・万葉集の作者未詳歌二千数百首より二百余首を抜萃した。
・柿本人麻呂歌集出典歌から抜萃した歌は柿本人麻呂に載せたので、ここには採らなかった。
・巻十四東歌の左注の国名表記は、ここでは題詞として掲げた。
・左注は省略した場合がある。
巻一 1首 巻二 23首 巻七 32首 巻九 1首 巻十 52首 巻十一 21首
巻十二 18首 巻十三 17首 巻十四 48首 巻十六 11首 巻十七 4首 計228首
打ち
【通釈】麻続王は海人なのだろうか。伊良湖の島の海藻をお刈りになっている。
【語釈】◇伊良虞 愛知県の伊良湖岬であろうという。一説に伊良湖岬の西方沖、三重県志摩郡の神島とも。◇打ち麻を 「麻続(をみ)」の枕詞。◇海人(あま) 海辺に住み、海産物によって生計を立てていた人々。◇玉藻(たまも) 海藻の美称。
【補記】左注に日本書紀を引き、天武天皇の四年(675)四月、麻続王が因幡に流罪となった旨を記している。詳しくは麻続王を参照されたい。
皇子尊の宮の舎人等の慟傷して作る歌二十三首
高光る我が日の
島の宮
高光る我が日の皇子のいましせば島の
朝日照る
橘の島の宮には飽かねかも佐太の岡辺に
我が
あかねさす日の入りぬればみ立たしの島に
朝日照る島の御門に
けころもを時かたまけて
朝日照る
右、日本紀曰、三年己丑夏四月癸未朔乙未薨。
月を詠む
雲を詠む
大き海に島もあらなくに海原のたゆたふ波に立てる白雲(1089)
右の一首は、伊勢従駕の作。
山を詠む
【通釈】昔のことは知らないけれども、自分が見てからも長い時が経ったことよ、天の香具山を――。
【主な派生歌】
我みても昔はとほくなりにけりともに老木のから崎の松(藤原為家[続拾遺])
河を詠む
おほきみの
【主な派生歌】
まがねふく吉備の中山おびにせる細谷川のおとのさやけさ(読人不知[古今])
我が恋は細谷川の水なれやすゑにくははる音聞ゆなり(西行)
さやけさはおとにのみこそきこゆなれ細谷川の春のよの月(兼好)
帯にせる細谷川の朝風にむすぼほれぬる鶯の声(心敬)
けふぞみる細谷川のおとにのみききわたりにしきびの中山(木下長嘯子)
泊瀬川ながるる
露を詠む
ぬば玉の我が黒髪に降りなづむ天の露霜取れば
鳥を詠む
佐保川の清き川原に鳴く千鳥かはづと二つ忘れかねつも(1123)
故郷を思ふ
清き瀬に千鳥妻呼び山の
琴取れば嘆き先立つけだしくも琴の
芳野作
神さぶる
【通釈】神々しいさまで、大岩がごつごつしている吉野の水分山――その山を見ると、胸に迫るものがある。
【語釈】◇磐根 根が大地に食い込んでいる岩。◇水分山 吉野の上千本の上方、青根が峰の前方の山。吉野水分神社がある。「みくまり」は《水配(みくば)り》の意で、水を配分する神。また《水が分かれる所》の意とも言う。
【補記】「芳野作」と題した五首の最初。都の人が吉野を旅した時、宴などで披露された歌か。
【他出】色葉和難集、夫木和歌抄
【主な派生歌】
あしひきの岩根こごしき鈴鹿路をかちよりゆかばゆきかてましを(本居宣長)
山背にて作る
宇治川は淀瀬無からし
摂津にて作る
しなが鳥
【通釈】猪名野をやって来ると、有馬山には夕霧が立ちこめていた。今夜の宿りはないままに。
【語釈】◇しなが鳥 猪名野の枕詞。しなが鳥はカイツブリの別名という。掛かり方未詳。◇猪名野 兵庫県伊丹市から尼崎市あたりに広がっていた原野。◇有馬山 神戸の有馬温泉付近の山。
【主な派生歌】
有馬山猪名の笹原風ふけばいでそよ人を忘れやはする(*大弐三位)
短か夜のゐなの笹原かりそめに明かせば明けぬ宿はなくとも(藤原定家)
へだてゆくゐな野の原の夕霧に宿ありとても誰かとふべき(*宗良親王)
覊旅にて作る
潮
人ならば母が
妹がため玉を
【通釈】家で待つ妻のために玉を拾おうと、紀の国の由良の岬で今日一日を過ごしてしまった。
【語釈】◇由良の岬 和歌山県日高郡由良町(平成二十一年二月現在の地名)の岬。◇玉 美しい丸い石、あるいは真珠。
【補記】一つ前の歌「若の浦に白波立ちて沖つ風寒き夕は大和し思ほゆ」を受けて、故郷に残してきた妻に思いを馳せた一首。みやげを探すために旅の一日を費やしてしまったと言い、妻に対する思いの強さを訴えている。なお、旧国歌大観番号1218〜1222及び1194・1195の七首については「藤原卿作」との注記があり、作者を藤原房前とする説(契沖)や、不比等とする説(伊藤博)がある。また武智麻呂や藤原麻呂の可能性を指摘する説もある。
【主な派生歌】
紀の国や由良の湊に拾ふてふたまさかにだに逢ひ見てしがな(*藤原長方[新古今])
あしびきの山べにすめばすべをなみ樒摘みつつこの日暮らしつ(*良寛)
ちはやぶる
高島の
娘子らが
臨時
道の
【通釈】草深い中に咲く百合のようにあなたは微笑みかけてくれた、それだけであなたを私の妻と言ってもいいのだろうか。
【補記】作者が男か女かによって解釈が違ってくる。上は男であるとして読んでみた。
佐伯山卯の花持ちし
今年行く
玉に寄す
水底にしづく白玉たがゆゑに心つくして我が思はなくに(1320)
【通釈】水底に沈んでいる真珠――そのように手の届かない美しい人よ、あなた以外の誰のためにも、私は心を尽くして思うことなどないのに。
【補記】親に大切に育てられ、世間から隔てられている美しい娘を、海底の真珠に喩えたのであろう。但し奈良時代の歌学書『歌経標式』には「藤原里官卿奉贈新田部親王歌」として出ている(初句は「みなそこへ」)。
【主な派生歌】
水のおもにしづく花の色さやかにも君がみかげの思ほゆるかな(*小野篁)
草に寄す
冬ごもり春の大野を焼く人は焼き足らねかも
常ならぬ人国山の秋津野のかきつはたをし
月草に衣は
木に寄す
たらちねの母がそのなる桑すらに願へば
【通釈】母の育てる桑の木――その葉でさえ、神に祈れば、衣になって、着ることができるではないか。私の恋も、願えば実現しないわけがあろうか。
【語釈】◇母がそのなる 原文は「母之其業」で、「之」を「の」と訓む本もある。「そのなる」は「園なる」か「その業(な)る」か。「業る」とは「なりわいとする」の意。
【補記】蚕の食べた桑の葉が絹糸となって吐き出され、美しい衣に変わることは神のしわざであった。そのように驚嘆すべき出来事も、神に祈願することによって成就するのであるから、心から願えば困難な恋もいつか叶うはずだ、との心。
【通釈】どのように幸運な人が黒髪の白くなるまで妻の元気な声を聞くのだろうか。
【補記】老いに至る前に妻を亡くした男の嘆き。相当低かったであろう当時の平均寿命を思えば、「黒髪の白くなるまで」は誰人にとっても切実な願いであったろう。亡き妻の「声」を言ってひとしお哀切。
玉づさの妹は玉かもあしひきの清き山辺に撒けば散りぬる(1415)
芳野離宮に
落ちたぎち流るる水の岩に触れ淀める淀に月の影見ゆ(1714)
【通釈】激しく逆巻き落ちる水が岩にぶつかり、やがて勢いをなくし、淀んだところ――その淀みに月の光が映って見える。
【主な派生歌】
さざなみの比良の大わだ秋たけてよどめる淀に月ぞすみける(賀茂真淵)
鳥を詠む
我が背子を
【通釈】愛しい夫を越させないでくれという名の莫越の山の呼子鳥よ、あの人を呼び返しておくれ、夜の更けない内に。
【語釈】◇我が背子を 「莫越」の枕詞。夫を越させないでほしい、の意で冠する。◇莫越の山 所在未詳。「な越し」、すなわち「越さないでおくれ」の意が掛かる。◇呼子鳥 鳴き声が人を呼んでいるように聞える鳥。カッコウのことかという。
【補記】出掛けて行った夫が家に戻って来てほしいとの願いを、呼子鳥に託している。拾遺集などに山部赤人の歌として載る(第二句「ならしの岡の」)。
【他出】赤人集、伊勢集、古今和歌六帖、拾遺抄、拾遺集、五代集歌枕、定家八代抄、色葉和難集、歌枕名寄、夫木和歌抄
雪を詠む
今さらに雪降らめやもかぎろひの燃ゆる春へとなりにしものを(1835)
【通釈】今更雪が降るだろうか、そんなはずはない。陽炎の燃え立つ春となったというのに。
【他出】新古今集、定家八代抄、秀歌大躰、歌林良材
君がため山田の沢にゑぐ摘むと
梅の花ふりおほふ雪をつつみもち君に見せむととれば
鳥を詠む
梅が枝に鳴きて移ろふ鶯の羽白妙に沫雪ぞ降る(1840)
【通釈】梅の咲く枝に啼きながら移動している鶯の羽が真っ白になるほど、沫雪が降っている。
【補記】「梅・鶯・白雪の取り合わせは、六朝・初唐の詩によく見える趣向で、これは、その影響をうけた歌と思われる(『古典集成』)」(萬葉集釋注)。
【他出】赤人集、古今和歌六帖、新古今集、定家八代抄、詠歌大概
【主な派生歌】
くるとあくと目かれぬ花に鶯のなきてうつろふ声なをしへそ(藤原定家)
うぐひすの羽しろたへにふる雪をうちはらふにも梅の香ぞする(藤原良経)
雁のくる峰の秋霧そらはれて羽しろたへにすめる月かげ(後鳥羽院)
春風のさそふか野辺の梅が枝になきてうつろふ鶯の声(後鳥羽院)
ひさかたの雲居をわたる雁がねも羽しろたへに雪やふるらむ(良寛)
霞を詠む
昨日こそ年は果てしか春霞春日の山にはや立ちにけり(1843)
【通釈】昨日年は終わったばかりなのに、春霞が春日の山に早くも現れたのだった。
【補記】正月一日、暦どおりに春めいた気候となったことを詠む。拾遺集に山部赤人の歌として載り(第二句は「年はくれしか」)、後世赤人の代表作の一つと見なされた。但し具平親王撰『三十人撰』、藤原公任撰『三十六人撰』『深窓秘抄』等、作者を柿本人麿としている本も少なくない。
【他出】赤人集、家持集、古今和歌六帖、三十人撰、麗花集、深窓秘抄、和漢朗詠集、三十六人撰、和歌体十種(器量体)、奥義抄、柿本人麻呂勘文、和歌十体(器量体)、古来風躰抄、秀歌大躰、歌枕名寄
柳を詠む
浅緑染めかけたりと見るまでに春の柳はもえにけるかも(1847)
【通釈】浅緑に染めた糸を懸けていると見るほどに、春の柳の若葉は青々と萌え出たのだった。
【他出】赤人集、家持集、続古今集(山辺赤人)
【主な派生歌】
浅緑 濃い縹 染めかけたりとや見るまでに 玉光る 下光る 新京朱雀の垂り柳…(催馬楽・浅緑)
山の
【通釈】山裾に雪は降っているが、とは言えこの川柳は芽が萌しているのだった。
【語釈】◇川楊 柳の一種。猫柳とも言う。春、葉より先に花穂をつける。銀白色の毛が密生して目を引く。
【補記】下記参考歌のように、類型の多い歌である。
【他出】赤人集、新勅撰集
【参考歌】大伴家持「万葉集」巻八
うち霧らし雪は降りつつしかすがに我ぎ宅の苑に鶯鳴くも
朝な朝な我が見る柳鶯の来居て鳴くべく森に早なれ(1850)
【通釈】毎朝毎朝私が見る柳よ、早く育ち枝葉を繁らせて、鶯が来て鳴くようになってくれ。
【通釈】青々とした柳の葉のこまやかな美しさよ。春風に乱れないうちに、誰か見せてやる子がいればよいのに。
【語釈】◇青柳の糸 青柳は芽吹いて間もない柳。その細葉を糸に喩える。漢語「柳糸」に由る表現という。◇くはしさ 精細な、あるいは繊細な美しさ。◇乱れぬ 糸が緩んでばらばらになることを「みだる」と言ったので、「糸」とは縁語の関係にあると言える。◇乱れぬい間 乱れない、その間。「い」は用言と体言を繋ぐ連体助詞。但し間投助詞あるいは接頭語とみる説もある。
【補記】『家持集』には「青柳の糸よりかけて春風のみだれぬさきに見む人もがな」とあり、この形で続後撰集に採られている。
【他出】家持集、続後撰集、秋風集
月を詠む
春されば
【異文】春くれば木がくれおほき夕月夜おぼつかなしも花かげにして(後撰集)
花を詠む
見渡せば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも(1872)
【通釈】見渡すと、春日(かすが)の野辺に霞が立ち籠め、ほのぼのと色が滲むように咲いている花――あれは桜の花であろうか。
【補記】霞の中に滲むように咲いている桜。「かすが」「かすみ」「さきにほへる」「さくらばな」と頭韻を押す調べも快い。「立ち渡る霞のみかは山高み見ゆる桜の色もひとつを」(後撰集、読人不知)のように、後世、霞と花の融化は王朝和歌において極めて好まれる趣向となるが、掲出歌はその先駆けと言うべき一首。
【他出】赤人集、家持集、五代集歌枕、歌枕名寄、夫木和歌抄、風雅集
(風雅集は作者を人麿、第四句を「ひらくる花は」とする)
春日野に煙立つ見ゆ
【通釈】春日野に煙の立つのが見える。少女たちが春の野のうはぎを摘んで、煮ているらしいよ。
【語釈】◇春日野(かすがの) 奈良の春日山・若草山の西麓の台地。平城京の人々にとっては恰好の野遊びの場所であった。◇うはぎ 薺蒿。「おはぎ」とも。嫁菜の古名。野菊の仲間で、若菜は食用になる。
【補記】新春の若菜摘みはそもそもは信仰に基づく行事であったが、掲出歌はのどかな春の行楽を思わせる。後世春日野が若菜摘みの名所になったのは、この歌あってのことであろう。
【他出】古今和歌六帖、和歌童蒙抄、五代集歌枕、歌枕名寄、夫木和歌抄
野遊
ももしきの大宮人は
鳥に寄す
春さればもずの草ぐき見えずとも我は見やらむ君があたりをば(1897)
花に寄す
をみなへし
【通釈】佐紀の野に生える白(しら)つつじではないが、自分の与り知らぬことで以って、世間にとやかく言われた愛しい人よ。
【語釈】◇をみなへし 花の名であるが、ここでは枕詞として用いる。「をみなへし咲き」から同音の「佐紀野」に続けた。◇佐紀野 佐紀は平城宮北方の野。奈良市に佐紀町の地名が残る。◇我が背 「せ」は、夫や恋人など親密な男性を呼ぶ時に用いられる語。
【補記】春の花である躑躅に寄せて、身に覚えのない噂を立てられた恋人を思いやった歌。おそらく作者は噂の相手その人であろう。第三句「白つつじ」までは同音から「知らぬ」を言い起こすための序。
【他出】赤人集、古今和歌六帖、夫木和歌抄
雨に寄す
我が背子に恋ひてすべなみ春雨の降るわき知らに出でて
春雨に衣はいたく通らめや
雲に寄す
【通釈】白真弓を張るという、今はまさに春、その春の山にあたって別れてゆく雲のように、私はあなたと別れてゆくのだろうか。恋しく思っているのに。
【語釈】◇白真弓 白木の弓。「春」の枕詞。弓を「張る」と言うことから、同音の「春」に掛かる。
【補記】「行く雲の」までは「ゆきやわかれむ」を起こす序。
【他出】赤人集、桐火桶、新千載集
(新千載集では第四句を「ゆきやわかれむ」とする。)
悲別
鳥を詠む
反歌
旅にして妻恋すらしほととぎす神名備山にさ夜ふけて鳴く(1938)
花を詠む
風に散る花橘を袖に受けて君が
【通釈】風に散る橘の花を袖に受け止めて、あなたの残されたしるしとして偲んだのでした。
【補記】橘の花は香り高い。その花びらを袖に受け止めて、今ここにいない恋人の名残と見たのである。
【他出】赤人集、夫木和歌抄、桐火桶、新拾遺集
新拾遺集は赤人作とし、下句を「君がためにと思ひけるかな」として載せる。
【通釈】雨の降る期間が明けて、国見をしようと思っていたのに、郷里の橘の花は散ってしまったことよ。
【語釈】◇国見 山などの高所に立って土地を眺め渡すこと。
日に寄す
【通釈】陰暦六月の、土まで裂けるほど照りつける日差し――それでも私の袖は乾くだろうか、あなたに逢えなくて。
七夕
天の川霧立ちのぼる
【通釈】天の川には霧がたちのぼる。織姫がまとう雲のように白い衣のひるがえる袖であろうか。
【語釈】◇雲の衣 天の川にかかる雲を織女の衣になぞらえる。
【他出】続後撰集、夫木和歌抄
花を詠む
【通釈】いちめん葛の生える原を靡かせて秋風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花は散る。
【語釈】◇真葛原 「真葛」は葛の美称。葛はマメ科のつる性多年草。◇阿太の大野 奈良県五條市阿田あたりにあった原野。
【補記】万葉集巻十秋雑歌、「詠花」と題された歌群のうち、人麻呂歌集以外の萩の花を詠んだ歌々の冒頭に置かれている。
【他出】家持集、五代集歌枕、歌枕名寄、夫木和歌抄、玉葉集
【主な派生歌】
鶉鳴くあだの大野の真葛原いくよの露にむすぼれぬらん(藤原顕季[新拾遺])
真葛はふあだの大野の白露を吹きなみだりそ秋の初風(*藤原長実[金葉])
おく露のあだの大野の真葛原うらみがほなる松虫の声(後鳥羽院[続後撰])
契のみあだのおほ野のまくず原恋のただぢは秋風ぞ吹く(藤原基家[続後拾遺])
露むすぶあだの大野の真葛原らうらみぞふかき夜半の秋風(笠間時朝)
置く露も千種ながらにみだれゆくあだの大野の月かげはをし(*堀田一輝)
朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけり(2104)
ことさらに衣は
【通釈】
【語釈】◇
【補記】
雁を詠む
葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなべに雁鳴き渡る(2134)
山を詠む
春は萌え夏は緑に
黄葉を詠む
しぐれの雨まなくし降れば槙の葉もあらそひかねて色づきにけり(2196)
【通釈】時雨の雨が絶え間なく降るので、常緑であるはずの槙の葉さえも、抵抗しきれずに色づいたのだった。
【補記】槙は杉・檜の類。常緑樹であるが、晩秋には赤褐色に枯れる葉が見られる。新古今集には冬部に「題しらず 人丸」として掲載。
【他出】和歌童蒙抄、新古今集、定家八代抄、夫木和歌抄、六華集、歌林良材
【主な派生歌】
山めぐりなほ時雨るなり秋にだにあらそひかねし槙の下葉を(藤原定家)
雨に寄す
草に寄す
道の
【通釈】道のほとり、穂を出した薄の下蔭の思い草――まるで思い悩むように俯いて咲いている。そんな風に私も恋の悩みを抱えているのだけれども、いやいや、今更もう何を悩んだりしようか
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思ひ草(ナンバンギセル) |
【語釈】◇尾花(をばな) 穂の出た薄。◇思ひ草 諸説あるが、ハマウツボ科のナンバンギセルか。薄の根元に寄生することと言い、頭を垂れて咲く姿と言い、万葉集の「思ひ草」によく適合する。
【補記】秋の草に寄せて、恋の思いを詠む。この歌により、「尾花がもとの思ひ草」は後世の和歌にも数多く詠まれた。
【主な派生歌】
野辺みれば尾花がもとの思ひ草かれゆく冬になりぞしにける(*和泉式部)
霜むすぶ尾花がもとの思ひ草きえなむのちや色にいづべき(藤原定家)
暮れはつる尾花がもとの思ひ草はかなの野辺の露のよすがや(*藤原俊成女)
花に寄す
草深みこほろぎ
何すとか君をいとはむ秋萩のその初花の嬉しきものを(2273)
萩が花咲けるを見れば君に逢はずまことも久になりにけるかも(2280)
藤原の
月に寄す
君に恋ひ
雪を詠む
こと降らば袖さへ濡れて通るべく降りなむ雪の空に
夕されば衣手寒し
我が袖に降りつる雪も流れ行きて
あしひきの山に白きは我が屋戸に昨日の夕へ降りし雪かも(2324)
花を詠む
来て見べき人もあらなくに
露を詠む
妹がため
黄葉を詠む
霜に寄す
はなはだも夜ふけてな行き道の
雪に寄す
笹の葉にはだれ降り覆ひ
我が背子が
旋頭歌
正述心緒
さ寝ぬ夜は
ぬば玉の
朝寝髪われは
【通釈】朝の寝乱れた髪、私はそれを梳るまい。いとしい人の腕枕が触れたのだから。
【主な派生歌】
敷妙の枕はかへじわぎもこが寝くたれ髪にふれてしものを(*藤原教長)
寄物陳思
あしひきの山田
難波人葦火焚く屋の
千早ぶる神の
【通釈】畏れ多い神の御垣も越えてしまおう。今は自分の名など惜しくもない。
【補記】「斎垣」は神社など聖域に巡らす垣で、これを越えることは禁忌を意味した。すなわち上句は禁忌の恋に踏み込むことの比喩であろう。
真袖もち
【通釈】両袖で床を払い清め、あなたを待つというので起きていた間に、月はすっかり傾いてしまった。
【補記】『赤人集』には見えないが、玉葉集に「ま袖もてゆかうちはらひ君待つと居りつるほどに月かたぶきぬ」として載せる。
【他出】綺語抄、色葉和難集
【通釈】朽網山に夕方かかっている雲が薄れてゆき、見えなくなったら、私は恋しく思うだろうな、あの人に逢いたくて。
【語釈】◇朽網山 不詳。大分県の久住山とする説、福岡県北九州市小倉南区の朽網(くさみ)の山とする説がある。
【補記】夕方、山にかかっている雲を見て、恋人を思いやっていた。その雲が見えなくなれば、恋しさを託する対象がなくなって、逢いたい気持が募る、ということであろう。
笠無みと人には言ひて
【通釈】笠が無いのでと人には言って、雨に降り籠められて我が家に留まったあの人の姿が思い出される。
玉藻刈る
波の間ゆ見ゆる小島の
【通釈】波の間から見える小島の浜の久木、その名のように久しくなってしまった。あなたに逢わなくなって。
【語釈】◇浜久木 浜に生えている久木。久木はキササゲまたはアカメガシワのことという。
【補記】古今和歌六帖・拾遺集などには初句「浪間より」、結句「逢はずて」として入集。
【他出】古今和歌六帖、拾遺集、古来風躰抄、定家八代抄、秀歌大躰、歌枕名寄、夫木和歌抄
【主な派生歌】
板びさし久しくとはぬ山里も浪間に見ゆる卯の花の頃(藤原定家)
夕されば潮風さむし波間よりみゆる小島に雪はふりつつ(*源実朝)
思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を(2802)
或本歌曰、あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜を一人かも寝む
明けぬべく千鳥しば鳴く白たへの君が手枕いまだ飽かなくに(2807)
問答
我が背子が袖返す
正述心緒
妹と言はば
なかなかに死なば安けむ出づる日の入る
我妹子が
【通釈】愛しいあの子が夜戸口に立っている姿を見てからというもの、私の心はうわの空である。足は土を踏んでいても。
【語釈】◇夜戸出 夜に戸口を出ること。
寄物陳思
たらちねの母が飼ふ
【通釈】母が飼い育てている蚕の繭籠りのように、息がつまるようだよ、愛しい子に逢わずにいて。
【語釈】◇たらちねの 「母」の枕詞。タラチネは「足ら・霊(ち)・根」で、「満ち足りた生命力の根源」が原意か。万葉集以下「垂乳根」などと書くのは宛字であろう。
【参考歌】人丸「拾遺集」
たらちねのおやのかふこのまゆごもりいぶせくもあるかいもにあはずして
【主な派生歌】
しられじな親のかふこの引まゆの心にこむる思ひありとは(二条為定[新千載])
いとはじや親のかふこのいぶせさもかかるふせやのならひと思へば(宗良親王)
しづが屋の親のかふこが白妙にまゆひらけたる夕顔の花(正徹)
紫のまだらの
あしひきの山よりいづる月待つと人には言ひて妹待つ我を(3002)
【通釈】山から差し出る月を待っていると人には言って、実は愛しいおまえを私は待っているのだ。
【補記】拾遺集などに結句「君をこそ待て」、作者「人丸」として掲載。
【他出】人丸集、拾遺集、袖中抄、定家十体(有一節様)、定家八代抄、秀歌大躰、和歌無底抄
大き海の底を深めて結びてし妹が心は疑ひもなし(3028)
君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも(3032)
【他出】伊勢物語、古来風躰抄、新古今集、定家八代抄
君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも
【主な派生歌】
いこま山むら雨とほくいづる月雲もかくさぬ嵐ふくらし(藤原家隆)
ながむれば雲だにみえず生駒山いくへかかすみ春の明ぼの(源具親)
いこま山雲のいにしへしらねどもはれぬしぐれにおもひわびつつ(後鳥羽院)
伊駒山雲なへだてそ秋の月あたりの空はしぐれなりとも(順徳院[続拾遺])
へだつとてうらみぬ雲は伊駒山君があたりの桜なりけり(宗尊親王)
君があたりそこともみえず生駒山雲をへだつる春のかすみに(藤原為理)
いくへかは雲もへだつる伊駒山あたりぞみえぬ五月雨のころ(尭孝)
忘れては雲やかくすと伊駒山うらみもすべきみねの雪かな(三条西実隆)
うらむなよ雨はふるとも生駒山もみぢをいそぐ秋のひところ(〃)
けふもまたながめやるかな生駒山たのまぬものの夕ぐれの空(木下長嘯子)
忘れ草垣もしみみに植ゑたれど
みさご居る
さ
問答
紫は灰さすものぞ
たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰と知りてか(3102)
羇旅発思
桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散りゆく(3129)
悲別歌
青丹よし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り
反歌
逢坂をうち出て見れば淡海の海
【通釈】大和の国には人がたくさん満ちているけれども、藤の花のように心がまつわりつき、若草のように心が離れなかったあなた――そのあなたを見ることに恋い焦がれながら明かすのだろう、長いこの夜を。
【語釈】◇磯城島の 「やまと」の枕詞。
反歌
磯城島の大和の国に人二人ありとし思はば何か嘆かむ(3249)
【通釈】大和の国にあの人が二人いると思えたとしたら、何を歎くことがあろうか。しかしあの人はたった一人なのだ。
反歌
我が心焼くも我なり
うちひさつ 三宅の原ゆ
反歌
父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ
物思はず 道行きなむも 春山を 振り
反歌
如何にして恋やむものぞ天地の神を祈れど我は思ひ益す(3306)
しかれこそ 年の
反歌
天地の神をも我は祈りてき恋ちふものはかつて止まずけり(3308)
つぎねふ
反歌
馬買はば妹
反歌
衣手を葦毛の馬の
高山と 海とこそは 山ながら かくも
上総国歌
下総国歌
常陸国歌
筑波嶺に雪かも降らる
信濃国歌
【他出】家持集、五代集歌枕、歌枕名寄、続後拾遺集、三百六十首和歌、六華集
駿河国歌
霞居る富士の山びに我が来なばいづち向きてか妹が歎かむ(3357)
さ
駿河の海
相模国歌
足柄の
我が背子を大和へ遣りてまつしだす足柄山の杉の
ま
武蔵国歌
多摩川に
【通釈】多摩川に晒す手織りの布ではないが、さらにさらに、どうしてこの子がこれ程いとしくてならないのか。
【異文】作者未詳「古今和歌六帖」
たま川にさらすてづくりさらさらに昔のいもがこひしきやなぞ
よみ人しらず「拾遺集」
玉河にさらすてづくりさらさらに昔の人のこひしきやなぞ
(他に「伊勢集」「夫木和歌抄」等にも小異歌が見える。)
【主な派生歌】
たま川やをちの砧にならすなりこやさらしけるてづくりの布(殷富門院大輔)
てづくりやさらすかきねの朝露をつらぬきとむる玉川の里(藤原定家)
玉河に玉ちるばかりたつ浪を妹が手づくりさらすとぞみる(楫取魚彦)
玉川や千村五百村手づくりをさらしそふると見ゆる月かな(橘千蔭)
血縁の何ぞさらさら麻の葉の夏蒲團秋風に晒して(塚本邦雄)
恋しけば袖も振らむを
或本歌曰、いかにして恋ひばか妹に武蔵野のうけらが花の色に出ずあらむ
下総国歌
にほ鳥の葛飾
【通釈】足音を立てずに渡ってゆける馬があったらなあ。葛飾の真間の継橋を始終通おうに。
【語釈】◇真間の継橋 下総の歌枕。今の千葉県市川市内。「継橋」は板を継ぎ渡した橋。
【他出】五代集歌枕、和歌初学抄、古来風躰抄、歌枕名寄、夫木和歌抄、井蛙抄
常陸国歌
筑波嶺にかか鳴く鷲の
【通釈】筑波嶺にかっかっと鳴く鷲のように、声を挙げてただ哭くばかりなのだろうか。あの人に逢うことはないままに。
筑波嶺の
信濃国歌
人皆の
信濃なる
【通釈】信濃の千曲川の小石も、愛しいあなたが踏んだのだったなら、宝玉と思って拾おう。
【主な派生歌】
秋の夜はちくまの川のさざれ石も玉とみるまですめる月かな(松永貞徳)
上野国歌
日の
利根川の川瀬も知らず
上毛野佐野の舟橋取り離し親は
下野国歌
下毛野安蘇の川原よ石踏まず空ゆと来きぬよ
陸奥国歌
筑紫なるにほふ子ゆゑに
鈴が音の
【通釈】馬の鈴の音がする駅家の井戸の水を下さいな、お姉ちゃんの手から直接。
【語釈】◇鈴が音(ね)の 「早馬」の枕詞。この「鈴」は地方出張の官人が通行証として馬に取り付けた鈴。◇早馬駅 駅馬を置いた駅舎。◇堤井 周囲を土塀などで巡らした井戸。◇妹(いも) 親愛をこめた女性に対する呼称。ここでは駅家で働いていた女性であろう。◇直手よ じきじきの手から。「よ」は助詞「より」の古形。
この川に朝菜洗ふ子
うらもなく我が行く道に青柳の張りて立てれば物
おもしろき野をばな焼きそ古草に
【通釈】趣のある野は焼かないでくれ。古草に新草がまじって、生い茂るだけ生い茂るように。
【語釈】◇生ふるがに 「がに」は「がね」の東国方言で「〜するように」の意。
風の
稲搗けば
【通釈】稲を搗(つ)くと、ひび割れして傷む私の手――その手を、今夜もまた、お屋敷の若様が手に取って、かわいそうにと嘆いて下さるだろう。
【語釈】◇皹る 手の皮がひびわれる。皹(あかぎれ)ができる。
【補記】「本来は稲搗の作業歌で、ひび割れの手を恥ずかしがる形でお屋敷の若様との逢瀬を想い見た歌なのだろう」(伊藤博『萬葉集釋注』)。
【主な派生歌】
うちおける板目に切れし黒髪をゆゆしと見つつ夫子や歎かん(*加納諸平)
あしひきの
ま
山鳥の尾ろのはつ尾に鏡懸け唱ふべみこそ
坂越えて
置きて行かば妹はま悲し持ちて行く梓の弓の
おくれ居て恋ひば苦しも
右の二首は、問答。
葦の葉に夕霧立ちて鴨が
かなし妹をいづち行かめと
古歌に曰く
橘の寺の長屋に
右の歌、椎野連長年が脈(とり)みて曰く、それ寺家の屋は俗人の寝処にあらず。亦若冠の女を称(い)ひて放髪丱(はなり)と曰ふ。然れば腰の句已に放髪丱と云へれば、尾の句、重ねて著冠の辞を云ふべからじか。
決(さだ)めて曰く
橘の照れる長屋に吾が率ねし童女放髪に髪上げつらむか
世間の無常を厭ふ歌二首
生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも(3849)
世の中の繁き
右の歌二首は、河原寺の仏堂の裡の倭琴の面に在り。
その皮を 畳に刺し 八重畳
あしひきの この片山に 二つ立つ
梓弓 八つ
たちまちに
我が目らは
我が毛らは 御筆の
我が
我が
右の歌一首は、鹿の為に
押し照るや 難波の
明らけく
笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと
かもかくも
立つれども
馬にこそ
あしひきの この片山の
天照るや 日の
庭に立つ
今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗り給ひ
もちはやすも もちはやすも(3885)
右の歌一首は、蟹の為に
越中国歌(四首より二首)
弥彦おのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そほ降る(3883)
【通釈】弥彦の山は、おのずから神々しく、青雲の棚引く穏やかな日でさえ小雨がぱらぱらと降る。
【語釈】◇弥彦(いやひこ) 原文は「伊夜彦」。今は普通「やひこ」と呼ぶ。越後平野に聳える山。麓に弥彦神社がある。『続日本紀』の記事より大宝二年(702)以前は越中国に属したと推測されている。
【補記】脚注として第二句の異文「あなに神さび」を伝える。
【主な派生歌】
もみぢ葉の小雨に朽ちし弥彦は月より高く神さびにけり(*加納諸平)
弥彦 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ
【通釈】弥彦、神であるその山の麓に、今日あたりもまた、鹿が伏しているだろうか。皮衣を着て、角をつけたまま。
【補記】万葉集で唯一の仏足石歌体(五七五七七七)。鹿を擬人化している。鹿踊りなどの神事と関係ある歌かとも言う。
怕しき物の歌三首
沖つ国うしはく君の塗り屋形
天平二年
昨日こそ船出はせしか
玉はやす
家にてもたゆたふ命波の上に浮きてし居れば
【主な派生歌】
見わたせば大海の原に立つ霞奥かも知らに無き人思ほゆ(*鹿持雅澄)
大海の
更新日:平成15年09月11日
最終更新日:平成24年03月24日