九条良経 くじょうよしつね 嘉応元〜建永元(1169-1206)

※工事中未校正

法性寺摂政太政大臣忠通の孫。後法性寺関白兼実の二男。母は従三位中宮亮藤原季行の娘。慈円は叔父。妹任子は後鳥羽院后宜秋門院。兄に良通(内大臣)、弟に良輔(左大臣)・良平(太政大臣)がいる。一条能保(源頼朝の妹婿)の息女、松殿基房(兼実の兄)の息女などを妻とした。子には藤原道家(摂政)・教家(大納言)・基家(内大臣)・東一条院立子(順徳院后)ほかがいる。
治承三年(1179)、十一歳で元服し、禁色昇殿。侍従・右少将・左中将を経て、元暦二年(1185)、従三位に叙され公卿に列す。その後も急速に昇進し、文治四年(1188)、正二位。この年、兄良通が死去し、九条家の跡取りとなる。同五年七月、権大納言となり、十二月、左大将を兼ねる。建久六年(1195)十一月、二十七歳にして内大臣(兼左大将)となるが、翌年父兼実が土御門通親の策謀により関白を辞し、良経も籠居を余儀なくされた。同九年正月、左大将罷免。しかし同十年六月には左大臣に昇進し、建仁二年(1202)以後は後鳥羽院の信任を得て、同年十二月、摂政に任ぜられる。同四年、従一位摂政太政大臣。元久二年(1205)四月、大臣を辞す。同三年三月、中御門京極の自邸で久しく絶えていた曲水の宴を再興する計画を立て、準備を進めていた最中の同月七日、急死した。三十八歳。
幼少期から学才をあらわし、漢詩文にすぐれたが、和歌の創作も早熟で、千載集には十代の作が七首収められた。藤原俊成を師とし、従者の定家からも大きな影響を受ける。叔父慈円の後援のもと、建久初年頃から歌壇を統率、建久元年(1190)の『花月百首』、同二年の『十題百首』、同四年の『六百番歌合』などを主催した。やがて歌壇の中心は後鳥羽院に移るが、良経はそこでも御子左家の歌人らと共に中核的な位置を占めた。建仁元年(1201)七月、和歌所設置に際しては寄人筆頭となり、『新古今和歌集』撰進に深く関与、仮名序を執筆するなどした。建仁元年の『老若五十首』、同二年の『水無瀬殿恋十五首歌合』、元久元年の『春日社歌合』『北野宮歌合』など院主催の和歌行事に参加し、『千五百番歌合』では判者もつとめた。
後京極摂政・中御門殿と称され、式部史生・秋篠月清・南海漁夫・西洞隠士などと号した。自撰の家集『式部史生秋篠月清集』があり(以下「秋篠月清集」あるいは「月清集」と略)、歌合形式の自撰歌集『後京極摂政御自歌合』がある(以下「自歌合」と略)。千載集初出。新古今集では西行・慈円に次ぎ第三位の収録歌数七十九首。勅撰入集計三百二十首。漢文の日記『殿記』は若干の遺文が存する。書も能くし、後世後京極様の名で伝わる。

「故摂政は、たけをむねとして、諸方を兼ねたりき。いかにぞや見ゆる詞のなさ、哥ごとに由あるさま、不可思議なりき。百首などのあまりに地哥もなく見えしこそ、かへりては難ともいひつべかりしか。秀歌のあまり多くて、両三首などは書きのせがたし」(『後鳥羽院御口伝』)。
「後京極摂政の歌、毎首みな錦繍、句々悉々く金玉、意情を陳ぶれば、ただちに感慨を生じ、景色をいへば、まのあたりに見るが如し。風姿優艷にして、飽くまで力あり、語路(ごろ)逶迱(いだ)として、いささかも閑あらず、実に詞花言葉の精粋なるものなり」(荷田在満『国歌八論』)。語路逶迱は言葉の続き具合に滞りがないこと。

勅撰集所載歌と『秋篠月清集』より百首を抜萃した。『秋篠月清集』は新編国歌大観のテキスト(底本は藤原定家等筆の天理図書館蔵本)に拠ったが、仮名には適宜漢字をあてた。

 19 11 19 11 20 20 計100首

春立つ心をよみ侍りける

み吉野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり(新古1)

【通釈】吉野は山も霞んで、少し前まで白雪の降っていた里――古びた由緒ある里に、春はやって来たのだった。

【語釈】◇ふりにし 「降りにし」に「古りにし」の意が掛かる。吉野は桜の名所にとどまらず、かつて離宮の営まれた、宮廷人には由緒ある土地。

【補記】治承題百首。新古今集巻頭歌。

【他出】自歌合、三百六十番歌合、定家十体(麗様)、自讃歌、定家八代抄、新三十六人撰、歌枕名寄、三五記、歌林良材

【参考歌】壬生忠岑「拾遺集」
春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆらむ

【主な派生歌】
今朝みれば山もかすみて久方の天の原より春は来にけり(*源実朝[新勅撰])

家に百首歌合に、余寒の心を

空はなほかすみもやらず風さえて雪げにくもる春の夜の月(新古23)

【通釈】

【語釈】   

【補記】建久三年(1192)、自ら企画・主催した六百番歌合、十二番左勝。

【他出】六百番歌合、自歌合、三十六番相撲立詩歌、三百六十番歌合、定家八代抄、新三十六人撰、三五記、愚見抄、桐火桶、題林愚抄

【主な派生歌】

左大将に侍りける時、家に六百番歌合しけるに、春曙をよめる

見ぬ世まで思ひのこさぬながめより昔にかすむ春のあけぼの(風雅1435)

【通釈】

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

帰雁を

忘るなよたのむの沢をたつ雁もいなばの風の秋の夕暮(新古61)

【通釈】忘れるなよ。水田を飛び立って北へ去ってゆく雁も、稲葉が風にそよぐ秋の夕暮――この哀れ深い趣を。

【語釈】◇忘るなよ 「いなばの風の秋の夕暮」を忘れるなよ。雁への呼びかけ。◇たのむの沢 田であるところの沢。水田をこのように言いなした。「たのむ」は「田の面」、ここでは単に田のこと。和歌では「頼む」の意を掛けて用いることが多く、ここでも「(雁が帰ってくると)頼みにする田」の意が響く。◇いなば 「稲葉」に「去なば」の意が響く。

【補記】春になり異郷へ飛び立ってゆく雁に対して、日本の秋の夕暮の風情を忘れずに再び戻って来いと呼びかける。二夜百首。

【他出】自歌合、秋篠月清集、題林愚抄

【参考歌】源俊頼「堀河百首」「千載集」
春くればたのむの雁も今はとてかへる雲ぢに思ひたつなり

百首歌たてまつりし時

かへる雁いまはの心ありあけに月と花との名こそ惜しけれ(新古62)

【通釈】帰る雁が、今はもう別れ行く時と心を決めているらしい、この有明にあって、私は雁との別れを惜しむよりも雁に見捨てられる月と花の名折れが惜しまれるよ。

【語釈】◇いまはの心 今はもう別れようとの心。見納めであるとの心。◇ありあけ 前句とのつながりから「(心)あり」の意が掛かる。有明は月が残ったまま夜が明ける頃。

【補記】正治初度百首。帰雁の歌では雁との別れを惜しむのが常套とされたが、掲出歌は雁に見捨てられる月と花に着目した。

【参考歌】伊勢「古今集」
春がすみたつを見すててゆく雁は花なき里にすみやならへる
  藤原国経「古今集」
明けぬとて今はの心つくからになど言ひ知らぬ思ひそふらむ

【主な派生歌】
深き夜の月と花とのあはれをも知らでや帰る春の雁がね(霊元院)
かへる雁空にも思へ月花のふりすてがたき春のなごりを(*徳川尋子)

帰雁のこころをよみ侍りける

ながむればかすめる空のうき雲とひとつになりぬかへる雁がね(千載37)

【通釈】眺めると、北へ帰る雁は、霞んだ空の浮雲と見分けがつかなくなってしまった。

【語釈】◇ひとつになりぬ 浮雲と雁の影が見分け難く一体となったことを言う。

【補記】「帰雁」の題を詠んだ歌。制作年等未詳であるが、千載集に採られているので、文治三年(1187)以前、すなわち良経十九歳以前の作。因みに良経の千載集入撰は七首。

【主な派生歌】
ながめつるよもの木末のむら霞ひとつになりぬ春雨の雲(慈円)
春霞わけ行く空の白雲もひとつになりぬみ吉野の花(藤原家隆)

院句題五十首 花似雪

吉野山このめもはるの雪きえてまたふるたびは桜なりけり(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】建仁元年(1201)、後鳥羽院が主催した仙洞句題五十首。

【参考歌】

【主な派生歌】

家に花五十首歌よませ侍りける時

昔誰かかる桜の花を植ゑて吉野を春の山となしけむ(新勅撰58)

【通釈】昔、誰がこれほどの桜の花の木を植えて、吉野を春の山となしたのだろうか。

【補記】建久元年(1190)九月十三夜、良経の九条亭で披講された「花月百首」。花五十首の巻頭歌。

【他出】玄玉集、自歌合、秋篠月清集、新三十六人撰、和漢兼作集、歌枕名寄
(第三句を「種を植ゑて」とする本もある。)

【参考歌】遍昭「後撰集」
いそのかみ布留の山べの桜花植ゑけむ時をしる人ぞなき
  藤原俊成「五社百首」(文治六年-1190年-三月清書)
むかし誰植ゑはじめてか山吹の名をながしけむ井手の玉水

【主な派生歌】
昔たれ荒れなむ後のかたみとて志賀の都に花を植ゑけむ(後鳥羽院)
昔たれここにすみれの花ばかり春をのこせる古郷の庭(花山院長親)
またも世にかかる桜の種やあるとよし野よくみし人にとはばや(鵜殿余野子)

花月五十首 花

かすみゆく宿の梢ぞあはれなるまだ見ぬ山の花の通ひ路(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】

花の歌とてよみ侍りける

桜咲く比良の山風吹くままに花になりゆく志賀の浦波(千載89)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】月清集、歌枕名寄

【参考歌】

【主な派生歌】

題しらず

またも来む花に暮らせるふるさとの木の間の月に風かをるなり(続後拾遺129)

【通釈】

【語釈】   

【補記】南海漁父百首。

【他出】月清集、拾玉集

【参考歌】

【主な派生歌】

院句題五十首 河辺花

鈴鹿川波と花との道すがら八十瀬をわけし春は忘れず(月清集)

【通釈】伊勢神宮へ向かって、鈴鹿川の波と、岸辺の花を道すがらずっと眺め、いくつもの瀬を分けつつ渡った春――あの春を忘れることはない。

【語釈】◇八十瀬(やそせ) 数多くの瀬。鈴鹿川には幾つもの小川が合流し、また曲がりくねっているので、古くから「鈴鹿川八十瀬渡りて誰がゆゑか夜越えに越えむ妻もあらなくに」(万葉集巻十二)などと詠まれていた。

【補記】建仁元年(1201)、後鳥羽院に詠進した「仙洞句題五十首」。

【他出】夫木和歌抄

院句題五十首 湖上花

雲のなみ煙のなみや散る花のかすみにしづむ(にほ)のみづうみ(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

花月百首 花

散る花も世をうき雲となりにけりむなしき空をうつす池水(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

花月百首 花

なほ散らじみ山がくれの遅桜またあくがれむ春の暮れがた(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】
野山にや又あくがれんさくら花けふこそ春に匂ひそめぬれ(中院通村)

残春のこころを

吉野山花のふるさと跡たえてむなしき枝に春風ぞ吹く(新古147)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】六百番歌合、後京極摂政御自歌合、三十六番相撲立詩歌、三百六十首和歌、月清集、定家八代抄、歌枕名寄、題林愚抄

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌たてまつりし時

明日よりは志賀の花園まれにだに誰かはとはむ春のふるさと(新古174)

【通釈】明日からは、志賀の花園を、稀にさえ誰が訪れるだろう。春が去って寂れる古里よ。

【語釈】◇志賀 琵琶湖西南岸、南志賀地方。◇花園 桜の園。大津京の時代からあったらしい。◇春の古里 春の既に去った里という意味で、春にとっての故郷。また志賀の花園ゆえ春に古い由緒のある里。拾遺集「花も皆ちりぬる宿はゆく春のふるさととこそなりぬべらなれ」(貫之)に先例がある。

【他出】正治初度百首、月清集、定家八代抄、詠歌大概、歌枕名寄

歌合百首 三月三日

散る花をけふのまとゐの光にて波間にめぐる春のさかづき(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】六百番歌合、六百番陳状、夫木和歌抄、題林愚抄

【参考歌】

【主な派生歌】
はかなしや波間にめぐる水の泡のよらむ汀を松の下風(正徹)

五首歌人々によませ侍りける時、夏歌とてよみ侍りける

うちしめりあやめぞかをる時鳥(ほととぎす)なくや五月(さつき)の雨の夕暮(新古220)

【通釈】降り続く雨にひどく湿って、軒に飾った菖蒲がほのかに香る。ほととぎすが鳴く五月の雨の夕暮よ。

【語釈】◇あやめ サトイモ科のショウブ。花の美しいアヤメ科のアヤメ・ハナショウブとは全く別種である(剣のような形の葉は似ている)。五月五日の節句に邪気を祓う草として軒端に葺くなどした。◇なくや五月の 「や」は「鳴く五月」の語間に投入された間投助詞。古今集の本歌の初二句から借りた表現。「『ほととぎす鳴くやさつき』といふのは、何もそのときほととぎすが鳴いてゐるのではありません。さつきといふために、習慣的にほととぎすが鳴くところのといふ言葉が附いて来たのであります」(折口信夫「歌の話」)。

【補記】梅雨の頃の湿っぽく肌にまつわりつく感覚、菖蒲草の香り、窓から眺めた雨の夕暮の景色――多種の感覚を詠みながら少しも煩くなく、それどころかそれらが渾然と一体化して感じられる。鋭敏にして繊細・柔婉、この作者の稀有な天稟が発揮された秀歌。

【他出】自歌合、秋篠月清集、定家八代抄、平家物語、源平盛衰記、歌林良材

【本歌】よみ人しらず「古今集」
時鳥なくやさ月のあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな
【参考歌】藤原俊成「千載集」
さみだれは焚く藻の煙うちしめりしほたれまさる須磨の浦人

【主な派生歌】
けさみれば軒端にふける心ちしてあやめぞかをるこやの池水(松永貞徳)
花の香は立ちかへてける袖のうへにあやめぞかをる軒の朝露(村田春海)
足引の山ほととぎす五月雨にもらす初音もうちしめるらむ(大国隆正)

釈阿九十賀たまはせ侍りし時、屏風に、五月雨

小山田にひくしめ縄のうちはへて朽ちやしぬらむ五月雨の頃(新古226)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】月清集、定家八代抄、題林愚抄

【参考歌】

【主な派生歌】

院無題五十首 夏

さ月山雨にあめそふ夕風に雲より下をすぐる白雲(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】老若五十首歌合、夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌たてまつりし時

いさり火の昔の光ほの見えて芦屋の里にとぶ蛍かな(新古255)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】正治初度百首、月清集、歌枕名寄、義経記

【参考歌】

【主な派生歌】

ほたる

窓わたる宵のほたるも影きえぬ軒ばにしろき月のはじめに(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】

家百首歌合に

かさねてもすずしかりけり夏衣うすき袂にうつる月かげ(新古260)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】六百番歌合、月清集、題林愚抄

【参考歌】

【主な派生歌】

野辺杜間に夏草しげる所

すずみにと分け入る道は夏ふかし裾野につづく森の下草(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】文治六年女御入内和歌、夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】
高くなる草ばのたけにあらそひて裾のにつづく山の下柴(武者小路実陰)

二夜百首 納涼

おく山に夏をばとほくはなれきて秋の水すむ谷のこゑかな(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

歌合百首 扇

手にならす夏のあふぎと思へどもただ秋風のすみかなりけり(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】六百番歌合、夫木和歌抄、三百六十首和歌、六華集

【参考歌】

【本歌】大中臣頼基「頼基集」「新後拾遺集」
うちもともみえぬ扇の程なきに涼しき風をいかでこめけむ

【主な派生歌】
きらら刷く夏越(なごし)の水にひらめきてそよ秋風のすみかの扇(塚本邦雄)

納涼の心を

陰ふかきそともの楢の夕すずみひと木がもとに秋風ぞ吹く(玉葉426)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】後京極摂政御自歌合、三百六十首和歌、月清集、夫木和歌抄、題林愚抄

【参考歌】顕昭「続詞花集」
わりなしやほかにも花のなくはこそ一木がもとに日をも暮らさめ

【主な派生歌】

百首歌たてまつりし時

おしなべて思ひしことの数々になほ色まさる秋の夕暮(新古357)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】正治初度百首、月清集、題林愚抄

【参考歌】

【主な派生歌】

家に百首歌合し侍りけるに

もの思はでかかる露やは袖におくながめてけりな秋の夕暮(新古359)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】六百番歌合、自歌合、三十六番相撲立詩歌、月清集、耕雲口伝

【参考歌】

【主な派生歌】

院無題五十首 秋

秋をあきと思ひ入りてぞながめつる雲のはたての夕暮の空(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】老若五十首歌合、拾玉集、夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】

秋歌の中に

水あをき麓の入江霧はれて山路秋なる雲のかけはし(風雅1543)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】月清集、夫木和歌抄、六華集

【参考歌】

【主な派生歌】

家の六百番歌合に

山とほき門田の末は霧はれて穂波にしづむ有明の月(続拾遺327)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】六百番歌合、自歌合、三十六番相撲立詩歌、三百六十首和歌、月清集、雲葉集

【参考歌】

【主な派生歌】

治承題百首 月

薄霧の麓にしづむ山の端にひとりはなれてのぼる月かげ(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】西行「御裳濯河歌合」
山川にひとりはなれてすむ鴛の心しらるる波のうへかな

【主な派生歌】

花月百首 月

三日月の秋ほのめかす夕暮は心にをぎの風ぞこたふる(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

五十首歌たてまつりし時、月前草花

故郷のもとあらの小萩咲きしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ(新古393)

【通釈】この古びた里のもとあらの萩が咲いてからというもの、夜ごと夜ごと庭の月が花に映っていて、その光は冴え冴えと移ろってゆく。

【語釈】◇故郷(ふるさと) 荒れ古びた里。話手がいる場所。◇もとあらの小萩 幹が疎(まば)らに生えている萩を言うらしい。「小萩」は小さい萩のこととも、萩の愛称とも言う。◇庭の月ぞうつろふ 庭に射す月が小萩の花に映っている。「うつろふ」には「変化する」意もあり、その月の光が秋の深まりと共に清らかになってゆくことをも暗示する。

【補記】建仁元年(1201)、後鳥羽院主催の仙洞句題五十首に詠進した一首。萩が咲く頃、ようやく秋色は深まり、月の光は夜ごと澄みまさってゆく。本歌は古今集の恋歌。「庭の月」を詠めているのは、荒れ果てた里の家に泣き伏して男を待つ女である。なお、題「月前草花」は《月の光に照らされた秋の草花》の意。萩は木本類であるが、古人は草の仲間に数えた。

【他出】仙洞句題五十首、定家八代抄、詠歌大概、時代不同歌合、題林愚抄

【本歌】よみ人しらず「古今集」
宮城野のもとあらの小萩露をおもみ風を待つごと君をこそ待て

秋歌よみける中に

庭ふかきまがきの野べの虫のねを月と風との下に聞くかな(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

五十首歌たてまつりし時

雲はみなはらひはてたる秋風を松にのこして月を見るかな(新古418)

【通釈】雲という雲はみなすっかりはらい除いてしまった秋風――その風を今や松に残すばかりで月を眺めることよ。

【補記】建仁元年(1201)二月、後鳥羽院主催の「老若五十首歌合」秋百二十七番右持。

【他出】老若五十首歌合、月清集、自讃歌、瑩玉集、新三十六人撰、和漢兼作集

【主な派生歌】
逢坂のせきのわらやは跡もなし秋のしらべを松にのこして(土御門院)
ちりふかき庭をあらしの夜の程にはらひはてたる雪の上かな(三条西公条)

五十首歌たてまつりし時、野径月

ゆくすゑは空もひとつの武蔵野に草の原よりいづる月かげ(新古422)

【通釈】ずっと先の方は夕空と一つになっている広大な武蔵野――その草の原からさしのぼる月よ。

【補記】建仁元年(1201)の仙洞句題五十首、題「野径月」。山から昇る月を見慣れた都人にとって、広大な草原から昇る月は驚嘆すべきもの。

【他出】定家十体(有心様)、月清集、歌枕名寄、和歌用意条々、題林愚抄

【主な派生歌】
もえいづる緑をそへて春日野や草の原より立つ霞かな(慈道親王)
わたの原空もひとつにほのぼのと霞へだつる沖つ白波(冷泉為村)
みどりなる空もひとつの霧の海に浮かべる島や比叡の遠山(八田知紀)

院第二度百首 秋

常世(とこよ)にていづれの秋か月は見し都わすれぬ初雁の声(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】千五百番歌合、雲葉集

【主な派生歌】

花月百首 月

さびしさや思ひよわると月見れば心のそらぞ秋ふかくなる(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

花月百首 月

いとふ身ものちの今宵と待たれけりまた来む秋は月もながめじ(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

家にて歌合し侍りける時、蔦を

宇津の山こえし昔の跡ふりて(つた)の枯葉に秋風ぞ吹く(新続古今953)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

建仁元年三月歌合、山家秋月といふことをよみ侍りし

時しもあれ古郷人はおともせで深山(みやま)の月に秋風ぞ吹く(新古394)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌よみ侍りけるに

たぐへくる松の嵐やたゆむらん()のへにかへるさを鹿の声(新古444)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌たてまつりし時

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む(新古518)〔百〕

【通釈】こおろぎが鳴く、霜の降りるこの寒い夜に、衣の片方の袖を敷いて独り寝ることになるのだろうか。

【語釈】◇きりぎりす コオロギの古称。特に鳴き声が「キリキリ」あるいは「チリチリ」と聞きなされるカマドコオロギを指したと思われる。寒くなると人家に入り、竈のそばで越冬する習性があったのでこの名がある。因みに今言うキリギリスは昔は機織(はたおり)と呼ばれた。◇さむしろ 筵。藺草などで編んだ敷物。「寒(さむ)」意が響く。◇衣かたしき 自分の衣だけを敷いて。共寝の際、恋人たちは二人の衣を重ねて敷く風習があったので、「かたしき」は独り寝を示す。

【補記】正治二年(1200)の後鳥羽院初度百首、秋廿首より。

【他出】正治初度百首、定家八代抄、八代集秀逸

【本歌】よみ人しらず「古今集」
さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫
【参考歌】柿本人麿「拾遺集」
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む

【主な派生歌】
ふけぬるか友なし千鳥をちかへりなくや霜夜の床の浦風(慶雲)

題しらず

今年見る我がもとゆひの初霜にみそぢあまりの秋ぞふけぬる(新後拾遺421)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

初冬のこころを

はるかなる峰の雲間のこずゑまでさびしき色の冬は来にけり(新後撰441)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

歌合百首 枯野

見し秋をなにに残さむ草の原ひとつにかはる野辺のけしきに(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】六百番歌合、十三番左勝。草の原には墓所の意があったため右方の方人から「草の原聞きよからず」と非難があったが、判者俊成は「草の原難申之条、尤うたたある事にや、紫式部歌よみの程よりも物かく筆は殊勝なり、そのうへ花宴の巻はことに艶なる物なり、源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」として良経の歌に勝をつけた。

【校異】第四句「ひとへにかはる」として載せる本もある。

【他出】六百番歌合、自歌合、井蛙抄

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌たてまつりし時

ささの葉はみ山もさやにうちそよぎこほれる霜を吹く嵐かな(新古615)

【通釈】

【語釈】   

【補記】正治初度百首。『秋篠月清集』(定家自筆本)では第四句「こほれるつゆを」。

【他出】正治初度百首、秋篠月清集、定家八代抄

【参考歌】

【主な派生歌】

院第二度百首 冬

あらし吹き空にみだるる雪もよに氷ぞむすぶ夢はむすばず(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】千五百番歌合九百七十七番左勝。

【参考歌】

【主な派生歌】

題しらず

消えかへり岩間にまよふ水のあわのしばしやどかる薄氷かな(新古632)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌たてまつりし時

かたしきの袖の氷もむすぼほれとけて寝ぬ夜の夢ぞみじかき(新古635)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

五十首歌たてまつりし時

月ぞすむ(たれ)かはここにきのくにや吹上の千鳥ひとり鳴くなり(新古647)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

伏見里雪といふことを

里わかぬ雪のうちにも菅原やふしみの暮はなほぞさびしき(新拾遺653)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

冬歌とてよみ侍りける

さびしきはいつもながめのものなれど雲まの峰の雪の明けぼの(新勅撰421)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

閑居聞霰といへるこころをよみ侍りける

さゆる夜の槙の板屋のひとり寝に心くだけと霰ふるなり(千載444)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

題しらず

いそのかみふる野のをざさ霜を経てひと夜ばかりにのこる年かな(新古698)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

南海漁夫百首 恋

おほかたにながめし暮の空ながらいつよりかかる思ひそめけむ(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

家に歌合し侍りけるに、夏恋の心を

うつせみのなくねやよそにもりの露ほしあへぬ袖を人のとふまで(新古1031)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

左大将に侍りける時、家に百首歌合し侍りけるに、忍恋の心を

もらすなよ雲ゐる峰のはつしぐれ木の葉は下に色かはるとも(新古1087)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌たてまつりし時

かぢをたえゆらの湊による舟のたよりも知らぬ沖つしほ風(新古1073)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

千五百番歌合に

なげかずよ今はたおなじ名取川せぜの埋木くちはてぬとも(新古1119)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

千五百番歌合に

身にそへるその面影も消えななむ夢なりけりと忘るばかりに(新古1126)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

恋の歌よみける中に

それはなほ夢のなごりもながめけり雨のゆふべも雲のあしたも(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】

家に百首歌合し侍りけるに、祈恋といへる心を

いく夜われ波にしをれてきぶね川袖に玉ちる物思ふらむ(新古1141)

【通釈】幾夜私は波にぐっしょり濡れて貴船川にやって来ては、袖に玉が飛び散るような物思いをするのだろうか。

貴船川
貴船川 京都市左京区

【語釈】◇しをれて 濡れてぐったりして。◇きぶね川 貴船川。京都の貴船神社付近を流れる川。鞍馬川と合流して賀茂川の上流となる。貴船神社は縁結びの神として信仰が篤かった。「来」の意を掛ける。◇袖に玉ちる 袖に涙の玉が散る。「たま」は「魂」でもあり、魂が砕け散る意にもなる。◇物思ふらむ 「物思ふ」は恋の悩みについて言う。下記和泉式部の「物思へば」を承けての謂。

【補記】建久三年(1192)に自ら企画し、翌年頃に成立した六百番歌合、六番左勝。右は寂蓮の「貴船がは百瀬の波もわけすぎぬ濡れゆく袖のすゑをたのみて」。俊成の判詞は「左右のきぶねがは、共に優には見え侍るを、右は、すゑをたのみてといひはてたるよりは、左の袖に玉ちる物おもふらん、殊に宜しくきこゆるにや」。

【他出】六百番歌合、後京極殿御自歌合、秋篠月清集、定家八代抄、時代不同歌合、歌枕名寄、題林愚抄

【本歌】和泉式部「後拾遺集」
物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞみる
  貴船明神「後拾遺集」
奥山にたぎりておつる滝つ瀬の玉ちるばかり物な思ひそ

【主な派生歌】
いく夜われ浦わの浪にそほつらむ海人の縄たきいさりせねども(後鳥羽院)
いくよわれおし明方の月影にことわりならぬ物思ふらむ(鷹司院按察[新拾遺])
いく夜われむすばぬ夢の浪枕みし人ゆゑに立ちやかへらん(肖柏)

水無瀬にて、恋の十五首歌合に、夕恋といへる心を

なにゆゑと思ひもいれぬ夕べだに待ち出でしものを山の端の月(新古1198)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

千五百番歌合に

めぐりあはむかぎりはいつとしらねども月なへだてそよそのうき雲(新古1172)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

恋の歌よみけるに

君があたりわきてと思ふ時しもあれそこはかとなき夕暮の空(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

歌合百首 夕恋

君もまた夕べやわきてながむらん忘れずはらふ荻の風かな(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】六百番歌合二十三番左勝。

【他出】六百番歌合、夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】

千五百番歌合に

わが涙もとめて袖にやどれ月さりとて人のかげは見ねども(新古1173)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

歌合百首 暁恋

月やそれほのみし人の面影をしのびかへせば有明の空(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】六百番歌合、夫木和歌抄、題林愚抄

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌たてまつりし時

言はざりき今来むまでの空の雲月日へだてて物思へとは(新古1293)

【通釈】あなたはそんなことは言いはしなかった。「すぐに来よう」と言った約束の時までと眺め続けた空の雲が、月と太陽を隔てるように、月日を隔ててこのように延々と物思いせよとは。

【補記】新古今集の詞書は「百首歌たてまつりし時」。正治初度百首。

【他出】正治初度百首、自讃歌、定家八代抄、新三十六人撰、心敬私語

【本歌】素性法師「古今集」
今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな

家歌合に

いつも聞くものとや人の思ふらむ来ぬ夕暮の秋風の声(新古1310)

【通釈】普段聞くのと変わらないと、あの人は思っているだろうか。来てくれない夕暮に吹く、秋風の声を。

【語釈】◇来ぬ夕暮 恋人が来ない夕暮。◇秋風 秋に「飽き」の意が響く。

【補記】六百番歌合、恋部下、題は「寄風恋」、十七番左負。右は慈円「心あらば吹かずもあらなむ宵々に人まつ宿の庭のまつ風」。俊成の判詞は「こぬゆふぐれ、なにのこぬともきこえずや、秋風のこゑもことあたらしくや」。

【他出】六百番歌合、後京極摂政殿自歌合、秋篠月清集、自讃歌、定家十体(有心様)、定家八代抄、新三十六人撰、桐火桶、題林愚抄

【参考歌】藤原定家「新古今集」
かへるさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月

【主な派生歌】
憂きものと思ひそめてき頼めつつ来ぬ夕暮のまつ風のこゑ(飛鳥井雅有)
いつも聞くものとや思ふ苔の袖はなちるころの入相の声(三条西実隆)

遠恋

恋しとはたよりにつけていひやりき年はかへりぬ人はかへらず

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】六百番歌合

【参考歌】

【主な派生歌】

千五百番歌合に

我とこそながめなれにし山の端にそれもかたみの有明の月(風雅1297)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

題しらず

見し人の袖にうきにしわが(たま)のやがてむなしき身とやなりなむ(新千載1286)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

南海漁夫百首 恋

恋ひ死なむわが世のはてに似たるかなかひなくまよふ夕暮の雲(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

治承題百首 忍恋

のちも憂ししのぶにたへぬ身とならばそのけぶりをも雲にかすめよ(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】

京極殿にて、はじめて人々歌つかうまつりしに、松有春色といふ事をよみ侍りし

おしなべて木の芽もはるのあさみどり松にぞ千代の色はこもれる(新古735)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌たてまつりし時

しきしまや大和島根も神代より君がためとやかためおきけむ(新古736)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

旅の歌とてよめる

もろともに出でし空こそ忘られね都の山のありあけの月(新古936)

【通釈】相共に、出で立った空が、忘れられない。都の山の、有明の月よ。

【語釈】◇もろともに出でし 月が出るのと一緒に私が旅に出た。

【補記】旅立ちの時、都の山に見た有明の月を、旅先の有明の月に偲んでいる。簡潔ゆえに余情豊かな歌。

【参考歌】道命「詞花集」
都にてながめし月をもろともに旅の空にも出でにけるかな

和歌所月十首歌合のついでに、月前旅といへる心を、人々つかうまつりしに

忘れじと(ちぎ)りて出でし面影は見ゆらむものを古郷の月(新古941)

【通釈】互いに忘れまいと約束して旅立った――故郷の人の面影は、月に偲ばれる――私の面影も故郷の人には見えているだろうに。

【補記】「見ゆらむものを」と逆接で言いさすゆえに、月に家族を偲んでも慰められない心のあわれが思われる。

【他出】秋篠月清集、自讃歌、定家十体(濃様)、桐火桶

【主な派生歌】
わかれてもいく有明をしのぶらんちぎりていでしふるさとの月(*土御門院[続千載])

旅歌よみける中に

国かはる境いくたびこえすぎておほくの民に面なれぬらむ(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】

百首歌よみ侍りけるに

古郷は浅茅が末になりはてて月にのこれる人の面影(新古1681)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

十題百首 居処

夕なぎに波間の小島あらはれて海人(あま)のふせ屋をてらす藻塩火(もしほび)(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】夫木和歌抄

【参考歌】

【主な派生歌】

和歌所歌合、関路秋風といふことを

人すまぬ不破(ふは)の関屋の板びさし荒れにしのちはただ秋の風(新古1601)

【通釈】住む人のない不破の関屋の板廂よ。荒れ果てた後は、ただ秋風が吹くばかり。

【語釈】◇不破の関屋 不破の関の番小屋。不破の関は美濃国の歌枕で、三関の一つ。延暦八年(789)に廃止された。

【補記】建仁元年(1201)八月三日、和歌所において催された歌合(和歌所影供歌合)、題は「関路秋風」、二番左勝。

【他出】秋篠月清集、自讃歌、定家十体(面白様)、新三十六人撰、歌枕名寄、三五記、桐火桶、六華集、心敬私語

【主な派生詩歌】
秋風や薮も畠も不破の関(芭蕉[野ざらし紀行])

院第二度百首 雑

春の田に心をつくる民もみなおりたちてのみ世をぞいとなむ(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

祝歌とてよみける

おのづから治まれる世や聞こゆらむはかなくすさむ山人の歌(月清集)

【通釈】平和に治まっている世の中のありさまが、おのずと聞き知られるようだ。山人がはかなく口ずさむ歌に。

【語釈】◇すさむ 興の向くまま吟ずる。

【補記】「山人」は木樵りや炭焼など、山で生活の糧を得ていた人々。社会の最底辺の人々とされたが、そうした人たちの穏やかな歌声に平和な世のしるしを聞き、天皇の治世を祝福している。制作年などは未詳。『夫木和歌抄』には詞書「百首御歌」とある。

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草員外」「玉葉集」
おのづから秋のあはれを身につけて帰る小坂の夕暮の歌

院第二度百首 雑

わが心その色としはそめねども花や紅葉をながめきにける(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】千五百番歌合、千四百二十七番左負。

【参考歌】

【主な派生歌】

千五百番歌合に

うきしづみ来む世はさてもいかにぞと心に問ひてこたへかねぬる(新古1765)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

題しらず

をはり思ふすまひかなしき山かげにたまゆらかかる朝顔の露(新勅撰1231)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

春日社歌合に、暁月の心を

天の戸をおしあけがたの雲間より神代の月の影ぞ残れる(新古1547)

【通釈】天の戸を押しあけるという、その明け方の雲間から、神代そのままの月の光がなお残り輝いている。

【語釈】◇おしあけがた 「押し開け」「明け方」の掛詞。

【補記】元久元年(1204)十一月十日、後鳥羽院の下命により和歌所において催された春日社歌合、題は「暁月」、右持。

【他出】秋篠月清集、自讃歌、定家十体(長高様)、瑩玉集、三十六人歌合(元暦)、新三十六人撰、三五記、桐火桶

【参考歌】源行宗「和歌一字抄」「続後撰集」
天の戸をおし明方の時鳥いづくをさして鳴きわたるらん

大将に侍りける時、勅使にて太神宮にまうでてよみ侍りける

神風や御裳裾川(みもすそがは)のそのかみに(ちぎ)りしことの末をたがふな(新古1871)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

神祇歌の中に

わが国はあまてる神のすゑなれば日のもととしも言ふにぞありける(玉葉2746)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

歌合し侍りけるついでに、前大僧正慈鎮もとによみてつかはしける

和歌の浦のちぎりもふかし藻塩草しづまむ世々をすくへとぞ思ふ(新続古今2029)

【通釈】

【語釈】   

【補記】南海漁父百首。慈円の返歌は「山川の流れに契るうたかたは幾世をふともなにかしづまむ」。

【他出】拾玉集、月清集

【参考歌】

【主な派生歌】

西洞隠士百首 雑

玉津島たえぬながれをくむ袖に昔をかけよ和歌の浦波(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】

家に百首歌よみ侍りける時、十界の心をよみ侍りけるに、縁覚の心を

奥山にひとりうき世はさとりにき常なき色を風にながめて(新古1935)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【他出】自歌合、三十六番相撲立詩歌、月清集、定家八代抄

【参考歌】

【主な派生歌】

前内相府幽霊一辞東閤之月、永化北芒之煙、以来去文治第四之春忽入我夢以呈詩句、今建久第二之春又入人夢、開暁之詞実知娑婆之善漸積、泉壌之眠自驚者歟、爰依心棘之難、抑奉答夢草之幽思而已

見し夢の春のわかれのかなしきは長きねぶりの覚むと聞くまで(月清集)

【通釈】

【語釈】   

【補記】

【参考歌】

【主な派生歌】


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年08月31日