通勝の子。母は細川幽斎の娘。
後水尾天皇の側近として働く。右近中将などを経て、慶長十九年(1614)、参議に就任。元和三年(1617)、正三位・権中納言。同六年(1620)、従二位。同九年(1623)、武家伝奏(武家に対して朝廷の窓口となる役職)となる。寛永六年(1629)、権大納言。同年、後水尾天皇が譲位すると、翌年、右大臣二条康道とともに謀議に参与し罪を得、武家伝奏を免ぜられて江戸寛永寺に幽閉された。寛永八年(1631)、正二位。同十二年(1635)、天海和尚の訴えにより赦され、京に戻る。正保四年(1647)七月、内大臣に任ぜられたが、同年十月辞任した。承応二年(1653)二月二十九日、六十六歳で薨去。
将軍家光に古今伝授を所望されて断ったという逸話がある。後水尾院への奏覧本と推測されている家集『後十輪院内府集』(『後十輪院内大臣詠草』『内府詠藻』とも。続々群書類従十四輯・新編国歌大観九所収)に千六百余首を残す。
以下には『後十輪院内府集』より十首、『新明題和歌集』より一首を抄出した。
元日雨降りければ
ひと夜あけて四方の草木のめもはるにうるふ時しる雨の
【通釈】大晦日から一夜明けて、周囲の草木の芽も張る春となって、潤う時を知る雨が降る――その雨ののどかなことよ。
【補記】雨が降った正月元日の作。「めもはる」は「目も張る」と「春」を言いかけている。
【参考歌】紀貫之「古今集」
霞たちこのめも春の雪ふれば花なき里も花ぞちりける
遠山如画図
色どらぬただ一筆の墨がきを都の
【通釈】彩色をほどこさない、たった一筆の墨で描いたかのように、都の遠くに霞む峰であるよ。
【参考歌】後柏原院「柏玉集」
墨がきのただ一筆の外なれや雨おつるえをわたる白さぎ
簷梅
春の夜のみじかき軒端あけ
【通釈】春の短か夜が軒端に明け始めて、梅の香が白々と感じられる、窓辺を吹く朝風よ。
【補記】結句「園の朝風」とする本も。
【参考歌】徽安門院「光厳院三十六番歌合」
吹き乱し止みがたになる春雨のしづくもさむき窓の朝風
静見花
朝露もこぼさで匂ふ花の上は心おくべき春風もなし(後十輪院内府集)
【通釈】朝露もこぼさずに美しく映えている桜の花の上には、気にかけるような春風も吹いていない。
【補記】『新明題和歌集』では上句「朝露にそのまま匂ふ花の上は」。
【参考歌】肖柏「春夢草」
こころだに花にみださじ露ばかり梢うごかす春風もなし
夏旅
あつからぬ程とぞいそぐのる駒のあゆみの塵も雨のしめりに(新明題和歌集)
【通釈】まだ暑くない内にと急ぐのだ。乗っている馬の歩みが起こす塵も、雨の湿りに鎮まって。
【補記】『新明題和歌集』は宝永七年(1710)刊、当代の宮廷歌人の作を集めた類題歌集。編者は不明。
【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」「玉葉集」
ゆきなやむ牛のあゆみにたつ塵の風さへあつき夏のをぐるま
落葉
山風にきほふ木の葉のあとにまたおのれと落つる音ぞさびしき(後十輪院内府集)
【通釈】山風と争って落ちた木の葉のあとで、その上にまた自然に落葉する音が寂しいことである。
【補記】山風がやんだ静けさの中、ひとりでに落ちる葉の音に、ひとしおの寂寥を感じている。元和四年(1618)閏三月の当座詠。
【参考歌】後伏見院「風雅集」
をかのべやさむき朝日のさしそめておのれとおつる松のしら雪
旅友 公宴聖廟御法楽
たれとなく草の枕をかりそめに行きあふ人も旅は親しき(後十輪院内府集)
【通釈】誰となく、かりそめに行き遭う人でも、旅する時は親しく感じられる。
【補記】第二句「草の枕を」は、野宿するとき草を刈って枕にしたことから「刈り」と同音を持つ「かりそめに」を導く枕詞として用いる。言うまでもなく旅と縁のある語句でもある。
薄暮雲
暮れにけり山より
【通釈】昏くなってしまった。山の彼方の夕日が雲に映じていた――そのなごりの光も。
【補記】元和年間の月次歌会での作。
暁鐘
初瀬山をのへのあらし音さえて霜夜にかへる暁の鐘(後十輪院内府集)
【通釈】初瀬山の峰の上から吹く嵐の音が冷たく冴えて、鳴り響く暁の鐘も霜夜へ逆戻りしたかのように寒々と聞こえる。
【語釈】◇初瀬(はつせ)山 奈良県桜井市。長谷観音のある山。泊瀬山とも。山寺の鐘が好んで歌に詠まれた。
【補記】元和三年(1617)二月二十二日、摂津の水無瀬宮での法楽(法会のあと、詩歌を誦するなどして本尊を供養すること)における作。第三句「春さえて」とする本もある。
【参考】「山海経」
豊嶺に九鐘有り、秋霜降れば則ち鐘鳴る
庭苔
まれにとひし人の跡さへ庭の面はいくへの苔の下にむもれて(後十輪院内府集)
【通釈】稀に訪れた人の足跡さえ見えず、いま庭の地面は幾重の苔の下に埋もれている。
【補記】元和三年(1617)の作。
懐旧
我が身には何ばかりなる思ひ出のありとてしのぶ昔なるらん(後十輪院内府集)
【通釈】我が身にはどれほどの思い出があるというので、かくまで昔を思慕するのだろうか。
【補記】元和五年(1619)の月次歌会での作。作者三十二歳。
【参考歌】源通忠「続拾遺集」
橘のにほふ五月の郭公いかにしのぶる昔なるらん
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成20年02月26日