哀愁のヨーロッパ ミラノ・ヴェネツィア篇 第4話

2人のレオナルド

作戦会議

今日はヴェネツィアから一気にミラノに移動する。早く動けば、それだけ自由時間が増える。6時25分、外はまだ暗い。冬のヨーロッパの常とはいえ、太陽はなかなか見ることができない。同室のMさんと、自由時間について相談して、やっぱりいっしょに行こうか、という風に話をもっていく。《最後の晩餐》《ロンダニーニのピエタ》、それに昼食でゆっくりしましょう。早めに離脱しないと、恐れを知らないおばさん軍団にガイド兼通訳にされてしまいかねない。

盗まれた財布

朝食はコーンフレークとミルクにしてみました。それにヨーグルト、赤いオレンジジュース、カフェラッテ、クロワッサン。テーブルはおばさまたちと一緒になりました。おばさまたちにも微妙に派閥があります。昨日、夕食中に買い物に行ったおふたりは、あまり好かれていないようでした。ポロのLサイズを買ってしまった話を延々と繰り返していました。日本とはサイズはちょっと感覚が違いますからね、要するに渡してもらうときに確認しそこねたんでしょ? 対して、明るい世話好きのおふたりは、バザーにだせばいいと言ってました。そういう彼女が、財布を盗まれた人でした。「妙にあなたに押してくるから、変だと思ったのよ。その時は、彼の行きたい方向の邪魔になってるかと思って、どいてあげなさい、なんて言ってたんだけど、泥棒だったのね」と、相方。もはや、楽しい旅の思い出になっているようです。入っていたのは当座の現金だったので、大した被害はないんだけど、財布がルイ・ヴィトンだったそう。保険では現金はカバーされませんが、財布を値打ち物にして、なんとかトントンにしたとか。「それでね、悔しいからね、これを買ったの」と見せてくれたのが、なんとルイ・ヴィトンの財布。あのね、そんな財布を持ってるから狙われたんですよ。大事な物はキャッシュベルトに入れて腹に巻いているのに。そんな苦労が水の泡では。いかにもお金持ちの日本人観光客というのはいいカモなんだな、と実感しました。私なら、大きいホテルで網を張って日本人を狙いますね。だって、こんなに現金を持っているんだもん。

あれはビデか?

案の定、おばさまたちはいろいろ旅行されてました。バリ島(インドネシアね)の市場は臭いとか。コモ湖っていいんですよね、と夕食抜け出しおばさまが言うので「今は寒いだけですよ」と答えたら、不機嫌でした。どうやら、穴場的人気になっているらしいですね、コモ湖が。しかし、ということは、すでにコモ湖には日本人観光客が大挙して押し寄せているということです。日本人の行かない穴場には行きたい、だけど自分では手配できない、ということなのでしょうか。あるいは、女性誌が特集したんでしょうか? ちなみに、イタリア北部には湖がたくさんあって、ほとりにはリゾートがたくさんあります。夏のヴァカンスにはいいところみたいです。ところで、バスルームになるアレは何? という話になって、ビデでしょうというと、本当? と疑われてしまいました。あれがビデでなかったら、何がビデなんだ! と思いましたが、もちろん静かにしていました。まさか、ビデを知らないのではないですよね。トイレもシャワーもない安宿でもビデは必ずありますが、今ではあまり使う人もいないでしょう。ちなみに、あれはコトのあとに使うこともありますが、とりあえず局部だけ洗うためのものです。空気が乾燥しているので、毎日シャワーは浴びないけど、大事なところは洗いましょう、ということだと思います。

聖書物語

8時。バスに乗って待っていたら、電話代を払わずにチェックアウトした人がいて、慌てて降りていった。昨日大盛りを頼んだ大学生だった。7分遅れで出発。ちょうど登校時間らしく、小学生が親に連れられて学校に歩いている。やはり誘拐対策で送り迎えが必須になっているそうです。添乗員のHさんは、住宅事情や自動車事情についてイタリアの内幕を話してくれます。アパートの相場や初任給の関係で部屋をシェアする人や家族と同居する人が大半だとか。自動車の運転は荒いし、二重駐車は当たり前、傷が付いても気にしない。Hさんは、イタリア暮らしの経験が長そうです。すると、突然、聖書の話を始めたのです。ヨーロッパの見所には教会や宗教画が多いので、聖書やギリシア・ローマ神話の知識があると鑑賞が深まります。とはいえ、クリスチャンでもない限り、聖書の登場人物になじみのある日本人は少ない。ほとんどこういうガイド付きの旅行をしたことがないので、わかりませんが、こういう背景知識として聖書についてきちんと説明してくれるガイドなんてなかなかいないのではないでしょうか。第一、そこまで知識を深めているかどうか。それに、聞く側がそんなに興味を持ってくれるとは思えない。しかし、敢然とHさんは、旧約聖書の冒頭から、長いストーリーを語ったのです、それも約1時間にわたって。これは面白かった。よくこなれていました。なかでも、「ユダは本当に悪い人か?」という問い掛けには、同感しました。ジョットの《ユダの接吻》を見たせいかもしれませんが。裏切り者ユダは、キリストがつかまってひかれていくのを見て、首を吊って自殺してしまいます。悪い行いの報い、としか解釈されませんが、実はユダの心の中の葛藤は凄まじいものがあったと思います。このへん、ドラマツゥルギーにあふれているような気がするんですけど。

ポルチーニをゲット!

9時53分、S. Giacomoというところで休憩になりました。20分。10時13分に集合。ここもトイレは500リラ。小さなバールがあり、ショッピングゾーンではパスタからCDまで買える。例によってポルチーニを探す。乾燥ポルチーニが15,100リラだった。少し迷った末に買う。こういうものは、次の機会はない、と思った方がよい。これは軽いし。みなさんはパスタやらオリーブ油やら買い込んでいました。オリーブ油は、いいものが日本で手に入るのに。どうせなら、バルサミコ酢の方が、と思いつつ、バスに戻る。そこでは、インスタントカメラ(というかレンズ付きフィルム)の包装を必死で破ろうとしている2人がいた。「孤児院」発言の女の子が買ったらしいが、とてつもなく堅くて開けない。大盛り学生と保険会社勤務のおじさんが悪戦苦闘の末、ライターで開けました。つまり、包装のはじを燃やした。ふう。集合時間はとっくに過ぎているのに、大半はまだ帰還せず。Hさんが「時間に遅れるとそれだけ自由時間が少なくなりますよ」と注意していたのに。そういえば、レジは1人だけだった。行列になっているのに違いない。みんな一緒に並んでいるんだろうな。やれやれ。そして、ものすごい量の買い物袋を抱えてみなさんが帰ってきたのでした。結局20分遅れ。私の20分を返してくれ!

束の間の自由

11時になってもミラノに入らない。30分、ようやく高速をアウト。Hさんは、ミラノのブランドショップの場所の案内。何気なく聞いていたら、《最後の晩餐》は1時間以上並ぶのはザラ、ということだった。不安になったMさんが「どうする?」と顔をのぞかせた。「気合で行くしかないでしょう」。こうなったら、タクシーだ。12時、ミラノ中央駅が左手に見える。すでに予定より1時間は遅れている。ヴェルディ通りに入った。スカラ座の前、レオナルド・ダ・ヴィンチ像がある。ここで解放。集合は午後2時。今は12時15分。Mさんと客待ちのタクシーの列に走る。ドアを開けて(日本のように運転手が開ける自動ドアではない)、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ、ペル・ファヴォーレ!」と叫ぶ。言い終わらないうちに運転手はうなずいた。ここからは西に行ってから南下するはずだ。ちゃんとメーターも動いている。そのうち、右側にスフォルツェスコ城が見えた。ちょっと安心。10分もせずに、着いた。9,400リラだったが、10,000リラ渡して、おつりはいいよ、と言うと少し嬉しそうな顔をした。小さな教会。唯一の入り口らしきところにたむろしている男たちに「チェナーコロ・ヴィンチアーノ?」と聞く。ここでいいらしい。正確には教会付属の修道院の食堂の壁画だから、位置的には合う。行列は今のところ、ない。窓口でチケット12,000リラを買って歩いていく。途中、修道院の中庭回廊が見えたが、ガラスの向こうで入れない。この中庭はなかなかよさそうだった。ここの自動ドアは、なかなか開かない。感知しないのではなく、内部の気圧や湿度まどの条件を保つために、あまり頻繁に開かない設定になっているらしい。壁画保護のためと思われる。行列も、一度にたくさんの人を入れない入場規制のせいなのだろう。しかし、私たちの前には年配の紳士が1人だけ。ドアの手前で、辛抱強く待った。

天才の遠近法

ドアが開いて、入った。右側に《最後の晩餐》はあった。まだ修復中ではあったが、思ったより状態はいい。遠近法の教科書のような床の格子模様の向こうにミラノの自然風景が広がる。イエスの衣装の赤と青はなかなか鮮やかだ。どうしようかと思ったが、Mさんのために少し解説する。普通のフレスコではなく、新しい絵の具を実験したために、描いた直後からはがれ始めたこと、ユダが暗く描かれていること、遠近法の消失点など。人は少なかった。ほとんどが学生のようだった。日本人はいなかった。混む、ということで敬遠されているのだろうか。あまりに有名な作品にありがちなことだが、実物を見た、というだけで感激したり、目的を果たしてしまったような気になることがある。なぜ、いいのか、それを見た自分はどう感じたのか、ということが抜け落ちてしまう。私にとってはレオナルドは「実物でしか評価できない」作家ということになっている。印刷物などの複製ではその天才はわからない、と思う。レオナルドの作品、とくに油絵の完品は数が少ないので、チャンスがあれば見るようにしている。ロンドンのナショナル・ギャラリーにある《聖アンナと聖母子》の素描なんか、いいですよ。しかし、今はあまり感動が湧いてこない。ゆっくりしてもよかったのだが、反対側の壁画を一瞥して外に出た。さっきの男たちが、絵はがきを買わないかと言ってきた。セットしかなかったので、買わなかった。あっけなく第一目標を達成したので、あとは歩こう。

チープな昼食

ここから、スフォルツェスコ城をめざす。タクシーから眺めた通りの記憶がよみがえる。よしよし。こうやって、自分の足で方向を決めるのは楽しい。本当ならツーリスト・インフォメーションで地図を入手したいが、ここは『歩き方』でがまんするしかない。突き当たりが行き止まりだったり、ちょっと困ったが、とにかく東をめざす。城壁が見えた。巨大な公園にも見える。1時、城壁をくぐってスフォルツェスコ場内に西側から入った。めざす博物館の入り口がわからないので、城の正面のインフォメーションに行った。どうやら、cuiso(休館)らしい。あきらめきれずにいたら、そこに入り口がある、と指さしてくれた。行ってみて、入り口の場所はわかったが、やっぱり休館だった。これで確認できたので(疑り深い性格になっている)、ミケランジェロはあきらめるしかない。やっぱり、もう1回ミラノに来なさいというお告げなのだろう。正面脇に屋台(というかバン)が出ていた。「こういうとこで食べる手もありますけどね」と軽い気持ちでMさんを誘ったら乗ってきた。ツナ(tono)とトマト(pomp doro)のパニーニ(panini)サンドイッチが4,000リラ、缶コーラ2,500リラを買う。サンドイッチといってもイギリスのではなくて、フランスでバゲットにはさんでくれるようなタイプのもの。「温めるか?」と聞かれたので、もちろんお願いする。Mさんが「今、なんて言ったの?」と聞くので、温めてくれると言うと、いたく感動していた。彼もハムサンドとコーラを無事入手し、中庭のベンチに腰掛けた。鳩が寄ってくる。パンをちぎって投げる。これで雨が降ってなければのどかな午後なんだけど、だんだん雨足が強くなってくる。Mさんは「そうだ、これの方がずっとおいしいよ。おじさんも親切だし」と喜んでくれたのでほっとする。そそくさと食べ終えて門の下に避難。日本人の団体がやってきたので、ちゃっかりガイドの説明を聞くが、あまりにつまらないので帰ることにする。ちなみにここは博物館も無料だし、緑は多いし、いいところです。

激しい

なんとMさんは傘も帽子も持っていなかった。ハンカチではもはや辛い大雨になっている。城の正面にある地下鉄の駅まで小走りに急ぐ。大きな「M」マークがあったので、「あそこが駅ですから」と先導する。ようやく地下にもぐってほっとする。切符は1,500リラだったが、自動販売機が紙幣を受けつけてくれない。切符を売る窓口は見当たらない。困ってMさんが売店で両替してコインにしてもらおうとするが拒否される。いや、きっとここで切符を売っているはずだ、と「uno biglietti」と頼んだら、やっぱりそうだった。日本でいえばkioskで切符を売っているようなものです。パリのメトロのように切符を差し込むと1人ずつ入れる改札だった。方面を確認してホームに降りる。逆方向に行ったら大変です。まあ、そういうのも楽しいけど、今回は引率してますし。2駅目のDuomoで下車。ものすごく混んでました。地上に出たら、そこはドゥオモ前の広場だった。あの、空にたくさんの槍を突き出したかのようなゴシック教会の偉容を、しかし、ゆっくり見ることもなく、雨を避けてガレリアに走り込む。1時42分。ガレリアの先はもうスカラ広場なので、集合には余裕で間に合う。ガレリアは巨大なアーケードで、フルネームを「ヴィットリオ・エマニュエル2世のガレリア」という。ガラスと鉄骨でできた建築としてはもっとも古い。雨はますます強く降り注いでいる。そして、ものすごく寒い。とりあえず、日本の新聞を探してみたが、なかった。ミラノならあるかな、と思ったのに。Mottaを見つけた。高級食料品店でカフェも併設している。スカーフを売っているアジア系の女性の一群がいた。どうも腑に落ちない行動で、商売というより、ノルマだから必死で声をかけている感じで、言葉もあまりできないらしく、当然あまり売れない。きっと韓国人で統一教会ではないか、という説に落ち着いたが、気持ちのいい光景ではなかった。商売人ならもっと楽しそうに各国語を使って遊んでいる。

ロナウドとサヴィチェヴィッチ

ああ、レオナルド

ガレリアは、高級ショッピング街。おばさまたちは、当然、買い物にいそしまれておりました。それも、食事の時間も惜しんで。私は、ついにACミランとインテルのユニフォームを見つけた。120,000リラ。ロナウドがやはり一番人気か。私の関心は、果たしてレオナルドのユニフォームはあるのか? ということでした。もちろん、ブラジル代表で、鹿島アントラーズからパリ・サンジェルマンを経てACミラン入りしたレオナルドです。ウィンドーには見当たりません。よっぽど店に入ろうかと思いましたが、実は買う気はあまりなくて、集合時間も迫ってくるし、写真でがまんしたのでした。う〜ん、安くあげてしまった。Rizzoli書店やBorsalino帽子店がある。たしかに買い物好きにはたまらないだろうなあ。2時になったが、ガイドが遅刻。ちなみに大阪組の集合も悪い。待たされると、これなら、あそこであれも買えた、これも買えた、と思い始める。しかも、芯まで冷える寒さ。Mさんはおばさまの1人から毛糸の帽子を借りていた、というより押し付けられた。でも、親切はありがたいと思う。

トトカルチョはこれだ!

そうこうしているうちにトトカルチョの売場を発見した。食事を省略した人々はマクドナルドからテイクアウトして、分配していた。Hさんに「いかがでした?」と聞かれたので、《最後の晩餐》は全然並ばなかったと報告すると、「ラッキーでしたね」の一言。人を脅かして置いて、と思ったが、逆(安心させられて行ってみたら悲惨だった)よりはたしかにいい。休館でミケランジェロの《ロンダニーニのピエタ》が見られなかったことを話すと、「それは残念」と自分の落ち度のようにすまながるので、「また来ればいいだけですから」と慰めた。プロ意識として、開館しているかどうかの情報を流せなかったことを悔やんでいるのかもしれない。

たったこれだけ?

2時20分、ついにHさんがガイドを始める。スカラ座、レオナルド(画家で科学者のルネサンス人の方)、ガレリアについて一通り説明、まだガイドは来ない。つづいて、ラファエロ、レオナルド、ミケランジェロの個性を比較。順に政治家、科学者、建築家(もし現代に生まれたら)になる、というあたりは的を射ているかも。写真タイムをとって37分、ようやくガイドのマリアさんが到着。ちょっとひっかかるけどまあまあの日本語をしゃべる。さっきHさんの解説を聞いているので、ガレリアについては繰り返し。床の雄牛のモザイクで、局部の上に踵を置いて3回回るといいことがあるそう。やらなかったけど。こういうの、恥ずかしくないですか? そしてドゥオモへ。う〜ん、温い。本当は正面ファサードをゆっくり眺めたかったけど、この天気ではしかたない。このドゥオモは新しく、14世紀後半の着工で、大きいことはたしかだが、見るべきものはどれだけあるかが知りたかった。しかし、説明は「この天使がマリアさまに伝えているのは、じゅたあいこーくーち(受胎告知)です」という感じで、参考にならない。自分の目で判別しようにも、ツアーはどんどん進んでいく。最後尾をHさんと歩いていると、「さっきの聖書の話はいかがでしたか? あれはほとんど金山さんのために話したんですよ」と言われた。「ええ、感動しました」と咄嗟に言いましたが、もっとていねいに感謝すべきでした。個別対応をわざわざしてくれるなんて。3時10分、ドゥオモを出る。もう一度ミラノには来なくては、思っていた私はいいとしても、ただ1回のミラノをこのへんしか見られないなんて、つまらなくないかなあ。

免税店タイム

ガレリアを抜けてヴェルディ通りへ。この道端で、雨に打たれてロマーノのバスを待つ。激しい雨。ロマーノは少しも待たせずにバスをつけた。大阪組を残して出発。迅速、乗り遅れなし。添乗員さんに「優秀」と言われるとなぜか嬉しい。それも「大阪よりも」という対抗意識があるだけになおさら。3時30分、スフォルツェスコ城前。さっきの屋台はもういない。停車して写真タイム。Mさんは「さっきさんざん見たもんね」という感じで、ちょっと優越感を感じているみたい。標識によれば、憧れのサン・シーロの方向にバスは向かっている。もちろん方角が同じというだけで、3時55分、免税店SEDRAに到着。日本人の店員による日本語での歓迎の挨拶とシステムの説明がある。Hさんには「もちろん金山さんには期待してません」とまで言われてしまった。たしかにまったく買う気はないけどさあ。まずトイレ。とにかく暖房がありがたい。さあ、どうやって暇をつぶすか。例によってメモを書き込んでいたら、後ろからHさんに覗かれた。そんなに変かい? ポルチーニもあったが、水煮缶94,000リラ、乾燥40,000リラで話にならないほど高い。ああ、スーパーか普通の店に行きたいよう。ACミランのユニフォームは明らかに偽物コピーなのに55,000リラ。ブランドものなんて恐ろしく高いんだろうなあ。こういうところでもやっぱり買うんだろうか? と思ったら、やっぱりたくさん買っているのでした。買うときには添乗員の名前を書く欄もあって、リベートはみえみえ。そのHさんは、さすがに露骨には勧めず、むしろさっきの自由時間での買い物についてていねいにガイドしていました。このへんを見ていると、このツアーは懸賞に当たったにしてはけっこうランクの高い内容かも。添乗員同行だし。Mさんは香水を頼まれたらしく、いろいろHさんに聞いている。彼女はいつもつけている香水の匂いを嗅がせてくれて、薦めていた。また、Mさんはチョコレート大量購入。なんと、この懸賞に応募したのはお子さんなんだそう。しかし、この旅行は18歳以上が条件なので、お父さんが行くことになったという。それなら、おみやげは必須。3人の子どもと会社のみなさんに、本当に山ほど買っていました。Hさんとよもやま話。今晩のメニューのピザは「ルーコラのピザが食べたい!」と叫んだら、「そんな感じよ」ということだったので、ちょっと期待する。リナーテ空港のショップは、まあまあ揃っているらしいということなので、私はワインとチョコレートを空港で買うことにした。

社長は誰か?

買い物は無事終わってバスでホテルへ。4時35分。ここからの道のりが遠い。ホテルが郊外にあると、やはり不利だ。それにしても、いったんホテルに帰らずにフリータイムにしてくれた方が嬉しいんだけど。みんな疲れているのかな? 明日の朝、大阪組はホテルを5時15分発という辛い日程なんだって。どうやらミラノ-チューリッヒ間のフライトがどうしてもうまく行かず、1便早くなったそう。「大盛り」学生とMさんがインターネットの話をしているところに横入りしてしまう。Mさんは会社でOCNの導入を薦められているそうだ。問題はコストより、どんな効果を狙うかだと思う。顧客サービスとか、広報・宣伝とか、目的をはっきりしないと、成功かどうかの目安がつかめない。5時28分、ホテル着。6時45分にロビー集合で最後の夕食=モニターイベントへ。これで観光はすべて終了。カメラ、ガイド、ウエストポーチをしまう。もはや、食べて、寝て、飛行機に乗るだけだ。明日のシャツを出し、Hさんへのお礼としてハンカチ(お礼用に持っているもの。会社の40周年記念なんだけど洒落たデザインなので、そう言わなければわからない)をポケットにしまう。明日、頃合いを見て渡そう。テレビではサッカー。Mさんは買ったばかりのチョコレートをスーツケースに詰めるのに苦労している。「このために大きいスーツケースを持ってきたんだ」と言う通り、スペースはあるんだけど、チョコレートの箱が大きくて高さもあるので、なかなか苦戦。さあ、またもバス。遠い。第3回モニターイベント〈ZINGALO〉に着いたのは7時44分。ピザ、ミラノ風カツレツ、チョコレートムース+ジェラート。どれも普通の半分の分量。おそらく日本人向けに少量にしてあるのだろう。サービスも早い。日本では普通のスピードかもしれないが、イタリアでは異例に早い。私はいつもの赤ワインのハーフボトル。同席した若い女性Gさんに少し分けてあげる。彼女は26歳の人妻だった。流しのミュージシャンが店内にいた。トランペットとサックスの2人。テーブルを代表してGさんが小銭をあげた。こういうときは、気に入ればお金を出せばいいし、気に入らなかったら出さなくていいのだが、なかなか気詰まりになりがちなところ。ところで、ピザにはルーコラ、キノコ、アーティチョーク、トマトソース。念願がかなったけれど、ルーコラの鮮度がイマイチだった。薄くてクリスピーな生地で、これは好み。もっともナイフで切りにくくて不評でしたが。この場で話題になったのは、招待主の企業からだれも来ていないのはおかしい、誰かが当選者のふりをして一行の様子を観察しているのではないか? ということでした。それ自体はどうでもいいのですが、なんと私がもっとも疑われていたのです。理由は始終メモをとっているから。話はさらにふくらんで、私は実は社長なのだ、というところまでいってしまった。反撃。私はビデオをずっと回していた保険会社の人をターゲットに、「実は彼の方が偉い」と矛先を変えた。ふう〜。実にかまびすしい。ここで、運転手のロマーノさんへのチップを集めることに。どうせなら、あまりそうな現金をなくそうと10,000リラを入れたら「間違いではないですか」と聞きに来た。そんなに多いかね? また、Hさんにも渡そうということになった。このへんの組織行動はおばさまたちの得意とするところか。

最後の夜

ホテルへの帰りのバス。明日の朝は本当は7時半出発なのだが、6時で口裏を合わせることに。なんと大阪は4時起き、5時半出発。添乗員は針のムシロとか。東京だけ楽では、大阪組に恨まれる。9時50分、ホテルに着く。ここでロマーノにとお別れだ。「チャオ!」最後の挨拶。夜、Hさんと一緒に飲もうという企画が男性陣中心に盛り上がる。おばさまたちと反対側の勢力ですね。経験豊富で話の分かる添乗員さんと飲むのは楽しそうだけど、いやいや、添乗員に休息はない。あくまでも私たちは彼女にとってはお客さまです。しかも、添乗員、とくに日本人を相手にする添乗員には、気の休まる暇がない。つねに仕事をしているところを見せていないと、何を言われるかわからない。しかも、同室のMさんはお酒が飲めない。「独立派」の私たちは早々に部屋に引き上げた。最後の夜は、静かに更けていった。

哀愁のヨーロッパ ミラノ・ヴェネツィア篇 第4話 【2人のレオナルド】 完

text & photography by Takashi Kaneyama 1998

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