藤原教長 ふじわらののりなが 天仁二(1109)〜没年未詳 通称:宰相入道・貧道

関白師実の孫。大納言忠教の子。母は大納言源俊明女。権中納言忠基の弟。刑部卿頼輔の兄。子に法眼覚慶・玄長がいる。孫娘(高松院右衛門佐局)は新古今集に歌を載せている。
元永元年(1118)、叙爵。侍従・蔵人・右中将などを歴任し、備中・加賀・越前・阿波権守などを兼任する。永治元年(1141)、参議に至る。久安五年(1149)、正三位。保元元年(1156)、左京大夫。同年、保元の乱に連座し、出家。法名を観蓮と称したが、捕えられて常陸国に流された。応保二年(1162)、召還され、その後は北山・東山・高野山などを転々とし、治承四年(1180)頃、高野山で没した。この時、親交のあった寂蓮が悲傷の歌を詠んでいる(新古今集)。
仁安二年(1167)の太皇太后宮亮経盛朝臣家歌合、承安二年(1172)の広田社歌合、治承二年(1178)の別雷社歌合などに出詠し、崇徳院主催の久安百首に詠進した。自宅でも歌合を催し、また三井寺山家歌合では判者を務めた。著書『才葉抄』『古今集註』『拾遺古今』、家集『教長集』(『貧道集』とも)がある。詞花集初出。勅撰入集は計三十七首。

  4首  1首   1首  3首  2首 計11首

崇徳院に百首歌奉りける時、春歌

若菜つむ袖とぞみゆる春日野のとぶひの野べの雪のむらぎえ(新古13)

【通釈】春日野の飛火の野を眺めると、若菜を摘む少女たちの真っ白な袖のように見えるよ、まだらに消え残った野辺の雪が。

【語釈】◇崇徳院に百首歌… 久安六年(1150)の崇徳院二度百首。以下同じ。◇とぶひの野 奈良春日山の麓の野。元明朝にこの地に烽(のろし)が設置されたためこの名がある。

【他出】久安百首、教長集、新時代不同歌合、歌枕名寄

【参考歌】紀貫之「古今集」
春日野に若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ
  よみ人しらず「古今集」
春日野の飛火の野守いでてみよいまいく日ありて若菜つみてん

木の下にやどらざりせば見ましやは月さしかはす花の光を(久安百首)

【通釈】桜の木の下を仮寝の場所としたかったならば、見ることはなかったろう。月と映発し合う、花の光を。

【補記】旅の野宿における花との邂逅。仰向いて寝たゆえに見られた光景。

崇徳院に百首の歌奉りける時、花の歌とてよめる

山ざくら霞こめたるありかをばつらきものから風ぞ知らする(千載57)

【通釈】あたりは霞が立ちこめて、山桜も見分けがたくしている。すると風が吹いてきて、花のありかを知らせてくれた。同じ風が花を散らしてしまうのはつらいところだけれど。

【語釈】◇つらきものから つらいものではあるけれども。「ものから」は逆接の接続助詞。

ちる花に惜しむ心は尽くしてき暮れゆく春は人にまかせん(久安百首)

【通釈】桜が散るのをどんなに惜しんだことだろう――惜別の心はその時使い果たしてしまった。暮れて行く春を惜しむのは、もう他人に任せよう。

首夏

夜もすがら春をのこせる灯し火の名残はけさも消たじとぞ思ふ(久安百首)

【通釈】春の景色との別れが惜しくて、一晩中灯をともしたままでいた――そのなごりはまだ燻ぶっているが、夏になった今朝も消すまいと思う。

【補記】三月晦日、春の終わる晩を共に過ごした灯し火。夏を迎えた翌朝もその日は消すまいという。題詞は『教長集』に「讃岐院の百首のなかに首夏心をよめる」とあるのから引用した。

百首の歌召しける時、初冬の心をよませ給ふける

秋のうちはあはれ知らせし風の音のはげしさそふる冬は来にけり(千載393)

【通釈】秋の間、しみじみとした情趣を知らせてくれた風の音――それにはげしさばかりを添える冬がやって来たのだなあ。

【補記】久安百首。

【主な派生歌】
あられふる大あらき野の笹の音にはげしさそふる杜の下風(契沖)

十首の歌人のよませ侍りける時よめる

よしさらば君に心はつくしてんまたも恋しき人もこそあれ(千載953)

【通釈】ええい、こうなったら、あなたに心を使い果たしてしまおう。いずれまた恋しい人と巡り逢うことがあろうと、かまうものか

【補記】こそ+已然形は順接・逆説いずれにもなる。岩波新古典大系本の注は下句を「そうでないと再び恋しい人ができるかもしれないから。それでまた苦しむのは御免だよ」と順接(理由・原因の条件句)に解している。

百首歌たてまつりける時、恋のこころをよめる

恋しさは逢ふをかぎりと聞きしかどさてしもいとど思ひそひけり(千載800)

【通釈】「恋しい思いは、逢瀬を遂げたときが終着点だ」と聞いたけれど、さて思いを遂げてみると、ますます恋しさは深まってしまったよ。

【補記】久安百首。

【本歌】凡河内躬恒「古今」
わが恋はゆくへも知らずはてもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ

敷妙の枕はかへじわぎもこが寝くたれ髪にふれてしものを(久安百首)

【通釈】枕を替えることはすまい。いとしい妻の寝乱れ髪に触れたものなのだ。

【語釈】◇敷妙の 「枕」の枕詞◇ふれてしものを この「ものを」は感動を表わす終助詞。

【補記】死に別れたのか離婚したのか、いなくなってしまった妻への恋情を詠んだ。

【本歌】作者不詳「万葉集」
朝寝髪我は梳(けづ)らじうるはしき君が手枕触れてしものを

無常

秋風にあふ芭蕉(ばせを)葉のくだけつつあるにもあらぬ世とはしらずや(久安百首)

【通釈】秋風に遭って芭蕉の葉があっけなく破れ、ばらばらに砕けるように、あるとも言えないようなこの世を生きているのだ。そのことを知らないというのか。

【語釈】◇ばせを葉 芭蕉の葉。大きくて薄いため、破れやすい。

即身成仏の心を

照る月の心の水にすみぬればやがてこの身に光をぞさす(千載1218)

【通釈】さやかに照る月が水面に澄んで映るように、仏が私の明澄な心にお住みになり、そのまま我が身に悟りの光が射して、仏となったかのようだ。

【語釈】◇即身成仏 仏と同体になること。肉身のまま究極の悟りに至った境地をいう。◇照る月 釈迦如来を喩える。◇心の水 三摩地の喩え。乱れのない心の状態。◇光 悟りの喩え。


更新日:平成15年03月21日
更新日:平成18年10月28日
最終更新日:平成19年09月28日