太陽の塔

僕が一番好きな芸術作品は「太陽の塔」である。太陽の塔を最初に見た時僕は8才で、外から見ただけでなく中にも入ったのだった。太陽の塔の中には生命の進化についての展示があり、エスカレーターに乗って見ることができた。何年か前にテレビ番組で見たが、今でも中はそのままのようだ。しかし、そういうものとは関係ないような顔をした太陽の塔はいつも元気そうに立っている。

太陽の塔はかなりシュールな存在だが、中央環状線を車で走っていて太陽の塔が見えると何となくホッとして気分が良くなる。お気楽とはシュールな現実を受け入れることであり、お気楽さの度合いはどれだけのシュールさを受け入れることができるかに比例するのだ。

太陽の塔は最初のうち関係者に不評だったが、あまり人気が出たので万博終了後取り壊されずに今でも残っているのである。僕はそういうのが好きなのだ。シュールでありながら多くの人に愛される太陽の塔は偉大である。岡本太郎はとてもシュールなものを多くの人に受け入れられる形で示したわけだ。

僕は太陽の塔を真っ正面からじっくり見たこともある。家族でエキスポランドで遊んだ後、太陽の塔の向かいにあるホテルに泊まったのだ。我々の部屋は太陽の塔を鑑賞するのにちょうど良い位置にあり、カーテンを開けるとコンニチハという感じでその姿が見えた。2才になったばかりの息子も大喜びで太陽の塔のポーズを真似ていた。

太陽の塔は当然のことながら南を向いて立っているが、陽の当たらない背中にある顔は色も暗いし眼の形もちょっと恐い。ただ単にあっけらかんと明るいだけではなく、の側面もちゃんとあるのだ。近代社会はそういうものを無視することで成り立っているので無理がある。

太陽の塔は有名な建築家の設計した近代的な「お祭り広場の屋根」を突き破ってしまったが、やはり太陽の塔は近代を突き抜けていたのだろう。今では、というか万博終了以来ずっと、屋根は消えて太陽の塔だけが広場にポツンと立っている。何となく近代以後を象徴しているように見える。

 → 太陽の塔(その2)