影の世界

我々の行動は小脳の抑制的結合によって調節されますが、抑制的結合の作用は大脳の言葉で積極的に表現することはできません。抑制というのは「何々しない」という消極的な形でしか表現できないものです。それは、たとえて言うなら「影」のようなものです。影とは「光があたっていない部分」ですが、この説明は影の性質について積極的には何も述べていません。

我々の頭の中には、我々の行動を抑制する作用を持つ部分もあります。何かがうまくいくのは、様々な要素のバランスがとれているからであり、バランスとはものごとの各要素が互いに抑制し合うことによって成り立つものです。ものごとがうまくいくには「抑制」という作用が必要なのです。何かがうまくいっている場合、うまくいっていることで満足していればいいのですが、大脳はそれができません。大脳は全てを言語化しようとして「なぜうまくいくのか」を考えてしまいます。なぜうまくいくかというと「何かを抑制したから」なのですが、ではなぜ抑制するのかというと「抑制するとうまくいくから」です。では、なぜうまくのかというと...。いくら考えても無限ループから出られません。

つまり、言葉で表現できないことも「ある」わけですが、客観性を重視する人は言葉で表現できないものを無意味に感じるでしょう。言葉で表現できないことが「ある」のは我々の頭の中なので主観によってしか把握できないからです。言葉で表現できないことが外界に「存在する」と考えたとしたら、いくら探しても見つかりません。しかし、抑制的結合の作用は言葉で表現できないのだということが理解できれば、言葉で表現できないことが「ある」のは自分の中だということがわかるはずです。

言葉で表現できないことを表現しようとすると、直接的には表現できないので比喩になります。それが文学であると考えられます。文学というのは小脳性の表現であるわけです。小脳の抑制作用を比喩ではなく直接的に表現しようとすると、「抑圧」になると思われます。なぜ抑制するのかというと「してはいけないことだから」になるわけです。抑制は「うまくいく」という肯定的な価値のためですが、抑圧は「いけない」という否定的な価値を作り出してしまいます。否定的な価値は不安や恐怖という感情に結び付きます。小脳の作用を大脳の言葉で直接的に表現しようとすることが、不安や恐怖というものを生み出すとも考えられます。