哀愁のヨーロッパ ミラノ・ヴェネツィア篇 第5話

旅の仕上げ

もう、この日は帰るだけなんですが、しつこく旅行記をつづけます。というのも、団体行動がなかなかスリリングというか、妙な体験をすることになったから。

最後の朝

Mさんは目覚まし(時報?)の鳴る腕時計をしていた。音は気にならない小ささなのだが、隣のベッドなので、やはり起きてしまう。6時。ひげを剃っているあいだに、2度もモーニングコールがかかってきた。昔は人がやっていたのかもしれないが、今は当然、機械なので、「Pronto?」と応答してもむなしい機械音が答えるだけ。買ってあったミネラルを全然飲んでいなかったので、ウェルカム・チョコ(部屋においてあるんですね、日本旅館の温泉饅頭と同じ)とミネラルを消費する。着替えて、パッキング。ここで忘れやすいのが(私の場合には)ジャージーとサンダルで、今日はジャージーを忘れた。面倒だけど、宿を引き払うときにはリストと照合しています。窓を開けてみる。暗い、寒い。この時期のヨーロッパはおすすめとは言い難い。テレビではトヨタカップの結果を報じている。ボルシア・ドルトムントが2-0でクルゼイロを下した。1人なら、さっさと空港に行ってチェックインしてゆっくりショップでワインやらチーズを選ぶのに、とも思う。6時50分、Mさんのスーツケースと私のバッグをドアの外に出す。ポーターが運んでくれるのは楽だけど、内心はものすごく不安。

度を超した無口

朝食は最初の日と同じ(当たり前だな、ミラノの同じホテルに戻ってきたんだから)、ただし、一行の雰囲気はずいぶん違う。警戒感から親近感へ。ここでも私のメモ癖はいろいろ言われた。Mさんは「彼は本を書くんだ」と煽る。まあ、たしかにこうしてネット上に公開する気なんだから、当たっていないこともない。「『いかにしてモニターをだましたか』というタイトルでね」と切り返す。昨晩から保険マンは社長に、私は専務ということになっていた。朝食に遅れてきた「大盛り」学生はサリン事件の主犯格の1人の研究室の後輩なんだそうだ。同室の若者が無口を通り越して無気味だと、嘆いていた。「風呂先に入りますか」ぐらいしか会話がないんだそうだ。

免税になるほど買い物するなら

ロビーではHさんがスーツケースのカウントをしていた。ここで、たしかに自分のバッグも載っていることを確認。できれば、バスに積み込むところまで自分の目で確かめたいところだが、さすがにそういうわけにはいくまい。出発予定時刻の7時30分になってもバスは来ない。ロマーノは昨日で終わりなので、今日は空港までのトランスポートだけのバスになる。この時間に免税手続きに必要な書類の記入のしかたの説明。これで3度目くらいだが、なかなかむずかしいようで、みなさん、苦労しています。私はもちろん関係ないので、聞き逃していたのですが、こんな私にも質問する人がいて、わかる範囲でお答えいたしました。ちなみに、結論としては、クレジットカードをつくってそこに返金してもらうのが一番有利のようです。空港でキャッシュをもらうのも可能ですが、リラで返ってきます。円の現金で返してもらうのは、後日、送られてくる小切手を銀行で換金することになりますが、けっこうな手数料をとられます。時間もお金も無駄が多い。というわけで、カードに落ち着きます。もちろん、カードを悪用する詐欺の手口もあるので、お気をつけください。その手口を知りたい? まあまあ、そのうちにね。

イタリア時間

7時45分、バスに乗る。社内でHさんへの気持ちを入れる封筒が回ってくる。円を入れた財布をバッグから出し忘れたので、10,000リラを入れた。このバスは定員が少なく、ロマーノのバスでは2人がけに1人でゆったりできたのに、相席を余儀なくされる。こういうときに、行程中に培ったおつきあいが如実に現れる。もともと2人の場合はいいとして、普通は同室した2人が一緒に行動するでしょう? ところが、私はほとんどMさんと別行動だったので、彼は「大盛り」学生と仲良くしていました。バスがそんなに混むとは知らず、結局私の隣は例の「無口」君だったのでした。まあ、気苦労がなくていいや。ホテルから空港は近いはず。というか、中心部から遠い。そうか、大阪組の飛行機があまりに早い便だったので、こうなったのかな? 初日には夜とはいえ、20分しかかからなかった。9時55分発なので、チェックインは7時55分から。もともとタイトな設定ではあったが、出発が30分遅れでも、行きの2倍の時間がかっても大丈夫、と踏んでいた。しかし、リナーテ空港への道は大渋滞していたのだった。これがイタリア時間なのか。8時半になってもまだつかない。どうやら事故があったらしい。こういうとき、イタリアの車はおとなしく並んでいない。路肩や中央分離帯を乗り越えて先に行こうとする。乗用車はもちろん、バスまでも。これで行くと、空港でワインを買おうという私の目論見は泡と消え去る。バスは遅々として進まない。

「一緒に行きましょう」

Hさんから、スピーチ。私たちのツアーは「最も印象に残る」ものだったそうです。本当かなあ。まあ、見事にバラバラだったけど、何とか無事だったものなあ。8時45分、空港に着いた。みなさんはガイド(そう、空港までの短いあいだだけど、イタリア人ガイドがつくんです)について、チェックインカウンターへ向かう。私はそうはいかない。自分のバッグをここで引き取らないと、飛行機に積まれてしまう。バスのトランクからなかなか出てこないんだな、これが。やっと最後の方で出てきたのでほっとする。本当にバスに積んだのか疑い始めていました。慌ててカウンターに向かう。といっても、スイスエアはどこかなんてもちろん知らない。まあ、中に入ればわかるさ、と歩き始めたらHさんが「一緒に行きましょう」。待っていてくれたのだった。このへん、団体慣れしていない私への気遣いが嬉しかった。待っていてくれたことではなく、「一緒に行きましょう」と言ってくれたところが。待っていたのに勝手に歩く客を怒るでもなく、連れていくでもなく、「一緒に行く」というスタンスはなかなか客のことをよく考えている。

チャオ!

さて、バスの中からHさんが電話していたのにもかかわらず、スイスエアはチェックイン手続きを進めていなかった。みなさんはまず税関へ。ボーディングパス(搭乗券)がなくても手続きができるのだろうか? ちょっと不思議。ここは時間がかかるぞ、と覚悟していたのだが、意外にもあっさり終わり、ボーディングパスも配布され、あとは搭乗時刻までに搭乗口に行けばいいことになった。これでワインが買える。ぞろぞろと歩き始めた私たちをイタリア人ガイドが見送っていた。わずかなあいだだが、ホテルから空港までの移動とチェックインをケアしてくれた。他の人々が彼にあいさつすらしないので、私は振り向いて「チャオ!」と手を振った。彼の顔が少し、ほころんだような気がした。

「社長」、ワインを買う

X線検査をクリアし、無事にショッピングエリアへ。「社長」保険マン氏に「ワインはどこですか?」と聞かれた。小さな店はあったけど、向こうにもっと大きいところがあるのではないか? という。そう思ったら自分で行けば? と思った(だいたい、なんで私に質問するの?)が、私の慣例にしたがいとにかく一周しよう(フランクフルト空港を荷物をかついで一周したときには後悔した。あそこは広いけど、私のほしい普通の食品雑貨がない)としていたので、一緒に行く。一番向こうは新聞・雑誌・本関係とすぐわかったが、一応彼にもわかるように見せてあげて、彼の言う「小さな店」に行く。そんなに小さくはない(と思う)。空港のショップなんてこんなものだ。チョコレートからワイン、パスタ、チーズといろいろある。「どれがいいですか?」と私に聞かれても、責任はもてない。Hさんがワイン通なんだから、聞いとけよ。だけど、ついつい、バローロを薦めてしまった。まあ、無難なところか。バローロでもいろいろあるが、そこまではよく知らない。「箱に詰めてくれますかね?」という質問はいかにも日本人らしい。私の答えは「まあ、ビニール袋でしょう」。市内の高級リカーショップならわからないが(それでも持ち帰りに箱詰めはないと思うが)、空港のショップではほとんどあり得ない。保険マン氏は、実は旅の初っぱなから世話好きを発揮してリーダー格におさまって、いろいろみなさんにアドバイスしていた人なのでした。別に悪い人ではないのでしょうけど、いかにも旅慣れた風に見える(見せている?)人にもいろいろいるんだなあ、と思いました。

トラブルの予感

なにはともあれ、時間がない。いまはまだレジが空いてるけど、いつ行列ができるかわからない(この予感は的中した)。私は大急ぎでバローロとバルバレスコ、それにグラッパをカードで買った。計162,000リラ。今回の最大の買い物です。そして、残ったリラの現金、とくにコインを消費するために16,500リラのチョコレートをキャッシュで買った。成田で2万円弱を換えたリラをようやく使い終わった。2回、レジに並び直したのだが、1回目ですでに3人目、2回目では5人目の行列に並ぶことになった。もちろん、買い込むのは日本人で、予想通りわがツアーの面々はここでもものすごい量の買い物を繰り広げていた。とにかく、リラの現金を使い切りたいのだろうか? それとも、品物を目にすると買わないと損をするという強迫観念に駆られてるのだろうか? いろいろなところで日本人の買い物の狂熱ぶりを見たけれど、このツアーでは、高速のサービスエリア、ヴェネツィアとミラノの自由時間、免税店、とありとあらゆるときに相当量の買い込みをしていて、さらに空港で買うのにはやっぱりと思いつつも驚いた。まあ、それはいい。困るのは、日本のスーパーほどレジは効率的ではないので、待ち時間が長くなることだ。実は、それでも空港のショップは市内よりも数段早い。ただし、イタリアのレベルでは、ということなのだが。とにかく、トラブルが起きなければいいが、と思っていた。ふだんなら、こんなギリギリまで買い物することはないのになあ。あせるのは嫌いだし、あせると事故も起きやすい。

最後までリラ

そして、やっぱり、困ったちゃんがいたのです。レジの行列で私の2人前。買い物しておいて、合計を(大体でいいから計算しとけよ、と言いたい)把握しておらず、さらに悪いことに自分の所持金額(もうすぐリラが使えなくなるんだから財布の中身を見ておけ!)もわかっていない。彼女がやったことは、レジで合計金額が出たら、自分の持っているリラの紙幣とコイン全部をぶちまけて「これで足りる?」だった。それも、大量のコインは、今までにたまったおつり全部らしい。あのね、折を見てコインを使っとかないと、財布はパンクするわ、円に換えられないわ、大変なんですよ。レジのおばさんは無表情に数え始めた。コインを分類して、「uno, due,...」と声に出して勘定する。おばさんは列の長さや搭乗時刻が迫っていることなんかでは動じない。ああ、イライラする。行列は長さを増していた。それでも、それで払えればいい。なんと、結果は「足りない」だった。困ったちゃんは事態を理解せず、「え? 今なんて言ったの?」と回りに助けを求める。しょうがないので、足りない、と教えると「もうお金持ってない」。日本円とかは? クレジットカードは? 「円でいいの?」と1万円札を出した。レジのおばさんは、円をリラ換算し、残り金額と照合して、おつりをくれた。もちろん、リラで、小銭までしっかり。かくして困ったちゃんはまたまたリラを獲得したのだった。

出発28分前

搭乗口へ急ぐ。わがツアーの面々はまだ、買い物をしている。なぜなら、ツアーのみんながまだいるから、安心しているのである。赤信号もみんなで渡れば怖くない。自分たちを残して飛行機が飛ぶとは思っていない。まあ、チェックインした客を積み残すことはないと思うけど、ここでの遅刻は飛行機の運航に支障を来す。1便遅れれば、接続便も影響を受ける。そう考えると、小心者の私は心配で、先へ先へ、早く早くと動いてしまう。遅れて名前を呼ばれるなんていやだし。パスポートコントロールではとんでもないページにスタンプを押してくれた。搭乗口には9時27分に着いた。まだ、掲示にチューリヒ行きの搭乗時刻が出ていないところを見ると、遅れる可能性が高い。遅れや欠航というときには、係員の近くに陣取るのが鉄則。アナウンスだけに頼らず、地上スタッフの行動に注意し、いざという時には詰め寄って情報を取り、必要なら代替便とかホテルの手配とかを要求する。もっとも、そんな非常事態にはまだ出会っていないが。ゲートの変更とか1、2時間の遅れはしょっちゅうだけど。あ、そうか、添乗員同行のツアーなんだから、私が心配することはないのか。とりあえず、おみやげのチョコレートをバッグに詰め、円の財布を出した。リラの財布はバッグへ。数百リラのコインが残った(数十円相当)が、これはスーヴニールに。もはや帰るだけになった。

恐怖のロスト・チケット

Mさんがタバコなど、定番のおみやげと共に到着。ただ、免税限度を知らないらしく、あっさり限度オーバーしている。タバコを買っていない人に分けて持ってもらえば?(これって脱税?)ということにする。このへんは団体のメリット。次々とツアーメンバーがやってくる。なぜか、私の近くにおばさまたちが集合してくる。「ここなら安心だわ」。ええ? 私は添乗員じゃないぞ! おばさまの1人なぞは、「いいですねえ、英語ペラペラなんでしょう?」と水を向ける。「いえいえ、全然」と答えても謙遜としかとってくれない。私はサバイバル会話だけなんです。ただし、イタリアではイタリア語をできるだけ話します、と言いたかったが、ものすごく嫌みに聞こえそうでやめた。9時40分になった。これは完全に遅れる。すると、突然、「あなたたちは30人のグループか? この人はあなたのツアーか?」と英語で聞かれた。彼が手に持っているものは、搭乗券だった。げげっ! チケットを落とした人がいる! 名前は「Mrs. TAKAHA」とあったが、もちろん、私はツアー全員の名前なんて知らない。これはHさんに知らせないと、と思ったが彼女の姿は見えない。しかし、チケットをよく見るとそれはフランクフルト経由の成田行きだった。私たちはチューリヒ経由だから、これは違うツアーだ。「いや、これは私たちのツアーではない」と答えた。おそらく、ショップかどこかで落としたチケットを見つけた人が空港スタッフに届けたのだろう。まあ、最終的には名前をアナウンスして呼び出すんだろうけど。それにしても、どうして私に聞くんだ? ほかに日本人はたくさんいたのに。Hさんも待合室に現れたので、この件を話すと、わりによくあることらしい。搭乗券がなくても、すでにチェックインしているので、本人と確認できれば飛行機には乗れるだろうけど、あまり体験したくないなあ。

何時間遅れるのか?

表示では出発時刻が10時30分発に変更された。DELAY。こういうときは、添乗員は大変だ。「いつ出るんですか?」と聞く人たちにいちいち答えなければいけない。決して「表示を見ろ」とは言ってはいけない(だろうと思う)。Hさんは係員から情報を取ってきてくれた。それによると、チューリヒが雪のため、チューリヒからミラノに向かう便が遅れていて、まだ着いていない。その機体を使うので、ミラノに11時ごろ着陸して、12時ごろのフライトになるのではないか、ということだった。当然、チューリヒから成田への便も遅れる(待っていてくれる)。例によって私は完全には信じていない。Hさんが嘘をついているとかではなく、航空会社も空港も言うことがころころ変わることがよくあるのだ。私たちは、なにしろ日本に木曜日に帰るというもったいない日程だったので、どうせならチューリヒに1泊したいね、などとのんきに話していた。だって、金曜もう1日休めば、もう3日滞在できるのだから。「大盛り」学生は、おなかがすいたと言って、軽食を買い出しに言ってサンドイッチを仕入れてきた。「12時まで、時間がありますからねえ」。いや、よく見つけてきた、よく1人で買って来れた、とおだてると(からかうとも言う)、「とにかく、指さして this one please! だけですよ。もう、英語よりC言語の方がいい」と理系らしいことを言って笑わせてくれた。彼はまた「もう、ここまで来れば安全ですよね。だって搭乗券持ってる人しか入れないんだから」と聞くので「いやいや、油断してはいけない。帰国する前にひと稼ぎしようとしている奴がいるかもしれない」と脅かしておいた。

突然の搭乗開始

まだ「大盛り」学生が半分も食べないうちに、カウンターの動きがあわただしくなった。アナウンスの準備をしている。搭乗口前に列ができはじめた。10時35分、ボーディング(搭乗手続き)が始まった。「さあ、乗るよ」と声をかけると、「大盛り」学生は、「ええ! もうですか! だって12時ごろだって言ってたじゃない」とあせる。残念ながら、信じる者は救われないのだ。Hさんに伝えようと思ったが、もう気づいているようだった。みんな揃っているのなら、心配ない。私は別に引率しているわけでもない、と思い直して、ポリシーにしたがってすばやく飛行機へと向かうバスに乗り込んだ。手荷物が大きい上にワインがあるので、荷物スペースを確保したい。猫の鳴き声がする。なんと、すぐ前のブロンドの女性が猫を連れていた。10時55分、アナウンスがあり、35分以内に離陸、「light snow falling still in Zurich」ということだった。

りんご酒はどこに?

11時27分、アナウンスを守ってスイスエアSR621便は飛び立った。窓からはアルプスがよく見えた。たった30分のフライトだが、クロワッサンとカフェが出た。ヘラルド・トリビューン・インターナショナル(英語)があったのでもらって読もうと思ったが、取り損ねた。チューリヒの気温はマイナス1度。注目のコネクション(接続便)は、TOKYO行きが12時50分発のままだった。トランジットだけなら間に合う。しかし、実は「大盛り」学生君はなぜかりんご酒をおみやげに頼まれていた。りんご酒は、あまりイタリアでは聞かない。シードルならフランスかイギリスだろうし、この近くならフランクフルトのアプフェルヴァインが有名なくらいか。むしろ、空港ではなくて市内の店の方が可能性が高いだろう。そしてミラノの空港にはやはりなく、チューリヒの空港に最後の期待をつないでいたのだった。Hさんも同じ意見だった。もっとも私は露骨に「ないと思うけどな」と言ったのだが。果たして彼の探し物の時間はあるのだろうか?

早起きの大阪組が

下界は雪だった。チューリヒに12時5分、着陸。タラップを降りてバスに乗り、空港内に入ったのは12時28分。ボーディングパス(搭乗券)配布。ここで寛大にも、Hさんは、買い物許可を限定つきながら出してくれた。なぜなら(ここからは私の推定)この時点で搭乗手続きの案内がまだなく、東京行きが遅れることは確実だったからと思われる。ただし、ここのショップは充実していないと念押し。おおっと、大阪組のみなさんと再会です。大阪行きは東京行きのあとなので、彼らはチューリヒに長時間のトランジットを余儀なくされます。不機嫌を通り越して寝不足で疲れているようです。大阪組の若い添乗員がHさんに促されて東京組に挨拶しました。彼の辛い経験は聞いているので、みなさん同情的です。大阪は4時起きを強いられ、その不満の矛先は当然、彼に向けられたことでしょう。迂闊なおばさまの1人が「私たち何時起きってことになってましたっけ?」と(本人はひそひそのつもりらしいが)つぶやいて顰蹙を買ってました。大阪組に聞こえたらえらいことや。そして「大盛り」学生はショップへと駆けていった。

またまた質問される

東京行きの搭乗口の待合室まで長い動く歩道を3本。なぜか先頭に立つ。12時41分、着いてみればやはり出発は30分遅れ。Mさんが家に電話をかけたいというので、クレジットコールのできる電話を探す。どうも遠いはしのようなので、私が荷物番をする。その間にアナウンスがあった。どうやら、ボーディングが始まるようだ。英語のアナウンスをヒアリングしている途中に、「行方不明」氏(懐かしい? けっこう亭主関白だけど、後半は素直なおじさんだった)が「え〜、まだ搭乗は始まりませんよね」と質問してきた。あ〜、今言っているところだから静かにしてくれ〜! たぶん、クラスか席によって早く搭乗できるらしいが、肝心のところが聞き取れなかった。「いや、この放送だとボーディングが始まるみたいですよ」と答えたら、日本語でアナウンスがあった。ファーストクラスと20〜48の席から搭乗開始。心配なんだろうけど、どうして私に聞くんだよ! 今日はやけに質問される日だなあ。

プレゼント

Mさんが戻ってきたので、入れ代わりにトイレに行った。さあ、搭乗しようか、と思ったら、Hさんが珍しく1人だったので好機! と準備していたハンカチをプレゼントした。「いろいろご迷惑をおかけしたので」と言ったら、「いいえ、何にも、全然」と明るく受けてくれた。とにかく、パドヴァに行かせてくれ、ヴェネツィアでは途中抜け出しを許してくれた恩人だ。ラッピングは美術館で絵はがきを買ったときに包んでくれた透明ビニール袋。予想以上に喜んでくれたので、嬉しかった。会社のものとはいえ、素材もデザインもいいんですよ、本当に。彼女はハンカチを広げて「こんなにいいものもらったよ」と待合室にいたツアーメンバー(なぜかほとんど男性だけだった)に見せびらかしていた。おいおい、そこまでしなくても。でも、それが嫌みじゃないんだな。けっこうノリのいい人なのだった。

近づきにくい男

ポリシーに反してゆっくり搭乗することになったが、Hさんにお礼が出来たので気持ちがすっきりした。幸い、機内は空いていた。隣の保険マン氏が「このぐらいの遅れは取り戻せますよねえ」と話しかけてきたので「もし、遅れがこのままで済めば、ですけどね」と真面目に答えてしまった。だって、本当に30分程度の遅れで済むとは思えなかったんだもん。彼はどう思ったのか、後ろの方へ移住していった。団体なので席は固まっているが、どんどん空いた席に移動するので、結局私は中央4人掛けの席を独占することになった。Mさんは「空いてるのはいいけど、全然いないっていうのも寂しいねえ」と率直な感想を述べた。このへんが私のポジショニングなのだろう。私を、頼りにはするが、親しくはならない。私に、近づこうにも、話しかけにくい。今度は毎日新聞とヘラルドを取ったので、ゆっくり読む。行きの飛行機にあったエンターテインメント・システムはなかった。モニターの務めの最後のアンケートと、旅行社のアンケートが配られる。Hさんが、1人ずつていねいに最後のあいさつをしながら配ったのだが、さっきの快活さとは遠い。仕事とはいえ、アンケートには「添乗員はどうだったのか」と書き込む欄があり、そして口ではにこやかにねぎらっていた客が悪口やら不満を吐露するらしい。このアンケートは、添乗員本人も見る(これは本当。ツアコン経験者に聞いてみてください)。不満があったら、その場で言ってくれれば対処するのに! と思うそうである。

離陸

午後1時30分。飛行機はまだ止まっている。接続便を待っているらしい。あと半時間とは言っているが、どうなることやら。メニュー。毛布。イヤフォン。チョコレート。サービスが始まる。毎日はすでに読み終え、ヘラルドも最終面。『アンネ・フランクの日記』が新演出で舞台にかかったらしい。「それでも私は信じている、人は善良であると」(I still believe, in spite of everything, that people are good at heart.)という一節が引用されていて、不覚にもうるうるしてしまった。左端の席にツアーメンバーの女性(40代独身=推定)がやってきた。お父さん(このツアーで最高齢確実、頑固じいさんでレディーファーストなんかまったく気にしない人だった。少し足が悪いらしかったが、手助けを嫌っていた)がゆっくりしたいというので、ここに移っていいか? ということだったので、どうぞ、お気になさらずに、とゆっくりヘラルドを読み続けていた。すると、「すごいですね、英語を読めるなんて」と言われてしまった。日本語のものはもう読んでしまったのだ、と言ったが、やっぱり嫌みだったのだろうか? 少しでも新しい情報が欲しかっただけなんだけど。2時20分、ようやくタキシングに入った。30分、離陸。この時点で1時間40分の遅延。成田空港予定到着時刻(ETA)は現地時間9時43分。1時間3分の遅れ。

コニャック

アンケートも書き終え、ビールを飲むとやることがない。行きと違って話がはずむのだろう、あちこちで声高な会話が聞こえる。突然、「大盛り」学生がやってきて、あのコンピューターシステムで遊びたい、と席に着いた。彼の席にはないのだという。そしてテーブルを見て愕然としていた。そう、行きとは違うんだよ。ところで、やっぱりりんご酒はなかったそうだ。私はいつもの通り、メモ帳を読み返し、これからのために書き込み始めた。不満は多い。当てもなく歩く楽しみが奪われた。サッカーもオペラもなかった。だいたい、ガイドの後をついていって、ガイドの指さす方向をいっせいに見て、さっさと帰る、というのにはがまんがならない。気に入ったところで立ち止まりたい、もっとゆっくり目で耳で鼻で味わいたい。もっとも、お金はほとんどかからなかった。最初の食事が来た。どうでもいいが、スチュワーデスとの会話は英語で通した。だって日本人じゃないし(一度大韓航空で「水」を頼んだら「水割り」が出てきたことがあって、スチュワーデスが日本語を多少できそうでも用心している。彼女たちの日本語より私の英語の方がまだいい)。スイスエアではさすがに独仏英の3か国語のアナウンスが流暢に流れる(他のキャリアーではよく聞くと普通はどれが母国語かわかる、というのは流暢の度合いが明らかに違うから。しかし、スイスは多言語国家だけあった)のだが、日本語だけは日本人スチュワーデスがやっていた。さて、担当のスチュワーデスは(たぶん)スイス人で、他の人には「おちゃ?」と聞き、私には「Do you like japanese green tea?」と聞くのであった。そしてコーヒーも終えてゆったりしていると、件のスチュワーデスがやってきた。何だろうと思ったら「Do you like cognac?」とカミュのミニチュアボトルを持ってきてくれた。普通はリクエストしないと持ってこないぞ、と嬉しくなってもちろんいただいた。ただし、機内は気圧が低くなっているので、飲み過ぎは禁物。高山にいるようなものなので、蒸留酒はとくに気をつけたい。昔はタダだからとよく飲んだけど。

買い物は続く

NHKニュース(もちろん12月2日朝の録画)が妙に懐かしい。40時間前の古いニュースだけど。トレイが片づけられると、定番の免税品の販売タイムになる。ん? もしかしたら。いや、きっとそうだ。そして、Hさんの席は買い物相談所と化していた。やっぱり、みなさんは最後まで買い物のチャンスを逃さないのだった。頑固じいさんの娘は、甥へのプレゼントに可愛い時計を買おうとしていた。カタログ全品が揃っているわけでもないらしく、気に入った色とデザインを追求している。数少ない日本人スチュワーデスたちは、忍耐強く機内ショッピングをこなしていた。そう、買いたい日本人乗客は日本人スチュワーデスが来るまで待っている。席を立ってやってくる人までいる。買った人たちは獲物を披露しあっている。私も実はアーミーナイフをカタログで見たのだけれど、日本で買うよりもそんなに安くはなっていないので、やめた。スイスの時計はもちろん、安くない。こんな高額商品をぽんぽん買うなんて信じられない財力。これは買い物上手というよりは、条件反射ではないのだろうか。

寛容こそ

ぼんやりしていると、保険マン氏がビデオを回しながらやってきた。カメラを私に向けて、何かコメントを、と言う。「社長、よろしく」その他意味不明なコメントをぶつけた。こういうの、暴力に近くないか? それにしても、帰りの飛行機までビデオに撮るんですね。Hさんはにこやかにアドバイスして回る。私はますますメモ帳にいそしむ。頑固じいさんの娘には「話しかける隙もないくらい忙しくしている」と言われて、少し反省する。出会いを楽しむ余裕、他のやり方を許容する寛容さが欠けているのかもしれない。

「足を伸ばして」

映画「バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲」を見て怒り心頭に発する(movie評を見てね)。時計を日本時間に進める。午後6時55分から一気に翌日午前2時55分へ。もう1本、映画が続くが、幸い眠気が襲ってきた(これは私にとっては珍しい)ので、寝ることにする。スペースもあるし。映画タイムはスリープタイムでもある。ところが、話し声が無茶苦茶うるさいのだ。わがツアーの女性軍ではカップヌードルとアイスクリームを頼むことが流行しているらしく、「おいしそう!」とか大声が聞こえる。席が離れているのに無理に会話するので、声が大きくなるのだ。機内は暗くなっているんだから、静かにしてほしい。それでも、靴を脱ぎ、3席ぶち抜きで横になる。左端の頑固おじいさんの娘さんは「どうぞ足を伸ばして」と優しい。だけど、私、遠慮の固まりなので、膝を窮屈に曲げていたら腰が痛くなってしまった。お言葉には甘えるもんです。

日本へ

7時15分、なんとなく起きた。4時間前後の睡眠。オレンジジュースをサービスしてくれるタイミングがいい。唇と鼻が乾く。そう、鼻や喉の粘膜が弱い方のなかにはマスクなどで自衛する人もいます。機内は乾燥しますから。また、気圧が下がるので、風邪などで鼻がつまっていると、耳が痛くなります。気をつけてください。外は薄明。水平線だ。ハバロフスク近く。機内の照明がフェードインしてきた。お目覚めタイムだ。おしぼりが配られる。朝食に出た卵は卵液を電子レンジで加熱したようなしろものだった(私は実験したことがあるので知っている)。栄養はともかく、口当たりも味もパサパサで、後悔しますから、おやめなさい(やる人いないか)。スクリーンでやっていた紀行番組では、アリューシャンの川原で鮭とじゃがいものスープ、サラミソーセージ、赤ワインという食事の場面があって、そっちの方がすごくおいしそうに見えた。「anything else?」と聞かれたが、「no, thanks」とだけ答えて、今後の予定を立てた。少なくとも預けた荷物のピックアップがないので、ツアーのなかではトップで出口に到達する。午後1時ごろには自宅に帰れそうだ。クリーニングやフィルムの現像、洗濯などをこなして深夜にはいよいよワールドカップの組み合わせ抽選だ。

旅のメモから

いつものように、旅の印象を書きつけていく。たとえば、こんな風に。

空は青空。また、日常へと還っていく。今回の旅では、非日常へと脱しきれなかった。ちょっとふしぎな体験、一種の社会勉強か。楽すぎて旅をした実感がない(ホテル探しも、リコンファームもいらなかった)。

アンケート回収。8:14AM。最後まで添乗員は気を使う。

私に違和感があったように、他の参加者には私への違和感があったろう。長髪のメモ魔。

収穫。Hさんのtotalな体系的イタリア文化理解(ただし、美術様式についてはやはり旧弊のワナにはまっているが)。ただの知識の羅列ではない本質的な指摘がある。

PADOVA。ジョットの魂に少しでも触れた。とくに《ユダの接吻》でのキリストのキリリとした表情には打たれた。

帰還

こうして、各都市、美術館、路地について言葉にしていく。行き損ねたところ、もっとこうすればよかったという反省、準備や所持品についての評価も忘れないうちに記録する。さらに、次の旅行ルートについて思いつきを列挙する。こうしているうちに、日本海を渡る。アナウンスは「half an hour to Tokyo」。右手前方に富士山。中央の私の席からはもちろん見えない。天気は良好のもよう。イヤフォン回収。シートベルト着用のサイン。靴をはく。成田でも気を抜かないこと。ETAが9時26分に早まる。あと27km。no smokingのサイン。9時28分、着陸。

試練の税関

もう、急ぐ必要はない。タキシングを待ち、周囲の荷物下ろしを手伝う。通路を歩くあいだ、Hさん、Mさんと一緒になる。Mさんのタバコを分配する。私は一足早く出ることになるので、他の方々にお願いする。私が「いつも税関でひっかかるんですよ。必ずバッグを開けさせられる」と言うと、Hさんは「団体だったら大丈夫ですよ」と請け合う。そうか、個人旅行者は警戒されているのか。そういえば2週間もひげをそらずにいたら不審人物かも。税関を通るときだけネクタイをしたら、その時はOKだった。他愛ない会話。Mさんが「金山さんと一緒だといいですよ。みんなガイドしてくれる」とHさんに通報していた。よっぽどミラノの自由時間が印象深かったのかな。まあ、喜んでくれて良かった。9時58分、入国審査を通過して、下のフロアに降りると荷物が出るターンテーブルが回っている。ここで、お別れだ。「どうもありがとうございました」とあいさつする。Hさんが、「金山さんが帰られますよう」と大声で呼びかける。照れる。私は目立たず、迷惑をかけずを信条にしていたのに。みなさん、口々にお別れを言ってくれる。言葉が思いつかなくて「ありがとうございました」だけを繰り返して、手を振る。そして、懸案の税関はがら空きで、係員が待ちかまえていた。「パスポートを」。「え?」。忘れていた。胸の貴重品袋から再びパスポートを取り出す。一挙一動がツアーメンバーたちから注視されている(ように思えた。だって、スーツケースが出てくるまで彼らはやることないもん)。「団体ですか?」。「はい」(よしよし。さっきの大声のあいさつのおかげだな)。「どちらへ?」。「イタリアです」。「チューリヒは乗り継ぎで?」。「はい」。「何もありませんね」。「はい、ありません」。「はい、どうぞ」。やった、あっさりOKだ。そうか、団体はいいんだ。ワインを入れた袋とバッグをつかんで出口へ急ぐ。やれやれ。おや? 出口がないぞ。なんと私は職員通用口へ向かっていたのだった。何しろ、税関を出た先には誰もいなかったので、正面の出口に気づかなかったのだ。ああ、恥ずかしい。戻って、出口から到着ロビーへ。

支出総計4万円

すぐに地下の成田空港駅へ。昔に比べれば便利になった。空港から京成の駅までバスだったもんな(いつのこっちゃ?)。ちなみに、成田から都心に向かうJR成田エクスプレスも京成スカイライナーも、当日にしかも発車数分前でも楽々指定券を買えます(私の経験では100%だけど、保証の限りではない)。しかし、当然のごとく私は京成の普通券で特急に乗る。上野まで1000円。ポカリスエット、110円。汗がにじむ。上着を脱いだ。イタリアで雨を防いでくれたフードも格納する。帰ってきたぞ。結局、京成、JR、バスと乗り継いで12時39分に帰宅した。旅行保険、手続き代行費、フィルム代、成田空港までの交通費、現地で使ったリラ(ワイン、チップ、絵はがき、入場料、タクシー代、その他いろいろ)、カードで買ったワインとグラッパ、成田空港からの交通費、ポカリスエット、現像プリント代、すべて込みで約4万円で済んでしまった。さあ、明日は会社だ!(午後出勤だけど)

哀愁のヨーロッパ ミラノ・ヴェネツィア篇 第5話 【旅の仕上げ】 完

text by Takashi Kaneyama 1998

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