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【幕間】 なにからなにまで「マネ」だっていいじゃないの


 文字を伝えてもらい、仏教を伝えてもらい、さまざまな生産技術も大陸から教えてもらった我が国ですから、統治技術についても中国をまねたのは当然のことでしょう。かりにそれが皇帝(天皇)の権威を飾るだけの姑息な手段だったとしても。

 「年号の歴史」(参考資料1)の著者、所功氏によれば、中国の周辺国で独自の元号をたてたのは、朝鮮に一時その例があるのみで長く継続したのは我が国だけ、残りはすべて中国の元号を遵奉し続けたということです。所氏は、これをもって「元号は我が国独自の文化・伝統」というのですが、それには少しばかりお国自慢の臭みがありすぎるのではないかというのが、わたしの意見。

 「独自の文化」だ、「伝統」だというのなら、もう一つ、我が国なりの消化がなされていなければと思うのです。

§

 前ページに書いた

>>    さて、「猿真似にも、独創と同一の優越がある」か、という論に・・・

というのは、お気づきのように、坂口安吾の「日本文化私観」の末尾を引き写したものです。

 そう、人間は言葉の動物であると同時に模倣の動物でもあるのですから、「マネ」だからといって、そのこと自体は別に取り立ててネガティブであるとばかりはいえますまい。

 安吾はこう書きました。

  ・・・法隆寺も平等院も焼けてしまっていっこうに困らぬ。必要ならば、法隆寺をとり壊して停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。
       ・・・(中略)・・・       
必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生まれる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活するかぎり、猿真似を羞じることはないのである。それが真実の生活であるかぎり、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。 

 戦時中の1942年(昭和17年)に書かれたものですから、多少、軍部に迎合した筆致が見え隠れはするものの一面の真理は読み取れます。(予感は当たり、しばらくのちに、公園は芋畑に変わり、梵鐘は軍事物資に改鋳され、昭和天皇が宣した戦争は悲惨な結末を迎えます、残念ながら「真の生活」を生むことなく)

 「猿真似」という言葉にどうも「サゲスミ」のニュアンスが強いように思うのは、わたしだけでしょうか。どうせ人間は真似する動物です。でも、まったくそのままのマネなんて、かえって人間らしくはない、と思うのもわたしだけかしら。

 「猿真似」があるからには「人間真似」はないのか。どうも安吾は書き損なったのではないでしょうか。

  独創と同一の優越を確保するために、真似には一抹の創意と工夫とを必要とするのではないか。創意と工夫を欠いた真似はただの猿真似に過ぎない。猿真似では、我が民族の光輝ある文化や伝統は、ただの属国文化、奴隷文化になり下がってしまう。 さて、元号は猿真似か否か。

<この項終わり>

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