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三井の、なんのたしにもならないお話 その二十七

(2010.4オリジナル作成/2024.3サーバー移行)



 
 
大学教師のお仕事

(2012年大事件版+2015年迫り来る危機/ 2016年コウシ混同事件)



 
 
 「大学教師」って、どんな人間たちでどんな風に毎日すごしてんだろとは、昔から世間の興味の対象でしたし、それなりの想像をかき立てるものであったようです。ひところは、小説やTVドラマの影響で、おおぜいの「弟子」や助手やら秘書を引き連れ君臨し、行くところ「大名行列」のように周囲がひれ伏すなんて、まさしく漫画的な絵が堂々通用していたこともありました。まあ、あえて申せばこれは「大学医学部」の世界でありまして、そこでは今もって「大学教授先生」の権威は相当なものがあり、肩書きほしさの抗争だとか、権力発揮の数々だとか、いまだ的外れでもないもようですが、それ以外ではまったく180度違うのが現実なのです。それでも、どうやら「理工系」では、教授を頂点にした「研究室」や「教室」のヒエラルキーがないこともないようだし、どうも古典的「講座制」の名残は見え隠れしているようです。

 
 しかし、私が経てきたいわゆる「文系」、とりわけ経済とか経営の世界では、そんなもの昔からありませんし、だいたい「秩序」とかヒエラルキーにはなじみようもないところです。世の中、結局決め手は「カネと力」だと思いますが、そんなに左右できるほどのカネに縁がなく、また「力」のふるえるところはほとんどなければ、まあみなさんそれぞれ勝手にやって頂戴で、何もおこらないわけです。それが「産業平和」のコツでしょう。

 
 幸か不幸か、大学教員の最大の特権はやはり「自由さ」にあると思います。「自由」に甘えて、仕事してない、けしからんというような批判の風は昔から厳しいものの、では一般企業のサラリーマン並みにがんじがらめにして下されば、まあ間違いなく学問の進歩は望めないでしょう。いくら「新自由主義」なる不自由の極を強要するイデオロギーが横行しても、そこまでやっちゃあな、という「コンセンサス」はあると思います。もちろんそれも程度問題で、「欧米の大学はもっと厳しい」という風当たりと、大学自身が生き残れるかという「危機」を迎えて、そんなに「楽」でもなくなってきました。カネと力もないのに、「自由」まで取り上げられては、なりたい仕事でもなくなりつつあるとは思います。それでも、前職サラリーマンや公務員であった方々が、やはり大学教員になると、なによりその「自由」がありがたい、なにものにも代えられないとおっしゃいます。会社の都合、上司の目、もの言えば足を引っ張られる寂しさ、なにより「仕事」にふりまわされ、拘束される超長時間勤務の毎日、そういうものには無縁です。

 
 それに、こういう自由のありがたさゆえか、また「大学教授」のカンバンの古典的ありがたみか、どのような世界に生きてきた方々でも、大学教員というのはなってみたい職業であることは否定できないでしょう。「世論」を操作誘導するのがお仕事のマスコミ関係者、評論家、コミック作家、ミュージシャン、スポーツ選手、タレント、果てはお笑いの方々まで、いつかは「大学のセンセイ」と呼ばれたいと考えておられるひとが少なくないようなので、おかげをもって、大学の権威と自由とが維持される、微妙なパラドキシカル均衡と好循環があると思われます。ただ、いまニッポンだけでも「大学教員」の肩書きを有するひとは10万に及ぶと言われます。むかしの何倍増でしょうか。インフレで「権威」は相当怪しくなってきただけじゃなく、単純には「需給関係」のアンバランスの拡大で、「市場価格」は下がる一方です(私は現勤務校に移ってから足かけ10年、給料はまったく上がらないどころか、この2年余は削減のみです)。大学経営の危機あれば、「自由」を謳歌して安住もできなくなってきました。大学自体がつぶれてしまえばまさしく、元も子もないですから。

 
 
 そういうことなので、大学の方も「生き残り策」として、ユーメー人を「採用」する、「大学教授」の肩書きを出して、学生集めの広告塔になっていただく、そうしたこともいまでは日常茶飯事で、たいしたニュースにもならなくなりました。ただ、大学教員の給料が世間相場に比べてそんなにいいわけでもない、それでも先の「自由」との引き替えだと思えば、納得もできる、サラリーマンなどから転じた方々のこれまた共通認識でもあります。ただし、実はきょうびの大学はわずかな給料と引き替えに、かなり怪しい「肩書き」を濫発するようになっており、「特任」「特命」だの、「客員」だのとくっつくと、中には破格の厚遇もあり得ますが、ホントに名前だけ、給料受け取って「一桁違うんじゃないの」と聞きたくなるようなのも多いのです。それで大学の名を売れれば、実に安い広告費です。ぜひ皆様ご注意下さい。


 
 
 その代わりというか当然のことに、こういった「冠詞」がついていると、安い給料の見返りにはほとんど「働かなくてもよい」身分にもなります。これまた「世間」の誤解では、「人気キャスターの○○さんがこのたび△△大学の特任教授に就任、教壇に立つことになった」なんて想像をしますが、基本的に勘違い、その方がチョー多忙の隙を縫って、毎週毎週教室に現れるなんていうことはまずありません。それをあてに入学した学生諸君を失望させること必定です。せいぜい、年に一二度、「特別講義」なんていうので喋る、入学式や卒業式に姿を現す、スポーツ試合の観戦に「サプライズ登場」する、そんなところでしょう。そうでなくっちゃ、そんな薄給でやってらんないよ、まあ当然のことですし、ほとんどの場合には、こうした「名ばかりセンセイ」の処遇は、非常勤講師並みです。非常勤講師と言えば、大学院など終え、若くして容易に常勤職が得られず、講師を掛け持ちなどしながら必死にがんばっている人たちは昔からいたし、私もそういった時代を経てきているわけですが、いまはもう、まさしく「ワーキングプアー」状態です。非常勤の授業を週一回、一ヶ月やったとして、いくらもらえるのか、ちょっと世間の想像を超えています(私はいまも兼業でやってますけどね)。それに比べて、いくらユーメー人でもそんな高いカネを払えるわけはない、これも「制度化された市場」の原理というものです。まあ、「特別講義」などやれば、その分に報酬は出るのかも知れませんが。

 
 ただ、こうした「名ばかりセンセイ」たちが免れている、また実際にふるうことのないものは、実は大学教員の重要職務である、大学運営に関わる仕事です。大学教員たるものは、教育と研究、つまりは授業を持って学生を教える、指導を行う、試験をして採点評価する、これらは当然の責務で、またいちばん世の中に知られていることです。その一方、研究を行うことも大学教員には仕事のうちで、むしろその実績や力を評価され、大学教員に採用されるのが通常です。だから「教育はなおざりにされる」とか、「教育力の乏しいのが教員になり、おかしい」とか、とかく批判もあり、近ごろは大学の教員採用時に教育計画などを出させる、模擬授業をやらせるなども広く行われるようになってきました。なんで「教育と研究」なのかと言えば、最新の研究成果、あるいは少なくとも世界的な研究動向や到達点を踏まえた内容を教育伝授するのが大学である、だいたい教育と研究は単純に分離できず、学生自身も自ら研究する、教員や学生らが一体で研究活動を担う、これが大学の本旨ということになっているからです。まあ、あまりにも建前論、現実の大学の姿はかけ離れてきているそれも否定はできませんが、だからといって大学を小学校中学校と同じにしてしまうのも無理がありましょう(小学校や中学校、また担っている先生方を貶めようというのではありません、それぞれの存在意義、役割があるというのです)。

 
 もちろんその「研究」が、単に個々の教員の「趣味」というわけではなく、結果として、専門性創造性が生かされ、学問全体、社会に大きな利益があるということになっているのですが、そのへんが曖昧じゃないかとか、まったくの自己満足になっているとか、これまた批判の対象にもなります。ここであらためて、「学問論」を繰り広げるつもりもありませんが、そういった「批判」など緊張関係があった方が刺激にはなるのかも知れません。すでに、「研究実績評価」は堂々取り入れられているし、研究にもカネが要るけど、大学はろくにカネも出せないので、「競争的資金」も貰わないとなかなか取り組めないし、その企画や書類づくりやプレゼンやらで年中追われ、おかげで研究やる時間がなくなるし、などなかなか事態は進んでおります。


 
 
 ところが、それじゃあ教育と研究やってればいいのかと言えば、そうじゃないのが大学教員のいまです。もちろんいまに始まったことではありませんが、大学教師がみずから「雑用」と自嘲する、大学運営に関わるもろもろの仕事、これが山のようにあり、しかもどんどん増える一方です。大学というのは、企業や役所のようなピラミッド組織ではなく、しかも「自治」を前提とするから、大学のトップはもとより、多くの役職や諸般のことがらの審議や運営に当たる組織などを基本的に教員が構成し、また重要な意思決定は教員の総意を代表する機関で手続きを踏まなければなりません。それを代表するのが「教授会」ですが、いまからウン十年前には、学生らの「構成員」を無視した閉鎖的な「教授会自治」の限界、身分的「自己保身性」などがマスコミ等から攻撃を浴びました。いまは、いかにして「自治」を奪うか、教員の意思など無視して、「設置者」=政府、知事、市長ら、さらには「財界」の「任命制」、「上意下達」にするか、マスコミなどあげて尽力をしております。「社長を社員が選ぶ会社はない」、「方針を決めるのは株主総会、重役会で、社員総会などない」というのがその錦の御旗です(ちなみに、そういった「市長支配」のもとに置かれた某大学で任命された学長は、学長を学内の選挙で選ぶなどというのはけしからん、そういうことをすると学内の諸勢力の利害をめぐる争いになるからとのたまいました。つまり、「先進社会」は超越的指導者の「独裁制」になるのがもっとも正しいのです。もっともこの学長、職を突然投げ出してどっかにいっちゃいましたけど、そしてその市長も同じ道を歩みましたけど、任命制ってなかなか大変ですね)。

 
 たとえ面倒でも、時間がかかっても、大学の自治を維持していくことが、私は学問の府である大学の欠かせない条件だと思います。確かに少なくない欧米の大学は、日本よりずっと教員単独の自治権が抑えられ、経営主体が重要なことを決め、動かすようになってきていることは否定できないと思うのですが、それでも、教育研究の諸事や教員人事などについては教授会自治が依然生きています。それを否定したら、もう大学は大学であることをやめてしまいます。学問の進歩は終わってしまいます。それとも、旧ソ連のように、国家と党官僚が介入支配する社会と大学が、いまさら理想なんでしょうか。

 
 
 ただ、大学教員にとってはそこはジレンマです。重要なことの意思決定や認定(学生の入学、卒業修了をはじめとする)に責任を有するのは当然と思うけど、あとは関わりないこってでは済みません。まさしく「雑用」に至るまで、みんな責任を分担しなければならないのです。大学は、学生まで入れれば万余の人間が構成する巨大組織ですから、運営に関わる仕事は莫大なものがあります。もちろん、それを職務分掌する「職員」という方々が相当数いるわけですが、大学自治のおかげで、いろんな仕事に関わる方針の決定承認、あるいは生じた問題への対処などは、大学教員が構成する各委員会や審議機関の議を経て、さらに責任ある議決機関、教授会や大学評議会などの決定を待たねばなりません。そのための会議などが山のようにあるだけじゃなく、決まったからあとは「よきにはからえ」では済まない、教員自身も仕事を直接分担しなければならないことも多々あります。たとえば、あとで詳しく書くように、私はこの2年間、所属部局での「末端管理職」的な仕事をしましたが、その関係で、学生に関わる諸問題を扱う厚生委員会という組織の委員をせねばなりませんでした(昔でなら「学生部委員会」というところだが、そういった「管理」や「取り締まり」的な色彩はなくしたよう)。多くは関連事項の審議でしたが、これもウン十年前からの名残で、大学祭の際の「パトロール」もやりました。何か問題が生じてないか、特に事件事故などないか、確認をして回るわけです。この頃のことですから、まあなにごともないので、かなり形式化しておりますものの、このような場「現場」に加わるのも、私にもいい経験、勉強ではあります。

 
 大学祭パトロールのごとき仕事をするのは、私は決して時間の無駄とは思わないのですが、会議や「現場」以外にも、実に多くの書類づくりやら、そのための相談やらもあります。判子押すのもずいぶんあります。管理職なら、否応なくそれらが押し寄せてきます。ひとによっては、そんなこと大学教員のやることじゃないと思われているかも知れません。しかし、誰かがやらないと物事が止まってしまいます。


 
 
 それでも、私がやった末端管理職(正式には「専攻長」と言う)の仕事などたかが知れてはいます。私でもつとまったのですから、わかるでしょう(「つとまった」なんて言わせないぞと、怒られるかも)。なにより大変なのは、部局長という立場です。「部局」という概念は説明を要します(私も国立大学に移って初めて知った)。平たく言えば「学部」なのですが、これが教育研究等の自治の基礎単位であるとともに、予算が来る単位でもあるのです。以前の国家公務員時代には、事実上「大学」という単位は存在せず、部局があらゆることに対応していました。いまは「独法化」のおかげでかなり変わってきているものの、まさしく学部自治がすべてであったのです。その長、つまり学部長といった立場になると大変なことになります。ヒトモノカネすべてに責任を持つし、また部局を代表して出ねばならない会議などは天文学的な数になるし、儀式に至るまで対外・対内的にお役を務めるのは部局長しかいません。こんな職に就けば、自分の時間のほとんどは部局長職のためにあてねばならず、それに関わるもろもろのことに四六時中「打ち合わせ」や会合を持ち、またひとり頭を悩ませ、思索検討をしていなければなりません。「平時」ならば、かなりルーティン化した仕事を、事務職員の方々のサポートのもとで無難にこなしていればいいのかも知れませんが、いまはそれどころじゃなく、絶えず難題難問が降りかかって来るのが世の常です。

 
 私は末端管理職として、所属部局長であるA先生におつきあいをしてきましたが、A先生は部局長二期目、つまり2010年度まで4年間もこの仕事をされました。もう見上げたと申すより、ひたすら頭が下がるのみです。私のような者が身近で足を引っ張るのですから、なおさらのことだったでしょう(私の任期中での、うえの厚生委員会最大の論点は、「大学祭における禁酒」問題でした。今さら大学はなに言っているんだという観はぬぐえませんが、それも現実なのです。ただ、この件を持ち帰ると、部局長のA先生の激怒を買うのには参りました。そんなことしかできない大学のありさまに、「学生を大人として育てよ」とするA先生の信念がまるでそぐわないのは、私にだってもちろんわかるんですが)。

 
 
 学部長などはまだいい、学長ともなると、もう研究も教育もなし、学長であるということのみが仕事のすべてになってしまいましょう。私の勤務先大学の現在の学長は、「同じシマ」出身のS先生です。部局長をつとめられたのち、いまはほかのことを「卒業」し、学長業のみに日々専念されています。私などには、逆立ちしてもどころか、7回くらい生まれ変わっても絶対にできないでしょう。

 
 S先生はこの難職激務を悠々とこなされているようですが、世の中には学長、なんとか長というような仕事に貢献されるひとが必ずしも珍しくありません。そういう方々がいるから世の中も大学もなんとかもっているわけですが、それにしても、です。大手企業の社長のように、ウン億円もの報酬がもらえる、相当の社長交際費がある訳じゃなく、お役所の幹部のように、退職後の天下り先が保証されるわけでもなく、そこまで尽力傾注される方々のお気持ちはいかばかりのものか、一度伺いたいものです。大学を代表する方ですから、人格、学問、信念信条、社会的影響力、ひとづきあい、指導力管理能力あらゆる点に秀で、また大学内の信頼を得られるひとであることはもちろん間違いありません。


 
 
 なぜか、私の関わる分野の研究者には、こういった学長という職をつとめられた方が少なくないのです。日本中小企業学会の創始者、山中篤太郎先生は一橋大学学長を務められました。学界の重鎮を担ってこられた、田杉競、小林靖雄、水野武、小川英次、村上敦、佐藤芳雄、鈴木安昭といった各先生方は学長職でも世に貢献をされています。少し肌合いは違うけど、中村秀一郎、清成忠男といった先生方もやはり学長を務められました。特に小川先生は中京大学学長としてまさしく中興の祖となり、同大学の発展の基礎を築きました。清成先生の法政大学総長としての手腕はもう語りぐさです。佐藤先生は新設大学学長の激務ゆえに、命を縮めたのではないかと悔やまれるところです。このほか、副学長レベルとなるともう枚挙にいとまがありません(部局長レベルの仕事を経験した同輩は当然のように少なからずいることにはたびたび驚嘆させられてきました)。

*小川先生は2011年度から中京大学の母体法人の理事長を務められるということ、もう頭が下がる域を超えています。

 
 実は、私と同年代の畏友、濱田康行氏が2010年春から地元の大学の学長に就任されました。まだ定年前であったと思いますので、よほどの決断だったのでしょう。いよいよそういったひとが周りにも出てきたわけです。ただ敬服のほかありません。

 
 私は、自分の資質や能力その他を全部割り引いても、こういった要職がどうにも合わないと思うのは、まさに「自由」を捨てることになるのでは、という点です。せっかくの大学教員の特権をむざむざ手放す、それ自体残念至極と思うし、なにより、毎日の予定を秘書やら担当係やらによって分刻みで管理される、そういうのはもう想像するに言葉を失います。自分の時間は自分のものでしょ、そうならなくなったら、なにか生きている意味を半分くらいなくしそうです。

 
 濱田氏は前職のころから「売れっ子」で、私設秘書を抱えておられました。大変に忙しく、日々の予定を秘書から確認している現場をたまたま目撃しました。いろいろな「雑用」を秘書にゆだねることもできそうですが、厳しい「時間管理」のもとに置かれると自分の「自由時間」「秘密の時間」もないじゃないですか。ま、それだからいまさらなんの抵抗もなく学長職を引き受けられたんでしょう。


  
 
 
 私は自分で大学教員という仕事をもう足かけ30年もやりましたので、その特徴などかなりわかっているつもりです。また、実は自分の親が大学教員で、兄もそうであるなど、身近に「ロールモデル」もいるので、はじめからさして違和感はありませんでした。もちろん自分に本当に「向いていた」のかどうか、今もって答えが出せないありさまなのですが。

 いままで書いてきたようなことは、その大学教員という仕事の「コモンキャラクター」を念頭に置いているつもりであるものの、さらに学部長だ学長だということになってくると、これは当然ひとの向き不向きとともに、能力資質、ひいてはそのひとならではの「到達点」なり「評判」なりもつよく関わってくることになります。みんなおんなじ人種ではありません。そこから、いかにもの月並みではありますが、大学教師の「分類学」をすれば、こんなのもあげられましょう。

 
 
a.歴史に名をとどめる「大学者」
 世界の歴史書には必ず名が出る、末代まで記される「大学者」。ノーベル賞とか、そういった栄誉で画期的業績と偉大な地位が示されるが、まあそこまで行くひとの確率は100万分の一くらいで、ほとんどは関係ない。概して「生きた姿」に接したひとは少なく、ご存命でも誰も顔を知らない、声を聞いたことがないとか。

 
b.世に影響力ある「大物先生」
 ノーベル賞まではいかなくても、常日頃、コメントやインタビュー、TV出演などで名前が出、あるいは政界官界言論界等において多くの役職を歴任、知名度名声大なる大物の先生。著作や講演などもいっぱい、ときにはファンクラブや「私塾」までできる。中には、日本での知名度はたいしたことなくても、すでに世界で知られた人もいることはいる。ただ、概して多忙なので、そういった大先生を頼りに門をたたく「弟子入り」志願者は失望させられることもよくある。

 
c.学界の「大先生」
 「大物先生」ほど知名度はないが、特定の専門分野の学界では早くからの権威、おおぜい弟子を世に送り、学会の要職を重ね、その道では誰もが「一目置く」存在。その関係で顔が広く、教育行政、学術・科学技術関連などでも手腕を発揮している。金脈力もあり、いろんなイベントやプロジェクトを立ち上げ、常にその上に君臨している。ただ、私の独断と偏見では、どうして「大先生」になったのか、その原点はある時、「大先生である」とご本人および周りが宣言したことに始まるようである。

 
d.世に知られた「タレント教授」
 世間ではいちばん知られたひと。世の中でうけるのも明らかに一つの秀でた能力だが、概してご本人の学問上の専門とはあまり関係なく、「一芸」の方であることが多い。話のおもしろさ、わかりやすさと、肩書きとは裏腹な芸達者ぶりで、マスコミ関係などでは「インパクトある」のと「使いやすい」のがポイント。このごろはこのルートを逆にたどる人も増えたとか。

 
e.学内関係では辣腕発揮の「学内政治家」
 申し訳ないけど、世間の「知名度」ではそんなに高いとは思われないが、大学内のしくみとノウハウに通じ、人脈豊富で、また学内政治・行政も「雑用」もいとわず、面倒見のいいこと、そつなくなんでもこなすことで諸方面の信頼あついひと。だいたいが「歴史」や「制度」の知識蓄積、「文書」作文につよい。こういうひとががんばってくれないと大学は動きがとれないとも言える。

 
f.学生に大人気の「キンパチ教授」
 大学教員は教育してこそ本懐と、学生には全身全霊で接し、信頼と人気を勝ち得る情熱家。ただ、「教育」の中身が大学と学問に十分接点をもっているのか、要するに、おもしろくて、つきあいがよくて、スポーツに音楽にイベント行事に旅行にと芸達者で、「うける」ことに自由時間の労力とスキルを注いできたんじゃないかとさえ思わせる。面倒見もよく、卒業生や知人人脈などを通じて「就職あっせん」も得意。「人気ゼミ」「人気研究室」ランクの上位に定着し、だからまた「いい学生」が集まるという好循環。そろいのTシャツとか、ゼミの旗とかが継承されているもの。

 
g.専門以外でご活躍の「趣味人」
 若いころは専門の研究でがんばったが、だいぶくたびれたし、もう新しいことに挑戦するほどの体力気力も低下し、むしろ「自由」を生かして、趣味的なことに打ち込み、ときにはそっちで世の知名度が上がったりする多芸な「自由人」。学問は自由だから、それがいけないとは誰も言えないし、集中力と論理力でなかなかの成果をものにしたりすることもある。ただ、大学の中ではあまり見かけず、大学運営の仕事には関心が乏しい。

 
h.誰も知らない分野でなりふり構わず打ち込んでいる「清貧の研究者」
 本当は大学の学問の自由にいちばんふさわしい立場のひと。好きな研究に打ち込める機会と時間を与えられ、こんな幸せなことはないとそれのみに生きている。ただ、今日の細分化した専門領域の中ではごく狭いところに集中しているので、よほどのことがないと「世間」はその存在さえ認めてくれない。おかげで、いつも忙しく、またおカネも名声もない。大学の研究室か、「現場」のフィールドにだいたいこもっている。そうしたひとのもとにつき、情熱と学問の神髄に接するのが、学生にはいちばん幸せなのだが。



【追加】

 あと、昔は「運動家」先生というのもかなりいました。

 「運動家」と言ったって、アスリートということじゃなく、あれこれの「社会運動」に、「大学教授」「学者」といった肩書きでかかわり、運動の高揚に貢献する、講演や会合で活躍する、「ブレーン役」をつとめる、あるいは何かあると「声明」や「アピール」に名を連ね、世に啓発をはかる、そういった方々が以前はずいぶんいました。平和運動、国際交流、公害問題、住民運動、労働運動、法廷闘争などなど、いろいろな機会もあり、もちろん現在もそうした分野で非常に貢献している方々もおられます。

 しかしひところに比べると、あまり聞かなくなった観もあります。それだけ「大学教授」の肩書き権威も落ちてしまい、影響力・インパクト乏しくなったのも、事実としてぬぐえません。その裏返しとして、世の中に「情報」は大いに広まり、「知識人」のご威光が輝くとことも少なくなり、他方では別に「センセイ」の肩書きなくたって、そうした「運動」の中で多くの経験を積み、世に大きな影響力を持てるような方々も増えてきて、そのぶん「センセイ」は要らなくなったとも考えられましょう。また、大学の存続や教育の維持の方がいまや大変、自分たちの足下のことで手一杯、「世の中」に首を突っ込んで悠々としていられる時代でもない、という実感は広くありそうです。そんなことにかかわっているのなら、「本業」の教育と研究しろよ、という世を挙げての非難にこたえるのもむずかしくなりました。税金で生きているのに、権力に逆らうのはけしからんなどという議論さえ堂々ふりまわされるこの頃です。web上では、「反日」のレッテルを貼れば攻撃抹殺できるというファシズム状況がまかりどおっています。多くが首をすくめ、大学の窓からの「扇動者」「抵抗勢力」は絶滅に向かい、マックス・ウェーバー大先生を持ち出すまでもなく、文科省の期待通りです。


 それでも、「社会貢献」も大学教員のつとめとして「評価対象」になる今日ですから、皆さん研究室にこもっているわけじゃありません。自ら商売に精出す方も「公認」となりましたが、あまり成功者はいないでしょう。ただ、うえにあげたようなマスコミや諸方面、お役所などで目立った活躍をして知名度抜群となるのではない場合、「運動」というよりNPOだ、ボランティア組織だ、地域活動だ、協同組合だといった、それぞれの課題に取り組む、個別イシュー型の「活動」に一市民として参加する、肩書きや権威や名前の「ご威光」で君臨するというより、あくまで一担い手に徹する、そういった方々がむしろ多いのかも知れません。近ごろのことですから、そこにある程度の「事業性」を絡めて息長く努力をする、まあその方が望ましい姿かも知れません。「運動家」と言ったって、名前と顔を出すことには努力をしても、時に大演説をぶっても、あとは「よきに計らえ」とお任せしているようなのが、大学教員の仕事なのか、疑問にも思えますし。

 だいたい、「サヨク」運動(昔は「民主運動」なんていう言い方もあったが、いまそんな言葉使うと、政権与党についた某政党の活動と誤解されそう)全般の退潮、世界的なグローバル資本の支配の強化、メディアプロパガンダの圧倒的な普及下には、「知識人」の影響力も乏しいのが否定できず、そんな人たちが何人名前を連ねても大したインパクトもありません。それに代わり、一方では「ブログ知識人」が幅をきかせ、トンデモ論でもなんでもあっという間に広まりますし、他方では依然、権力の側にはせ参じ、選挙に打って出たりする人も大いに目立ちます。ただ、かつて信じられていた「学者センセイ」「(大)知識人」の良識と知性、進歩的見地と抵抗精神を発揮するのではなく、えげつないほどの権力へのすり寄り、シニカルな視点と社会の進歩への蔑視、「大衆啓蒙」ではなく嘲笑を特徴とすることが多いので、まあ「タレント」や「お笑い」や「スポーツ選手」と「センセイ」が横並びになったという時代の進展を示すものではありますが、もはや「運動家」でもないでしょう。時にはそれで大金を懐にも入れられるくらいですから。

 


 
 こんなやばいことを書いてしまうと、今後同僚や知人の皆様から白眼視される、そっぽを向かれるのも避けがたいと覚悟はしておりますし、第一「あんた自身はどれに入るんだ?」と問いただされましょう。おこたえは、私はどうやらそのどれでもない、どれにも入れない、そんなところです。実際に当てはまらないんだから仕方ないですよね。

 こういった単純きわまりない「分類学」には割り切れない、たとえばc.とe.、d.とf.どっちにも入れるというような方も少なくないくらいなので、私のように、どこにも入れてくれないような半端者もいるわけで不思議はないでしょう。大学教員のほんとはh.「清貧の研究者」に近い方々と思うし、私もその仲間に入れてほしいと心では念じているものの、これまた無理そうな観ありです。

 
 私もいまの勤務校での定年まで、あと2年を切りました。悪い仕事でもなかったかな、と思うものの、自分がそれにふさわしい能力と努力を発揮し、成果をあげてこられたのか、これは大いに迷うところです。

 ましてや、「末端管理職」さえ十分つとめられない、いやでたまらないような人間は、もともと「長」とつくようなことには向いていないのだと、これは十分に自覚をしています。たしかに、学会の「長」はしましたが、それも献身的に日常業務を担ってくれる「事務局長」いてのこと、感謝のほかありません。私だけでは学会も崩壊の危機です。もちろん学会としてなすべきことへの私なりの思いはありましたが、やはりどこまで行っても、「長」はごめんです。


 定年間近での自己弁護で言えば、大学教師のはしくれとして、ふさわしい能力と努力を発揮し、成果をあげてこられたか甚だ自信がない代わり、「カネと力」のないことはまちがいなく請け合えます。全然色男でもないのに、なんでこうなのと、まだいくらか欲のあった時代には思いましたが、ここまで来ると、それが私には一番ふさわしいんだなと十分に納得をしております。もちろん別に「リッチな生活」をしたいわけじゃないけど、私の研究教育世界でさえも、やはりカネが要らないわけじゃなく、できれば少しはほしいものです(チャップリンの言う「some money」)。力を持つと、結局大学運営や学内政治、はては世の中で大いに活躍をすることになり、その分当然「自由」を失います。しかたないトレードオフの関係ですね。

 ただ、カネと力がないのは、学生諸君には申し訳ないことです。そうした人たちに苦労をさせる、望む研究などをさせてやれない、これはどうしても避けられません。


 あんまりなんにもありません、できませんなどと記すと、それこそ「○○じゃないか」と思われそうなので、一つだけ、「いまにして」これはまあ並みにはこなせるかな、というのが、もろもろ座長役・まとめ役です(ただし、基本的に大学のそとで)。そういう仕事を頼まれるままにずいぶんやってきた経験がありますが、ほぼ無難にこなせてきたように自分では思っております。それも、だいたい「事務局」サイドがしっかりしていて、きちんとお膳立てしてくれる、それに担がれてのことでしかないので、なんの自慢にもならないことも事実ですが、司会進行とまとめということでは、「それなりに」丸く収めるのは意外なくらいうまくいってきたような気がします。そんな程度で喜んでいるだけ浅はかでもあるものの、まあへたに「大物」や「大先生」を担ぐと、個性を発揮されすぎてえらいことになる例も少なくない、あるいはヘタするとチョー多忙すぎてほとんど動いてくれないようなので、それよりはましかもね。「使い勝手」がいいだけで、あんまり「革新的」「創造的」でもないですが。




またひとり、ご苦労をされている同輩が


 2010年晩秋に、思いもかけない再会をしました。

 私が「名目的」に役員になっているさる学会の大会が中部地方の大学であり、出かけてみましたところ、会場で気がつきました。この大学の現学長が、私の大学院時代の同世代、T氏であるということに。なんか見た名前だなあと感じつつ、はたと思い出した次第です。
 ここで再会を果たせた、それは実際三十年以上の歳月を隔ててのことでした。もちろん、「お互い年取ってしまった」のは当然すぎること、それだけではなく、年月の経る間にそれぞれなりにたどってきた経験、若かりし頃の思い出の数々、その夜、学会懇親会から二次会に、最後は二人だけとなっても語り尽くせるものではない、杯を傾けながら、夜更けまでなにかすべてをさらけ出してしまったような思いさえも記憶に残っています。

 当然のことですが、地方の大学で大学運営の責任を担うというのはもはや想像を絶する大変さです。しかもT氏は最近病気もされたという、そんな身で学長職の激務にさらされ、多くのストレスに耐えていかなくてはならない、もう絶句するしかないところでもありました。でも、大学院時代からどちらかと言えば温厚寡黙で、地道でまじめな研究者タイプであったT氏がこの重責をあえて引き受けておられるということ自体が、時代の現実を示しているのは間違いないでしょうし、私のように「大学教員の自由」のみにすがって自己中を極めている人間にはもう口にする言葉もありません。その場でもただただ、頭の下がる思いだけでした。


 ただ一つ、私に救いであったのは、四十年近く前に私のとった一つの行動をいまも覚えて下さったという、その話でした。大学院在学中にすでに結婚されていたT氏に生まれたお子さんに病気があり、経済的にも生活上も大変に切羽詰まった事態にさらされたのでした。その当時、もちろん私にはできることなどなにもなくても、せめてT氏がなんとか研究を続けていかれるよう、励ましになるようなことをすれば、と思い、学友たちにも呼びかけたのです。記憶の糸をたどれば、これには当時批判の声もあったはずです。みんなそれぞれ困難を抱えながらがんばっているのに、Tさんだけに「支援しよう」というのはちょっと行き過ぎじゃないのか、とか。その辺にはおのれの性急さ未熟さがあふれていたと、いまなら考えますが、でも長い時間の隔たりを超えて、T氏はこのことを覚えてくれていたのです。私自身には、「そう言われれば」くらいにしか思い出せない、記憶のはるか彼方にいっていた若かりし日の出来事でしかなかったのに。

 そのとき、T氏のご家族がどれほど苦労をされ、悩まれていたのか、そして私のすすめたささやかすぎる、あるいは出過ぎたような行いがどんなに励みになったか、そうT氏は二人だけとなった酒場で淡々と語ってくれました。この言葉の一つ一つに、不覚にも私には涙があふれてきました。そんなことを昨日の出来事のように覚えていてくれ、いまも感謝の思いがあると口にされるT氏の本当に誠実で温かい人柄にうたれたことと、それがいまの校務のご苦労を、不平をこぼしもせずに粛々とこなしておられる日々を彷彿とさせてくれること、これはおおきなものでした。そしてなにより、私のような世をすね、半端者として自己中に居直った生き方しかできない、またおのれの限界と境遇にいつも満たされない思いを抱き続けたまま六十年余も生きてきた人間が、たった一度でも「ひとから喜ばれる、感謝される、記憶にとどめてもらえる」ことをなしえたという、それが素直にうれしかったのです。私にも、「なにかが」あったという記憶だけでもう十分すぎるくらいです。


 いまも、T氏も濱田氏も大学運営の重責に耐え、真の大学人たる仕事に日々打ち込んでおられることでしょう。私はそうしたご苦労の数々を追体験することももちろんできず、遠目に眺め、ただご健勝とご健闘を祈るのみではあります。



あっという間にあと一年


 そうこう申しているうちに、私の横浜国立大学での任期もあと一年を切ってしまいました。

 前任校で丸二〇年、そしてここですでに一〇年、足かけ三〇年もやってきた大学教師というお仕事も、そろそろ終わりが見えてきました。与えられし「自由」を本当に生かせたのか、その分、世の中に役に立つことをなしえたのか、じっくり身辺整理と反省をすべき年を迎えてしまったのです。しかしそんなことをのんびり考えている暇もなく、大変な事態です。千年に一度の大災害、もう想像を絶するような破壊と失われた数々のいのち、そして「再起と再建」を期する前に人類全体の危機にもつながる大人災、まったく先が見えなくなりました。今年の夏さえ、私たち生き残ったものもどう乗り切れるのか、想像することさえできません。
 私の「学問」、研究と教育を通じてささやかに考え、語ってきたことさえも、その根本が覆され、なにかむなしくさえもあります。けれども、私が福島県双葉町に乗り込んでも何一つできません。がれきと自然の猛威の爪痕のみ残る街に行って、苦しんでいる人たちになにかをなせる力も持っていません。自分に与えられた領分、使命を、残された時間を通じて最大限生かし、半歩でも前に向かえるよう努めるほかありません。


 そうしたなかで、まあ「まとめ役」のほかに、30年間で何ごとかなせたのかなと思うのは、やはり教師の端くれである以上は「育てたひと」のはずです。正直には、「育てた」ほどのことをしたのかは大いに疑問とするところでもありまして、みなさん勝手に「育ってくれた」という方が事実に近いでしょう。まあ、足を引っ張ることはあまりなかっただろうくらいに考え、安堵しているところです。


 前任校の学部時代を含めると、「育った」人間は五百人を超えましょう。その一人一人の顔が目に浮かんできます。元気でいる、活躍をしている報に、ふと心が和みます。
 現在の横浜国大では私の所属は大学院なので、特に研究者や専門家を育成するのが本務ということになります。幸いにして、それぞれいろいろなところで「いい仕事」をしているようです。

 そのへん、こちらを一つの参考にしてみて下さい。私は「師」「弟子」などというような格式張った、またはなはだエラソーな物言いや徒党を組む「縄張り」意識は大嫌いで、みんなそれぞれやりたいことをやりたいようにやればいいじゃない、自分もそうやって生きてきたんだから、それが「学問の自由」ですよといつも考えております。だいたい、危なげな「師」には寄ってきもしないとすれば、それはしょせん「おのれが不徳の致すところ」でして、そこにどんな「権威」を振りかざせるんでしょうか。もっともそのおかげで、私のライフワークの一つである「研究」を、「継いでくれる」人は誰もいませんが。


 ただ、最近はweb上の世界の大進歩のおかげで、「勝手に」人脈=ヒューマンネットワークを絵解きしてくれるサイト(すぱいしーとかいう)まで誕生しております。たいしたもんよと見てみれば、不肖私まで登録されているらしいのですが、このネットワークの図がほとんど爆笑もの、まあ確かに知っている人の名と写真も出てきますが、大部分は「それ誰?」ていうひとばっかし。しかしお笑いで済んでいればまだしも、こんなのが一人歩きし、「あいつとあいつはああだこうだ」なんて思われるようになっては片腹痛いどころか、迷惑千万なものになりかねません。
 プロレスラーなんかに「つながって」いれば、これはなんかの間違いだろと多くの人は理解してくれましょうが、なまじ「近そう」「関係ありそう」な名前が出ていると、誤解はいっぺんに広まり、お互い大迷惑になること間違いなしです。やめてくれと申し入れたいところです。


 ちなみに、このインチキ人脈「相関図」のなかで、私の「弟子」的立場のひとはたった一人のみあがっています。一方で、大学院で「指導担当」した研究者や専門家はここに誰一人出てきません。「かすっている」ひとがいますが、氏名が似ているだけのまったくの別人、「総合格闘家」なのだそうで、お互いあと十万年生きても、「接点」が生まれる確率は原発大事故以下でしょう。さらに、私の家族親戚も一切出てきません。まあ、私はそういった個人情報をweb上などで出す意図はないので、「発見される」可能性も元来ないのですが。


 そういうトンデモ情報の一人歩きは困るという意味も込めて、こっちのような情報も出している次第です。それ以上の他意はないし、ご本人たちが「困る」「迷惑」、「師にしてしまったのが世の不幸」と言えば、すぐに引っ込めます。いやはや。




追の大事件

「タナカ問題」から見える、「大学教師」への世の誤解

 インチキ「相関図」は性懲りもなく復活しておりますが、まあそんなことはどーでもいいことです。それより、大学教師にとっての一大事が、2012年末に起こりました。祝儀委員議員タナカ某氏が短命に終わった文科相の職で唯一やったことが、「大学新設認可ストップ」でありました。もっともその後の総選挙で与党壊滅的大敗、タナカ氏も落選で、この騒動もあっという間に忘れられつつありますが。

 取って代わった新与党の「教育政策」なるものは、戦争とファシズムへの道をまっしぐらですから、正真正銘日本も「大和婚(おわこん)」になったなと実感する今日この頃です。先進諸国では大昔に葬り去られた「宗派原理主義」「唯我民族主義」への道を突っ走る、その先兵として「教育」(への弾圧)が用いられることになったのですから、「ばらまき財政」で国家破綻が来る前に、ジエンドは間違いないでしょう(マスゴミどもは、選挙前までは「増税しないとえらいこと」「勇断をもって増税に踏み切れ」と絶叫していたのに、選挙でひっくり返ったら、とたんに「そんなこと言いましたっけ」と白を切る、「景気浮揚」と「インフレ」推進に猛進せよと言う、こうなるとあれはノダ氏を陥れるための陰謀だろうと理解するしかありません。そうなると「愛国教育」の方はこれからどうなるのかな)。
 私は頼まれれば原則断らない主義ですので、ミンシュ党政権の行政や政治家のお手伝いめいたことも若干しました。まあ、みんな落ちちゃいましたので、もう金輪際私にそういった依頼は来ないでしょう。


 そんなことはそれこそどうでもいいので、過去聞ながらタナカ氏のすすめた「大学新設認可ストップ」の方では、関連していろんなことが言われました。その最大のものは、「大学が多すぎる」、「大学の質は落ちる一方、こんなに大学は要らない」という、マスゴミを先頭とする圧倒的な世論の流れでありました。この所論はもちろん、「市場原理」に明るくない方々のピンぼけ、見当違い珍論であるのは明らかでして、「規制緩和して市場の淘汰に委ねる」のならば、「新規参入」を抑制するのはもってのほか、歴史ばかり古くて、市場から見放されている「既得権」大学を叩きつぶす、少なくともそういったところが享受しているさまざまな特権や保護、政策的支援をなくして淘汰をすすめるというのが正しいのであります(もちろん、「なんで市場原理が働かないんだ?」、というのをマジに考えるのがジャーナリズムの使命でしょうが、アタマのフリーズした方々には無理でしょう)。

 しかし、こういった珍論はさておくとしても、この議論から、いささか誤解と思われるような珍珍論も少なからず登場しました。その一つが、「大学というところは認可を受ける前から、建物つくる、教職員を揃える、それは怪しからんだろう」、「認可は出るものという前提ですべてが進んでいる、これこそ役所との癒着だ」等々の「批判」でありました。「役所の許可が要る事業が、前から全部お膳立てを済ましてしまうというのは本来おかしい」、「許可が出て初めて、人集めや建物建設など始められるんで、その前に許可が止められたと大学が騒ぐというのが間違っている」、「役所は許可を出さないこともあるんだから、それが止まったから困るという不平不満は筋違い」などとも書き立てられました。
 こういった議論に沿えば、要するに、お国への「お願い」=「事業計画」と「設置申請書」をまず出し、その検討と審査が行われ、「お許し」が降りたところで、次の段階として実際の建物建設や教員集めを始める、これが順番だ、ということになります。まあ、そういう理屈も一般的にはありかな、と私も思いますが、大学の実態からは相当に無理なことになります。

 建物や設備、備品などは別としても、最大の課題は、大学設置の認可は、「ひと」に対する確認が中心なのだ、というところにあります。マスゴミの愚かなひとたちのみならず、世の中では、ダイガクというのはその看板を出した建物やキャンパスにあるので、あとは適当に「人集め」をし、授業をできるようにすれば事足れりじゃないかと思うらしいのです。実際、「設置の準備段階前段階で就任予定者なんていうのが決まっているのがそもそもおかしい、非常識、癒着、そういうのは開設開業できてから募集して揃えるというのが、民間企業の当然のやり方」なんていう意見も目にしました。しかしそれは現実離れしています。実際はまったくその逆、大学の設置というのは、その趣旨や教育内容、科目編成などに対応する教員を揃えられているかどうかが主に審査されるので、「どういう経歴、研究実績の」教員予定者がいるのか、それがどの科目を担当するのかが問題なのです。これはもちろん大学の新規設置だけでなく、部局の新設においても主要な審査対象です(もっとも最近は既存大学での学部などの新設は大部分こういった審査抜きにできるようになっていますが)。つまり、大学=ひとなのでして、「設置が決まってから適当に募集すればいい」というわけに行きません。



 設置の審査には、建物設備などの整備状況、整備計画、もちろん大学を開く法人の財政状況や資金計画なども検討対象ですが、特に建物設備などについては以前ほど細かく、またいろんなものを目一杯整備することを求めなくなりました(昔は、「体育科目実施のための」施設なども相当規模要求され、それがかなりのハードルでもあったはずなのですが)。ですからなおさら、「ひとに対する審査」が主要な認可判断材料になるわけです。
 そうなると、文科省に認可申請する際には、設置目的や教育目標、科目編成などと並び、「教員就任予定者」のリスト確定、それらの人たちひとりひとりの詳細な履歴書調書書類、そして「就任応諾書」が不可欠になります。これがなかなかの大ごとでして、実は私は人生のうちでこれを二回書かされました(正確には三回)。二番目につとめたところが既存大学ながら新部局設置に伴う採用であったので、文科省と大学設置審議会に出す、ウン十ページもの書類を出さねばならなかったのです。そして、いまの勤務先も新部局設置関係であったため、またも同じようなものをえんえん書きました(当然11年前の書類のデータは一定使い回ししましたがね)。

 ひとは、実際の仕事が始まるまで、「倉庫にしまっておく」訳にもいかないし、メシも食わないと生きていけません。「工事予定仮契約」でも済まされません。それゆえ、「これから設置申請をするので、名前を出してくれ、書類を書いてくれ」、「ただし、認可が出るかどうかわからないから、1年後『アウト』になったらご勘弁」、「それまではもちろん大学の学費収入もないので、給料はなし、冬眠しておいてくれ」というのではみんな相当に困ってしまいます。ですから、実質的には開設予定の2年くらい前から、「本業の傍ら」、「将来この大学でこの科目を担当する」という話があり、いろいろやりとりと取り決めがあり、それで納得をして判をつく、書類を書くということになるわけです。しかも、土壇場アウトではみんな路頭に迷いますから、この間に大学設置母体側と文科省がやりとりを重ね、必要な条件をつめ、「設置認可条件を満たせる」教員予定者を揃える作業をすすめるのが実態となっています(実際には、教員予定者が設置審にはねられる、それで予定が狂うというようなことも少なからずあり、それだから設置申請する側も慎重になり、だいたい「大物」を揃える、またすぐに食べるに困るようなひとははじめの名簿に入れない、そういう流れになっています。もちろん、正式の「審査結果」が公示される前に、その辺の「やりとり」は伝えられ、対応軌道修正策が練られます。それでも、たまにこのせいで、「就職予定」が外れ、路頭に迷ってしまう「若手」のひともいるのです)。さらに、認可の下りるのと、大学開設・学生募集はほぼ連続するのが許されています。認可されてから、建物つくってではさらに1年もかかってしまいますし、教室などないのに学生入れるわけにいかないし、そのあいだ「教員予定者」は授業もせず霞を食いつつ待っているわけにもいきませんから。大学など学校関係は基本的に一年サイクルで動いているのです。

 まあそういうのは根本的におかしいという議論を私は否定しませんが、現実と実態は理解してほしいものです。言い方には語弊あるかも知れませんが、「コンビニの開店じゃない」、「コンビニアルバイト店員募集じゃない」のです。「誰でもいい」訳じゃありません。また、高校や中学の教員とも違い、「この教科書でこの科目を教えられる」人間ならば、免許持っていれば、それでOKでもないのです。どうもその辺が世の多くの方々の理解を超えているようなので、「なんで、設置が決まってから募集しないんだ?」、「それから集めたって、十分人材は揃えられるはず」などという声が、あちこちからあがった原因なのでしょう。


 その意味、この辺の理解と実態には、「大学における教育とは」、「大学教員とは」、ひいては「そも、大学とは」という根本的な問いにかかわるところもあると思います。また現に、こんだけ大学が増えれば、そういった教員ひとりひとりの研究業績や教育能力、経歴が本当にふさわしいものと確認保証されているのか、だいいち学生はそんなこと求めている訳じゃない、むしろ「教科書」を、きちんと教えられる、学生の興味を引きつけ、うけをとれる、「世の中」に直結する経験知識やコネが十分ある、そういうひとこそ「大学の教壇に立つ」のにふさわしいとの「声」がどどっと「盛り上がり」、「既得権にしがみつく」連中を一掃する「維新の嵐」になる、そんな可能性も「あり」でしょう。事実、「タナカ問題」から、かくのごとき主張がマスゴミを一時賑わしたことも確認済みです。まあ、その通りになり、大学設置審も廃止、誰でもOK、そうなると大学の教壇は、予備校や塾の花形講師、カリスマ教師、お笑い「タレント」、そして「実業界・マスコミ界・スポーツ界のお歴々」で占められるようになりましょう。
 いくらなんでもそうなる前には、私は大学教員の職を終えることになりましょうから、まあどうでもいいことと考えております。日本のダイガクが世界の笑いものになろうが何になろうが、「グローバリゼーション」の時代に逆らってこそ、「ニッポンジン」の存在価値があるのでしょうから。「お笑いこそすべて」、これが決め手です。



 こんなことに関連して、私の「個人的感傷」に浸れば、大学の専任教員の職を得ることになったのは1980年の暮れのことでした。「公募人事」に応募して書類を出し、その先の大学の学部長らの面接を受け、それで「1981年度から来て仕事して下さい」になったのです。実際に3ヶ月余しかありませんでした。有り難いことだけど、困ったのはいきなり事務サイドから「担当科目の講義要項」やら「ゼミ募集方法」やらいろいろ書けと連絡が来る、しかし大学と学部の実情やしくみや慣習がさっぱりわからないままで、やむなく学部長に直接相談し、いろいろ指南を受けたのが実態だったのです。
 白状すると、私はこの大学の近くに長年住んでおり、大昔に「模擬試験」など受けに行ったこともあるけれど、実はそこに「経済学部」などあると知らなんだ、この辺は正直に申しました。企業のシューカツで言えば、「志望理由」無しです。それでも採ってくれたのですから、ますます有り難いことです。なお、これは既存の大学の既存学部の個別採用人事なので、文科省や設置審とはかかわりません。それは各大学・部局の裁量と審査権のうちです。

 次の大学では、上記のように新部局設置に伴う採用であったので、大変でした。思い起こせば、2000年の初夏、私の研究室の電話を取ったら、K教授というひとから、「うちの大学に来ませんか」という誘いでした。私はその人をまったく存じ上げなかったし、だいたい大学にかかってくる電話はセールスばっかしで、滅多に出ないのですが(これも一種のセールストークかも知れませんが)、まったく偶然とは恐ろしいものです。そこで、詳しいことを聞き、2001年度から移るということを決心した次第です(K教授は私の在職中に急逝されました。あまりに悲しく、心残りの出来事でした。私を含め、誰に対しても「気配りのひと」であったからなおさらです)。
 この話がうえに書いたように新設部局がらみであったので、それからの書類書きは大変でした。秋に設置正式認可の連絡と、私の採用の内示があり、それから当時の所属の学部長に「実は……」と話をしたという経過です。これもよく覚えています。2000年秋に学会大会を開催し、その日程が終わるところで、学部長に打ち明けた次第、かなりあちこちに迷惑と当惑を招くのは避けがたいところでした。まあよく皆さん許してくれたものと思います。しかも、当時この転職先大学は国立であったので、身分は国家公務員、その採用人事というのはさらにいろいろ手続き面倒(健康診断も受けさせられました)、おまけに国立大学であれば新設部局というのも次年度国家予算で認められないとパアなので(設置が「決まって」さえも)、なかなか微妙なところでした。当時の学部長も、「辞めますということで、次の行き先がないと、路頭に迷いますよね」と心配してくれたものです。そうならずに済んだわけですが。なお、この転勤先では部局の改変・新専攻設置ということがのちに行われたため、またも調書等を書いて出すことになりました。

 その次では、2012年3月をもって定年退職と決まっているのですから、路頭に迷おうがどうなろうが、辞めるしかなかったわけですが(実は、恥ずかしながら私はかなり長いあいだ、自分の定年は2011年だろと信じ込んでいました。定年年齢の数え方と規則の読み方が間違っていたせいですが、誠に恥じ入るところです)、その前、2010年秋に現勤務校への「再就職」の打診を受け、前学長にお会いすることになりました。それから、大学院研究科設置のためにまた履歴書、調書の山です。まあ、あんなこんなですったもんだがありまして、はやむを得ないところでしょう。

 それで、2012年4月から勤務、学園理事長から辞令を頂戴し、いまに至る次第です。もうこれで書類書きも終わりでしょう。





2015年2月、「ダイガク批判」、再び盛りあがる



 こういった「ギョーカイ内幕もの」はあまり楽しくもないので、打ち止めにしたいのですが、ネタだけは次々に出てきます。


 2015年2月、文科省が「設置計画履行状況等調査の結果等について(平成26年度)」というのを発表、これがセンセーショナルにマスコミの取りあげるところとなりました。
 「大学らしからぬ教育実態」、「トンデモ大学の数々」、「だから大学は多すぎる」、等々です。名前の通り、これは毎年度実施発表されているものですので、今回ことさらに「話題性」をとらえたのは、当然ながら「出す側」の操作に、マスゴミの方々が「乗った」(乗せられた)結果と言うべきでしょう。もっとも調べてみると、一年前の発表にも、同じような反応が書き散らされてはいるようです。


 要するに、設置審=文科省の指摘自体はそれぞれ基準あってのことですし、それに照らしてという意味ではまともなのですが、それをどう読み、解釈するかが当然重要なわけです。この「調査報告」の基本は、飽きるほど多くの同じ指摘、すなわち「設置認可定員を満たしていない」、「担当教員配置が設置申請時のものから外れ、不在不足などをきたしている」、「科目の教育内容が設置の趣旨に即していない、あるいは大学の科目にふさわしい内容と思われない」、「学生受入方法に問題がある」、こういったもので占められています。その「改善意見」の多くは、善し悪しは別として、毎年毎年出されているもののコピペ状態です。


 そしてまた、解釈が必要なのが、これが「設置計画履行状況」に関してであるという点です。つまり、大学、大学院の新設や、学部、学科、研究科などの設置に関して、設置審=文科省の認可を受けた、それに伴い「認可の趣旨通りにその後すすんでいるか」をチェックする、そういう性格の「調査結果」なのです。

 まずこの点で、マスゴミやブログ人たちのかなりが勘違いをします。言い方は悪いですが、運転免許とりたての人たちがヘマやっていないかをチェックしているようなもので、「ベテランドライバー」たちのことはまったく気にもかけられていません。そうした、既設の「老舗」大学などはここには大部分出てこないのです。ま、ありがちな「無意識のバイアス」「報道のミスリード」の一つと申すべきでしょう。


 既設の大学等はいっさい出てこないというわけではありません。学部学科、大学院研究科などの新規設置を行ったところは、その新設のところだけではなく、全学的な状況に関するチェックを受けます。もちろん、多くは「問題なし」とされて言及もないのですが、そのついでで鋭い突っ込みを受けているところもないわけではありません。ただ、その「悪しき例」とされ、マスコミ報道のヘッドラインを飾った、「大学院の定員の数倍も受け入れ、詰め込んでいる」とされたH大学、「同業」の立場からも関心を持ったので、よく調べてみましたが、大学院に来たいのはどんどん入れ、定員無視ですし詰め状態というわけではないようです。どうやら、研究科の再編等がこの間にすすめられ、その関係で、ある研究科に多数の学生が在籍しているような形になってしまった、そうした一時的な現象としか思えません。

 まあ、大学院に定員の数倍も受け入れたくなるほど、志願者が殺到するようなことになれば、これは喜ぶべきか、困ったことと悩むべきか、それ自体悩ましいところでもありましょう。あまりありそうにはないですが。



 他方で、新設のところに問題が生じがちなことは否定できないでしょう。新米運転の不慣れ未熟というところ以上に、大学ですから、設けた意図=サプライサイドと、入ってくる学生=デマンドサイドが期待通りにマッチしていくものかどうか、順調にことが進行するのかどうか、それは「ふたを開けてみないとわからない」ものではあります。また、文科省サイドが警戒をするのは、設置申請に書かれたことがその通りにきちんと実行されているのかどうか、そこにウソインチキがないか、こうした点であることも十分わかります。「○○学を教育伝授します」という趣旨であったはずなのに、そうやってないじゃないか、看板と中味が違うじゃないか、そこは「監督官庁」として目を光らせざるを得ないところでしょう。


 そうしたいくつかの前提を踏まえた上で、この「設置計画履行状況調査報告」を熟読していくと、やはり基本的な問題は大きく浮かび上がってきます。教育の中身の問題点の指摘はとりあえず、別途に考えてみるとして、ここで対象となった新規設置の大学学部、学科、研究科等の多くは定員を満たせていない、そうした現実自体です。これもひとごとではありません。「こういう学問を学びたくて、これだけの学生が来るはずです」という希望的観測のうえに新増設が行われたのですから、企業で言えば完全に需要の読み違い、過剰生産過剰在庫状況に陥っているわけで、ことは深刻です。もちろんそれは、「タナカ問題」で話題となった状況からいささかも変わらないどころか、もっとひどくなっているのは、誰の目にも明らかでしょう。

 「そんなもくろみ外れの大学は、つぶれて当然」という「自己責任論」を一概に否定もできませんが、ただ、この「報告」という「新しくつくった方」の状況だけ見て、「それ見ろ」式の言いぐさをかざすマスゴミの方々には、ちょっと待ってよとも言いたくなります。ここにはやり玉にあがりようもない、既存の大学の多くがどういう実態にあるのか、それはわからないままなのですから。


 もちろん、文科省も既存の大学は何でもあり、どんな実情も目をつぶるというわけにも行かなくなり、あれこれアドバルーンを上げ、ようやくマスゴミの方々も記事にもしはじめました。その目玉となってきているのが、大都市部の既存大学での「定員無視」の実態です。近年は(若年人口減少も手伝って)、各大学の入学定員に関しては文科省もかなり厳しくなりました。大幅定員超過で入学をさせている私大には、補助金を減額ないし停止するという圧力で、「定員遵守」を促しています。以前は相当にひどいもので、定員の倍も入れているなんていうのがいくらでもあったのですが、そういうのはさすがにいまどきあり得ないはずです(いまから20年あまり前には、「第二次ベビーブーム世代」対策として、「臨定」などというのを文科省が認め、定員オーバーでの入学者数をむしろ奨励したことさえあったのですが)。しかしなお、「一割二割増しは当たり前!」の実態がないわけじゃなく、文科省の「脅かし」すれすれでやっているのは、事実として確認可能です(いまは大学も「情報公開」として、入学者、在学者数などの客観データを公表するのが義務化していますので)。

 一例をあげましょう。W大の学部在籍者総数は通信教育課程を除いて約4万3千人余と発表されています(2014年5月現在)。しかし、W大学学部の現在の「収容定員」(つまり単純に言えば入学定員×4学年分等)は35,760人です。この間に学部の再編分割等もすすめられているので、単純比較もできませんが、ほぼ2割オーバーですよね。こういった実態は、東京などの大手・古典的私大ではどこも同じようです。


 こうした大学の居直りの文句は、「だってそれだけ入りたいという志願者が来るんですから」、「入試での合格者数を定めるのが悩ましいんですよ、あまり少なくとると、実際に手続き入学する人数が相当に目減りして、定員大幅割れなんていうことになりかねません。だから『歩留まり率』は少なめを仮定し、それで定員オーバーとなるのもやむを得ないところです」等々の言い訳です。私もかつてそういった大学にいたので、よくわかります。

 ちなみに、その私が以前勤務していたK大では、現在学部学生総数1万5千人余、収容定員は13,584人となっています。1.15倍くらいですから、まあ可愛いものか。

 
 しかし、こうした定員オーバーでの入学実態は、やはり「公正競争」に反する上、当然ながら入学する学生の勉学条件の低下につながります。あくまで、定員を基準に、教員数、設備規模等が定められているのですから、どう考えても望ましいことではありません。学生生活14年、教員生活34年の私の個人的実感としても、大学全体で1万人以上、一学部としても2千人以上もいるダイガクというのは、どうしてもまともなところには感じられません。



 いまの日本のダイガクは、まさに「入るところ」、なにか「ブランド商品」を買ってくるようなもののような錯覚が、社会の隅々にまで染みこんでいます。ですから、「たくさん売っていれば、それだけ手に入る、いいじゃない」というような幻想というか、世界の笑いものというか、それが世の中に横行し、そして一部の「ブランドダイガク」は、それを利用した「商売」をしているなどと申せば、明日から外を歩けませんな。


 しかし、実際そうなんですよ。私はW大(らしいところ)でも授業をやっていましたので、キャンパスに行くと、巨大な建物が並んでいるとはいえ、文字通り学生があふれています。どっからわき出てきたかと思うような人数です。それでも昔に比べれば、大学の設備も充実してきたと感じるし(いまどき、どこの大学キャンパスも「コジャレた」建物設備が整い、談笑する学生たちの憩いの場として居心地悪くない観です。昔はひどかったですね)、別にW大が悪いところとも思えません。しかし、肝心の教育の方はどうなのか、こっちは昔同様のウン百人収容の大教室で、講義する教師の姿など豆粒のよう、しかも履修登録者千人以上なんていうのを、いまだやっているんでしょうか。それなら、ネット上のバーチャル講義の方がまだましかも知れません。こんなひとごみの中、この大学で4年間「これを学んだ」と言い切れるようなものを、本当に得られるんでしょうか。

 もちろんそうだから、大学に入ったら授業なんかどうでもいい、ひたすら「好きなことなにか」に打ち込みたい、それならばたしかにマンモス大学の方がいい面もあります。学生総数5万人近くもいれば、ほとんど一つの地方都市の規模ですから、「なんでもあり」ます。星の数ほどある、伝統ある学生団体、よくわかんないサークル、ちょっと変わったグループ、年中なんかのイベント、ユーメイ人の登場、ショップや食堂、カフェもいっぱい、まち全体が学生街、キャンパスからまわりからなにか騒然とし、そういうところにひたり、4年間を過ごしたければ、悪くはないのかも知れません。「○○大学学生」というブランドを胸に飾っているつもりになって、おなじブランドを身につけている同士のただ中にハイテンションの毎日を送って。


 でも、ルール違反は頂けません。ブランドの安売りは自由だと居直られても困るので、「公正競争」のためにも、定員は守らないといけません。

 その点、W大に限らず、あの大学この大学とすぐに名前の出てくる、都心を中心とする老舗私大は、相当なことをやっています。これは「営業の自由」で済まされても困ります。定員をきちんと守ってもらいたい、当然のことです。


 報道では、文科省がこの定員超過問題に従来より厳しく臨むことにしたそうですが、結構なことだと思うものの、なぜかとばっちりで、ともかく「三大都市圏」の大学全体にはとなると、東京都小平市にあるわが嘉悦大学も名目上、そのターゲットに入ってしまいかねません。とんでもないですよ、学部収容定員1600人ほどのこぢんまりとした大学です。それでも、定員を守るのに苦戦し、こんどの文科省の「調査報告」で、「改善意見」をつけられている状態です(ほとんどのとこがそうなんですが)。そのかわり、教育の中身は実に濃いですね。ここで過ごす4年間は、教員たちとの熱い勝負と、学ぶ「なにか」に満ちていると感じられますね。



 ただ、こんどの「設置計画履行状況調査報告」では、2012年度開設の本学ビジネス創造学部と、大学院ビジネス創造研究科博士後期課程も評価の対象です。前者にはうえに書いたように、「定員充足」の改善意見がつけられましたが、後者、つまり私自身の「本業」のところには、「専任教員の高齢化」が問題にされました。これって、この私のお話を読まれたひとには、すごい矛盾だとすぐにわかりますね。設置にあたっては、設置審を通るように、教育研究の実績ある人を揃える必要があり、しかも、設置不認可で「路頭に迷う」ことのないような配慮もいる、そうなると「年配者ばっかし」にならざるを得ないわけです。それがスタートした途端に、「年寄りばっかだろう」と批判されるんじゃ、それはないよとなりますね。


 もちろん私としては、こんなジジイである以上、職に纏綿とする気など毛頭ない、「邪魔だからやめてくれ」と言われればいつでも退くと、ことあるごとに申してきております。もっと若い人たちにどんどん機会を譲り、新世代の意欲と最新の研究成果で、大学院での教育と研究もリードしていってほしいと願っております。

 ただ、今日明日ともいかないのが、年度で回っている大学のジレンマなのですよ。


 そこのあたりをご理解いただき、「年寄りの大学教員が既得権にいつまでもしがみついている実態」だとか、「いまいる教員らで、看板だけ新しくしたような学部学科をつくったりしている矛盾を突かれている」など、現実を理解しないままの相変わらずの紋切り型罵詈雑言は、そろそろ願い下げにしてほしいものです。



 いや、「大学のブランド」は4年間だけの「賞味期限付き」じゃないですよ、だからみんなそのブランドを手に入れようとするんじゃないですか、等々の反論も早速予想されます。それはそうです、それでニッポンのダイガクは世界の笑いものに陥ったのです。


 いわゆる「シューカツ」を含め、私が20年近くも前にweb上で示した危惧、それはいま遥かにひどくなっています。ここにこそ、単にダイガクの危機にとどまらず、ニッポンの社会崩壊の危機があると思うのですが、ここにまた書き足していくと、なんとも冗長になるので、あらためて取りあげてみましょう。「ダイガクの学問と授業」のことを含めて。



◎うえの、大学の学問と授業のことを私なりに書き殴ったのは、実に20年近く前のことです。別に「予言が当たった」わけでもなく、当然の経過がすすみ、ますますひどいことになっているのが昨今と、すぐにわかります。

 
 ですから、大学教員の端くれとして30数年間糧を得てきたものの責任として、いまこそもういちど正面から議論をせねばと思っているものの、その以前に書いたものさえ、もうweb上で見つからなくなっているページもあるわけです。世の中の変化はあまりに急です。

 そのうちで奇跡的に残っているところが、うえのリンクで読めるのですが、その最終ページは見つかりません。もちろんもとのデータは残っているので、あらためてそのまま再掲してみることにしました。そのままですから、リンク先はほとんどつながらない状態ですが。

 そのために、10数年ぶりに読み返せば、我ながら言葉を失います。あまりに当然、しかしあまりに見えていた現実にみごとに至ってしまっていると。もちろんその一方で、どこの大学でも「導入教育」はじめ、この間大変な努力が払われ、教員たちは疲れ切っている状態が見えます。しかしなお、そうした努力が本当の意味で報われているのか、結局「ブランド」と「シューカツ」にすべてが飲み込まれ、世の中ますますひどくなっているのでしかないのではないか、これも実感でしょう。「○○ナビ」や「◇◇なび」の「役割」を誰か問わねばならないというのも私の個人的な思いですが、ともかく「美しいこたえ」はどこにも転がっていないということだけは、口にせざるを得ないようにも感じます。




2016年9月、お、また新たな話題登場
−コウシ混同はいかんぜよ


 大学をめぐる話題は尽きることもないようで、それだけ危ない存在と言うこともできましょう。


 うえの、「定員超過問題」はその後、「詰め込みすぎだろ」と指摘された大学が軒並み「定員増」を居直り申請、その結果これらの入学可能な規模はかえって大きくなりました。当然、それに見合う教員増や設備増強もしているんだろと思いますが、いよいよ「ブランドへの過密化」は加速される一方です。「個性」だの「特徴」だのは完全無視、ひとが行くから自分も行く、あのブランドを私もほしいの世界で、あまりにもバカバカしき実相、ニッポンの大学の終焉はまぢかでしょう。


 その一方で、固有名詞で恐縮ながら、マスゴミ業界で名をあげ、いまや某大学の教授兼学部長という大変な方が、「経歴詐称だ」と週刊誌にたたかれ、ちょっと話題になっております。もちろんアベ氏からの指示が入ったので、この件、「都知事候補」の方がマスゴミの集中砲火を浴びせられた状況とは一変、メジャーなところでは一言も触れられませんが、噂ではこの方、政府の重要な審議の場のメンバーでもあるそうなので、それでいいのか?と疑問を呈するのもそれほど不自然ではないはずですが。



 この方(もはや○○嬢などとは書きますまい、そんなお歳でもないようだし、だいいちそういった書き方は「女性差別だ」と批判されましょう)、それほどの研究歴・業績があるのかとか、要するにマスコミ時代から政財界のアイドルだっただけ、その流れでここまで来ちゃったんだとか、そういうことは、自分にもそのままはね返ってもきそうなので、申しますまい。アイドル性などゼロどころかマイナスでも、私の経歴や研究業績の方では大差ないかも。


 で、問題とされているのは、この方まだ若いころ、トーコー大の「講師」という肩書きが、政府公表の資料中に記されている、しかし実際には同大の某大先生のもとで、授業の手伝い、来校ゲストの司会役などやっただけだ、ということなのですな。それを「講師」と公称するのは「詐称」だろう、というわけです。

 もっともこの方の現勤務先が公表している教員紹介の方を見ると、「トーコー大講師」とは書かれていないので、政府の方がいささか勇み足かも知れません。


 けれども、この方の経歴の書き方云々を離れて、またも「大学講師ってなに?」という素朴なる疑問の声もわき起こっているようです。実際、授業の手伝いだろうがなんだろうが、大学の講壇に立てば「講師だ」などという、コウシ混同もきわまったような「意見」まで堂々出ているので、そこは交通整理をしないといけません。


 講壇に立てばコウシだ、というのでは、最近多く開かれている、そして嘉悦大学大学院でもやっている、外部の企業経営者や諸方面の方々をお呼びすれば、みんな講師の経歴付きということになり、大混乱を招きます(清掃の請負先の係員の方も講壇に立って作業するので、コウシ=講士?)。そうした方々を「講師」とお呼びする、そう学生に紹介する、これは慣例の範囲でしょうが、「経歴」に記すこととは違いましょう。そのくらいは誰でも理解してくれましょう。



 個々の方々の経歴に記入できる「講師」というのは、あくまで職業の一部です。正確には、これも「専任講師」と「非常勤(兼任)講師」と大別されます。前者は大学の組織を構成する専任教員の一種であり、大きな責任と権限と(「雑用」まで含めた)職務を持っております。私も35年前にそこから始まりました。専任職ですから、大学の規則と組織に24時間拘束されているとも言えましょう。それだけ重いのであり、当然専任講師に採用されるには、規定にもとづく審査と任用の手続きを経ることになります。通常、当人の提出する履歴書、調書、業績等にもとづく選考審査が行われ、面接もあり、つまるところは教授会での人事提案が可決されて決まる、かなり大変なことであり、また昔は教授らと同様に任期も定めがありませんでした。

 もっとも国立大学の場合、従来から、教授、助教授、助手といった教員身分の職階に、「専任講師」というのは原則なかったようなので、あまり聞かれませんでした(置いている大学もあったのでしょうが)。だから、トーコー大の大先生も、「うちは講師という職はないんだよ」と言っておられたそうです。その後、独法化などもからみ、いわゆる「テニュア職」(終身職)としての教授、准教授のほかは、助教、特任教員などの名称が乱立するようになり(テニュアになれる前提の「テニュアトラック助教」だとか)、なんだかよくわからなくなりました。どさくさに紛れ、「特任」だの「特命」だのいろいろ訳のわからない名称も増え、ただしこれらは任期付きだとか、ともかく個々の大学、肩書きごとに確認をしなければなりません。


 ただ、いずれにしても「専任」とつくのはそれなりの重みがあります。専任というくらいですから、ほかの仕事をする場合、大学の長の許可が要るとか、そういう絡みでもあります。それだけの責任と権限を持っているんですし。



 ところが、世間でよく知られているのはむしろ「非常勤講師」です。
 実際には、いわゆる文系学部などの場合、教授から講師までを含めた専任教員数よりも非常勤講師の数の方が多いのが通常で、その意味非常勤の方々のおかげで授業が成り立っているとも言わざるをえません。それだけに、薄給で申し訳ないけれど、非常勤講師の方々の存在も責務も重いわけです。


 大学の教員というのは、たとえ非常勤講師であっても、担当する授業などの内容、構成、実施方法やすすめ方、そして大事な履修学生の成績評価といったことに、個人で全責任を負っています。最近は個人担当ではなく、複数の人間が組み合わせの形で授業を行い、いろいろ役割分担するというようなやり方も増えていますが、ともかく最終的には教員の自己責任での判断評価が物言う、それだけの権限と責任をゆだねられているわけです。そこで起こった珍騒動のことなど、20年近く前に記しました

 大学運営のみならず、個々の学生の入学、進級や卒業などの学歴の決定責任は教授会にゆだねられ、それには非常勤講師といった立場の人は直接には関係せず、またその科目自体の設置や廃止、そして担当者の決定といったいわゆる「カリキュラム編成」も教授会の責任判断のうちですが、担当に任ぜられれば、それは専任者であろうが非常勤者であろうが、担当者個人の学識と教育力、評価力に委ねられているのです。これは大学の自治の一環としての慣行と理解できましょう。


 そこにあれこれ問題の生じることもないわけではない、とりわけこのごろのように学生も「多様化」してくると、なにかと難しいこともおこる、悩ましいところではあります。ただ(今のところ)文科省さえも、そうした大学教育の中味だの実施方法だの評価だのに直接口を出す、これはいかん、こんな授業はやめろ、ほかの人間に代えろなどと干渉するというようなことには踏み込んでいません。まあ、そうした「画一的な教育」に大学も向かうべきだと主張する方々もいないこともないですが(ちょっと前、経済系学部などの「経済学」教育を標準化規格化し、設置科目の統一、テキストの策定、授業内容の標準化、経済学理解の客観基準にもとづく一律評価ないし統一成績基準テストをめざそうなどと求める方々もおられました。「経済学とはこうあるべし」という、先入観念で凝り固まった方々です。そうして「国定教科書」だの「標準カリキュラム」だのをつくれば、経済系学部の教育成果も向上するというわけですが、それはつまるところ自分たちの天動説を墨守したい、「異端」を大学から排除したいという願望の反映だろうとか、その範囲にいる「仲間、弟子たち」の職域を確保したいからだろうといった下衆の勘ぐりは論外として、もちろん「学問の自由な進歩」に反する、どっかの過去の国々の道に向かうものだ等の批判があたらずとも、こうした文科省が歓喜しそうなことが容易に実現しないのは、まったく別の理由からでしょう。要するに、大学経済学部でそんな「すばらしい経済学教育」を徹底たたき込んでくれなどと、「社会」の誰も期待していないからなのです。「経済学教育統一国家試験」でAを取った学生を、大企業は率先歓迎してくれるんですか?あるいはいっそのこと、全国一斉入社試験を実施し、成績優秀者名簿から逐次、割り当て採用をしてくれるんですか?ちょっと昔の中国みたいにね)。




 まあ、脱線した冗談の話はさておき、たとえ非常勤講師の方でも、その任用には従って相当の意味を持ちます。近ごろは大学教育の多様化、実践実学重視の流れもあり、いわゆる「学問一筋の研究者」ではない、さまざまな経歴や見識をお持ちの人たちを非常勤講師などとして任用し、教壇に立って頂くことも増えました(うえにも書いたようにね。それでもウン十年前には、学部の授業に外部の多様な人材を登用する授業の設置が提案されたら、「文珍を採用するのか!!」と真っ赤になって怒った大先生もおられました。隔世の観ですな)。それはそれで意味のあることと思いますが、それでもなお、任用と科目担当の委嘱にあたっては、規定にもとづく選考や承認の過程を欠くことはできません。通常、これは教授会の審議決定事項です(私のいま勤める嘉悦大学では、非常勤講師のひとの採用にも、学内の資格審査委員会にかけ、経歴や業績の審査を行う慣例になっていて、ちょっと厳しすぎじゃないのかと思われるほどです)。そのために、「誠にお手数で申し訳ないが」と、頭下げ下げ、非常勤講師候補の方に、膨大な書類作成や著作提出などお願いせねばならないこともしばしばです。
 実は、現勤務先で専任者の方の急病のため、急遽代講のひとをお願いせねばならず、なんとか応じてくださる他大学教員の知人がおられ、誠に助かる思いだったのですが、その方にも膨大な書類を出して貰うようお願いすることになり、呆れられました。一日の集中授業のためだけなのですよ。長年の個人的な知り合いでもあったので、「切れる」ことなく応じてくださった、それにはひたすら感謝あるのみです。


 それだからこそ、皆さんの履歴書に、「○○大学非常勤講師(「△△論」担当)」などと記される、それだけの重みもあるというものです。ちなみに、私もここで記しているように、兼業で非常勤講師も結構やりました。フリーター状態でのアルバイト同様のから、前前任校での「残務整理」の部分も含めると、のべ7校ほどになります。それぞれなりに「やりがいある」仕事でしたし、もちろん授業の進行も成績評価なども、かなりの緊張感を持って遂行してきたつもりでもあります。その割に「給料」は少なすぎるじゃないかなどとは申しません。私もいろいろな方に非常勤講師の依頼もしましたし、そこは大学教員同士お互い様でしょうという、暗黙の了解ではあります。でも専任常勤職を持たないひとには、ちょっときつすぎなのは明らかですよね。


 というわけで、「経歴」に「○○大学講師」と書いていいのかどうかは、そんなに軽くもないんだよと、わかって頂きたい次第。




じゃっかんの訂正

 くだんのセンセイ、ブンシュンの突っ込みに反論する「証拠」を探し出したと、ライバル誌に発表したそうで、たしかにそこにはトーコー大学長名の「辞令」が掲載されています。正式に「非常勤講師」を委嘱する辞令を受けているのですから、これは疑いもありません。期間は半年間と記されていますが、近年国立大は半期制なので、不思議はありません。


 まあそういうわけで、間違いなく履歴書に書ける「非常勤講師」であったと証明、それを疑わせるような私の記載もお詫び訂正させて頂きます。ただねえ、負け惜しみのようですが、私ごときも、過去に非常勤で担当した科目のことなど、忘れることなく覚えているんですが。マスコミ界でチョー多忙を極めておられた身としては、大学でのそんな講義の一コマくらいなんか、記憶から飛んでいても当然なのかもね。



(2024.2)

 ま、あれから幾星霜、いまじゃあ大学教員の職もすべて退き、完全年金生活者です。

 幸か不幸か、それにほぼ重なるかたちで、世界的パンデミックの大騒動、学生も教員も登校できない、教室入れないで、授業もすべてリモート実施、要するに一方通行のテレビ授業、なんともひどいことになってしまいました。

 正直に申して、そんな「授業」などやりたくはありません。ましてや、学生諸君はかわいそうの一語に尽きます。授業どころか、大学キャンパスで友人たちと話しをすることも出来ない、それじゃあなんのための大学進学なのか、という思いになるのもよくわかります。


 こんな経験をせずに済んだこと、私はやはり定めに感謝しなくてはなりません。



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