三井の、なんのたしにもならないお話 その二十五

(2009.7オリジナル作成/2024.3サーバー移行)


 
 
ああ一眼デジカメ

(2012年の慨嘆+α付)


 先に記したように、日進月歩のデジカメ新製品開発競争により、ついにえらいことになってきました。


 「デジイチ」と自称し、それどころかマスコミによっては、「新しいコンセプトのデジタル一眼レフ登場」などの記事、紹介を受ける新製品が注目を浴びております。

 マスコミのお馬鹿な人たちは、「一眼レフ」って何、なんて考えもしないのでしょう。しかしそのへんの混乱、混同を狙ったような、メーカーO社の戦略は、「うーん、どうなんでしょうね」と口に出さざるを得ないものです。もちろんこの新製品は「一眼レフ」ではありません。だいたい、以前にも書いたように、もはや「一眼」の表現は意味を失っています。むしろ「一眼レフ」ではないほとんどのデジカメは、撮影レンズを通して受像素子がとらえた画像をそのまま液晶画面に映し出し、それを撮る人は見ているという意味で、すべて「一眼カメラ」なのです。別に「ファインダー」がついているというカメラは、「一眼レフ」以外絶滅に瀕していますから、いま、ことさらに「一眼」と称するのは、「一眼レフ」ではない場合、ちょっとトリッキーとせざるを得ません。

 おそらく、(ものを知らないマスコミのひとだけでなく)ほとんどのひと、カメラの販売店店員や「評論家」等々に至るまで、この矛盾の唯一の逃げ道として、「ともかくレンズ交換できるんですよ」、これまでの一眼レフ同様の使い方ができるんです、そこがコンデジやハイデジとも違いますと説明を試みるのでしょう。でもこれも論理的にはインチキです。おおむかしには一眼レフでレンズ固定というものもあったし、デジタルカメラ黎明期にも、一眼で大型ズームレンズ固定という製品も出ました(それを出したのもO社だったんですが)。レンズ交換は「一眼の証明」じゃありません。もちろんご存じのように、「レンズ交換できる」けど、「一眼」じゃない、レンジファインダー使用のデジカメも、E社やL社から出ています。


 まあしかし、「イチガン」という言葉がこれだけ意味を失ってしまうと、逆に「レンズ交換可能」、「高級」のイメージの代名詞にすり替えられるというのも、ありうる「言語社会学」の世界ではあります。カメラをお持ちのひとの99.9%は、「イチガン」「一眼レフ」とはなんぞや、なんて難しいことは考える気もなく、「高そうなカメラ」「マニアやプロが使っているの」、そして「いろんなレンズをとっかえひっかえする」くらいにしか思わなかったでしょうから。逆に、「定義」と「原理」にこだわって、これはこれから、「レンズ交換式デジカメ」と呼ぶことにしようなんて、きょうびのメーカーが逆立ちしてでも考えるわけありません。かつての「スチルビデオカメラ」(つまり、「画面が動かないビデオカメラ」)の命名の大失敗の教訓は関係者みなさん、骨身に染みていましょうし。

 「イチガン」はなんで「一眼」なの?ということを今さらくどくど書く必要もないのですが、「レフレックスファインダー」の考え方自体は非常に古いものです。ただ、そのうちから「二眼」(つまり、撮影レンズのほかにファインダー用のレンズ系があり、それを通した画像をミラーで反射してスクリーン上で見る)と「一眼」(撮影レンズのみがあって、その画像をミラーで映している)が派生分化し、どっちかと言えば「二眼レフ」の方が大いに普及、戦後二〇年くらいはカメラを代表していました。その後、ペンタプリズムやクイックリターンミラー、自動絞りメカなどを備えた「一眼レフ」が大いにのし、レンズ交換時の利をてこに「高級カメラ」の地位を確立、「あこがれのシンボル」と化していった、だかこそあえて「一眼」を強調した、それだからまた「イチガン」の呼称にはいまも魔力がある、そんなとこでしょうか。




 それでも先にも書いたように、この新発想新規格のデジカメ群第一号を出したP社は、なんか中途半端に「デジイチ」風の外見にこだわりました。実際には「一眼レフ」じゃないんですが、うえにEVファインダーがついていて、ちょっと見には一眼レフそっくりです。操作もそれに準じています。こういったのを見た多くの人が、レンズ交換だけじゃなく、「デジイチ」の小型なんだろと信じるのも無理からぬところです。おまけに、「ミラーレス化」で小型コンパクト化を実現しましたって、「レフ」じゃないんだからミラーがないのは当然だろ、これはむしろP社のハイデジ、FZシリーズのようなのをレンズ交換化したということじゃないか、マニアはそう考えますが、まあそこんとこは勢いでいってしまいました。


 O社はそのへん、老舗のカメラ専業メーカーとして、確信犯的にいったわけです。フィルム時代から長年、「一眼レフ」づくりに専念してきた企業は、さすがに「レフ」でないものを「一眼レフ」と名乗るというようなインチキ自体は慎重に避け、さらにデザインも「一眼レフ」とは決別、明らかにコンデジの延長上にしました。ファインダーのたぐいは一切なし、見るのはコンデジ同様にうしろの液晶画面だけに徹底しました。ですから外見的には、N社、C社、P社などの「高級コンデジ」に近いものです。唯一の違いは、レンズ交換式というだけです。

 ですから広告や紹介記事でも、店頭でも大混乱、この新製品の名称は、「レンズ交換式デジカメ」(やっぱし)、「マイクロ一眼」(メーカーはそう称しているらしい)、「デジタル一眼カメラ」、「デジイチ」、ひどいのになると、堂々「デジタル一眼レフ」とまで書かれています(どこに「レフ」があるんだい?)。いやはや、です。

 まあ、レンズ交換と一眼レフファインダーというのは元来つよく関わっていたのですから(ほかのは異なる画角のレンズに対し、ファインダーを交換するか、せいぜいファインダー内の撮影範囲マークを変えるくらいしか対応できない、それではまた、レンズ交換の意味が撮影の際に発揮できない)、レンズ交換式=「イチガン」と言い張るのも、液晶画面には交換されたレンズごとにそれを通した画像がそのまま見られるという意味では、あながち無理ではないかも知れません。しかしO社はこの辺でむなしい論争をするより、もう一つのキャッチコピーを前面に押し出しました。そうです、「ペン」です。


 この新製品戦略は大成功を収めました(と、少なくともいまのところ、私は思います)。「PEN」の文字は、いっぺんに多くのオールドファンの思いを呼び覚ましました。実際にカメラ店の店頭を見ると、私よりもうえと思われる方々が次々見本を手にしています。興味津々、懐かしさと好奇心が混じった表情がうかがえます。「ペン」は麻薬のような作用を及ぼし、もちろんメディアのうえでの話題性づくりにも大いに貢献しました。大成功です。確かに、デジカメの時代になだれ打つ業界に違和感覚えていた、あるいは乗り遅れたオールドカメラ世代をして、ここに引きよせる力を発揮したのなら、それは「需要掘り起こし」の偉大な成果とすることもできましょう。

 この「ペン」という名称も、O社の企業イメージと切っても切れない関係にある反面、O社のかつての製品群となんの関連性もないのが実態です。「ペンカメラ」シリーズは、35mmハーフサイズ、コンパクトボディ、基本的にマニュアル操作、それでもよく撮れるということで一世を風靡しました(のちにはAE化もしましたが、距離あわせは基本的に、固定か目測のままでした)。一本のフィルムで倍撮れるというのも、フィルムが高かった当時には魅力でした。さらにO社は画期的な、ハーフサイズ一眼レフである「ペンF」も世に出し、マニア性を大いにくすぐりましたが、当時はあまり売れなかったようです。いまでは中古市場の人気商品のひとつです。これらと、この「PEN」二世とは、「カメラである」ということ以外にほとんど共通項はないのですが、せいぜい「ペンF」と外形の大きさや感覚がちょっと似ているというくらいなのですが、ネーミングほど恐いものはありません。

 「PEN」二世が初代とほとんど共通項はないと言い切れば、それはちょっと言いすぎにも聞こえるかも知れません。でも、いま世に出ているコンデジは大半が、露出も距離あわせもすべて自動、構えてシャッターを押せば撮れる、ストロボもついているというシンプルさが売りなので、「ペン」のコンセプトはもうどこにでもあふれているわけです(こんどの「PEN」二世は逆にストロボをつけていないんだそうですけど、そこだけ「原点回帰」というのも、いかがなものか)。ですから、「レンズ交換可能」「いろいろいじれる」の高級感と、「PEN」のネーミングの持つシンプルなコンセプトはぜんぜん調和していないはずなのですが、それがそれで「いっちゃった」のは今後の重要な研究課題かも知れません(多くの人の記憶に、「ペンF」のユニークさが染みついているとも思えないので)。




 私はO社の悪口を言ったり、足をひっぱたりしたいのではまったくありません。何を隠そう、私はO社製品の50年来のユーザーなのです。もちろん、幼かりし頃にペンを買えた訳じゃないので、父が持っていたのを、いろんなところに持ち出していたわけです。これはペンカメラのうちでも比較的あとの方の、露出計を備えたのでしたが、あくまで手動設定、距離あわせは目測ヤマカン一本、それでも結構撮れていたので、AFっていうのは意外にインチキくさいのかも知れません。

 このペンはすでにありませんが、O社との縁は切れず、のちには一眼レフOMを買いました。なんといっても、小ささが魅力でした。もっともこれは買った当時、どうも露出がオーバーになるので、メーカーのサービスに持ち込んだら内蔵露出計の設定が狂っているのが判明、まあけちもつきます。

 このOMはひとに譲り、のちに「水没」の悲運をたどったようです。その代わりになったのは、「連れ合い」の持っていたOMのAE機でした。たまたまのことですが、当時はOMシリーズには相当の人気があったですね。さらにずっとあとには、OMシリーズのレンズなど生かすために、OM2000などという珍機も買いました。これは知る人ぞ知る、CO社製のOEM機で、まあ感激するほどのじゃなかったですが、安かったです。ロンドンにも持っていきました。珍機ナンバーツーのXAというのも、ペンのお返しじゃないが、父と妹のために買いましたが、見かけのかっこよさ、スマートさとは裏腹に、写りは感心しませんでしたな。


 フィルムカメラの斜陽期、またデジカメへの移行期、あんまりカメラを買うこともなかったのですが、デジイチ第一号で買ったのがまたもやO社製でした。当時のO社は、一眼レフのAF化と悪戦苦闘し、一時はOMシリーズ伝統の規格を放棄、さらにその流れをデジカメにも受け継ぎ、レンズ固定のデジイチだとか、いろいろ不思議なものを出して、苦戦中でした(要するに、レンズ交換式のままAF化をすると、以前のマウント規格などすべて放棄せざるを得ず、新規格への移行とラインアップ整備の代わりに、レンズ固定・ハイズーム化に賭けようとしたのでしょう。「レンズ交換式」ののろいでしょうか、交換レンズを含めた「システムカメラ」として、多くのパーツ・コンポーネンツ、アダプタ類をフルラインそろえるのは大変なことです。それが市場シェアの大きなメーカーならまだ採算がとれるものの、O社あたりには苦難のことだったでしょう。だから多くの中堅メーカーがこの間に市場から脱落していったのですが)。そのへんのポリシーを整理再編し、P社などとのアライアンスでデジイチの新規格新マウントに移行した、この流れで出したデジタル一眼レフ製品群があまり売れずにいた、それが私がO社のEシリーズを買ったいちばんの理由でした。つまり、「安売り」していたので買ったんです。あんまりほかの点も意識をしないで。

 またもやたどり着いたO社製品、もちろんそれはOMシリーズのレンズも使えないことはない、という判断もなきにしもあらずだったのですが、正直にはこのE300というカメラはちょっと暴れ馬みたいで、デジイチ入門編としてはやっかいなものではありました。でも以前にも書いたように、ほかのデジカメに勝る、デジイチの良さはいろいろ経験理解できました。いまはこれもひとに譲ってしまいましたが。



 「ペン二世」を称するのなら、このE300じゃないのか、というのはよくマニアの言うところです。E300というのは本体うえにペンタプリズムファインダーが張り出しておらず、そのかわりに、ボディーのヨコにプリズム部分(ポロプリズム)を組み込み、ミラーはヨコを向き、上下ではなく左右に動くというメカ、これはハーフサイズ一眼、ペンFの構造そのものだったのです。ただ、画面が縦長のハーフサイズじゃないせいか、コンパクト化を生み出す仕組みにならず、むしろデジイチとしては大きめの図体など、どうもO社らしさを発揮できない製品でした。だから売れなかったんでしょう(この原理のボディは、P社やOEM供給先のL社のものとしてもありますが)。

 のちにO社は原点回帰し、ともかく「コンパクトにする」ことにつとめ、デジイチ「世界最小!」を売りにするEシリーズ製品も手がけるようになりました。これには私もまた飛びつきました。実際、これにパンケーキレンズを着けた状態ですと、誰もデジイチだと信じてくれません。そういった小ささ、軽さ、軽便さは私はカメラのひとつのいき方と信じていますので、O社にはこの路線をいつまでも守っていってほしいものです。



 ただ、私はO社のカメラの「写り」には疑問があります。どっちかと言えばソフトタッチで、色のコントラストやボケなどもあまり強調せず、どのカメラ、どのレンズでもその傾向があるので、同社の基本的な理念なのでしょう。これに比べ、N社のものなどはシャープさ、メリハリを重視しているようで、顔のあばたももろに出る、私はむしろ長年、そちらにあこがれていました(兄はN社カメラを持っていたから)。このごろは私でさえ、N社のデジイチから、オールドなフィルム一眼レフなども手にでき(フィルムカメラはいまはめちゃ安ですし)、そのへんは満足できるようになりましたが、だからといっても、O社製品のメリットや味わいも捨てがたいものがあると感じています。なにより、「小ささ志向」は絶対重要です。O社には今後とも、ぜひがんばっていってほしいのです。N社やC社のような巨艦、あるいは家電系から参入してきたP社やS社などだけじゃなく、カメラ専業(医療器など、ほかの光学機器でいまは稼いでいるわけですが)メーカーとしてのO社の存在は、独自の製品ポリシーと技術志向を考えれば、非常に価値あるものと思います。


 O社におけるペンカメラ、ペンF、OMシリーズなどを生み出した天才技術者、米谷美久氏の訃報をちょうど読みました。同氏の回顧や座談などをこれまで多く目にしてきましたが、常に「ほかと違う」発想、目標、ユニークなメカなどを生み出してきた米谷氏が最後に、「PEN」二世の登場と成功を確かめながら去っていったということは、なにか幸いでもあったような気もします。うえに書いたように、デジカメとしてのあり方と、ネーミングとの間にギャップも感じられますが、基本的には米谷氏が残してくれた貴重な遺産あっての今日でしょう。O社のいまの「売り方」にあざとさも否定できないものの、それで同社ががんばり続けられるものであれば、これも「あり」でしょうか。技術的にも営業的にも、O社の存在意義はこれからも確かなものであってほしいものです。
 でも、これで本来の「デジイチ」(digital SLR cameraデジタル一眼レフレックスカメラ)の存在理由もかたちもひっくり返ってしまうことになるのなら、そちらもちょっと困ったものなのですが。






 米谷氏は、いまでは少なくなった「カリスマ的開発技術者」だったのでしょう。個々の部分や機能などをおおぜいで開発分担し、それがやがて集められてひとつの製品になるというのではなく、製品の基本的なコンセプトからはじまり、その市場性やユーザーの手元での動きまでを視野に入れながら、必要な構造や機能を考え出し、それを「売れる製品」にできるまで、素材や加工組み立て方法までにも工夫と試作を重ね、完成品としての「巣立ち」にまで責任を持つ、もちろんその間に必要な各技術担当者や部門、設計者らと十分やりとりし、なおかつひとつのコンセプトとデザインのうちにまとめあげていく、こうしたことをほとんど一人で成し遂げられたわけです。米谷氏の生み出した新製品には、ただ「小さい」だけじゃなく、「TTLダイレクト測光」など、当時にはまだ他に例のなかった新技術も積極的に取り入れられていました。

 かつてカメラはメカニズム+箱と、光学系の技術の複合物でした。そして1980年代までの進歩は、光学系を別とすれば、メカの発展、箱やメカ素材へのプラスチックなどの採用と加工組み立て方法のコストダウンに主にあったと言えましょう。とりわけそのメカには、電気電子系の技術が次第に入り込み、かつての原始的な時代には想像もつかないほど、自動化された光量測定や露出制御、電気的動作が加わっていき、そしてついにはカメラの難題だったピント合わせもAF化につき進んだわけです。

 光学系はそう一挙に変わるものではありませんでしたが、原料素材と融解造形方法の進歩に加え、コンピュータ利用による光学系設計、自動制御機器での形状加工などのおかげで、以前は想像できなかったようなパフォーマンスと精度を誇れるものが作られるようになりました。その最たるものがズームレンズでしょう。ただ、光学系は相当に限られた技術分野なので、カメラメーカーがすべて自社で手がけていたわけではなく、光学系専業メーカーへの製造委託や開発協力が多く見られました。カメラメーカーは主に箱とメカに注力していました。

 しかしデジカメ時代は、光学系、メカ系に加えて、電子・IT系の技術の役割を一気に広げました。これがために、世界の多くのところで、従来のカメラメーカーが脱落撤退する、あるいは電子・IT系技術を有するところへの生産委託やOEM供給に依存するという選択を迫られる事態になったわけです。撮像素子を含めた高度高精密な電子系機能と、メカも含めてこれらを制御し、受信した画像データを加工記録できるIT系の技術は、もはや従来のカメラメーカー単独では容易に対処しがたいものになりました(いまではジョーダンにしか思えませんが、かつて内蔵電気露出計を利用した露出制御が広まりだしたころ、カメラメーカーが編み出した「工夫」は、露出計のメーターの針の動きを別のカムで「押さえ込み」、その位置で絞り羽根が止まるという、すばらしいメカの利用でした。電気系なしの「電子制御」です)。

 こうした壁を越えて、N社やC社のような有力カメラメーカーが勝ち残っており、あるいはまた、Mi社のように単独での生き残りを断念し、カメラ製造部門を大手電子機器メーカーS社に譲渡するといった経過になったわけですが、O社がそれでも生き残っているのは、かなり奇跡に近いものがあります。もちろんうえに見たように、O社はP社、あるいはL社などとの連携と同盟によって、存続の条件を確保してきたのでしょう。電気・電子・IT系の大物P社、光学系の世界の老舗L社と、ユニークなカメラメカで知られたO社(もちろん、独自の光学系部門も擁しているのですが)の連携は、象徴的でさえあります。


 ただ、こうした時代にあっては、一方では生き残った日本メーカーの強さはもはや確固たるものがあります。欧米企業で、光学系・メカ系・電子IT系の3技術をそろえ、(プロユースなどの一部分野以外)一般市場で売れるデジカメを自前で作り続けようとする企業はもはやほとんどありません。欧米メーカーのブランドで出されている製品も、よく見れば、P社、F社などの日本企業の影が見え隠れしています。多くの市場で日本企業に伍している韓国メーカーも、デジカメについては早々に、ほとんどあきらめてしまいました。いまの時点で、日本メーカーに勝てる製品を市場に出すのは無理と見たからです。もちろんその日本メーカーも、量産は中国、タイ、ベトナムなどで行っているのが現実ですが、少なくとも製品の構想、開発は日本以外ではまずできない状況で、この事態はあと10年くらいは大きく変わることはないでしょう。それだけ、この3拍子そろえた力はいま強いのです。

 この日本メーカーの優位は、絶えず新製品を市場に送り続けられる、大変な開発力の集中投入にあることは明らかですが、しかしまた、かつての米谷氏のような「カリスマ技術者」個人、その顔と個性が製品にあふれているような姿はもはやないだろうとも予感させます。そのため、結局ごく一部の製品を除いては、どのメーカーの製品でも横並びで似ている、その中で「画素数競争」だの、「手ぶれ防止機能」装備だので競い合っている、あえて言えば「おもしろみのない」競争の時代に一挙に入ってしまったという観はぬぐえません。どこのメーカーのどの機種を買っても、まず当たり外れはない、誰でも「それなりに」よく撮れるというありがたい時代ではあるものの、あっと言わせるような新発想には出会えそうにもありません。いまの時代、米谷氏であっても、光学系もメカ系もIT系も何でもござれで、それ全部消化応用しながら、新発想新機軸、独自技術の「カメラ」を世に送るというのはおそらくできないことでしょう。


 米谷氏が、「PEN」二世の登場のみを目にしながら、静かに去っていったのは、あまりに象徴的なまでに時代の変化を感じさせる出来事でした。



誰も知らないカメラ? −2012年の光景

 以来既に2年近く、もう「ミラーレス」だか「デジイチ」だか全盛で、今さら「イチガンなんて?」と疑問を呈する人すらいなくなり、N社やF社も相次いで追随、すっかり影が薄いのはホントの「デジタル一眼レフカメラ」と申したいところですが、幸か不幸か、なんとか頑張っているようです。しかしまた、P社やO社はもうこればっかし化していることも事実でしょう。

 そのうちでも、O社は「虚業」の部分で傾き、もうニュースと言えば粉飾と内紛と「損切り」違法行為暴露の数々のみ、栄光のカメラ・総合光学医療機器メーカーの面影いまいずこです。それでもなんとか生き残っているのは奇蹟に近いものです。
 そのO社が、あまりに「画に描いたような」ブランド価値の30年前レトロスペクティブだかリバイバルと申すべきか、はたまた「遺跡発掘」の見本のような「OM復活!!!」一直線にはもう爆笑と言うより、脱力感のみです。外観だけ「OMみたい」な三角屋根とは、確かに発想の大転換ではありましょう。


 ともあれ、O社がこの「錯覚商法」で生き残れるのであれば、これ以上余計なことは申さず、健闘をひたすら祈るのみであります。それより、びっくりな出来事を偶然発見してしまいました。



 2012年前半公開の松竹映画『わが母の記』というのを見ていたら、ご存じの方も少なくないでしょうが、このなかで主人公の三女・カメラマン志望の琴子が持ち歩き、作家の父親を撮りまくったりするのがなんとPenFなのです。これは、スポンサーにO社が入っている、さらにこの役を演じた宮崎あおいがO社のメインCMキャラクターということを考えれば、いかにもの形ではありますが、もちろん監督やデザイナーは「時代の雰囲気を出そうとした」と言うことで"自然な"演出の一部でもありましょう。

 しかし、私は爆笑してしまいました。PenFで、暗い伊豆の渓流沿いに歩く父のスナップを連写するというのは相当無理、というだけではありません。外でも室内でも、クローズアップでも何でも、あおい嬢は終始このカメラを「横に」構えてシャッターを押していたのです。これは、演じるあおい嬢はもとより、現場のスタッフ誰一人、ハーフサイズカメラというのをいじるどころか、触ったことさえないというのを証明してしまっています。ハーフサイズカメラは35mmフィルムを通常のライカサイズの半分にし、倍撮れるようにしたもので、そのために横に流すフィルムのなかに縦長のコマを刻んでいくことになってしまいます。だから、シネカメラじゃないハーフ・Penで「普通の」パースペクティブの画面で撮ろうとしたら、カメラを縦位置に持たなければならなかったのです。
 幼かりし日に、PenFじゃないけれどPenカメラを使っていた私としては、この感覚がいまも手に残っています。ただ、元来横長のカメラを縦に構えるのはやはり不自然かつ不便で、これが遂にハーフサイズカメラを駆逐してしまう原因にもなったと申せましょう(はじめはフィルムが倍使えるというのが売りだったけれど、フィルムの値はどんどん下がり、メリットではなくなってしまった)。もちろん、フィルムの粒子荒れなど倍になるというのも敬遠されました。それなのに、あおい嬢がフツーの「横長の」画面を撮ろうとしているところは一切なかったのです。「縦長」構図で押すというのはそれなりに新鮮な感覚もあるのですが、便利とも申せません。まして、カメラマン志望のあおい嬢が全然意識もしないというのはあり得ないことでしょう。

 それだけでなく、当時からのカメラを構える「鉄則」をなにも考えもせず、お気軽に撮りまくるのは完全にデジカメ的扱いで、ああ彼女はカメラのCMをやっていても、じっくり写真を撮ったことはないのだな、そして監督以下まわりのスタッフも、ともかく「カメラを持って、ピントリングを回しながら覗いて、シャッターを押し、トリガーレバーで巻き上げて」とやってくれればOKとしてしまったのだな、とわかります。あるいはO社のスタッフが「貴重品的」PenFの貸し出しとサポートのために撮影現場に入っていた可能性もありますが、それも全く「ダメだし」しなかったのでしょう。まあ、AF扱いしないでちゃんとピント合わせしていただけでもまだましなのでしょうが、適正露出を考える様子も、もちろん露出計を覗くこともありませんでした。PenFは「自動露出」じゃなかったんだよ。


 私はいま、ハーフサイズカメラは持っていないし、今さら使うこともないでしょうが、ただブローニーカメラを使うことはあります。デジカメなどに慣れきってしまうと、ブローニーフィルム横方向流しでセミ版サイズのを持った際に、いきなり縦長画面で戸惑う思いをするのは否定できません。慣れは恐ろしいものです。もっとひどくは、6×6版カメラで、ふとアングルを変えようとしたりするんですな。そういうわけなので、終始PenFを「フツーに構える」あおい嬢にはため息が出ました。まったくもって、「昭和は遠くなりにけり」です。



え?え!?

 そしたら、おもしろいことがおこったですね。

 O社OMなんとか機のTVCM(2012年7月放映)、くだんのあおい嬢がこのデジカメを真っ正面に向けて、というのに、なんとガッチリ縦位置構えで迫っているじゃないですか。その構えで押しまくっているんで、いかにも「ワタシ、撮ってますよ」という台詞も聞こえてきそうです。「縦長」画面にこだわりありですと言いたげに。

 まさか、この私めの記したのを読んで、意識したわけじゃないんでしょうけれど。間違いないのは、売る気十分であること。もっとも、R社に吸収されたA社に続き、O社もS社の1部門になりそうですが。



(2024.2)  すでに15年、いまや「デジイチ」は消滅の瀬戸際です。

 大きく重いペンタプリズムやペンタミラーを背負って、フィルムカメラ時代からのメカとボディを抱え込んだ「デジタル一眼レフレックスカメラ」は、つまるところオールドカメラマニアの憧れを刺激する以上の役割を果たせず、いまや消えゆく運命と定まりました。

 フィルムカメラだからこそ、こんなミラーメカやプリズムファインダーなどが必要だった訳なので、「常に写っている」レンズからの画像をいま、データ記録するか、ファインダー画像に導くかなんて、本質的意味のないことはどうでもいいデジタルカメラにはカンケーなかったわけです。
 そこに割り込んできた、「ミラーレス」カメラなる、要するにレンズ交換可能デジカメは、圧倒的なつよみを発揮しました。余計なものがないんですから、軽い、構造簡単、操作も楽、てえわけで、ついにニコンもキヤノンもこちらをメインにして、生き残りを図ることに転身を遂げたわけです。ソニーやパナなどは既にそちらに疾走を始めておりました。


 てなわけで、私のようなオールド写真撮りは重くてでかくて、値段も高かったデジタル一眼レフカメラと、交換レンズ群などを抱えて、まさに置いてきぼり、途方に暮れております。

 じゃあ、この際「みらあれす」への転身を図るかい?それはもう、年金生活者の懐が許してくれません。例えば、ニコンの「ミラーレスカメラ」にいまさらシフトするかといったって、取り敢えずは以前からのレンズ群を転用するのでは、「大きく重い」葛籠をそのまんま背負い込むようなことになり、メリットがありません。かといって、それでカメラ本体や新規格のレンズ群を揃えるなんて、そんなおカネはどこにある、です。まさに「詰み」です。

 まあ、大きく重いデジイチだって、コンデジだって、はたまたズーム機だって、撮れるんです、写るんです、そこで満足しようじゃないですか。


*余談ながら、オリンパスカメラ部門はどっかに吸収されるのではなく、「オーエムシステム」の名で独自路線を歩んでいるようです。まあ、その辺にも色気を感じますが、どのみちわが方の余裕はないね。



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