3.一世一元は我が国固有の制度か?・・・これも中国の制度のマネ
一世一元とは、天皇一代に一つの元号を対応させる制度のことです。
しかし、これも、残念ながら、中国の制度のマネで、我が国のオリジナルではありません。
元号を変えることを改元といいますが、改元の理由は
代始(代替わりのこと)
祥瑞(吉兆、いいことのあったとき)
災異のあったとき
讖緯(「しんい」と読む)説による
などで、元号はかなり頻繁に変えられていたのです。
「年号の歴史」(参考資料1)によると、一世一元が採用されるまでの改元の平均は、
中国 皇帝一代あたりの改元回数 2.4 回 一元号の継続年数 4年半
日本 天皇一代あたりの改元回数 2.8 回 一元号の継続年数 5年弱
ということです。
これほどの頻度で元号が変わっては、いくら平均寿命が短い頃でも、年齢の勘定がやりにくいのは必定。親しまれるわけもなく、庶民のほとんどは干支に頼っていたようです。(干支:十干十二支)
で、登場するのが、「一世一元」です。
中国で一世一元の制が実行されたのは、明の太祖の時です。明の太祖、朱元璋は最下層の農民から成り上がった一代の雄。最下層民から皇帝への成り上がりは中国の長い歴史でも、たった二人しかいません。漢の高祖・劉邦と明の太祖・朱元璋。一世一元というアイデアはある意味でこの経歴から来ているのかもしれません。
我が国で一世一元の制が採用されるのは、明治になってからのことですから、ここでもまた、我が国は、遅れること五百年ということになります。
我が国でも江戸時代ぐらいになると、むやみな改元のばかばかしさについての指摘がされるようになります。
先にあげた「年号の歴史」(参考資料1)には、中井竹山「草茅危言」、藤田幽谷「建元論」(原文が収録されています、ただし漢文)などがあげられていますが、ものごとを考えるセンスがわたしたちに近く、抵抗なく読めるものとしては新井白石の「折りたく柴の記」があります。(読みやすさを優先して、中公文庫収録、桑原武夫の現代訳「折りたく柴の記」がおすすめ)
元号に関する話は「下巻」のはじめあたりに出てきます。白石という人の合理的な考え方にふれることができるというだけでも、一読の価値があると思います。
では、なぜ、早くに採用されなかったのでしょう。そのころにも、元号のばかばかしさについて指摘されながらも、やれ文化だとか、それ伝統だとか、本質的な問題を考察できずに子供っぽい屁理屈をもてあそんでいる元号亡者とおなじような人々がいたのでしょう。
なにより江戸時代にあっては、元号こそが天皇家の数少ない仕事だったのですから、一世一元の合理性について気がついていても、採用するなど思いもよらぬことだったのでしょう。白石の「折りたく柴の記」にはこんな一節があります。
「我朝の今に至りて、天子の号令、四海の内に行はるる所は、独り年号の一事のみにこそおはしますなれ。」
(桑原現代訳)「また、現代日本において、天皇の命令で全国に行われるものは、ただ年号という一つのことだけである。」
・・・というわけで、改元はこの時代の天皇にとって、ハレの舞台、唯一のアイデンティティ確認の場だったわけですから、その機会を減らすことなどとんでもないことだったのでしょうね。
さて、ここで、視点を変えて、一問。
なにからなにまで猿真似の我が国が、本家中国で行われた改元理由以外の改元理由を創出できたでしょうか?
答えは、イエス。中国にはない改元理由が、江戸時代にあったのです。
その理由とは「将軍がなくなったから」というもの。これは言い換えると「新しい将軍が就任したから」ということでもありますから、天皇の代始ではなく、実質的な権力者の代始に際して改元を行ったのだということです。元号維持論者の一部には皇国史観ガチガチの人がいるようですが、彼らは時の最高権力者に尻尾を振るこのような天皇家の無様なありさまについては知らん顔をしています。
例 徳川家綱が将軍になった時、「慶安」から「承応」へ改元
徳川吉宗が将軍になった時、「正徳」から「享保」へ改元
ここに登場する「正徳」、新井白石が林信篤を批判した件に関わる元号です。
さらに、もう一問。
天皇の代始にあたって、必ず、改元されていたか?
答えは、ノー。新しく天皇になりながら、改元されなかった天皇もいたのです。
理由は、幕府が認めなかったからというもの。つまり、江戸時代にあっては、天皇のもつたった一つの命令権も、実際には、幕府に移っていたのです。
例 明生天皇(即位1629年11月8日):嘉永の元号のまま
霊元天皇(即位1663年1月26日):漢文の元号のまま
そうそう、改元理由に抱腹絶倒のものがありました。改元された元号は「正保(しょうほう)」。これは音が「焼亡(しょうぼう)」につながると難癖がつけられたためといいます。
さて、「猿真似にも、独創と同一の優越がある」か、という論については、次ページへ・・・。