っていませんから、自分の子を育ててみるまで、ほとんどの人が赤ちゃんや子どものいる暮らしは初体験でしょう。
 テレビや街でみてイメージしていたあかちゃんのいる暮らしと、実際の、うんちやおしっこやよだれやゲボや泣き声に囲まれる暮らしのギャップは大きいでしょう。どうしたらいいかわからない、さっと救いの手をさしのべてくれる人もなく、ひとりでやってかなくてはいけない。
 大変です。
 私なんて保母経験があったにもかかわらず、産院から退院してきて半日も経たないうちに呆然としましたよ。
 少し大きくなると、周りにものがあふれている分、昔よりも危険がいっぱい、だめって言わなくてはいけないことがいっぱい。
 外へ出れば車の往来もあり、気を張り続けていなくてはならない。とりわけ、動きの激しい子に恵まれたら、ほんの一瞬でも気が抜けない。
 ヘトヘトです。
 昔のように、小さな子でも、ひとりで外へ出しておくと近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんが遊んでくれたり、通りがかった人が上がりこんでよしよしと抱っこしてあやしてくれたりなんてのも、ないですよね。

 この春なんどか動物園へ足を運びました。
 猿山は、子どもがいっぱい。あ、見学しているヒトの子どももいっぱいいますが、私が言っているのはお猿の子どもです。
 猿の子どもは見ていると結構やんちゃです。赤ちゃんのうちはひたすらお母さんにしがみついていますが、少し大きくなるとふざけあって?結局つかみ合いの喧嘩みたいになっていたり、大人猿に、歯をむかれてあわてて逃げたり。たまに、おかあさん?と思われる猿にすり寄ってみたり。
 
 昔の生活はお猿に近かった。
 
昔の母親はひとりで子どもを「育てた」のではない、衣食住の世話をしてやれば、お猿のように群の中で子どもは「育った」のです。今よりも衣食住の部分はたいへんだったろうけれど、「母親」としての役割から離れていられる時間は意外にあったはず。
 そして、群の中で育てられた子どもの育ちようは、親だけの責任として、「あなたの育てかたのせいで」と言われることもあまりなかったのではないでしょうか。
 時間的にも精神的にも、母親だけが子育てを一手に引き受けるなんて、ごく最近の特殊な事態でしょう。

 ハンディをもって産まれてきた子どもを育てるのはとりわけエネルギーがいります。充電の必要度も高い!
 子ども自身もいろいろな人からのいろいろな形での関わりを、ハンディのない子よりたくさん必要としていると思います。
 
  父の皮肉にめげず、堂々と「自分も大事、手抜き母」でいようと思います。
 だって お猿の仲間なんだもの。 
 父親の育児休暇、子育て支援センター、一時保育、レスパイトケア、保育園と宅老所が一緒になった施設などなど、不十分ながらも、今の時代にあった、「お猿の仲間」としての子育てを、少しずつ形にしているところなのではないかな。
 ありがたく利用して、お猿の子のように、昔の子のように、育ってもらいましょ!

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No.24より

 「わかっちゃいるけど、目の前に見えないことは忘れちゃうし、目の前の楽しい事だけしか受け入れられないもん」という8歳児と「なんかごちゃごちゃ言われてもどういう意味かよくわからんぞ」という4歳児のいる我が家。この二人を前に今までとってきた方法といえば、手っ取り早くガミガミ怒鳴り散らして(時には手も出して)恐怖でやらせるという、親子共々大変に後味の悪い方法…。
 日頃、「こんなふうにするといいですよ」なんて、偉そうにアドバイスしている私、ああ、お恥ずかしい。
 せっかくの知識、経験を子育てに生かさなくてどうする?と深く深く反省し、やってみました「自分改革」。
 そのがんばり?を、自分へのご褒美の意味も込めてここで少し公開しましょう、なんて、たいしたことしているわけではないんですけどね。

 まずは、日本語が分かっているようで、実はあまり理解できていない下の子との店先にて。
 姉のアート教室が終わるのを待つ間、「ねえねがあとでおやつ食べるとき自分も欲しいと言わない」約束でソフトクリームを食べました。ところが、姉がおやつを買う段になったら、「飴ほしい飴ほしい飴ほしい!」と大騒ぎ。約束したことを言ってもほしいの一点張り。「今飴食べたら、もう今度から、ねえねアートのとき、ソフトクリーム食べに行かないよ、それでもいいなら飴食べなさい(怒)!」そうしたら、「うん」ととっても嬉しそうな顔で飴をとりに行くのです。その天真爛漫な笑顔を見て、「こりゃあ、わかってないぞ、ただ、飴食べていいんだと喜んでるだけ。また今度、姉を待つ間ソフトクリームを食べたいと騒ぐに決まっているなあ」
 そこで持っていたレシート裏に絵を描きながら話してみました。
 
すると、さっきまでの駄々コネが嘘のように「わかった、Gちゃん、あめがまんする」と瞳をうるうるさせながら、握りしめていた飴を戻しに走っていきました。駄々こねていたのじゃなくて、理解できていなかっただけなんですね、がみがみ怒らなくてよかった!
 
 「何度言ってもできない」場合、目に見える形にしてあげましょう。というわけで、日常の決まり事をシートにしました。
 幸い、うちの子どもたちは、絵を描くのが大好き。枠だけつくっておいて、楽しい事よ〜というオーラを出しまくりながら、「スケジュールを絵に描いてくれない?絵、かあさんよりずっとうまいもんねえ」と提案。自分で描くのは面倒だなという手抜き母の思惑も知らず、嬉々として作りました。これです↓、


   下の子帰宅後のしたくヴァージョン

  
下の子食後ヴァージョン

   
     上の子食後ヴァージョン

 クリアファイルにはさんでできあがり。
 自分たちで作ったので、やるべき時になって出してやると大喜び。毎日毎日指示を出し続けて(怒鳴り続けて)ようやくやれていたこれらのことが嘘のようにスムーズにできるようになりました。
しばらくして「だまされた」と気づいたのか、子ども達のテンションは下がりスムーズではなくなったけれど、「食器運んで!」とか言い続けるより「1番は終わったねー」と言ってできる方が互いに気持ちが楽です。やらねばと観念しているけれどただ忘れてしまうという上の子は、もうシートなしでもだいじょうぶです。あんなに日々言い続けていたことが、あっけなくできてしまうんですね。
 「わかっていても素直に従ってなんかやらないぞ!」という年齢の下の子は、そのときの気分でやらないことも。下の子ヴァージョンのシート、印刷で変な陰影が出てしまうかなあ?これは、あまりにもグズグズいったときに私が切れまして、「そんなんだったら、こんなのいらない!」と子ども力作の手順書をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に捨てたことがあったためでして。ったく、情けないです…。
 やることやったら最後に、お楽しみご褒美があるといいですね、「おかあさんとこちょこちょチュッチュ」という項目をつけておくとか。どうしてもやれないときは口を出すのではなく、手を出して一緒にやってあげるといいですよー。
 はい、これからまた、がんばります!
というわけで、皆さんのご家庭でも、あれこれ工夫して親子ともども楽しい生活がおくれますように!(とっくにそれくらいのことはやってますよ、って言われちゃいそうですね、ま、専門家っていったって、仕事離れればこんなもんですって。私だけか!?)              
 
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No.25より

 卒業の季節になると、思い出すことがあります。

 中学生の時、卒業イベントの委員になりました。
 どんなことをしようかという話し合いの中で、卒業文集を作っては?というオーソドックスな提案が先生から出されました。
 「あ、それいいが」「やろまい」という声がいくつか上がる中、私は言っちゃったんです。

 「そんなもん、やりたない」。

 先生からちょっと不思議そうに理由を問われ「なんで作るの?思い出作り?私ら、これから未来へ生きてくんだもんで、思い出作って残すなんて必要ない、過去なんて捨てたりゃあいい。そんな後ろ向きな物、いらんが!」。

 ああ、若さって、恥ずかしい…

 そんな、自分の人生の前方が果てしないもののように思われた年齢は過ぎました。渦中では散々ジタバタしていたようにも思うのですが、通り過ぎてしまえばあっという間です。

 過去のしっぽを引きずりながら生きる年齢になって、気づきました。
 「おんぶしてもらった背中のあったかさ」「レンゲ畑のなかで寝ころんで見上げた空」「授業をつぶしてやった雪合戦」「そんなに厚くむいたら食べるところがなくなるよーと言われながら懸命にむいたリンゴの皮」「買い食いを先生に見つかりそうになり自販機の陰に友達とわいわい言いながら隠れた時のドキドキ」……

 勉強やしつけのように、生活の役に立つことではない。けれど、まとっていた物が剥がれ落ちても芯に残って、前に進んでいく支えとなってくれている、子ども時代の日常のエピソード。

 それが積み重なっていくことの重みを少し心に留めて、家庭や教育や保育の場でも、「効率」だとか「発達」だとかいったところからとは違う目も持てたらいいなあ。子どもがちょっと立ち止まったり、はずれてみたりすることを見守ったり、家庭の仕事を子どももいっしょに支えあえったり。

 障害名がついている子もついていない子も、おけいこごとに追われたり、あるいは家の仕事には関わらず、テレビやゲームに明け暮れていたり。ちょっと意識しないと「当たり前の日常のエピソード」を積み重ねるのも難儀な世の中ですね。

 それはともかくとして、中学、高校くらいの頃は、若い正義感(のつもり)が、「身近な権力=先生(と思っていた)」へと向かい、それはそれはかわいげのない生徒でしたね。
 単純な図式の中で生きていさせてもらえた、今思うと幸せな時期ですねえ。
 そんな恥ずかしい記憶も含めて、今の生きる力になっているということで、お許し下さい、先生方!

 結局作った中学の卒業文集、10年に一回くらい見ては、大笑いしたり、懐かしんだりしています。

 作ってよかった!

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No.26より

 来室されている方には「今、どんなお手伝いをさせてます?」とか、「さて、これから、どんなお手伝いならできそうかな?」とよく尋ねます。

 「ことばと発達の部屋」なのに、何故にお手伝い?

 お手伝いさせることは、「コミュニケーションのかたまり」です。お手伝いは遊びと違って、好きなようにしてよいわけではありません。必ず、「これをやってね」「こうやってやってね」と伝えることがあるわけです。伝えたことを受け取って、それに応える、そして応えてくれたら感謝の気持ちを渡す、そんなやりとりがあるのですよね。

 たとえば、「おはしを並べてね、はいこれ、お父さんの席へ置いて下さい」と渡して頼みます。そうしたらおねえさんのところへ置いてしまうとか、片方床に落としても知らん顔で1本だけおいてしまうとか、渡されたお箸で茶碗を叩いてご機嫌にしているとかでは困るわけです。それではいただきますができないのでなんとかして「お父さんの席へ置く」事をさせるわけです。
指示を出す→できない→手助けしてやらせる
毎日お手伝いする事を決めておくと、何度も同じ事を繰り返す事ができますね。繰り返せるので
指示を出す→意味が分かる→指示通りできる
となっていきやすいのです。
 「わからないからできない、だからやらせない」のではなく、「今はわからないが、繰り返しそやらせることでわかるようになる」のです。

 お手伝いができるようになった子どもは誇らしげです。「やってる」「がんばった」と胸をはったり、ちょっと照れて「当然だぜ」みたいな顔で知らん顔して、かっこいいじゃんありがと、とか声をかけるとニッと口の端で笑ってみたり。
 お手伝いをきちんとすることで、お母さんやお父さんみたいに、もうこんな事ができるんだよ、ちゃんとやったよ、すごいでしょ!という自分のよいイメージができます。プライドをくすぐります。自信が持てます。
 特に障害を持つと、お世話される体験が多くなりがち。だからこそよけいに、自分だってできるんだ!という自信を持つことができる場面を意識して作っていきましょう。そして、やってくれたら「ありがとう!」「助かるわ」と感謝するでしょう。感謝される自分、役に立てる自分になれるという経験は、これからの長い人生を活き活きと生きていく力になるでしょう。

 お手伝いは何らかの作業をするわけですから、自然に手先や体の使い方の練習もできます。空間を把握したり、量や数の勉強もできちゃったりします。ウギへ来て机の前に座らせるより、ずっと「お勉強」になるかも!

 などなどいいこといっぱいのお手伝い、でも、簡単にできるならとっくにやらせてますよね。
 やらせようとしてもうまくいかない、どうしたらよいかわからないとき、ちょっとしたヒントがあるとうまくいくことが多いです。その子の好みや得意分野をつかみ、家族のニーズも考えてくれる人材がいろいろな場にあるはあずですからうまく利用して下さいね。

 我が家の子ども達も、まだ「あかちゃん」の頃からのお手伝い歴があります。レタスをちぎったり(嫌いで食べないのに、ちぎりながらだとむしゃむしゃ食べていた)、タマネギの皮をむいたり、食器を運んだり。
 娘は4年生。いま継続的にしていることは、学校の給食セット、上靴、雑巾洗い、夕食後に自分と弟の食器洗い、休日は家族皆のお布団にコロコロかけ(アトピーがあるので)、それにこの夏休みは洗濯物たたみも。息子は5歳のかっこいいお兄ちゃんになるのを祝して、保育園の給食セットを洗い始めました。
 我が家の子ども達は、好奇心が旺盛でなんでもやりたがる、だから初めは嬉々としてやるのだけれど、非常に飽きっぽい、そしてすぐに手を抜きたくなる。継続させるところが親の工夫のしどころです。娘はお小遣いとお手伝いを連動させていて、お小遣いほしさに文句言いながらも頑張ってます。今年は初めて弟に、自分が稼いだお金で誕生日プレゼントを買ってやると、「自分だ稼いだお金で」ということがとても嬉しいようです。息子のほうは「やってくれるとお母さん嬉しい〜」「ちょっとだけ手伝ってあげるからあとがんばるか」とことばをかけたり、やれたらギューッとして感謝、カレンダーにシール貼るとかで今のところやれています。ときどきばあちゃんが来て、「きょうはやったげるわ」と言ってくれるので、ちょっと息抜きができるのも二人にとってまたがんばれる力になっているでしょう。

 でも本当のお手伝いの一番の効能は親が楽になること。我が家も息子のほうはまだまだ見習い、私がやるほうが早かったりするけれど、娘は我が家になくてはならない力になりました。料理を作ってくれることもあって、本当に助かります。
 子どもが身につけて完全に一人でできるようになるまで、手間暇かかります。時には子どもとバトルにもなります。だからって大人がやってしまわないで、「こんなに大変なのは初めのうちだけ、ここを乗り切れば私が楽になる〜、楽になる〜」と心で唱えてがんばりましょ。まだ親が年老いる前、エネルギーに余裕があるうちに手間暇かけておきましょう。
 時間がたくさん使える夏休み、チャンスですよ!

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No.27より

 娘が10歳になりました。産休があけ復帰しようとしたら言語室の閉鎖を通告され、やむを得ずはじめた「ことばと発達の部屋ウギ」も、もうすぐ10年です。
 始めるときには志高く、ほっと一息ついてもらえるような空間も作ろうとか、お母さん達と集まってちょっとした勉強会もできたらいいなとか、グループで集まると良さそうな子達にはそういう場を作ろうとか、それまでの医療機関では思うようにできなかったこともやりたいと考えていたのですが。
 10年たった今、お茶しながら本を読んだりしてもらっていた「待合室」は我が家の物置と化し、勉強会用に買い集めたビデオはタンスの肥やし、グループも下の子が生まれてからやった記憶がないから、もう5年以上ご無沙汰。スペースがない。時間もない。気力もない(←これが一番か)。
 スペシャルな子どもを育てることのハードさと、自分の心ですら自分の思うようにはならないことが身に染みたこの10年。専門的な知識も経験もあるはずなのに、10年たっても、娘と日々バトルをしている私。「もういや!」と「ま、なんとかなるさ〜」の間を行ったり来たり。ついついひどい振る舞いをしてしまうたび「しゃあないねえ、ごめんごめん、またがんばるわ」。そんな不出来な親の姿こそ、子どもにとって素晴らしい模範である、ということにして、またこれからの10年、子育ても仕事もやっていこう。
 え?次の10年が過ぎると、娘ハタチ。それでもまだバトルしていそうな気がする。自分の年齢は…考えないでおこ!

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手 抜 き で 行 こ う !                       


エネルギーを大量消費させられるスペシャル子どもに恵まれたわが家。家事に使えるエネルギーなんてろくに残らないわよ!そんな生活の中で編み出した手抜き技を披露する新コーナー。しかも簡単にできるということは、子どもも手伝いやすい(怠惰な事を暴露した恥さらしなだけのコーナー?)。皆様の手抜き技も大募集!

No.27より

包丁いらずの技
「包丁はまだ持てないから、切らせるのは無理ね」と思っていませんか?
はさみが使えればかなりいろいろ切ることができますよ。
ネギやニラのように一回で切り落とせるものの方がはさみ初心者向き。
上手になったらキャベツや白菜などを、連続切りで。
ウインナーやしいたけも切れるし、はさみの切れがよく力もある子ならキュウリや細いごぼうなどもOK!
はさみも難しければちぎる。これはウギを今までに利用された方は全員できますね。
「これは○○ちゃんが切ってくれたのよ〜」と食べるときに宣伝しましょう。
「いろんな形大きさがあって楽しいわ」とおおらかな気持ちで楽しんで食べてくださいね。

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