藤原麻呂 ふじわらのまろ 持統九〜天平九(695-737) 略伝

不比等の四男。藤原京家の祖。母は五百重娘。武智麻呂・房前・宇合の異母弟。また新田部親王の異父弟。子に綱執・浜成・百能(豊成室)ほか。『懐風藻』には名を萬里に作る。
元正・聖武朝に仕えた官人。養老元年(717)、美濃介としての功績により従五位下に叙せられる。養老五年(721)には従四位上に昇進。その後左右京大夫を経て、神亀三年(726)に正四位上、同六年に従三位にと昇進を重ね、天平三年(731)、参議となる。この時兵部卿。同九年(737)正月、持節大使として陸奥に派遣され、多賀柵より雄勝村へ至る道を開くなど活躍するが、同年七月十三日、薨じた。時に参議兵部卿従三位、四十三歳。
大伴坂上郎女の恋人だったらしく、養老末年頃、同郎女に贈る歌三首(万葉集4-522〜524)がある。万葉にはこの三首のみ。『懐風藻』には詩五首を残す。『尊卑分脉』の「麿卿伝」に、弁舌に恵まれ多能、不世出の才を有したにも関わらず琴酒に沈湎した、その死にあたり朋友は血の涙を流して悲しんだ、とある。また『懐風藻』所収の詩の序文には「僕は聖代の狂生ぞ。直に風月を以て情と為し、魚鳥を翫と為す」と、自らを風狂の文人に見なしている。

京職大夫藤原大夫の大伴坂上郎女(おく)る歌

蒸衾(むしぶすま)(なごや)が下に臥せれども妹とし寝ねば肌し寒しも(万4-524)

【通釈】ふっくらと暖かい布団の下に寝ているけれども、愛しいあなたと一緒に寝るのではないので、肌が寒々としているよ。

【語釈】◇蒸衾 「暖かなるよしの称(な)なり」(古事記伝)。但し、苧(からむし)の繊維で作った掛け布団とする説などもある。「蒸衾柔やが下に」は須勢理比売の作と伝わる古歌謡にも同様の表現が見られる。

新田部親王に贈り奉る歌

水底(みなそこ)(しづ)く白玉誰がゆゑに心尽して我が思はなくに(歌経標式)

【通釈】水底はるかに沈んでいる真珠のように私が深く思いを寄せる人よ――あなた以外の誰のためにも、私はこれほど心尽くして慕いはしないのに。

【補記】万葉集巻七に小異歌がある。
水底に沈く白玉誰ゆゑに心尽して()()はなくに(1320)


最終更新日:平成15年11月08日