よこはま発達クリニック 内山 登紀夫先生のページ(http://www.ypdc.net/asuperugar2.htm)より、転載させていただきました。内山先生、ありがとうございました。
------------- はじめ -------------
● アスペルガー症候群とは(V1.00) ●
最近豊川の事件と関連してアスペルガー症候群が大きく報道されました。アスペ
ルガー症候群という一般にはほとんど知られていなかった障害が、このようなか
たちで知られるようになったことは非常に残念なことです。新聞によっては見だ
しに大きくアスペルガー症候群とありましたから見だしだけを読む多くの読者は
なんとなくアスペルガー症候群と犯罪は関連が深いという印象を受けたのではな
いかと思います。しかし実際には一般の人と比べてアスペルガー症候群の人が犯
罪を犯す確率が高いわけではありません。ここではアスペルガー症候群を正しく
理解していただくことを目的に解説させて頂きたいと思います。
● 筆者について ●
まず本稿を書いている私の立場を明らかにしておきます。この文章に関する責任
の所在をはっきりさせるためです。私はよこはま発達クリニックという発達障害
を対象にするクリニックで診療をおこなっている児童精神科医です。発達障害に
関しては児童精神科の専門病院や知的障害者のための福祉施設で約10年間臨床に
たずさわっていました。その間ノースカロライナ大学医学部精神科TEACCH
部に短期留学し自閉症の療育について学びました。1997年9月から1年間全英自
閉症協会の運営する診断部門(The Centre for
Social and Communication
Disorders、別名エリオットハウス)で主にアスペルガー症候群の診断アセスメ
ントについてローナ・ウイング、ジュディス・グールド両氏に学びました。ノー
スカロライナ大学留学時は朝日新聞厚生文化事業団の、エリオットハウス留学時
は田中徳兵衛国際ロータリークラブ奨学金の援助を頂きました。どちらの留学も
日本自閉症協会の推薦を頂いています。このような自分自身の経歴からも、今回
の事件報道で誤解されがちなアスペルガー症候群について意見を表明することで
児童精神科医としての社会的な使命を多少なりとも果たしたいと考えています。
● アスペルガー症候群とは ●
以下アスペルガー症候群についてローナ・ウイング博士(以下ウイング)の考え
を中心に解説します。ウイングの考え方はイギリス、ヨーロッパでは広く受け入
れられていて、全英自閉症協会ではウイングの考えにそってアスペルガー症候群
の援助を行っています。
アスペルガー症候群を正しく理解するためには先ず自閉症を理解しなければなり
ません。遠回りのようですが、まず自閉症の解説からはじめます。
● 自閉症とは ●
現在自閉症と呼ばれている障害を医学・心理学的な視点から検討し、世界で最初
に論文として報告したのはアメリカの精神科医レオ・カナーでした。カナーは
1943年に11例のユニークな行動パターンを示した子どもを報告し、翌年の論文で
「早期乳幼児自閉症」と名づけました。現在自閉症、自閉性障害、小児自閉症と
呼ばれる障害は、基本的にカナーの論文の内容を引き継いでいます。カナーは
「早期乳幼児自閉症」の特徴として5つにまとめました。以下に順を追って説明
します。
1. 人生の始まりから普通の子どものような方法で人や状況と関わりあうことが
できない。
一人でいるのが苦にならず幸せそうで、赤ちゃんの頃はいわゆる「手のかか
らない」子だったりします。周りに人がいても関心を示さず、まるで人がい
ないかのように振舞ったりします。
2. 言葉がないか、あっても他人に意思を伝えるために言葉を使わない。例えば
子守唄、祈りの文句、大統領の名前などは覚えますが、コミュニケーション
の目的で言葉を使わないで聞いた言葉をオームがえしをしたり、独り言を言
うことが多いのです。自分のことを”you”,
相手のことを”I”というなど
代名詞を逆転して使用することもあります。
3. 物事をいつまでも同じにしておこうとする欲求が強く、そうでないと非常に
不安になる。いわゆる「こだわり」です。物事の手順や家具の配置の変更な
どで不安になり必死に抵抗したりします。活動は単純な繰り返しになりがち
で、自発的に行動することが少なく、興味の幅が狭かったり、物をくるくる
回すような繰り返し行動に何時間も浸ったりします。
4. 人に対する興味は少ないが、物に対しては強い関心を示し、物を器用に操作
する。 缶のふたとか、枯れ葉など一般的にはあまり価値が無いものに強く
執着し集めたりします。
5. 知的な障害があるとみなされやすいが、潜在的な認知能力は優れている。知
的な賢そうな顔つきをしていることや、型はめなどを巧みにすばやくやった
りすることなどから潜在的な知能は優れている、知能テストなどの点が低い
のは協調性がないからだとカナーは考えました。現在ではこの第
5点は修正
が必要で、知的な障害を合併することが少なくないことが明らかになってい
ます。しかしその他の4点については基本的には変更の必要がないとされて
おり、国際的な診断基準やアメリカ精神医学会の診断基準に引き継がれてい
ます。この第5点目を修正した4点を満たす場合をカナー症候群とか古典的自
閉症と呼んで、以下に述べるアスペルガー症候群と区別する場合があります。
●● アスペルガー症候群と自閉症スペクトラム:
アスペルガー症候群の歴史はオーストリアの医師、ハンス・アスペルガーが1944
年に「小児期の自閉的精神病質」と題した論文を発表したことで始まりました。
アスペルガーの報告した子ども達はカナーの報告した子どもたちと良く似ていま
したが、少し違うところもありました。アスペルガーが重要とみなした特徴を以
下に列挙すると、社会性に乏しい異様な行動、コレクションなどにみられる物へ
の執着、表情と身振りによる表現が乏しいこと、物まねをしているような不自然
な言語表現、計算などの特定の領域で優れた能力を発揮すること、などでした。
アスペルガーの提唱した「自閉的精神病質」の概念は、第二次大戦中にドイツ語
で発表されたこともあってか、国際的にはほとんど注目されませんでした。例外
的に日本では1960年代から一部の専門家が注目していましたが、日本の学会でも
自閉症といえばカナーの自閉症を指すのが通例でした。国際的に注目されるよう
になったきっかけは1981年にイギリスのウイングがアスペルガーの論文を紹介し
再評価を行ったことでした。その後英語圏を中心に活発に議論されるようになり
現在ではアスペルガーの報告を一部改変した内容で国際的診断基準でも「アスペ
ルガー症候群」、「アスペルガー性障害」などと規定されています。
ウイングがアスペルガーの報告に注目したのは理由がありました。1962年イギリ
スでは「自閉症児の親の会」が結成されました。当初はカナーの記述に沿った
「自閉症」を中心にサポートをしていたのですが、カナーの記述には合わないけ
れど、類似した行動を示す一群の子ども達がいて必要なサポートもカナータイプ
の子どもとほとんど同じだったのです。ウイングと共同研究者のグールドはロン
ドンのある地域で障害がある子どもを対象に調査しました。典型的なカナータイ
プの自閉症の子ども以外にも「自閉症的な」行動特徴を持つ子どもが大勢みつか
りました。この「自閉症的な」行動特徴を持つ子どもが実はアスペルガーの記述
した子ども達に似ていたのです。
アスペルガータイプの子ども達はカナータイプと比較すると知的な能力が高い、
表面的には文法的に正確な言葉をしゃべる、一方的になりがちだが対人関心はあ
る、などの相違点がありました。しかし言葉を話すことができても微妙な皮肉と
か冗談がわからないなどコミュニケーションの障害や相互的な対人関係がとれな
いなどの社会性の問題、興味の範囲が限られているなどの問題が明らかでした。
そのためウイングはカナータイプの自閉症と連続した障害としてアスペルガー症
候群を捉え、自閉症としての援助が必要であるとしました。現在ではイギリスを
中心にウイングの考え方が広く受け入れられています。
ウイングらはカナーの基準を厳密に満たす子ども達を「カナータイプの自閉症」
あるいは「典型的自閉症」と呼ぶことにし、カナーの報告したケースよりアスペ
ルガーの報告に近い子どもたちを「アスペルガー症候群」あるいは「アスペルガ
ータイプの自閉症」と名づけました。どちらのタイプの自閉症も社会性・コミュ
ニケーション・想像力の障害がありました。この3領域の障害が同時にみられる
場合を自閉症スペクトラムと呼ぶことにしたのです。自閉症スペクトラムにはア
スペルガータイプとカナータイプの自閉症の両方と、どちらの基準も厳密には満
たさないが前記の3領域の障害がみられる場合も含まれます。「スペクトラム」
とは連続体という意味です。アスペルガータイプとカナータイプは連続した一続
きのもので、その境界は曖昧です。幼児期にはカナータイプの行動特徴を示して
も、年齢が長ずるとアスペルガータイプに近くなる子どももいます。中にはアス
ペルガーの特徴とカナーの特徴を同程度に併せ持っている子どももいます。そう
いう場合にアスペルガータイプかカナータイプか二者択一的に議論するより自閉
症スペクトラムと幅広く捉えて援助の方法を考えたほうが有効です。自閉症スペ
クトラムか、そうでないかの診断は大変重要ですが、アスペルガータイプかカナ
ータイプかどちらか区別することはそれほど意味がないのです。
● 以下によく受ける質問についてお答えします。 ●
○ アスペルガー症候群の人はどのくらいいるのでしょうか?
日本での詳細なデータはないようです。イギリス自閉症協会はアスペルガー症候
群の人が一万人に36人、自閉症スペクトラム全体としては一万人に91人と推定し
ています。
○ アスペルガー症候群と犯罪は繋がりがあるのでしょうか?
アスペルガー症候群の人が、そうでない人々より犯罪を犯しやすいというデータ
はありません。私はアスペルガー症候群の人を日本、英国合わせて200人以上診
てきましたが、重大な犯罪に関与した人はいませんでした。彼らの多くは他者を
疑うことを知らないために、いわゆる非行少年たちの手先として利用されて、警
察が関与するということはありえるでしょう。また学校などでは、いじめの被害
者となっていることが非常に多く、警戒するよりも守らなければならないことの
方がはるかに多いといっていいでしょう。
○ アスペルガー症候群は性格の障害だから20歳以前に治療を開始しないと治ら
ないと言う専門家もいるようですが?
アスペルガー症候群は現在では発達の障害と考えられています。アスペルガー症
候群の人は一般に社交が苦手だったり、特定の領域のことに強い関心を示したり
することが多く、多数派か少数派かという視点からは少数派といえるでしょう。
「非社交的な性格」などと周囲からみなされることもあるかもしれません。しか
しすべての人が社交的でなければならないわけではないでしょうし、広い趣味を
持たなければならないというわけではないでしょう。アスペルガー症候群の人の
「治療」というものがもしあるとしたら、その人の長所を活かして、苦手な所を
カバーする方法を一緒に見つけていくことだと思います。「20歳以前に治療する
と治る」ということの意味する所は私には理解できません。
以上です。豊川事件も含めて個別のケースにコメントはできません。なぜなら豊
川事件に関しては新聞報道以上のことを知らないからです。専門家として診察し
ていない人のことをコメントすることはできません。また他のいかなる個人の問
題についてもお答えすることは不可能です。ここで示したのはアスペルガー症候
群一般についての理解を深めていただくための全体的解説と考えてください。リ
ンク、引用、転載、印刷した上での配布については次の3条件を満たしていただ
ければ歓迎します。1.全文(「はじめ」、から「終わり」まで)を掲載し、一部
分のみを引用しないこと、2.よこはま発達クリニック、内山登紀夫宛てメイル、
ファクス、郵便などで個人あるいは団体名などを明示して連絡すること、3.営利
の目的としないこと、の3点です。アスペルガー症候群全般に関する質問に対し
てもホームページなどでお答えしていきたいとは思いますが、多忙のため無理な
場合もありますのでご理解ください。なお京都自閉症協会のホームページにアス
ペルガー症候群に関する私の講演の記録がありますのでご参考にして頂ければ幸
いです。(http://web.kyoto-inet.or.jp/org/atoz3/ask/utiyama/index.html)
〒224-0032 横浜市都筑区茅ヶ崎中央7-7レスターテ港北2F
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内山登紀夫
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