idle talk31

三井の、なんのたしにもならないお話 その三十一

(2012.10オリジナル作成/2024.3サーバー移行)



 
 
カメラはやっぱりファインダーが決め手

(楽しい楽しい追加情報+続報+2015/16年急展開)


              
 
 
 
 
 「いろんなことがありまして」、デジカメもいくつかのありように落ち着いてきた観があります。
 
 私めの、もう6年も前の「仕分け」以来でも、市場は大きく動き、一眼レフは絶滅はせずとも、「ミラーレスイチガン」なる新参に相当に食われ、他方で「コンデジ」は乱立乱売の中でスマホに食われと、かなりのピンチです。それでも全体の市場は縮小はせず、世界全体ではまだまだ伸びているようですから、まずは安心ではあります。

 
 私は、日本産業「絶望論」隆盛のいま、「まだ、デジカメがあるじゃないか」と説いて回っているくらいです。こんなんつくれるのは、日本メーカーだけなんですよ、アメリカコダックでさえ破綻したじゃないですかと。

 しかし、今年(2012年)秋の新製品登場の状況を見ると、おもしろいことにデジカメ市場は結局「ファインダー」のありようによって完全に色分けされてくる結果になったようです。正確には、「本来の」ファインダーのない機種が圧倒的に多数なので、撮るとき、写る被写体の姿を「見る画面」と呼ぶべきかも知れませんが。

 

A.コンデジ機
  =ファインダーはなし、すべて液晶画面を遠目でにらむ式。
 市場の圧倒的他多数を占め、いよいよ「どこにでも転がってる」、そして1万円以下でもいくらでも手に入る、お手軽かつ「成熟」=転がり落ちていく製品に相成った。もうこれで、フルHD動画まで撮れちゃうんだから、なんにも言うことありません。そのコンデジに最後までファインダーをつけて頑張っていたC社も遂に全廃、全部同スタイルになってしまった。どうせピントも露出もオート、「なにを撮るか」だけが重要なんで、「ファインダー要らない」は当たり前じゃないですか、とついに追い出されてしまった。みんながみんな、顔前腕のばし遠目方式で、デジカメを構え、画面を見ながらシャッターを押すことになった。つまり、コンデジはすべて「一眼」になったのである。その意味は、「ファインダーじゃなく」、「レンズを通ってくる画像をそのまま見て、シャッターを押せる」から。ただし厳密には、液晶画面の画像はリアルタイムじゃないし、依然シャッターのタイムラグはあるんだけどね。

 
A.「高級」コンデジ機
 これの亜種が「高級コンデジ機」で、より強力高性能なレンズや多機能が売り、値段も張るものだが、ここでもファインダーは一挙絶滅に向かっている。Ca社やR社、F社などは早くにファインダーは切り、P社もそう、そして最後までファインダー付を高級感のシンボルにしていたN社も、2012年をもって廃止、新たに「一番高い」コンデジ機を出したS社は全然意識もせず、である。C社のみは、2012年新製品でもファインダーにこだわっているが、廉価コンデジ機の歴史を見れば、いつまでのことかと思われる。
 私的には、「高級」機が、腕のばし遠目方式でないと撮れないということ自体、全然高級には思えないんだけど(視力の問題で、それこそ精一杯腕を伸ばさないと、液晶画面もよく読めないひとも少なくないはず)、もう世の人のほとんどが、「ファインダーを覗いてシャッターを切る」という動作自体にまったく不慣れとなっているので、「なんじゃこれは……!!」という反応しか得られないんだから、世話はない。
 実際、私はここのところ、N社のちにはC社の「高級コンデジ機」をいつも鞄に入れて持ち歩き、機会ができるとこれでスナップでも記念写真でも撮るのだが、そのシャッター押しをひとに頼むと、大騒動になる。自分ではだいたい「ただの穴」でしかないファインダーを覗き、それで速写するのだから、液晶画面は電力節約のためにも引っ込め、止めてある、それをひとに渡すと、「あれ、画面が見えない、どうやって撮るんだ?」という混乱が必ず生じるのである。その上の穴を覗くんだよと伝えて、ようやく、しかし「よく見えん」などと言われながら、シャッターを押してもらえるのだが、予想通りにねらいのはずれた画像になる次第。まさに、ファインダーは無用の長物ないし邪魔物になったのである。まあ、コンデジ含めて「手ぶれ防止機構」付が当たり前に入っていることは事実だけど、でもぶれるんだよねえ。

 
B.重量級ズーム・EVF機
 コンデジ全盛に押され、絶滅一番乗りかと思ったが、意外に各社力が入っているのがこのタイプ。一つにはコンデジには無理なズーム比20倍クラスの大口径ズームレンズが売り。もちろん諸機能てんこ盛り。図体も必然的に大きい。これでも「ファインダーレス」で頑張るメーカーもないことないが、無理がありすぎるのは、こういった超望遠ズーム(35mmカメラ換算で500-600mmくらいとか)でもって、腕のばし遠目方式では絶対撮れないということ。確実に大ぶれするし、手はくたびれるし、だいいち液晶画面眺めでは、とうていねらいを定められない。言ってみりゃスナイパーなんだから、その古典的構えでないと無理。
 ということで、このタイプはほとんどにファインダーが付いているんだな、不思議に。ただ、これもすべてEVF(電子ビューファインダー)、だから背面の画面と、EVFの中と、同じ画を写す液晶画面が二個あることになるんだけれど、それを訝しむひとはいません。EVFにはややの見にくさやタイムラグもあるが、いろいろ情報表示もできるし、「液晶画面しか見たことがない」人たちにはまあ慣れやすいんでしょう。
 この辺買うのは、だいたいがコンデジに満足できなくなった人たちというのが各メーカーの読みだろうし、事実この種の製品は決して消えないどころか、各社モデルチェンジを重ねています。カメラは単に「写真を撮る道具」ではなく、趣味でありあこがれでありステータスであれば、「ワンランク上」、「それなりに狙った画像が撮れる」ことは依然重要なんだよね。

 
C.「ミラーレスイチガン」デジカメ
 もちろん、「一眼レフ」じゃないし、コンデジもほとんど「一眼」なのだから、この呼び方はほとんど詐欺ないし誤解ということは、ここでもさんざん書いた。正しくは、「レンズ交換デジカメ」でしかないのだろうが、そんなことしたら、まさに「スチルビデオカメラ」の悪夢の二の舞。なんとか高級感をアピールしようと、なんのこっちゃさっぱり意味不明な「イチガン」の連発と相成った次第。独眼竜じゃないけれど。
 ともあれ、これをまず手がけたP社、O社は大当たり、両社で心中しかけていた、マイナーな限りの「○ォー◇ーズ」規格を投げ捨て、打って出る戦略大成功となったわけ(もちろん、「○ォー◇ーズ」レンズも使えますという、撮像素子サイズは同じ、レンズマウントアダプターありの、ブリッジ戦略も織り込み済み)。これはたまらんと、S社A社N社なども追随、そして2012年はついにC社もこれに乗るという大飛躍。
 その最後発C社が大量に打っているCMでは、これでもかと顔前腕のばし構えを強調している。気味が悪くなるくらい、要は最後までファインダー覗きにこだわったC社にして、もうそんなの過去の慣習、皆さん堂々腕を伸ばして遠目で液晶画面見て撮りましょう、と言いたいらしい。ああ、C社の製品すべてからもファインダーがなくなるのはもう決まりだな、と慨嘆のみ。

 
 ところが、驚くのは特にP社の姿勢なんだよね。当初、「ミラーレスイチガン」と称して出した先駆け商品は、なんとなく「一眼レフ」もどきのようなデザインが特徴で、「おそるおそる出す」観が濃かったが、その後は一挙に「コンデジ型」デザインを押し出し、そちらに完全乗り換えと思いきや、いまも「一眼レフもどき」も出し続けている。違いは見てくれだけじゃなく、なによりEVF内蔵かどうかである。O社も、先に書いたように「昔ヒットした一眼レフもどきの」三角屋根レトロデザインにEVFを組み込んだモデルを敢えて出した。ほかのメーカーも、「外付け」EVFを別売したりと、相当に迷いがある。C社は最後発だけに、うえのように「思い切って」、ファインダーなんか要りません、皆さん慣れた姿勢でどうぞと絶叫する(いまのところ、C社は外付けEVFファインダーを出す気もないよう)のが目立つが、他社はそうもいかない、いけない。
 実際に、「ミラーレスイチガン」を買った方々が、「こんな顔前腕伸ばし姿勢じゃ撮れん」、「液晶画面にらんでいては写真にならん」と思い、EVFなどあらためて買ってつけるものなのか、私にもよく分からない。でも、P社のいきかたからは、この「ミラーレスイチガン」登場こそが、象徴的なまでに「ファインダー問題」を再浮上させた、そういう実感満点。

 
 そして、言うまでもなく、この市場に「ファインダー問題をめぐる逆転の発想」で乗り込んだのが、あっと驚くかのF社。同社の「高級コンデジ機」(もう図体コンパクトじゃないんだけど)は、大口径F2ながら単焦点レンズ、そしてなんと「高級光学ファインダー」組み込み式という超レトロな発想を持ち込んで、大型撮像素子とともに大ヒットした。正確にはEVFと組み合わせ、切り替え可能な「ハイブリッドビューファインダー」と称するらしいが、ともかく「ファインダーが大事です」という売りは、明らかに「差別化戦略の極み」。ファインダー全廃の流れにあえて一石を投じたこと間違いなし。
 もっともこの高級デジカメは値段の割に決して使いやすいものでもなく、いま中古市場に大挙流れているんだけど、それでもあんまり値崩れもしないので、評判を維持していることも否定できない。しかし、これでF社は新しい流れをつくり、もうちょっとコンパクトでもうちょっと扱いやすいズームレンズ付のモデルを出す、そして遂にはこのコンセプトで、「ミラーレスイチガン」(正しくはレンズ交換式デジカメ)市場に殴り込んだ次第。それも価格でワンランク上、ファインダーはEVF・光学ファインダー切替という方式で。レンズ交換カメラであれば、かつて各カメラメーカーが悩んだように、(一眼レフじゃない)光学ファインダーではレンズ対応に無理が出るが、頑張って倍率切替を自動的に行う機能も組み込んだ。ただ、どれもいまやオートフォーカスなので、ピント合わせにファインダーの出番はない。ともかく、「ファインダーレス化」の時代に、「ファインダー付」で高級化高付加価値化できます、というF社のねらいは(数がどれだけ出るかはあれ)図星。本来カメラ専業でもなく「フィルムメーカー」であるF社が、カメラ伝来のファインダーにこだわる、これはなんともおもしろい。

 もちろん、この「レンズ交換デジカメに光学ファインダー」の発想はF社のオリジナルというわけじゃない。世界のマニア垂涎の的の(しかしデジタル時代には完全に乗り遅れた)L社はフィルムカメラとほとんど形も使い勝手も変わらない、AFでもないデジカメを出し続けているし、それによく似たモデルを、日本のCo社製造で、E社が世に出している。古い「自称セミプロ」やマニアの間では、やはり一世を風靡したL社の距離計光学ファインダーモデルは長く神話化しており、だから、L社のデジカメはもとより、E社製品も相当に高価である。いい意味でも悪い意味でも、「歴史履歴効果」か。これらとF社製品がどう競っていくのか、F社が独自の交換レンズ規格を持ち込んだゆえ、なかなか先読みも容易じゃない(L社の交換レンズ規格品はカメラ以上に神格化されており、「このレンズを使うために」カメラを入手するというマニアも珍しくないのだから)。

 ただまちがいなく、これらの製品、特に光学ファインダー主体のものは、絶対に「イチガン」じゃない。だって撮影レンズを通してではない、ファインダーからの像を見て、シャッターを切るんだから。「じゃあ、なんてよぶの?」は大問題だけど、F社は「レンズ交換式プレミアムカメラ」と自称している。さすがのこだわり、原理主義的って言いたいけど、F社はカメラ専業メーカーじゃなかった!?はてさて。

 
D.一眼レフ
 いまさら書くまでもなく、フィルムカメラ時代の頂点に君臨していた「一眼レフ」のAF化・デジタル化。その基本的コンセプトと形は変わらぬまま、今日に至っている。
 それだけに、デジカメ全盛の時代に置いてきぼりを食うのではないかとちょっと危惧したが、「ミラーレスイチガン」に食われながらも、まあまだがんばっているようだし、新製品は相次ぎ出るし、街中でもこれを下げているひとは決して少なくない。
 ただ、廉価なコンデジ氾濫の今日では、大量に売れる可能性も乏しく、昔ながらにかなり限られたマニア、自称セミプロ等の市場相手になんとか存在しているのは間違いないだろう。それだけに、市場でのN社、C社の独占的なポジションはますます揺るぎなく、苦し紛れにO社、P社などは「ミラーレスイチガン」という新たな市場を活路としたとも言える。これらのメーカーはもう、「本来の」デジタル一眼レフの新製品づくりは止めてしまった。A社はまだ一眼レフを出し続けているが、「ミラーレスイチガン」を含めて同社の製品ラインには「多様化」と言うより迷いがありあり、なにより企業本体がR社に吸収されて「落ち着くところに落ち着いた」以上、今後の製品ポリシーの姿はまだ不透明。S社は世界的ブランド力と吸収したMi社の昔からの定評のおかげで、それなりの地位を確保しているようだが、「ファインダーに写るのはEVFの画面」なんて、「ミラーレスイチガン」とどこが違うのか分からんものにもだんだん軸足を移している。むしろ境目をなくしたいのも本音だろう。そんなこんなで、近い将来には「本来の」デジタル一眼レフレックスカメラの製造は2社になってしまうかも(O社もS社に吸収決まりだし)。

 
 もちろん、N社C社それぞれに、新製品開発や販売にはしのぎを削っている。レンズ交換・一眼レフレックス方式・ペンタプリズムないしミラーファインダーといった基本的な仕組みは変えない以上(それを変えたのが、うえにあげたようなタイプでもあるのだから)、一方では「より安い」製品でより多機能盛り込み・「お得感」をめざす、他方で「高性能化」「高級化」をいっそうすすめる、これ以外にやれることはない。特に後者では「他のタイプにはない」特徴として、大型高画素な撮像素子使用への傾斜がいまや明確。「大型」と言っても、サイズとしてはもともとの35mmフィルムの画面フルサイズに戻ったようなものだが、コンデジの素子の30-40倍も大きい、それだけでも画像のクオリティ・表現力・余裕は格段に違う。また、おかげでこれら「35mm一眼レフメーカー」のもともとの規格や周辺品の利用ができる。そんなこんなで、値段だけでなく、図体の大きさ重さもだんだん大変なものに化けているが、どうせこんなものを大枚払って買うのは、絶対的には少数のマニア、自称セミプロ等なのだから、それもこれも「苦行修行のうち」で済む次第。
 確かに、私自身を含めて一眼レフに慣れたものからすれば、結局これに勝るものはないので、その重さに辟易しながらも、いろいろ設定を考え、「本物の」レフレックスファインダーに目をくっつけ、カメラとレンズを両手でがっちりと構え、常に集中してシャッターチャンスを狙い、いざというときには連写も含めてどどっと撮る、撮ってからおもむろに液晶画面で写りを確認する、こういった一連の動作はもう身についてしまっている。だから、「新製品に魅惑される」ことはあっても、一眼レフから足を洗うことはない。鉄とか空とか鳥とか山岳風景とか、マニアたちは一眼をもたずしては肩身も狭いので、市場への「買い手の参入」は絶えることもない。ただ、ミラーレスイチガンを「卒業」して、「本物の」一眼レフを手にしようというひともこれから出てくるかも知れないが、その数が多いとは思えない。その逆もそんなに多くもないのかな。

 
 「だんだん図体大きくなってきた」デジタル一眼レフの世界だけど、35mmフルサイズ基準が一つの限界のようである。かつての「中判カメラメーカー」たるA社、Ma社、F社などはそれらのデジタル化もすすめた。F社は世界でいちばん評価の高いH社へのOEM供給も行った。しかし、これらの「中判デジカメ」は市場規模生産規模の制約もあって撮像素子などがあまりに高価で、価格上からプロ市場以外に広げることができなかった。プロの世界は早々にデジタル化しており、中判ないし高級デジカメは大歓迎なのだが、こちらはウン百万円の機材でも「稼ぎのためなら」惜しげもなく使うのが常識で、商業写真などのプロ以外に手にできるものではない。かくして、このあまりに限られた市場では、フィルムカメラメーカーはじめ相次ぐ撤退と世界的再編に見舞われ、一般アマチュアには見えない、縁遠い世界になってしまった。アマチュアや自称セミプロなどにすれば、35mmカメラから発展したデジカメの高級機種で不満ということもないので、フィルムカメラ時代と違い、値段がめちゃ高く、重く、扱いが面倒で適応力も高くない「中判デジカメ」に手を出すものはいなくなったわけ。
 唯一アマチュアユーザーにも目を向けているのがA社で、以前の伝統にこだわって、セミ版サイズに準じる中判デジタル一眼レフを世に出した。決して売れてないわけでもないようだが、滅多に見ることもない。先日、TVの家族と人生史追求番組で、俳優の某氏がこれを担いで撮って回っている姿がちょっと注目されたくらいである。そのA社も、うえに書いたように先行き不透明であることぬぐえない。


 

 
 このように、デジカメをめぐる華々しく、熾烈かつ「いろいろあり」的な開発と生産、販売をめぐる競争は、このいまだ十分に「成熟」しきっていない商品に興味尽きない変化をもたらしてくれました。それが私たち消費者にとって望ましいことに落ち着いてきているのかどうか、少なくとも一ユーザーとしての私自身にはいろいろ不満や心外観もある今日この頃です。「日本メーカーの常としての」、熾烈な競争による際限ない実質価格低下と共倒れ寸前へのスパイラルは、確かに「より安く」はもたらしてくれたものの、「よりよい、使いやすい」ものに向かったのかどうかには疑問があります。猫の目のように変わる新製品競争なのに、結局どれをとってもほとんど外観も機能性能も変わらないような製品の横並び化の一方で、「写真を撮るには」、必要な考え方や仕組みがオミットされてしまった観はぬぐえません。その象徴が「ファインダー」だと私は思うのです。しかし、ファインダーは単なる「進化の中に取り残された無用の遺物、尾テイ骨や盲腸」なのでしょうか。そして、競争があまりの横並びゆえにこそ、「逆転の発想」を呼び、そこに皮肉にもファインダーの存在と役割がまた見直されざるを得なくなっていると感じます。まあよかったかな。「原点回帰」は決して無駄ではありません。
 たしかに、昔の時代と変わって、ファインダーでしか写る画像を前にも後にも確認できない、ファインダーで写る範囲を構図する、ファインダーの力でピントを合わせる、さらには被写界深度なども確認する等々の機能は、デジカメで一挙無用化したところもあるのは事実ですが、ともかく写真はきちっと構えて確実に、ねらった通りに撮るものと思うんですけど。

 「顔前腕のばし、液晶画面遠目にらみ」で写真が「撮れる」と考える人たちには、実はもうデジカメも要らない時代が来てしまいました。最近の報道では、スマホがあれば写真も撮れる、カメラ要らないという考え方があっという間に広がっているそうです。それで「撮れ」てるもので十分満足できる人たちには、確かにわざわざデジカメを買う、持ち歩く必要はないでしょう。いくら飛躍的に画像の質が向上している、いろんな機能を発揮できているといっても、モーバイルフォンおまけの「カメラ機能」が、メイル添付でまたスマホ画面上で見せ合うようなこと以外でも、「見るに堪える」画像をもたらしてくれると考えるのは無理がありすぎです。竜巻や地震津波や事故の際だけではありません。でも、それでいいんでしょうから。
 「スマホに食われる」需要とは、かつての「使い捨てカメラ」(ホントはそうではなく、「レンズ付きフィルム」と言わねばならない)が猛烈に食った写真需要の話によく似ています。それに比べ、デジタル写真の技術、そしてその応用スピンオフたるモーバイルフォン内蔵カメラ機能のレベルは格段に違うでしょうけれど、構図はそっくりです。もっとも、まだ「使い捨てカメラ」自体は売ってるそうですが。
(もちろん、「ボトムの需要のところから関心を持つ消費者が増え、ニーズのステップアップを伴って全体の市場が広がる」効果も期待できないわけでもないでしょうがね)



2013年春、あっと驚く新商品、または「黒を白と言いくるめる」お話し


 書いてるそばから、あるいはC社の開発の誰かがこれを読んでくれたのか(なことあるわけないか)、C社は見事に悲観的期待を裏切ってくれました。

 2013年春発売の新商品に、なんと一度引っ込めた光学ファインダーを復活させてくれたのです。その名はA1400、本来の特徴は「単三乾電池使用」であります。ほとんどが「専用リチウムイオン充電池」となってしまったデジカメの中にあって、貴重な「市販乾電池使用だから、どこでもいつでも使えます」が売り、それ以外には特徴もない、ごくフツーの安いコンパクトデジカメなのですが、そのひと世代前の製品ではついにファインダーをなくしてしまい、ああ、C社もいよいよ「顔前腕のばし撮影」のみ推奨に雪崩を打つのかと感じさせたものでした。

 ところが、2013年にいたって、ファインダー付に戻ったのですから、感涙に浸るしかありません。正直、C社という企業の体質にはあまり好きになれないところもあるのですが、こと製品ポリシーとしては、これはもう感謝感激の限りです。C社として、そうしたユーザーの声にこたえましたという姿勢もあるようなので、なんでも言ってみるものではあります。まあ、このように乾電池駆動のコンデジをいまどき買うというのは、私並みないしはそれ以上の年代の方々が多く、ファインダーのないカメラなんて扱えない、液晶画面のぞきには老眼がすすんでいて耐えられない、というような声が多かったのかも知れません。きょうびの若い方々の声とは真逆なのでしょうが。


 そういうわけですから、このA1400、早速に買っちゃいました。実はその2世代前、やはり単三電池駆動でまだファインダー付であった製品、もう市場からは引き上げられていたのですが、web通販で入手可能と知り、注文して手に入れたのが半年前、これは「輸出モデル」の逆輸入品であったのですが、ともかく確保はしていたのです。だから、また同じようなのを買う理由はかなり怪しかったのですが、「もう完全終了かも」という不安と、C社への若干の謝意を込めて、また買いに走ったわけです。まあ、壱万円ちょっとのものですから、ウン十万円のを買おうという決断とはだいぶ違いました。コンデジであればどこに置くにもお邪魔でもなく、もち充電器などの付属品あれこれはないし、持ち歩き用には手軽ですし。



 そのA1400買いの時に、ちょっとおもしろいことに遭遇しました。

 買いに行ったのは○ドバシカメラ、いよいよ店頭に出たら買うぞと決意していたので、売り場の陳列に直行、現物を確認し、当店の売り方である陳列品の横の商品札を手に取り、早速レジに向かおうとして、その札の妙な表示に気がつきました。それには「シルバーボディ」と記されているのです。このごろのカメラはだいたいが「ブラック」か「シルバー」で、同モデルで2種類とも製品化されているものも少なくないので(マルチカラーが売りのA社なんかもあるけれど)、客が間違って買っていき、あとで怒ることがないように、札にカラーの違いが記されている、それはわかるのですが、はてこのA1400に「シルバー」なんてあったっけ、陳列されているのも黒なんだけどと思いつつ、ほかの札がない以上、レジの店員に「シルバー」記載の札を示して、「これブラックのモデルはないの?」と尋ねました。やっぱり黒い方が趣味ですから。するとその店員、端末を操作して商品情報を照合、これには「シルバーモデルしかありません」とのたまいます。「いや、ブラックの方がほしいんだけどな、あの店頭にあるのはブラックだよ」と私が問い返すと、早速に陳列品を確かめに行き、戻ってくると自信たっぷりに、「これがシルバーなんです」と断言するじゃありませんか。ちなみに、下の画像がその実物です。皆さん、これが「シルバー」に見えますか?

 ですから私、いやそう言ったって、これはブラックでしょうとカタログの絵を指せば、なんと「このレンズのまわりがシルバーでしょう、だからシルバーモデルです」と頑張ります。フツーそんなことないよ、こういうのはブラックと呼ぶんだよとやり合っていたら、売り場主任のようなのが飛んできて、事情を聞き、また端末を照合、しかし「確かにブラックですね、これは本部のデータ登録が間違っています」と断言し、一件落着となりました。ちなみに、このA1400はブラックボディのみ発売と、C社のカタログにも載っております。シルバーなどはありません。


 なんとも楽しい経験ではありました。この店員が中国人の女性とおぼしきひとだったので、「だから中国人は……」などと偏見を申すつもりはありませんが、「黒いものを白と言い張る」姿勢には感心するしかありません。全身黒のボディの代物に対し、「レンズのまわりのリングがシルバーになっているから」と主張するのを、最近の国際情勢に絡めたりするような意図は毛頭ないものの、なんとなくそういったことが頭に浮かんでしまいました。まあ、ことは単純、○ドバシカメラの商品扱いの本部が新製品入荷での製品規格機能や価格情報などのデータ登録をする際に、最近のコンデジ新商品の多くがシルバーカラーなので、「なんとなく」そういった勢いで入力してしまったのが原因なのでしょうが、本部のミスの可能性を疑うこともなく、「なぜこれはブラックではなくシルバーモデルとされねばならないのか」と「主体的」に解釈し、頑張るというその確固たる姿勢には、やはり感嘆をせざるを得ません。




 その後、この同じ売り場を覗いてみたら、くだんのA1400展示品のところに置かれていた商品札には、もう「シルバー」とも「ブラック」とも書かれていませんでした。実際に一種類しかないんですから、まあ妥当な解決でしょう。

 それよりおもしろかったのは、この商品などには「ファインダー付!」というキャッチコピーが張られていたことです。手書きPOPじゃないんで、メーカーにせよ店にせよ、「ファインダー付」というのはれっきとしたセールスポイントに復活しつつあるわけです。C社自身もその方針のようで、A1400にはファインダーがあるというのを敢えて強調しているくらいですから。

 私のように、カメラにファインダーがなくて、どうやって撮るんだという疑問を持つものが一定数いることは(大部分年寄りでしょう)、これで証明できるわけですが、残念ながらそれが多数ではないことも間違いないでしょう。先日また、別の店で興味深い光景を目撃してしまいました。うえにも取りあげた、F社の「レンズ交換式プレミアムカメラ」を店頭で手に取った(ただし買う気があるようにも見えない)一来客、例によってカメラを構えてためし撮りを試みるわけですが、それが「顔前腕のばし、液晶画面睨み」方式!!これであちこちにカメラを向け、シャッターを押してみる、撮れたのを確認するのです。だから、F社自慢の「ハイブリッドマルチビューファインダー」もぜんぜん無用の長物というわけですよ。まあ、いまデジカメを手にする大部分の方々には、これでザッツOK、「この上に付いている窓はなんのためにあるの?」というところであることをあらためて教えられます。
 ただ、それでもよくわかるのは、デジカメを手にする方々は、まるでスマホの画面を見るように、手元に持った背面液晶画面を見ながら操作する、そこに写っているものを「撮影」する、それが当たり前の姿勢と動作になっているんですが、これは店頭でその辺のものを「見下ろし」つつ撮ってみるという限りで、なんとなく可能になるのです。ちょっと遠めのものを撮ろうといっても、まあ目線があんまり上に向かない、そんなに遠くのものじゃない範囲では、「撮れる」わけです。しかし、これは実際に「写真を撮ろう」という際の条件や姿勢や構えには即していません。景色を撮ろう、向こうの人物を収めよう、とたんにまごつくことまちがいなしです。

 私だって、机の上や小三脚にデジカメを固定し、近くのものをじっくり撮ろうなんていう際には、いくら何でもファインダー窓を覗くのも苦しい姿勢になるので、そうした時には液晶画面が便利になります。三脚固定でのセルフタイマー集合写真の場合もそれに近いでしょう。これがマルチアングルに動く液晶画面のだと、いっそう画像を確認しやすく、いろんな姿勢から撮影可能で、有り難いものだと思います。特に、ぶんやのカメラマンのごとく、おおぜいひとが集まっている中で、その頭上からカメラを構えて撮ろうなんていう際には、ファインダーはまったく役に立たず、伸ばした手の先、ヤマカンでねらいを決めるしかなかったのに、バリアングル液晶画面を利用すると、なにがとらえられているのか確認しながら自由自在で楽なものです。
 しかし、多くのひとがデジカメででも撮りたい、ごく日常の人物像や集合写真、風景写真などに関しては、私はファインダーを覗いてしっかり構える、その方がよっぽど楽だし、まちがいもないしと思うのですが。もちろん「太陽光を背に受けていると、にらんだ液晶画面が見えない」という、よく聞く問題だけじゃありません。写真を「撮る」という基本的な意思・ねらいの発揮のしようだと考えますがね。



いよいよファインダー復活の時?

 私の申していることもあながち的外れではないと見えて、いよいよ各メーカーも「ファインダー復活」ないし「重視」に動き始めました。

 うえに書いたF社や、安いコンデジにもファインダー復活させたC社だけでなく、P社も本格的にファインダー重視路線に踏み込んだのです。もちろんP社はこれまでも「C. ミラーレスイチガン」にEVファインダーつきモデルを継続的に出したり、EVFアダプタを売ったりというこだわりを示してきたのですが、2013年夏モデル発表にあたり、各社ファインダーレス化の一途で、むしろP社もそうだった「A' 高級コンデジ機」ジャンルに、あえてEVファインダー内蔵タイプを発表、積極的に売り込み出しました。もちろん「ミラーレス」機でも、「ファインダーついてます」が2013年夏新モデルのセールスポイントの一つと扱われています。

 「A' 高級コンデジ機」のジャンルでは、ファインダー付を唯一守ってきたC社を別格として、R社も、S社も、O社もことごとくファインダーレス化に走ってきていました。むしろP社がこれをリードしたと言うべきかも知れません。そして前記のように、N社もつい最近にファインダー外しに転じていたのです。
 ここでF社のみならず、P社さえもあえてファインダー「復活」に動いたことは、したがってかなり重要でしょう。


 世の「反応」を見ると、やはり「液晶画面しか見ないから、ファインダーなんかムダ」、「ちゃちなEVFをつけたくらいで、メリットなんかない」という冷淡な受け止め方だけではなく、歓迎する声も少なからず出ているようです。スマホよろしく、ともかく液晶画面に映っている画像をにらんでしか「撮影」しない、現に店頭でファインダー付のデジカメの液晶画面をいつも眺めている方々にすれば、「なんだこの穴は?」、「なんで余計なものくっつけるんだ!?」というところでしょうが、一方で、やはり年配の方々中心に、「カメラはやっぱりファインダーを覗いて撮るもの」、「両手のばしのこんな不安定な姿勢でまともに撮れるものか」、「ファインダーなければ買わんぞ」という声もつよくなっているのではないでしょうか。

 P社の経営はいまかなりピンチです。デジカメのせいではなく、総合家電メーカーとしての戦略の失敗だというのは自他共に認めるところです。デジカメ・映像部門丸ごとリストラするのではなく、稼げるビジネスとしてなんとか生き残らせたいというP社の意向からすれば、ここは勝負のときでしょう。安いコンデジ持つどころか、スマホの機能でなんでもOK、写真もOKとするような若い世代をともかくあてにするよりは、カメラへのこだわりある、私などより年長の世代の購買力、買う気をここで大いにくすぐろうと考えて、なんの不思議もありません。
 そこんとこを、O社など「昔の名前」と「レトロデザイン」で突くという、ちょっとあざとい商法に出たわけですが、F社P社はオーソドックスな「撮る構え」と「撮る道具」のかたちの見直しで、仕切り直し勝負しようというのでしょう。

 ま、そういうわけで、「ファインダー復活」の新たな気運が起こるのじゃないかと、私は予想します。もちろん各社いっせいに雪崩を打つわけじゃなく、時を同じくして出る、A社を吸収したR社の新「高級デジカメ」機は依然ファインダーレス、デジイチ並みの大きな撮像素子の方が売り、またS社の「フラグシップ」モデルもトンデモ価格とアンバラなファインダーレス、というくらいですが。




あれれ、逆戻り

 F社の「勇気ある製品戦略」をほめていたら、言ってるそばから「ファインダーレス」機に逆戻りを始めてしまいました。

 2013年7月発売の新モデル群はこっそり「イチガン」を名乗りだしたとともに、なんとファインダーを廃止、その売りは「コンパクトさ」です。
 そうなると、要するにせっかくの「レンズ交換式プレミアムカメラ」も、店頭で敬遠される、「イチガンじゃないの?」、「こんな窓がなんでついているわけ?その分図体大きくて扱いにくいじゃない」という「顧客のニーズ」の逆風に、店員たちも「売りにくいですよ」と営業にクレームの嵐、それじゃあやっぱし他社ならいでファインダーはやめちゃおう、その分小さくして、「ミラーレスイチガン」の中に並べて売ってもらおう、こういうことになったのは見え見えです。うえに記した、F社自慢の「プレミアムカメラ」をあえて「フツーに」構えるという、見かけた「店頭風景」は全国のカメラ売り場の日常そのものだったのでしょう。

 もちろん、「高級路線」を打ち出したF社もこっちでは「余計なものをなくして」「安い」ことを売りにするのでしょう。


 まあ、これでF社も「余計な窓のついてる」各機をいきなり製品ラインから一掃、「横並び」一筋に走る、そういうわけでもないのでしょうが、同社の勇気と「カメラへのこだわり」をほめて損しました。それでも、各社各様の製品を出し、一方ではファインダー復活のC社P社があり、他方に「ファインダーレス」機に色目を使い出したF社があり、と「洗濯の自由」、おっと誤変換、「選択の自由」の幅が広がるという限りでは、ユーザーにも悪い話ではないとなりましょうが、個人的にはいま、あえて声を大にして申さねばなりません。

 「カメラは、ファインダーを覗いて撮るもの」、「眼前腕のばし画面睨みでは、カタログに載っているような『傑作』は撮れません」と。それでもなお、先日もある会場で記念写真のシャッター押すのを係員に頼んだら、「どうやって撮るのですか」と怪訝な顔をされました。もち、私はコンデジの液晶画面をオフにしていますからね。そのうち、「あの人はデジカメをおでこにくっつけてなにかしている、異常じゃないか」なんて、110番通報されるかもね。






2013年後半、迷いに迷う各メーカー

 うえのように、ファインダーレス化に「戻る」F社もありますが、2013年後半・歳末商戦に向けての新製品ラッシュのなかでは、実に面白い傾向がうかがえます。

 いちばん面白いのは、N社が一度廃止したファインダーを復活させたことでしょう。N社の高級コンデジシリーズ最新機種、P7800では、前機種で消えたファインダーがみごと復活したのです。N社だけではありません。うえにも書いたP社は、コンパクト「ハイエンド機」にファインダーをつけただけではなく、言うところの「ミラーレスイチガンカメラ」にも、ファインダー付き新機種を登場させました。P社は従来から、一眼レフもどきのデザインで当然のようにEVFファインダーを覗くタイプと、液晶画面しかない、コンデジ的で腕のばし遠目でしか撮れないタイプ(アタッチメントでEVFファインダーもつけられるが)とを併存させてきたのですが、明らかに後者のラインに近いデザインのに、ファインダーを押し込んだのです。コンパクトハイエンド機のデザインにもよく似ています。

 これに近いのが、「デジイチもう作りません」と「背水の陣」を宣言した、O社の「ミラーレスフラグシップ機」です。OMを名乗ったのを一回りでっかく重々しくしたようなデザイン、したがって当然のようにファインダーが堂々鎮座しています。なんとなく、O社の一眼レフ、さらにデジイチを使い続けてきたファンへのエクスキュースみたいな観です。O社P社のマイクロフォーサーズ規格乗り換えはもう既定の事実なので、レンズアダプタでフォーサーズレンズも使って下さい、ともかくフォーサーズ規格のカメラはなくなるんです、ちゃっちい「OMもどき機」に満足できなかった皆さんもこれでなら我慢できるでしょ、そんな売り方ですね。
 経営危機で身売りされたO社としては、いまさら道楽商売は許されない、ともかく「選択と集中」を唱えねば、丸ごとつぶされかねないということで、安いコンデジからは手を引き、売れない金食い虫のデジイチはやめると正式宣言、この線上にOM-D E-M1という不思議な「フラグシップ機」が出てきたわけですが、なんのことはない、O社を買ったS社がすでに、「デジイチ」を称しながら、実はEVFファインダーなどという、なんのことやらさっぱりわからぬ機種を堂々(こっそり?)売っていたので、O社がこれに合わせたというだけのことでもあります。まあ、例によってマスコミのおばかな人たちは、貰ったプレスレリース資料を書き写して、「ミラーボックスを廃し、小型軽量化と簡易化を実現、イチガンカメラの最新タイプだ」などとあほなことを書きまくっていますが、そんなどーでもいいピンぼけ記事はもう紙くず籠入りの与太話なので、もっと注目すべきは、O社もファインダーをセールスポイントに強調している事実でしょう。

 このほか、2013年後期商戦の各社目玉の一つは、35mm比で1000〜1200mmにも該当する超ズームレンズを載せた「重量級ズーム機」勢揃いのもようです。もちろん、前に書いたように、これらはけっこう売れ筋のようで、各社モデルチェンジを重ねてきましたが、ここへ来て一段とパワーアップしたのが続々並んでいます。当然ながら、コンデジに満足できない、もっと「撮りたい」人たちの次の購買意欲が及ぶのは、一つにこのラインでしょう。そうなると言うまでもなく、これらはすべでファインダーレスではあり得ません。


 もちろん、N社のファインダー復活機も含め、これらの多くはEVFファインダーをつけています。その意味、一時は一眼レフ以外のデジカメすべてに付いていた、光学ファインダーはまさに絶滅状態と言うべきなのかも知れません、まだがんばっているC社をのぞいて。F社のも、光学ファインダーとは言え、もっと複雑複合的な構造のものなので、あのシンプルなヤツはもう見捨てられたとすべきなのでしょう。メーカーとしては、ちゃちだと評判も宜しくない、実際いろんなデータも画面表示もできない、しかしメカ的光学的にはズーム連動でかなり複雑面倒な光学ファインダーは当然やめる、EVFなら文句はないだろう、もちろんEVF用液晶の性能もあがる一方、値段は下がる一方となれば、あまり悩む必要もない、こんなところでしょう。

 EVFには、見にくい、ラグなどあって動きが悪い、開放感がないといった不満はぬぐえないでしょう。でも、それこそ「液晶画面もありますよ」です。売り場でユーザーに受け入れて貰う、不満を抑えられる、そこにこそ商品開発の最大ポイントはあるのですから。




 そして、ここがだいじなところです。ユーザーの皆さん方、圧倒的多数のスマホ感覚で液晶画面を見やっている、そういった人たちはあえて言えば、デジカメは要らないのです。買っても、あんな構えではメモか記念写真かアリバイくらいのしか撮れないのです。「写真をきちっと撮りたい」、そういう人たちは必ずファインダーで構えるのです。だから、ファインダーレス化には歯止めがかかったのですよ。メーカーもようやく悟ったのですよ。


 もちろんまだ、カメラ売り場の光景を見やれば、多くの客が相変わらずスマホ同様に液晶画面を眺め、さらには顔前腕のばし遠目構えでの「撮影」を試みています。一眼レフやEVFつきの機でもこれをやっているという、もう笑うに笑えない光景も日常的です。でも、それじゃあきちんと「撮る」のは無理ですよというだけでなく、自分でも試してみて、あることに気がつきました。液晶画面にらみで「撮る」というのは、当然ながら画面フレーム全体像や「写っているもの」総体を意識させません。「撮っておきたいもの」が画面に映っているかどうかだけになるのです。それも、特にスマホの液晶画面などでは、はっきり細部までつかむということは無理です。「なんとなく」入っている、写っているというだけのことです。


 かつてファインダーは「撮るもの」が画面内に入っているかどうかというもっとも原初的な確認機能だけでした。のちには、これでピントを合わせる、明るさや被写界深度を見るなどといった「高級な」機能までがファインダーに盛り込まれ、複雑重要なものになりました。もちろんAE化やAF化で、そういった役割はファインダーからなくなり、ですからデジカメからファインダーが消えてしまったわけですが、だからといって、メーカーや「評論家」たちが錯覚し、重視したような、液晶画面では「一眼機」としてレンズを通って見える画面をそのまま写せる、加えていろんな情報をデータ表示できるなどというのは、ほとんどのユーザーにはメリットでもなんでもないのです。たしかに、三脚にのせてじっくり、いろいろ設定して撮ろうなどというきわめてマニアックな構えの際には、液晶画面が非常に有効で、もちろん背景のボケなど画面上の構成や状態を十分じっくり検討でき、諸データも参照したりいじったりできるのですが(つまり、古典的ファインダーレス機たる、暗幕かぶってスクリーンをのぞくビューカメラのごとし)、そんな撮り方をするために、ファインダーレス機の液晶画面をにらんで撮っているひとは世の中にはほとんどいません。「なんか写っている」、それを確認するだけの役割にとどまっているのです。表示される諸情報も見ちゃいないのです。大昔に戻っただけです(大昔のスプリングカメラのファインダーなんてひどいもので、だいたいの見当つけるくらいにしか役に立ちませんでした。いまのデジカメの液晶画面は、レンズを通して写っているものを示すのですから、はるかに正確ではありますが)。しかも当然不安定、「写っていた」ものもシャッター押す際に端っこにズレかねません。もちろんブレの方はかなりカメラがカバーしてくれますが。

 このことに気がつけば、大きな液晶画面が背面にあることがすべてで、ファインダーなんか要らないという発想はあまりに限界があり、スマホに食われるようになってようやく、「カメラは写真を撮りたいひとのものだよ」と悟り、メーカーもそうした売り方をするようになったということでしょう。「より厳密な構図づくりで作品をレベルアップ」、これがいみじくも、ファインダーを復活させたN社のキャッチコピーです。


 まあそれでも、この新商品合戦のなかでのメインの「売り」は、「スマホに画像を飛ばさせられる」「wi-fiで直に送信できる」「SNSにアップロードできる」といったところです。ピンぼけですねえ。そんなことを手短にやりたい皆様方は、いまさらデジカメなど買ってくれません。日本のメーカーの常として、よく考えもせず、ひたすら横並びで、あれこれ機能を詰め込んでみる、そうしないと店頭で見捨てられるだろうという恐怖感で。この点には進歩がありませんな。迷いの種は尽きません。




2014年前半、迷いは続く

 そして迎えて2014年、カメラショー(横浜会場ですが、別に行ったこともない)で発表された新製品動向でも、各社の迷走は相変わらずです。

 C社はまたまたファインダーレス化への逆戻りです。私の買った、安いファインダー付コンデジの後継品はもう出ず、「ハイエンド」(旗艦)コンデジの新製品ではファインダーをなくしてしまいました。いまのトレンドの「レンズ大口径化」の「犠牲」か、そのうえのファインダーは消滅、それでも「写真を撮りたい」マニアの批判への言い訳か、「外付けの」EVFがオプションということになっています。しかしいくら「236万画素のハイスペック」だって、ファインダーだけで値段が3万円もするんじゃね。

 対照的なのがP社です。コンパクト「ハイエンド機」のさらにうえの「ハイズーム」製品も出し、これもEVF付です。「作品づくりの意欲がわく快適な操作性」「被写体をしっかり狙い続けられます」が売りですから、P社においては、ファインダーをのぞいて撮ることこそが本流という位置づけを明確にしたと言えましょう。

 F社は「レンズ交換式プレミアムカメラ」の路線強化を打ち出し、新製品を鳴り物入りで投入しています。交換レンズなどのシステム群拡充に踏み込んだいま、ここは勝負のときで、ただしN社やC社とデジイチで太刀打ちしようという無茶は避け、あくまで「ミラーレス」で行くわけですが、そのメインはファインダー付でないと、というところでしょう。上記のように、F社はファインダーレス化したタイプもあれこれ出しているものの、こんどの新製品では「マルチモード・ビューファインダー」が売り、強力なEVFにいろいろ盛り込み、しかもタイムラグ最小と、ここがキモとなっているわけです。外観も、F社のかつての一眼レフ(20年以上前のものですが)にそっくりとの声もしきりです。ファインダーが勝負という選択、図らずもF社とP社は行き方が近づいてきました。O社もいくらか似ていると言えましょうか。


 N社やC社はいまや独走状態のデジイチ路線の強化の一方で、「ミラーレス」の方では依然迷走を続けています。まあ、そんなに売れている印象もないですし。特にC社の手を抜きぶりは目立ちますね。この「ミラーレス」製品投入はダメだったと告白しているようなもの。R社A社は新製品もろくに出てきませんし。


 S社は、「ミラーレス」タイプのレンズマウントを使い、フルサイズ受光素子、そして同社の言うところの「トゥルーファインダー」(要するにEVF)使用という、誰に売りたいのかもよくわからない「画期的製品」に打ち込んでおります。それに合わせて「フルサイズ用レンズ」も出すということで、さすがにカメラメーカーの常識に「とらわれない」、どっち向いているのか傍目には理解困難な製品コンセプトには感心させられる限りです。「世界最小のフルサイズ」デジカメだろうって、ボディがいくら小さくたって、レンズ径が大きくないとフルサイズのセンサーには使えないんですけどね。
 これらは「ミラーレス」であるのは当然となっているのですが、一方で従来の一眼レフ用マウントのカメラ群はレフミラーを持っているのにファインダーは光学式じゃなく、「有機ELファインダー」なのだそうで、一眼レフじゃないのかあるのか、もう何が何だか。さすが技術のS社です。

 でも、マニア垂涎の的・スウェーデンH社はAF化、デジタル化に対応しF社と組んでOEM供給を受ける関係にピリオドを打ち、S社に乗り換えたようで、新製品を続々市場に出しています。もちろんS社製品のウン倍の値段で。これをもってすれば、カメラメーカーとしてのS社の名声は確立されたことになるんでしょうかね。



2015年、事態は急展開

(2015.8.13)

 あれからまた一年余、あらためて考察してみたら、いろいろ小さくもない変化が生まれてきていました。

 
 何より、いよいよ「コンデジの終末」が近いという顕著な流れです。P社など、もうほとんどコンデジ製品をやめてしまいました。F社、O社もほぼ同じ、C社やN社、S社もそれに近い動きです。いまだにいっぱいコンデジ機を並べてがんばっているのは、「デジカメ元祖」を自認するCA社くらいでしょう。

 
 誰もが認めるように、「コンパクトデジタルカメラ」は完全にスマホに食われてしまいました。スマホのトップをいく世界のAP社など、もっぱら「カメラとしての使い道」「優秀さ」を大々的に宣伝する広告を、TVでも雑誌・新聞などでも打ちまくっています。こうなると間違いなく、「電話もかけられる」カメラです。それを向こうに回しちゃあ、カメラメーカー束になっても勝負にもなりません。量販店の店頭でも、デジカメ売り場の様変わり、寂しさは覆うべくもなく、むしろいま力が入っているのは、米国G社が開いた、「ウェアラブルカメラ」と称する超小型のビデオカメラ、これに日本メーカーも競って飛びつき、製品を市場に送り出し、店頭を賑わせている次第です。そっちもスマホに脅かされうる存在ではあるものの、スマホでは顔の横や頭にくっつけて撮るわけにもいかないでしょうから、まあ「期待できる新市場」ではありましょう。

 

 余談ながら、それにしても、ビデオカメラでも圧倒的シェアを維持してきたはずの日本メーカーから、こんどもまた、どうしてこういった新コンセプトの製品は出てこないんでしょうか。ビデオカメラのデジタル化で、テープやディスクといった動作と記録メカ部分がなくなってしまい、ほとんどメモリカードだけになってしまった、もちろん一方で、デジカメやスマホの進歩により、撮像部分もチョー小型コンパクト化した、それならまったく新しいコンセプトの「デジタルビデオカメラ」が出てきて不思議もない、でも出てこなかったんですよねえ。せいぜいは、デジカメの動画撮影機能を強化する、それを新たな売りにするくらい。ビデオカメラの方は二〇年一日のような図体と形状、操作のまんま、それをちょっと小さく軽くしたりして、各社ご満足、ついこないだまでそうでした。

 まあ、日本メーカーお得意の社内「セクショナリズム」も貢献していましょうし、なにより日本でビデオカメラが売れるのは、子供の運動会撮るためという「市場の常識」も大いに作用していたのでしょう。それには、あの形状と大きさと使い勝手は不動のもの、この鉄板常識がまとわりついていたことも間違いないでしょう。まさか、顔にカメラくっつけて、コースを走ってみる、撮られる立場から撮る立場に置き換わる、そういった逆転の発想は、こんども「べんちゃあ精神旺盛な」米国企業に持ってかれたわけです。後追いで、似たような製品をみんな揃ってどどっと市場に投入する、こんなところも日本のお家芸ですな。英国D社の新方式掃除機に右へならえしたように。

 

 
 ビデオカメラはどうあれ、「ファインダーレス化」に邁進してきたこれまでの日本メーカーには、あまりに戸惑いのあるのが今日この頃であると考えて、間違いないところでしょう。その象徴は、「後発参入」ゆえか(KM社を買収したんだから、新規参入とも言えないかも知れませんが)、「カメラの伝統」には目もくれなかった、S社の場合です。「一眼レフレックスファインダー」を使わない「イチガンレフ」など、なかなかユニークすぎる製品などで「時代を拓いてきた」S社にとって、とりわけコンデジでのファインダーなど論外という扱いであったわけですが、2015年に出したHX-90Vという新製品では「ポップアップ式ファインダー内蔵」が売りです。「屋外でも被写体が見やすく、さらに手ブレを抑える効果も」とのキャッチコピーなのですから、これを裏読みすれば、ファインダーレスコンデジで、顔前腕伸ばし液晶画面睨み方式では、「屋外で被写体が見えない」、「ブレやすい」と認めたことになるわけじゃないですか。

 
 だいたい、S社は2015年現在で、このHX-90Vを含めて、コンデジサイズのはもう4モデルしか出していません。新製品は2機種だけです。これに代表されるように、日本のデジカメメーカーはコンデジからの撤退があまりに顕著です。

 S社のコンデジが現行4機種なら、C社は6機種、N社は8機種、O社は2機種、P社は4機種、F社に至っては1機種のみという現状です。実はこのカウントもかなり微妙なので、各社からはクレームがあるかも知れません。そのくらい、「コンパクトデジタルカメラ」という、一世を風靡した商品コンセプト自体が崩れてきているのです。「手のひらに収まる」コンパクト性、簡単な操作、それでも「写る」至便性、そして持ち歩くに違和感ないデザインとカラーといったコンセプト、この商品群がもろにスマホとバッティングし、まったく売れなくなってしまった、これは明らかなところでしょう。

 うえに記した、私の三年前の分類では、「A.コンデジ機」という筆頭機種群がいまや絶滅に瀕しているのです。栄枯盛衰はあまりに急です。


 

 それに代えて、各社力が入っているのは、「B.重量級ズーム・EVF機」であり、それに追随するようなかたちで「A'.「高級」コンデジ機」もラインアップの前面に出てきています。要するに、「並みのコンデジ」じゃあもうスマホ族の手には取って貰えない、もっと「カメラらしい」機能や特徴を売りにしたような機種にシフトする、まあ当然の成り行きでもあって、これは私の3年前の予想の範囲内です。

 
 重量級ズーム機は、もちろんスマホでは絶対に実現できない超望遠性などが売りの機種群で、「だからカメラなんですよ」と売るには最適のところでしょう。しかし、どう見てももう「コンパクト」ではないのも間違いないので、そこは各社ネーミングにも苦心のほどがうかがわれます。「ハイエンド」とか、「本格派」とか、「ハイクオリティズーム」とか、なかなか皆さん大変ですな。

 要は、もう「コンパクト」じゃないけど、スマホどころか既存のデジカメでさえ容易に得られないような大ズームレンズを取り込み、「あっと驚く」画像が撮れますというのがここでの売り、その先頭に躍り出たのが、N社の2015年大ヒット商品のP900という機種、4.3〜357mmという60倍ズームレンズを持ち、35mm換算ではなんと24〜2000mm相当!デジイチどころかフィルムカメラの時代でも、2000mmレンズなんて誰が使ったことがありますかと、あっと言わせるインパクト多大で、もうネタ切れ気味のデジカメ業界の関心を根こそぎ集めました。しかもレンズはでかいけど、手ぶれ十分、画面はプアーというのでは話題づくりだけで終わってしまいますが、使ってみた人間たちが異口同音に、手ぶれ防止がすごい、2000mm手持ちで撮れる、画質は十分などとするのですから、セミプロを自称するアマチュアたちが飛びつかないわけがありません。

 
 歴史ある一眼レフの世界でメシを食ってきたN社はどう見ても、それ以外のコンデジなどの製品づくりと売り方がうまいとは思えなかったし、実際私も同社のコンデジや「高級」コンデジ機を使ってみて、かなりがっかりした経験少なくなしなのですが、これはN社にして奇跡的な大当たりかも知れません。その割に力が入ってなかったのも間違いないところでしょう。P900は大変な品不足で、今どこの店頭にもありませんし、「予約一ヶ月待ち」の状況です。カタログだって、単体のものも用意されていませんでした。まあそれでも、辛抱強く入手できる日を待つ、そういった層にアピールしているのですから、そんなに間違った商売ではないのかも。

 

 N社の一発大逆転打に歯がみをしているのは、この重量級ズーム機、かつてネオデジイチなどと言われた機種を作り続けてきた、P社やC社、F社などでしょう。これらの機種を手にしてくれる、かなりマニアックなユーザーたちは常に一定数いたのですから、新製品投入を続けられる余裕もあったのでしょうし、S社もドイツZ社の協力を得て、この市場に乗りだしたところだったのですが、N社の大ホームランには各社口あんぐりです。さすが、N社の強力な光学系開発部隊の真価発揮でしょうが、同時に手ぶれ防止などメカ系の技術も組み合わさっての製品化なのは、言うまでもないでしょう。

 まあ、このP900を嚆矢として、ズームレンズの倍率競争が始まるのは間違いありません。かつてのデジカメ勃興期の「画素数競争」のような、ばかばかしくて意味のない競争よりは、はるかに「実益」もあるわけですが、あんまりすごい望遠ズームレンズですと、月だとか富士山頂上などのほか、すぐに撮るものがなくなる、それどころか、怪しい○○○のなか撮影でとっ捕まるなど続出、あげくにこういった大ズームレンズのデジカメを持ち歩いているだけで、職務質問される恐れなしともしません。

 

 それにしても、重量級ズーム機には一貫して力を入れてきて、それゆえ私もいくつか買っているP社のいまのピンぼけぶりには、いささか腹が立ちます。同社のズーム機や「高級」コンデジにはドイツL社ライセンスのレンズが使われており、そこに一歩どころか三歩の長があると私も実感、ほめられるのですが、ズーム比や超望遠で競わずとも、P社はなんと「4K撮影」を前面に押し出した製品戦略に入っているのです。4Kって、動画でしょう?デジタルテレビのことでしょう?テレビやレコーダー、ビデオカメラなど、映像系全体が「4K」で勝負するという、その流れに完全に引きずられているわけですが、それじゃあデジカメで動画を撮りたいという、かなりマニアックというか、よくわからない客層にもっぱらアピールしようというんでしょうか?それって無理線じゃないですか?

 P社の売りでは、4K画像を利用することで、「秒間30コマ連写」の静止画像も高品質で撮れる、それで「決定的瞬間」のベストショットを選べばいい、新しい撮影スタイルだっていうんで、まあほとんどうけないと、自分たちでもわかっているようなセールストークです。いい悪いは別にしても、「2000mm望遠!」で切り込むN社との差はあまりに見えています。24倍、35mm換算25〜600mmですなんていうのでは、P社は戦えませんよね。ズーム全域F2.8というのは、相当にすごいことではあるんですが、やっぱり店頭で、こっちは2000mm、うーんすごいね、迫力あるね、あっちは600mm、全然たいしたことないね、でおしまいですな。

 
 

 N社のP900のように、2000mmレンズなどという未知の領域を10万円以下で提供してくれるというのは、デジカメの新たな「魅力」を高めてくれること間違いなのですが、それに比べて、「高級」コンデジの方は、各社の製品ラインの中に生き残ってはいるものの、将来はかなり厳しそうです。「デジカメいらない」層の拡大の中で、「カメラらしい」付加価値をまだ売りにできるという狙いはわかるものの、先行きが明るいとも申しにくい観をぬぐえません。

 
 F社のように、かなり前からコンデジには見切りをつけ、逆転の発想、カメラの原点回帰のような「高級機種」中心に製品ラインを整理してしまったところでは、なにも変わるものではありません。もっとも、ファインダー重視機などだけではなく、比較的大きいセンサーと明るいレンズの「ファインダーレス」コンデジ機もF社は残してはいますが。

 
 おかしいのはC社です。長年高級コンデジ機を出し続け、むしろ保守的なまでのデザイン、使い勝手を特徴にしてきたのに、先に記したように、大型化とともにいっきょにファインダーレス化に踏み切り、私のようなユーザーを見事置いてきぼりにしてくれた、「ミラーレスイチガン」機からコンデジまで含めて、全面ファインダーレス化に突っ走った、そのC社が困惑しているのが、あまりに見えているのです。同社の2015年度新製品G3Xというのは、1.0型大型センサーと24〜600mm相当の大ズームレンズが売りなのに、ファインダーレスなんですよ。つまり、顔前腕伸ばしで液晶画面を睨まなければ、600mm相当の望遠画像も撮れないんですよ。申すまでもなく、うえの「重量級ズーム機」ではすべて、液晶画面とは別にEVFファインダーがついているのに、です。

 
 C社もこの矛盾への批判を意識せざるを得なかったのか、珍商売に出ました。「EVFファインダー付キット」限定発売というセールキャンペーンです。なんしろ、EVFファインダーを単体で買えば3万円以上もするんですから。この「キット」、G3X単体だけと実売価格ほとんど同じなんで、C社にとっては、やっぱファインダー付いてないと「高級」コンデジ売れないよねという、「大バーゲンセール」を強いられた痛い教訓でしょう。S社にならい、「ファインダー復活」の日も近そうです。まあそれにしても、ファインダー付にしたってG3Xの実売価格10万円というのはちょっとね、ですが。それでファインダーも付いていないんじゃあ、誰が単体で買うと考えたんでしょうかね。



2016年、P900買っちゃいました

C社の迷走を横目に、P900をヒットさせたN社に義理立てするつもりは毛頭ないけど、「大人の玩具」(大人のおもちゃとは読まない)としてはほしくなり、P900買っちゃいました。

2016年にはこれで2台目のN社機です。不孝息子として、モーバイルPCの遍歴に記したように、親の遺産を無駄遣いするなんざあ、悪ぶるにも底が浅すぎですが、D750に比べれば遙かに安いので、がっかりさせられ続きのP社「重量級ズーム機」に代わるものと理由をつけてのことです。

 手にしての実感、使用記などはこちらをご覧ください


 

 ここで「予言」めいたことを書いてしまうと、外れたときには恥もかくことになりますが、まあそんなに間違いもないでしょう。

 あと一、二年のうちに、日本の主要デジカメメーカーは基本的にコンデジから手を引いてしまいます。CA社のようにそこにのみ活路を見いだすところも「残る」でしょうが、主な生産者は韓国や中国企業にシフトする、かつてのデジタル家電と同じ道をたどるでしょう。それに代わり、各社の開発と販売競争の当面の焦点になるのは、大ズーム機を含めた高機能デジカメになると思います。「スマホで事足りる」層を引っぱがし、引きつけるためには、よほどの「魅力」がないといけません。

 もちろん「魅力」のうちにあるのは、大ズームレンズ付きだけというわけでもないでしょう。たとえば、コンデジ衰滅の流れの中でも結構残っているのは、「全天候型」です。水をかぶっても大丈夫と真夏の海岸やらで活躍するこれも、やはりスマホでは無理な技、水中カメラほどまではいかなくても、可動部や蓋などないデジカメならではの製品です。こういうのは引き続き売れましょうが、数はそんなにいくかどうか。

 一方でショボ過ぎと感じるのは、スマホをカバーするようなレンズだとか類似機ですな。そういう「コバンザメ商法」もありでしょうけれど、いかにも情けない話です。そんなの買ってまで、自分のスマホを強力化しようというもの好きな方々もどれだけいることか。さらには、スマホでの「自撮り」にヒントを得て、液晶画面がぐるっと回り、本体上部に登場して、はいこれでスマホ同様の自撮りOKですなんていうタイプもそろそろ増えてきています。被写体が同時に画面を見られるというわけで。まあ、以前のタイプでも液晶画面が横に180度回り、被写体側から見えるようになるのもあることはあったのですが、もっと踏み込んで、棒の先を含めて自撮り向き大いにアピールです。スマホに蹴散らされそうなコンデジの生き残りには、工夫の一つでしょうし、本来の液晶画面にはそういったアクロバチックな撮影時の画面確認の役割があっていいはずなので、これもありでしょうが、売り方としては、「スマホ同様に、画面見ながらの自撮りもできます」というだけの、かなり受け身の機能強化にとどまる観も否定できません。まあ、ファインダーをのぞかずとも、ヤマカンで自撮りするというのは昔からあった手ですが。

 ただ、それなら「高級」コンデジが今後も市場を確保するだけ売れると考えるのは、難しそうです。なぜ「高級」なのか、それはやはり、かなり写真を撮っている人でないと理解困難でもあります。たとえばうえのC社のG3X、ともかくファインダーがなくても10万円です。その価値はどこにあるのか、2020万画素のCMOSセンサーだ、ISO12800までの高感度だといっても、そうじゃないと撮れない画像はそうもないでしょう。まして、24〜600mm相当のズームレンズなら、「重量級ズーム機」の形状でないとうまく使えないし、だいいち600mmレンズにファインダーレスじゃね。

 そこまで極端でなくても、このクラスではかなりの現行製品が5万円以上します。それに手を出してくれる客層というのはどこにいるのか、レトロスペックな機能や外観、ファインダー重視の使い勝手などを売りにしたF社のようないきかたでアピールするのでなければ、それなりの売れ行きは期待困難でしょう。ちなみにF社のレトロ志向は徹底してきて、当社の言う「レンズ交換式カメラ」の最新機種の外観など、もろにかつての「フジカ」一眼レフですな。O社のように、「名前だけ」レトロブランド名で、中身は外観も機能も使い勝手も似ても似つかないなどというのとは違います。

 

 これに対し、近年各社相次いで手がけた、いわゆる「ミラーレスイチガン」、要するにレンズ交換式デジカメ、これはどこまで続くものか、私的には疑問があります。「レンズ交換できる」、一眼レフ的な使い勝手というのは、よほど「撮ること」にこだわりのあるひとでないと、メリットをそうは感じられません。ズームレンズ一本でいつでもどこでも撮るというのなら、レンズ交換できない機種との違いは意味がないわけで、むしろ面倒で高いだけ、ましてやファインダーレスじゃ、実際に大きな望遠レンズなんかつけたら、まともに撮れないのはすぐにわかります。だからAVFファインダーの付いた「重量級ズーム機」が依然人気であるわけです。

 はっきり言えば、この10年で、「ミラーレスイチガン」とはなになのか、落としどころが見えてしまった観です。「とりあえず撮りたい」「撮っときたい」「あったらいい」人たちは、絶対にこんなものに手を出しません。スマホか、それに毛が生えたようなコンデジで十分に満足しているわけです。そうではなく、撮ることにある程度こだわる。システム的に揃えることに関心がある、「カメラをいじる」のが嫌いじゃない、そうした人たちは従来から一眼レフに向いていたのですが、あまりにごつい、重い、いろいろ面倒そう、そうした感じを抱いていた人たちが、「ミラーレスイチガン」に向かったのでしょう。実際に、「デジイチ」ユーザーがこちらにシフトしたのかどうか、それはあまりありそうにもないように思いますが、潜在的な「こだわり層」を掘り起こした可能性は大きそうです。

 
 しかしなお、小型軽量とか、デザイン性があって見てくれスマートとか、そうしたことを重視する人でないと、いまの「ミラーレスイチガン」機にこだわるほどのユーザーがそんなにいるのかな、という疑問も感じます。もしそうであれば、「撮ること」に狙いをもっているのであれば、いまの「ミラーレスイチガン」機の大部分には、多くの人は満足できないのではないでしょうか。P社やF社のように、ファインダー内蔵で、限りなく「一眼レフ」の機能と使い勝手に近づける、それならまだ、撮る楽しみや腕の見せ所も出てきましょうが、コンデジ同様の液晶画面睨みでは、かなりの場合無理線です。超接写をするとか、三脚固定でじっくり撮るとかいう場合にはかえって、ファインダーに顔を近づけずに撮れる利点もあるように思いますものの、そっちの用途の方が限られてきます。

 
 デジイチをあきらめたO社やP社の場合、ファインダー重視の「ミラーレス」群と液晶画面睨みだけの製品群の両方を並べるという製品構成に固まってきました。F社もこれに近いでしょう。ですから前者は基本的にデジイチもどきの姿を守っています。他方でA社やC社、N社のように、依然メインは「デジイチ」であるメーカーの場合、かえってそこが微妙で、自社のデジイチとの競合食い合いを避けるような製品コンセプトと構成にせざるを得ません。A社の「ミラーレス」機はどのみち、小さいボディ、小さいセンサーが特徴で、レンズを含めて同社のデジイチと重なるところはまったくない、まったく異なるコンセプトと使い勝手のシリーズです。フィルムカメラ時代からの、A社ならではの製品づくりです。

 N社は、このタイプでの後発で、「レンズ交換式アドバンストカメラ」と名付けるだけあり、ともかくデジイチとはまるで違う、だからコンデジの発展のようなもので、画像センサーやレンズマウントからなにから、独自の展開ですというところ強調です。同社のメインであるデジイチからどれだけ切り離せるかに努めたところ明白でしょう。まあそれだけ、誰に売るつもり観はぬぐえません。
 これに対して最後発のC社は、あくまでデジイチと同じ商品群の位置づけで、デジイチ同様のAPS-Cタイプの撮像センサー、デジイチ用レンズもアダプタを介して使用可能なのを強調しています。つまり、デジイチカメラとの共用、サブカメラ性を売りにしているのです。当初は、ファインダーなんてなんのことかいなという姿勢が目立っていましたが、三代目のM3にしては、ついに外付けEVFファインダーありになりました。これがうえの、G3X用のと同じというのは笑えます。

 
 
 お馬鹿なマスコミの人たちをのせ、「ミラーレスイチガン」なる新製品群が生まれたと錯覚させ、売り込みに注力してきたこの10年近くですが、結局はそれぞれに、落ち着くところに落ち着く流れのようです。

 

「いちがんれふ絶滅説」について

 こういった、私の独断と偏見の2015年フォローアップを記したついでに、ちょっと検索をしていたら、あべこべに「一眼レフこそカメラのガラパゴス」、そのうちに絶滅して「ミラーレス全盛期がくる」と主張される意見を目にしました。
 もちろん、どんな意見を持たれ、述べられるのも自由ですし、私の書いているものだって、間違いだらけかもしれません。しかしこの意見には、耳を傾けるべき点と、それは違うんじゃないかと思われる点両方があるように、私は感じました。


 この人の主張は、要するに「一眼レフ」などというかたちは、フィルム撮影でのレンズを通しての実像を直接見られるようにした工夫の結果であり、デジタル画像の時代にはかなっていない、デジタルでは常時レンズを通して写る画像をモニター可能なのであり、それを見て撮影するのが自然なこと、ピント合わせも必要ない、「ミラーレス」などによってようやくそれに近づいてきたんだというのです。逆に、一眼レフのクィックリターンミラー(および、常時開放・クイック絞りメカもそうでしょうが)という、複雑精密なメカ部分をそのままにデジタル時代に持ち込み、フィルムカメラのフィルム画面部分だけデジタル撮像素子に置き換えたというデジイチは時代錯誤の代物で、もう行き詰まっているというわけです。そのメカをもう作れるのが日本の数社しかない、これぞガラパゴス化の極みで、それを日本のカメラ産業のつよみなどと錯覚しているのは滑稽だと断じている次第。

 まあ、「ガラパゴス化」というのは「孤島で生き残り、独自の進化を遂げる」という意味でして、この方の主張はそうじゃなく、「恐竜絶滅説」に近いのだろうと思いますが、確かに一聴に値はします。デジタル化というのは、いろいろな既存の原理や機構、媒体などを一挙に無用化不要化してしまう面を持っており、デジカメに近いところでは、ビデオカメラが典型的です。かつてはビデオテープを回していたビデオカメラは、当然なかにややこしいメカを抱え、それだけ図体大きく、動作複雑で、電気も食うし、故障も起きやすいし、やっかいなものでした。まあ、大雑把にはかつての「8mmシネカメラ」のフィルムをビデオカセットに置き換えたようなもので。それがデジタル化の時代にはまず、デジタルビデオテープに移行した、これは言ってみればデジイチみたいな中途半端な行き方の典型で、テープ上にデジタル信号を磁気記録するだけ、デジタルの利点をほとんど生かしていなかった。そしてのちにはDVDディスクを中で回しているなんていうのも出てきたけれど、フラッシュメモリの高度化・高速大容量化で、それを媒体にデジタル動画画像データを直接記録すればいいとなり、ビジコンなどの撮像管からCCDなどの固体撮像素子への移行・デジタル信号化も相まって、あっという間にビデオカメラの姿を変えてしまった、これはうえにも書いたところです。もっともその意味を十分に生かせなかった日本メーカーは、「ウェアラブル」ビデオカメラの時代に置いてきぼりを食いそうになった、それは否定できない事実でしょう。実際に、ビデオカメラとデジタル(スチル)カメラの違いはあっという間になくなってしまったのです。



 では、デジタル一眼レフというのは「絶滅寸前の恐竜」なのでしょうか。それにしては、あまりにダイハードではあります。もちろんそれには、ユーザーの方々の「履歴効果」というか、アタマの古さがいまだ効いているところもありましょう。いま、デジカメでも何でも、写真撮るのに熱中し、高いカメラ買ってくれるのは、だいたいが60代以上の方々で、その若かりし頃には、カメラは高価な贅沢品、また手に入れてもそれを使いこなし、「見られる」画像を撮るにも相当の知識と経験が必要だった、その頃の記憶がそのまま保存されているわけです。ですから、いま買おうとするのも、その過去のあこがれのシンボルたる一眼レフカメラ、これにいまだ日本のN社やC社、A社など依存しているんだ、という解釈はできなくありません。そうなると、間違いなく20年後には、高価で、重くて、扱いやっかいで、それでいながら「実際に写る画像」自体を画面上で同時に見ることもできない、そんなものは市場から消え、骨董品の部類に入っていることでしょう。


 しかし、私も以前にも記したように、デジタル一眼レフも容易に消えそうになく、そんなにネガティブ、時代遅れというみかただけに傾きがたい面を今日も有していると、実感をします。もちろんそこには、「撮る」ということへの異なる理解、用途、目的といったものもあります。
 確かに多くの方々には、「写真」(画像)を撮るというのは日常生活の中のごく一部の行為でしかなく、そこに何のこだわりもなく、「写っていればいい」「記録できれば満足」というところにのみ効用極大化があるわけです。これは昔も今も変わりません(昔といっても、写真機が誰でも買えるものになり、日常生活の1ツールになった、1950年代から60年代以降の話でしょうが)。それはおそらく人口の大多数を占める層でしょうから、こうしたひとたちの日常に、○○○○カメラや「使い捨て」カメラの時代があり、それからコンデジ全盛期になり、そしていまでは「カメラいらない」「スマホあればいい」時代に相成ってしまった、そんなところでしょう。


 そこにターゲットをおいて製品作りをするメーカーには、「デジカメの時代は終わった」と嘆息をしておしまいというところでしょうが、もともとN社やC社などはこうした「写ればいい」層に依存はしていなかったのです。もちろん、ブランドイメージの利用で、○○○○カメラやコンデジも並べ、フルラインできたのが近年ではありますが。
 それよりもプロ、自称セミプロ、ハイアマチュア、そうした「撮ること」「撮られた画像」にこだわるひとたち相手の商売で、その「ハイアマチュア」的な層が、うえにあげた60代以上で「高級」カメラにあこがれる層とほぼ重なっています。こうしたひとたちはしばしば群れをなして、同じ「絶景スポット」に集まったり、「教室」「倶楽部」「撮影会」などに集っているので、おのずと「お道具自慢」も始まり、「ひとの持ってる」いいのがほしい、いいカメラがあればもっといい写真が撮れるなどと、果てしない欲望の「デモンストレーション効果」・自己増殖サイクルに取り込まれ、各メーカーの売り上げに貢献をしているわけです。昔から「カメラ雑誌」「写真雑誌」がこれに大いに寄与してきました。プロのゼニとれる写真だろうが、アマチュアの投稿入選作だろうが、「使用機材」と「撮影データ」の掲載が決定的ですね。ともかく、「写ればいい」層と、この「こだわる」層の間には決定的な断絶があり、それは誰よりもカメラメーカーがよく心得ているところでしょう。



 この「こだわる」層が昔のあこがれ、高級一眼レフを離れ、いくらなんでも「コンデジ」までいくことはなくても、「ミラーレスイチガン」にシフトするか、そちらにも次第に軸足を置いていくか、これは時間はある程度かかってもあり得ることだと思います。逆に、「写ればいい」層がそこから「撮ること」に目覚め、「もっといいカメラが手元にほしい」と考えるようになるのも、昔から散見される話でしたが、きょうびのコンデジ愛用者やスマホでOKのひとたちがデジイチを手にするには、昔以上に落差が大なので、かなり難しそうと感じます。なぜって、きょうびのコンデジやスマホは簡単に「撮れてしまう」からなのです。昔だって、カメラ持ってても自分でフィルム入れられない人は珍しくないくらいでしたが、いまでは、「写真を撮ること」の基本的な考え方や構え自体完全無視、それでも「撮れちゃう」どころか、かえって思いがけないアングルや被写体のとらえ方がおもしろいくらいになりましょう。間違いなく、デジタル化はそれを可能にしてくれたのです。焦点あわせだ、順光逆光がどうだ、シャッター速度と手ぶれだ、絞りと被写界深度だ、背景ボケだ、フィルム感度がどうした、そんなこと一切無視で、「向けて、押せば撮れる」、そういうある意味理想的な境遇です。それに慣れた人が、何を間違って、どこをどういじると「撮れる」のかさえよくわからない、ごつくてやたら面倒そうな「写真機」を手にするわけがありません。


 それでもそうしたひとたちを少しでも引きつけるに、「一眼レフ」より「ミラーレス」の方が近そうな存在というのは、各メーカーの想定であったことでしょう。だからこそ、「ミラーレス」カメラは同時に「ファインダーレス」カメラとして登場したのです。コンデジしかいじっていないひとは、「ファインダーをのぞいて撮る」という習慣自体がまったくありません。もちろんスマホにファインダーはありません。そういう余計な邪魔物を排し、「コンデジ同様の使い勝手です」、「スマートなデザインでしょ」、それでいて、「イチガンカメラと同じように、いろんなレンズやアクセサリを使えて、いいですよ」と売り込もうとした、その際のギミックが「ミラーレス化」だったのです。「ミラーレス化して、こんなに簡単、軽量、小型化しました」などという、「宣伝文句」が用いられたわけです。

 


 けれどもおもしろいなと、あらためて考えさせられたのは、こうしたいわゆる「ミラーレス」だか「レンズ交換デジカメ」だかが、本来の一眼レフとはまるで違ったコンセプトと構造と使い勝手を持ちながら、依然として共通に用いている仕組みがあることでした。もちろん「ファインダー」じゃありません。それは「シャッター」です。コンデジのたぐいだけでなく、「高級コンデジ」も「ネオイチ」だか「重量級ズーム機」だかででも、実はもうシャッターという機能がありません。そんな面倒なものはさっさと捨て、「電子シャッター」なる、要するに画像情報をやりとり処理するところでの電気的な働きで、「ある瞬間」の画像を切り取って保存している、その瞬間の幅なりを「シャッター速度」として操作している、そういうことですよね。これはデジカメの大変な「進歩」でありまして、フィルムカメラの時代にはどんな原始的な代物であっても、シャッターというメカを動かさなくてはならなかったのです。

 しかし、デジイチはフィルムカメラからすべてを受け継いだので、フィルム装填と送り関係以外はみんな「あり」です。フォーカルプレーンシャッターもそのままです。もちろんそれだから、「電子シャッター」とは違い、シャッター動作のタイムラグも極小に済んでいるわけですが(電子シャッター機ではここにタイムラグが生じること、前に書きました。おそらく、画像センサーと制御回路での「シャッター動作」に至る時間はそんなにかからないのでしょうが、その他のところ、オートフォーカス関係や絞り関係などでの動作時間も重なり、シャッターボタン押して、実際に画像を撮るまでのラグにかなり唖然とさせられたものでした。別に「決定的瞬間」狙いでなくても、これには参ります)。ところが、あらためて確認してみると、いわゆるミラーレス機もほとんどがフォーカルプレーンシャッターを用いているのですね。これははてどういうことなんだろうという話になります。「ミラーメカ」などを引きずったデジイチは絶滅の運命だと主張される人のお考えにならえば、シャッターメカなんか抱えた「ミラーレス機」も同じ運命になるはずですが。


 その辺の謎を解く鍵は、なぜだか簡単に見つかりません。まあ逆に言えば、「デジイチもどき」として「ミラーレス機」を同類のように売り込むメーカーの戦法も、シャッターだけに注目すれば「同じです」、ですから動作確実、タイムラグ極小ですとは言えるわけでして(全然言っていませんが)、私自身がコンデジではなくデジイチを手にすることになったきっかけがそこであった以上、そんなにけなしてはいけない、もうちょっと「使えるカメラ」と見るべきなのかもしれません。まだ使ったことないですが。



 一眼レフがフォーカルプレーンシャッターをもっぱら用いるようになった理由は明快でした。一眼レフ機能の光学系から漏れる光もあるし、一眼レフのメリットはレンズ交換にあったゆえ、その際に開いたレンズの穴からフィルム面に感光してしまってはなお困るので、常時フィルム面を遮光し、シャッターを切った際にだけ露光スリットがフィルム上を走る、そうした構造が絶対必要であったわけです。もちろん、スリット幅とシャッター幕移動速度によって露光時間を調整でき、またそれを相当な速度にまであげられるのも、このフォーカルプレーンシャッターの特徴でした。

 一眼レフでもレンズ固定であるもの、あるいはH社やZ社の製品のように、レンズ交換できるけれど基本はレンズシャッター動作で、フィルム面には通常遮光板を入れてあるものもあります。私の持っているMa社のものみたいに、一眼レフでもないのにレンズ交換可能なんていうのもかつて作られていたわけですが、その代わりこれらのレンズ交換時の遮光機能動作には大いに苦労させられます。


 デジタル化でそういう工夫や苦労は一切無用になった、それどころか常時露光させていて、そのセンサーからの信号を写すことで、ファインダーレス化やAVF化もできるようになった、もちろんメカシャッター自体無用になった、これがデジカメ時代の「革命」であったわけです。新たに生じたタイムラグにはみんなが我慢する、それで世の中動いてきたのです。

 ところが「時代に取り残された」デジイチのメカにならい、「ミラーレス機」はあえてフォーカルプレーンシャッターを入れたとなると、これは謎ですな。別にレンズ交換時に「撮像素子を外光から保護する」必要がある訳じゃないでしょう?逆に、シャッター膜で撮像素子をいつも覆っていたら、どっから「液晶画面」やAVFのための画像を取り込んでいるんでしょうか?デジイチの「ライブビュー」同様に、その際にはいったんシャッターを開けているんでしょうか。これをやると、わざわざシャッタータイムラグを生んでくれますけど<注>
 そしてもっと謎なのは、デジイチ絶滅説を唱えるひとだけでなく、「ミラーレス機」や「レンズ交換プレミアカメラ」を売るメーカーも、「シャッターレス化」を目指さず、なんでフォーカルプレーンシャッターを入れているのか、その意味の説明もしないのですな(「電子シャッター」使用とか併用とする製品もあるけれど)。

<注> 早速に店頭で調べてみました。案の定、レンズを外すと「ミラーレス機」のセンサーは丸見えです。つまり、フォーカルプレーンシャッターは通常開けっ放し、シャッターを切る瞬間にいったん閉じ、センサーがAE、AFや画面用画像取り込み状態から撮影モードに入ったところで、設定時間だけのスリットが一瞬走って、閉じて、それからまた開放になるというわけですな。すんばらしい「先進技術」のたまものです。


 私の勘ぐりでは、ヤッパシコンデジ同様の自称電子シャッター使用ではいろいろ不都合で、高級感をうたえない、まずはタイムラグ、シャッター速度調整の正確さ、高速シャッター化、等々の問題。コンデジの電子シャッター独特の動体の画像ひずみのこともありましょう。なによりかより、あのメカとしてのフォーカルプレーンシャッターの動作感、これが案外不可欠であったのかも。その点、いくら高級コンデジでも重量ズーム機でも、シャッターの動作感は全くないわけで、いかにものシャッター音だけは鳴りますが、これは音だけ作っているので、サイレントモードにしてしまうと、何とも情けない「撮ったかな」感になるのは実感できます。自称「イチガン」機にそれはまずいでしょう。

 もちろんフォーカルプレーンシャッターには固有の問題もあります。最近はだいぶ工夫され改善されたけれど、ストロボとの同調速度限界の問題はつきまといます。メカである以上、しかもフィルム巻き上げと一緒のシャッターセット動作がない以上、動かすのに相当に電気を食うはずです。そしてなにより、ガラパゴスと嘲笑される、精密複雑なメカを組み立て、組み込まなくちゃいけない、絶滅寸前の「技術」と。



 ともかく、「ミラーレス機」って、なんだかよくわかんないコンセプトですね。




2016年、「中判ミラーレスデジカメ」時代ひらかれる

(2016.9)




 てなこと言ってたら、2016年には新たな展開が始まりました。

 かのハッセルブラッドが、「ミラーレス中判デジタルカメラ」を発売、値段100万円以上とあっちゃあ、一般の話題をさらうほどではないけれど、「プロを横目で見ている」自称ハイアマのあいだでは、当然関心事となります。記してきたように、中判一眼レフのデジタル化においては、アマチュア完全置いてきぼり状況で、唯一ペンタックス645Dのみが孤軍奮闘状態、これもデジイチの将来を危うくする傍証とも思われたのですが、高くても、デカくて重くてもいい「商業写真家」ばかりが愛用する市場にのみ「中判デジカメがある」という発想には、誰かが疑問を呈するべきだったのでしょう。それに先鞭をつけたのが、商業写真家の長年の堅い支持を受けてきたハッセルブラッドというのは、予想外の展開だと思うのですが。


 そこに続いたのがフジだというのも、なんとも不思議な展開です。もちろん、かつてフジはハッセルに645AF機をOEM供給していた、しかしこれがなくなるとともに関係は切れ、ハッセルはソニーと提携したという経過であったはずで、ソニーがハッセルX-1D同等機の販売を始めたというのなら理解可能なんですが。そのへんの内情はシロートには想像困難であるものの、ともかくフジが「ミラーレス中判デジタルカメラ」GFXを発表したというのは相当のインパクトあるニュースでしょう。



 ハッセルブラッドは伝統と評価を誇る六六判カメラ500シリーズなどに、フィルムバックに代えるデジタルバックをつけた使い方も広く推奨し、プロ需要に対応してきました。そのデジタルバックの値段が桁外れであったのも知られたところです。それを考えれば、X-1Dが百万円以上でも「チョー安い」のうちに入りましょうが、使用している32.9×43.8mm、5000万画素のCMOS撮像素子はデジタルバックの最小サイズと同じ大きさなんです。その意味、プロユースの市場を揺るがし、「セミプロ」ないしハイアマのユーザーを引きつける可能性を持っています。デジタルバックだけでウン百万円とされては、手の出しようもないアマにも、誘惑の香りが漂いましょう。だいいち、デジイチのハイエンド機とは、そう違わないことになりますから(ニコンD5は75万円、キャノンEOS-1Dが73万円)。「唯一」の存在を誇ってきたペンタックス645Dの撮像素子も33×44mm、4000万画素なんで、このへんが横並びで、新たな規格と製品市場を形成することになるのは想定可能です。そうなると撮像素子も安くなる、ユーザーにはありがたい好循環になります。そして、今度発表されたフジGFX50Sというのも、32.9×43.8mm、5,140万画素だそうなんで、いよいよですな。


 35mmフィルムの規格をもとに構築されてきた、デジイチという機種のフルサイズとされるのは撮像素子24×36mmあたりですから、いわばその一回り大きい画面サイズに新規格が定着するという流れでしょう。それだけなら「あり」のシナリオですが、それが「ミラーレス化」に向かっているというのは興味あるところです。フジやハッセルが真っ向からうたっているのは、画面が大きくなれば、一眼レフのミラーボックスもどんどん大きくなり、レンズのフランジバックも相当のサイズを予定せねばならず、ボディやレンズの大きさ重さはもちろんのこと、レンズの設計上も非常に制約される、もちろんミラー動作時のショック(35mm一眼レフによく似た形で、そのウン倍も大きくしたペンタックス67のミラーショックは有名)など、いっそうえらいことになる、それなら、レフレックスファインダーなくても「イチガンでレンズを通して見ている」デジタルカメラの仕組みを積極利用して、このさい一眼レフに見切りをつけた、レンズ交換可能だけど新規格の新コンセプトカメラ群に向かおうじゃないの、そういう筋書きが描かれたのでしょう。


 ハッセルブラッドX-1Dのボディ重量は725gです。フジGFX50Sは「1kgを切る予定」だそうです。もっとも、前者はライブビューファインダーも内蔵してなのに、後者は別売外付けだというのはちょっと解せません。特に、「ファインダー重視」を売りにしてきたフジにして、どうなのでしょうか。値段も「一万ドルを切る」として、ハッセルに対抗する線を示していますものの、ファインダーなど買えば、そうもいかないでしょう。だいいち、ハッセルは相当の発売実績もあるHシステムレンズ(もちろん他社製も含めて)に対応するとしているのに、フジのGFXはレンズマウント含めてGFという新規格なのだそうで、そのへんも気がかりではあります(あと、ハッセルは伝統のレンズシャッター方式をここでも守っていますが、フジのはフォーカルプレーンシャッターを採用したそうで)。


 まあこんな流れで、「ミラーレス化」、つまり一眼レフレックスファインダー方式を廃した、レンズ交換式中判デジカメという新たなコンセプトが今後定着していくことは間違いなさそうで、それはそれとして、画面サイズの写りとカメラの図体のやっかいさとの相反関係に一つの答えを出せ、しかも値段もそんなにしないとあれば、みんなハッピーな道が開かれたとすべきものでしょう。ただ、そうなると「孤軍奮闘」してきたリコーペンタックスはどうする?プロ市場に「去った」マミヤ=フェーズワンは「戻ってくる」気はないのか?そして「デジイチ」でがんばるニコンとキャノンはどうするのか?まだまだ興味は尽きません。「ミラーレス化」にひた走ったパナソニックやオリンパスがいまさら「迷う」はずはないでしょうが、いちばん気の毒なのはペンタックスです。もろ競合する「中判デジイチ」645D(しかも重さ1.4kg)を抱えているだけじゃなく、ここへ来て、わざわざ「フルサイズデジイチ」K-1を世に送ったところなのですから。



 それではいよいよ、ファインダーレス化の流れが加速されるのか?そこはそれ、よーく考えてみようです。「商業写真」の一つの典型的な撮り方はスタジオ撮影で、それには昔から、6×9フィルム(フィルムマガジンを使用)、さらに四×五、八×十といった大判シートフィルムを用いる「モノレールカメラ」「フィールドカメラ」、あるいは「ビューカメラ」と呼ばれる、およそ原始的なカメラが多々使われてきました。いまでも各社から相当数提供されています。要するに箱の前にレンズを取り付け、後ろにフィルムシートの入るアダプターをつける、それだけみたいなものです。もちろん、アオリをかけるなどの用途で、蛇腹を用いたものもあります。

 こういうのは、ともかく一枚撮るだけでもえらい手間であるうえ、ファインダーというのはありません。いろんなレンズを付け替え、いろんな撮り方をするのが目的でもあるので。しかし一枚一枚しっかり撮るのも狙いなので、構図、ピント合わせや画像状態確認ははるかに慎重になりますが、それはもっとも古典的な、「冠布をかぶって、カメラ後部から直接にレンズを通した画面をのぞく」スタイルになるのです。そこにピントグラスを入れて、写りをよく確認し、その後にフィルムアダプターと入れ替える、「イチガン」直視でして、ですから「ファインダーなんかなかった」時代からずっと「進歩してない」わけです。100年前とほとんど変わらない、まさに究極のガラパゴスですな。もちろんフィルムアダプターの代わりにデジタルバックを入れる使い方も可能で、そうすれば100年のタイムラグを伴った珍なる姿になりましょうが、そこまでこだわるのも、このタイプの用途にはそれだけの存在価値があるからなのでしょう。


 その延長上に、こんどはハッセルブラッドX-1Dのようなのが現れたと見れば、むしろ自然なのかも知れません。ハッセル500やローライフレックスをはじめとする中判レフカメラというのはこうしたスタジオ撮影でバチバチ撮るにも向いているけど、頑丈なボディと使えるファインダーのおかげで、野外ロケでの商業写真や風景物に多用されていました。それとは異なり、純粋スタジオビューカメラ派から見れば、ファインダーなくても、「中判ミラーレス」カメラの背後から画面をみて撮る、構図と条件をしっかり決め、その後は被写体と対話しながらシャッター切るというのもむしろ自然な姿勢な訳でしょうし、布をかぶる必要がないだけでも楽になったというところでしょう。案外そのへんに、ハッセルなどの狙いもあったのかも。ビューファインダー別売で、基本は後ろのディスプレイ画面だけというフジGFXこそ、まさしくスタジオビューカメラのデジタル化なのかも知れません。



 じゃあ、「中判ミラーレスデジカメ」買いますか?中判フィルムカメラに愛着があるからといって、そしていくら中判デジイチより安いからといって、逆立ちしても百万円なんてどっからも出てこないし、スタジオもないし(むかし、私の実家のお隣にはプロの写真家が住まわれていて、スタジオも持ち、主に料理写真など撮っておられたようです。いまはそれもなくなってしまいましたが)、そんなにまでして「撮る」ものもなさそうな私め、まあ傍観者の域を脱することはないでしょう。その前に、「中判カメラ」マミヤ645をどうしてやろうかというところ。長年親しんできたというのに、です。





2016年秋には、いろいろびっくり

(2016.10)


 一方で、2016年秋冬に向け、各社新製品を出してきましたが、N社はGoProもどきの「アクションカメラ」なるものが売り、遅れてきても、腐ってもNです(言い過ぎか)という、「思い切りの良さ」というべきか、もうカメラ自体の先行きには赤信号と認識したとすべきか、いやはやです。まあ、N社がいっきょに「脱デジカメ」「脱スチルカメラ」に走ったら、それこそ歴史的大事件でしょう。「Nのブランドのご威光で」、「アクションカメラ」がそんなに売れるというのもかなり想像困難ですが。まあ「プロカメラマン」からの引き合いもあり得なくもないでしょうが、それにしては価格に権威感がありません。誰に売ろうというんだろ。


 次々に高価なフラグシップモデルもファミリー向け機も投入し続け、デジイチの先陣を切っている意識横溢のC社は、他方で「ミラーレス」にも色気を出し、それはそれでわかるものの、驚くのはこっちでもEVFファインダー付で、外観デジイチそっくりの新製品を出したことです。よく見ると、呼び名もいつの間にかEOSになっています。デジイチとも、ともかく既存カメラとも距離をとり、「ファインダーなんか要りません」と、顔前両手伸ばしを徹底売り込んできたのも、空回りとわかったのでしょう。そしてまた、メジャーなブランドとの「シナジー効果」も持ち出さなくてはならなくなったのでしょう。

 この流れに連なってか、「高級コンデジ」のファインダーレス化に踏み切ったはずのところに、C社はこれまた外観デジイチそっくりの新製品を投入しました。「ハイクオリティ」Gシリーズを手にして、その重量感高級感と裏腹の、「え、これファインダーないの?」と絶句する、私同様の老年カメラマニアに応えるには、「オプションEVFファインダーを買って取り着けて下さい」(一時はおまけ付き特価販売もやりましたが)では、いくら何でもと思ったのか、「こっちのにはファインダーありますよ」と売ることにしたんでしょう。でもまた、思い切って突き出した、でかいEVFですね。なにしろ「1型EVF」なんだから、文句ないだろというところ。簡単にファインダーレス化に踏み切れない、C社の悩み横溢です。もっとも、全体の大きさは実にコンパクトで、デジイチに間違われそうにもないのですが。


 そうした悩みを尻目に、「ミラーレス」機をフルライン化し、ファインダーありもなしもいろいろあります、交換レンズやアクセサリーもたくさん揃えましたと胸を張るP社、しかしコンデジからも容易に足を洗えず、そっちは高性能ハイクオリティ化でがんばっております。1.0型センサーや大口径レンズ、そして4K動画が売りですが、そこに「重量級ズーム機」で思い切った製品を投入してきました。DMC-FZH1というので、そとの世界ではFZ2000と称しているそうです。

 その外観画像など見るに、これこそ正真正銘のFZ50の後継機の印象です。P900の殴り込みで、かなりショックを受けたP社としては、望遠長2000mm相当には対抗しがたいが、ほかの諸点、F2.8-4.5のライカ20倍大口径ズームレンズ、1.0型撮像素子サイズ・2000万ピクセルの画素数や各性能ではトップクラス、なによりFZ50を思わせる、レンズ鏡胴でのズームリング操作など、カメラマニアの心をくすぐる仕掛け満点です。特にあっと言わせるのは、望遠最大にしても、鏡胴長は変わらないままという「全長不変インナーズーム」でしょう。


 これは大いに魅力的だねと、FZ50の後継のつもりでFZ200という中途半端なものを実は手にしてしまった私も思うものの、値段は全然魅力的じゃありません。まだ現物は店頭に出ていないのですが、すでに17万円などというすごい正札が貼られています。ジュウナナマンエン!フルサイズデジイチがレンズ付きで買えそうな価格です。同社の「ミラーレス機」でさえも、レンズ付きで買っても、こんなにするのはないんですよ。

 P社はこれを誰に売ろうというのかな。



(2024.2)

 2024年、デジカメの衰退の中、ファインダーがあるのかないのか、なんていう議論も、圧倒的な須磨甫撮りの隆盛で、もうどうでも良くなってしまった観です。

 須磨甫で画像を撮るには、「レンズ部」(?)を向けて、スクリーン上に写る画像をにらみながら、シャッターボタン(?)を押す、これだけですから、ファインダーもへったくれもありません。

 そして、細々生き残っているデジカメも、「みらあれす」機であれば、のぞき込むファインダーもありましょうが、あとはもうどうでもいい、カメラ背後のスクリーンに映る画像を見ながらシャッターを押すだけ、もう須磨甫と変わりなし、そんなところでしょう。下手すると、須磨甫の方で勝手に画面上の被写体サイズや位置まで「選んでくれる」ようですしね。デジカメだと面倒くさいことせにゃならんのか、でしょう。

 あとでも記しましたが、最近の「簡単な」コンデジだと、シャッター切るタイミングまで「勝手に」選んでくれるらしいので、もう画像の構図だ、シャッターだなんだと、考えるだけムダということになりつつあるようです。


 それでもなお、「重量級ズーム機」はかろうじて生き残っているようです。やはり「カメラらしい」存在感、操作感、「持ってる」満足度というのもあるのでしょう。逆に、コンデジだけではなく、デジイチ=デジタル一眼レフカメラの方が絶滅に近いようなのです。やはり、かっての「予言」は当たりそうなのですな、悔しいことに。
 「ミラーレスシフト」のN社の宣言が象徴するように、デジイチのラインナップを揃えておくことが、各メーカーにあまりに重い、またユーザーの懐にも手元にも重い、どうせなら「みらあれす」機のラインにシフトした方がまだまし、そういった判断なのでしょう。実際、近頃はみらあれす機を抱えているマニアックな人たちも見るようになりました。そんな余裕のない私は、日頃は「高級コンデジ」で満足し、いざと出かけるときには懸命に、重量級ズーム機やデジイチを抱えて参っております。重いなあ。





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