哀愁のヨーロッパ ミラノ・ヴェネツィア篇 第2話

憧れのパドヴァ

眠れない

ミラノの第1夜、ベッドに入って明かりを消すものの、寝られないんです、これが。同室のMさんも同じだったらしく、ついに彼は「テレビはななにかやってますかねえ?」と起きてしまいました。まだ朝の5時20分。しかたなく、2人でCNNを見ました。すると、気になっていたオーストラリア対イランの試合結果が。なんと、2-2の引き分け。結局2試合とも引き分けだけどアウェーゴール2倍方式でイランのワールドカップ出場が決定。オーストラリアは予選を無敗ながらも通過できず。しかも、試合経過はオーストラリアが一方的に押していて、前半終了時では2-0でリード。なのに、一瞬の隙を衝いたイランが2点を連続ゲットして追いついてしまった。ちなみにキーパーのアベドザデは元気にプレーしていた模様。ジョホールバルでの怪我はやっぱり演技だったのかあ?

あ、くらもちふさこだ!

ついでにCNNの話題をもう少し。画面に日本の風景が出たと思ったら少女マンガのレポートだった。英語でも「syojo-manga」でした。そして、なんとくらもちふさこ様のインタビューがあったのです。こんなところでくらもち様のご尊顔を拝めるとは。感謝感激! 

いよいよ旅支度

ポーターに運んでもらう荷物と携帯する荷物を分ける。といっても簡単。以前にスペインで買った超薄いバッグに傘、フィルム、軽食を放り込む。ウェストポーチにガイドと会話集、ティッシュペーパー。上着のポケットに財布とカメラ。パンツのポケットには方位磁石と小銭入れ、バンダナ。胸には貴重品袋。ここで重要なのは、ウェストポーチとかバッグは狙われやすいので、大事なものは入れないこと。財布は、できるだけ出し入れするところを人に見られないこと。あっというまに準備が終わり、朝食へ。

コンチネンタル・ブレックファスト

コンチネンタルの朝食はつつましい。パン(パニーニ)、クロワッサンにバター、ジャム、蜂蜜。コーヒー(カフェ)、ミルク(ラッテ)。水にオレンジジュース。M氏は、コンチネンタルが好きでないらしく、「これが続くのか」と早くも不満。まあ、ハムとかチーズとかゆで卵とか果物とかがあってもよさそうなものだけど、イタリアでは出ないだろうなあ。同席は昨晩空港で一時行方不明になった初老の彼とその妻。一生懸命、威厳を保とうとしてことごとく失敗している感じ。M氏は旅行は不慣れで、「日本人から離れて行動するのは怖い」「1人で外国を旅行するなんて信じられない」という発言を繰り返すので、ついつい、「あの、私はいつも1人旅なんですけど」というと、びっくりされてしまった。行方不明氏は「いや、もちろん、そうだよ」とすべてを知っている風の受け答えをするのですが、いかにも裏付けを欠いていて、頼りなさげ。人間、正直が一番ですよ。

道はバスが知っている

バスに乗るまで、ロビーで休憩。いまもって、ここがミラノのどこなのか不明。知らなくても、バスが連れてってくれるからいいんですけど、やっぱり落ち着かない。M氏とDX7(というシンセサイザー)の話をしたりして過ごす。外は霧雨から曇り。8時8分、バスに乗車。ドライバーはロマーノさん。彼はこのバスのオーナーなのだそう。ふ〜ん、独立自営か。これから3日間お世話になるらしい。こういうときは、「Buon giorno!」と大きな声で挨拶するに限ります。

今日も添乗員さんは元気

免税の話(私にはまったく関係ないのでほとんど聞いていなかった)からローマ史まで、語る、語る。ちなみに免税がもっとも楽なのは、クレジットカードで買い物することのようです。あ、もちろん免税店(空港とか)は別として。ここで謎だった「モニターイベント」がようやく明らかになりました。やっぱり、というか、スポンサー企業の新開発のメニューを食べてアンケートに答えることだそうです。なにしろこれが3回あります。まあ、食費は浮くわけだし、懸賞に当たったんだからこれくらいはやりましょう。ここですでに出発してから1時間20分が経過。そろそろサービスエリアで最初のトイレ休憩、というときに大事な説明がありました。トイレの前におばさんに500リラが必要。スリに注意。バールにはコーヒーなんかもあるが、まずレジでお金を払ってレシートを受け取り、カウンターでレシートと交換に飲み物を受け取るシステムになっていること(これはフランスでもありました。要は、限られた人しかお金を扱えないようになっている)。ワインについて。しかし、ここで買い物する人なんかいるのかな?

最初の買い物

10時6分、サービスエリア着。まずはトイレ。1000リラ出したんだけど、どうも、500リラのおつりが返ってこない。値上がりしたのかな? と思いつつ、あとで確認したら500リラだったという。しまった。まあ、寄付みたいなもんですね。バールはものすごく混んでいて、時間もないし、売場を探索。日本の高速のサービスエリアよりは小さなスーパーみたいで、オリーブオイルやパスタ、ワインなども。おおっと思ってポルチーニを探す。このポルチーニは北イタリアでは日本の松茸のように珍重されていて、結構高い。本当はフレッシュなものがいいのですが、すでに季節はずれ。乾燥か水煮しかありません。結局ポルチーニ「も」入っているキノコいろいろの水煮のみ。ここはとりあえずミネラルウォーターだけ買ってバスに帰ることに。

パドヴァに行っていい?

レジを出たところで添乗員のHさんが待機していたので、これ幸いとパドヴァのことを相談してみる。「あの、今日パドヴァに行きたいんですが」「お友達がいるんですか?」「いえ、スクロヴェーニ礼拝堂だけ見たいんです」「う〜ん、夕食をキャンセルしないといけないかもね」「かまいません。ご迷惑はかけないようにしますから」結局、7時からの夕食に間に合うように帰ってくることで単独行動をOKしてもらう。ジョットはいいよねえ、という話になって、これはいい添乗員さんに当たったな、と思ったのでした。それも「いいよ、帰ってくるまで夕食は待っててあげる」とまで言ってくれたのです。そこまで言われると気が重いので、もし間に合わなかったら先に始めてください、と言ったのですが。これで、夢が実現。う〜ん、楽しみだ。ついでに、明日のヴェネツィアの市内観光にアカデミア美術館が入っているか聞いてみる。すると、予想通り入っていない。アカデミアは昼の12時30分までなので、自由行動時間内では時間が足りない公算が高い。すると「う〜ん、最後のガラス工場見学抜けていいよ」と意外なお言葉。ふつう、こうした実演見学では販売もあり、添乗員には売上に応じてリベートがあるはず。それに旅行会社にとっても参加者の自由行動を許していては示しがつかなくなってしまう。う〜ん、本当にいい添乗員さんだ。

そしてヴェローナへ

さあ、戻ったと思ったら大阪組のバスも同じ型なので、見分けがつかない。ああ、ナンバープレートを覚えておくんだった。ええい、と乗ってみたら、なんか変だな? やっぱり違っていた。それにしても怯えたように「違います」と言ったあなた、そんなに変な目で見ることないでしょう。誰だって間違いはあるんだから。ところで、帰って来る人みんな結構な買い物をしている。なにもここで買わなくてもと思う私が非常識なのか。ともかく、やがてバスは出発し、ヴェローナの歴史を聞き、ガイドのマリオさんをピックアップしてついにヴェローナに着いたのでした。

バスは市内を駆けめぐる

ヴェローナは地図で見る限りこぶりないい街で、1日歩き回りたいところですが、ここはバスの窓から駆け足で見ていくことに。いわゆる「車窓観光」ですね。ポルタ・ヌオーヴァ、パリオ門、バロック建築(今は銀行)、カステルヴェッキオ、スカラ家、ナポレオンの執務跡、ガービ門、ボルサーリ門、収税吏の門、アディジェ川、ヴィスコンティ家の城、などなど。雨が降って寒いのにカヌーを漕いでる人もいました。さらにドゥオモ、サレージュルジョの門、市壁、ピエトラ橋、テアトロ・ローマ(現考古博物館)、サンタアスタナーシア教会。これだけを20分で見てしまうというのは、あんまりといえばあんまり。かすかな記憶が脳皮をかすめるのみ。みなさん、車窓観光はほとんど見たことになりません。ポイントを絞って自分の足で回りましょう。もっとも私の見たかったサンゼーノというロマネスク教会はどこにも出てきませんでした。まあ、ちょっとはずれだしなあ。

さあ、歩くぞ!

11時6分、ようやく下車して徒歩に移行。なんか、足がうれしがっています。やっと旅が始まったような気がしてきました。雨はフードでしのげる程度。しかし、最初に着いたのはなんと、ジュリエッタの家。ああ、ばかばかばかばか。貴重な時間をこんなところで。そりゃあ、ヴェローナは「ロミオとジュリエット」で有名ですよ。でも、あれは架空の話。シェークスピアはヴェローナなんて来たことなかったんだから。たしかに、時代背景は借りてるけど、物語の主人公の家がなぜあるの? もっとも、聞くところによればジュリエッタの墓もあるらしい。ジュリエッタの家ではバルコニーが修復中で、オリジナルの石材を補強して再組立する準備をしていました。オリジナル? どうしていなかった人の家があって、オリジナルとか言っているわけ? そしてここにはジュリエッタの像があって、乳房を撫でるといいことがあるそう。私はこのときものすごく不機嫌な顔をしていたと思います。

あ、楽隊だ!

マリオさんが説明して添乗員のHさんが通訳しています。別にマリオさんがいなくてもHさんでも十分にガイドできるんですが、ここは市民の雇用を守るため、資格のあるガイドでないと駄目らしいです。すると、かすかに音楽が。「楽隊だ!」通りに出ると、まさしくマーチングバンドが通り過ぎるところでした。1人だったら、近くまで行くんだけど、ここは団体行動、我慢我慢。マリオさんによれば「宣伝」ということでした。街はもうすぐクリスマス。かわいい犬を連れた人が行き過ぎます。そういえば今日は日曜日でした。

こんなところでロマネスク

少し歩いて市庁舎へ。12世紀のロマネスク様式。おおっ! ロマネスクの世俗建築は初めてです。よく残っていたものだ。厚い壁、小さい窓は確かにロマネスク。北フランスのようなファサードや柱頭の彫刻は見当たらないものの、予想外の掘り出し物でした。つづいてスカラ家邸、13世紀。塔頂がチューリップ型なのは皇帝派(ギベリン)の印。中庭の一角にはローマンモザイクが。そしてアンティカ教会。ここもロマネスク。側廊のアーチはヴェズレーのマドレーヌ聖堂とよく似ている。スカラ家の礼拝堂で小さいが、ここでロマネスクに会えるとは思わなかった。

アンティカ教会の内部

意外に面白いじゃあないか

隣はスカラ家の墓地。犬が梯子を持っているのがスカラ家の紋章。次はシニョーリ広場。コンシニョーリのロッジャはルネサンス様式。添乗員のHさんが「いかがですか? 悪くないでしょう?」と話しかけてきた。私はよっぽどぶすっとしてたんでしょうなあ。「ええ。ここでロマネスクを見られるとは思いませんでした」「建築関係なんですか?」「いいえ。以前、仕事で美術全集を編集していたんです」「まあ。いろいろ教えてくださいね」「こちらこそ」

買い物のために旅行はある

ダンテ像があり、ローマへの道を確認し、くねくねと小路を抜けると旧市場跡のエルベ広場に着く。

ここで休憩、というか、買い物タイム。いろいろ出店が出ている。セリエAのユニフォームもあるある。当然偽物だけど。驚くべきことに、お店の人は上手な日本語を操るのだ。「安いよ。千円だよ」「円で買えるよ」そして、ここに至って私も悟ったのだが、このツアーの大部分の人は買い物のチャンスがあれば必ず何か買う習性というか執念を持っていて、たった10分でもなにがしかゲットするのであった。そして、ヴェローナといえばアレーナ。中には入れませんでした。夏には「アイーダ」とか野外オペラでにぎわうところですね。やっぱり大きいです。ローマ人は美しいかどうかはともかく、巨大な建築技術にかけてはやはり天才ですね。

いよいよ第1回モニターイベント

12時35分、リストランテ〈LISTON〉着。添乗員のHさんからメニューの紹介。まず、プリモ(第一の皿)はパスティチオというパスタ。ラザニアのようなものとか。セコンド(第二の皿)は牛肉のエスカロップ。デザートはリコッタのなんとか。ベークドチージケーキにリコッタチーズを使ったものらしい。飲み物は各自が注文、各自の負担。飲み物のメニューもHさんが種類と値段を読み上げてくれる。オーダーはウェーターが取るが、脇にHさんが構えて通訳してくれる。なるほど、これなら楽だ。最初は私が座ったテーブル。なぜか野郎ばっかり集まってしまった。それはそれとして、私が口火を切って「vino rosso, mezzo」(赤ワイン、ハーフボトル)とイタリア語で言ったものだから、浮いてしまった。Hさんは「彼はイタリアーノだから」とウェイターに冗談を言っていたけど、このテーブルの他のメンバーは結局水も何も頼まなかった。そして、「注文しないと水も来ないのか」(当たり前だろ、だから飲み物のメニューにミネラルがあったんじゃないか! とはもちろん言わなかったが)と言い出す始末。でも、私があんまりでしゃばるのもなあ。

モニターは厳しく

面白かったのは、ひとつ向こうのテーブルの家族(私たちの団体の他にもお客さんが入っていた)。小さな子どももちゃんと1人1枚のピザを頼んでいる。このピザ、薄いカリカリ生地で大きいけどそんなにはもたれない(私は以前にローマで食べた)。それにしても、おそらく7,8歳の子がマルガリータ1枚食べるんだからな。お母さんが食べてたルーコラのピザもおいしそうだった。それに対して私たちの食事はというと、可もなく不可もなし。パスティチオは「いったいラザニアとどこが違うんだ?」と味はまあまあだけど不評。牛肉のエスカロップにはほうれん草をミキサーにかけて生クリームと合わせたものとじゃがいものフライがついてきた。量が少ない以外はいいのだが、これはアンケートの項目外。最後のリコッタのデザートはいけません。リコッタはモッツァレラを絞ったあとにつくるチーズですから、味が非常に薄い。そのわりに、癖のある匂いが鼻を衝いて、まあ食べられるけど2度と食べようとは思わない。おいしいかどうか、オーダーするかどうか聞かれるんですが、テーブルのみんなが「オーダーしない」にチェックしていました。

ついにトラブル!

さて、食後のコーヒー。これはさすがにみんな頼みましたね。何にも飲まずに食事するのは苦しい。ようやくなごんで会話もぼちぼち。M氏はクレモナに行きたい、とか。そう、ストラディヴァリウスの街ですね。しかし、近いんだけども、今回はちょっと行けそうにない。1日まるまるフリーだったら行けるのにねえ。そんなこんなで勘定を払う。飲み物は自腹ですから。私は6000リラ。日本円だと500円くらいか。安い。この調子だと、ほとんどお金を使わないことになりそう。ぞろぞろと店を出てバスが待っているところまで歩く。途中、マクドナルドにサラダバーがあるのを見て驚く。やっとバスに乗ったが、まだ出ない。どうやら財布をなくした人がいるらしい。落としたのか盗まれたのか。と思えば、大阪組で革のコートの取り違えが発生。ポケットにマイルドセブンとインスタントカメラがあるので、日本人のものであることは確実。ついに出ました、big trouble。添乗員さんに同情します。

ヴェネツィア到着

15分後、バスは出発。しばらくはお昼寝タイム。3時7分、パドヴァを過ぎる。また戻ってくるからね。ここからメストレ(ヴェネツィアの本土側の街)まではほんの少し。その間に添乗員のHさんから明日の予定の発表。明日の朝は久しぶりにゆっくりできます。ヴェネツィア連泊ですから。11時まで市内観光、それから自由時間。私はちょっと早く自由時間に入らせていただきますが。オプショナルツアー(昼食付き)もあるけど、高い上にドゥカーレ(総督=ドージェの政庁兼住居)とサン・ジョルジョ・マッジョーレ島ではねえ。魅力に乏しいというか、サン・マルコ広場から見えるところじゃないか。連れてってもらわなくても自分で行けるわい。つづいてヴェネツィア史の講義。ほとんど塩野七生『海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年』(上・下、中公文庫)でしたが、よくまとまっていました。ヴェネツィアの予習にはこの本が一番ですね。なんで海の上に人工都市が出来上がったのか、よくわかります。最後にHさんも『海の都の物語』を薦めてました。3時38分、ホテル着。名前がすごい。“Plaza Venice”。しかもまん前がメストレの鉄道駅。さっそくルームキーの配布。今日の夕食は7時に1階(ということは日本風にいえば2階)のレストランで。少し時間があるので、行きたい人は鉄道でヴェネツィア本島にちょっと渡ってみましょう。4時30分にロビー集合。明朝はモーニングコール8時、朝食8時30分〜、9時15分出発。やっと説明が終わって、私はパドヴァに行くために急ぐ。ところが部屋の鍵が開かない。結局見かねたポーターが開けてくれた。ドアを少し引き気味にして力を入れ、鍵をひねって押し開ける、とコツがいるようだ。ちょっと古めのホテルですね。鍵も大きくて重いタイプ。やがて荷物も着き、M氏に断りを入れてすぐに部屋を飛び出す。

メストレ駅

ちょうど4時。ロビーでHさんへの挨拶もそこそこに通りへ。雨が激しくなっている。通りの向こうの駅に渡る横断歩道がない。無理矢理渡ってみれば、FS(イタリア国鉄)です。懐かしいなあ。案の定、切符の自動販売機は全滅。なぜかみんな使えない。しかたなく窓口に並ぶ。順番が回って「Una Biglietto per Padova, andata e ritorno, per favore!(パドヴァまで往復1枚!)」と叫ぶ。厳密にいえば「seconda classe(二等車)」だけど、ふつう何も言わなかったら二等車にしてくれます。小さなスクリーンの表示を確認。6200リラ。10000リラでおつりと乗車券を受け取る。ついでに「Quelle binario?(何番線?)」と聞くと、時刻表を確かめて「Quarto(4番線)」と指を4本立てた。よしよし。おや? なんかおつりが足りないような? それも3000リラも。どうも駅員さんが渡し忘れたもよう。それにしても窓口でちゃんと確認しないのがいけません。少額とはいえ、反省、反省。

パドヴァへ

4番線へ。おっと、その前にコンポステをしなきゃ。これは乗車券に自分で改札を入れるわけですね。機械の口に差し込むと日付と時間が刻印されます。これで切符が使えるようになります。これを忘れると車掌に怒られます。さて、私が乗る列車はどこ行きで何分発車なのだろう? 構内の時刻表を調べます。ここは幹線なので、本数がたくさんあるのはいいんですが、おかげで時刻表が複雑。やっと解明したのは、ヴェネツィア・サンタルチア(本島ね)駅始発、ローマ・テルミニ駅行きのECでした。こいつはまたえらい長距離列車。それにたった30分乗るわけです。再び4番線へ。雨がますますひどくなっている。4時18分、列車が入線。二等車まで延々歩く。乗ってみれば満席。空席には小さなプレートがついていて、どの区間の予約が入っているかが書いてあります。つまり、パドヴァからローマまで予約が入っていたら、パドヴァまでは座ってていいんです。JRに比べたら合理的。そして、やっと席を見つけました。続々と乗ってくる人たちが「liberto?(空いてますか)」と私の隣の席を指して聞いてきます。そのたびに、「per Padova, liberto」とプレートを見せます。このイタリア語、全然正しくないんだけど、「パドヴァまでなら空いてます」と言っているつもり。20分、発車。すでに窓の外は暗くなりかかっている。うとうとしそうになるが、ここでローマまで行ってしまったら悲惨だ。42分、次の駅はパドヴァというアナウンスが。思ったよりずっと早い。もう着いてしまった。ところが、車両のドアが開かない、というか、開け方がわからない。押しても引いてもだめ。もっと力がいるのか、どこかにスイッチがあるのか。やっとボタンを見つける。ふう〜。逸る気持ちを押さえて帰りの列車を確認。6時24分のサンタルチア行きIC625がある。

スクロヴェーニ礼拝堂

憧れのパドヴァ、しかし暗くてよくわからない。駅前のローターリーを抜けて大通りCorso del Popoloを探して南下。こういうときに方位磁石が役に立つ。やがて橋を渡った左側に公園が見えてきた。その中を進むと、礼拝堂があり、人が出入りしているのが見える。ところが、直接入れない。どうもいったんMuseo(博物館)に行ってみないといけないようだ。柵沿いに進むが公園内は暗い上に足元がぐちゃぐちゃ。やっとの思いで入り口に到着。「Capella degli Scrovenni?」と聞くと「Si」ということなので、ようやく安心。ガイドブックによれば博物館と入場券共通ということだったのだが、博物館から入るとは。開館は6時まで。1時間以上ある。チケット10000リラ。正面の展示はローマ遺物のようだった。まっすぐ進みかけると「on the left」と声がかかった。素直にしたがうと、いったん建物を出た。なんのことはない。さっき、柵の外を歩いた道を今度は内側から戻っている。着いた。さっき見た礼拝堂はやっぱりスクロヴェーニだったんだ。ちょうど5時になろうとしていた。

ジョットの精華

小さな礼拝堂だった。西正面入り口のすぐ裏の壁画は《最後の審判》。北側は修復中で足場に覆われている。しかし、南側はしっかり見える。傑作《ユダの接吻》があった。この絵のなかのキリストの決然とした表情はとても印象的だ。14世紀、いまだルネサンスの夜明けが訪れない直前の黎明期に現れたジョットの芸術は、中世にはなかった人間性と構築性に特徴がある。背景と登場人物がはっきりとメリハリをつけて描かれ、まるで演劇の一場面を見ているかのようだ。この狭い堂内にジョットの表現がひしめいている。

ジョット《ユダの接吻》部分

出るに出られない

しばらくジョットに酔ったあと、博物館に戻った。こうして自分の足で訪ね歩くとようやく旅をしている実感がわいてくる。さあ、あとはエピローグだ。pinacoteca(絵画館)にはジョット《十字架》とベリーニの肖像画があった。満足して出ようとするが、なかなか展示が終わらない。田舎の美術館でよくあるのだが、玉石混淆で保有する美術品をスペースのある限り展示しているために、三流以下の作品を果てしなく見る羽目になることがある。今がまさにそれだった。とにかく順路に沿って行くしかない。どこまで続くぬかるみぞ。45分、ようやく出口。と思ったら呼び止められた。エレベーターに乗れということらしい。降りると、そこは公園に出る裏口のようだった。芝生に足を踏み出すと、ずぶずぶと足が沈んでいった。本当にぬかるみにはまるところだった。建物をめぐって、最初の入り口へ。ここで絵はがき8枚を購入。8000リラ。5時55分。

イタリアを信じてはいけない

ゆっくりパドヴァ駅に向かう。24分発には余裕で間に合う。切符も買ってあるし。天気さえよかったらいい散歩なんだがなあ。6時10分、駅。出発列車のボードを見ると、18:24 IC625 St.Lucia 15 rit と書いてある。ええっ! 15分遅れ! それは困る。夕食に間に合わない。食事はどうでもいいが、団体行動の約束を破るというのは耐えられない。ボードには12分発のサンタルチア行きがある。binario2。慌てて走る。すぐ前をやっぱり若い女性が走っている。ホームに駆け上がったとき、列車がやってきた。間に合った。今度は普通列車なので、指定席はない。「liberto?」「Si」「Grazie」。32分、メストレ着。2時間半の旅が終わった。

再びツアーに

ホテルに帰ると、同じツアーの女性(おそらく20代)がドアが開かなくて悪戦苦闘していた。ここは腕の見せ所。といっても、私だってさっきポーターに開けてもらったんだけど。運よく開いた。ラッキー。同室のM氏は在室していた。サンタルチアには行ったが、雨のため途中で1人で帰った由。ヴェネツィアの地図とガイドを買って入念に読んでいる。明日の予定を聞いたら、オプショナルツアーだそう。それならお任せラクラクなのに、勉強熱心です。明日行くポイントを地図上で確認しているんです。偉い。

レストランへ

夕食はコンソメスープ、緑のサラダ、ペンネ・アラビアータ(ちょっと辛いトマト味のペン先形パスタ)、ジェラート(アイスクリーム)。今回は若い女性2人を席に迎えて少し嬉しい。おひとりは歌手(といってもどういう歌手かは聞きそびれた)。私は相変わらず「mezzo di vino rosso」。今度は8000リラ+チップ。ホテル内だけにさっきより高め。それにしても軽い夕食です。まあ、ヘルシーではあるけれど。でも歌手の彼女は大量に残している。どうも体調がよくないようで、結局途中でリタイヤ。部屋で休むということで中座してしまいました。ちょっと心配です。それになんとスイスから友達がわざわざヴェネツィアのこのホテルまで来ているそうで、この日程でどうやって? と思いましたが、まあ、スイスと北イタリアはお隣ですから。もっと自由時間の多いツアーならよかったのにね。

私だけの宝石

夕食を終え、歯磨き、風呂。M氏はミラノで《最後の晩餐》を見たいという。昼の自由時間に行きますか? 私はブレラ美術館を狙っているのだけど、M氏を1人で送り出すわけにはいかないだろうしなあ。どうしよう。しかも自由時間はたぶん、2,3時間か。それも食事時間込みで。う〜ん。さて、今日はなんとACミラン対ユヴェントスという大一番がありました。キックオフの2時間前からサッカー特番をやってます。M氏と「これは見なきゃ」とテレビをつけてはいたのですがそのまま寝てしまったのでした。そりゃあ、昨日寝てないもんな。それにしても、お湯は出る、バスタブはある、テレビはこわれていない、とやっぱり高いホテルはいい。ここはツイン290000リラでした。ミラノは365000リラ。私の通常予算の4〜5倍です。でも、いいホテルに泊まっても、魂の渇きはいやされない。どんな旅でも自分だけの宝石を見つけたい。ヴェローナの街を通り過ぎた楽隊。ロマネスク教会のアーチ。ジョットの壁画の青。明日、私の宝石はどこで眠っているのだろう?

 

哀愁のヨーロッパ ミラノ・ヴェネツィア篇 第2話 【憧れのパドヴァ】 完

text & photography by Takashi Kaneyama 1998

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