哀愁のヨーロッパ ミラノ・ヴェネツィア篇

【行程ダイジェスト】

某懸賞に当選する。ミラノ・ヴェネツィア4泊6日の旅。しかし、旅行保険やら手続き代行やら、旅行会社に振り込むお金が必要だった。費用を振り込んでも最終連絡がなかなか来ないのだった。

1997年11月29日(土)

自宅→成田空港→チューリヒ乗り継ぎ→ミラノ

当日朝に荷造りして、7時10分に自宅を出発。成田空港までは京成特急を使う。普通運賃1000円だけに、停車駅も多いローカルな特急だ。空港で20,000円を出してリラに両替する。結果的にはこれで十分以上だった。

カウンター集合は10時55分だが、少し前に並ぶ。いつものように預ける荷物はない。応対は添乗員のHさん。私と同室は45歳のMさんと知らされる。11時15分、時計前に再集合。しかし、遅れて30分に搭乗券が配布される。ツアーの面々がお互いに値踏みするように頭をめぐらす。東京31人、大阪30人のツアーと判明。また、添乗員同行だった。

成田空港 午後12時55分発スイスエアSR169便、同日午後5時40分チューリヒ着予定。ここで乗り換え。チューリヒ午後7時25分発同じくスイスエアSR628便、午後8時20分ミラノ到着予定(時間はすべてLocal time)。

機体は新しく、テーブル裏に液晶画面があり、ウィンドウズの端末で映画、音楽、空港案内、ゲームなどで遊べる。49分遅れで成田を離陸、しかし着陸は3分遅れ。チューリヒでまた搭乗券配布。団体旅行はとにかく添乗員についていくことなり。チューリヒを15分遅れで離陸、ミラノ着は8時15分で5分早かった。非常に順調。

入国審査ではランダムにパスポートチェックが入った。偽造を調べているらしい。荷物のピックアップを待つ。ポーター任せなので、確認したらあとはバスを待つだけ。私だけが大きな手荷物を抱えている。両替に行く人、トイレに行く人など。ここで、行方不明が発生。大事にはいたらず、まもなく発見。ようやくバスに乗り、ホテルに着いたのは9時33分だった。空港に近いホテルなので、足回りに不安を感じる。ロビーでルームキーの配布。

同室のMさんはなんと調律師だった。名刺交換し、みかんとせんべいでなごむ。

1997年11月30日(日)

ミラノ→ヴェローナ(車窓観光、徒歩観光、モニターイベント第1回)→ヴェネツィア(パドヴァ往復)

Mさんともども眠れず、早朝からCNNを見る。イランがワールドカップ出場決定。くらもちふさこ様が特集に出演!

7時30分、朝食行方不明氏夫妻と同席。8時8分、バスに乗る。運転手はわりと無口なロマーノ。懸賞に当選した私たちの仕事は新開発のメニューを食べるモニターと判明。

高速のサービスエリアで、添乗員のHさんに今日の夕方にパドヴァに行く件と、明日のヴェネツィアでガラス工場見学をふけて自由行動しちゃう件の許可をもらう。ラッキー! ポルチーニを物色。

ヴェローナに入る。10時45分、ガイドのマリオが乗り込む。いわゆる「車窓観光」だが、やたらむなしい。11時6分、やっと下車して徒歩移動に。ただし、もちろんガイドのあとをぞろぞろついていく金魚の糞なのであった。

ジュリエッタの家のバルコニー。なんで実在しない人間の家があるんだ? しかし、つづいてロマネスク建築を見て機嫌を直す。添乗員のHさんに突っ込まれる。エルベ広場で短い休憩。そして、さっきのサービスエリアにつづいて買い物爆撃が炸裂する。ツアーの面々はありとあらゆる機会をとらえて買い物に情熱を最後まで傾けた。なお、ここでは露天商が日本語で陽気に声をかけてくれる。アレーナのなかには入れなかった。

12時35分、第1回モニターイベント。食べてアンケートに記入するだけだけど。飲み物は各自注文、各自負担。飲み物メニューの説明と注文は添乗員のHさんが通訳するのだが、私が先走って「vino rosso, mezzo」と言ったのがどうも雰囲気をそこねたみたい。

財布をなくした人がいるらしい。あとで、サービスエリアですられたとわかる。

ヴェネツィアまでバスは走る。3時38分、ホテル着。ただし、まだ本土のメストレ。7時の夕食までに戻ってこれるように私だけのパドヴァ行きを決行する。

メストレ駅で切符を買うが、おつりをもらいそこねる。下調べなしなので、必死に時刻表で発車時刻と番線を確認する。雨がだんだん強くなる。パドヴァに着き、スクロヴェーニ礼拝堂らしきところを発見したものの、入り口が遠い。5時、やっとたどりついた堂内は、ジョットのフレスコで満ちていた。

余裕でパドヴァ駅へ戻る。ところが、予定の列車が遅れており、慌ててひとつ前の列車に飛び乗る。今回の目標は「時間を守る」なのだ。

7時、ホテル内のレストランで夕食。同席した歌手という女性は気分が悪くて途中退席。部屋に帰ってみればテレビではACミラン対ユヴェントスという大一番だったのだが、あえなく寝てしまう。

1997年12月1日(月)

ヴェネツィア滞在
市内観光→自由行動(アカデミア美術館、グッゲンハイム美術館、海の税関、リアルト橋、ヴァポレットでカナル・グランデ)→モニターイベント第2回→ホテル

朝食に赤いオレンジジュースを飲む。この日だけがゆっくり眠れて荷造りしなくていい朝だった。対岸の本島に渡り、サン・マルコ広場に行くためにロマーノのバスに乗り、プライヴェートボートに乗り換える。ちなみに普通なら(つまり個人が安く行くなら)鉄道でサンタ・ルチア駅までひと駅、そこからヴァポレットという水上バスでカナル・グランデを通ってサン・マルコ広場に到達する。

さて、サン・マルコ広場は増水していたが、それでもヴェネツィアの看板らしく、風格を備えていた。ガイドのマルコは、やたら冗談の多い青年だった。ためいきの橋、サン・マルコ寺院などを回る。「孤児院?」発言に目を回す。

11時5分、待望の単独行動に入る。アカデミア美術館でジョルジョーネ《嵐》に会う。ティツィアーノの《ピエタ》もよかった。

グッゲンハイム美術館。標識に誘導されるようにたどり着く。小さいが質の高いコレクション。ポロックの部屋があったので嬉しかった。面倒くさくなってここのカフェでランチにした。天気もよくなったし、絵ばっかり見るのもなんなので、ブラブラ歩くことにする。

2時30分。「海の税関」と呼ばれる突端に出た。海の匂いがした。いつまでもここにいたい気がした。

リアルト橋を経て駅前まで行ってヴァポレットでカナル・グランデを一通り見ようと歩き出す。製本屋のショーウィンドーの写真を撮ったら、フィルムがなくなった。予備のフィルムを忘れていたので、仕方なく買う。リアルト橋に到達。おなかが冷えたためにトイレ探し。カフェで一息つく。

サンタ・ルチア駅。4時15分。切符を買ってヴァポレットに乗るが逆方向だった。次のローマ広場で乗り換えてカナル・グランデに乗り出す。両岸の建築群はなかなかの圧巻なのだが、後ろ向きだったので、どれがどれかわからなかった。それにしても寒い。サン・マルコ広場に戻ったときにはもう暗くなっていた。

集合時間までの暇つぶしにサン・マルコ寺院に行くがすぐ追い出される。仕方なく散歩するが、観光客向けのショップばかりで辟易する。珍しい公衆トイレを体験するが、節電のために途中で明かりが落ちる。

6時15分、集合。女性陣は懇親度を深めた模様。私は年齢とか職業とか学歴を聞く無神経が嫌いなので避けて通る。第2回モニターイベントではウサギがメインディッシュで波紋を投げかける。20歳の学生はスパゲティで大盛りを所望。これはかわいい。あるおばさま2人は食事中に買い物に出陣。何かを買い損ねたとか。これには唖然。しかし、大阪組はもっと恐ろしかったらしい。

同室のM氏がミラノでレオナルドの《最後の晩餐》を見たい、という。ここは、どうするか?

1997年12月2日(火)

ヴェネツィア→ミラノ→自由行動(《最後の晩餐》、スフォルツェスコ城、昼食)→市内観光(スカラ広場、ガレリア、ドゥオモ)→免税店→ホテル→モニターイベント第3回→ホテル

朝食で、おばさまたちと同席になる。派閥を発見。財布泥棒の顛末を聞く。なんと、買い直した財布もまたルイ・ヴィトンなのであった。コモ湖ビデなど、おばさまの機嫌を逆撫でする。

ヴェネツィアからミラノへとバス移動。添乗員Hさんの聖書物語を堪能する。これはどうも私向けだったということが後でわかる。途中のサービスエリアで乾燥ポルチーニを買った。ここにはレジを打つ女性が1人しかおらず、突然やってきた日本人の大群によって大行列ができた。当然、バスの出発は大幅に遅れた。

12時15分、ミラノ市内スカラ広場でバスを降りた。間髪を入れず、Mさんとタクシーを拾ってサンタ・マリア・デッレ・グラツィエへと急ぐ。「1時間待ちはザラ」と脅されたため、心配したがまったく行列はなく拍子抜けした。《最後の晩餐》をMさんに少し解説。レオナルドに思いを馳せる。歩いてスフォルツェスコ城に向かう。博物館は休館だった。屋台でサンドイッチとコーラを買って鳩に投げたりして戯れる。次第にが強くなってきたので、地下鉄でドゥオモに行った。初めてのミラノの地下鉄だったが、無事に着いた。切符を買うのにもたついたけど。ドゥオモのファサードをじっくり見る間もなく、ガレリアに入る。アーケードなので、雨をしのげるもんね。ただし、ますます寒い。謎のスカーフ売り集団がいた。

ここまでくれば集合地点はすぐそこ。他のメンバーは予想通り、ブランドショップで買い物。それも、昼食の時間を惜しんで。私はACミラン、インテル、ユヴェントスの正規ユニフォームのレプリカを遂に見つけた。しかし、買わずに写真を撮っただけだった。

ミラノのガイドは遅刻。その間にトトカルチョ発見。マリアは 小柄だった。ガレリア、ドゥオモとまたまた金魚の糞状態。もう一度ミラノに来るぞ、という決意を新たにする。雨は激しさを増す。

ロマーノのバスで免税店へ。途中、さっきのスフォルツェスコ城で写真タイム。3時55分から30分の免税店お買いものタイム。一応見て回るがあまりに高い。しかし、みなさんはもちろん、嬉々としています。いったんホテルに帰る。思った通り、むちゃくちゃ遠い。これで観光は終わり。荷造りをする。

再びバスで3回目のモニターイベントへ。招待スポンサーの企業から誰も来ていないのはなぜ? ということから、私が疑われた。メモばっかり取っているから。またまたバスでホテルへ。ここでロマーノとはお別れ。

1997年12月3日(水)〜4日(木)

ミラノ→チューリヒ乗り継ぎ→成田空港→自宅

朝食はいたってなごやか。ツアーって仲良くなると楽しいかも。免税手続きの解説。なぜか質問に答える。空港への道路は渋滞。8時45分、リナーテ空港に到着。自分の荷物をピックアップ。

ミラノ ・リナーテ空港 午前9時55分発スイスエアSR621便、同日午前10時55分チューリヒ着予定。ここで乗り換え。チューリヒ午後0時50分発同じくスイスエアSR168便、翌日午前8時40分成田空港到着予定(時間はすべてLocal time)。と、いう予定だった。

チェックインを済ませ、搭乗口へ。ガイドの見送りに「チャオ!」。空港で最後の(と私は思った)ショッピング。またもや質問に会う。ワインを買う。レジには困ったちゃん出現。搭乗口に。ロスト・チケットに出会う。チューリヒへの便は遅延。しかし、突然搭乗開始

機内からアルプスが見えた。チューリヒで大阪組と再会。搭乗待合室でもやっぱり待たされた。またまた質問される。今度は搭乗案内のアナウンスについて。添乗員のHさんにハンカチをプレゼントする。

チューリヒ-成田間は空いていた。ツアーのみなさんとは少し距離を置いた私。ヘラルドを読む。1時間40分遅れで離陸。機内サービスに英語で答える理由はこちら機内免税品販売は、盛況。旅にもいろいろな形がある。もっと寛容であってもいいのかも。と思ったが寝ようとしていたらあまりにうるさいので、人間への信頼感が薄れる。

朝食よりモニターの番組の方がおいしそう。旅の印象を綴る。

ついに日本に。荷物引き取りのところで、みなさんと別れる。団体の効用で、税関をパスするも、出口を間違える。

行きと同様に京成の特急で帰る。実に全部込みで4万円かからなかった。

哀愁のヨーロッパ ミラノ・ヴェネツィア篇 【行程ダイジェスト】完

text by Takashi Kaneyama 1998

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