気分が良くて何が悪い?

気楽というのは「何となく良い気分」のことである。気分は感情と似ているが、何となく違う。気分は「何となく」だけど感情はハッキリしている。気分が良くても悪くてもそのワケは「何となく」としかいいようがないが、感情は大抵の場合理由が判っている。気分は自分の身体から受ける感じだから「何となく」で、感情は物事についての価値判断だから頭の問題である。つまり、気分は無意識的なもので感情は意識的なものなのである。

感情をひとくくりにして「喜怒哀楽」などと言うが、実は喜怒哀楽の「喜、怒」は感情で「哀、楽」は気分である。その証拠に「喜ぶ、怒る」は動詞で「楽しい、哀しい」は形容詞だ。「喜ぶ、怒る」は感情表現の動詞で、感情を表現するのは「頭の価値判断に従って身体を動かす」ことだから頭で理由がわかっている。「楽しい、哀しい」は「頭が感じ取った身体の様子」を示す形容詞で、頭が価値判断せずに身体の様子をうかがっているのである。

感情は状況に対する価値判断で、状況が変わったり新たな事実を知ると何らかの感情が起きる。しかし、同じ状況が続いたらいちいち価値判断をする必要がない、つまりある時点での価値判断が当り前になってしまう。だから、同じ感情はいつまでも続かない。状況に慣れてしまうと感情はおさまるのだ。一方、気分は状況に対する身体の適応状態だから、同じ状況が持続すれば同じ気分がずっと続くことになる。感情は一時の興奮状態だが、気分は持続的なのだ。

そういうわけで、気分と感情は似てるけど別なのだ。だから、自分の感情にとらわれていると気分を良くすることができない。感情に従うと一時の興奮だけでものごとを判断することになって、状況を長期的に見ることができないからである。それは頭のために身体が犠牲になるということに等しい。気分を良くするには、常に気分を感じ取りながら暮らす必要がある。そうするには、身体のために頭にちょっと遠慮してもらわなければならない。気分を感じ取るのは「何となく」の世界だから頭にとっては苦手なことなのだ。

感情から気分へ切り替えることは「興奮と緊張」から「リラックス&クール」への移行である。あるいは「ハッキリ」から「何となく」への転換とも言える。そのために大事なのは頭のネジを緩めることである。プライドを多少削って少しアホになり、そういう自分を受け入れる必要がある。

 → 内側の感覚が大切