「朝鮮が独自の元号をたてた時期がある」・・・我が国の元号との関係

 確証がないので、そのつもりで読んでください。

 朝鮮が独自の元号をたてたのは、536年、新羅の法興王の時です。その時から約百年、独自の元号をたてていたのですが、648年、当時の唐から「我が国に臣事しながら、なぜ、別に年号(元号)をたてるのか」と詰問され、650年それまでの独自の元号を廃して、唐の元号にしたがったということです。(参考資料1 「年号の歴史」 第6章による)

 日本に仏教が伝えられたのが、538年。中国との往来はそれなりにあり、その文化も、制度についても伝わりはじめたと見てよいでしょう。そして、607年には遣隋使として小野妹子が有名な「日出処の天子書を日没する処の天子に致す・・・」という国書をもっていっています。煬帝の不興をかったこの国書を送るほどにナショナリズムが成立していたとすれば、とっくに独自の元号をたてるくらいのことをしていてもよさそうなのです。

 しかし、はじめて独自の元号をたてたのは645年、継続的に元号をたてるようになったのは、701年以降のことです。これは新羅が独自の元号を断念した時期と微妙に重なるように見えないでしょうか。

 当時、朝鮮半島からの帰化人が大量に我が国に流入し時の政権に混血したことを考えると、我が国の元号制度は朝鮮半島で中国により自主独立心を押さえつけられた人々が、海に守られ中国の圧力が緩和されたこの地ではじめて実現し得た制度ではなかったか。そんな気がするのです。

 もちろん、今のところ、これは単なる想像、確証はありません。もし、なにか、ご存じのことがあれば、下記まで、メールくだされば、幸いです。

 
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