毎年思うことなのだが、来年こそ、最悪でも一ヵ月に一回は部屋の片付けと掃除をやろう。なにより本の整理。記憶力がこれほど衰えると書棚の後列に収納している文庫本、新書探しが大変。

 一冊の本を見つけるために、前列に並んでいる本をあれこれよける。探しているときはすぐに読みたい時。見つけるとよけた本を元に戻すことなどない。当然のこととしてエントロピーは幾何級数的に増大する。散らかること以外に、探すための時間がもったいない。もう若くはない。積算ロスタイム、イライラによるストレス、すべてがQOLに関わる。

 明けたら、この三日間、ハードカバーで行ったリロケートを文庫と新書でやろう。悩ましいのは出版社別にするかテーマ別にするかということ。テーマ別がいいのははっきりしているが、どのていどに区分するのか、それが問題。そもそもテーマ別と割り切るなら、新書だろうが文庫だろうがハードカバーとの混在にすべきはずだが、それでは本棚がでこぼこで汚くなるし、なにより本棚の収納効率が極端に悪くなってしまう。

 いずれにしても、棚ごとにナンバーを割り当て蔵書録にロケーションナンバーも記録する作業をしなければなるまい。まずは前後の列に収めている新書と文庫からだが・・・。(12/31/2011)

 半年以上片付けをしていない書斎、綿ゴミがすごい。いや、そのまえにダイレクトメールに、カタログ類。日経ビジネスに、ファクタ。各種のお誘いに、新聞の切り抜き。加えて、投信の運用報告書、株式の中間報告書に決算報告書とくる。わずかな投資資金にも関わらず、危険分散のつもりで投信の種類も株の銘柄も、それなりには、ある。数万口足らずあるいはギリギリ単元株でも、そのどれもが報告書を律義に送ってくる。ドコモ、武田、信越化学など、**(家内)宛てにも同じものが送られてくる。

 封を切ったときにチラリ眺めるていどで眼光紙背に徹するほどに読むわけではない。電話やクレジットカードの請求書のように電子データでの配信かサイト参照にすればいくらか割り引く、いや、分配金か配当に上乗せしてくれれば、よほどその方が有難いのだが。

 ・・・とここまで書いて、SBIポイントのことを思い出した。投信を買わせるためのポイントだが、一年で10,000円弱にはなる。失効させてはもったいない。

 こんなことをしているせいもあって、片付けはなかなかはかどらない。書棚の区切りから分野別の飛び地ができてしまったのが気になって、ハードカバーのリロケートをしようなどと思ったのが間違いだった。なかなか進まないどころか、このままのペースではあした終わるかどうか心許なくなってきた。

 さて、もう一頑張り。(12/30/2011)

 細野剛志環境相が、きのう、佐藤雄平福島県知事他と会談し、放射性廃棄物の中間貯蔵施設を双葉郡に建設する考えを示した由。論理的にはごく当然のことで、難点を上げればただひとつ、「中間貯蔵施設」という部分のみ。細野は「中間貯蔵施設で30年貯蔵した後、福島県外で最終処分する予定だ」と言ったらしいが、福島県外のどことは言わなかったのだろう。言えるはずがない。候補地はあるにはあってもどことも決まっていないのだから。

 どれほどのバカが考えても、汚染された福島から汚染されていない国内のどこかにわざわざ放射能汚染ゴミを移動させるわけがないことぐらいは理解できる。ここははっきりと「最終処分場にします」と言うべきだったように思うが、センチメンタルなマスコミがよってたかって「あんまりだ」とばかりに叩くだろう(他にどんなプランが考えられるというのだ、ドアホウさんよ)から、お利口さんの細野としては軽くウソをついて逃れたというわけだ。

 それでも「県外」という約束を死守するとしたら、こんなやり方がある。

 原発銀座のある福井か、再処理施設を受け入れた青森に移送して最終処分するのだ。いずれ、老朽化が進み、維持管理能力の落ちた福井の原発銀座(六ヶ所村でも同じこと)では「想定外」(大嗤いだ)の事故が起き、福島同様の汚染地域ができるだろう。そこにも「中間貯蔵施設」を作り、「30年貯蔵したら県外で最終処分」と約する。そして福島に搬送すればよい。福島の原発ゴミは福井(青森)に、福井(青森)の原発ゴミは福島に、これでカネのムダ遣いにさえ眼をつむれば、形式的には約束は果たせる。いかにも原子力村の詐欺師どもにはお似合いの屁理屈だ、呵々。

 全国の原発立地自治体は腹をくくっておくことだ。いずれ、あんたたちの「ふるさと」は放射性廃棄物の最終処分場になる。交付金を狙い、原発に飯を食わせてもらうことを選択したあんたたちは、将来、子孫に「汚田」を残した恥さらし世代と語り伝えられるだろう。じつに名誉なことだ。

 格別、厳しいことを書いたわけではない。一方にそれを選択しなかった町村も立派にあったのだから、巻町、海山町など。上関町の原発町長さん、いまからでも遅くはないよ、改心したらいかがか。(12/29/2011)

 きのうは**夫妻と「ほろ酔いコンサート」。ゲストには鶴瓶が出演。

 コンサートは6時すぎに終わり、イトシアの「響」で食事をしながら、10時すぎまで飲んだ。

 ドジョウ宰相には論理性というものが決定的に欠けているらしい。消費税率アップが必要と主張する一方で、治水にも利水にも役立たない(治水と利水は両立しない)八ッ場ダムの建設再開にカネをつけ、整備新幹線の建設を認可する。カネがないというのに・・・だ。完成時期のずれ込みが確定し、コストさえ確定していない機種を次期戦闘機に選定し、辺野古にはこれまた防衛上疑問符だらけの米海兵隊向け滑走路を作る手続きを進めようとする。まるで基地の移動だけが目的のような話で、要するに土建屋からのバックマージン期待としか思えない。税金が足りないから増税したいのか、無駄遣いをしたいから増税したいのか、それとも消費税を上げることそのものだけが目的なのか、まるで統合失調症患者そのもの。

 首都圏の水需要が頭打ちから減少に転じたいま、極端に水質の悪い八ッ場ダムの水など浄水処理コストを上げるだけで何の意味もない。八ッ場ダムが必要という連中にこのダムが溜めるはずの水を集中的に飲んでもらおう。バカが直るかもしれぬ、その前にヒ素中毒にでもなるかな、呵々。整備新幹線のほとんどの区間は営業運転に入ってほどなく赤字路線になること請け合いだ。「なんとかかんとかの起爆剤」などという聞き飽きたカラゼリフで、もう何発しょぼくれた花火を打ち上げたことか。ステルス性能などいくらよくても国防に専念するという軍隊には無意味。アメリカの海兵隊というのは外征軍であって恒常的基地を引き受けているのはこの国ぐらいのもの・・・。スジが悪い話もこれだけ並ぶと壮観だ。

 訪れたインドの原発建設予定地住民からドジョウ宰相に、こんな公開書簡が届いたと朝刊が伝えている。「フクシマの事故による被害を押さえ込もうと自身が苦労している時に、その危険な技術を他国に売ることには道義的な正当性がない」。「信なくば立たず」という政治の根本原理も心得ぬアホウが宰相を務めるとは、この国もおしまいかもしれぬ。

 何が何でも増税をしたいのなら、まず所得税の累進制を高めよ。宝飾品や贅沢品の物品税を復活して、消費税率の数倍にすべきだ。食料などの必需品に5%、クルーザーにも5%というのは悪平等の最たるものだ。利子税率が20%なら配当も分配金もキャピタルゲインの税率も一律20%にするのがあたりまえの話だろう。フロー課税に限界があるというのならストック課税を見直せ。それで富裕層が逃げるというなら、どんどん逃げるがよい。自分たちの収益の源泉がどこにあるか知らない愚かな富裕層などいない。(12/28/2011)

 今週号の日経ヴェリタスのヘッドは「CDSは警告する」。ソロスが「最終兵器」、バフェットが「時限爆弾」と呼んだあのCDS(Credit Default Swap)。

 「・・・いまやCDSは、保有する国債や社債をヘッジする目的で保証料を払って保険を買う本来の使い方は一部に過ぎない」。そして、こう続く。「大半は市場で破綻リスクが揺れ動くのに乗じてCDSを取引する投機的な需要が占める」。

 リーマンショック後のアメリカ政府の支出が巨額になったのは、景気刺激のための財政出動ばかり語られているが、派手にCDSを売りまくっていたAIGの「実質」破綻の尻ぬぐいをせざるを得なかったからでもある。

 記事は、ギリシャ国債の処理に関するスキームではCDS決済の条件を満たさないことになる(つまり格付け会社が「国債デフォルトだ」と騒いでも、債券を保有する銀行グループが「自発的に」減額に応じたのだから信用破綻とは見なさず、CDSの決済条件にはあたらないという「喜劇」)だろうという事情を述べた上で、にもかかわらず「ギリシャ国債を保有するかなりの投資家はCDSを手放すのをためらっている」と書いている。なぜか。

 その主役は従来のヘッジというより、破綻リスクが高まると予測してCDSの保証を購入し、保証料率が上昇してCDSの価値が高まったところで売却するといった投資目的の取引だ。

 いかにも日経らしい書き方をしているが、正確を期すならば、これは「投資目的の取引」などではなく「投機目的の取引」と書くべきところだろう。・・・日経という新聞社のダメさ加減は、正確な言葉遣いをあえて避け、常にヤクザな金融取引業者に「阿る」ところにある。インサイダー取引に走る不埒な社員が時々身内から出てくるのは当然の帰結だろう。いったい、いくらで買収されているのか。そもそも「CDSは警告」などしていない。「CDSはマネーのマスターベーション」に淫しているだけだ。

 記事は、取引実態にふれて、このように結んでいる。

 独銀に米銀がCDSを売り、米銀が仏銀からCDSを購入して支払いリスクをヘッジする。仏銀はさらに違う米銀にCDSを売る・・・。こうした構図では主要プレーヤーが決済不履行に陥ると、リスクのヘッジが次々に外れ、連鎖的に損失が膨らんでいくリスクを抱える。
 CDSの取引情報は金融危機後にDTTCで集計されるようになったが、市場関係者からはどこにリスクの所在があるのかは分からず、疑心暗鬼のまま取引が行われているのが実態だ。

 CDSの市場参加者として「買い手の構成」と「売り手の構成」の円グラフが添えられている。買い手の77.68%と売り手の85.06%は「G14ディーラー」となっている。G14というのは大手金融機関14社をさしており、そのメンツはバンカメ。バークレイズ、BNPパリバ、シティグループ、クレディ・スイス、ドイツ銀行、ゴールドマン・サックス、HSBC、JPモルガン・チェース、モルガン・スタンレー、RBS、ソシエテ・ジェネラル、UBS、ウェルズ・ファーゴだ。

 これらが互いにそれぞれの思惑にしたがって、再建の破綻保証機能を売買しているというわけだ。そのグラフと持ち高の一覧表を見ながら、ウロボロスの紋章を思い出しつつ、これも一種のバブルであり、誰も「オレだけはバブルから逃げられる」と思いつつ、結局はバブルからは逃げられないのだなとひそかに嗤った。(12/26/2011)

 北朝鮮の来年のカレンダー、これまで祝日ではなかった4月4日が赤い文字で印刷され祝日扱いされている由。他の祝日には必ず説明があるのに、4月4日には何も書かれておらず、韓国メディアでは「金正恩の誕生日(従来は1月8日とされてきたらしい)ではないか」とか、「強盛大国の大門を開くと宣伝してきたその日ではないか」とか、いろいろの憶測がなされているらしい。

 金正日の死亡は突然であったことだけではなく、アメリカとの交渉で食料援助とバーターで6カ国協議再開という条件が整った直後であったなど、できすぎたタイミングであったため、一部には「暗殺」の噂がある。

 もし、この新たな祝日が金正恩の誕生日であったとすれば、このカレンダーは「暗殺説」の傍証になるかもしれない。祝日表記をするとして、その説明文を掲載するにはリスクがあったから・・・。もっとも説明文を入れて印刷するには間に合わないタイミングだったという説も成り立ちうるわけだが。(12/25/2011)

 一月ほど前、政府与党の支持率が下降気味だとしても、来春のロシア大統領選でのプーチンの当選はほぼ確実だという見方を書いた。

 前哨戦たる下院選で与党「統一ロシア」はかろうじて過半数を維持したものの、予想以上に議席を減らした。欧州安保協力機構が派遣した選挙監視団は開票に際し与党側に相当に票の水増しがあったと指摘。以来、不正への抗議デモが繰返し行われ、徐々に反プーチン色を強める集会が波状的に行われ始めた。

 夜のニュースではきょうモスクワで開催された抗議集会には警察側の発表でも3万人規模になった由。来年春の大統領選、プーチンの楽勝と思われていたが、場合によっては第1回目の投票では決着しない可能性も出て来たらしい。

 それにしても選挙監視団の報告を取り上げてアメリカが「深刻な懸念」を表明したり、「徹底した調査」を求めたりするとはね。大統領選挙で大々的な不正をやらかして当選したあのサル大統領はいったいどこの国の大統領だったかしらね。(12/24/2011)

 ウォーキングルートのそこここに初詣のポスターを見かける。ふだんは無人、打ち棄てられたような神社までが「初詣は・・・」と呼びかけるのだから、可笑しい。街角の怪しげな募金にも似て、かき集められた賽銭がどんな輩によってどんな使い方がされるのか、それこそ「神のみが知る」というところか。ご利益なしの「無銭飲食」にでも使われるのかな、呵々。(12/23/2011)

 夕刊の「素粒子」。こんな疑問が並んでいる。誰もあしたのことは分からない。しかし、60年、この国で生きてきた経験から予想を書いておく。「・・・」以下は当方の予想。

10年後、崩れた核燃料の取り出しは始まっているか。・・・実質的にはノー。
避難した住民は戻っているか。・・・老人は戻るだろう、しかし若者のいない「死の町」。
三陸の漁港に魚は揚がっているか。・・・揚がっている。原発とは好対照。
金正恩体制が続いているか。・・・続いている。
普天間基地はなくなっているか。・・・あることはある、海兵隊員の遊び場として。
八ツ場ダムがそびえているか。・・・戦艦大和の如き無用の長物として、恥を晒している。
米国産の食品が並んでいるか。・・・現在のアメ車ていどのシェア。
消費税は10%以上か。・・・イエス。十数パーセントの税率。
自動車は電気で走っているか。・・・イエス。
気温が上がっているか。・・・目立った上昇はない。エルニーニョかラニーニャかにより高低まちまち。
生物のいる星は見つかっているか。・・・火星あたりで真菌くらいが確認。
大地震が起きてまた原発が壊れていないか。・・・フクシマ以上ではないとして「ない」とされる。

 核燃料の取り出しも、廃炉への工程も目立った進捗はないにもかかわらず、毎年3月11日には、いかにも作業が進んでいるかのような発表がなされ、その都度、世界は日本という国の愚かさをひそかに嗤いつづけるだろう、先日のバカ宰相の宣言そのままの茶番を。

 原発交付金に依存していた地域(双葉町、大熊町など)の住民と依存していなかった地域(飯舘村など)の住民では対応が別れるだろう。前者の地域でも、一定年齢以上、一定所得以下の住民は戻るだろう。「死んだも同然だ」と自分を見なしているか、あるいは「ここで死ぬなら本望だ」と断言できる住民のみが戻るだろうが、自らの「未来」を創り出す力のある人が戻ることはないだろう。後者の地域は様相が異なるだろう。原発マネーに依存していた地域は「カネの切れ目が縁の切れ目」になり、そんなカネに頼らず地域振興を進めてきた地域には復元力があるから。「志」あるいは「意気」の違いは大きいのだ。

 放射能汚染が海洋に深刻な影響を及ぼさない限り三陸の漁業は復活するだろう。フクシマとは著しい対照をなし、多くの人々はあらためて原子力発電という「火遊び」の愚かさを再認識するだろう。

 北朝鮮を「国体」という視点から見れば北朝鮮が大日本帝国のような「壊れ方」はしないだろうと見る方がいいのではないかと思うが、唯一この答えのみ、確信が持てない。

 極東における普天間基地の軍事的役割は限りなくゼロに近づくだろうが、アメリカが日本からカネを引き出すためのネタとしての存在価値は変わらないか、逆に増すだろう。なにより怠惰な霞が関官僚にとっての精神的支柱は「在日米軍」なのだから。無駄遣いは止まらないだろう。

 八ッ場ダムは「長良川河口堰」・「諫早潮受堤防」と同じ。存在価値はほとんどないのに土建屋利権のためだけに行う最大の無駄遣い。戦艦大和も戦艦武蔵も実戦にはなんの役にも立たなかった。愚かな海軍軍人にとっては有難いことに、両艦は撃沈されてその姿が見えなくなってくれたが、八ッ場ダムは眼に見えるだけに恥を晒し続けるだろう。建設を言い募った都県の知事や地元町村長の顔と名前を憶えておけば、十年後、二十年後に、奴らの間抜け面はおおいに嗤えるものになるだろう。

 アメリカが入れ込むほどには農産品は売れない。アメリカのためにアドバイスすれば、米国産であることを徹底的に隠し、原料として売り込むことだ。左ハンドル車を無理やり売ろうとして、アメ車はその手のアホウにしか売れなかった。ドイツ車は右ハンドル車を日本に投入して高級車としてのステータスを獲得した。傲慢なアメリカビジネスは、所詮、愚民と貧乏人相手の騙し商売にのみ通用する。

 税制改革の正道は、所得税率の累進制復活、フローに対する課税からストックに対する課税への重心移行、グローバルな徴税システムの確立、・・・のはずだが、そんなことはプアな日本政府にはできない。安易な消費税依存により、日本の沈降速度は増すだろう。

 モータリゼーションの主力は電気自動車ではないが、高齢者の自家用・狭小エリアの営業用といった場面の主力は電気自動車になるだろう。これがまた別の公害源とならないように祈るばかりだ。

 気候変動の振れ幅が大きくなっているのではないかという懸念はあるが、定向的に温暖化に向かっているとは言えない。ラニーニャの年には「温暖化」と騒ぐが、エルニーニョの年には「エルニーニョ」と騒ぐ。「寒冷化」と騒がないだけの話。統計的に有意な気温の上昇はないだろう。

 大枚のカネをかけて宇宙探査を繰り返しているのだから、真菌くらいでも見つけてくれないと困るという事情があるはず。ニーズのあるところには怪しげなシーズも生まれるものだ。

 大地震があるかどうかは分からない。しかし、稼働後30年以上の原発がめっきり技術力・保守管理能力の落ちた連中によって運転・維持・管理されているのだから放っておいても「事故」は起きる。原子力村の詐欺師どもはいろいろに言い繕うだろうが、いずれ電力会社も原子力には愛想を尽かすだろう。

 さて、どのていど、あたりますか。的中度よりは、そもそも、こういうことを書いたことそのものを忘れてしまう確率の方が高いだろう、呵々。(12/22/2011)

 **(家内)と新橋の電通四季劇場で「オペラ座の怪人」を観る。**(息子)のプレゼント。2階のS席。ずいぶん、頑張ってもらったようだ。

 ちょっと前に、**さんが、ロンドンのアルバート・ホールでの25周年記念を収録した映画を観て、絶賛のメールをくれた。そのとき原作があのガストン・ルルーだと知った。原作はノンフィクション仕立ての凝った構造に作られた小説らしい。

 舞台はミュージカルとしては(ミュージカルでなくとも?)かなり大仕掛けなものになっていて、ちょっとマジック・ショーのような味もある。歌はよくいえば劇に溶け込んでいる、悪くいえば独立して「いい歌だね」と聴かせる歌はない。

 外に出て来てから、**(家内)が「ねぇ、ミュージカルとオペラって、何が違うの?」と訊いてきた。すぐには答えられなかった。答えられないのはあたりまえ。まず、映画を別にすれば、「ミュージカル」を観たのはこれが初めて。いや、日生劇場で「屋根の上のバイオリン弾き」を観たか。オペラにいたっては生で見たことがないのだから。・・・そうそう「ラ・マンチャの男」も観たなぁ。

 帰りの電車の中でいろいろ考えてみた。きょう観たのは「ミュージカル」。しかしオーケストラピットのようなものがあり、指揮者も演奏者もいた。どうなんだろう、ブロードウェイあたりのミュージカルも、あんなスタイルで上演されるのかしら。「ミュージカル」としてみたときになんとなく「らしく」なかったのは、踊りの要素があまり前面に強くでていなかったから。かといって「オペラ」のように最初から最後まで「歌唱」で埋め尽くされていたわけではない・・・、しかし、それは生の「オペラ」を観たことがなく、レコードだけでしか知らないからか。

 なによりこんな疑問が**(家内)に浮かんだのは、「ミュージカル『オペラ座』の怪人」だからかもしれない。オーケストラピットがあったのも、らしくない「歌唱」と思ったのも、踊りを強く「印象」しなかったのも。ウーン、死ぬまでに一度はオペラを生で観なくては。(12/21/2011)

 アップルから「iPod nano(1st generation)交換プログラム」というお知らせメールが来たのは先月14日のこと。

 Appleでは、ごく稀にiPod nano(1st generation)のバッテリーが過熱して安全上の問題を引き起こす可能性があることを確認しております。
 対象となるiPod nanoは2005年9月から2006年12月の間に販売されたものです。
 この問題は、製造上の欠陥があるバッテリーを生産した特定のバッテリーメーカーに原因があることがわかっています。実際に過熱事故が発生する可能性はきわめて低いとはいえ、バッテリーの経年に伴ってその可能性は高くなります。
 iPod nano(1st generation)をお持ちのお客様は使用を中止し、下記の要領で無料交換手続きをされることをおすすめいたします。

 このトラブルが分かったのは数年以上前のこと。やけどなどの被害が出たにもかかわらず、アップルは「ごく稀な例」と主張し、「加熱事故が発生したものについてのみ修理を受け付けるがリコールはしない」と突っぱねてきた。外資系に弱い我が経産省が実態を調べてアップルに報告を求めたのは去年の夏だったと記憶する。アップルから出て来た報告書を確認すると、経産省が把握していた十数件以外にも本来NITE(製品評価技術基盤機構)に報告すべき内容の事故がその倍以上の件数あった。それでもアップルはレアケースと主張し、リコールはもちろん積極的な広報活動すら行わなかった。品質保証に席を置いた身としては「たいした根性だな」と強気のアップルの姿勢に呆れたものだった。

 だから、このメールを読んだときには「何があったんだ?」と疑った。場合としては、従来以上の重大な事故が新たに発生して人または物に2度以上のヤケドまたはボヤなどが発生してしまった、あるいは、年代物のiPod nanoを使いつづけた場合、発熱・発火事故の確率が格段に上昇する可能性がある(古い扇風機などの発熱・発火事故のようなプロセス)ため、第1世代を使いつづけるユーザーが減少した頃合いを見計らって「アリバイ作り」に出たか、そんなところかもしれないと想像した。

 現在のウォーキングのお伴は第6世代のiPodだ。容量は16ギガ。それまで使っていた初代は4ギガ。4ギガは小遣い帳によると充電器やポケットラジオ抱き合わせで36,400円(おそらく2万7千円前後)だったが、16ギガは16,800円。毎年、次世代機が出るごとにスペックは魅力的に、価格は下がってゆく。したがって、事実上、ユーザーにはバッテリー交換ができない構造になっていても、あまり痛痒を感じないようになっている。

 デザインと仕上がりの良さで初代に軍配が上がる。実際、惚れ惚れするような出来だ。セットで使っていたアイワのケース付きヘッドホンにも愛着があって捨てがたく、捨てずに引出しの奥にしまってあった。去年、第6世代に買い替えたのはバッテリーの寿命で再生時間が極端に短くなったためと、録音・録画機能などの不要なゴテゴテがなくなりすっきりしたから。しかし、ただでバッテリー交換してもらえるならば、お気に入りの初代はウォーキングのお伴に最適。というわけで、さっそく、交換手続きをウェブで行った。回収は16日(11月の・・・だ)の午後を指定した。

 ところが指定日の指定時間帯には回収に来なかった。手続きウェブを見ると、アクセスが集中しているらしく応答しない。発売から6年以上経って、その後、仕様・価格で陳腐化した初代など、もうとっくに捨てられているだろうとアップルはタカをくくっていたのだろうが、意外な反応で準備した体制が追いつかないのだろうと想像して、しばらく待つことにした。

 しかし、半月経っても一月経ってもウンでもスンでもない。ウェブに再度入力すると、「既に受け付けられています」と出て、いつまで待たせるのかなどの案内ページにも進まない。どうやら「交換プログラム」というのはやっている「フリ」、事故が起きたら「鋭意リコールを推進してきましたが・・・」という言い訳をするためのダミーだったのかもしれないと思い直して電話をしてみた。

 電話窓口に出た男は「アップルの受付システムで障害が発生して・・・」と逃げに一手。「いいよ、だったらその旨を説明するページにでもつながるようにすればいいじゃない」などと言っても、壊れたおもちゃのように同じ説明を繰り返す。マニュアルがそうなっているのだろう。「分かった、じゃ、どうするの」と訊くと、ホッとしたような口調で「わたくし、トミヤマが受け付けまして、手配をさせていただきます」という。「じゃ、お願いします」。ところがこれからがすごい、「手続きをするので、しばらくお待ちいただいてもよろしいでしょうか」と来た。そして音楽に切り替わる。どれほど待たせるのかと腹が立ってくるころに、やっと、「お待たせ致しました」。交換品が届くまで6週間ほどかかること、もし水濡れなどユーザー側の問題と思われる場合には交換をせずに現品をそのまま送り返すこと、・・・アップル側が付ける条件の読み上げが始まった。・・・こんなことくらい待たせずに最初から言えよ・・・「以上、ご了解いただけますか」。呆れながら「いいですよ」と言うと、「ではお客様の確認をさせていただきますのが、しばらくおまちいただていもよろしいでしょうか」。そしてまた音楽に切り替わった。なんという慇懃無礼。

 そしてやっと住所、氏名、電話番号などの確認があり、回収日と時間帯を決めた。少しばかり、腹の虫が治まらなくなってきたので、「さきほど、水濡れがあったらそのまま返却と言ってたけど、改修中にそういう事態が起きたときの扱いはどうなるの? 回収業者に問題のない物を渡したのに言いがかりをつけられる心配についてはどう担保してくれるの?」と尋ねた。

 トミヤマくんは答えられなかった。マニュアルにはそういう質問にどう応ずるかが書かれていなかったようだ。「わたくしの方では分かりません。シニア・アドバイザーにおつなぎします」。またまた音楽。しかし数分経過したところで音楽は話中音に変わった。切られてしまった。こちらもキレた。

 かけ直し、応対に出た(こんどは)女性に怒鳴りつけて、やっとシニア・アドバイザーなる男につながった。大変な会社だ。

 回収に関わる質問の答えはすぐに出た。可笑しかったのは回収時に濡れた場合の説明をする際に「ヤマトが、ヤマトが」と繰り返したこと。アップルが回収を「ヤマト」に頼もうが「サガワ」に頼もうが、そんなことはこちらにはなんの関係もない。回収業者に渡すところがユーザーとアップルのインタフェースで、それ以降はアップルの責任に決まっている。徹頭徹尾アップルの都合ばかりを強調する。それがアメリカ流か。TPPなどが成立したら、こんな当たり前田のクラッカーのようなことまでアメリカ企業ベースになるのかもしれない。

 最後にこんな質問をした。「もし、わたしが、きょう、こういう電話をしなかったら、回収には来たのかな?」。答えがない。「いいかい、意地悪く考えると、もうそろそろ初代を使っているユーザーも死に絶えたろうなと思ってリコールを始めた。ウェブに登録して、待っているうちに忘れてしまって、泣き寝入りするのを待っていた、そういう風にも考えられるよ」。すると意外な答えが返ってきた。「そう受け取られても仕方がないと思います。もしわたくしがお客様の立場に立てば、そう思ったかもしれません」。

 意外な答えで、とたんにこちらの毒は一気に抜けてしまった。電話を切ってから、「なるほど、『シニアクラス』のアドバイザー(誰に対する・・・だ?)だったね」と思った。(12/20/2011)

 ウォーキングから戻ってシステムに火を入れて、モニターレポートの準備をしつつ新聞各紙のサイトを一覧した。共同通信のサイトに「北朝鮮が正午に特別放送を予定」という記事があったので、テレビをつけてレポートを書き始めた。昼のニュースが始まってすぐに「ここで新しいニュースが入りました」として、金正日の死亡が伝えられた。「12月17日8時30分、現地指導に向かう列車の車内で逝去」というのが朝鮮中央通信の速報の内容だった。

 夕方から夜のニュースは相当の時間を割いて「独裁者金正日」の死を伝えている。おなじみのコメンテーターがオンパレードで出演し床屋談義としか思えぬような「解説」をしている。どれも個人的「予想」の域を出ないのは根拠とするべきたしかな情報を持ちあわせていないからだろう。

 金正日についてはいろいろな本が出ている。何を書いても北朝鮮のことだからばれることはないという安心感、そして狂気の国北朝鮮のトップを気むずかしい冷血動物と書いておけば売れるという商業的な見込みからに違いない、イカにもタコにもという本ばかりだ。そんな中で鄭昌鉉の「真実の金正日」は信頼できるものだと思っている。

 著者の鄭は中央日報の記者としてスタートした北朝鮮研究者。この本は、金正日が労働党中央委員会に所属し、金日成の後継者にのし上がってゆく時期に労働党対外情報調査部(おそらくスパイ組織)で金正日を間近に見ていた申敬完(本名:朴炳燁)という人物の話をベースにまとめられたもので、和田春樹はこの本を解説して、「金正日が金日成の後継者になったことは父子継承であるとか、王朝体制の現象であるとか言われてきた。しかし、実際はそのようななまやさしい過程ではなく、自らの権力掌握の過程といっていいほどの実質的な政治的行為であったことが明らかにされている」と書いている。(同書「第6章権力のバトンを引き継ぐ」の末尾3分の1はかなり読ませる)

 これによると、金正日という人物は相当に用心深く周到な人物だった。享年69歳。むろん個人差はあるにしても、老け込んで判断力が鈍る歳には少し早い。さらに自分が後継の地位を獲得し、盤石なものにするに至った条件を忘れる歳でもない。とすれば、三男、正恩の若さと経験不足などは百も承知、どのように担保するかについての手だてを講じていなかったとは思えない。よく名前のあがる張成澤が背広組の束ね、李英鎬が制服組の束ねとして当分の間、正恩をサポートすることだろう。同時に北朝鮮という国の貴種にあたる抗日パルチザン・マフィア(二世・三世を含む)が藩屏として機能するように仕上げたことも想像に難くない。あくまで「指導者」は金正恩、しかし実質的には一種のトロイカ指導体制(集団指導体制とは異なる)がトップを形成するともに抗日パルチザングループがこれを支える形。

 金正日としては張成澤、李英鎬がブースターロケットとして機能してくれることをもくろんだはず。いずれ十分な高度に達すればブースターは切り離しできなければならない。そういう年代を選んだと思う。とすると、張成澤と李英鎬の後に正恩をサポートするメンバーについてはどう考えていたか。それは正恩が選任すると考えたか、あるいはそこまでの工作をしていたか。なんとも言えない。

 それが我々の目に見えるメンバーなのか、現在は見えていないメンバーがいるのか。正恩は02年から07年までの5年間、金日成軍事総合大学の特設クラスで集中教育を受けた。そのとき、いっしょに学んだメンバーがいたのではないか。用意周到な金正日が何もしなかったとは思いにくい。ついでに書けば、正恩と机を並べたメンバーが、少なくとも、もう一名いたことは分かっている。一時期、後継者として名前が上がった次男、正哲だ。金正日は「正哲は性格が弱い」と評したとされるが、その言葉を額面通り受け取っていいか、どうか、いまの段階で「捨てハイ」と決めつけるのは早いと思う。

 ニュースはしきりに拉致問題への影響を報じていた。一方で「金正恩は若い。当分は集団指導体制だろう」というのなら、論理的には拉致問題の進展は絶望というのが妥当だろう。これが「核開発」というなら指導層内部で意見がまとまらないことはない。しかし「拉致問題」は違う。金正日でさえ失敗した(「謝罪までしたのに」対日関係を思うようにできなかったのだから)問題について指導層内部で意見がまとまるはずはない。議論百出の状況下で決断し方向を打ち出すためにはカリスマ性が必要だ。金正恩が短期間にカリスマ性を獲得できるはずはないのだから、拉致問題が進展することなど可能性は限りなくゼロに近い。金正日が拉致を認め、謝罪したあのタイミングを逃した時点で解決の可能性は格段に低くなり、彼が亡くなったいま、可能性はゼロになってしまったと思う。(これはトロイカ体制でも同じ)

 今夜の「報道ステーション」には安倍晋三が出ていた。拉致問題の解決可能性を潰した張本人はお前じゃないかと、薄い唇でチャラチャラとおしゃべりするブタの顔を見ながら思った。(12/19/2011)

 黒目川の遊歩道を歩きながら山崎川のことを思い出した。山崎川は覚南荘と南明町の家をつなぐように流れていた。本山の電停から城山中学の横へ。名大理学部わきの鏡が池から出てくる流れと合流し、ほどなく流れを直角に変える。その場所からしばらくした場所が南明町の家の坂を下った先にあたる。

 山崎川の両岸には同じクラスの子が何人かいた。椙山学園の向かいの高台のような高級住宅街(その一角にポーラ化粧品セールスマンによる殺人事件の家があったっけ)ではなかったが、敷地をゆったりととった粒のそろった住宅街だった。

 どういうわけか、友人の家に呼ばれることが多かった。***くんの家には冷蔵庫があった。氷の冷蔵庫だった。のちに我が家にも冷蔵庫が入った、電気冷蔵庫。そのときはじめてあの冷蔵庫のためには氷屋が(たぶん)毎日氷を届けていたのだろうと知った。電話は学級名簿を見てもまだ3分の1ていどの家にしかなかった。**くんがお父さんの書斎から居間を呼び出して、親子電話になっているのを得意げに試してくれたときはものすごく驚いた。

 そのころ我が家には台所に食器棚があるくらいで、まだ食卓はなく、三度の食事は折りたたみの脚のついたちゃぶ台を使っていた。食事が済めば脚をたたんで部屋の隅に立て掛ける。洋箪笥も和箪笥もない、家具らしいものは何もなく居間は広々としていた。**さんの家に呼ばれソファのある部屋に通され、ケーキと紅茶を出されたときはどうしようかと思った。ケーキ皿を持って食べるということに頭が回らなかったのだ。**さんの部屋は妹と共用。二段ベッドがあった。何かワクワクするような雰囲気があって羨ましかった。机の脇の扉がついた本棚を見たときは、最初、それが本棚だとは思わなかった。家にはない鉛筆削りが机に取り付けてあって、それだけはすぐに買ってもらえた。

 おおむね、お母さんたちにはウケのいい子どもだった。「礼儀正しいキチンとした子」と思われているのが理由と知っていたから、期待には必ず応えるようにしていたのが、いまから考えると嫌らしい。

 山崎川の想い出は木っ端で作った船を流して追いかけたこと。その遊びを作文にしてコンクールで賞状をもらった。定かではないが、追いかけるのに夢中で気がついたら見知らぬ風景の町になっていてあわてたことを「落ち」にした・・・ような記憶がある。そういうラストが大人にはウケると思っていたようだ。これもいまから考えると嫌らしい。(12/18/2011)

 我がドジョウ宰相は論理的にものごとを考える力はないらしい。きのう、夕刻、記者会見を開いたドジョウは「冷温停止状態を確認しステップ2が終了した。これで事故は収束した」と宣言した。

 原子炉がどのように壊れ、核燃料がどの範囲に留まっているのか、なにひとつ正確に分からない状態でたまたま計測できる場所の温度が百度以下になっているというだけのことにどれほどの意味があるのか、ドジョウていどの頭で考えても何の意味もないということぐらいは分かるはずだが、とにもかくにも「事故は収束」と言いたかったということか。

 東電は「廃炉までには30年以上かかる」と言っている。どれほど希望的に見ても、数十年先にならないと目鼻がつかないということだ。そんな事態を前にしてたった9カ月で有意な変化が見られるとは、よほど成績の悪い小学生でも絶対に考えない。つまり「愚民」を騙して安心させようという最低限のもくろみさえ達せられないということだ。

 それでもこの「安全神話バージョン2(「詐欺」の上塗りか、呵々)」を流布させて、「想定外の事故で壊れても、原発は安全です」と強弁するのなら、繰り返し書こう、あの小林秀雄の言葉を。「確かなものは覚え込んだ希望にはない。強いられた現実にある」。

 半藤一利の「墨子よみがえる」のあとがきにこんなくだりがあった。

 そういえば、岩波書店刊の月刊誌「世界」2011年5月号に興味深い告発の文章が載っていました。いまどき「世界」に目をとおす人は少ないでしょうから、わが田に水を引くようであり、まことに長い引用となりますが、あえてご紹介させていただきます。筆者は石橋克彦さん、まったく存じ上げない神戸大学名誉教授、地震学の先生です。
<半藤一利氏の『昭和史1926-1945』(平凡社)を読むと、日本がアジア太平洋戦争を引きおこして敗戦に突き進んでいった過程が、現在の日本の「原発と地震」の問題にあまりにも似ていることに驚かされる。「根拠のない自己過信」と「失敗したときの底の知れない無責任さ」によって節目節目の重要な局面で判断を誤り、「起きては困ることは起こらないことにする」意識と、失敗を率直に認めない態度によって、戦争も原発も、さらなる失敗を重ねた。そして、多くの国民を不幸と苦難の底に突き落とした(落としつつある)。>
 この一文を読むまでもなく、わたくしもこんどの原発事故は「起きては困ることは起きないことにする」という、かつての参謀本部や軍令部の参謀たちと同じことをやっているなと思っていました。あとから糊塗しても間に合わない。「想定外」という言葉はまさしく「根拠なき自己過信」と同じことです。

 「冷温停止『状態』」など、差詰め、「退却」を「転進」と言い換えて、現実逃避を図ったあの心理に似ている。いかに「事故収束」と主張したところで、「終わった」と思うバカはいない。

 いずれ福島原発事故の影響はジワジワとこの国に現れてくるだろう。気休めにもならぬくだらない宣伝に労力を費やすよりは、想定されるさまざまの障害を列挙した上で、ひとつずつ、地道に対処策を準備することに専念すべきだ。

 どのようにしても、いま生きている我々が死に絶えるまでのあいだに、フクシマが元に戻ることは100%ない。我々は汚染された国土をこれから生まれてくる子孫に引き渡す「罪人」なのだ。(12/17/2011)

 二日酔いというほどではないが少しフラフラする。右足の土踏まずと甲に痛みがあり、ウォーキングは見合わせようかとも思いつつも、どちらかというと「惰性」でいつもよりも30分遅れで出発。

 「たまには散歩ペースでもいいさ」・・・そのつもりが平成橋のスタートポイントに立つころにはいつも通りの感覚。結局、いつものフルコースを毎時6.4キロで歩いてしまった。きょうの富士はそこに富士が見えると知らなければ分からないくらいに霞んでいた。

 強制起訴された小沢一郎の公判が続いている。読売のサイトに「元特捜検事が虚偽の捜査報告書・・・小沢氏側が指摘」という見出しの記事が出ている。同じ内容のニュースが朝日や日経では、「『取り調べにないやりとり記載』/弁護側が報告書に疑義」(朝日)、「石川議員捜査報告書、事実でない発言記載:陸山会事件公判」(日経)となっている。

 いったいどんなことなのか、検索に引っ掛かった中でもっとも事実をよく報じていると思われる「中国新聞」の記事を記録しておく。

 資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる収支報告書虚偽記入事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表小沢一郎被告(69)の第9回公判は15日午後、東京地裁(大善文男裁判長)で証人尋問が続き、田代政弘検事(44)が事実と異なる捜査報告書の作成を認めた。
 田代検事は、元代表を「起訴相当」とした検察審査会の1回目の議決後、元私設秘書の石川知裕衆院議員(38)を再聴取。その内容をまとめた報告書に、石川議員が元代表の関与を認めた理由を「あなたは国会議員。やくざの手下が親分を守るようなうそをついてはいけないのでは」と言われたのが効いたと供述した、と記していた。しかし、石川議員の「隠し録音」にそのやりとりはなかった。
 弁護側は、隠し録音を基に「これまでと同じ供述をすれば元代表は不起訴になる」と供述の維持を迫ったのに報告書には書かれていないと指摘。田代検事は「思い出して作成したので、記憶が混同した」と釈明した。
 繰り返し誘導的な発言をしていることについては「石川さんの立場に同調するような形だった。対立関係になれば供述の後退が予想された」と説明、「供述を維持した方がいいと思った。(従前の方が)より真実に近いから」と述べた。
 左陪席の井下田英樹裁判官は「任意性に疑義が出るような危険な取り調べをしているという自覚はあったのか」と質問。「言葉の取られ方によってはそうなることもあると思うが、当時は気にしていなかった」と答え、故意に供述を誘導したことを否定した。
 16日の第10回公判には大久保隆規元公設第1秘書(50)=同罪で有罪、控訴=の取り調べを担当した前田恒彦元検事(44)=大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で実刑確定=が証人出廷する。

 小沢一郎の起訴容疑はなにか。陋巷の民が認識しているのは「政治資金収支報告書という公文書に事実ではないことが書かれていることを承知しながらこれを提出したこと、それは虚偽記載にあたる重大な犯罪だ」ということだ。

 この田代正博なる元特捜検事が、石川知裕が言ってもいないことを付け加えて「捜査報告書」を作成・提出したとすれば、これも「虚偽記載」という重大な犯罪というべきではないのか。これは被疑者を罪に陥れるための「証拠の捏造」にあたらないのか。そういう疑問が発生することがらだ。

 とすれば、読売の見出しの方がより正確なものであり、朝日や日経の見出しは、何故を以てかは分からないが、いささか公正さに欠ける見出しではないのか。

 もっとも、事実関係を分かりやすく書いていると思った中国新聞の見出しも「事実と異なる書類作成/石川議員再聴取で検事認める」となっている。この国のマスコミは検察官の「犯罪」は許容する傾向にあるらしい。(12/16/2011)

 有効期限ギリギリのタダ券を持って**(家内)と家を出る。まず山種美術館。創立45周年記念「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」。今月中は前期として「江戸絵画から近代日本画へ」。

 浮世絵は春信、清永、写楽の大首絵が3枚と北斎の「凱風快晴」など。近代日本画は竹内栖鳳「班猫」の他、上村松園がいくつか。いいなと思ったのは菱田春草の「月四題」。

 有名な速見御舟のー「炎舞」は年明けからの後期の展示になるとか。山種には奥村土牛の「雨趣」があったはずだが、あれも後期にまわされたのかもしれない。

 プライムスクエアにあった筑紫楼(広尾店といったらしい)が閉店になっていてがっかりしたので、きのうのうちに恵比寿店の場所をホームページで確かめておいた。当然、ふかひれセット。ランチサービスとして1500円。これは絶対にお得。

 目黒の久米美術館へまわる。初めて行く美術館。あの久米邦武の息子(桂一郎という由)が画家であったこと、黒田清輝とともにパリで学んだことも知らなかった。

 「美術館」とはなっているが、桂一郎、黒田、両名の師であるラファエル・コランの絵の他に、久米邦武関係の資料も展示されている。あの革装の「米欧回覧実記」が、当初は「米欧回覧日記」というタイトルで青表紙、黄表紙などの簡易装丁であったこともきょう知った。案外に収穫の多い一日だった。(12/14/2011)

 杉並区立堀之内小学校が春から芝生の養生のために使用してきたシート、そのシートから9万ベクレルを超える放射性セシウム(134と137)が検出されたというのが夜のニュース。明治の粉ミルクから放射性セシウムが検出されたというニュースは一週間ほど前の話。原料ではなく、春日部工場での製造中、乾燥工程で混入したという話だった。つまり政府とマスコミが「ただちに健康には影響しない」とヒステリックに大合唱していた、そのさなか、放射性物質は静かに、かつ、着実に我々の頭上に降り落ちていたということ。これが原発事故というものだ。

 朝刊にはフクシマ事故の余波として露見した別の話が載っている。

 ソウルのベッドタウンの路面から放射性セシウム137が検出されたのが先月の初め。盧原(ノウォン)区は舗装面の撤去を行ったものの330トンほどの廃棄物の捨て場所が見つからず、国との間で責任のなすりあいが起きている由。

 区は、国の原子力安全委員会などに処分を要請した。だが国側は「区は国と十分協議しないまま撤去を始めた。責任は、廃棄物を作り出した区側にある」(安全委)との見解だ。
 金星煥(キムソンファン)区長は「そもそも原発などからしか出ない放射性セシウムが、道路の舗装材に含まれていたことが問題であり、国が責任を負うべきだ」と訴える。舗装材は、公共事業用の資材を扱う国の調達庁を通じて入手されたものだからだ。
 なぜ舗装材に放射性セシウムが混入したのかは、謎に包まれている。舗装材に砕いて混ぜられた古鉄などに含まれていたとみられているが、製造販売会社はすでに倒産し、原因究明は壁にぶつかっている。

 「協議もしないで撤去したんだから知らん」という言い草に大嗤いした。役人という人種の責任逃れの弁はどこの国でも似たようなものになるようだ。記事の横には「そもそも」論の親玉のような話が載っている。

 蘆原区の一角の山中には、韓国で初めて、1962年に臨界に達した実験用原子炉を持つ国の原子力研究所跡がある。米国製の原子炉2基は、95年で運転を終えた。2号炉は解体が終わったが、1号炉は今も解体中だ。作業で生じた大量の放射性廃棄物は、ここでも行き場がなく、原子炉建屋などに保管されている。関係者は「国の施設が完成するまではここに置いておくしかない」と話す。
 韓国政府は南部の慶州市の山中で「低中レベル放射性廃棄物処分場」の建設を進めているが、完成は早くて来年末の見通し。高レベル放射性廃棄物処分場は予定地も決まっていない。運転中の21基の原発から出る放射性廃棄物も各施設で保管しているが、5年後にはいっぱいになる見込みだ。
 放射能を帯びた舗装材について、国の原子力安全委は「放射線が基準値を超える分は、いずれ慶州に運ぶのが適切」としている。区は処分場が完成するまでの間、住宅地から比較的遠い研究所跡で保管するよう国に求めているが、スペースが確保できないためか、国は受け入れを表明しない。
 放射性廃棄物に詳しい金丁キョク(キムチョンウク)ソウル大名誉教授は「廃棄物の確かな処分方針もないまま、原発を推進してきた政策の負の面があらわになった」と指摘する。

 この記事の書くところによると、韓国では、高レベル放射性廃棄物の処分場は決まっていないが、低中レベル放射性廃棄物処分場は決まっているらしい。我が国はどうか。レベルの高低にかかわらず放射性廃棄物の最終処分場は決まっていない。(記事が「最終処分場」と書いていないのが気になる)

 毎日、毎日、原発は「ウンコ」を出し続けている。原発の「ウンコ」が悩ましいのは、動物のウンコと違って「生物処理」も「化学処理」もできないことだ。ひたすら「半減期」を待つのみ。つまり「人里離れた場所」に捨てるしか、あの頭脳メイセキ、言い訳・言い逃れタッシャの原子力村の詐欺師どもにもどうすることもできないというわけ。「ウンコ」の処理の仕方も決めずに「原子力発電はクリーンで、環境にヤサシイ」などと主張できる頭脳構造と鉄面皮にはあきれかえるが、いまや全国各地の原発の敷地内の「汚水槽」は満タンという状況だ。

 ここで「超」現実的で、すばらしいアイデアを提供しよう。

 福島第一原発を日本国内の放射性廃棄物の最終処分場にするのだ。どうせ汚れに汚れた場所だ、何も除染などにカネをかけることはない。国内のすべての放射性廃棄物は福島で引き受ける。第一原発の敷地内だけで足りなければ、いままでたんまり補助金やら寄付金をもらってきた双葉郡全域を最終処分場にすればよかろう。もう既に充分にカネはもらっただろう。それでもまだカネが欲しいというのなら、韓国や中国の放射性廃棄物も有償で引き受け、強欲な双葉町や大熊町に回してあげればいい。

 我が政府はベトナムやヨルダンに原発を輸出することにしている。「原発建設をお任せいただければ、万一の事故の場合には自己の責任の有無にかかわらず、我がニッポン国が処理過程で発生するすべての放射性廃棄物をお引き受け致します」とでも宣伝すれば、大いに受注のアドバンテージになるだろう。

 さあ、フクシマを放射性廃棄物の最終処分場に!! 夢よ、もう一度。町の横断幕も再び活きるというものだ、「原子力 郷土の発展 豊かな未来」、「原子力 正しい理解で 豊かな暮らし」、アトミック・プリフェクチャー・フクシマ、万歳。

 夕刊の「文芸批評」に「kotoba10月号」の対談から引いた言葉が紹介されている。

「前の時代も今の時代も、原子力で終わったんだ」(高橋源一郎)

「しかも二発ともアメリカ製でね」(矢作俊彦)

 痛烈な指摘だ。(12/13/2011)

 仁川沖の韓国の排他的経済水域で拿捕された中国漁船内で韓国海洋警察の係官が中国人船長に刺され出血多量でなくなった由。違法操業の中国漁船の取り締まりで韓国海洋警察側に死者が出たのは二人目。前回は漁船側に飛び移ろうとした警察官が海に落ちて亡くなったのに対し、今回は刺殺したということだから比較にはなるまい。

 韓国外交通商相は駐韓中国大使を呼んで抗議したが、大使はついに「遺憾の意」の表明すらしなかったというからすごい。いくら民間人の犯罪とはいえ相手国の公務中の官憲を自国民が殺害したのだ。少なくとも「弔意」を伝えることと、発生した事態に対して「あってはならないことである」という認識を伝えることはしなくてはならないだろう。

 たしかに「遺憾である」という言葉はいかにも日本的なファジィな表現だが、曖昧さの中に双方のメンツが立つような配慮すらできないようでは、中国はかつての大日本帝国のような道を歩むことになるかもしれぬ。いくら数千年の歴史があるとはいっても、小人の声が無視できず士大夫の知恵が働かないような現代という時代にあってはあり得ないことではない。(12/12/2011)

 先日名古屋高裁金沢支部で再審開始の判断が出た「福井女子中学生殺人事件」、「冤罪File」11月号を読む。この号には「再審の胎動」として、「東電OL殺人事件」、「袴田事件」とこの福井の事件が取り上げられている。「福井女子中学生殺人事件」について書いているのは里見繁。毎日放送でテレビドキュメンタリーを作ってきた人。現在は関西大学教授らしい。

 絶句するような冤罪事件だ。福井市内の団地、スナック勤めの母親が帰宅すると娘が殺されていた。頭を鈍器で何回も殴られ、顔と胸に50カ所を超える刺し傷、首には電気コードが巻き付けられていた。凄惨な遺体だったらしい。事件の捜査は難航したが、1年後シンナー常習の青年・前川彰司が逮捕された。決め手は犯行現場からの逃走と血のついた衣服を捨てるのを手伝ったという男の証言とその際に使用した車の車内から検出された血痕だった。当時の新聞は「車内から血痕」と書きたてた。

 ところが、裁判が始まっても唯一の物証であるはずの血痕を検察は提出しない。弁護側が質問しても検察側は答えない。「とうとう裁判所が釈明を求め、仕方なく検察は『間違いだった』と認めた」。O型という血液型は被害者と一致するのだが、その他の血液型は一致しなかった。調べを進めると車内から検出された事件の2年前に手首を切って自殺を図った女性を運んだ際についた血痕であることが判明したことが分かった。被告が犯人であることを証明するのは逃走と衣服の処理を手伝ったという男の証言、その男の証言を補強する幾人かに関係者の話だけになった。

 その男、前川の高校の一年先輩、証言をした当時は暴力団員、覚醒剤取締法違反で福井署に勾留中だった。彼は刑務所送りを免れるためと拘留中の待遇改善を狙って、難航する捜査に悩む警察の気を引くような証言を繰り返したというのが真相らしい。警察はいっしょに捨てにいった血のついた衣服を捜して川ざらいをしたり、前川を乗せた車を運転したという補強証人をでっち上げたり、実りのない作業に振り回されたものの、表面上は「首尾よく」犯人を逮捕できたというわけだ。

 件の「重要証人」は法廷に出て、弁護人から問い詰められると、「端から言っているように、ボクは最初の段階はいい加減なことも言ったし、嘘もついたし、そんなもん、だったらはっきりと言ってることを何度も訊く必要もないでしょ、なんも。ボクはもう弁護士さんにかまってもらうつもりは、いっこもありませんから」などとケツをまくる始末。

 普通の裁判官ならば、答えは決まっている。したがって、当然のように一審判決は無罪。

 経緯から言って、警察も、検察も答えは分かっていたはず。なのに「じゃあ、犯人は他にいるんだな」と世間から叩かれるのが嫌だったのだろう、警察は突っ張り、愚かな検察は上告。しかし「捨てる神あれば拾う神あり」。この国の司法の現場に即して言い換えれば「捨てる裁判官あれば拾う裁判官あり」。「渡る世間にメンツ重視の検察官あればコトナカレ主義の裁判官あり」。控訴審の小島裕史(02年に名古屋高裁で定年退官)、松尾昭彦(11年4月より奈良地裁)、田中敦(11年4月より大阪高裁)の三人組は逆転有罪にした。最高裁は記すまでもない。彼らはこういう些細な事件には一切頭は働かさないという月給泥棒だから、追認。

 里見はこの高裁判決の判決文を使って、判決文そのものがおよそ思考力のある人間ならば、裸足で逃げ出したくなるほどの論理矛盾を露呈していることを、ちょっとばかり意地悪く指摘している。

 「犯人の衣服についてはともかく、犯人の手にはさほどの血痕の付着はなかったとも考えられ・・・」、「本件犯人は、その指先などの身体の露出部や着衣に相当量の返り血を付着させたことを推認することができ・・・」、おいおいと言わぬ者はおるまい。「判事さんよ、要するに犯人の手に血はついていたのかい、それともついていなかったのかい、どっちだって言いたいんだよ?」

 「スカイラインが警察に押収されたのは本件が発生してから約9カ月後であり、その間、所有者である**は、月に3、4回はガソリンスタンドで洗車、車内の清掃を受けているから、仮に当初車内に血痕が付着していたとしても、それが清掃によって消失した可能性もある」。車内に残されていた血痕は事件の2年前についたものだったと副捜査主任は証言している。2年以上も前の血痕が残っているのだから、「事件当日の血痕だけが掃除されて消えてしまったんです」などということは・・・いいかい、バカでも断言できるが「あり得ない」。

 布川事件の桜井昌司は「裁判官も検察官も、過ったら責任をとる社会を」と言っている。そう思う。しかしこの事件の場合はどうだろう。事件捜査に当った警察官のほとんどは前川が本ボシでないことは分かっていたはずだ。起訴した検察官もそれを助けた事務官もこれが冤罪であることには気がついていたのだろう。「犯人になってくれる人」を見つけて一件書類を作るのが仕事と思っているとしか思えない。

 不利な証拠と思えば、「ない」といい、「紛失した」といい、隠す。あげくの果ては改竄することまで辞さない。税金を使って収集した証拠を隠すことは許されるべきことではない。ここには「悪意」が見える。

 刑法に新しい罪を規定すべきだ。冤罪を作る罪。法定刑は該当の冤罪で適用される最高刑にしたらいかがか。たとえば、強盗殺人の場合にはでっち上げに関わった警察官と検察官は「死刑」。この件の控訴審裁判官のように恣意的な論理運用を行い、「悪意のある判決」を下した方たちも・・・同罪だね。(12/11/2011)

 月曜に夕刊が伝えた韓国裁判官の米韓FTAに対する意見表明に関するニュースの続報が、東亜日報のサイトに出ている。

 彼の国も主要新聞(朝鮮日報、東亜日報、中央日報)はすべて「保守系」(ハンナラ党支持、基本的に旧軍事政権センス・親米)で、日本のTPP交渉参加表明を「決断」した我がドジョウ宰相を褒めちぎっていると日経ビジネスが伝えているが、その東亜日報の記事だ。

見出し:判事166人、「FTA研究TF設置」を大法院長に建議
 仁川地裁の金ハヌル部長判事(43・司法試験32回)が9日、韓米自由貿易協定(FTA)の再協議を研究するためのタスクフォース(TF)の構成を求める建議文を大法院(最高裁判所に相当)に提出した。金部長判事9日、「大法院長への建議文」を作成し、仁川地裁の金鍾伯(キム・ジョンベク)所長を通じて大法院に伝えた。大法院関係者は、「梁承泰(ヤン・スンテ)院長が報告を受けた後、法院行政処に建議文の内容を検討するよう指示した」と説明した。
 金部長判事は、建議文を通じて、「大法院傘下に韓米FTAの研究のためのTFを設置し、韓米FTAが司法主権を重大かつ深刻な水準まで制限しているかどうかを研究・検討してほしい」と要請した。また、「必要な場合、韓米FTAに対する司法府の立場を対外的に表明することを検討する必要がある」と付け加えた。金部長判事は、部長判事10人を含む166人の判事を代表して建議文を作成した。
 金部長判事は、建議文で、「ネガティブ方式による開放、逆進防止条項、間接受け入れの損失補償などの条項に対して、韓米FTAの非公正性を判断するうえで、研究してみる価値がある」と主張した。特に、投資家・国家訴訟制度(ISD)条項と関連して、「韓国政府は、新たな経済政策の度に、米国企業に訴訟されるか心配し、顔色をうかがう立場になるだろう」とし、「米国にとってISD条項は西部時代のカウボーイが身に着けた銃と同じだ。身に着けてさえいれば、強いて抜かなくても一般人は顔色を見て避けるだろう」と強調した。
 裁判所が韓米FTA再協議を議論することは、国会の立法権と条約批准権を侵害し、三権分立の原則に反するという批判についても意見を付けた。金部長判事は、「法律を適用する機関である司法府が事前に法律に関して検討をし、意見を出すことが三権分立に反するとは言えないだろう」とし、「これまで国会で審議中の法案に大法院が意見を提示したケースは多く、誰も批判しなかった」と主張した。
 これに先立ち、金部長判事は今月1日、「司法府に韓米FTA再協議の研究のためのTFを構成すべきだ」という書き込みを裁判所内部の掲示板に掲載し、「12月中に同意する判事が100人以上になれば、大法院長に請願する」と明らかにした。

 日経本紙や日経ビジネスの報ずるイメージと、この韓国法曹関係者の反応は少なからずギャップがあるように思える。(12/10/2011)

 ずいぶん久しぶりに近ごろとんと目にしなくなった真っ当な言葉を読んだ気がした。朝刊、オピニオン欄、倉本聰のインタビューだ。

 農林漁業は統御できない自然を相手にするところから始まっている。工業は、すべてを統御できるという考え方に立っている。この違いはでかいですよ。統御できるもので勝負して、統御できないものは切り捨てる。そういう考え方が、TPPの最大の問題点だと思えるんです。

 自分の力が及ばない自然を相手にすると、人間は変わりますよ。(聞き手が、「畏敬の念が生まれると」と合いの手を入れる)生まれますね。自然を統御できるなんて、思い上がりですよ。なぜ、経済って、こんなに偉くなっちゃったんですかね。日本は確かに経済大国になった。でも、日本というスーパーカーに付け忘れた装置が二つあると思う。ブレーキとバックギアですよ。みんながブレーキをかけることを恐れ、バックは絶対しないと考えている。前年比プラス、前年比プラスと、ひたすらゴールのないマラソンを突き進んでいる。

 TPPって、危機に陥っているユーロ圏と、どこか似ていませんか。最近の混乱は、通貨の統一と同時に、思想も民族性も一つにできると錯覚したところに問題があったと思うんですよ。ブータンはブータンで認めて、日本は日本の生き方を認めて、そのうえで互いに助け合う。それが、これからの人間の英知なのではないですか。そういう気が僕はするんだけど。間違ってますかね。

 工業製品などは人工物そのものだから、規格・基準をあわせることができるし、その方が多くの局面において便利だろう。たしかにそこには「グローバル・スタンダード」の有効性はある。

 しかし、個人の生き方・考え方に「グローバル・スタンダード」などというものはないのと同様に、それぞれのコミュニティ、カントリーにも「グローバル・スタンダード」などというものはない。それは、その地域・国には現在につながる長い歴史があり、地域・国の相互に関連はあるにしても、同じではあり得ないからだ。

 その一点においてだけでも、倉本の言う「統御できない自然を相手にする」農業や水産業などにも「グローバル・スタンダード」なる考え方は成立しない。リカードはワインとラシャを取り上げて、有名な比較優位説を説いたが、まず、それぞれの国民にとってワインの趣向は異なるだろうし、イギリス人などは最初からワインをとらずにウィスキーをとるかも知れない。食文化とはそういうものであり、「身土不二」とはそういう考え方のひとつの表現だ。

 カリフォルニアで収穫されたコメが安い(単に大農法だから安いわけではなかろう。人手をかけない代わりにたっぷりと農薬を使い、産地から消費地に届く期間の保全用にまたたっぷりと薬品を使って、劣化した品質を隠すためのお化粧しているのだろう。コメではないが、アメリカには「ダミノジド」なる発がん物質を四半世紀も使い続けていた前科がある。そんな国なのだ、「アメリカ雑衆国」という国は)というだけで、それを常食にするようなことでは、ときには安全性が失われ、なにより食文化そのものまで台無しにしてしまう。(12/9/2011)

 **さんからSOSコールがあったのは月曜日。古いバージョンの「筆まめ」をWindows7のXP互換モードで起動しようとしているうちにブラックアウトした由。OSが立ち上がらない、BIOS設定をCD起動にしても読み込まない、おまけにOSはUltimateの64bitバージョン。

 Windows7。**(家内)のPCは7とはいってもHome Premium。ほとんど何も知らない。断りたいところだが、ダメ元でいいから見に来て欲しいとのこと。断り切れないところがつらいところ。最悪、夜までかかるかもと思いつつ、雨模様の中、「Paragon」などを持って出かけた。

 高円寺の駅で会うなり、「直ったかも知れない」という。システム回復オプション機能を試しているうちに「回復が完了しました」とかいうメッセージが出たところで、新宿で乗り換えたという電話が入ったので、直ったかどうかは確認せず迎えに出て来たとか。

 お茶もそこそこにPCルーム。火を入れると何事もなかったようにシステムは立ち上がった。

 64bitバージョン、メインメモリは16ギガ、どでかいファンのついたフルタワー。「これ、猫に小判じゃないの」という言葉が出かかるのを飲み込んで、別の話をあれこれ。まあ、それはそれで悪くはなかったのだが、何をしに来たんだっけという半日だった。(12/8/2011)

 日曜日の朝刊から3回連続で掲載された「カオスの深淵-欧州発の危機」、マネーの猛威について語るのかと思った冒頭から始まって「欧州発の危機」を終わらせたきょう、次回は「民主主義の課題」をテーマとすると予告している。

 第1回の書き起こしは「ソロンの改革」であった。「民主主義への道は、人々を借金の苦しみから解放しようとして男が切り開いた・・・」。

 「ソロンの改革」から「ペロポネソス戦争」へ至るほぼ百年間のアテネ民衆政治の体験に立ってプラトンは語りました。統治はまずティモクラシー(名声政治)として始まり、それがオリガキー(寡頭政治)に転化し、次にそれへの反動としてデモクラシーが生じ、それが「民衆の愚かさ」に助けられてティラニー(専制政治)をもたらす、という経緯があったし、りくつにおいてもそうなるというのです。・・・(中略)・・・民衆は、思考や議論のための十分な時間を有していたとしても、タイラント(専制君主)を歓迎するほどに愚昧でありがちだ、とプラトンは言い放っているのです。
西部邁「文明の敵・民主主義」から

 ・・・というわけで、プラトンは「哲人政治」を提唱したというわけか。

 最近、イタリアやギリシャで首相の座についたのがエコノミストであるというのは、プラトンから二千数百年が過ぎて、マネー支配がはびこる時代になったからと分かれば納得できるか、呵々。

 それはともかく、ここまでの3回では自己増殖を続けるマネーが国境を超えて動き回ることに既存の国家の枠組みがついて行けなくなっているのではないか、そんな印象。

 2-8原理の2割の人はもはや国家など制約ばかりの無意味な存在、そして「オレの財布に手を突っ込むな」という意識でいるのに対し、残りの8割の人は国家意識や民族意識を捨てられない、むしろそれだけが自分をそれなりの存在と意識できるお守りになっているという現実。この2-8は人数の比ではない。所得額(ないしは保有資産額)による階層の比。ただ2割の連中は忘れているのだ、お前の所得、お前の保有資産はお前一人の働きでお前の手許にあるわけではないということを。過度な集中はいずれガラガラポンを招く原因となるという歴史の法則を。

 罪作りなのは生産されている価値以上に発行されたマネー。誰もそこに手をつけられずにいるうちに、ある日突然、「自然法則」がはたらく・・・はず。できれば死ぬまでの間にラッパの音が響き渡ることのないように願いたい。(12/6/2011)

 初めての海外出張は韓国だった。そして、その次が中国。80年代、中国へ同行した住商の**くんは「韓国は日本の十年前、中国は二十年前」と言った。京城から大邱へ向かう特急セマウル号の車輌には小銃こそ隠しているものの目つきの鋭い男がそこここに立っていた。たしか毎月第一水曜だったと思うが、正午にはサイレンが鳴り、表通りは無人になった。防空演習があったのだ。

 四半世紀を過ぎたいま、十年とも二十年ともいわれた時間遅れはどうなったか。中国との比較では、まだまだギャップはあるのかもしれないが、韓国との比較ではもうギャップはないどころか、彼の国の方がよほどしっかりしているのではないかとさえ思う。

 我が国のTPP騒ぎの一歩先を行く韓国の対米FTA。夕刊にこんなニュースが載っている。

 米韓自由貿易協定(FTA)をめぐって世論が二分している韓国で、裁判官の「表現の自由」が議論になっている。ある裁判官が交流サイト(SNS)のフェイスブックでFTAを批判したところ、大法院(最高裁)が自制を勧告。これに対し、裁判官らの反発が相次いでいる。
 「骨の髄まで親米の大統領と通商官僚たちが、庶民の暮らしを売り渡したこの日を私は忘れない」。与党ハンナラ党の主導で米韓FTAの批准案が国会を通過した先月22日、現職裁判官がフェイスブックの自身のページにこんなコメントを載せた。
 これを見つけた保守系大手紙が批判。大法院は倫理委員会を開き、「公正な裁判に影響を与える恐れがあると思われないよう慎重にすべきだ」として、FTAに関する意見表明の自制を全裁判官に勧告した。さらにSNS利用の指針づくりに乗りだすと、「私的空間では表現の自由がある」とSNS上で訴える裁判官らの反発が続いた。
 また、韓国メディアによると、司法の内部サイトの掲示板に1日、「保守系」を自認する裁判官が「韓米FTAは我々の司法主権を侵害する不平等な条約だと分かった」と主張する文を投稿。「再交渉に向けた特別組織を作るよう大法院長に請願する」と呼びかけると、賛同意見が170を超えたという。(ソウル=中野晃)

 不平等条約ではないかという指摘はおそらく「投資家対国家間の紛争解決条項」(Investor State Dispute Settlemment:ISD条項)の存在にあると思われる。ある国の既存・新規を問わず設けた規制のために相手国の企業が投資家を立てて「規制によりビジネスが損害を被った」と「国際投資紛争解決センター」なる組織に訴えることができるというのがこの条項。

 ここで「国際投資紛争解決センター(ICSID:International Center for Settlement of Investment Disputes)」とは何か。「世界銀行」の一機関の由。設立はもう半世紀以上も前、主に先進国がいわゆる発展途上国に投資した際に発生する「揉め事」を先進国有利に裁定するために作った組織。

 世界銀行がアメリカに牛耳られている組織であることは歴代総裁がすべてアメリカ人-現在のゼーリック総裁の先代はあのネオコンで知られたウォルフォウィッツ-であることを見れば、色のついていない公正な国際機関と思えないことは素人にも想像できる。

 では国際投資紛争解決センターは何をするか。「訴えられた国が設けた規制が、訴えた投資家にどのていどの被害を与えたか」だけを判定するものとのこと。訴えられた国がいかなる目的で規制しているのか、あるいは規制に合目的性があるのかどうかなどは考慮の対象にはならない。韓国版FTAはTPPの将来形だといわれている。おそらくTPPには必ずこの条項が盛り込まれるだろう。

 悪い冗談をひとつ書いておく。

 かねてからアメリカの自動車産業は日本が非関税障壁によって外国車の販売が不利になるようにしていると主張してきた。そこで「左側通行というグローバル・スタンダードとはことなる交通制度を設けているからだ。そのために我がアメリカの左ハンドル車は不利を強いられている」と訴え出たとする。だが日本人なら誰でも知っている。ベンツ、BMW、AUDI・・・、みんな日本市場にあうように早くから右ハンドル車を投入してきたことを。もちろん、これは悪い冗談。

 話を元に戻す。韓国の裁判官が「韓米FTAは我々の司法主権を侵害する不平等な条約だと分かった」と言っているのは、このような社会を形作る法体系がビジネス状況から「空洞化」され、国家そのものがグズグズに破壊される可能性について危惧しているからだろう。

 この記事を読みつつ、「もし、TPPにこのような片務的条項が盛り込まれたと知ったとき、我が国の裁判官たちはどうだろう?」と思った。答えは出ているような気がする。とっくの昔に骨を抜かれた軟体動物に堕し、「統治行為論」などという「言い訳」に逃げ込んだ意気地なしの裁判官しか見たことがないという点で、我が国はもう韓国に遅れをとっているのではないか。(12/5/2011)

 読書欄は日曜の楽しみのひとつ。問題はますます積ん読本が増える危険性につながっていること。もう確実に死ぬまでには読み切らないほどのストックが本棚にあるのに、「うん、面白そう」というだけで購入リストに載せてしまう。

 斎藤環が「医者は現場でどう考えるか」(ジェローム・グループマン)という本を紹介している。

 認知バイアスにはさまざまな名前がある。同じ疾患を続けて診た医師が、新患にもその診断を下しやすくなる傾向は「有用性バイアス」。予想した結果に一致しないデータは無視する傾向は「確証バイアス」。珍しい診断を避けたがる傾向は「シマウマ回避」。何もしないよりは何らかの処置をしたがる傾向は「遂行志向バイアス」。医師として耳が痛い言葉が続く。

 書評末尾には「医学生や若い医師向けと帯にはあるがとんでもない。専門家を自任する、すべての人に読まれるべき本である」とある。もちろん、この「専門家」というのは「医者」に限定されるものではない。テレビに登場する「コメンテーター」などは「専門家」とはとてもいえない輩が多いが、まさにこの「認知バイアス」の奴隷ではないのか、呵々。(12/4/2011)

 最初、強い揺れで目が覚めた。十二月になった・・・ことしは地震が多い、気のせいか・・・地震の活性期に入ったって?・・・これからは老境を楽しもうなどと思って、油断していたら、直下型地震でもくらって・・・この家も壊れ・・・何があるかわからないのが憂き世という・・・などなど、思ううちに二度寝。

 こんどは雨音で目が覚めた。相当の降りらしい。いっそ激しい降りなら、ウォーキングは無理とあきらめがついてありがたいのだが・・・などと思いながら起きた。期待通りの降り。

 ぽっかり空いたウォーキングの時間に紙面モニターレポートを書き始める。今週の「特定記事」は「大阪ダブル選挙」。紙面モニターというのは当方の意見を書くものではない。当該のニュースの報じ方について善し悪し、不満、希望を書くもの。どう見ても「B層」による典型的なポピュリズム現象にしか見えないが、いまのマスコミ、就中、ネット右翼や右翼ジャーナリズムからの「攻撃」に怯えている感のあるいまの朝日にはとても「文明の敵・民主主義」(読み始めたばかりの西部邁の本のタイトル)の本質をつくような解説記事は期待できない。

 とすれば、そもそも「都」と「府」ではなにがどう違うかあたりを掘り下げて報じてくれれば、「橋下構想」なるものの「実現性」と「課題」などが浮き彫りになったのではないか。そのあたりを書くことにした。

 できることなら選挙前に橋下の空疎な二重行政批判などとは別に「都道府県」の違いを書いてくれれば、結果は・・・まあそんなことはあるまい。とにかく、いい給料をもらっている「はず」の市役所の役人を「穀潰し」と叩いて、なんとはなしの不満を解消し、「分かりやすいお話」にしてくれる我らがヒーローを待望していたことは事実なのだから。いくら頭が不自由でも、「大阪府」が「大阪都」になったら、すぐさま大阪はバラ色都市に変貌するなどと信じこむほどのお人好しではなかろう・・・しかし、長期低落、生活保護世帯全国ナンバーワン、学力テストワーストスリーの「大阪府」とくれば、本気で魔法の呪文「都になーれ」と念じた「大阪都民」もいたのかも。人間、貧すれば鈍するもの故。

 雨が上がってしまった。仕方がない、ウォーキングに出るか。この頃は日の入りが早い。(12/3/2011)

 朝刊国際面にこんな記事。

 ロシア外務省は1日、北朝鮮に対し、ウラン濃縮を含む全ての核開発活動の一時停止と、国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れを呼びかける異例の声明を発表した。北朝鮮を通るガスパイプライン計画を推進するロシアは、経済的恩恵を背景に北朝鮮に強い態度に転じたと見られる。
 同省は、軽水炉の建設を進めて低濃縮ウラン生産を拡大しているとする北朝鮮の声明に注目。「ウラン計画は重大な懸念を呼ばずにはいられない」とし、「核の平和利用の権利は認めても、国連安全保障理事会決議に反して核不拡散体制の枠外で実現することには同意できない」と述べている。
 北朝鮮は昨年から寧辺に「軽水炉」とする施設を建設中で、朝鮮中央通信は先月、「100%我々の原料と技術による軽水炉が力強く稼働する日が目前に迫っている」と伝えていた。
 ロシアはこれまで、2010年の韓国哨戒艦沈没事件や韓国・大延坪島(テヨンピョンド)への砲撃事件などでも、日米韓とは一線を画して北朝鮮への刺激を避けてきた。今年8月のロ朝首脳会談でも、北朝鮮の核開発計画への懸念表明はしていなかった。
 ロシアが安保面での行動を促す背景には、北朝鮮に多額の通過料が入るロシア―韓国間の天然ガスパイプライン計画が具体化してきたことが挙げられる。
 ロシア政府系企業ガスプロムの副社長と北朝鮮の原油工業省次官は先月30日、モスクワで初の共同作業部会を開催。実現に向けた詰めの協議をしたとみられる。
 有力紙コメルサント(電子版)によると、この問題を担当するロシア外務省のチモニン特命大使は、年末までにガスプロムを介して北朝鮮と韓国の交渉が始まり、来春にはガスプロムと韓国ガス公社がパイプライン建設の契約を結ぶ見通しを明らかにした。
 課題は北朝鮮内のパイプライン(全長約700キロ)の安全確保だが、この部分はガスプロムが建設し、北朝鮮の労働者が従事する可能性がある。北朝鮮はガスを受け取らず、中継するだけになるという。ロシア極東管区のイシャエフ大統領全権代表は先月、通過料は年間1億ドル(約78億円)との見通しを示している。(モスクワ=副島英樹)

 ロシアが北朝鮮に圧力をかけているという事実にはさほどの興味はない。いよいよ韓国までのパイプラテン工事が本格化するという事実の方に留意すべきだろう。既にエネルギー源の主役は「原子力」ではなく「天然ガス」に転換しつつある。

 ロシアから韓国へのパイプラインが順調に稼働するようになれば、原発輸出ビジネスのために国内原発を維持しようとしている韓国も原子力発電の比重を下げはじめ、ゆくゆくは全廃するだろう。しきりに原発輸出を図ろうとする李明博政権だが、FTAにより国を売ろうとする政権が長続きするはずはない。(12/2/2011)

 読者投稿川柳欄に「防衛省が犯す沖縄」。字足らずながら笑えるのはタテマエと実際のギャップの妙か。「送り狼」という言葉もあった。「御為ごかし」と「手籠め」、どこか語感が似ていないでもない。

 同じ欄には「人格の保証にならぬ金メダル」。アテネと北京の金メダリスト、柔道の内柴正人が勤務先の九州看護福祉大学をセクハラで懲戒解雇された。未成年の柔道部員の飲酒を黙認し、それに乗じてセクハラ行為を行ったというのが理由。「懲戒解雇」という以上、それなりの「行為」があったことが確認されたのだろう。ふたつの句が眼に見えぬ糸でつながっているようでなんともいえぬ。

 もう一句、「混迷の大正百年師走かな」。きょうから12月。あっという間に時は過ぎゆく。

 夕刊から。

 不動産業界の最大の政治団体「全国不動産政治連盟」(全政連)の東京と大阪の地方組織が2010年に、外国人業者から入会金を受け取り、それを同年分の政治献金として政治資金収支報告書に記載していたことがわかった。外国人からの政治団体への献金は、政治資金規正法で禁じられている。東京では過去にも問題となり、全政連が指導していた。
 不動産業を始めるには多額の保証金が必要だが、業界の保証団体に入れば免除されるため、多くの業者が加入する。その際、政治団体への入会も強く求められ、入ってしまう人が多いという。政治団体への入会金は献金として扱われる。
 全政連の東京、大阪の地方組織の収支報告書には、10年に不動産業を始めて入会した業者計589人が「寄付者」として記載されている。朝日新聞が調べたところ、このうち少なくとも4人が外国人だった。
 「大阪宅建政治連盟」(大政連)に20万円を献金したと記された外国人業者は取材に、「私は外国人だと事務局に伝えた。寄付者として名前が出ると思っていなかった」と証言。別の在日韓国人の業者は「日本名(通名)を使う人が多く、実際はもっと多くの外国人が献金しているはず」と明かした。
 大政連は「(外国人業者の入会は外国人献金となるので)違法だと事務担当者に伝えていた。さらに確認を徹底したい」と答えた。一方、全政連の山田守会長は「外国籍の人は入会させないように全国の組織に指導しているが、実態は把握できていない」と話している。
 約10万人が加盟する全政連は10年に、自民党の国会議員側に約2067万円、民主党の議員側に約1284万円を支出。政権交代前の08年に比べ、自民は4分の1に減り、民主は約4倍に増えている。

 菅前首相の外国人政治献金について、「忘れるな、追求しろ」と言っていたネット右翼の盛り上がりがいまひとつだったのは、その前に前原誠司が受け取っていたからだろうと思っていたが、この記事のような事情もあったのかもしれぬ。

 この全政連なる組織が一段噛むことによって「全政連のカネの中にそういうカネが混ざっていたとはぜんぜん分からなかった」と言い訳できるわけで、このあたりは汚いカネのもらい方について長けていた自民党らしい巧みさ(しかし、これ、小沢-西松建設のケースとまったく同じ)。何しろ、盛時の自民4分の1、民主4倍となってもまだ倍半分ほど違うというのだから自民党の巧みさが知れるというものだ。(12/1/2011)

 防衛省の沖縄防衛局長・田中聡が、おとといの夜、自ら設けた記者懇談の席で、辺野古移転に関わる環境アセスメント評価書の提出時期を明らかにしない理由を問われて「これから犯す前に犯しますよといいますか」と答えたという。懇談は内容を完全オフレコにするということで始められ、マスコミ各社は一切報じない中、琉球新報がきのうの朝刊でこれを報じた。

 もともと普天間基地の移設は95年9月に海兵隊員などが起こした少女拉致・強姦事件もひとつのトリガーになっている。その連想が田中の頭にあったのかどうかは分からない。単に、オフレコという条件、酒の場(懇談は那覇市内の居酒屋で行われた由)ということで、「男なら分かるだろう、ナ、ナ?!」という意識でなされた発言かもしれない。しかし、鈍感な全国紙記者には猥談風レトリックと思えた言葉も、沖縄地元紙の記者には「異常」な言い様として聞こえたのだろう。琉球新報は「人権感覚を疑う内容、かつ、辺野古移設に関わる重大な発言」として、防衛局に記事掲載を通告した上で朝刊に載せた。そうなると、いい子を決め込んでいたマスコミ各社も追随せざるを得なかったというところか。

 件の田中局長は事情説明のため東京に戻り釈明。防衛省はすぐに釈明内容を文書で公表。内容はこんなものだった。

 「『やる』前に『やる』とか、いつごろ『やる』とかということは言えない」、「いきなり『やる』というのは乱暴だし、丁寧にやっていく必要がある。乱暴にすれば、男女関係で言えば、犯罪になりますから」といった趣旨の発言をした記憶がある。「やる」とは評価書を提出することを言ったつもりであり、少なくとも、「犯す」というような言葉を使った記憶はない。しかしながら、今にして思えば、そのように解釈されかねない状況・雰囲気だったと思う。

 なるほど、役人という人種はいいわけをさせると天下一品、じつにうまいものだと感心させられる。田中個人と広報担当が知恵を絞って書いたのだろう。ご苦労なことだ。

 この一連の報道の中で、毎日と時事のサイトには記者懇談の席でのやりとりとしてこんな言葉も報ぜられていた。

 ――沖縄は66年前の戦争で軍がいたのに被害を受けた。
 400年前の薩摩藩の侵攻のときは琉球に軍がいなかったから攻められた。「基地のない、平和な島」はあり得ない。沖縄が弱いからだ。
 政治家は分からないが、(防衛省の)審議官級の間では、来年夏までに米軍普天間飛行場の移設問題で具体的進展がなければ辺野古移設はやめる話になっている。普天間は、何もなかったかのようにそのまま残る。

 この話が「犯す前に・・・」の話の前だったのか、後だったのかは分からない。しかし「力のない者は犯されて当然」というマッチョ的な心理・信念とは符合する。そういう流れの中での猥談風レトリック発言だったのかもしれない。

 だが、注目されるべきはむしろ後段、「審議官級の間では来年夏までに米軍普天間飛行場の移設問題で具体的進展がなければ辺野古移設はやめる話になっている」という発言の方ではないのか。

 いま、あらためて検索をかけても、毎日・時事いずれのサイトからも、この発言を報じた部分は削除されている。(こうしてマスコミ関係者にはあらかじめ「条件付け」をしておくのが官僚の手口なのかもしれぬ。つまりこのことはオフレコを守って欲しかったのだろう、呵々)(11/30/2011)

 朝刊のオピニオン欄に、土曜は清武英利、きのう、月曜は渡邉恒雄へのインタビューが載せられた。清武の談話は100%、今回の「コーチ人事介入」に関するものだったが、渡邉の方はその他に政治状況と経済状況に関するものが半分くらいあった。くさす材料はいろいろあったが、もはやこの男の独善については記録するほどの価値もないから書かない。

 原発に関する部分に問題意識としてはあがって当然の話があった。

 ――東日本大震災という国難に見舞われ、東京電力福島第一原発の事故が完全に収束しない中、読売新聞は原発推進を掲げたままです。
 「調査研究本部を中心に、専門家や研究者を招いて意見を聞いた上での判断で、安全性を十分に確保しながら再稼働していくのは必要なことだ。火力発電を増やすと、燃料の石油などの輸入価格が高騰したときに日本経済に与える影響が大きい」
 ――どんなに手を尽くしても、事故の危険性はゼロにはなりません。
 「なんでみんな気づかないのかと思うんだが、日本が原発をやめても、中国はこれから200基建設していく。しかも原子炉を冷やすために、水の少ない内陸部には造れないから、沿海部に多くの原発ができることになる。それが万が一、事故でも起こしたら、漏れ出た放射能は偏西風に乗って日本に降りかかるんだ。黄砂と違って、放射能は目に見えないんだから」
 「日本では福島原発の事故を受けて、安全性を高めるための研究がこれからどんどん進んでいくだろう。日本の高い技術力によってリスクを最小限に抑えた原発を、中国に輸出すればいい。ドイツは脱原発を打ち出したが、原発を推進するフランスとの国境近くにも原発がある。しかもフランスから原発による電力を買っている。フランスにも原発建設中止を言うなら分かるが、偽善的だな」

 「それが万が一、事故でも起こしたら、漏れ出た放射能は偏西風に乗って日本に降りかかるんだ」というごく当たり前のことについて「なんでみんな気づかないのかと思う」という指摘はまったくその通り。

 渡邉は東大哲学科出身であり、このインタビューには見えないが「哲学学徒」であったことをひそかに誇りにしているところがある。偏西風のことなど哲学者としての眼がなくとも誰にでも頭に浮かぶことだろうとは思うが、ほとんどそのことが語られない状況を見ていると「さすが」と評価してもいいかなとは思う。

 もっとも、溜まりに溜まる放射性廃棄物のこと、あるいは化学反応を制御することと核反応を制御することの天と地ほどの違いのことなどに思考力が及ばないようでは「哲学学徒」としての眼はたいしたことはないなということにもなるのだが。(11/29/2011)

 朝日の読者モニターが始まって以来、以前以上に滞りがちなホームページの更新をなんとか終えたところで、長瀬からメール。朝刊に投稿記事が載っているのを奥さんが見つけたのだとか。

 掲載の可否と、編集した内容への同意の問合せはあったが、いつ、どの欄に掲載されるのかは意識していなかった。いま、連絡メールを確認すると、「毎月1回、朝日新聞のオピニオン面に『紙面モニター←→報道・編成局』というコーナーがあります。モニターのみなさまからいただきましたご意見の中から3本を選ばせていただき、報道・編成局の部長らが答えるコーナーです」と書いてあった。編集された文案の方に意識があって、その部分は読んでいなかった。それが、けさの朝刊だったらしい。

 掲載したいといってきた文案はこんなものだった。

 インタビューを通して、対米関係の視点でTPPを読み解く記事もあったが、工業製品と農産品の輸出入の面から取り上げた記事が多い印象を受ける。医療や保険分野を含め、米国産業界の思惑をもっと探ってほしい。TPP参加国や中国、インドネシア、タイなど、アジア諸国のTPPに対する評価も知りたい。あらゆる産業分野に影響がある。医薬品メーカーや出版社など、日本の業界の反応も知りたい。

 提出したモニターレポートには「医薬品メーカーや出版社」などについてはふれていない。朝日としては、あくまで「読者の声」はダシ、と言えば言い過ぎとしても、同様の内容をレポートした幾人かの代表として名前を使いたいということは想像されるから、そんなことには拘らないが、末尾に「知りたい」、「知りたい」と同じ表現が続くのは、日記にしょっちゅうあることだが、全国紙の紙面に氏名とともに載る文章としては、少し気になるので、「もし、リライトするとすれば、こんな文案ではどうか」と返答した。

 インタビューを通して、対米関係の視点でTPPを読み解く記事もあったが、工業製品と農産品の輸出入の面から取り上げた記事が多い印象を受ける。医療や保険分野を含め米国産業界の思惑、今後の日本にとってビジネス拡大の主要な場となるはずの中国、インドネシア、タイなど現在TPPのメンバーに入っていない国の動向などをもっと探ってほしい。知的財産権が関係する医薬メーカー、出版社などの反応も知りたい。

掲載された文章はこうなっている。なるほど、要らない部分、ずいぶんあるものだ。

 工業製品と農産品の輸出入の面から取り上げた記事が多い印象を受ける。医療や保険分野を含めた米国産業界の思惑を、さらに読み解いてほしい。また、今後、ビジネス拡大の主要な相手となるであろう中国、インドネシア、タイなど、現在はTPPのメンバーに入っていない国の動向も探ってもらいたい。知的財産権が関係する医薬品メーカーや出版社、娯楽産業の反応も詳しく知りたい。

 **先生を思い出した。高1のときの現国の先生。「もう少し簡潔にまとめた方がいい、君の文章は長過ぎる」。従う気はあまりなかった。小学校のとき**先生から「お前の文章は短い。文章のブツ切りだ」と言われて以来、必死に長く書くように努力してきたのだった。なにより長い文章の方が「知的」に思えたから。(11/28/2011)

 大阪府知事と大阪市長のダブル選挙、知事は大阪維新の会幹事長の松井一郎、市長は橋下徹が当選した由。開票が始まったのが8時。すぐに当確のニューステロップが出た。「圧勝」。投票率は60%を超え、前回を十数%上回ったらしい。閉塞感を打ち破ってくれるという期待がこの結果を生んだのだろう。

 マスコミはこの結果を新しい流れのように分析し報ずるだろうが別に新しい流れではない。内容的には90年代の初めにブームを呼び、政権の核にまでなった日本新党のようなもの。

 日本新党は政治屋さんを開業したいが地盤、看板、カバンのすべて、ないしはいくつかが不足しているために自民党には見向きもされない「政治アコガレ族」に道を開いた。しかし、日本新党はいつの間にか消えてしまった。日本新党出身の政治屋を思いつくだけ書き連ねてみる。小池百合子、野田佳彦、茂木敏充、枝野幸男、河村たかし、中田宏、前原誠司、海江田万里、・・・樽床信二もそうだった。漂着先は様々だが、彼らには共通の「体臭」がある。秘めたる「エリート臭」、そして秘めたる「大衆蔑視」とでも書けば、当らずとも遠からずだ。

 日本新党ブームと橋下&大阪維新の会旋風は似ている。少し違うとすれば、橋下の中に東国原英夫に共通する部分があることだ。東国原は焦って自民党丸に足をかけようとして海に落ちた。橋下は東国原の転落をどのていど分析して他山の石としているだろうか。

 他山の石といえば、橋下は、今のところは小さいけれど、成り行きによっては大きな失敗につながるミスを犯しているのだが、その自覚はあるだろうか。それは「松井を知事候補にし、自らを市長候補にしたこと」だ。それは平松に勝つためには自分が挑戦しなければ難しいという事情があったからだと思うが、こうして結果が出てみると不安のタネを撒くことになった。松井が腹心の部下として「二万パーセント」(大嗤い)信頼できるパートナーであるならば問題はない。しかし松井との軋轢が生ずることになれば、消えてなくなる大阪市長の座にいては居場所が危ういことになる。松井がメドベージェフのようにあっさりプーチンに席を譲るとは限らないということだ。

 もちろん、自身が国政に転ずることを考えての「今回の仕掛け」かもしれぬが、残念ながら、まだ我が国は議院内閣制を採っている。大阪都の実現は法律の改正ですむが、大統領制の実現は憲法改正が必要だ。「ブーム」や「旋風」というものはそれほど長続きするものではない。

 閑話休題。

 一方、きょう、橋下&維新の会を支持したのは小泉政権を熱狂的に支持した「B層」と重なる。彼の「スリード」は「B層」を「主婦、若者、高齢者が多く、具体的なことは分からないが、IQが低く、改革に反感はない人々」と定義したそうだが、松井と橋下に投票した人々もおそらくこの階層だろう。

 現実を分析的に見る能力も姿勢も(場合によっては世の中にそういう考え方のあることすらも)知らないか、あるいはそういうものそのものを毛嫌いする(反知性主義の一種、ただしイズムは持ち合わせていない)、それ故、常に欲求不満の状態にいることの多い彼らにとって、橋下の話は「分かりやすく、頼もしい」ものに聞こえたのだろう。「いま、この状況を変えるためには、独裁が必要なんです」といわれれば、「そうやろな、いろいろゆうててもなんも変わらんよりは変わった方がましやろな。どうせ、わいら、なんにもないよってにな」と、こんなところだろうか。

 そういうB層のオッチャン、オバチャン、オニイチャン、オネエチャンたちよ、あんたさんたちの期待は、結局、シャボンの泡となってはじけると思うよ。

 大阪府が「大阪都」になったところで、生活保護受給率都道府県ナンバーワン、18人に1人が生活保護受給者という「大阪区」の現実がそんなことで変わるわけはない。むしろ「効率化」の進んだ新特別区役所は冷たい区政であんたさんたちに「対処」するようになるだろう。橋下が「IQ」の低いあんたさんたちを大切に扱うようなタマでないことぐらい、いくらバカでも分かるでしょうに。

 大阪の公立校の授業の質はますます低下し、「IQ」の低い子どもたちは切り捨てられるようになるだろう。手間のかかる子どもの面倒を見ていたら勤務評価が下がり馘首になるのだから、サラリーマン教員は頭の悪い子を切り捨てざるを得ない。これが橋下教育改革の行く末になる。ウソだと思うなら、橋下が教育委員として迎えた陰山英男がいま「橋下教育改革」なるものをどう批判しているかをきちんと聞いてみればいい。貧乏人とバカは生きているだけムダ、愛隣地区以下の生活で十分というのが橋下のホンネだ。

 それほどにしても大阪が「浮く」ことはないだろう。大阪は府民によって、ますます、沈下を早めている。しかし落胆することは無用。日本全体が同様の力学でますます沈下を早めているのだから。(11/27/2011)

 きのう東証はことしの最安値をつけた。時間内で8,135円79銭、終値で8,160円1銭。ニューヨークも、今週は月曜日から下げ続けている。サンクスギビングデーの休みをはさんで、けさ(といっても25日は半日で午後は休場)の終値は11,231ドル78セント。先週末の終値からは560ドル以上の下げ。

 直近の理由としては23日に行われたドイツ国債の入札が不調となり、ユーロに対する不安が一気にステップアップしたことがあげられている。

 不調になった理由は「2%という金利の低さだ」というから素人には理解ができない。「危ないのはギリシャだけではないぞ。イタリアも危ない」と聞かされた。「イタリア国債の金利が危険ラインと呼ばれる7%を超えたからだ」というのが理由だった。(7%? 我が国の国債だって7%の金利だったことがあるぞ」と思って調べてみた。記憶は正しかった。10年もの国債でも1990年7月27日から11月22日まで、8月1日の6.983%を除いて、7%を上回った日――8%を超えた日すらある――が続いていた。日本だけではない。アメリカ国債だって、ドイツ国債だって、同一時期には10年債で8~9%パーセントにも達していた。なにがどう違って7%がアブナイのか?、説明が欲しいところだ、呵々)

 ところが今度は鉄板と思われたドイツ国債の金利が低すぎるから市場がそっぽを向いたのだなどと言われると、なにがなにやら素人には分からなくなる。(イタリアは高すぎるから危険ゾーン、ドイツは低すぎるから心配となると、ではどうしろっていうんだ?、素人のほとんどはそう思うだろう、呵々)。

 そもそも2%で低すぎると言われたら、我が国の国債などはどうしたらいいのだ。「ギリシャよりも深刻な日本の国債赤字」と言われながら、10年債の金利はおとといの場合で0.999%だそうだ。素人には理解できない話だが、こちらの方は、7%も2%も市場は気に入らないという事情よりは専門家にとって説明しにくい問題らしい。(その証拠にいわゆる「煽り本」も含めて、こんな表現をしている。「いったん国債価格が下がり始めれば、もう誰にも止められない。だから増税と社会保障の切り下げしかない」。必ず、「***ならば」という条件節を伴っていることがミソ。ではその下がりはじめの引き金を引くのが何かについて、誰でもそうだねと納得する理屈を書いたものがなかなか見つからない)。

 いろいろの立場の人がするポジション・トークはそれなりにおもしろくはあるが、本当のところ、どういうことか、それについてはもう少し勉強が必要なようだ。

 それよりも我が家の現実。

 新興国市場も軒並み下げていて、我が家の「投資会計」は株式、各種投信(国内債券、海外債券、先進国株式、新興国株式、海外リートの5分野)トータルで、きのう、-18.58%まで落ち込んだ。既に8月4日を最後にして、確定利益を加えてもマイナスに転じている。沈むばかりで浮いてくる兆しはない。来週はもっと下がりそうだ。70歳を迎えるまでの年金補填費用は投資会計とはアイソレートしてあるから、それまでに戻ればいいという心づもりだが、「ファイナル・クラッシュ」が現実化すれば70歳以降の年金補填原資が消えてなくなることだって覚悟しなければならない。

 あの大恐慌は1929年の暗黒の木曜に始まるとされるが、ほんとうの世界恐慌はその2年後のオーストリアの銀行破綻が幕開けだった。ニューヨークダウが1929年の大暴落前の水準に戻したのは1954年のこと、つまり四半世紀を要した。戦争による「リセット」があって、ようやく復調の軌道に乗ることができたのだと言えば言えるかもしれない。四半世紀、言うのは簡単だが、いまから25年後、もう生きてはいない・・・だろう。

 読み始めた「暴落の着火点」の第1章は「リーマンショック後の金融危機救済策の支出」の規模がどれほどのものだったかを問うことから始まる。まず、「ベトナム戦争の戦費よりも少ないか?」、「ノー」。「イラク戦争の戦費よりも少ないか?」、「ノー」。「第二次大戦後のヨーロッパ復興計画(マーシャルプラン)の総額の10倍よりも少ないか?」、「ノー」。

実際の数字はこうだ。
 ベトナム戦争・・・・・・・・・・・6,980億ドル
 イラク戦争・・・・・・・・・・・・5,970億ドル
 マーシャルプラン・・・・・・・・・1,150億ドル
それに対して
 金融危機救済策・・・・・・・・4兆6,160億ドル
4兆ドルを超える救済資金とは、もはやため息すら出ないような巨額の支出である。

 サブプライム危機というのはこれほどのものだったのだ。その余震、あるいはそれによる本格的な影響が出始めてきたのだと考えると、四半世紀で回復すると考えるのはいささか図々しいのかもしれない。

 いや、おそらくこの激動の着地点はもう我々の知っているフレームワークのある世界ではなく、まったく想像もしなかったような「ブレトンウッズ体制」になると考えるべきなのだろう。アメリカが素直にそれを受け入れるはずはないから、その着地点に至るまでに世界が経験する痛みがとんでもないものになる可能性は高い。確実に言えそうなことは、没落するアメリカ帝国にひたすらついて行こうとする国はアメリカ以上の没落を経験するのではないかということだ。そして、その愚かな国こそ、我が祖国ではないかという気がしてならない。

 でもまあ仕方がない。この国に生まれたおかげで、少なくとも、戦争に行って人殺しをする経験はしないですんだのだ。いいことだけ・・・ということはないものだ。(11/26/2011)

 一段と晴れ上がった。ウォーキングコースからは富士がクリアに見えた。すっぽり、すべてが冠雪しているわけではない。左側、つまり南側の方は頂上あたりまでまだ黒いところがある。秋から冬へ。この季節が一年中で一番好きなとき。

 朝刊の「池上彰の新聞ななめ読み」、きょうのテーマは「清武氏解任」。バカバカしいので書く気にもならなかったが、こんなニュースだった。

 日本シリーズ直前、読売ジャイアンツ専務取締役の清武英利ゼネラルマネージャーが「球団で重大なコンプライアンス違反があった」として、文科省の一室(球団事務所ではないというところがスゴい)で記者会見を開いた。内容は「既に留任決定済みの岡崎ヘッドコーチを外し、江川卓氏をヘッドコーチとする旨渡邉恒雄会長から指示された」というもの。「組織としていったん決定した人事を鶴の一声で覆そうとするもので、許されないコンプライアンス違反だ」という主張だった。

 読売グループに世間でいうところのコンプライアンスなどというものがあるのかないのか、そんなことはよほどの世間知らず以外はみんな知っている。読売グループには欠片もない。もともとないものをとやかく言っても始まらないが、読売の中にナベツネ天皇を公然と批判できる「もののふ」がいたという一事に世間は耳目をそばだてた。なにしろ、読売ときたら、ナベツネ批判の週刊誌広告を――掲載しないのではなく、掲載しておきながら――その部分を墨塗りにするという凄まじい新聞なのだから・・・。(04年11月2日の日記参照

 閑話休題。池上は読売を含む新聞各紙が、この「なかなか報じにくい」騒動をどのように報じたかを比較したもの。

 まずは読売新聞。1面下に2段の記事は、読売巨人軍発表の事実だけ。スポーツ面では、原監督が「ファンの皆さんに愛されるチームを作る」と決意を語ります。社会面では、解任を発表した桃井恒和社長の緊急記者会見の内容を詳しく報じています。
 これに対して、清武氏の言い分は6行。「間違ったことはしていないし、後悔も反省もしていない」「不当な処分であり、法的措置を検討する」とのコメントのみです。
 こうした"騒動"があると、新聞は、識者の談話を掲載するのが定番。賛成・反対、中立的なコメントを掲載するものですが、識者2人は、解任を当然とし、清武氏を批判しています。3人目の評論家の大宅映子さんは、清武氏の行動について、「世間が味方につくと思ったのだろうが、読み違えた印象だ。日本シリーズのさなかにこんな騒ぎを起こされても、普通の人は白けるばかりだ」とコメントしています。
 これに対して毎日新聞。解任を言い渡される直前の清武氏に単独インタビューし、社会面に大きく掲載しています。紹介された識者コメントは2人。いずれも解任に批判的です。読売新聞を読むと、多くの人が解任に賛成している印象を受け、毎日新聞を見ると、解任を批判している人が大多数のように思えます。
 では、朝日新聞の識者コメントは、どうか。作家の江上剛さんは「解任は覚悟していたと思う。普通の会社員は問題を感じてもごまかしながら生きていくが、自分の人生にうそをつくことになると思ったのでは」「渡辺氏は骨のある人間を辞めさせ、後悔するのではないか」と語っています。江上さんは銀行員時代、会社の方針に疑問を感じ、会社立て直しに動いた経験があるだけに、会社員の読者には同感の人も多いことでしょう。
 もうひとりの識者は、読売と同じ大宅映子さん。「この間の騒動はキツネとタヌキが化かし合う、ただの内輪もめに見えた。読売新聞は企業のコンプライアンスを主張しながら自らのコンプライアンスはどうなっているのかと思ってしまった」

 ここまで読んできて、思わず吹き出してしまった。「評論家」大宅映子のマスコミ遊泳術も読売同様になかなかおもしろかったから。

 池上もマスコミ遊泳、というよりは泳ぎ方の達人らしく、「敵を作らない」ように、こんなフォローをしている。「まさか大宅さんが読売と朝日で発言内容を変えたとは思えませんから、取材した記者の引用方法によって違ったのでしょう」・・・と。呵々。

 そして、最後に。

 今回のニュース、会社人にとって、他人事ではない要素がたくさん詰まっています。
 日本経済新聞はどう報じたのか。と思ってページを繰ると、スポーツ面でしか扱っていません。識者コメントもありません。会社人としての進退について読者と考える絶好の機会なのに、なぜ日経新聞は、それをしないのでしょうか。

 まことにその通りだが、所詮、日経は「会社人の生き方」などはどうでもいい株屋新聞なのだ。

 経済は矛盾と悩みを抱えた個々の人間によって動くものだから、企業観察同様、人間観察、企業人の心理を深く洞察することが必要なはずだが、「李明博は日本のTPP交渉参加に焦って強行採決に走った」ていどの観察力では、清武くんの悩みレベルでも手に余ってしまったのだろう。(11/25/2011)

 時折思う、どうも世間一般の感覚と違っているのかもしれない、と。特に思うのはいわゆる「お笑い」について。テレビでお笑いタレントがひらひらとそれらしくしゃべっているのを見ても、おもしろいともおかしいとも思わないのだ。

 ヤクザ屋さんとの交際がどうこうということで「引退」した島田紳助が、ダウンタウンの松本人志の芸を見て、自分はもうお笑いではやっていけなくなったと「転進」を図ったという話を聞いたが、紳助がおもしろくなかったのと同様、仁志をテレビで見ていても笑えない。寒々とした感じがするだけで、かえって不愉快さがたまってくる。「笑い」などとは無縁。

 いざり車に乗った武士の風体で登場するクリック証券のコマーシャルは「胡散臭い証券会社には気をつけよう」と思っただけだったし、蚊取りをもってバスの中でつぶやくキンチョールのコマーシャルも「ウケよう」とするあざとさの印象が強くて、「なるほど、『虫が好かない』で売ろうとしているのか、女学校なみのギャグだな」と白けたばかりだった。

 当節はやりの「笑えない芸人」のはしりは立川談志だった。その談志の訃報。「やっと死んだかい、死に損ないが」というところだが、テレビも新聞もえらく持ち上げている。

 談志の落語ではじけるように笑った記憶がない。しみじみ「いいねぇ」と思ったこともない。しかし、昨夜来、不世出の大名人が亡くなったかのような話が続く。つくづく我が感覚の世間との違いを思い知ったわけ。

 落語界の反逆児というが、詰まるところ昇進に関わる不満から落語協会に尻を向けただけのこと。芸が破天荒で底が抜けているといっても、おしゃべりな「理屈屋」さんの「破天荒」など言語矛盾そのものだろう。型破りというわりには神経質で、居眠り客を見咎めて「帰るぞ」と凄み、つまみ出させるなんぞは人物としてもケツのアナの小さい道徳屋そのもの。(居眠りしようがイビキをかこうが意に介さず、まわりの爆笑で醒まさせるのが芸のはず

 あれだけ落語でなく、言葉で理屈を語るのは、破天荒も、荒唐無稽も、型破りも計算尽くということ。計算尽くの落語を楽しめる「理屈屋」さんはいいが、そんな落語が落語とは思わぬ。同じことを林家三平は「この話、どこが面白いかといいますとね・・・」と洒落た。あくまで高座での勝負、芸での証、それが噺家だろう。

 それでも、人間死ねば、最近はこれほど持ち上げてもらえるものらしい。イカモノしかいない当世風といえばそれまでだが、これほどに言ってもらえるのなら、死んでみるものだ。(11/24/2011)

 朝一番、大嗤いをさせてもらった。

 韓国の国会ではきのう米韓FTAの批准が強行採決された。不意を突かれた野党議員が催涙スプレイをまくなどの混乱があったと、昨夜のニュースは伝えていた。大嗤いをしたのは、目覚まし代わりのラジオ「森本毅郎スタンバイ」が、冒頭、その強行採決についてけさの日経朝刊が「日本のTPP交渉参加に、李明博政権が焦ったためだ」と解説していると紹介したから。

 「解説」するのはけっこうだが、客観性を抜きにした「こじつけ」はいただけない。どこの世界に既に両国政府が署名した協定を手にしながら、「これから交渉を始めます」という国に追い越されてしまうと焦るようなおバカさんがいるものか。「焦っている」のはなにが理由か分からぬが、妙にTPPに前のめりになっているバカな新聞社の方ではないのか・・・などと嗤いつつ、いったいどんな書き方をしているのかと、起き出して日経朝刊記事を一覧した。あった。こんな記事だった。

見出し:TPPが韓国の背中押す/米韓FTA批准対日・対中交渉が焦点に

 【ソウル=山口真典】韓国与党ハンナラ党は22日、野党の強い抵抗を押し切って米韓自由貿易協定(FTA)の批准同意案を強行採決した。日本の環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加に焦る李明博大統領は早期批准を強く訴えていた。米韓FTAの批准案可決で、焦点は日本や中国とのFTA交渉に移る。
 強行採決の舞台となった国会本会議場。野党議員がまいた催涙ガスで白くかすみ、議長席の周囲では怒号が飛び交う。だが、朴?太(パク・ヒテ)議長の命令で国会議員以外の議事堂立ち入りを禁止。多くの野党議員が採決に間に合わず欠席するなか、批准案の電子投票は数分であっけなく決着した。
 なぜこの時期の採決だったのか。米国は李大統領が訪米した10月に上下院が米韓FTA実施法案を可決したが、韓国国会は6月の提出から野党の反対で採決先送りが続いていた。李大統領は日本などのTPP交渉参加表明に「(通商環境の改善で)遅れるのではないかと焦燥感を抱く」と強調。異例の国会訪問までして早期批准を訴えた。
 国会会期は12月9日までだが、2012年度予算案の審議を残しており、李大統領が約束した「来年初めの米韓FTA発効」まで余裕は少ない。シャーマン米国務次官(政治担当)も22日、ソウルで記者団に「できるだけ早く韓国国会が批准してほしい」と迫っていた。
 支持率低迷に悩むハンナラ党は来年4月の総選挙と同12月の大統領選を控え、国民から批判を浴びる野党との衝突はできるだけ避けたかった。抜き打ちの採決には野党の抵抗を少なくする狙いがあったが、強行採決に野党は反発を強めており、12年度予算案審議などを巡り与野党対立が深まる事態も想定される。
 韓国政府はTPP交渉の行方に神経をとがらせているが、通商政策では「二国間FTAの推進」を原則に掲げる。多国間交渉より進展が早いと判断しているためで、今後の焦点は米国同様に貿易取引の多い中国との交渉開始と日本との交渉再開だ。李大統領はTPP交渉の状況をにらみながら日中との交渉時期を判断することになる。
 日韓経済連携協定(EPA)の政府間交渉は04年11月から中断したまま。両政府は交渉再開に向け実務レベルの協議を続けるが、日本の民主党政権で政局混迷が続いたこともあり韓国側は慎重姿勢。一方、中韓FTAは産官学による事前研究を経て、韓国政府内には日本より先に交渉を開始するとの見方がある。

 「日経の情報で投資すると失敗する」というのはその道の人からはよく聞く話。さもありなん。

 この記事には書かれていないが、陋巷の民でも、李明博の焦慮の原因は日本などにあるのではなく、先月26日のソウル市長選での与党ハンナラ党の敗北(野党統一候補、朴元淳が当選した)により野党が勢いづいたことに加え、来年春の選挙を控えてハンナラ党内にもFTAの「紛争解決条項」などに懸念を示す議員の動きがあることなのではないか・・・くらいの想像はできる。そのあたりをきちんと取材、報告できなくてはプレミア価格の新聞をとる意味などない。(日本国内の状況を知る李明博が「日本のTPP交渉参加に焦った?!」という「解説」を読んだらひそかに嗤うだろう。日本も落ち目だね・・・と)

 レバンテで上京した**さん母娘と昼食。娘さんも旭丘。**(**)さんに数学を教わった由。懐かしき放送局時代の話などいろいろ。楽しいお昼だった。(11/23/2011)

 きのうから始まった朝刊国際面の「20歳のロシア」。サブタイトルは「プーチン再び」。

 3選禁止規定により2008年に大統領から首相に転じたプーチンが来年春の大統領選に立候補し、4年の任期を終えるメドベージェフが首相に転じる予定らしい。多選禁止規定の意味を嘲笑うようなやり方、そして一部に伝えられるようなジャーナリスト暗殺(ポリトコフスカヤ、リトビネンコなど)など、プーチンに対する印象はよくない。与党である「統一ロシア」の支持率も下降気味であると伝えられているが、それでもプーチンが大統領に返り咲くことは確実視されている。なぜか。この記事はロシア国内におけるプーチンの支持がどのようなものであるのかを伝えている。

 ソ連が崩壊したのが1991年。エリツィンによる10年、ロシアは混乱を極め、「自由を得た代わりに、将来の危うさと不安につきまとわれた」。2000年に大統領になったプーチンは石油と天然ガスの国家管理を強化し、経済の安定化を図りIMF・主要債権国への債務を完済した。外から見れば強権的な新興財閥からの資源利権の剥奪も、国内ではそれがあってこその経済の安定と評価されたというわけだ。

 実際インフレ率も失業率も一定のレベルに落ち着け、貧困率は格段に解消し、かなり国民は「小さな自由と社会の安定」に相応の満足感を抱いている。こういう基礎があって、なお、国際経済環境が困難な時期だからこそ、プーチンのいま一度の舵取りを待望するムードが醸成されているということのようだ。

 最近読んだ石角完爾の「ファイナル・クラッシュ」という本は、ヒューゴ・ブーローというプライベートバンクのファンドマネージャーが書いた(という)「The Final Crash」を紹介しつつ、石角がこれを解説し、日本の状況を読み解く・・・そういう凝った構成になっていて、読みようによってはなかなか面白い本だった。

 原著者とされるヒューゴはその中で欧米先進国の借金経済が最後にして最大の破綻(それがファイナル・クラッシュ)をした後の世界では、「中国とロシアのように、クラッシュの前に事前の計画と準備を行った国々は、その努力は報われる。・・・(中略)・・・ファイナル・クラッシュ後は・・・(中略)・・・決して終わらないかに見えた西洋の繁栄に終止符を打つことになるだろう。日本を除くアジアの国々は彼らのかつてのポジション、つまり世界のリーダーとしての地位を取り戻すことになる」と予測している。

 つい先日、ロシアのメドベージェフ大統領、ベラルーシのルカシェンコ大統領、カザフスタンのナザルバエフ大統領が、モスクワで「ユーラシア連合」の創設に向けた共同宣言を出し基本条約に署名した。これを報じたマスコミはあまり多くはなかった(少なくとも読売の視野には入っていなかったようだ)が、報じたとしてもこれを「旧ソ連の復活」ととらえ「異様な連合体」(サンケイ)とコメントしたていどだった。(「異様な連合体」・・・か、どうやら、サンケイ新聞なんぞにはいまだに「欧州状勢ハ複雑怪奇ナリ」というバカ丸出しのセンスしかないのだろう、可哀想に)。

 「アジア」から「ユーラシア」へ、「石油」から「天然ガス」へ。視野範囲のとらえ直しすらできずに、TPPを語る愚かしさよ。(11/22/2011)

 上空は真っ青な青空。さぞかし富士がくっきりはっきり見えるに違いないと期待してウォーキングに出たが、南斜面側に吹き上がるような雲がかかっていていまひとつすっきりした眺めではなかった。

 朝刊の国際面にちょっと興味深い囲み記事。

見出し:天安門で失脚・趙元総書記を評価

 中国広東省の新聞「南方都市報」が、天安門事件で失脚した趙紫陽・元共産党総書記の功績をたたえる広東省の元トップの発言を掲載した。趙氏の評価は今も極めて敏感な問題で、国内メディアがその名に言及すること自体が異例だけに、波紋を呼んでいる。
 記事では、1980年代に広東省の改革を進めた任仲夷・元省党委書記(故人)の元秘書の潘東生氏が、任氏が生前に述べた言葉、「今日の広東があるのは(鄧)小平氏に負うところが大きく、(胡)耀邦や(趙)紫陽の功績も欠かせない」を紹介した。
 趙氏は総書記だった1989年、天安門事件につながる学生運動の訴えに理解を示し、「動乱を支持した」として解任された。
 2005年に死去した後も、共産党は追悼集会や回顧録出版などを厳しく封じ込めている。だが党内には政治改革を進めようとした趙氏の姿勢を肯定的に見る勢力もあるとされる。
 記事は、任氏が80年に、次の最高指導者と見込まれる習近平氏の父、習仲勲氏から省書記を引き継ぐ際の写真も掲載した。
 潘氏を知る作家の朱健国氏は「新聞で趙氏の名前に触れるのは、潘氏個人の判断ではあり得ない。習近平氏に対し、開放改革を推し進めた過去の指導者に学べというメッセージを送ろうとする党内勢力の動きと見るべきだ」と話す。(広州=林望)

 矢吹晋(どうしても「先生」という尊称をつけたくなる)に、この記事をどう読むか教えて欲しくなる。中国国内の「官僚化プロセス」に抵抗する勢力に一定の力があるのか、それともこれまた徒花なのか、ということだ。

 もう少しきちんと考えてみたいのだが、きょうは、またまた紙面モニターの締め切り日。(11/21/2011)

 明け方は曇っていたが昼前から晴れてきた。いま、この時間は青空に白い雲、その手前に灰色の雲がかかり、なんだかターナーの絵のような感じになっている。

 ターナーの「空」の描き方はモネの影響を受けている・・・などと思うのは間違いで、ターナーは1851年に亡くなり、モネは1840年に生まれているのだから、話は逆。

 普仏戦争の折、モネは徴兵から逃れるためにイギリスに渡り、9カ月ほどロンドンに滞在した。モネはこの時、ターナーの作品を研究したといわれている。モネの連作に「国会議事堂」がある。ウェストミンスター宮殿、つまりイギリスの国会議事堂を書いたもの。この連作は最初の渡英から四半世紀も経ってからのものだが、どこかターナーへのオマージュかと思わせるものある。オルセーのカタログにあるものなどは、とくに。

 ターナーは確実に印象派の隠れた父だったと思う。

§

 日本シリーズ第7戦。ホークス3-0で完勝。どちらかといえば、パ・リーグ代表を応援していたので、結果は満足なのだが、いささかドラマ性に欠けるシリーズだったような気がする。しかしこれでホークスはわずかに福岡に残っていただろうライオンズファンを駆逐して、完全にホークスに染め上げることができたのではないだろうか。

 MVPは森福にやってもいいのではないかと思ったが小久保だった。小久保のコメントは「MVPがなんでおまえなんやといわれるかもしれない。でもありがたくもらっときます」というものだった。うん、そうだと思う。だが、第5戦で先発をまかされた山田に「育成のお前がここまできたのはお前がしっかり頑張ったからだ」と声をかけたそうだ。山田は力みがスッとなくなる思いだったという。それだけでも十分にMVPだったかもしれない。(11/20/2011)

 きのうは三島泊まり。久しぶりで**と二人でじっくり四方山話。

 けさはゆっくり朝食をとって駅前から出ているシャトルバスを利用して「クレマチスの丘」へ。

 フォト・ミュージアムで野口里佳の写真を観る。ぜんぜん知らない写真家だったが、どこか磯江毅に通ずる静かさのようなものがあって悪くはなかった。

 天気さえよければ、敷地内にはビュッフェ美術館、井上靖文学館の他、一種はやりの野外の彫刻展示などもあっていいところらしいが、かなりの降り。11時15分の後は13時15分までバスがない。早々に帰ってきた。このまま新幹線で帰ったのでは「何しに電車賃欠けたの?」ということで、東海道線各駅で帰ることにした。といっても、JR東海とJR東日本をまたがる区間ゆえ、三島から東京までの直通運転はない。熱海で乗り換え、缶ビールと駅弁を買い込んでグリーン車へ。

 ダイヤ通りならば、14時すぎには横浜着の予定が、先行電車のパンタグラフにビニールが巻き付いたとかで小田原からノロノロ運転。あれこれの話をするには却って好都合と徐行運転を楽しむ。急がない旅もいいものだ。結局、横浜着が1時間遅れの15時すぎ。東横線で渋谷。さすがに本屋をのぞく気にはならず、副都心線経由で帰ってきた。

 日本シリーズ、おとといの第5戦、ドラゴンズは完封されてしまった。こうなると流れはホークス、「きょうで決まりなのでは」と思ってテレビの前に座ったが、ドラゴンズは初回に入れた2点を吉見、岩瀬、浅尾のリレーにより、失点1に押さえ込み守り切った。このシリーズの「敵地でビジターが連勝」という流れは、そのまま、きょうも変わらず。結局、行方はあしたの最終戦へ。(11/19/2011)

 モニター期間中はどうしても新聞記事が日記を埋めることになる。きょうも朝刊から。

見出し:反原発「打ち消す意見を」/道庁やらせ関与メモ全容判明

 北海道電力(北電)の泊原発(北海道泊村)3号機のプルサーマル計画をめぐる「やらせ」問題で、道が実施した意見募集の際、計画推進の意見を出すよう北電側に求めた道側の発言内容が関係者への取材で明らかになった。道はやらせへの関与を否定しているが、意見の中身まで具体的に指示する内容だった。
 北電はやらせ問題の発覚後、第三者委員会を設置。委員会が10月中旬に公表した調査結果で、道側が反対意見を打ち消す意見の募集を北電側に求める発言をしたことは否定できない、と認定した。朝日新聞は、その根拠とされた「道庁打ち合わせメモ」の内容を入手。北電社員が2008年7月8日の原子力安全対策課とのやりとりを詳細に記録したとされるものだ。
 この年の4月、北電は安全協定に基づいて道と地元4町村に計画の事前了解を申し入れた。道は計画の安全性を審議する有識者検討会議を設置し、議論の材料にするため道民から意見を募集した。
 打ち合わせに出た当時の同課課長は「7月11日まで意見募集をしているが、反対意見ばかり。地元から反対派の主張を打ち消す意見もほしい」と切り出した。そして「町村にも頼んでいるが、北電の地元でのネットワークに期待したい。北電社員も地元に住んでいる。地元住民だよね。(意見は)匿名希望でも受け付けている」と続けた。
 さらに意見の中身についても「地元の意見を尊重してほしい」「地元外からの反対発言は地元の感情を逆なでする」「有識者会議を地元で開いてほしい」などとするよう具体的に示した。
 第三者委の調査結果によると、メモは電子メールに添付されて北電社内に配信された。メールの本文には「意見募集への推進意見出しの依頼を受けている」との記載があった。だが、道側は第三者委側に対して「要請した認識は全くない」とやらせを否定。このメモの「信憑性が疑わしい」としていた。
 道は、職員のやらせ関与の有無を調べる第三者検証委員会を設置している。北電の第三者委から事実確認を依頼され、当時の課長から話を聴いた道の立川宏総務部長は16日、朝日新聞の取材に「道の検証委でメモの内容が事実かどうか調査していただいている。結果が出るまでコメントを控えたい」と話した。(綱島洋一)

 ウソ・偽りとやらせ・・・時には暴力団の支援、ありとあらゆる不正なくしては運転できない代物、それが原子力発電所ということか。まあ、これが人間の世の中というもの。

 月曜日にスタートした夕刊の「アルゼンチン人・ゲバラ」、きょう、終了。アルゼンチンにおけるゲバラの復権という枠内での連載だったからやむを得ないのだろうが、たった4回の連載、少し拍子抜け。

 権力の腐敗とは無縁に生涯を駆け抜けたからだろう、ゲバラの輝きはいつもでも失われることはない。「心優しき反逆者」と呼ぶにふさわしい男にカンパイ。(11/17/2011)

 けさはこの秋一番の冷え込みだった。ウォーキングにはトレーナーを重ね着して出た。それでもさして汗をかかない。さすがにこれくらいになると、富士が見える。だが、すっぽりと冠雪しているわけではない。粉砂糖を振り掛けたような感じ。

 夕刊の「窓:論説委員室から」が興味深い話を紹介している。16年前、数々の批判を無視して建設された長良川河口堰がそもそも建設する必要がなかったのではないかという報告書がまとめられたという話。

 河口堰開門を公約して当選した大村秀章愛知県知事が設けた学者らの委員会が、報告書をまとめた。それが突っ込んだ内容なのだ。
 砂利採取や地盤沈下などで川の断面積は十分広がっており、河口堰を造って、しゅんせつするまでもなかった。国交省は戦後の降水量グラフから「近年の少雨化傾向」を指摘し、利水施設の必要を説くが、過去130年をみれば、もっと少雨の時期がある。
 環境か、洪水対策か、といった従来の議論とは大きく異なる。

 河口堰の必要性というのは、①治水のためには(容量―河積という―を確保するために)浚渫が必要だ、②河口部分を浚渫すると海水が入ってきてしまう、③海水の浸入を食い止めるためには河口堰が必要だ、こんな三段論法。三段論法である以上、前提条件が成立しなければ、間違った結論に至る。報告書はその浚渫そのものが無意味であったといっているようだ。つまり、治水のためには役に立たない巨大構造物を「建設費を支出するため」だけに作ったという話になってしまう。戦艦大和と同じ。

 コラムは皮肉っぽくこう続けている。「国交省はこれから見解を出す。かつては新聞記事ひとつにも文書で即座に反論していたものだが、政治家主導で始まった議論のせいか、やけに慎重である。見解の公表が委員会終了後とは残念だ」と。

 無駄なものを作ったというだけの指摘ならば、国交省はダンマリを決め込むだろう。とにかく「税金を使う」という主目的は達したのだから。しかしこの報告書は河口堰の開門調査を検討するためのものだ。したがって黙殺で応ずるわけにはゆくまい。どのように反論するのかが楽しみだ。

 例によって、もともとの目的を補強するために長良川河口堰も「利水」という効果も大々的にPRされたが、こちらの方は設計能力値の16%しか利用されないという惨憺たる現実が明らかになっているので、厚顔にして無恥な建設官僚も反論材料には使えないらしい。(利用先は工業用水。ならば、経産官僚の応援を頼むかな、呵々)

§

 少しばかり盛り上がりに欠ける日本シリーズ、きのう、きょう、こんどは名古屋という敵地でホークスが連勝してタイになった。きのうは4-2だったが、きょうは2-1。

 2点先制したホークスだったが、5回に1点返されて、6回は森野がヒット、ブランコが2塁打、先発のホールトンは自信なげ。続く和田を歩かせて、ノーアウト満塁。絶体絶命のピンチに出てきたのは茶髪のお兄ちゃん森福。第1戦、決勝ホームランを打ったラッキーボーイ小池が代打に立った。

 ノーアウト満塁は、最初のバッターにかかっている。小池が空振り三振になったとき、勝負は決したのかもしれない。続く平田のレフトフライは浅く、その次はクライマックスシリーズになってからノーヒットが続く絶不調の谷繁。案の定、ショートゴロで終わってしまった。シリーズは数字以上にホークス有利になった印象。(11/16/2011)

 一連のTPP報道にはアキアキさせられる。国内農業がどうたらこうたら、韓国との市場競争がどうたらこうたら、これだけでもウンザリなのに、「政府から丁寧な説明がない」ことが問題とくる。そう思うなら、その丁寧な説明とやらをマスコミ自らやってくれればいいのに「論議をすべきだ」という「べき論」以上のことはほとんど言わない。

 朝刊の「経済気象台」、見出しこそ「TPPの論点を示せ」とステレオタイプだが、一応、読ませる内容だった。

 TPP参加の賛否を巡って、世論、政界が二分されている。このギャップが埋まらないまま、野田首相はハワイで開かれたAPECで、オバマ米大統領に日本の交渉への参加方針を表明した。このまま交渉に参画すれば、日本経済にも政界にも、今後大きな禍根を残す懸念がある。
 テレビなどの街頭インタビューを聞くと、「日本の農家が被害を受けるから反対」「輸出企業にメリットがあり、景気にプラスというから賛成」といったあいまいな返答が返ってくる。これでは、国民はTPPが何をもたらすのか、どこに論点があるのか、ほとんど理解せぬまま、政府が決断することになる。
 論点の一つは米国が郵貯マネーを欲し、「市場原理主義」派がこれを推進する、郵貯民営化論争の再燃だ。
 そして最大の問題は「投資家対国家間の紛争解決条項」が織り込まれていること。米国企業が、日本で不当に不利益を被ったと判断すれば、国際仲裁機関に提訴し、これに日本が負けると政府が賠償責任を負う。米韓の自由貿易協定では、米国にだけ訴訟権があり韓国には与えられていない。
 カナダでは使用が禁止されている成分を含んだ燃料を販売停止とした際、これを不服とした米国企業が提訴し、勝訴したため、カナダはこの販売を認めざるを得ないうえに、損害賠償をさせられた。
 この他、医療分野や金融業でも、米国流が押し付けられる可能性があり、これを拒めば訴訟、賠償となるリスクもある。韓国やカナダの事例を参考に、TPPの論点、リスクを広く国民に開示し、その上で政府の交渉力に委ねられるのかどうかの判断を問うことが先決。せいてはことを仕損じる。(千)

 文中のカナダの例はおそらくNAFTA(北米自由貿易協定)によるトラブルだろう。米韓FTAの韓国側での批准が遅れている一つの理由もここにある。

 一つだけ、一番あり得そうなケースを予想しておく。

 キリスト教国の看板を上げながら神をも恐れぬことを平然と行うアメリカでは、遺伝子組み替え食品は市民権を得ているだけではなく表示義務すらない。アメリカのような国と法的規制を「共有化」するようになれば、遺伝子組み換え食品が市場を席巻することは火を見るよりも明らかだ。

 おそらくアメリカ企業は遺伝子組み換え食品であることを表示することはないだろうし、逆に表示をやめさせることさえ企図するに違いない。その結果はどうなるか、我が国の消費者は、組み換え食品を選別する手がかりを失うか、表示制度は残せたとしても非組み換え食品の価格が高騰する結果、「貧乏人は(安全性の疑わしい)組み換え食品を食え」という状況に甘んずることになるだろう。TPP、万歳だ。喜んでいるわけではない。「お手上げだ」ということだ。

 訃報。きのう、土屋隆夫が亡くなった由。心不全、94歳。彼のベストワン、「危険な童話」。ドラマ化されたときは大原麗子が演じていた。(11/15/2011)

 ZARDを聴きながらウォーキング。パーカッションが歩くリズムとぴったりあう。気持ちがいい。

 最初、あまり聴き取れなかった歌詞が少しずつ言葉として頭の中に入ってきた。まあ、60男にぴったりくる歌詞ではないけれど。それほど違和感もない。「・・・君がいない/あのころの二人もいまはいない/なにもかも時間のすれ違いと感じた/そのとき切なくグッバイ・・・」なんてこと、一度くらいは思い当たることがあったかもしれない。

 黒目川の左岸を図書館のあたりまで歩き、右岸をとって返す。けさくらいの時間には、自転車の前の補助椅子にちっちゃな子、後に幼稚園の制服を着た子を乗せた何人かのお母さんとすれ違う。左岸では幼稚園に向かうとき、右岸ではおくりとどけたのち。お母さんになると女はじつにたくましくなるものだと感心する。

 たいていは幼稚園におくりとどけた後も、補助椅子に小さい子の方が乗っている。けさは違った。前にも後ろにも子どもはいなかった。どうしたのだろう、どこかに預かってもらったのだろうか。つまらないことだが、ちょっと気になって近づいてくる自転車に視線を向けた。

 違ったのは子どもがいないことだけではなかった。自転車に乗っているのはお母さんではなく若い女性そのもの。ほんの小半時でこんなに表情が変わるのかと思うほど。これから誰かとデートでもするのか、その豹変ぶりに妙な想像をかき立てられた。

 耳に「・・・帰らぬ時の中で/それぞれ待つ人がいるけど/帰らぬ時の中で/どこかで笑っていて欲しい・・・」というフレーズが飛び込んできた。あの当座だったらぴったりだったね。(11/14/2011)

 日本シリーズが始まった。戦前のホークス有利という下馬評をみごとに裏切り、ドラゴンズが敵地福岡で連勝。2試合とも延長戦、10回で決着、スコアは2-1、負け投手は馬原。きのうはともに4安打(ドラゴンズはホームラン2発)、きょうはホークス8安打に対しドラゴンズ7本。よくいえば実力拮抗といえるが、どうもいま少し貧打戦の様相。シリーズらしい緊迫感は感じられるが、引き込んで見させるほどのものに乏しいような気も。まあ、落合の戦い方ということかもしれない。

 早々と「今季限り宣言」をさせられた落合、どうしてでも外様に権限を奪われたくない中日OB(黒幕は星野だろう)にしてみれば、間違って4-0などということにならないように、内心ホークスを応援したい心境かもしれぬ。(11/13/2011)

 朝刊と夕刊から。

 国の原子力安全委員会(班目春樹委員長)が、原発の安全性を審査する専門審査会の委員と電力会社などとの関係について情報を公表すると内規で定めていながら、2年以上にわたり公開していなかったことがわかった。安全委は朝日新聞の指摘を受け、11日夜に一部をホームページで急きょ公表した。
 原発をもつ日本原子力発電から講演料を受けていた委員や、東京電力や関西電力などから研究費を受けていた委員の存在が発覚した。金額は公表されていない。
 大学に所属しながら、経済産業省や文部科学省、高速増殖原型炉もんじゅを運営する日本原子力研究開発機構などがそれぞれ設置した計30以上の委員会に加わっていた委員もいた。
 原子力安全委は、官庁や原発事業者から独立して安全性を審査し、指導・勧告する立場にあり、内閣府に設置されている。5人の委員の下に二つの専門審査会を常設。計76人の研究者が審査委員を務めている。
 安全委によると、2007年の新潟県中越沖地震を受けた東電柏崎刈羽原発の事故を契機に、審査体制への疑問が浮上した。
 安全委は09年7月、「安全審査が専門性、中立性、透明性を備えていることを国民に説明できるようにする」として、審査委員について新たな内規を決定。電力会社や原発関連企業▽原発施策を進める経産省や研究を進める文科省▽原子力関係の財団法人や社団法人――の役職についたことの有無などを、任命直後と1年後の計2回自己申告させ、内容を一般に公開することとした。
 問題がある場合、審査委員への就任や審議参加を求めない場合があるとした。
 09年7月以降に審査委員を務めた計約100人が安全委に申告していたが、安全委は公開していなかった。同委審査指針課は、朝日新聞の取材に「事務的ミスと思われる」と説明していた。(大谷聡、二階堂祐介)

 中越沖地震による柏崎刈羽原発の停止は原発に対する安全審査がまったく意味をなさないことを暴露するものだった。「学者のクズ」にして「人間のクズ」である衣笠善博が赤恥をかいたのはその時。

 過去の安全審査にどのような点で誤りがあったのか、なぜそのようないい加減な結果を招いたのか、・・・という本質的な問題が追求されないように原子力安全委員会がとった対策が「規制行政庁」、「原子力関係機関」、「原子力関係学協会」、「審査申請者となり得る事業者」などとの関係を自己申告させ、公表するとい措置だった。それはみごとに論点をすり替えたものであったわけだが、それすらも実行していなかったというのだから原子力村というのはまことに恐るべきところだ。

 「計30以上の委員会に加わっていた委員」とは誰だろうと思って、安全委員会のホームページで原子炉安全審査会所属の委員の「自己申告書」を確かめてみた。最初から「自己申告書」を提出していないという不埒な委員もいる(54名中6名もいる)というところからして「スゴイ」。おなじみの名前も散見される。

 手書きのものが多いなか、テレビによく出てくる岡本孝司などはしっかり電子化処理している。所属する委員会・検討会・ワーキングが多いこと、同様のものをいくつか提出しなければならない事情があるからかもしれない。岡本の申告書が「スゴイ」のは所属の多さだけではなく、記載日と事業者との関係欄が空白になっていることだ。未記入があれば突っ返すのがお役所のはずだが、そういうことはないらしい。

 おつきあいをしている企業がない場合は「いいえ」にチェックマークを入れることになっている。しかし、「はい」にも「いいえ」にもチェックが入っていない。明らかにしたくない事情があるのかもしれない。いい加減なものでもかまわないとタカをくくっている姿勢がありあり。たいした根性だ。岡本のテレビでのコメントもおそらく「いい加減なもの」なのだろうよ、呵々。

 夕刊のお嗤いは「消えた送電線」。以前の2万5千分の1の地図には記載されていた送電線が現在の電子版の地図には記載されていないという話。電子化にあたり、国土地理院は「10電力会社に資料提供を求めたが、1社が「5万分の1なら提供可能」としたほかは「保安上の理由」などで断った。このため、紙の地図にはあった送電線が載らなかった。これが基本図になるため、いずれ紙の地図からも消える」というわけ。

 提供を断ったのは「テロの脅威」からだというが、もちろん、送電線も鉄塔も透明ではないから、現地に行けばテロリストでも一般人でも見えるものは見える。なにより、あるものの情報が記載されていないことが不測の事態を招くこともあるはずで、記事には「送電線はヘリコプターの運航にも重要な情報。04年には長野県で取材ヘリが、10年には香川県で海上保安本部ヘリが送電線に接触して墜落」したという指摘がある。電力会社は事故が起きてから叩かれることを待っているのかしら。

 記事を読みながら、いまや電力会社は皇軍なみになったのだなと思った。大日本帝国の陸軍も海軍もなんでもかんでも理屈をつけて「軍事機密」にした。あの感覚だ。それほど大げさに「国のため」を叫びながら、彼奴らはその官僚主義で国を滅ぼした。電力会社も同じかもしれぬ。(11/12/2011)

 一月ほど前、「野田の『安全運転』を見ていると、昔の自民党政治そのもののような気がする」と書いたのを思いだした。

 きのう、「TPP交渉参加宣言」を見送った野田首相、今夜の記者会見で「TPP交渉参加に向けて、関係国との協議に入る」と宣った。なるほど、うまい言い方をするものだ。TPP賛成派は「目的が参加であることは間違いない」と受け取ることができるし、反対派は「参加の是非を判断するために話し合いをする」というのなら、それまで否定するものではないと矛を収めることができる。ある意味、真意ははっきりしているのだが、全体の空気が熟するまでは玉虫色にしておく方が軋轢が少なくてよいということ。まさに昔の自民党が多用した手法そのもの。

 しかし、それにしても・・・と思う。昼間の予算委員会で福島瑞穂は「なぜ国会で語らずに、外国で語るのか。あなたはどこの国の首相か?」と問うた。たしかにその通り。このドジョウ宰相は国内では原発について何も語らずに、国連総会で原発の再稼働と輸出について演説したし、きょうも委員会質疑では終始逃げまくり、夜の記者会見ではじめて「関係国との協議」宣言をした。よほど丁々発止の論戦が苦手、あるいは避けなくてはならぬほど、頭の中が空っぽなのかもしれぬ。

 この調子で行くと、ハワイではアメリカ相手に「イエス」を連発してアメリカを喜ばせることに腐心するのではないか。(11/11/2011)

 朝のラジオ、「森本毅郎スタンバイ」の「新聞読み比べ」で取り上げられていた東京新聞の社説を読んでみた。結論は「TPPの交渉参加を早急に決断しろ」というもの。こんな理屈になっている。

  1. 自由貿易のルール作りは関税貿易一般協定(ガット)から始まりWTOに引き継がれた。
  2. しかし150にも上る国・地域が加盟するWTOでの交渉は難航し一向に進展しない。
  3. そこで登場したのが多国間交渉を補完するものとして登場した自由貿易協定(FTA)だ。
  4. TPPもFTAの一種だ。
  5. 日本はルール作りの主役がWTOからTPPを含むFTAに移っている現実を直視しなくてはならない。
  6. 貿易交渉はルール作りの戦いである。戦わずして有利なルールを獲得する選択肢はあり得ないのだから、すぐにもTPPの交渉に参加しなければならない。

 すっきりした理屈のように読める。しかし、「TPPはFTAの一種だ」というのは間違いとは言い切れないものの、ずいぶん乱暴な言い方だ。

 貿易協定上の世界共通概念としては「FTA」と「EPA」がある。物品・サービスの関税を削減・撤廃することにとどまるのが「FTA」、これに投資規制の撤廃、知的財産権や企業活動制限など広範な経済活動のルール共通化までを加えたものが「EPA」。したがって「EPA」は「FTA」を包含する関係にある。「TPP」というのはローカルな固有名詞に過ぎないが、内容的には「EPA」だ。

 整理するとこんな式になる。

「FTA」⊂「EPA」 で 「TPPの内容」=「EPA」

 1から3までに異論のある者はいない。4に小さなウソがあり、5は「TPPを含む」という部分にゴマカシのタネが仕込んである。成長市場と見込まれているアジアにFTA/EPAによる自由貿易圏を作ることが望ましいゴールだとしても、別にTPPだけが通り道ではない。この社説は口をぬぐって書いていないが、我が国は既に東南アジア諸国とEPAを締結している。したがって、そのルートからゴールをめざすことも可能なのだ。つまり5と6は客観的な条件を無視したマヤカシの論理だ。

 我が国はインドネシア、フィリピン、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、インド、メキシコ、チリ、スイスとはEPAを締結の上、発効済み(ミャンマー、カンボジア、ラオスについてはASEANとの包括協定に含まれている)であり、ペルーとも合意している。オーストラリア、韓国、湾岸協力会議(サウジアラビア、クウェート、バーレーン、オマーン、カタール、アラブ首長国連邦)とも交渉に入っている。この社説は、こうした現在までのトレンドを踏まえることなく、自由貿易のルール作りはTPPしかないかのように書いている。ウソである。

 滑稽なのは、社説の中に、アメリカの最終目的も「成長著しいアジアに向かっている。例外なき関税撤廃などのルールを強化しつつ、ゆくゆくは二十一カ国・地域で構成するAPECを土台にして、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)を実現するもくろみだ」と書き、「たとえば『東南アジア諸国連合+日中韓FTA』を視野に入れながら、日中韓の交渉を加速する。米中の橋渡し役を務めるような攻めの外交も必要だ」などと書いていること。それがゴールだというのなら、なにもスジの悪いTPP経由でAPEC参加国による自由貿易圏をめざす必然性などどこにもない。

 これまでの我が国のEPA交渉に穴があることは事実だ。最大の貿易相手国である中国とEU圏(EFTA)を含んでいないからだ。だがそれはアメリカ主導のTPPに加わったところで何も変わらない。むしろ、既に成立しているASEANを足がかりとして「ASEAN+3」または「+6」に進む方がはるかに現実的でディメリットも最小化できるはずだ。最初から難物のアメリカを直接相手にする必要もなければ必然性もない。

 野口悠紀夫は「既にアメリカが我が国からの輸入工業製品に課している関税は十分に低い。関税を気にするよりは円高を気にした方がいい」とさえ言っている。TPPを無視することによって打撃を受けるのはアメリカの方であり、APECで膝を屈して「お願い」をすべきなのは斜陽国・アメリカの方だ。

 東京新聞に限った話ではないが、いったいこの国のマスコミはどうなってしまったのだ。マスコミ関係者はまず自分の眼で見、自分の頭で考えることをすべきだ。ファクトを見ろ、その意味を考えろ。

 我がドジョウ宰相は、今晩、表明するはずであった「TPP交渉参加宣言」を一日見送り、あしたに記者会見を延期した由。相手が「大本営発表」を金科玉条の如くに飾り立てる腐りきったマスコミ連中であっても、不自然なことがらをそれらしく言うのは難しいのかしらね、呵々。(11/10/2011)

 **(家内)と駒場の日本民藝館へ行く。特別展のテーマは「朝鮮時代の絵画」、サブタイトルは「19世紀民画を中心に」というのだが、「そうですか」というものばかりで収穫はゼロ。

 最寄り駅は「駒場東大前」。渋谷寄りの階段はそのまま東大駒場の正門につながっている。大昔は「東大前」と「駒場」の二駅だった。さして疵にはなっていないが、「教育大附属駒場中学」受験失敗は苦い記憶ではある。よせばいいのに合格発表を見に行った。自分の受験番号が「とんでいる」・・・、以後、自分で合否を直接発表場所に見に行くことができなくなってしまった。禁を破ったものはことごく落ち、合否電報やら先に見てきた奴に「入ってたよ」と教えられたものだけしか受からなくなった・・・といまでも思い込んでいる。

§

 オリンパスの不自然な買収劇は財テク投資の損失を隠蔽するための工作だった由。きのう、高山修一社長が記者会見を開き、いままでの「戦略的なM&Aだ」という説明を取り消し、「不適切な決算処理を行っていた」と発表した。

 きのうの夕刊には、今回の騒ぎの発端となる社長解任劇の主役ウッドフォード元社長の言葉が載っていた。「支出の不自然さは指摘したことだから驚きではないが、高山社長が『これまで知らなかった』と橋なしていることが驚きだ」。「あれほどの支出に疑問を感じないのなら取締役としての能力がない」。「現在の取締役は会計事務所の報告書を見ようともせずに私の解任案に賛成した。全員が既に信頼をなくしているというのに、それでも取締役に留まっていることに世界は愕然とするだろう」。痛烈な言葉だが、多かれ少なかれ日本の会社には、こんなことがあっても「愕然」としない「空気」があることはたしか。

 先日来の報道では不自然な買収劇の支出は総額1000億という話。バブル期の財テクによる含み損と報ぜられているが、1000億もの含み損を出すための投資の元金はどれくらいのものだったのだろう。

 そして、そもそも、「仲良しグループ」でトップを決めていたのに、なぜ「アウトサイダー」であるウッドワードを社長にする人事案が通ったのだろう。

 高山社長は記者会見で「売上が伸びない、利益が出ないという中で、多くの企業が財テクに走った時代がございましたね、その頃からのことだと思います」というようなことを語っていた。たしかに、バブル期、長谷川慶太郎のように「投機を企業経営の邪道と考える経営者はもはや化石人間」と書き、経営者に投機を煽った輩がいた。その気になった経営者もいたのだろうが、あの時代、それは売上が伸びないからでも、利益がなかなかでないからでもなかった。カネ余りだったからこその財テクだった。数字がよくないから財テクに走ったのはバブルの後、「失われた10年」の時期ではないのか。(バブル期の投資となると20年近くものあいだ損失を隠し続けてきたことになる。いくら何でも長すぎるだろう)

 等々、考えると、どうも、まだ隠されていることがありそうなニュース。(11/9/2011)

 朝刊、「攻防TPP/賛否を問う」。きょうは自民党の加藤紘一。彼の言葉から。

 10年後の世界のGNP(国民総生産)の1位は米国で、中国、日本、インドの『2、3、4位連合』がアジアに出来ていくのが流れだ。米国がアジアに何とか食い込みたいとの焦りから、日本に『早くバスに乗れ』と言っている。米国の意図は、アジアの経済連携に発言力を持つこと。日本にはデメリットの方が大きい。
 農業が中心課題ではないのに反対論者に仕立て上げられているが、事実と違う。医療や保険業界も混合診療のような形でこじ開けられる。
 現実に動いている日中韓3カ国、ASEAN(東南アジア諸国連合)では、すでに経済連携が進んでいる。世界基準はWTO(世界貿易機関)、アジア諸国とはFTA(自由貿易協定)とEPA(経済連携協定)をやればいい。環太平洋は地域的には広いが、日米以外は小さい経済。TPPは、日米間のFTAと同じことになってしまう。

 我が国を含め、アメリカ、EUなど先進国共通の問題は経済発展の「のりしろ」をどこに求めるのかというところにある。つまり、きょう現在のGDP値ではなく、潜在的な市場を見極めた上で、それを取り込んだときの将来時点でのGDP値こそが知恵の使いどころなのだ。そう考えたときに、TPPという土俵は果たして魅力的だろうか。

 ちなみに「TPP」から「ASEAN」を差し引いてみるがいい。残るのはアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、そして、ペルーとチリだ。この顔ぶれのどこに大幅な「のりしろ」が期待できる市場性豊かな国があるか。

 かりに「ASEAN+3」あげてみよう。TPPにはない中国がいて、韓国がいて、インドネシアがいる。洪水騒ぎであらためて我が国の重要な工場であると分かったタイがいて、フィリピンもいる。TPPとラップするベトナム、シンガポール、マレーシアがいる。

 「ASEAN+6」まで拡大するならば、これにインド、オーストラリア、ニュージーランドまでがカバーできる。とすれば、とかく強権をふるいたがるアメリカという斜陽の国を排除した形で、十分に成長性豊かな国々と自由貿易圏が構成できる。落ち目の人間に情けをかけて共倒れになるのは愚か者のすることだ。薄情だろうか。落ち目の自覚のある人間を捨てるのはそうもいえよう。しかし無自覚で謙虚さを欠くならず者に冷たくするのは薄情とはいえなかろう。我と我が身の有り様に気付かせてやる方がよほどに親切ということもある。

 TPPというのは形を変えた「日米構造協議」に過ぎない。「百害」あって「一利」もない。

 インタビュー記事の見出しは「『バスに乗れ』は米の焦り」となっているが、先入観なく冷静に見れば、まことにその通りであることは、よほど「頭の不自由な」人にも分かろうというものだ。(11/8/2011)

 先月受診した健康診断の結果を訊きに志木まで。とにかく混み合っていて待たされる。あげくはほんの2、3分で「問題なし」の言い渡し。心電図のみ「異常所見(高いT波)を認めますとのこと。精密検査が必要のため、医療機関へ受診して下さい」とあるが、他の波についての所見は書いていない。面談した医師も「格別心配することないレベル」と言う。

 前立腺ガンの腫瘍マーカーは0.59ng/mlとか。・・・と言われても良いのか悪いのか分からないが4.0以下ならば正常とあるから、こちらも問題がないのだろう。

 しかし、いつもアラームが出る総ビリルビンが検査項目に入っていないとか、眼底検査などもないなど去年まで受診したサン虎の門クリニックに比べると若干不満。新座市の健診でカバーされないとしたら、2、3年に一度くらいは自費ででも別で受診しようかなどと**(家内)と話す。とにかく待たされること、どこか片手間という印象がぬぐえない。結局、戻ってきたのは昼過ぎ。

 朝日のモニターレポート、今晩中に作成しなければならないので、午前中の空費は痛い。(11/7/2011)

 **家、**家、そして我が家の3夫婦で秋の鎌倉を楽しむ。きのうは、杉本観音、「左可井」でお昼、浄妙寺で**さんが合流、報国寺、旧華頂宮邸とまわり、いったん駅に戻り、シャトルバスで逗子マリーナへ。夜は披露山の**さんのお宅。6時スタートで10時すぎまで。鎌倉プリンスに入ったときは10時半をまわっていた。

 **くんの心づもりはホテルから見る富士だったのだが、残念ながらきょうは雨模様。ホテルでゆっくり朝食をとってチェックアウトし、七里ヶ浜から江ノ電で長谷へ。長谷寺、大仏、一つ星の「ミッシェル・ナカジマ」で少し遅めの昼食。駅までとって返したところで解散。少し早めだったので、**(家内)と小町通りを歩いてから帰ってきた。

 食べる方はベスト、天気は恵まれず・・・だったが、楽しい二日間だった。

 持参した竹森俊平の「国策民営の罠」がものすごく面白い。行き帰りの電車で8割方、読んだ。竹森は旬のテーマを面白く読ませる天才だ。これから我妻栄と水田三喜男の「攻防」のくだりに入る。(11/6/2011)

 ギリシャの国民投票案は撤回。どうやら「支援の諾否」ではなく「ユーロ圏離脱の可否」にテーマがシフトすることにより結果が見えてしまったためらしい。ユーロから離脱はしたくないという気持ちでギリシャ国民は一致しているということ。

§

 おととい、起き抜けのラジオで「福島第一原発2号機の原子炉格納容器内でキセノン133と135が検出された。小規模な臨界が起きた可能性があるのでホウ酸水を注入している」というニュースを聴いた。1号機から3号機までの圧力容器、格納容器は壊れており、2号機の場合は核燃料棒が溶け出していることは確実。臨界に達するにはいろいろな条件が必要だが、原子炉が備えているコントロール機能がない状態で溶け出しているわけだから、条件が整えば臨界に達する可能性は否定できない。ホウ酸水の注入は対策として理解できるが、そもそも水がたまるような構造が維持されているかどうか疑問である以上、その有効性は気休め以上にはなりえない。・・・等々考えた。

 ところがきのうになって東京電力は「臨界は起きていない。検出されたキセノンはキュリウムが自発核分裂して発生したものだった」と説明した。要するに、中性子が再生産される連鎖反応型の核分裂ではなく、中性子によらない自然崩壊(自発核分裂)だから心配するなといいたいのだろう。

 しかしキュリウムという元素は超ウラン元素だ。超ウラン元素は自然界には存在しない。一般的にはウランの核分裂によって発生する元素だ。キュリウムが一定量あるということは恒常的にウランが核分裂していることを示しているのではないか。爆発的に核分裂が発生する臨界ではないとしても、中性子の供給があるていど確保されていなくてはキュリウムそのものが生成されるとは思えない。

 政府も東京電力も「年内には冷温停止」などといっている。圧力容器も格納容器も壊れ、外部に核燃料物質が散逸している状態で、「冷温停止」を「目標」にする神経がまともではない。そんなことは、ちょっと考えれば誰にでも明らかだろう。(11/4/2011)

 ギリシャ・ショックの伝播をなんとか回避しようとユーロ圏17カ国が徹夜で協議したのは先週27日のことだった。まず、ギリシャの債務カット率を21%から50%にしてギリシャが受け入れやすくする、銀行が被るカット分、約千億ユーロを各国政府とEFSFが補填する、そのためにEFSFの再拡充を行うというものだった。相当の力業で、合意は現地ブリュッセルでは未明、こちらでは午前中いっぱい「協議中」というアナウンスが続いたくらいの「難産」だった。

 ようようまとめてなんとかきょうから始まるG20首脳会議に臨むはずが、今週はじめ31日になって こともあろうにギリシャのパパンドレウ首相がユーロのギリシャ救済案を受け入れるかどうかを国民投票にかけると言い出して、ここ数日てんやわんやの大騒ぎ。

 あの徹夜の協議はなんだったのかという徒労感もさることながら、国民投票で拒否ということになればドミノ倒しが始まることは必至と考えるのが普通。おかげでニューヨークは31日が276ドル10セント、1日は297ドル5セントも下げた(今朝方終わった2日の市場は178ドル8セント上げたけれど・・・これは一種ナゾ)。そう でなくともナーバスな東京は31日からきのうまで順に62円8銭、152円87銭、195円10銭の「順調な」下げ。

 G20議長国のフランス・サルコジ、そしてドイツ・メルケルはパパンドレウをカンヌに呼びつけて説得工作をした。しかしパパンドレウの意思は堅く、どうやら来月初めに国民投票ということになる由。まあ、並大抵のことではギリシャの債務はクリアにならないだろうから、その覚悟を問うというのも悪くはないのかもしれない。サルコジは「当面の支援は凍結」、メルケルは「ギリシャがユーロ圏に残るのが望ましいが、プライオリティーはユーロの安定」と言っている。ユーロ圏離脱がちらつき始めればギリシャ国民も悩み始めるだろう。国民投票の結果を心配するより、一致結束というプラスの目を期待してもいいかもしれない。(11/3/2011)

 きのう、政府は国民にこの冬の節電を呼びかけることを決定した。関西電力需要家に対しては10%、九州電力需要家に対しては5%の数値目標を設定、その他、「7電力」管内の需要家に対しては単なる呼びかけにとどめた。昨夜のニュースでも、けさの朝刊にも「全国9電力のうち関西電力と九州電力では・・・」とあり、沖縄電力は員数に入っていないのが嗤わせる。沖縄電力には原発がない。原発稼働が節電呼びかけのもとになっているからの話。

 この数字を見ると関西電力のだらしなさが際立っている。原発に50%も依存しているからだ。ハイリスクの原発に半分も依存し、リスクが顕在化したときの方策が立てられていなかったというのはじつに杜撰な話だ。なぜ、電力会社に独占権を認めているのか。いかなる場合でも電力を安定供給する責任を負ってもらっているからだ。その責任が果たせないようなら独占権を与える意味はない。

 「ひとつのカゴに卵を盛らない」というのは投資の常識を教える言葉だが、同じ理屈は「リソースを集中させるリスクをどのように管理するか」という場合にも当てはまる。関西電力にはそういう意識がなく責任を果たす意識ゼロで漫然と経営を行っていたのだから、当然、ペナルティを与えて然るべき。

 電力を供給する能力は電力会社だけがもっているわけではない。関西電力管内にどれほどの電力供給事業者がいるのかは分からないが、現在PPS(Power Producer and Supplier:特定規模電気事業者)に対してかけられている制限を、少なくとも関西電力管内においては完全に無効にして、関西電力以外から電力購入ができるようにすべきだ。その上でまだ不足するというのなら、その時、はじめて「**%の節電をお願いします」というのが筋というものだ。

 「原発を止めたら、供給量に影響が出ます、停電になります」という政府の本末転倒ぶりにもあきれるが、停電をちらつかせ脅迫行為に出る関西電力の姿勢に至っては「犯罪的」だ。罪には罰で報いなければ分からない手合いがいるものだ。

 PPSの電力販売に際しては関西電力の給配電網を無料で使用できるものとすればよい。電力の安定供給という社会的責務を果たせなかったペナルティとして当然のことだ。電力会社は原発に頼れば頼るほど儲かる仕組みが用意されているので他の発電方法に「消極的」、というよりは他の発電方法を常に潰そうと画策している。これくらいの「罰」を与えない限り、原子力発電の甘い汁にたかろうとする電力会社の腐った根性を叩き直すことはできないし、犯罪行為を抑止することもできない。(11/2/2011)

 **(家内)と日本橋高島屋で開催中の「三門跡寺院の美と文化展」を観た。

 三門跡とは法華寺、中宮寺、圓照寺をさす。法華寺は十一面観音、中宮寺は弥勒菩薩で知られ公開されているが、山村圓照寺は非公開。

 いつのことかはっきりした記憶がないが、前期試験が終わった試験休み、いつものように奈良に行ったとき、帯解の駅から圓照寺まで歩いた。玉砂利の敷き詰められた参道を歩いているところで声をかけられた。非公開とは知っていたから、てっきり見咎められたものと思って謝ると、意外にも「お庭だけなら、どうぞ」と言っていただいた。靴を脱いだ記憶はない。建物の外側を伝ったと思う。広い庭を見渡せる場所に案内された。たぶん本堂だったのだろう、その広縁に座った。白い小石の枯山水風の庭、向こうには池、そして小高く繁った樹木がせり上がるように背後の山につながっていたと思う。静かだった。バックにはカメラが入っていたけれど、取り出す勇気はなかった。入れていただいただけで、あるはずのないことと思っていたから。

 どれくらいそうしていたかも憶えていない。お茶を出していただいたようにも思うが、そうまでしていただくわけはないとも思う。・・・そんなことを思い出した。

 池袋に戻って、いつものように本屋。文庫を1冊、新書を5冊、ハードカバーを5冊。ますます積ん読本が増えることになったが、これが唯一の道楽なのだから仕方がない。

 きのうの円売りドル買い介入はこれまでで最大、10兆円規模だったらしい。きょう買った「弱い日本の強い円」(佐々木融)の第8章には「介入で円安誘導などできない」という章があり、ここで佐々木は三つほど理由を挙げている。なるほどと思わせるが、そこに書かれた理由よりは、彼がこの本全体を通して強く主張していることの方が、はるかに円売りドル買い介入が無意味であるとする分かりやすい説明になっている。

 それは「ドルは一貫して弱くなる方向に向かっている」ということ。そして「為替市場をドル円一本のものさしで見るのはもはや時代遅れである」ということ。ドル円だけを取り上げ「円高」騒ぎをして効果のない円売りドル買い介入をするのは無意味だという。むしろ、それにより外国為替特別会計の含み損は増え続け、そのリスクはかなり際どいところまで来ているとのこと。(11/1/2011)

 金曜日、東京工場のOB会。久しぶりに**と会った。なんというか、ふだんあまり接触はなくとも、波長の合う同士はいいものだ。それとは別に、ひとつ感想を書いておく。仕事を通じての関係も意外に男女関係に似ていて、こちらが思うほどに相手は思ってくれなかったり、相手が思ってくれるほどにこちらは思っていないということ。

 土・日といつもの秋の旅行。ことしの幹事は**。行き先は秩父。土曜日は好天だったが、きのうは曇りがちで時折パラパラと雨粒が落ちてくる天気。秩父の武甲酒造で鎌倉持参用に「ひやおろし」、自宅用に無濾過の原酒を買ってきた。

 パソコンを生かしているあいだは為替チャートを表示している。見ているの豪ドル円だけ。オセアニアタイム81円5銭で始まった豪ドルが83円をオーバーしていた。気がついたのは10時半ごろ。先々週1ドル75円台に突入したドル円は、先週、75円50銭レベルまで進み、けさ、75円32銭をつけたところで、政府・日銀は円売りドル買いの介入に踏み切った。ドル円は4円ほど、豪ドル円は3円ほど安くなった。

 スワップポイントの3年分のゲインがあがれば決済という自己ルールにしたがって、売ろうかとも考えた。だが結局見送ることにした。ホールドすれば、もっとゲインが出ると思ったからではない。むしろ、しばらくすればまた豪ドルも70円台に戻る公算が高いのではないかと思っている。それでもなおホールドすることにしたのは、春先の儲けと合算して雑所得が膨らむのは困るから。所得税率が10%もステップアップし、健康保険料もアップではたまらない。来年からはFXも一律20%の分離課税になる。もしこれからギリシャ問題などでより円高が進んでも3年の損益通算が認められるということだから、少し余裕をもつことができる。そう考えたから。

 いま、ドルは78円前後、82円50銭前後に戻ってきている。いくら介入したところで、円高に振れている客観条件が変わるわけでなければ、同じことのような気がする。むしろ、為替介入を期待してドルを買い持ちしていた連中のフトコロをうるおしただけという皮肉な見方もできる。夜のニュースでは、きょうの為替介入理由のひとつに月末で輸出企業がドルを円に換えるタイミングであることもあげていた。なるほど、そういう企業にとっては一種の「所得補償」になったというわけだ。マスコミは子ども手当や農家の個別所得補償をバラマキ政策だと批判するが、近視眼の為替介入もまたバラマキ政策の変種なのだという批判はしない。個人をうるおすのはバラマキだが、企業をうるおすのはバラマキではないという固定観念で世の中を見ているからそういうことになるのかもしれない。(10/31/2011)

 ウォーキングコースで、たぶん、この秋になって初めて富士が見えた。少し冷え込み感があり、晴れ上がっていたから、いつもの西武線のガードにさしかかるところから目を凝らして歩いた。「見えない」と思った。初雪のニュースをずいぶん前に耳にしていたため、真っ白に冠雪している富士を探していたせいだった。「見えたッ」。冠雪はしていない。まだ黒い富士だった。

 朝刊一面には「日本人の人口減『国勢調査で初』」、三面には「世界の人口70億人」、対照的な二つの見出し。

 一面の記事は、きのう、総務省が昨年行った国勢調査の確定結果を発表したというもの。それによると昨年10月1日現在、国内に住む日本人の数は1億2535万8854人で、日本人と外国人を分けて統計を取り始めた1970年以降で初めての減少とか。一方、外国人の方は、総人口が前回よりも28万9358人増えていることを考えると、日本人の減少数37万1294人を加えて66万652人の増加。

 総人口のうち51.3%は女性、65歳以上は前回より2.8%増えて23.0%になり、これは世界一。4人に1人が高齢者になる時代がすぐそこまで来ているということ。

 三面の記事は、同じくきのう、国連人口基金が2011年世界人口白書を発表し、今月31日に世界の人口が70億人になるとしたというもの。白書によると、1950年代初期に平均寿命48歳、乳児死亡率千人あたり133人だったものが、68歳、46人と大幅に「改善」したことが理由とか。

 世界人口はこれを受けて、1987年に50億人、1999年には60億人に達した。今後、2050年には93億人、今世紀末には100億を超えると予想されている由。

 しかしこの予想は外れるのではないかと思う。「マルサス効果」ともいうべきメカニズムがはたらくのではないかと思われるから。算術級数的にしか増加しない食料、付け加えるとすれば、供給可能な水量、エネルギー量などが、幾何級数的に増加しようとする人口に何らかのブレーキをかけることになるだろう。もちろん、マルサスがこういう考え方を明らかにした後も人口は増え続け、食糧は増産され、エネルギーはまかなわれ続けたわけだが、野放図な膨張が保証されているわけではなく、いずれその争奪戦としての戦争、増産に伴う質の劣化、・・・様々な問題が複合的に発生して我々に襲いかかってくるだろう。これに対して必要な叡智は、ないわけではないのだが、あっても尊重されないが故に、悲惨な「調整機能」の前に人々が立ち尽くす日が来るように思う。(10/27/2011)

 タイの洪水はいよいよ首都バンコクの全域に及ぶものとなりつつある。アユタヤ県の工業団地への浸水で、現地に進出した日本企業は甚大な被害を受けている。

 モーニングスターの株式ニュースによると、我が国のタイ国内への投資は世界一の規模で第二位のアメリカの倍以上にもなっているのだそうだ。進出企業は自動車、自動車部品、電機・精密、機械など多領域に渡り、その数は7,000社。

 この洪水の被害は、自動車業界のみを取り上げても、今月の減産規模は10万台を超える減産になる由。減産台数が一番大きいのはトヨタ。タイ国内の3工場は10日から21日までの操業停止で37,500台、その後月末までの1週間の停止延長で最終的には55,000台規模になる模様。アユタヤの工場の冠水でホンダは19,000台、日産、三菱、いすゞ自動車もそれぞれ10,000台ていどの減産が確定したとか。完成品に留まらない。タイで生産する部品がまず生産できず、バンコクの空港へも影響が及んで物流が寸断、日本国内のトヨタの工場、ホンダのマレーシアの工場も減産に追い込まれている。

 ・・・というニュースを見聞きしながら、ちょっと違うところに頭がいった。TPPだ。これほどタイへのコミットが密接な以上、関税ゼロによるご利益は、自動車部品などの半製品のコストを通じて完成品のコスト競争に寄与するはずだ。でもTPPにはタイはメンバーに入っていない。

 なぜだろうと思って調べてみたら、既に我が国はタイとEPA(経済連携協定)を締結していた。それだけではなかった。TPPに現在手を上げている国の中で我が国とのあいだにEPAが締結されていないのは、なんのことはない、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド(広義のアングロサクソン国)の3カ国だけなのだ。

 我が国はその他にもインド、インドネシア、フィリピン、スイスなどともEPAを締結、とっくの昔に発効している。日本・ASEAN包括的経済連携協定の国を入れれば、その数は15カ国。NAFTA(北米自由貿易協定)とアメリカお得意の食料品を除外したUS-MEFTA(中東自由貿易地域)、これにあと数カ国ていどの二国間協定しかもたないアメリカよりははるかにましかもしれない。(NAFTAを除けば、その貿易額は冗談みたいな額にしかならないだろう)

 野田は来月のAPEC首脳会談の際、TPP協議に参加宣言したいらしいが、そのAPECにはアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、チリ、ペルーのTPP9人衆というチンケなグループ以外に、中国もいれば、台湾、、韓国もいる。インドネシア、タイ、フィリピンといった日本の貿易相手国として重要な国もいる。さらには、なぜかTPPから排除されたカナダ、メキシコ、おまけにロシアまでいるのだ。(なんと、BRICsのうち2カ国、VISTAのうち2カ国だ)

 TPPというのは、ものすごく簡略化して書けば、政治経済のルールを同一化し、一つの国のようになりましょうという約束で作る経済圏だ。つまり、TPPという経済ブロックとして、他の国々・貿易圏と対峙しましょうということを意味している。逆にいえば、アメリカを親玉とするチンケな9カ国を市場とし、より大きな「アジア太平洋」という市場からは距離を置きますよと宣言することに似ている。そうではないというのなら、なぜ、APECの残りの巨大市場国が並み居る場で「あんたたちとは組まない」と啖呵を切ってみせるのか。たまたま、ハワイでオバマと顔を合わせるからとでもいうのか。(10/26/2011)

 福島原発事故調査のため衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員会に提出するよう求められた東電の事故時運転手順書の1号機分がきのう「再提出」された。なぜ「再提出」ということになったのか。それは先日提出された手順書がほとんどの部分を黒塗りにしたものだったから。その際、東電は黒塗りにした理由として「テロ対策」と「知的財産権」を上げていた。

 黒塗りを個人名および役職名部分に限って「再提出」された手順書は全1,750頁中の事故に関係する170頁。具体的にはシビアアクシデント発生時に核燃料を冷却する方法や原子炉格納容器を減圧するベント操作の方法が書かれていた。手順書は外部電源が喪失し、非常用ディーゼル発電機が起動しなかった場合、蓄電池などの電源による操作までしか書かれておらず、ステーションブラックアウト時の対処法については記述がないものだった。つまり秘密にしなければならない事項があるから黒塗りにしたというよりは、あまりにお粗末な内容であったため黒塗りにして秘密にしたということのようだ。

 もっとも、東電ばかりは責められないのかもしれない。プラントの運転操作手順書は設計時にプラントメーカーがエンドユーザーと打合せをしながら作成するものだ。入社したての若いエンジニア(の卵)はここで必ず「いいか、飯とお天道様がいつでもあると思うな。電源(または空気圧もしくは油圧)が喪失した場合にどうなるか、どうするかを忘れる奴は技術者としてはクズだ」くらいのことを叩き込まれる。福島第一の1号機を設計したのが日立なのか東芝なのか三菱重工なのかは知らないが、最終的に納品され現場に配置された手順書がこのていどのものだったということは担当メーカーの技術力も東電同様にプアだったのではないかと思わせる。GEからの「買い物」であったという事情がそうさせたのかもしれぬが。

 たしかに原発には簡単に立ち入れない場所があり、そもそもが機側操作などは不可能という事情があるかもしれない。ならばパワー喪失時には機側操作に代えどのようにするのかは対象プラントが暴走を許されないプラントであるだけにしっかり検討し「答え」を用意しておかなければならなかったはずだ。もっとも、日立の**くんにして、事故の発生を眼前にしながら、「屋上屋を重ねる如く幾重にも防護措置をとって作られた、それなりに知っている人間には、常識を越えた安全設備」と言うほどの傲慢が支配していたのだから、日立製作所ほどの会社でも世間が想像するほどに技術のしっかりした会社ではなかったのかもしれない、呵々。これは案外だったね。

 以下、蛇足。

 そういえば、浜岡の5号機で起きたタービン損傷事故で日立は中電に100億近い和解金を払ったというニュースがあったっけ。高圧と低圧の段数を変更したにもかかわらず、それによる蒸気流の流れの変化とタービン羽への影響をきちんと検証しなかったのだから、後知恵としては(と書いておいてあげよう)「お粗末」ということになる。どうも最近の技術者は細心さにかけると思ったが、いつのころからか、この傲慢と粗忽さが伝統になったのかもしれぬ。(10/25/2011)

 朝刊一面の書籍広告欄、ふと眼にとまった書名。「ちつ☆トレ」。なんだ、これ?

 まさか、あの「ちつ」じゃないよな・・・でも、その横には「NHKセックスレス特集/著者ゲスト出演ですごい反響!」、「女子力アップの最強トレーニング。3週間で"愛の革命"を」とある。どうも間違いなくあの「ちつ」で、あの「トレ」らしい。

 Amazonへ。この本、「なか見!検索」サービスがついている。「・・・たくさんの男性に女性の魅力スポットについてインタビューしてきたところ、あることが分かってしまったのです。女性のあそこには重みの違いがあることに。・・・」

 経済状況はしばらく好転することはないだろう。格差社会は固定化し、アメリカのように中流階級は消滅するに違いない。圧倒的多数に残された「娯楽」はかつて同様のものになるだろう。カネのかからない手軽な「娯楽」が隆盛を極めれば、死語となっていた「貧乏人の子だくさん」が現出し、意図することなく少子化に歯止めがかかるかもしれぬ。人生のみならず社会もまた「塞翁が馬」か。

 「キンレイ法」に男が入れ込んだのはむかしのこと。いまや「ちつトレ」に女が入れ込む時代らしい。すごい、すごいなぁ。ここまでこの国も成熟したのだ。・・・「豊かなる成熟」などという映画の題名にコーフンしたのはいつごろのことだったろう。(10/24/2011)

 朝刊トップは「たら話」。

見出し:原発の電源連結見送り/福島第一 東電、5年前に検討
 東京電力が福島第一原発の全電源喪失を防ぐため、2006年に1~6号機を電気ケーブルでつないで電源を融通し合う改良工事を検討しながら、技術的な障害を理由に見送っていたことが分かった。原子力工学の専門家らは「改良工事は可能だった。電源喪失は起きないとの過信から工事は必要ないと判断したのではないか」と指摘している。
 第一原発では東日本大震災で津波に襲われた後、1~4号機の電源が失われ、炉心溶融や水素爆発が起こった。5、6号機は互いに連係しており、唯一残った6号機の非常用ディーゼル発電機1台で原子炉を冷却できた。その後、東電は4月25日までに、応急措置として地面にはわせた電気ケーブルで1~6号機を連係させる対策をとった。この経過から、専門家は「06年の改良工事をしていれば、重大事故を防げた可能性がある」とも指摘した。
 東電元幹部によると、福島第一原発では06年、自然災害などで電源を失って過酷事故に至る事態を避けるため、電源設備を増強する計画が練られたという。構内の南側の1~4号機は互いに電気ケーブルでつながっており、電源を融通できるようにしていた。北側にある5、6号機の間でも電源を融通できたが、1~4号機と、5、6号機の間はつながっていなかった。改良工事では、鉄塔に架設したり、トンネルに通したりしたケーブルで1~6号機をつなぎ、安全性を高めようとした。
 元幹部は「改良工事には、関連の土木工事も含めて数十億円規模の工事費が見積もられ、実施される予定になっていた」と話す。しかし、東電の説明では、構内にケーブル敷設の際に障害となる構造物や埋設物が多く、ケーブルが長くなることで電圧低下も起きることから、検討の域を出ないまま、工事の具体化は断念したとしている。
 これに対し、勝田忠広・明治大准教授(原子力工学)は「障害となる埋設物は移設などすればよく、電圧低下も変圧器で解決できる問題だ。東電は、電源喪失は起きないとの過信から、費用と時間をかけてまでやる必要がないと判断したのではないか。工事が実施されていれば、被害を低減できた可能性がある」と指摘。石野栞(しおり)・東大名誉教授(原子力工学)も「事故後になって慌ててやる対策なら、なぜ事前にやらなかったのか。経緯については厳しい検証が求められる」と話している。
 東電広報部は「改良工事が社内で一時期検討されたことは確かだが、工事の実施を社として意思決定したという文書は残っていない。事故後に1~6号機のケーブルを連係させたのは、非常時の応急的な措置に過ぎない」としている。(砂押博雄、上地兼太郎)

 勝田の言う「障害となる埋設物は移設などすればよ」いという批判に対して、あえて東電の弁護をするとすれば、通常のプラントの場合、建設以来40年近くともなれば、保存されている工事図面などあてにはならないものだ。細心の注意を払って施工・管理してきたはずの原発施設も、安全神話のための作り話はいろいろあるとしても、実態はそこいらのプラント同じだということを東電の技術者は認識していたのではないか。だからこそ、不用意に追加工事を行って不測の事態を招くのは愚の骨頂と考えたのではないか。原発施設に存在する配管の量は、はやり言葉風の言い方をすれば「ハンパない」のだ。

 また思い出した。日立製作所にいる我が**くんは、原発事故の直後に「屋上屋を重ねる如く幾重にも防護措置をとって作られた、それなりに知っている人間には、常識を越えた安全設備だ」と書いてきたっけ。これが「幾重にも防護措置をとって作られた」、「常識を越えた安全設備」の実態だよ。いったい、**くんは、どんなことがらを「それなりに知っている」あるいは「知っていたつもりになっていた」のだろう。暮れの忘年会で会ったときにでも、とくと訊いてみよう。

 しかし・・・と思う、人間、「知っているつもり」というのが、どれほど恐ろしいことか、まさに以て他山の石とすべし。(10/23/2011)

 一橋、秋の講座、第四講。きょうのタイトルは「次世代の代表-世代間問題の政治経済学的アプローチ-」、講師は青木玲子教授。

 結論から先に書くと、ドゥメイン(demeny)投票方式を導入しようという提案。ドゥメイン投票とは子どもにも投票権を与えることにより、高齢化社会における有権者の年齢構成の歪みを改善しようとするもの。実際には子どもに投票権を与えるのではなく子どもをもつ親に子どもの人数に比例した投票権を割り当てる。子どもが2人の夫婦の場合は夫と妻にそれぞれ2票、1人であれば1.5票を与える。

 高齢者の割合がいま以上に高くなる状況下では、選挙の争点は高齢者が関心を持つことが主となり、若年層にとっての課題が政治的には置き去りにされてしまう傾向がますます強くなると考えられると説明されると、なるほどそういうこともあるかもしれないなとは思う。ドイツやニュージーランドにおいては既に議会で論議され、とくにドイツでは国民投票にかけ否決されている由。

 この講座はいつも講師が時間いっぱいを使ってしまい、最後の質疑は形ばかりになってしまうことが多い。そのわずかの時間も、ほんとうに疑問があっての質問とは思えないような、悪くいうと自分の知識のひけらかしやら、自分の過去または現在のキャリアの自慢めいたいかにも「作られた質問」で占められてしまう。だが、きょうの青木は30分近くを残して終え、時間をたっぷりとった。逆に、きょうは内容がかなり目新しく、おそらくほとんどの受講者にとって始めて耳にする話だったためか、いつもの「質問のための質問」は短時間に収束した。

 初めて質問をした。「年齢層の偏りのために中長期の投資に対する政策順位が低く位置づけられることへの対策というのが提案の趣旨だとして、この提案がどのていどその解決になるのか。中長期の投資という政策アピールの順位が低いのは、様々な意味で投資が行き渡った結果、成長ののりしろが実感されなくなったからではないのか。成長ののりしろが大きいと思われれば、選挙民の年齢構成にかかわらず、政党からは提案があり選挙民はそれを支持すると思う。投資に対する政策順位が低いのは、高齢化比率の高さにあるのではなく、成長ののりしろを実感できない現状にあると考えた方がいいのではないか。現在の選挙制度の下でさえ、若年層あるいは都市部の投票率の低さ、中央と地方のあいだの一票の格差などの問題がある。そういう状況下でドゥメイン投票によって与えられた票が活きるかどうか、懐疑的にならざるを得ないが、どうお考えですか」。これほどすっきりした「文章」で質問できたわけではないが、おおむね、この流れで二つの質問をした。

 二つの質問に対する青木の応えは、まず、「たしかに先進国の多くが高齢化と成長の鈍化に直面し、いずれが原因で結果なのかは即断できないことは事実だが、一方に経営陣が高齢化したが故に成長力を失う会社があるではないか」、そして、「選挙の現状は現状として、問題となっている歪みの是正は図るべきでしょう」というものだった。

 まあ、「成長ののりしろ」という話は必ずしもドゥメイン投票方式の提案にかみ合う話ではない。しかし高齢世代がエゴのために自分たちの死後に及ぶ投資について無責任になりフリーライディングしているというから、「果たしてそうか」と反論したくなっただけのこと。選挙民の多くが個人の損得勘定だけで投票しているわけではない。ある種の無力感さえ解消されるならば投票には行くし、投票行動は「何があっても投票する」人々に比べれば、「気が向けば投票する」人々の方が損得勘定を離れた投票をするように思う。それがかえってコイズミ郵政解散選挙のような結果にもつながるのだが。

 問題は「ある種の無力感」なのだ。解決されることがないであろう、この問題に何らかの目新しさを持ち込むことが必要なのだが、それがドゥメイン投票方式の採用でもたらされるとは思えない。(10/22/2011)

 「新潮45」の最新号の特集は「もっとも危険な政治家:橋下徹研究」。橋下徹だとか大阪維新の会などというのは「週刊新潮」にぴったりの体質で、お気に入りの政治屋さんたちだと思っていたが、どうしたのだろうと思って買ってみた。

 特集と銘打っているが記事は4本。そのうちの一橋文哉による「盟友・紳助が抱える時限爆弾」は橋下に引っかけただけで頭から尻尾の先まで島田紳助について書いたものだから、実質的には3本。

 上原善広(被差別部落出身者といわれる橋下を書くにはうまいライターを選んだものだ)の「孤独なポピュリストの原点」は橋下の出自から書き起こして知事になるまでをまとめたものだが、これに続く野田正彰の「大阪府知事は『病気』である」にうまくつながっている。

 精神科医である野田は心理分析的なアプローチで橋下を「演技性人格障害」と「診断」している。「患者」である橋下が「診察」に応ずるはずはないので、彼の「著書」(「どうして君は友だちがいないのか」といういかにもの書名)と周辺の人物へのインタビューに基づいての「診断」。しかし、橋下も恩師から「話していても、壁に向かって話しているような思いにこちらがなる。感情交流ができず、共感がない。伝達、伝言のようで、コミュニケーションにならない。・・・嘘を平気で言う。バレても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。人望はまったくなく、委員などに選ばれることはなかった・・・」とまで言われてはいささか気の毒になるが、「目と目を合わせることができず、視線を動かし続ける」というのはテレビでも見かける彼の特徴だから、あながち悪意があっての証言でもなさそうだ。

 最後となる薬師院仁志の「机上の空論だらけのインチキ政策」は、橋下と大阪維新の会への批判というより、ブレーンを務める上山信一の大阪都構想の支離滅裂を批判したものになっている。

 なにより、痛烈な指摘は、就任時、「財政非常事態宣言」するとともに市職員に対し「皆さんは破産会社の社員」、「収入の範囲で予算を組む」と言ったはずが、就任当時に比べ一千億円以上も府債を増やしてしまったというのではシャレにもならない。橋下が上山を頼るのは一貫した政治姿勢を保ち得ない「空気読み」のポピュリストとしては、上山のようなコンサルタント屋(というよりはコイズミ改革を演出したスリードのような広告屋に近いのだろうが)にすがるのは理の当然。その上山の「マニフェスト」が薬師院の批判する通りだとすれば、橋下の知事としての仕事は惨憺たる現実と広告のような未来にならざるを得なかったのも分かる。

 だいたい「**維新」などというネーミングが洒落ていると思うセンスは、性根を据えた改革を追求するというよりは「気分一新」ていどの「衣替え」しかできませんという自信の欠如を白状しているようなものだ。でも、なぜかこの国では「ナントカ維新」と言いたがる人が多いのだが、呵々。(10/21/2011)

 リビアのカダフィの死亡。戦闘で亡くなったのか、拘束されてから亡くなったのか、また、処刑であったのか、私刑であったのか、・・・詳細はまだ分からない。

 去年の暮れ、もっとも安定していると考えられていたチュニジアに始まった「アラブの春」はエジプトのムバラク大統領を倒し、リビアの暴れん坊と呼ばれたカダフィ大佐まで倒すに至った。

 世界地図を思い描いて、まずギリシャを、そしてチュニジアをプロットする。地中海は境界線。

 境界線の北側ではギリシャを震源地とする混乱はヨーロッパ大陸を揺るがしている。南側ではチュニジアが発火点となった「革命」がアフリカ大陸北部へ、そして現体制側が押さえ込みに成功しているものの中東諸国からイスラエル-パレスチナという火薬庫に向かって拡がろうとしている。

 どちらも、原発と同じで危険な刃の上にいながら爆発することなく収束するかもしれないし、事態の収束に携る「賢い」と自認する人々が想像もしない些細なことがらのためにカタストロフィに至るかもしれない。その意味ではどちらも同じなのだが、なぜか多くの人々はカダフィ死亡のニュースをグッドニュースとして受け取っているようだ。

 たぶんそれは独裁体制が倒れることは一般的には「良いこと」だとされているからだが、常にそれが「好ましいこと」であるかどうかは分からない。とくにのっぺりした「民主的」社会しか知らない、想像力に乏しい我々には。

 人間による独裁を排除した「Animal Farm」はかつて人間が使っていた居心地のよい居間におさまった豚たちの支配するところとなった。あれを「おとぎ話」と思うのなら、そう思えばよい。この人間世界で繰返し繰返し起きたことをそのまま書く気がしなかったから、オーウェルは「おとぎ話」仕立てにしたのではないかと思うけれども。(10/20/2011)

 TPP論議がかまびすしい。来月、ハワイで開催されるAPEC首脳会談にはTPP協議に加わるか否かの回答をもって臨みたいというのがドジョウ宰相の考えらしい。あるいはアメリカからそのように「言いつけ」られているのかもしれない。

 例によって我が大政翼賛会・マスコミは右から左までみごとなまでに「TPP参加」すべしでまとまっている。その主張の粗雑さにはあきれるばかり。けさの読売の社説などを読むと、この社説子の頭脳構造はどうなっているのだろう、いくら読売新聞のような会社でもこんなザルのような思考力では務まらないのではないかと大嗤いした。もっとも、それは別に読売に限ったことではない。朝日も、毎日も、たいして変わらないのだがから、絶望的な気分になるが。

 まず、書き出しが「成長のエンジンに活用したい」である。「TPPは、物品の関税撤廃だけでなく、サービス、政府調達、知的財産、環境など21分野に及ぶ。アジア太平洋地域の新たな貿易・投資ルールとなろう」と書いている。いったい現在TPPに手を上げている国はどこなのか、ご存じなのだろうか。

 きょう現在の加盟国は、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国。参加表明をして交渉に加わっているのは、アメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルー、マレーシアの5カ国。あわせても9カ国に過ぎない。「環太平洋」というわりには、アメリカの両隣、カナダもメキシコ、中米の国々も、そして韓国、中国、台湾、インドネシアも入っていないのだから、大げさな話だ。(カナダは手を上げたのだが、拒否されたのだそうだ)

 読売の社説はこう続く。「韓国は米欧との自由貿易協定(FTA)を早々にまとめた。日本の決断が遅くなるほど、さらに韓国に先行され、海外市場を奪われる事態が現実味を帯びる」。ごく普通の知能を有する人間なら、確実にこういう疑問が浮かぶだろう。「なぜ、韓国はTPPに手を上げずに、アメリカとの二国間協定をまとめたのだろう?」。TPPはFTAより不利だと判断したか、FTAの方がTPPより有利だと判断したかであろう。(論理的には「TPPの締結、発効には時間がかかる」と判断したからという理屈もあるが、じつはアメリカ議会は韓国とのFTAを承認したが韓国議会は反対が多くまだだから成り立たない)

 先週、金曜日の朝日朝刊に、TPPに加盟すればただちに対米FTAを発効した場合の韓国と自由貿易分の総額が並ぶというグラフが載せられていたが、彼の国と我が国では輸出依存度は比べものにならないことすら考慮もしていないのだから話にならない「だまし絵」だった。記者の名前を記録しておく。福田直之。福田は自分の頭で考えてあのバカ記事を書いたのだろうか。

 もう一度読売の社説に戻る。社説はTPP加盟には「大胆な農業改革がカギ」だと書いている。その上で、「零細農家が多い現状を改革するには、担い手農家を中心に、農地の大規模化が肝要だ。バラマキ方式である農家の戸別所得補償制度を抜本的に修正し、競争力強化策を打ち出すべきだ。反対派に対して明確な改革案を示し、TPP参加の説得材料に活用する努力が要る」というのだ。零細農家を見捨てずにできる改革なるものがどのようなものになるのか、読売社説子に基本的なアイデアだけでもうかがいたいものだが、「抜本的な修正」(「修正」というものは「抜本的」にできるものなのか、呵々)などという言葉を平然と書き連ねる神経からすると、おそらくアウトラインすらないのだろう。無責任なことを書くものだと半ばあきれつつ嗤ったのだった。

 さらに、この社説は「情報不足や誤解から、農業分野以外でも、TPPの悪影響を心配する声が出ている。医療分野では、営利企業の病院経営への参入や、公的保険が適用される保険医療と保険外を併用する『混合診療』の全面解禁が要求されるとの見方があるが、実際は交渉の対象外という」と書いている。情報不足と誤解で農業分野以外での心配をしているが、そんなことは絶対にない・・・と書いてくれたのかと思いながら読んだら、最後は「・・・という」と逃げている。

 じつはTPP交渉で何がどのように論議されているか、あるいは各交渉項目がどのように決まろうとしているかは一切明らかにされていない。だから、中味がよく分からないくせにTPP交渉に参加しろ、加盟しろと蛮勇をもって主張しているいささかノータリンでないなかと思われる読売社説子も「・・・という」などとぼやかした書き方をしているのだ。そのくせ、「単純労働者の受け入れや、輸入食品の安全基準の緩和も、現状では議論されていないにもかかわらず、TPP反対派が問題点に挙げている」と反対派を批判するのだから、いくらヤクザ新聞の読売でも、これは悪質極まるといわねばならない。

 ・・・まあ、ここまで読売嫌いとしてはリキが入るように読売の社説をとりあげて批判してきたが、朝日にしても、毎日にしても、東京(中日)にしても没論理性はまったく同じ。どの新聞も、読んでいると、「バスに乗り遅れるぞ」という心理的な強迫観念にとらわれているというのが見てとれる。どこかで聞いた言葉だ、「バスに乗り遅れるな」。この言葉にせき立てられるようにして、前後左右も考えずに思慮もなく乗ったバスでどこへ行くことになったか。一時のかけ声に乗せられて、一体どれほど手痛い目をみることになったことか・・・そう思うと「せいぜい、そんな話か」という結論が見えてくる。それがTPPだ。(10/19/2011)

 「やらせメール」事件についての九州電力の最終報告書の提出と真部利応社長の記者会見があったのが先週金曜。訪中していた枝野経産相が「理解不能」とコメントするやいなや、今晩のニュースでは、九電はあっさり報告書内容の見直し、真部続投の再検討と言い始めた由。じつに軽い会社という印象。

 そもそも原発知事・古川を大切に守ろうという固い意思があったのなら、最近はやりの第三者委員会を設置する際、郷原信郎などを委員長に据えなければよかったのだ。格好をつけて郷原を呼んだことがまず間違いだった。別の言い方をすれば郷原を委員長にした時点で古川の「悪業」を晒すことを九電は選択したのではなかったか。

 いわゆる審議会だとか、タウンミーティングなどというものが真っ当なものだと考えている者はいない。それらが額面通りのものだと信じる人がいるとしたら、アマちゃんを通り越して、ただの世間知らずだ。しかし、九電は原発大好き知事との会談のメモを作成した佐賀支店の支店長(「官」対応は企業が細心の注意を払う場面、そこに配置したのだから「話をきちんと聞き取れないうっかり者」であるわけはない)を目立たぬポジションに飛ばした上で、第三者委員会報告書を無視するシナリオで報告書をまとめ、金曜日の記者会見に臨んだ。ということは、「方針」を変更したということ。たしかに「県」よりは「国」の方を重視しなければならないのかもしれないが、再三の「方針」変更は、九電には「根性」というものがないのかと思わせる。

 もっともこの件、こんな指摘もある。けさの朝刊の「経済気象台」の指摘。

 第三者委員会が指摘した佐賀県の対応を報告書に盛り込まなかったことに、枝野幸男・経済産業相が「つまみ食い」「公益企業のガバナンス(統治)としてあり得るのか」と批判。世論も枝野氏に同調的だ。九電は月内にも再提出する検討に入った。
 ただ、私は枝野経産相の疑問に対し、「九電の対応も十分あり得る」と考えている。そもそも第三者委員会というものは、会社法上の位置付けも法的有効性もない。従って報告書の結論は役員会に対して拘束力を持たない。つまり、つまみ食いしてもいいのである。
 また、現行法では、ほとんどの取締役会は全員参加したうえでの決議しかできず、正式な委員会をつくることができない。たとえ、社外取締役らで構成する委員会を設置しても、法的拘束力がある報告書の作成はできない。
 会社法に関し、同様の問題は以前から指摘されていた。例えば、報酬の決定や後継者選び、役員の指名、MBO(経営者による買収)など、経営者の自己利益や利害に関わる決断について、経営者から独立した立場の意見を反映させることが法的に定められていない、という問題だ。

 なるほど、「空気による運用」を許容するように作られているというわけか。すばらしい国だね。(10/18/2011)

 昨夜、アメリカの「悪どさ」について書こうという段になって睡魔に襲われた。以下、その続き。

 もうずいぶん長きにわたってアメリカは輸入大国であり借金大国である。ごく普通に考えれば、ギリシャよりも早くに破綻しても不思議ではない。なぜ恒常的な輸入大国かつ借金大国でも大丈夫か。ドルが基軸通貨として国際的に信認され、流通しているからだろう。かつて「金」によって価値を裏付けられていたドルは、ニクソン・ショックの後、アメリカ経済の生産力への「信頼」をバックにするようになった。そもそも通貨の発行量は流通するモノとサービスの総和と等しいものでなければならないのだから、ドルにしても各国の通貨と事情は同じなのだが、そこは世界一の経済大国、そんじょそこらの国の通貨とは格が違うと「信じ」られてきたわけ。

 アメリカはその「信頼」に対してドルの刷り増しで応えた。他国からモノとサービスを買い、カネを借りまくってもドルを印刷して支払えばよい。いろいろの説明はあるだろうが、360円だった1ドルがいまや77円前後で「買える」という事実がすべてを物語っている。

 アメリカはシニョレッジを得る立場を失いたくない。だから、アメリカ経済に悪い材料が出るたびに、忠実なアメリカの格付け会社はPIIGS各国の国債格付けに関する発表を行う。ドルに対抗する地位をめざすユーロという通貨のもつ本質的な脆弱性を突く作戦に見えるし、実際、そうなのだろう。

 アメリカはもう既にリアルな経済の実力を失っている。「実業」に従事するあるいは従事していたアメリカ国民の大多数が安定した収入を得られないでいる。一方、本来は「実業」を支えるはずの「金融」のみがデリバティブのような「虚業商品」を「開発」して盛況を極めている。それがいまのアメリカだ。「ウォール街を占拠しよう」というデモはそういう現実を見せてくれている。

 借金はドルを印刷することで支払い、濫発されたドルがマスターベーションして富の偏在を生む。「自分さえよければいい」と考えるからこそ、それができる。

 そして、「利益を上げるためには手段を選ばない」、ミルトン・フリードマンの伝説的迷言、「儲かるときに儲けるのが資本主義社会における紳士だ」はそれを別の言い方で現わしたものだ。それを体現しているのが一部の(と書いておこう)ヘッジファンドだ。

 たしかに「歪み」こそが利益の源泉であるから、これを利用するのは責められるべきことではない。しかし「歪み」を創り出し、ことさらに増幅するとなると話は別だ。

 ギリシャの財政には問題があった。それは事実だ。その国債の格付けを見直すのも当然だったかもしれない。しかし「その弱いパーツ」を利用し、類似の問題をもつアイルランド、ポルトガルにも火をつけ国債の格付けを操作する。それよりも先にEU各国の銀行株を空売りしておき、頃合いを見計らって保有国債の格下げを理由に銀行の格付けを下げる。格付け会社とヘッジファンドの連係プレイは、一部の人には見え見えでも、なかなかみごとなものだ。デクシア株の集中的な空売りとベルギー国債の格下げ検討というアナウンスなどは絶妙のタイミングでごく「自然」に行われた。

 にもかかわらずドルの地盤沈下は続いている。まるで活性酸素が細胞を傷つけて様々な健康障害を引き起こすように、過剰に発行されたドルが「金融」に名を借りたマスターベーション的行為によりリアルな経済の健全性を損ないつつあるのだ。悪の帝国アメリカ合衆国(ウォール街と名指ししていいはず)を震源地とする金融グローバリズムを叩きつぶさない限り、ここ四半世紀、繰返している様々なバブルの発生と崩壊という輪廻から世界は逃れることができないだろう。(10/17/2011)

 暑かった。この時間になっても、部屋の温度は26度を超えたまま。10月も半ばになったというのに、この暑さ。唯一の救いは湿度がさほどない(日中もおおむね40%くらい)こと。

 パリで開かれていたG20財務相・中央銀行総裁会議が日本時間の昨夜終了した。共同声明を読んでもこれで事態がよい方向に進むのではという期待は持てない。

 EFSFの拡充を歓迎し23日に予定されているEU首脳会議で包括案が打ち出されるように期待しているからね。IMFが十分な資金を確保する必要がある(のに、この会議では決められなかったから)ので、来月3・4日に予定されているG20首脳会議で議論しようね。貿易黒字を抱える新興国は市場原理に基づく為替制度に移行し、内需拡大などの構造改革を推進して下さい。でも為替の過度で無秩序な動きは経済・金融の安定に悪影響があるので気をつけようね。

 次の会議への期待と要望、それと若干の留意、これでことが解決するのなら、専門家などいらない。

 とりあえず形だけは拡大を決めたEFSFに対し、その上で世界をカバーするはずのIMFの資金拡大ができないのだから話にならない。拡大が決められなかったのはアメリカにカネがないからだ。カネを出せないくせにちゃっかり要求だけはした。中国やブラジルに対して為替変動相場制への移行を求めるという部分だ。

 もともと「市場原理に基づく為替レート」なるものがくせ者なのだ。そのことは、おそらく手前勝手なアメリカ以外の国はすべて分かっている。現に、過度で無秩序な為替レートの「暴れ」は経済も金融もダメにすると共同声明自体が言っている。

 市場原理というが、その「市場」とはアメリカが設定した世界のこと。それをあからさまに見せないために持ち出されたイデオロギーが「グローバリゼーション」だ。ヒトもモノもカネも自由に世界を動き回ればいい。ヒトは一番得意なことに特化してカネを稼ぎ、そのカネで自由な暮らしをするのが一番いいのだという主張。

 ニコラス・タレブの「ブラック・スワン」の解説本、「強さと脆さ」にこんなくだりがある。

 どうしようもないモデル誤差の例としてもう一つ、比較優位を考えよう。リカードが発見し、グローバリゼーションの舵を握るということになっている概念だ。この考え方によると、国はそれぞれ、「一番得意なことに特化」(より厳密に言うと、逃すチャンスが一番少ないところに特化)するべきだ。なんだかコンサルタントあたりが言いそうなことである。だから、国が二つ、生産物がワインと布の二つなら、仮にどちらか一方の国がどちらの生産にも優れているとしでも、一方がワイン、もう一方が布の生産に特化するべきだ。
 ここに摂動論を導入し、いろいろなシナリオを当てはめてみるといい。ワインの価格が変動するとワインに特化した国がどうなるか考えるのだ。ワインに関する仮定をちょっと動かす(たとえばワインの価格はランダムであると考え、果ての国流の変動を持ち込む)だけで、リカードとはまるっきり逆の結論が出る。母なる自然は特化しすぎるのを嫌う。進化の足かせになり、生き物を脆くさせてしまうからだ。
 (たとえばジャーナリストのトーマス・フリードマンが喧伝しているような)今どきのグローバリゼーションの考えが今ひとつ浅はかで、社会にとって危険だと思うのは、そういうことが心配だからである。副作用のほうもちゃんと考えないといけない。
 グローバリゼーションは一見効率がいいように見えるかもしれない。でも、レバレッジを大きく利かせている点や要素同士の相互作用が多岐にわたる点を考えると、一カ所で不具合が生じれば、それがシステム全体に伝播するのがわかる。その結果、たくさんの細胞、がいっぺんに発火し、癲癇の発作を起こした脳みたいな症状に陥る。すばらしく機能している複雑なシステムである私たちの脳みそが、「グローバリゼーション」なんかしていないのをよく考えてみてほしい。少なくとも浅はかな「グローバリゼーション」はしていない。

 別に「グローバリゼーション」なんかなんの役にも立たない有害なものだと言っているわけではない。いま我々が目にしている効率主義一本槍の「グローバリゼーション」には気をつけた方がいいと言っているだけだ。それは、いまや「アメリカ固有」とも言い難くなってしまったけれども、アメリカに特徴的な浅はかさだ。

 いや「浅はかさ」というよりは「悪どさ」という方が適切だ。「自分さえよければそれでいい」、あるいは「利益を上げるためには手段を選ばない」という「悪どさ」。(10/16/2011)

 一橋、秋の講座、第三講。きょうのテーマは「財政-震災と少子高齢化の克服のために」、講師は小黒一正準教授。

 まず東日本大震災から話が始まる。

 復旧にはお金がいりますね、政府の借金はもう十分に過大なのに、というのが話の枕。いままで、日本の国債は国内で消化されてきたけれど、団塊世代がリタイアするにしたがい貯蓄を取り崩します、つまり国債を買ってくれた貯蓄が減額に転ずると、国債を買ってくれるのは外国になりますね、ギリシャのように。日本の借金の対GDP比はギリシャ以上なんですよ。このまま放置すれば、日本はギリシャになりますよ。じつによく聞く話だ。

 もうひとつ、団塊の世代が年金生活者になるこれからは、社会保障費の負担は増える一方です。実質金利が1%ていどでも実質成長率は3%以上が必要ですが、豊かな国ほど成長が鈍化しますし、人口減少が続く状況ではそんな成長率は望めません。ではどうするか。増税するしかありません、日本の消費税率は外国に比べて格段に低いんです、低過ぎますとは言わなかったが、IMFの勧告に語らせる。消費税率をあげて将来世代に借金返済というツケを残すべきではありません。

 ではこれらに対する解決策としてどうするか。これについては3つの提案。ひとつめは世代間格差を改善するために社会保障費を事前積み立てしておく。ふたつめは世代間公平基本法を制定し社会保障予算を一般会計から切り離して「ハード化」する。みっつめは管理競争を導入する。この「管理競争」の仕組みがあまりよく分からなかったが、保険引き受け組織(小黒は単に「保険者」と呼んでいた)にやらせ、政府はこの組織の運営を管理するとともに、高リスクの利用者(「被保険者」ということになるはずだが、小黒は単に「個人」と呼ぶだけだった)に対する保険引き受け組織の拒否・差別を防ぐために「リスク構造調整プレミアム」を支払うということらしい。いずれにしても民営化トレンドにしたがった「コイズミ改革」のバリエーションのように聞こえた。

 前段の「財政危機→消費税」への逃避シナリオはあまりにステレオタイプで「煽り」に近い。

 そもそもカネ余り状況だからこそ貸付先として銀行は国を選んだだけのことだ。企業の資金需要が旺盛になれば、国債を買うよりは企業に融資するようになるだろう。そのとき国は企業と競って国債利率を上げるのだろうか。「そうだ」と答える経済学者がいたらお目にかかって、そのメカニズムをご教示していただきたい。なにぶん、こちらは素人だから。

 きょうの資料の中に「国民貯蓄」、「企業貯蓄」、「政府貯蓄」、「固定資産減耗」の1991年、2001年、2009年の推移を棒グラフ化したものが載っていた。なるほど「国民貯蓄」は2001年時点で激減し、2009年ついにマイナスに転じている。

 では、なぜ団塊世代が年金生活に入り始める以前(2001年)にすでに激減しているのなぜだろう。にもかかわらず「企業貯蓄」はわずかながら伸びているのはなぜだろう。素直に見れば、内部留保を含む「企業貯蓄」に移転しただけのことではないのか。企業はこのカネをどうしているか。何らかの形で財政赤字の中に吸収したか、海外への投資にまわされたわけだ。外国から借りたカネでない限り、所詮、コップの中の嵐のようなものだ。だからこそ、もう何年もの間、財政赤字が強調されながらも日本国債の利率は低いままに推移しているのだろう。

 それでも「借金が過大なのは気分がよろしくないから、税金をばんばん取って国債の償還を進めよう」というならそうするがいい。その時、返済されたカネはどこにゆくのか。貯金を取り崩した「国民」にゆくのか、あるいはカネ余りで貸付先に悩む「銀行」へゆくのか。

 ・・・などと考えてくると、なにがなんでも税金をばんばん取って、借金を減らしたいのなら、貯金を取り崩して生活余裕のない国民から消費税として取り上げるのではなく、だぶつく内部留保の運用に悩む企業から取り上げる方がよほど経済の健全化のためにはよいのではないか。企業も内部留保に課税されるくらいならば、潔く給与の引き上げなり、非正規労働者への配分改善なり、価格競争力のために管理の鬼のようになって経理屋がつり上げた製品価格を下げて競争力に素直に反映させるなり、真っ当なことを考えるようになるだろう。

 そんなことを考えていたので、解決策などといわれても、なんだか「ためにする話」のようにしか聞こえなかった。それでも、ひとつめ、ふたつめは、理屈としてはそうだなとは思った。しかし、もともと積立方式としてスタートしたはずの年金制度を賦課方式に切り換え、国民年金の赤字補填のために企業年金を取り込んだなどの歴史を思い出せば、この解決策、初心に戻れと言っているように聞こえるではないか、呵々。まるで「行き詰まり」の行ったり来たりだ。

 だいたい取りやすいところから取って「対策」になるのか、本来の責務から「民営化」に逃げ込んで「解決」になるのか、どうも役人にとって都合のよい話そのもの。(10/15/2011)

 BSプレミアムでバンシュのカーニバルを観た。ユネスコが「無形文化遺産」として認めたものとか。ベルギー・エノー州バンシュという街(ブリュッセルの南60キロ)で、毎年、聖灰水曜日の前の日曜日から火曜日までの三日間(つまり「謝肉祭」の期間中、ことしは3月6日から8日)開催されるカーニバル。初日はごく普通のパレード、二日目は子どもの日、そして最終日が「ジル」の登場。これがクライマックスになっている。

 「ジル」のパレードは一種異様な仮装行列。木靴を履いて、メガネにナマズひげの描かれた仮面(どこかジャン・レノを連想させる)をつけ、あるいはダチョウの羽で作ったキノコ雲のような形の帽子をかぶり、街中を練り歩く。これを夜明けから夜中までステップを踏み続ける。大変な体力がいる。

 「ジル」として参加できるのは「江戸っ子」の定義同様、数代にわたりバンシュの街の住民である成人男子。「ジル」を演ずることは大変な名誉で、この扮装、パレード中のオレンジ投げ、シャンパンの提供などにカネをかける。すべて持ち出し。番組で紹介した家などは親子三代(ことし、じいさんは体力の点で辞退した)の「ジル」のためにことし3百万円近くのカネを投じたと言っていた。「このカーニバルのために働き、このカーニバルを楽しみ、来年のカーニバルは今年のカーニバルが終わったときから始まる」と聞いて、「ああ、山笠と博多っ子と同じだな」と思った。

 カーニバルには仮装がつきもののようだが、「ジル」は仮装のレベルを超えている。同じ顔の仮面をかぶった男たちが、数百人、千人規模で、木靴を鳴らして歩く。迫力がある。

 ベルギー、そして仮面と来ると、アンソールの絵を思い出すが、この仮面はユーモラスだ。アンソールの絵に登場する仮面とはずいぶんイメージが違う。なんとなく連想があって、大昔(なんとまあ72年のことだ)、鎌倉でアンソール展が開かれたときに買ったカタログを取り出して、テレビの前に座ったのだがハズレだった。

 ことのついでに書いておけば、アンソールの描いた仮面はすぐそのあとのニュースに登場した。九州電力の玄海原発「やらせメール」事件最終報告書発表後に行った真部社長の記者会見だ。いかにも毛並みがよさそう、上品な顔立ちの社長さん。

 アンソールは骸骨の表層にかぶった表情をひっくり返し、それを「仮面」として人間の心の中を暴いて見せた。真部の余所行きの表情をひっくり返してみると、アンソールの描いた醜悪な「仮面」が出てくるに違いない。(10/14/2011)

 欧州金融安定化基金(EFSF:European Financial Stability Facility)の拡充に対する最後の承認国になったスロバキア議会がいったん否決をした(日本時間の12日朝)後、けさ、連立与党の退陣を引き換え条件に再投票を経て議決した。

 とりあえず、これで「恐怖」は収まったものの、ギリシャという火種は残ったまま。(正確を期すとすれば、ユーロの脆弱性を利用してカネを稼ごうとするヘッジファンドなどの輩とユーロにより基軸通貨としての独占権を失うことを恐れるアメリカ、このふたつこそがほんとうの意味での火種なのだが)

 きのう瞬間的にボトム75円70銭くらいまで下げた豪ドルも78円台まで戻した。きのうは75円68銭から78円99銭まで振れた。久々の3円強の上下。底値と天井を押えることは難しいとしても、朝の時点でうまく拾えば2円数10銭のゲインはさほどストレスなく稼げたかもしれない。しかし再議決に対する楽観ムードの中でどこかの国の政府関係者が不用意な発言でもすれば、肝を冷やすことになると思うと、現実にはなかなかできる話ではない。

 旅行がらみでホームページのバックログがたまっている。おおむね10日分の更新でなんとか追いつこうとしているが、この分では解消にはまだあと3回ほどかかりそう。アクセス数が激減していることを考えると、もうあまり意味はないような気もする。

 アクセスログを見てみると、訪問者数、閲覧数ともに、東京と並んで千葉(これは**(息子)か?)が多いこと、不思議なことに石川と京都が「その他」の中に埋もれず、必ず独立に二桁カウントされている。これが一桁になれば、心置きなくやめられるのだが。(10/13/2011)

 結局のところ、野田政権の正体は自民回帰そのものという記事を朝刊から。

見出し:民主の脱原発派に不満/PT廃止に「議論の場ない」
 民主党の脱原発派の議員が不満を募らせている。菅政権時代に設置された脱原発色の強いプロジェクトチーム(PT)が、野田政権で廃止されたためだ。
 5日、荒井聰元国家戦略相や谷岡郁子参院議員ら4人の勉強会で「意見の持って行き場がない。党として原発事故に向き合う意思があるのか」との不満が相次いだ。4人は党が4月に設置した「原発事故影響対策PT」の元役員だ。
 原発事故PTは約30人の役員で組織。計34回開いた総会では、原発再稼働へ厳しい条件を求める声が相次いだ。8月には東京電力福島第一原発周辺の土地の国有化や原発事故調査委員会の国会設置などを提言。荒井氏は「菅政権の背中を押して原発対策を進めた。最も成功したPTだ」と胸を張る。
 一方、夏の電力不足対策は「電力需給問題検討PT」で協議。座長に原発推進派の直嶋正行元経済産業相が就き、脱原発派とのバランスを取った形だった。
 ところが、野田政権で二つのPTは廃止され、原発推進の色合いが濃い「エネルギーPT」が新設された。原発再稼働やエネルギー政策全般を検討する組織で、座長には日立製作所で原発プラントの設計に携わった大畠章宏元経済産業相が起用された。
 背景には前原誠司政調会長の意向がある。前原氏は9月に国会で原発再稼働の「年内」への前倒しを主張。脱原発派は「原発推進に路線転換するため、前原氏が政策決定過程から脱原発派を外した」とみる。
 荒井氏らは野田佳彦首相らにPT復活を要望。他のPTや党内の会合で「脱原発」を訴える戦術も検討するが、党内でどれほど共感が広がるかは不透明だ。

 住友の恥さらし米倉某経団連会長が「評価」しただけのことはある。見識も智恵もないドジョウがのさばる国に未来はない。(10/12/2011)

 ウォーキングコースの途中、押出橋交差点から黒目川までの舗道にリンゴにしては面長の実がいくつか落ちていた。

 舗道沿いに200メートルほど植わっている木から落ちたもの。「カリンの実 落下に注意」という看板が出ている。見上げると木には鈴なり状態。

 飲んだことはないがカリン酒というのは聞いたことがあるし、のど飴にもカリンエキス入りというのがあったような記憶。

 注意看板には「東京都北多摩北部建設事務所」とあるから、管理者は東京都なのだろう。街路樹として都が植えたものとすれば、カリンの実も都の財産。

 落下して道路に転がっているものとはいえ、勝手に持ち帰れば「占有離脱物横領」になるのかしらん。落下して危険という書き方をしているくらいだから、採らせてくれといえば受け付けてもらえるかもしれない。それとも、都道の街路樹とということで埼玉県民には権利がないのか。

 鈴なりになっているカリンが落ちる前に採集されるか、採集もされずに放置されて落下を待つか、どんな成り行きになりますか。

 「北部建設事務所」とやらに電話してみようか。落ちるにまかされるようだったら、採らせて欲しい。(10/11/2011)

 フランス・ベルギーを営業版図とする銀行デクシアが行き詰まり、フランス・ベルギー両政府に公的支援を要請した。デクシアは地方公共団体への融資がニッチ、ギリシャ国債の保有高が大きいため、不安視され、株価が42%急落、インターバンク市場での資金調達難に見舞われた由。

 おととい(現地時間では7日)ムーディーズはベルギー国債の格付けを下げる方向で検討するという報道があった。夕方のロイター記事によれば、デクシア救済の費用負担割合はベルギー60.5%、フランス36.5%、ルクセンブルク3%となっている。(ということはフランス国債の格付けを心配した方がいいということ?!)

 当局の反応が迅速だったのはデクシアの破綻は想定済みだったからだろう。昨夜このニュースの速報が流れていたにもかかわらず、けさからの為替相場は想像したほどのショックはなかった。その意味では74円40銭で仕入れた買い玉はそれほど悪いスジではないと思われるが、収益を「ショック・ビジネス」に求めている手合いがいる以上、去年の5月から6月にかけての動きをもう少し大きくしたような「揺さぶり」はあると考えておいた方がいい・・・そう考えることにして、74円40銭の買い玉を、さきほど、76円40銭で決済した。残りは74円ちょうどと73円60銭で仕入れた買い玉のみ、「重心」73円80銭になった。さて、見通し通りにまた72円から73円台に降りてくるかどうか。

 **(家内)は友人たちと秋保温泉へ一泊旅行。ちょっと街歩き、ついでに「夜明けの街で」(東野圭吾のあれ)でも見ようかと思っていたのだが、デクシアの影響を見定めたり、朝日の読者モニターのコメントをリライトしたりするうちに、またまた出るタイミングを失ってしまった。(10/10/2011)

 おととい、7日、国会議員の10月分の月給(歳費というらしい)が支払われた。129万4千円。この半年、震災の復興財源に充てるためとして月々50万円減額していたのだが、元に戻ったのだそうだ。

 歳費の減額は3月末に議決された特例法によるもの。特例法を定めた時点で半年と区切ったわけだ。この半年間の削減総額は22億円。復興費としてどのていど寄与するかといえばなんとも言えないが、けっして雀の涙とバカにする金額ではない。10年とも15年ともいう期間、所得税その他の税率を上げる「復興増税」の議論が進んでいるさなか、期限をむかえたから己が給料は満額に戻すという根性はさもしくはないか。

 もともと特例法に「半年」という期限を付けたこと自体が、いかにも「他人の眼」だけを意識したことが透けて見えていやらしい。人の噂も七十五日というから、その倍くらいでキリの良いところにしました・・・そんな感じだ。復興増税を国民に課す間、ないしは、最低限でも復興にあるていどの目途がつくまでの間、苦しくとも歯を食いしばって「選良」として範を垂れるというのが当然の話。期限を付けずに成立させ、元に戻すに際しては、新たな議決によるものとするのが真っ当な内容だったはず。

 みんなの党は特例法の延長案を9月26日に参議院に提出したそうだが、議院運営委員会理事会での議論は皆無だったとのこと。民主党攻撃に余念のない自民党や公明党、別の意味で小うるさい共産党や社民党までもが何も言わなかった、そしてスタンドプレイのうまいみんなの党自身がそれをアピールもしなかったというのが嗤える。

 嗤えるといえば、もっと嗤えるのは我がドジョウ宰相。アキ菅と揶揄された前首相は原発事故の責任をとるとして首相給与を全額返納していたそうだが、野田首相は満額を受け取っている由。口では「身を切る覚悟なくして国民負担は語れない」と言うがきれい事は口だけらしい。口は「金魚」のマネをするが、身は元の濁りの田沼育ちのままと思えば、さもしさばかりが目立つ話。(10/9/2011)

 一橋、秋の講座、第二講。きょうのテーマは「日本の年金制度改革」、講師は稲垣誠一教授。

 当然の話なのだが、極めて真っ当な内容。しかし・・・と思うのだ。年金問題の核心は財政的にもたせるためにどうするかというところにはないのではないか。積立方式で始めたはずがいつのまにか賦課方式を主とするものになり、国民年金財政が赤字になるや、いわゆる「第3号被保険者」をえさに企業年金を抱き込んだ。こういうあの手この手により高度成長期の潤沢な年金資金を食い物にしたウジ虫のような年金官僚の手に委ねる限り、「年金問題」がほんとうの意味での解決に向かうことはないのではないか。まさにこれこそが年金問題の核心なのではないか。

 そういうことが頭から離れないから、統計データに従えば、現状の枠組みでの制度運用は事実上不可能になると説明されても、どこか「大本営発表」による官僚ベースの「お話」に聞こえてしまう。だから、「このままで現在の制度を放置すると破綻するので支給開始年齢を75歳からにしましょう」などといわれても、冷静に「そうしましょう」などとは答えられない。これまでの「乱脈経営」があまりにひどかったからだ。

 他人のカネで勝手に箱物(「厚生年金会館」、「グリーンピア」・・・)を作り、好き放題に再就職先として私物化した連中がいたという事実が残る限り、「契約を変えるのなら、まず、過去の関係者を残らず処罰し、不正利得を返納させてからだ」という感情論を押えることができない。「破綻したら、みんなが困るのだから・・・」、たしかに理屈はそうだ。しかし乱脈を極めたかつての年金の運用が不問にされること自体、大いなるモラルハザードだ。

 なにより先に年金官僚を血祭りに上げろ。それからでなくてはどのような年金「改革」も意味がない。狡猾な年金官僚どもを粛正しないうちは、必ずや、彼らは一定比率の鞘をぬく「利権の仕組み」を組み込むに決まっている。そうすれば「改革」など無意味になってしまうだろう。彼らは他人のカネを盗むことに躊躇しない吸血鬼なのだから・・・。どうもきょうの講座には身が入らなかった。(10/8/2011)

 強制起訴された小沢一郎に対する初公判がきのう開かれた。昨夜からの一連報道はすべてこれまでバラバラと報ぜられたことを並べ直しただけで、これはというものはなかった。事件の発端から現在に至るまで一貫していることがある。それは「刑事裁判」と「政治倫理」の問題を区別することなくゴチャゴチャに報じ、かつ論じていることだ。

 虚偽記載が意図的なものか否かは、結局のところ、土地購入資金である4億円がゼネコンから贈られたカネかどうかというところにかかっている。刑事裁判の理屈からゆけば、後ろ暗いカネであることを証明しなければならず、それは起訴する側(通常検察、今回の場合は指定弁護士)が行わなければならない。登石「大審問官」のような「翔んでる裁判官」ならいざ知らず、「怪しいと推理した」と宣言するだけでは「証明」にはならない。賄賂とは縁もゆかりもない庶民にとっては歯がゆいことだが、刑事裁判とはそういうもののはずだ。

 ただし「政治倫理」となると話は異なる。政治家としては選挙民の疑念を解くための説明責任を果たすことが求められる。当然、政治資金の出所についても明らかにしなくてはならない。どうもここのところで我がマスコミは「集団ヒステリー」に陥っている。4億円が(可笑しいのは4億円の全額でないところだが)水谷建設から渡った賄賂であると証明できるのなら、収賄罪で起訴すべきだと思うが、新聞の中で一紙たりとも、テレビの中で一局たりとも、そのように主張、解説しているところはない。何度も書くが、人を殺して逃走中に信号無視をしましたというなら、「道交法違反」などではなく「殺人」で起訴しなくてはウソだろう。

 もっとも、これほどにこじれてしまったのには小沢一郎本人に責任があると言えなくもない。

 石川知裕と池田光智が逮捕されたころ、小沢は野党がそろって求めた参考人招致に応じた方がいいと思った。しかし当時の小沢はおそらく正面突破ができると判断したのだろう、参考人招致には応ぜず、検察の強制捜査を座して待つ作戦に出た。小沢には本丸である収賄について検察が立件できないという自信があったからだろう。実際、検察は嫌疑不十分による不起訴という判断をせざるを得なかったのだから、その判断は「一時的」には正しかった。

 しかし霞が関官僚にとっては小沢を収賄で潰さなくとも目的を達する道はあった。それが「検察審査会ルート」だった。裁判員とは違い検察審査員は非公開の匿名メンバー、法務官僚がいくらでも細工できるという点で、ヤミ手続きの行える好都合なルートだった。(唯一、公開されている検察審査員の平均年齢データを見る限り、前後2次に渡って審査にあたった検察審査会メンバーは不自然。恣意的な運用があったことは、登石流にいえば、十分に「推認」できる

 小沢が大局を誤らず、「刑事裁判」を無意味なものにし、「政治倫理」の局面でもなにがしかの対応を手抜きすることなく打っていれば、このようなことにはならなかった。あえていえば、政治倫理面における釈明をしたくなかったというところに「心理的な証拠」の痕跡があるのかもしれない。

 なお、裁判長は大善文男。「日本の刑事裁判官」にはこんな人物評が載っている。「2011年9月現在、刑事担当裁判官として地裁段階でのピークを東京地裁本庁で迎えている。すなわち、東京高裁刑事部総括への優先チケット保有者だ。38期の刑事裁判官で同総括を狙えるポジションにつけているのは近藤氏、三浦氏、吉村氏、そして大善氏の4名。頂上到達を許されるのは4名全員というわけにもいかないだろう。大善裁判官の経歴からのセールスポイントは≪◎高裁事務局長歴あり≫≪◎司法研修所教官歴あり≫≪◎支部勤務なし≫≪◎田舎勤務は出身地の高知だけ≫といったところ。最高裁が先を見越し、他の裁判官とは一線を画した処遇をしていると容易にわかる。この先、どこかの地家裁所長ならびに高裁陪席を経て同ポストに至ることになんら違和感はないが、もしもそうならなかった場合、どういう処遇が待っているのか興味深い」と。

 これを、法務官僚としての出世のためなら裁判官としての「良心」を眠らせるタイプと受け取るのは登石がひどかった故の偏見か。まあ、大善という人物の真贋もいずれ分かる、楽しみなことだ。(10/7/2011)

 ウォーキング、きょうは短縮コース。シャワーを浴びてシステムに火を入れて、スティーブ・ジョブズの訃報を知った。二人のスティーブがいなければ、アップルⅡはできなかっただろうし、当然のこととしてアップルという会社も生まれなかっただろう。

 足元の技術をあっという間に組み合わせてみせる才能に長けていたのはウォズニアック、目前の技術の誰にも見えていない可能性を見える形に昇華してみせる才能に長けていたのがジョブズだったと思う。なんとなくゲイリー・キルドールとビル・ゲイツを連想させる組合せだが、二人のスティーブは幸いなことに仲がよかったらしい。

 スティーブ・ジョブズはきっと数学者的な感性を尊んだのだろう。ゴテゴテした力任せの証明など証明とは認めない。ほんの数行による証明、エレガントな証明だけが存在意味を持つ。こういうフィロソフィーだ。デザイン(ハードについてだけではなくソフトも含む)に淫したとしか言いようのない彼のプロダクトを見ればそんな風に思えてならない。

 5歳ほど歳上のウォズニアックはまだ存命中の由。神は、「やはり」と書くのはなんだが、希少な天才の方を先に召したのかもしれない。

 さて、これから、午後は**さん宅を訪問。仲人をしていただきながら、訪問したのはただの一度。きょうが二度目になる。ご夫婦ともお亡くなりになってからというのはいささか薄情のような気がするが、お線香を上げさせていただくつもり。(10/6/2011)

 昨夜は久しぶりに有楽町。少し飲み過ぎたかもしれず、夢見は最悪、体が重い。朝からずっと雨。ウォーキングは無理・・・かえってよかったかもしれない。

 朝刊2面に、ここ半月ほどニュースになっているウォール街での若者の「格差NOデモ」についての記事が載っている。

 経済格差や高い失業率に異議を唱える若者らによるデモが、米国各都市に広がっている。震源地は、金融機関が集中するニューヨークのウォール街。大量の逮捕者が出た後も賛同者は増える一方で、芸能界や経済界からも支持を表明する声があがっている。
 「ウォール街を占拠せよ」が活動の合言葉だ。不当に富が集中しているとして、大手金融機関を攻撃相手の象徴に掲げる。
 「1%の金持ち、99%は貧乏」「富裕層に課税を!貧困層に食べ物を!」。ピザの箱の裏や段ボールに太いペンで殴り書きしたプラカードには、若者たちの怒りの言葉が並ぶ。「25歳、大卒、無職、健康保険無し、私の一票は企業のためのロビー活動のカネに消されていく」といった長文もある。
 「どれだけ長い間、金持ちが貧困層から搾取してきたことか。いまの社会はおかしい。気づいていない人たちの目を覚ましたい」。隣のコネティカット州からニューヨークに駆けつけたロバート・サムエルズさん(23)はまくしたてる。
 抗議活動の拠点は、世界貿易センタービル跡地近くの公園だ。昨年まで同時多発テロの追悼式典の会場だった。寝袋を持ち込んで寝泊まりする若者も少なくない。定期的に公園を出て、ウォール街や市役所に向けて行進する。1960年代に流行したヒッピー風に着飾り、フォークギターをかき鳴らす参加者もいる。
 始まったのは、テロ10年の記念日から間もない9月17日。参加者らによると、8月ごろからネット上で有志による呼びかけが始まり、初日は約1500人が集まった。だがその後は500人前後で推移していた。
 潮目が変わったのは9月24日。デモ行進中に公務執行妨害などの容疑で80人が逮捕され、その模様が動画サイトに投稿されてからだ。若者の反発が広がり、参加者は千人規模に。10月1日にはブルックリン橋をデモ隊が占拠、約700人が逮捕される事態になった。
 メディアの注目が高まる中、リベラル派を自任する著名人が続々と現場に駆けつけたり、デモへの共感を表明したりしている。
 金融界に批判的な映画「キャピタリズム」で知られる社会派映画監督のマイケル・ムーア氏は、「変化はここから始まる」などと参加者への支持を訴えた。アカデミー賞女優のスーザン・サランドンさんは「なんでもかんでも訴えては共感は得られない」と活動のやり方に助言した。
 大物投資家のジョージ・ソロス氏も国連本部での記者会見で「参加者の気持ちがわかる」と語った。
 デモは3週目に突入し、ロサンゼルスやボストンなど各地に飛び火。米国で、若者のデモがこれほど長引くのは久しぶりのことだ。

 もう20年ほども前に出た「アメリカの没落」という本がある。書いたのはピューリッツァ賞国内報道部門で2度ほどの受賞歴のあるバーレットとスティールというコンビ。

 第1章から第10章、さらにプロローグとエピローグの扉には、かつてのアメリカと現在(1990年ころ)を比較する分かりやすいデータとともに「何を間違えたのか」(この本の原題は「America:What Went Wrong?」)についてコンパクトな結論が書いてある。

 エピローグは「キャピタルゲイン減税で誰が得するか」として、

ということがドル紙幣を分割する絵とともに書かれている。それから20年を経てアメリカの中流階級(おそらくかつてはキャピタルゲイン所得のあった6%)はみごとに姿を消し1対99の世界が現出したということなのだろう。

 「アメリカの没落」の邦訳が出た当時、この本を読んだ日本人の中で「アメリカの犯した間違い」を時を措かずしてこの国も犯すと思った者はさほど多くはなかったと思う。しかしこの本を掘り出してきて、ざっと目次を眺めてみると、ぞっとする・・・というか、まさに日本も同じ道を歩んだということがよく分かる。

 翻訳をした堺屋太一が「序に代えて」で書いている「予言」は不気味だ。「歴史の事例では、中流階級の没落は、常に国粋主義的傾向と政治の内志向を招くものだ」。たしかにそういう傾向は強まりつつある。だが、これはこの本の一部に反応したことであって、コーエンが言うところの「容易に収穫できる果実の枯渇」という「世紀の課題」を近視眼的に解決しようとした凡庸な経営者たちの「合成の誤謬」への批判を含んでいない。そういう視点の欠如が恐いのだが。(10/5/2011)

 朝刊の「耕論」、きょうのテーマは「推認有罪」。弁護士の落合洋司、元裁判官の木谷明、元東京地検特捜部長の河上和雄の三人がそれぞれに意見を語り記者が聴き取りを書いている。

 落合と木谷は100%、推認有罪を批判(というよりは「あってはならないこと」)としているのに対し、河上は「常識的に証拠を判断した判決だ」と肯定している。河上の出身を考慮すれば、「常識的に当然と判断できる発言だ」と「推認」できるもので、内心の苦衷をお察ししたい、呵々。

 しかし、その河上も「立証責任は検察にあります」と認めている。だから、「被告側は黙秘すればよかった」のに「不自然な説明をしたものだから、裁判官は被告がウソをついていると判断した」のだと「裁判官を弁護」せねばならなかった。しかし黙秘したなら黙秘したことを「不利な事実があった証拠」とするのが我が検察の論理のようだが・・・。また、河上は「『推認』を判決で使うことは不用意」とも認め、「単に『認定できる』といえばよかったのです」と、こんどは裁判官に対して苦しいアドバイスをしている。

 河上がどのように裁判官を弁護しようとも、登石以下3名の裁判官が自分たちの「心証」のみに基づき「証拠」らしい「証拠」を上げることすらせずに恣意的な判決を下したという事実は動かしがたい。

 我々素人が「常識的に推認できること」はこういうことだ。ポジション・トークをしなければならない立場にある法曹関係者を除く100人に尋ねれば、99人あるいは100人全員が、今回の判決の「論理」には疑問を持っていると答えるだろう・・・ということ。(10/4/2011)

 週刊現代の広告。「ああ情けない:ビビリ野田とその一味たち」という記事見出しの横に、「どじょうがさ、逃げてばかりじゃ、ダメなんだよな」とある。「うまい、座布団一枚」と言いたいところだが、ビビリ野田の「安全運転」を見ていると、昔の自民党政治そのもののような気がする。

 いまは亡き高田渡に「値上げ」という歌があった。

値上げは全然考えぬ/年内値上げは考えぬ/当分値上げはあり得ない/極力値上げは押えたい
今のところ値上げは見送りたい/すぐに値上げを認めない

値上げがあるとしても今ではない/なるべく値上げは避けたい
値上げせざるを得ないという声もあるが値上げするかどうかは検討中である
値上げも避けられないかもしれないがまだまだ時期が早すぎる

値上げの時期は考えたい/値上げを認めたわけではない/すぐに値上げはしたくない
値上げには消極的であるが年内値上げもやむを得ぬ/値上げもやむを得ぬ/値上げに踏み切ろう

 国内では原発の再稼働についても、方向性についても、ほとんど何も言わずにおきながら、国連総会に出るや原発の輸出を高らかに宣言してのけた。ホンネははっきりしているのだ。にも関わらず、「検討を指示したところでございます」とかなんとか言い逃れる。

 昔の自民党は老獪ではあったが、高田渡が皮肉ったように一応真正面からコメントする勇気とある意味の誠意は持ち合わせていた(そうでもないか・・・「アー、ウー」宰相から「言語明瞭意味不明」宰相までいろいろいたなぁ)。だが、野田にはそういう勇気も誠意もないように見える。その分だけかつての自民党よりも狡猾である。さすがにマネシタ政経塾出身だけのことはある。

 試みにこの歌詞の「値上げ」を「消費税アップ」にチカンしてみよう。いずれ国民はハタと膝を打つ時が来るだろう。財務省の手先の如き野田が宰相ならば、そう遠いことではあるまい。(10/3/2011)

 暴力団排除条例がきのうからスタートした由。この条例、東京都と沖縄県が最後まで残されていたのだとか。暴力団への利益提供の禁止、当然の話、暴力団になにがしかの依頼をすることも禁止。条例に違反すれば、警察から立ち入り調査や勧告・指導があり、従わない場合にはインターネット上で企業名などを公表する措置がとられるとのこと。(罰則は1年以下の懲役、50万円以下の罰金とか)

 8月12日にオンエアされた「追跡!AtoZ」にはれっきとしたヤクザ屋さんが登場し、福島第一原発の現場作業員が彼らの口利きで集められ現場に送り込まれている現実を証言していた。同番組では7月22日に開催された「福島第一原子力発電所暴力団等排除対策協議会」の場面も紹介された。この時、東京電力の武藤悟司総務部長は「暴力団から狙われる可能性があります。反社会的勢力との関係遮断を強化して参りたいと存じます」と発言していた。

 原発が稼働した40年前から、各電力会社の下請け企業は作業員確保のために暴力団のお世話になってきており、一時下請け会社日立の**くんが言っていた「ラドウェストのプロ」のこと、彼は放射性廃棄物処理技術のプロというつもりで言っていたのだろうが、もちろん、そういう危険物の処理を無知につけ込んで健康と引き換えにやらせるという「マネジメント」のプロでもある)は当然のこととして、元請けたる電力会社もその実態については承知していた。

 今後、「追跡!AtoZ」に登場した「くりからもんもん」のヤクザ屋さんの代わりは、どこのどなたさんが引き受けるようになるのだろうか。大いに興味がある。(10/2/2011)

 きのうの暑さが夏の最後の名残だったのだろうか。けさは一転、涼しいを通り越してヒンヤリした風が吹いている。きょうから第4クォーター。

 朝の連ドラ「おひさま」の最終回。最後に「白紙同盟」の女学生三人組の「現在」が登場する。井上真央が演ずる陽子は若尾文子、マイコの真知子は司葉子、満島ひかりの育子(「活子」の方があっていると思う)は黒柳徹子だった。役者の当てはめがうまい。

 その最後のシーン。3人の中で誰が最初に逝き、誰が最後まで残るか、異口同音に「わたしは2番目がいい」。いつもながら、岡田恵和の脚本はうまい。

 そう、そういう話を釧路で**としたのだ。「4人の中で誰がいちばん最初かな?」、「最後まで残るのは誰かな?」、「最後は嫌だな」、「そうだな、香典、出すばかりでもらえないのはな」。そんな会話を思い出したからだ。

 人間はこうして、徐々に徐々に、自分の気持ちを慣らしてゆく。それが自然でいいのだ。やはり、予期せず、突然に死ぬのは不自然で、体に良くない、呵々。

§

 一橋、秋の講座、第一講。今季は経済研究所世代間問題研究機構の研究成果を中心に、総括テーマ「日本の暮らしの現状と未来」として行う由。きょうのテーマは「子供と幸福」、講師は小塩隆士教授。設定した課題はふたつ。まず、子ども時代貧困であったことと現在の境遇に相関があるか。そして、子ども時代に親の虐待、学校でのいじめなどつらい経験をしたことと現在の精神的状態に相関があるか。

 貧困との関係については7,002人、虐待との関係については3,300人にアンケートをとって、結果をクロス分析している。結果は常識的予想を大きく裏切るものではなかったが、15歳時点での貧困はその後の学歴に確実に影響を与えることと、最終学歴が現在の経済状態、主観的幸福度、健康状態に強い相関があることが確認された。これにより、高等教育を受けることに対する経済的支援(たとえば奨学金など)よりも子育てに対する経済的支援の方がはるかに効果が大きいことがわかる。言い換えると「子ども時代の貧困は教育達成、所得、幸福度、健康状態に望ましくない影響を与える。子ども時代以後に対する政策配慮では完全には解消されにくいということ。

 一方、「つらい経験」については、両親の離婚あるいは死別などと虐待・いじめなどとでは影響度が明らかに違い、親からの虐待・無視、学校でのいじめなどは決定的な悪影響につながることが確認できた。あえて書けば「虐待やネグレクトをされるくらいなら、離婚ないしは死別の方がまし」ということだった。

 これを現実政策に引き寄せて考えると、財政状況が限定的である条件下では、子どもを持つ世帯の困窮を救う政策の優先度が高く、所得制限のない「子ども手当」には疑問があるということ。(10/1/2011)

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