サルコジ大統領が来日。福島原発の件などで菅首相と会談の由。原発大国フランスとしては、スリーマイルを超えたフクシマの惨状が原発ビジネスに与える影響を無視できなくなったのだろう。きのうは世界最大の原子力コングロマリットといわれるアレバ社社長の来日がニュースになっていた。福島の3号機で燃えていたMOX燃料はアレバ製だとか。日本の電力業界は重要顧客でもあるわけだ。AERAの駄洒落コピーに「アレバがアレバ大丈夫」などというのは如何か、呵々。

 6時過ぎ、サルコジと菅の共同記者会見を見た。「二十一世紀のエネルギー源として原子力は重要」としゃべるサルコジの顔を見ながら、子どもの頃のことを思い出した。

 我々は鉄腕アトムの世代だ。10万馬力のアトムのエネルギー源は原子力。原子力の平和利用は明るい未来へ続く道だった。偕成社から出ていた子ども向けの啓蒙図書シリーズは愛読書だったが、その中に日下実男の「すばらしい原子力」という本があった。そこには原子力発電は当然のこととして、原子力潜水艦ノーチラス号から始まって、原子力砕氷船レーニン号、原子力商船サバンナ号、なんと原子力機関車までがイラストつきで登場していた。

 早々と構想で終わったのが原子力機関車だった。放射線を遮蔽するためのコンクリートなどの重量を考えれば子どもにも分る話だった。しかし船ならば・・・。何隻か実験船が建造された。我が国で作られた「むつ」は放射能漏れ事故を起こし、原子炉部分は廃炉・解体された。事故当時、「放射能漏れがあっても当たり前だ。実験船なんだから」という原子力村関係者の発言に、あきれてものも言えなかったという記憶がある。

 サバンナ号も、レーニン号も、同様の事故が絶えなかったのだろう、いつのまにか姿を消した。現在まで生き残っているのは原子力潜水艦のみだ。空気のないところでの活動が本業である潜水艦にとってはリスクとトレードオフするだけのメリットがある。その後に実用化された原子力空母の場合はまかなうべきエネルギーの巨大さにメリットがあると思われる。要するに軍事用という特殊用途なればこそ生まれるメリットであって、我々の日常生活を支えるものではない。

 原子力こそ明るい未来をもたらす「夢のエネルギー」というのは根拠のない「風評」に過ぎない。福島の事故以来、農産物・海産物の風評被害が取り沙汰されているが、最大の「風評被害」は「夢の原子力」である。(3/31/2011)

 さすがに「日当40万」は「まずい」(どうまずいのかは分らないが)ということか、共同通信のニュースサイトには一日遅れで、こんな記事。

見出し:東電の安全管理に疑問投げかけ/孫請け作業員が証言
 建屋の地下にたまった水で作業員3人が大量被ばくした東京電力福島第1原発で、実際に復旧作業にあたった下請け会社の男性社員が30日までに共同通信の取材に応じ、被ばく事故現場に放射線量を管理する責任者がいなかったことを問題点として指摘した。
 男性はさらに、汚染された水に足が漬かった状態で3人が作業していたことについても「普通は水の中に入って作業なんかしない」と述べ、東電の安全管理の在り方に疑問を投げかけた。
 3号機タービン建屋地下で24日に被ばくしたのはケーブル敷設作業をしていた下請け、孫請けの3人。そのうち、作業をしていたのは孫請けの作業員1人で、下請けの2人は現場監督だった。孫請けの作業員ほど、危険が高い難作業を任される構図になっていた可能性もある。男性は3人が被ばくした事故の問題点として、近くに線量管理の責任者がいなかったことを挙げた。
 現在、放射線量の低い場所の作業は一日8時間に及ぶこともある。作業員は全員、敷地内の免震重要棟で寝泊まりし、乾燥米や缶詰など1日2食、1・5リットルのペットボトルに入ったミネラルウオーター1本という過酷な条件下にいる。
 男性は、東電が作業員を集めるために日当として1人数十万円を払うという新聞記事を読んだ。「そんなことはない。作業は何年もかかるし、多くの人員が必要だ。誰がそんな金を出すのか」とあきれる。
 深刻な状態が続く1~4号機は廃炉になる可能性が高い。男性はずっと第1原発に携わってきた。「廃炉作業が終わるまでには50年くらいかかるのではないか。できれば最後まで作業を続けたい」と心情を吐露。近く、第1原発に戻るという。

 たしかにスルーで渡されるとしても日当40万の支払いを何日も続けられるわけはなかろう。常識的には「うちの会社(ひ孫請けくらいのレベルか)で引き受けられれば一日あたり40万にはなるのだが」という意味ではないかとも考えられる。

 あるいは、特殊な「現場」のために、だれにでもできる作業ではないということかもしれない。被曝線量の関係で滞在時間が極端に限定されるとすれば、過去の作業履歴や最終状況についてイメージがある現場作業者は「貴重な存在」かもしれないのだ。そういうクリティカルな作業があるとすれば、どんなところだろう。

 ・・・ところで、この記事には取材者名も証言者名もない。実名報道の内容に疑問を突き付ける記事を書くのなら、自分も実名、否定する証言者も実名で伝える姿勢で臨まなければ、迫力はない。

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 来月の旅行の説明会。これだけの惨事があって、まだ余震も続く状態で、湧いてきてもよさそうなワクワク感がいまひとつだったが、旅程の案内などを聞くにしたがってやっとちょっと盛り上がってきた。

 池袋で**(家内)と別れて本屋へ。ケネス・ロゴフの「国家は破綻する」を買うつもりだったのだが、ボリュームと値段にたじろいだ。つまみ読みはするだろうが、当分の間、ないしは最期まで「本棚の肥やし」になりそうだ。未読本の山はとっくに残された時間で消化できる量を超えている。にもかかわらず、二冊。デイヴィッド・オレル「なぜ経済予測は間違えるのか?」と堀川恵子「裁かれた命」。オレルの本は「明日をどこまで計算できるか?」に続いて二冊目かな。(3/30/2011)

 けさの東京新聞のサイトにこんな記事が載っている。

見出し:「日当40万円出すから」原発作業員確保に躍起
 危機的な状況が続く福島第一原発。その復旧作業は放射能、時間との闘いで、作業員の確保が急務となっている。東京電力の要請を受けた協力会社は、各地にいる作業員たちを呼び寄せようと躍起になっている。中には法外な高給を提示された作業員もいる。
 「日当四十万円出すから来ないか」。福島県いわき市からさいたまスーパーアリーナ(さいたま市中央区)に避難している作業員藤田竜太さん(27)の携帯電話に、旧知の原発のメンテナンス業者から誘いが入った。
 現場は福島第一原発。高給である以上、それだけ高い危険が待ち構えていることはすぐに分かった。電線の敷設作業をしている友人からは「おれ、もう被ばくしているかも」と聞かされた。
 長男はまだ三つと幼く、妻(26)には新しい命が宿った。ためらいなく断った。藤田さんは、「五十代以上の人は高給につられて原発に戻っているらしい。でも、おれはまだ若いし、放射能は怖い。もう原発の仕事はしたくない」と語った。
 一方、協力会社の男性社員(41)は、勤務先から「人が足りないから戻ってくれないか」と第一原発での作業を要請され、四月以降に福島に戻る。
 男性は計測器を使ってそこが作業できる場所かどうかを調べるのが主な仕事。原発の現状からすると、まさにそこが最前線ともいえる。「特別な報酬があるわけではないが、危険な作業が待っているだろう。断ったら、恐らく会社にはいられない」と半ば強制だと受け止めている。
 同県田村市の男性(58)によると、第一原発で働く知人の父に、「五十歳以上の人で原子炉近くに入ってもらえる人を探している。手当は普通より多く払うからお願いできないか」という電話がかかってきたという。
 東京電力は現場の労務環境について、「放射線量が高いので、一人当たりの作業時間に限りがあるため、人員の交代が頻繁に行われている」と説明。また、「協力会社にお願いしながら人員を確保している。作業費は協定に基づいて協力会社に支給しているが、個々の金額についてはコメントできない」としている。 (社会部・堀祐太郎)

 子請け・孫請けは当たり前、発注元の電力会社は日当7万円だが実際に働く人は8千円から1万円というピンハネ業界で日当40万とすると、東電はいったいいくらだすと言っているのかと疑いたくなる記事だが、実名をあげての署名記事なのだから、信憑性は高い。田中三彦が指摘した「チェルノブイリ現象」が、いま、福島で再現されようとしているということかもしれない。

 **さんからYouTubeにアップされた黒澤明の「赤富士」(オムニバス「夢」の中のひとつ)が面白いと教えられた。プルトニウム239、ストロンチウム90、セシウム137に色をつける着想はいかにも映画監督らしいものだが、背景に放射能に汚染された海を配置して黙示録の四騎士を連想させる着想も、「あそこには6基の原発があって」といういうセリフも、偶然かどうかは分らないながら、巨匠の「悪夢」を見る力、想像力には脱帽。(3/29/2011)

 1,000万倍騒ぎは最終的に10万倍に落ち着いた。ヨウ素134の誤認は「コバルト56ではないか」とされた後にセシウム134だったと訂正された。朝刊によるとコバルト56の半減期は77日、セシウム134の半減期は2年だそうだから、少しずつ長い方に修正されていること、原子量が134と「間違えるにはお手頃かな」と思わせるなど、ここまで醜態が続くと訂正内容そのものに対する信頼性がほとんどなくなってしまう。

 そして夜になってからは、放射線管理区域外にある「トレンチ」に溜まっていた水からも1,000ミリシーベルトを超える(つまり携行線量計の針が振り切れたということだろう)放射線が検出されたというニュースと、既に22日に採集されて分析を進めていた原発建屋周辺の土壌からプルトニウム238が見つかったというニュースが入った。

 テレビに入れ代わり立ち代わり登場する専門家の皆さんはじつに愛すべき人たちで次々に発生する事態を常に楽観的に解説する。にもかかわらず、事故発生当初から一貫して事態は悪化の一途を辿っているというところに得も言われぬ可笑しさがある。

 常識的に考えれば、ECCS(緊急炉心冷却システム:Emergency Core Cooling System)も、RCIC(原子炉隔離時冷却系:Reactor Core Isolation Cooling System)も作動しないという異常事態が運転中の3基で発生したのだから、起死回生の逆転ホームランを打てる確率は低いに決まっている。(RCICが機能しなかったということは単に電気系が津波でやられただけではない可能性を示している。蒸気供給隔離弁が電動弁ならば電気系の喪失が原因ということになるが、タービンなどの機械系が地震によってダメになった可能性も多いにある)

 専門家ならば「冷やす」対象に「使用済み核燃料プールも忘れるな!」のひとことぐらいは、少なくとも1号機の爆発が起きる前には欲しかったが、見聞きした限りでは彼らの当初の指摘は原子炉に関するものだけであった。だから停止中のため眼中になかった4号機の火災と爆発は驚きをもって迎えられてしまった。その間3日以上もあったというのに。

 大量の海水の「注入」(「投入」という方が正しいのでは?)を「これで一安心」と評価するコメントは聞いたけれど、その後の関心は「温度」に向かい、「なぜ、溢れないのか」、あるいは「『津波』の如く海水を浴びせて、もしかしたら今後使えるかもしれない電気系機器の絶縁に影響はないのか」などの指摘も聞かなかった。とにかく、みごとなまでに眼前の事実を楽観的に解説するのみで、悪化のシナリオの原因となりそうなことがらに関する指摘はなかった。

 我が平均的国民の**くんが「もうそろそろ事故も落ち着いても来たので、こちらも勢い込む事もないのだが・・・・」と書いてきたのは22日の夜だった。そんなに安心していいのかと思い、返すメールの末尾にはこう書いた。

 よく言っても、平衡状態にあるというだけのような気がします。
 収束に向かって進むためにはポンプによる冷却水循環が確立しなければならないでしょう。仮設電源系の準備が完了しても、給電系の健全性、ポンプ(モーターを含む)系の健全性、配管系の健全性が三拍子そろって機能する確率は低いでしょう。機材の手配がどこまで進んでいるかも心配ですが、仮に、理想的に準備が進んでいるとしても、放射能汚染場所での、ポンプ改修、配管系の一部仮設の作業は難航を極めるでしょう。
 落ち着いてマスコミが騒がなくなればオーケーというなら別ですが、「冷やす」の道のりすら遠く、「閉じ込める」に至ってはいつになることか。とにかく「想定外の津波」のためペンディング状態になった三手順が完了しなくては、安心は訪れませんよ。
 残念ながら、いずれ国際機関からの強制介入もあるのではないかと、危惧しています。我が祖国のプライドを守るために、そのようなことがないことを祈りますが。

 原発の安全停止の手順は、①止める、②冷やす、③閉じ込める、ということになっている。プライオリティの高い順でもある。つまり、「閉じ込める」ことができなくとも「冷やす」ことだけはしなければならない。冷却水循環が確立しないうちは、早晩、放射能汚染された冷却水が無秩序に流出することは覚悟しなければならない事態だった。それが放射線管理区域外の「トレンチ」にまで漏出したということ。おそらくどこかの段階で海に捨てるほかなくなるだろう。世界中の非難を浴びながら。

 しかし、冷却水の投入をケチるならば、既に壊れている核燃料棒の発熱はより増大し、圧力容器の内圧が上がる。その時は圧力逃し弁を開いて「ベント」をすることになる。圧力容器が爆発し放射性廃棄物が飛散するよりは「ガス抜き」にとどめ、放射性廃棄物を小出しに放出する方がいいからだ。それは「大浴場につかりながら小便をしても誰も迷惑しない」という理屈にすがるということだ。

 原発破れて山河あり、里春にして草木深し・・・きょう、東京ではサクラが開花。(3/28/2011)

 きのう、「責任者はだれか」、「司令塔はだれか」と書いた時、頭に浮かんだのは石川迪夫の顔だった。検索してみたら、そのトップに出てきたのが、こんな記事だった。

東日本大震災:「福島原発、収束の方向」原子力技術協会・最高顧問が見解
◇「評価レベル6」保安院の甘さ指摘
 【ワシントン斉藤信宏】79年の米スリーマイル島原発事故の検証に立ち会った日本原子力技術協会の石川迪夫(みちお)最高顧問が25日、米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長らとの面会を前にワシントン市内で記者会見した。福島第1原発事故について「使用済み核燃料プールでのトラブルは峠を越えた」と表明。冷却水が失われ燃料棒が損傷したとみられる1~3号機の原子炉についても「小康状態のまま2週間が経過しており、大きな変化が生じるとは考えにくい」と述べ、事故は収束に向かいつつあるとの見方を示した。
 石川顧問は、ヤツコ委員長が16日、福島第1原発4号機について「プールに水がなく、放射線量が極めて高くなっている」と警告したことについて「事実誤認だ」と強調。「使用済み核燃料の崩壊熱による水の蒸発は1日50トンに過ぎない。プールには1200トンの水があるから、地震直後から蒸発が続いたとしても、水は今も入っていることになる」と反論した。
 一方、経済産業省原子力安全・保安院がレベル5と発表した事故の暫定評価について「スリーマイル島原発事故に比べて放射能汚染が広範囲に及んでいる上、1号機から4号機まで事故が発生していることを考えればレベル6に相当する」と認識の甘さを指摘した。

 同時に検索に引っ掛かる電気新聞への寄稿の末尾には「老骨にむち打って、協力を惜しまない所存」と書きながら、アメリカに行っているのは釈然としないが、現在の事故対策メンバーと機材では「小康状態」を保つのみと判断し、なにがしかの支援を「核開発の総本山」に仰ぎに行ったのかもしれぬ。まさか、日本にいては旗色が悪いと海外逃亡をはかったわけではあるまい。

§

 日本は「運」を使い果たしたのだろうか、それともまだ「運」はあるのだろうか?・・・、2時のNHKニュースを見ながら、そんなことを思った。

 福島第一原発2号機のタービン建屋の排水ピット(報道では「たまり水」と呼ばれいてる)で1,000ミリシーベルトの放射線量を検知、分析の結果、平常時の1,000万倍の放射能を検出したというニュースだった。数字の大きさに驚いたことは事実だが、それ以上に驚いたのは添えられた情報だった。1,000万倍というのがヨウ素134であり、その半減期は53分というのだ。

 半減期が1時間にも満たない核分裂生成物が凄まじい濃度で検出されたということは核分裂がかなりのレベルで起きていることを意味している。崩壊熱を発生されるプロセスではこのような生成物はできないであろうし、仮にできたとしてもこれほどの値を示すことはないだろう。

 続いて画面に登場した東大の関村直人先生はいつもと変わらぬポーカーフェースで淡々と「格納容器から外部に漏れてしまったということで重大な問題だ」などと説明するばかり。核分裂の可能性などには全然ふれない。「この人はダメだ」、そう思った。新聞各紙のサイトを順に見た。しかしこのことについてふれた記事はなかった。

 ところが、風呂から上がって新聞サイトを一覧すると、「測定値評価に誤りがあった。ヨウ素134ではなくコバルト56だと思われる。コバルト56の半減期は77日だ」という「訂正ニュース」を見つけた。1,000万倍というセンセーショナルな数字は間違いだったというわけだが、線量計の針が振り切れたという事実は残っている。つまり、針が振り切れたというのは「1,000ミリシーベルト」ではなく「1,000ミリシーベルト超」だということ。

 安全度を議論するマイクロシーベルトの話はとうに過去の話になり、危険度を議論するミリシーベルの話を過ぎ、いまや、致命度を議論するシーベルトの段階に来ている。日本には「運」が残されているのだろうか?(3/27/2011)

 福島第一原発4号機の圧力容器の製造時のミスによる歪み矯正の事実を公表したことで知られる田中三彦はこんなことを書いている。

 おそらく、あのチェルノブイリの事故から日本が学ぶべきもっとも重要なことは、事故後ただちに日本の原発推進者によって強調された「構造の違い」でも、「炉の制御性の差」でも、「規則違反」でもなく、もっと単純なつぎの二つにしぼられるように思う。
 一つは、どこから見ても壊れそうにないあの巨大な原発が、一瞬にして瓦礫の山と化したという「事実」である。専門家であれば「きわめて確率の低い仮りの話」として真面目には取り合わなかったであろう爆発的な大事故が、現実に起きたという事実である。すでに何度か述べたが、原発の象徴、白いコンクリートの箱が吹き飛ぶような爆発的事故は、原発の建設に先だっておこなわれる安全評価において少しも議論されてはいない。
 もう一つは、本来人が近寄ることのできない現場の危機的状況(クライシス)がいったいどうして比較的短期間のうちに鎮静化されたか、である。ソ連の映画監督、故シェフチェンコ氏が、文字どおり命と引き替えに撮った延べ数時間におよぶ記録映画が、それを教えてくれる。鎮静化には二つの要素がフルに機能していた。一つはヒロイズム。そしてもう一つは――じつに哀しいことだが――現場作業員の放射能や被曝に対する無知である。

「原発はなぜ危険か-元設計技師の証言-」

 最初の指摘は「ブラック・スワン」に関するもの。当時の我が原子力村の住民は「ソ連という技術後進国、官僚主義の染みついた国だから起きたのだ」と主張した。ニコラス・タレブ流に書けば、黒い白鳥を見ているのに、あれは出来損ないの白い白鳥だと主張して、その存在を認めなかったということ。まさか自分の眼前に黒い白鳥が舞い降りるとは思いもしなかったのだ。

 続く指摘としてあげられているヒロイズム。既に外国メディアが「フクシマ50」と名付けた人々や消防庁・自衛隊の人々はたしかに賞賛に値する。そして放射能に身をさらしながら、通常の運転時には保守作業・清掃作業、今回のような異常時にはケーブルや配管補修などの作業に従事する多数の下請け作業者がいる。おととい、3号機のタービン建屋内で被曝した作業者3人の場合は東電職員の立ち会いも必要十分な説明もないままに現場に入った。胸の線量計のアラームが鳴っているのに作業を継続した彼らについて、マスコミは「『故障していると思っていた』などと話しているという」などと伝えた。

 誰が「故障していると思っていた」という言葉を取材する記者に言ったのか分らないが、原発で作業する下請け作業者のほとんどは「タテマエは『アラームが鳴ったら作業を中断し避難する』だよ、だけど、アラームにビクビクするようじゃ一人前じゃないという空気さ、現場は」と思っている。

 ついでに書けば、普通のプラントで「安全教育」といえば現場での注意事項の周知徹底だが、原発における「安全教育」は、平井憲夫によれば、「国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは"マッカナ、オオウソ"である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳」するという非常に特殊なものだという。原発の運転は平常時にも「無知」に支えられているのだが、いったん非常時になれば「無知」という食材に「ヒロイズム」というスパイスをかけて供されるようになる。

 「原子力発電はCO2を出さない環境に優しい技術です」とか、「屋上屋を重ねる如く幾重にも防護措置をとって作られた、それなりに知っている人間には、常識を越えた安全設備だ」(これは**くんのメールの文言そのもの)とかの高尚なご託を並べまくる人物は「清潔な照明のよいところ」にいて、危機の回避に命をかける人の「ヒロイズム」と「無知」を傍観しているか、あるいは原子力安全委員会の委員長さんのように公の場から逃げ回り続けるというわけだ。

 旭丘コネクションのメールの中で、**くんは「今でも過去でも何か問題ある場合、何とかしよう議論ではなく、責任者はだれかという議論が跋扈します」、「戦犯を探すのではなく、どうすれば良いか、議論が行かないと調子が悪い」と書いていた。たしかに「美しい理屈」はその通りだ。しかし原発で発生している事故をどのような手順でどのように処理するのかは、原子力発電を推進してきた原子力村のエリートさんたちでなければできないことだ。彼らはかつて「それなりに知っている人間には安全な設備だ」と主張するだけで、自分たちに対する質問にも批判にまともに向き合ってこなかった人々だ。斑目春樹の「そんなことを言っていたら設計なんかできない」という発言はその最たるものだろう。

 悲劇はいま眼前にある。「何とかしよう議論」ではなく「何とかする」ためには、実質的な「責任者はだれか」、「司令塔はだれか」を確定しなければならない。あれほど「原発は安全だ」とふんぞり返ったお方、ないしはお方たちに名乗り出ていただいた上で、収束に向けた作業の指示を明確に出していただかなくてはならない。彼らはいまどこにいるのだ。何をしているのだ。なぜ見えないのだ。まさか、テレビ局のスタジオにいますなどということではあるまいな。

 原子力村のエリートさんたちよ、あれほど批判者を見下して大見得を切ったのだから、あんたたちが落とし前をつけなくて誰がつけるのか。・・・と、いうことだ。

 夜の7時のNHKニュースは奇しくもきょう3月26日が福島第一原発1号機の運転開始40周年の日だったことを報じていた。「記念日」は続く。あさって3月28日はスリーマイル島で原発事故が発生した日だ。(3/26/2011)

 地震から2週間が経った。未曾有の地震そして津波であった。確認された死者は、きょう、ついに1万人を超えた。通常の災害であれば、死者数の増加に従って減少するはずの行方不明者の数は、まだ、増え続けている。落ち着いた被災者からの届けがやまないからだろう。その数は2万人に近づいている。

 ***(義妹)さんからの電話では45号線あたりにはまだなお未収容の死体があるとのこと。なんともいいようのない痛ましさ。人間が地表にうごめく生物に過ぎないことが実感として分る。

 そのていどの存在が目先の便宜のために多少の知識を寄せ集めて作った原発が地震とも津波とも違う厄災を引き起こしている。もたらした被害は甚大だが、地震も津波もわずかな時間人々を襲うことにとどまったけれど、原発の方は徐々に徐々に恐ろしい相貌を表わしつつある。地震も津波も天災だ。残酷な言い方をすれば、天災は「割り切る」ことができる。しかし、原発は100%人災だ、それが悔しい。

 まず最初の一週間は壊れないとタカをくくって作り上げたものがひとつ、ふたつ、みっつ、あろう事か運転していなかったものまでが壊れた。次の一週間は普通であれば我々が遭遇しないですむはずの放射能があちらこちらから飛び出してきた。最初は牛乳、そしてほうれん草、いろいろな葉物野菜。風向きによっては空気、そして水道水から海水まで。

 その都度、専門家なる人々が「ただちに健康に影響があることはない」という祈りにも似た言葉を繰り返した。その言葉は、刹那、心を静めるために言っているのだが、裏を返せば、「長く続く場合には健康に影響がある」という意味にもなる。

 本棚に「原発と人間」という本がある。チェルノブイリ事故の2年後に省エネルギーセンターが発行した本で、原発推進派の人々の講演をベースにまとめられた本だ。その第3話「放射線は人間生活にどのような影響を与えるか」には二十数ページほどを割いて「放射能なんか恐くない」という趣旨の説明がなされている。その根拠は「核実験華やかなりしころの放射能雨の方がはるかに影響が大きかった」というもの。チェルノブイリ事故から2年という出版時期を考えると理解できなくはないものの、それでも嗤えるのは「ソ連ではキエフに研究所をつくり、がんや白血病の発生率の追跡調査を今後数十年にわたって続けたり、事故当時の胎児の出生後の健康調査をやることになっています」と書いておきながら、早々と「たいして恐いものではない」と結論していること。その勇気こそ「出版意図」だったのだなぁと妙に納得させられる。

 現在の規制値や基準値の多くは「チェルノブイリ後」の知見に基づいているものと思われる。今週一週間、さかん言われるヨウ素131と甲状腺がん、そして乳幼児の関係はあきらかに「チェルノブイリ知見」によるものだ。その知見の中には、汚染作業に従事した人の発がん(白血病を含む)率は高いものの、30キロ圏の避難者と一般人との間に有意な違いはないとされている。その真偽については議論があるが、にわかに否定する根拠もない。しかし「だから大丈夫」と言い切れるかどうかということになると、それはあまり多くはない母集団のあまり長くはない期間(事故後25年、平身寿命は3倍はあろう)における知見に寄り掛かっているに過ぎない。そんなに胸を張って大丈夫ですかとお尋ねしたくなる。原発設計者同様の知的傲慢の罠にはまっていることもあるかもしれないのに。

 きっと、かつてのチェルノブイリ同様、こんどはフクシマが貴重なデータを提供することになるのだろう。何しろ、プルサーマル運転の炉を含む複数の原子炉がいっせいにパンクするという、お目にかかろうと思っても、なかなか、お目にかかれない「椿事」なのだから。(3/25/2011)

 朝刊、15面のオピニオン欄に、静岡と新潟、原発をもつ二つの県の知事が語っている。

 川勝静岡県知事は語る。

 いろいろな「想定外」のなかで、特に私が衝撃を受けたのは、ディーゼル発電機が使用不能になったことです。原発は事故が起きても、「止める」「冷やす」「閉じこめる」という基本ができれば安全です。ところが「冷やす」ための電力源が損壊した。最後の砦が陥落したも同然だからです。
 浜岡原発はどうなっているのか。直ちに中部電力に問い合わせると、「浜岡原発の発電機は1階にある。その防水チェックは終えた。念のために、緊急用の発電車両を2台、25メートルの高台に置く」とのことでした。津波については、従来は「発電所前の高さ10~15メートルの砂丘が防波堤の役割を果たす」と説明されていたのですが、今回の大津波を知って「高さ12メートル以上の防護壁を設置する」との回答がありました。中電がただちに対応策をとったことは評価しています。
 「想定外」という言葉を、逃げ口上にはできません。原発に限らず、想定された条件の下でしか、安全は確保できません。現実が従来の想定を超えれば、直ちに想定自体を見直す必要があります。国は原発の新しい安全指針を早急につくるべきでしょう。
 しかし、新しい指針をつくっても、想定外のことは起こります。
 「人間は自然を制御しきれるものではない」と私は考えています。地震、噴火、台風、津波などを経験してきた日本人の哲学でもあると思います。
 日本政府と電力会社は、二酸化炭素を出さないクリーンな電力源だということで、原発を推進してきました。しかし、原発の安全性が大きく揺らいだ今、エネルギー政策を根本的に見直し、原子力依存から脱却する方向に舵を切らなくてはなりません。
 浜岡原発では、6号機の新設や、4号機のプルサーマル計画がありますが、現状のまま進めるわけにはいかないと思います。

 末節の論理にはこだわるまい。プルサーマル計画を留保するのは当然。しかし、川勝よ、気をつけた方がいい。汚職知事の汚名を着せられた前福島県知事の佐藤栄佐久は「福島原発におけるプルサーマル計画に了承を与えなかったことこそが、自分が国策捜査の犠牲になった原因」と主張していた。それを「汚職知事の見苦しい釈明」とばかりには言えないのだから。

 もうひとりの泉田新潟県知事は語る。

 中越沖地震で柏崎刈羽が被災した時、変圧器が燃えて火事になった。非常用電源が生きていたので大事には至りませんでしたが、ひとつ間違えれば電力の供給が止まって原子炉を冷やせなくなり、今回の福島第一のような事故を招いたかもしれない。それを防ぐためには、もう一段階先の安全対策が必要になります。原発を安全運用するためには、常に改善を続けていけるかどうかがポイントだと思っています。・・・(中略)・・・今後、原子力安全行政を見直す必要も当然出てくるでしょう。今回、対応がすべて後手後手に回ってしまった。保安院が、経済産業省の下にあることに問題があるのかもしれません。私は通産省にいたからわかりますが、保安院は経産省の一部局にすぎず、職員は人事異動で行ったり来たりしている。今回、住民の安全を守るという観点と、電力会社の経営を守るという観点のどちらを向いて判断したのか。もっと早い段階で海水注入などの対応をしていたら、ここまで放射性物質が漏れることはなかったんじゃないか。また本来なら、原発事故への対応を取りまとめるはずの原子力安全委員会は、今回、機能したのか。そうしたことを検証していく必要があります。

 柏崎刈羽原発の中越沖地震における変圧器火災は東京電力の思わぬマヌケぶりをいくつか暴露した。ひとつは自衛消防隊がなにもせず(できず?)に、漫然と地元消防が駆けつけるのを待っていたこと。もうひとつは火災の遠因が「耐震重要度分類」設計によるものであったこと。

 「東海村の菅谷梨沙子さん」は「(耐震重要度分類がおかしいという指摘があるが)これは明らかな誤りで、原子力施設のことを理解してるとはいえない主張です。例えばカテゴリーCのコンポーネントが破損したからといって、著作の中で述べられているようにシステム全体が機能喪失することはありません」と書いていたが、中越沖地震の際の変圧器火災は原子炉建屋と変圧器設置場所の基礎強度が異なるため、地盤の沈降度の違いから原子炉建屋への配線ダクトが破損、変圧器のブッシングが引きちぎれて漏油、これが燃えたものだった。つまり、原子力発電プラントでユーティリティ施設だから耐震ランクを低くしてもいいなどという「東海村の菅谷梨沙子さん」こそ、あるべき原子力施設のシステム設計論を理解していないおバカさんだということだ。

 さいわいなことに、その時は非常用電源が機能したから、今回の福島第一のような惨事まで拡大しなかったわけだが、慢心のかたまりのような東京電力や原子力村の住民の主張する「原発は安全で~す」がいかに頼りないものかを示している。

 話を元に戻す。泉田の指摘は正論だが、原子力安全委員会がきちんとした検証をしていくことは、少なくとも現在のメンバーが居座る限りは絶望的だろう。斑目春樹委員長は中越沖地震による損壊した柏崎刈羽原発の修理が始まってもいない段階で、「想定外の揺れだったのだからカテゴリーB、Cクラスは壊れても仕方がない。しかしAクラスは壊れておらず安全は確保されている」という理屈をつけて、「1、2年で運転再開できるだろう」とコメントし続けた由。こんな人物に任せておく限り、真の事故原因の解明と安全確保は絶対にできない。(その斑目先生、今回は歩が悪いとみてか、事故発生以来10日以上も逃げ回った挙句にようやく22日に国会に登場したらしい)

 すでに一部には「女川原発も、福島第二原発も安全に停止した。福島第一原発は想定外の津波による不可抗力の事故である」とか、「福島では原発から避難しているが、女川では地元民は原発に避難している。避難民は原発に感謝している」というじつに興味深い報道までなされている。

 きょうは、これから、八重洲で幹事会。ちょっと億劫、という以上に引き続く余震がまだ恐いのだが、仕方がない。(3/24/2011)

 月末で任意継続の健康保険が終了になる。先週、資格喪失証明が送られてきた。**(弟)の墓参りがてら市役所で国民健康保険への切り換え手続き。息子の健保への加入でできないのかとか、**(家内)に収入はないのかとか、一通りのことを確認した後、加入手続き。保険証はいまのものが失効した後でないと発行されないとかで1日に取りに行かなければならない。きょうはものの10分足らずで済んだが、今度は相当に混み合うだろう。定期券のように「2011年4月1日より有効」とかの朱書きで発行してもよさそうなものだと思うが、そこがお役所仕事。法律なり通達で認めていないことはできないわけだ。

 **(弟)の墓にはまだしゃっきりとした花があった。数日前くらいにお参りしてくれたのだろう。**(甥)は高校のはずだがどこに入ったのだろう。心配のない子なら電話をかけてみるのだが、音沙汰がないとかけにくい。向こうも入学祝いを督促するようになってはと思っているのかもしれないが・・・。手を合わせながら、「オイ、お前が早々と逝くからこんな心配をするんだぞ」といってやった、バカヤロー。

 日経のサイトにこんな記事が載っている。同様の記事は、毎日のサイトにも、読売のサイトにもあるが、なぜか朝日のサイトにはないし、きのうの夕刊にも、けさの朝刊にも載っていない。朝日は斑目原子力安全委員長に借りでもあるのだろうか。

原子力安全委「規制見直す」 想定の甘さ認める -委員長、参院予算委で答弁-
 班目春樹原子力安全委員会委員長は22日の参院予算委員会で、東京電力福島第1原子力発電所の事故について「想定を超えたものだった。今後の原子力安全・規制行政を抜本的に見直さなければいけないと感じている」と語った。社民党の福島瑞穂党首への答弁。
 班目氏が過去に「非常用ディーゼル発電機が2個とも起動しない事態を想定したのでは原発はつくれない。割り切らなければ設計なんてできない」と発言したことがある点を指摘され「割り切り方が正しくなかった。十分反省している。原子力を推進してきた一人として、個人的には謝罪する気はある」と述べた。
 日本の原発の稼働率が海外と比べて低いため、電力会社などは「国の規制が厳しすぎる」として規制緩和を求めていた。また原発輸出の促進を念頭に、経済産業省の原子力安全・保安院は事業者と安全規制の見直しを昨夏から協議していた。
 班目氏の発言は、こうした原子力への規制緩和の流れを見直すことを示唆したものだ。日本の原子力安全規制は審査や検査自体が目的化し、有効な安全規制になっていないとの批判があった。

 日経の記事には斑目の「過去の発言」がどこでなされたものかが書かれていないが、浜岡原発運転差し止め訴訟での証言だという。「斑目」は「まだらめ」と読むのだが、一部には「デタラメさん」で通っている由。デタラメさんの面目躍如とする発言を紹介したサイトから一部を書き写しておく。

 東海地震発生時に、電源が喪失した状態で非常用発電機が2台とも駆動できなくなる可能性について指摘されると、「非常用ディーゼル2個の破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると、設計ができなくなっちゃうんですよ。つまり何でもかんでも、これも可能性ちょっとある、これはちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません。だからどっかで割り切るんです。」・・・原発の安全性を割り切られても困ります。

 制御棒については、「あそこの設計は非常にうまくできていまして, いろいろなものが壊れたときには、圧力の平衡、水圧の平衡で、最後は中に入ってしまうようにできているんです。」とし、制御棒2本の同時落下の可能性について、「起きるとは, ちょっと私には思えません。どういうふうなことを考えるんですか。それに似たような事象があったら, 教えてください。」などと証言していました。中部電力を含む電力各社が、制御棒の複数本同時落下,さらには臨界事故の発生を隠蔽していたことが明るみに出たのは、このわずか1ヶ月後でした。

 それでも懲りないマダラメ氏は、5月8日付電気新聞のインタビュー記事の中で、制御棒引き抜けによる臨界事故を逆手にとり、原発は運転中が安全で止める方が怖いというとんでもない理屈で、長時間運転を可能にすべきと主張しています。「安全性を考える上で、原子炉の起動と停止時にはリスクが高まる。たとえば,飛行中の飛行機をわざわざ地上に降ろし、検査するのは、降ろす行為自体が怖いことだ。原子炉でも、運転中というのが安全だ」「これまでは何か問題があったら『とにかく止めます』という言葉がよく聞かれた。しかし、止める事自体も怖いこともあることが、図らずも今回の総点検結果などで分かったところもある。止めれば安全ということを言い過ぎたきらいもあり、リスクを踏まえた安全を考え直す必要もある。総合的な観点から長期サイクル運転を評価すべきだ」・・・だって・・・。

 ついさっき、旭丘コネクションの**くんに宛てたメールにこんなふうに書いた。

 昨日の国会で、小生が名前を出していた、原子力安全委員会の斑目さんが、浜岡原発訴訟で行った証言を事実上撤回するという主旨の発言をしたようです。
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110322-OYT1T00865.htm
 斑目さん、ひそかに「それでも、原発は必要」とガリレオのようにつぶやいたかどうか・・・。
 原発産業のすそ野は広いですから、いずれ、福島第一は特別、女川も福島第二も、ちゃんと止まったという主張が、なされるでしょうね。
 反原発屋さんの人々も、地震からの批判は行っていたけれど、津波からの批判は行っていませんでした。ニコラス・タレブのいう「ブラック・スワン」、そのものです。
 原発を批判する人も、原発に居座る人も、どちらの立場の人にも盲点になっていたところを神様は突いてきたのです。
 自然(神)がそのような、人間の盲点を突いてきた時に、人類がメルトダウンか、バーンアウトしないことを祈るばかりですが・・・無理なんでしょうね、いまは「できることは何でもやるぞ、何が悪いんだ」という人ばかりですからね。

 そうなのだ。見た限り(といってもたいした数ではないが)の「反原発本」にも津波の危険性にふれて、今回の事故をピッタリ予言したものはない。それでも広瀬隆と藤田祐幸の「原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識」にはこんな記述がある。

 ――以上述べたように、大地震が発生した場合には、すでに物理的な被害が拡大し、交通機関の断絶、通信の不通、ガス・水道・電気の停止、火災などによって地獄の様相を呈している。そこに原子炉の事故による放射能災害が重なりあった場合、どのようなことが本当に起こるか、人類には未経験である。
 わが国では、住民の避難を含めて、事実上は、何も対策がないと言ってもよい。この問題だけで一冊の書物を要してなお、議論をつくすことができないほど、数々の問題がある。
 津波のあと沖合まで海水が引いた場合、原子炉が冷却不能の事態になればどうなるかなど、ほかにも危険性が多数あることを、知っておかれたい。

 あの愉快な「東海村の菅谷梨沙子さん」レビューによると、この本は一つ星、「この本で基礎知識を得ることは不可能」、「無知で安易な情報発信は環境問題やエネルギー問題の解決の障害になり迷惑」と、まあ、さんざんの評価。それにもかかわらず、きょう現在の混乱を言い当てている。(3/23/2011)

 事故発生から8日経った先週土曜日の記者会見で、枝野官房長官は福島県川俣町産の生乳3検体からヨウ素131が1キロあたりそれぞれ1,510ベクレル、1,190ベクレル、932ベクレル、いずれとセットかは不明だが、そのうちの一つからはセシウム137も検出されたこと、そして茨城県高萩市産のほうれん草から1キロあたり15,020ベクレルのヨウ素131が検出されたことをあきらかにした。

 そして日曜日には栃木県産、群馬県産、千葉県産の農作物にも規制値を超える野菜が続出、そしてきょうは東電から周辺海域の海水からも原子炉規制法が定める基準値のヨウ素131で126.7倍、セシウム134で24.8倍、セシウム137で16.5倍の量が検出されたという発表があった。

 先日来の惨状を伝えるニュース同様、このニュースにも何度も何度も「ただちに健康に影響を与えることはない」という言葉が繰り返された。つい先日までは、レントゲン検査の際に浴びる量と同じというのが使われていたが、ここ数日はCT検査の際に浴びる量に匹敵というのがよく使われるようになった。レントゲンよりはCTの方が大量だからに違いない。その他にも、東京-ニューヨークをジェット機往復する際に浴びる量という「ものさし」も聞いた。

 しかし、これらは結核その他の病気が深刻化する前に、レントゲン検査やCT検査でそれを知り治療を受ける、あるいはニューヨークに他の交通機関よりも早く行くことができる、そういう便益のために、放射線を浴びるリスクを承知の上で、意識的な選択をしているわけで、嫌なら、当然、検査を受けない、ニューヨークには行かないという選択もありうる。

 この他によく言われているのが、この世の中で生きている限りは浴び続ける自然被曝量の一年分という「ものさし」だ。こちらの方がいまの我々が置かれている状況により似ているが、今回否応なく引き受ける被曝量があるからといって、税金のように自然被曝量を控除してもらえるわけでないから、「いつものと同じですよ」などと気安く言ってもらいたくはない。望みもしないリスクがアドオンされてうれしい人がいるとは思えない。

 海水汚染のニュースにコメントをつけた専門家さんはこともなげに「海水で薄まりますから」と言った。まるで大浴場につかりながら小便をしても誰も迷惑しないと言っているように聞こえ、思わず吹き出してしまった。

 きょう、ネットコネクションメンバーに宛てたメールから。

 ふだん冷静な**さんまでが多少混乱しているのはめまぐるしく事態が進展したからだと思います。12日の1号機の水素爆発、14日の3号機の水素爆発、15日の2号機の爆発(いまに至るも推定原因さえ発表されない)、そして休止のため注目されていなかった4号機の火災までほとんど切れ目なく発生したのですから、ある意味で当然のこと。
 しかしそれは我々にとっては当然のことでも、専門家にとっては当然ではないでしょう。プロならば、冷却機能の喪失から考えられる問題を樹枝系統図的に洗い出し、必要な処置・対策を同時並行的に行って当たり前なのではないか。そう思いますよ。
 先ほど別メンバーへのメールに「いまだに、1号機の水素爆発のもととなった水素が、どこから発生したものか、小生は分りません」と書いたのですが、こうしてみると、その水素は使用済み核燃料の貯蔵プールから発生したのだと思います。もうひとつの発生元になりうる使用中の核燃料は圧力容器の中にあり、公式発表を信ずる限り圧力容器は健全だというのですから。
 そうすると1号機の爆発があった段階で2号機から6号機までの貯蔵プールに手を打たねばならないことは明白だったということになります。品質屋さんの言葉で言う「横展」(別名「水平展開」)です。怒濤のような(そのくせ内容は乏しい)報道の中で12日から15日までの間に、東電なり保安院が貯蔵プールに注意をはらったのか、そしてなにがしかの対策がなされたのか、それは分りません。
 どこか頼りない感じがするのはわたしだけでしょうか。

 このままの状況が続けば、どこかの段階で、アメリカなり国際機関からの強制介入などということもありうるのではないか。――そのようなことになれば、原発事故以来、書きネタが急に色褪せてしまい、寂しそうにしているネット右翼の皆さんも、俄然、「国辱」だの、お得意の「反日」(誰にレッテルを貼るのかな、呵々)だのにぎやかになるかもしれない。難しいことは語れないネット右翼の皆さんのためにも、我が国民のためにも、その日の早く来たらんことを。

 まあ、いまのところは初めてのプルサーマル事故ということで、各国とも鵜の目鷹の目で注視するレベルにとどまっているわけだが・・・。我が国民はモルモットなのだ。(3/22/2011)

 **さんからのメール。オーストラリアドルのポジションが相当に積み上がっている、大きな投機資金が投入されているからオーストラリアドルの対ドル上昇が止まると、リーマンショック時のように一気に巻戻るのではとの見方。

 原発不安により石油需要がふくらみそうなのに、リビア、カタール、サウジの状勢は不透明。日本経済の世界経済に占める割合もこの地震でよく分かった。どのみち来月初めまでと思っていたのだ。一括決済することにした。その気持ちになった時は何も考えずにそうするのが絶対にいいと知っている。しかし、ため込んだスワップポイントに未練タラタラ。グズグズする気持ちとの折り合いをつけるため、きのう、寝る前に80円を逆指し値しておいた。ウェリントンないしはシドニーの週明け一番の相場が下がって入れば、それでよしの気分だった。

 起きてPCに火を入れてみると、80円50銭あたりから立ちあがったようだった。いったん30銭近くまで下げたあとはジワジワと値を上げてゆく。計画停電がないのはありがたい。チェックするごとに逆指し値を上げる作業を続けた。午後になって81円を超え、81円50銭の手前でウロウロすることが続いた。その後、81円80銭をつけたところで81円51銭にして腹をくくり、降りてきても逃げることをやめた。当初に比べれば1本あたり15,000円高くできたのだ、上々だ。

 よる9時すぎ、一括決済。10カ月間で、差し出した「人質」の1割以上のゲインだったのだから立派なもの。もう少し肝っ玉が据わっていたら倍とはゆかなくても150%は行けたかもしれないし、まだ、ギリギリ4月まで闘う手もあるだろう。だが喜びは中くらいにとどめておくのが、身の丈にあったやり方というものだ。

 閑話休題。朝刊の2面に「福島第一原発正門前・西門前の放射線量」のグラフが掲載されている。夜の「ニュースウォッチ9」でも、登場した東大の関村直人教授が放射線量推移のグラフを示し、「数値の減少がヨウ素131の半減期のパターンに似ている。新たな放射性物質の放出がないのではないか」と希望的観測の根拠としていた。やっとグラフ表示による余裕が出てきたと喜ぶべきなのかどうか・・・。

 しかし、なぜこういう一目瞭然のものを示して起きている事態を分りやすく伝えようとしないのか。数字を読み上げられただけでは門外漢にはイメージすら浮かばない。マスコミも原発の模型を作るほど力を入れるのなら、なぜ公開データをグラフ加工して分りやすく伝える努力をしないのか、まったく理解に苦しむ。

 きょう、旭丘コネクションメンバーに宛てて書いたメールから。

 小生も、ものを作る会社に入社し、システムをまとめる仕事に従事してきたわけですから、科学技術の成果について、誇りは持っていますし、理解もしています。
 ただ「やれることはなんでもやってしまう」という科学技術の使い方には非常に大きな疑問を持っています。
 たしかに科学技術はカット&トライの連続です。失敗に学んで次に進む世界です。
 科学技術が可能にするものが牧歌的な時代は失敗もまた牧歌的なものでした。しかし原子力利用が登場したあたりから、そうはゆかなくなりました。つまり、失敗が自分たちの世代だけで責任を取れる規模ではなくなってきたからです。
 少しおちゃらけましょう。
 宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルまでゆくことになったのは放射能除去装置を受け取るためでした。人類はまだ放射能の十分な処理方法を獲得していないからです。
 使用済み核燃料の処理方法すら、もうすでに原発の商用化が40年になるというのに、確立していません。原発がトイレのない豪華マンションといわれるのはそのためです。ウンコはたまる一方。
 復旧作業は難航するでしょう。被曝線量の関係で一定時間すると安全場所まで戻らなければなりませんから。作業者はウルトラマンです。胸のカラータイマーがピーピー鳴り始めたら、帰還しなければならない。
 ひとたびことが起きれば「制御不能」になるだけでなく、自分の世代だけでは始末ができなくなり、自己完結もしていないものを利用するのは、まっとうな技術思想ではない、と、小生は思います。
 おっしゃるように、いま、電気を利用して、この文章をインプットしています。享受だけしておいて、事故になったからといって、文句を言うなとおっしゃる気持ちは分りますが、そもそも、そんな社会設計が間違っています。
 詳しくは書きませんが、発電量コントロールができない原発のために、深夜電力利用だとか、オール電化だとか、エコアイスなどの不自然な商品が「私たちの生活を豊かにしています」。
 原発のために火力発電所の建設が進められているという笑えない喜劇が起きていることを、**くんならご存じのはずです。
 真っ当な生活者は、収入の範囲内で生活します。サラ金を利用して正当な収入以上の生活はしません。電力量も同じです。
 「ブラック・スワン」という本がちょっと前に注目されました。白鳥といえば白い鳥と思っていたが、黒い白鳥が見つかってビックリ・・・という話から、既存の知識に慢心すると痛いめにあうよというようなことが書いてありました。投資家向けのお話しですけど。
 我々、人間は帰納法で獲得した知識の枠の中でしか考えられない。ならば、もう少し謙虚になるべきでしょう。宇宙戦艦ヤマトに頼り、ウルトラマンの制約でしか働けない世界は、マンガだけのことにしたいものです。

 **くんは、早速、ただ一点を突いてきた。「原発のために火力発電所の建設が進められている」という箇所。「火力発電設備も以前のベースロード運用から、中間付加対応が取れるようなミドル火力運用に変わってきている」といいたいのか、と。コントラストのついた話を書くとすれば、「火力発電所」というよりは「揚水発電所」を書くべきだったなと思い、訂正メールを出しておいた。

 **くんからは「コンバインド火力」の話が出て来た。もう少し話が進むようであれば、エネルギーコスト論を取り上げることになる。そのあたりについて読んだのはもう20年くらい前だったが、当時、火力の熱効率理論値は30%足らずだった。それでも原子力発電を火力発電より優位に判定するためには、ずいぶんこじつけが必要だった。最近、コンパインドの効率は60%にも達すると、他ならぬ東京電力のホームページには出てくる。**くんの方からコンバインドの話題を出してもらったのは、自然に論議が進められるという点ではグッド。(3/21/2011)

 おきぬけのNHKニュース。サキヤマさん(といっていた)は郵便配達を再開した。配達区域内のいつも手紙を楽しみにしているおばあさんの家へ。声をかけるが人のいる気配はない。たまたま出てきた近所のおじいさんに聞くが分らない。別の家のおばあさんは外に出ていた。手紙を渡す。福岡に住む息子さんからだという。たぶん、いつもそうしているのだろう、一言二言かわしてバイクで去って行く。サキヤマさんの家も被災したようなのだが、局に仕分けされた郵便物があれば、彼は黙々と配達する。

 途中から見たので宮城なのか岩手なのかは分らない。しかしこれが国を支える力なのだ。切手を貼って投函すれば、どのような田舎に住む者にもそれが届く。配達物があれば、それを届ける、着実にそれをこなす人がいて、受け持ち区域コミュニティを支えている。津波被害で行政機関そのものが蒸発したような地域の実情はこのような力で把握できるだろう。コイズミの郵政改革で目の仇にされたものが、この国の土台として機能しているのは皮肉な話だ。

 朝刊を読んでいた**(家内)が「コスモの火災、消えたって」。やはり母親は息子の働く場所近くの火災は心配だったのだろう。記事によれば、「19日午後、11日の発生から9日目で火が消えた」とある。まだ、タンクの残留ガスの爆発を防ぐため放水はしているらしいが、数日もすれば、作業員はあと片付けに入るだろうし、近隣住民はそもそも避難すらしないかったろう。これが「原発火災」との違いだ。

 福島原発、東京消防庁による3号機への放水はけさ3時40分まで行われ、13時間半、約2,000トンになった由。プルサーマル運転に転換した故に通常のウラン燃料棒の数量が多くなり、3号機の貯蔵プールに注意を集中しなければならなくなったと思われる。

 **さんから、UCSBのBen Monreal教授の講演資料を紹介された。タイトルは「福島原発の放射能を理解する-物理と工学からの見地-」。せめてこれくらいの質をもった情報提供がなされるべきだ。

 問題はこの資料の25ページ「燃料棒融解と閉じ込め失敗」の段階なのか、26ページ「燃料棒融解と燃料発火」の段階なのかということ。

 消防庁による大量の海水投入が行われたというせいか、テレビ画面には安堵感が漂っている。しかし、現状はさらに悪化するのを押しとどめているというだけ。終熄に向かって進むためにはポンプによる冷却水循環が確立しなければならない。いま進めている仮設電源系の準備が完了しても、給電系の健全性、ポンプ(モーターを含む)系の健全性、配管系の健全性が三拍子そろって機能する確率は低いだろう。その時のためにどれだけの機材手配ができているのか、それが心配。(3/20/2011)

 PCが活きている時に停電が発生すると、本体のハードディスクだけではなく、NASのドライブも壊れるのではないかと思い、計画停電予告時間が近づくと必ずオフにしている。悩ましいのは東電のホームページに掲載されている地域別資料によると、ここは第1グループにも第3グループにも登場する。最低でも一日2回、最悪は3回、システムを落として停電の到来を待つことになる。

 月曜日以来、何回、「電気使用量のお知らせ」を手もとにカスタマーセンターや志木支社に電話をしたことか。フリーダイヤルの方は話中音にすらならない。端から「この電話は現在混み合っております。しばらく立ってからおかけ直しください」のアナウンス。計画停電のないきょうが狙い目と思い朝から数回、志木支社に電話してやっと、11時32分、つながった。地区番号と需要家番号を伝え、やっと第1グループであることを確認した。

 このご時世なのだから、ホームページにリストを掲載するのではなく、地区番号と需要家番号を入力すれば、どのグループなのかを表示する機能を追加すればよいのだ。たしかにすべての需要家がインターネットを使えるわけではなくとも、少なくとも半分くらいの家庭はそれで足りる。電話問合せもいまよりは少なくなるだろう。計画停電は来月くらいまで実施しなければならないし、経過によっては夏場のある期間も対象にするかもしれないと、東電はアナウンスしている。それくらいの機能のソフトならば、誰でもとはいわないが、ちょっとしたソフト屋さんなら数日もあれば仕上げるだろう。いまの東電にはそういう知恵さえ働かないらしい。

 東京消防庁の放水が始まった。高さ22メートルの位置から毎分3.8トンの放水が可能という話。ようやく使いものになりそうなタマが出てきたという感じがする。ただ間違ってはいけないことがひとつ。この放水は使用済み核燃料の貯蔵プールが対象であって、圧力容器内の核燃料の露出対策とは別の話だということ。

 使用済み核燃料というのは字面通りだとすれば、燃えかすであって廃棄するもののはず。それが原子炉の直近になぜ保管されているかというと、ひとつには「まだ熱いから」だろうが、根本的な理由は捨て場所が決まっていないからだろう。使用済み核燃料を無害化して廃棄する技術は確立していない。すでに原子力発電が実用化して40年になろうというのに。まあ、あと何年かして、子どもか孫の世代がなんとかしてくれるだろうという、行き当たりばったりの狡い考えでいるのだ。

 その使用済み核燃料が仇となって水素爆発が起きたのだとすれば、まさに石原慎太郎風のいう「天罰」が下ったということだろう。(3/19/2011)

 きのうは動かない与謝野や野田に恨み言を書いて寝た。一夜明けたけさ、G7は財務相・中央銀行総裁の電話会議により日本、アメリカ、イギリス、カナダ、ヨーロッパ通貨当局による協調介入で合意、即時に実施した。ドル円は79円前半から81円台を回復、我がオーストラリアドルも77円台後半から80円50銭まで駆け上がった。

 きのうの買い玉で重心が下がったとはいえ、まだ81円01銭。協調介入で一時81円50銭近くまでいった後はジリジリと下げてきている。旅行のこともあるので来月初めまでには一括決済するつもりだが、タイミングがちょっと悩ましい。

 一方、地震・津波・原発・・・と目を奪われている間に、リビアではカダフィが息を吹き返し反政府側勢力が劣勢に立つようになっていた。新たにリビアという戦場を抱え込みたくないアメリカがのらなかったため、立ち消えになりかけた飛行禁止区域の設定だが、反体制側の「蒸発」を避けたいイギリスとフランスはアメリカ抜きでも安保理決議を通す挙に出て決議を成立させた。中東では、もう一箇所、バーレーンにサウジアラビアが派兵している件もある。原発の発電能力が減少し石油への依存度が高まるそうな時期に、いまや世界の火薬庫になりつつある中東にこんな状況が出てくるとなると、この国の経済のみならず、世界経済もどこに転がってゆくか分からないと考えた方がいいかもしれない。

 **(家内)が駅前の日昭電設で単一電池を買ってきた。4本で1,000円。単一電池の値段はこんなに高かったかしら。(3/18/2011)

 5時すぎに目が覚めた。地震以来、書斎の石油ストーブの目覚ましタイマーはセットしていない。震えながらスイッチを入れて床に戻ったが、もう寝付けない。枕元のラジオから、こんなニュース。

 米国防総省は福島原発の状況を確認するために無人偵察機(グローバルホーク)を投入するというもの。嗤ったのは件の偵察機がグァム配備のものであるということ。無人偵察機は作戦行動には必須のものではないのか。それがグァムに配備されているということは、沖縄の米軍兵力の位置づけが必ずしも実践即応のものではないことを意味しているのではないか。何のことはない、沖縄にいる米兵はオキナワ・リゾートでくつろいでいるのだ、アゴと足は日本国持ちで。それをこちらは「抑止力」だと思っている。

 笑いすぎて完全に目が覚めてしまったので、着替えてPCを起動し為替チャートを立ち上げてビックリ。なんとちょっと前のニュースではドル円が戦後最高値79円75銭を切ったとはいうものの79円台だったはずなのに77円を切っている。見まちがいではない。チャートは滝壺あたりでピコピコ。

 オーストラリアドルは74円50銭あたりの底を抜けて急速に戻している。75円50銭で入れた。オーバーシュートしたのだから少なくとも79円の手前までは絶対に戻すと思いつつ、ひょっとしたら75円50銭のaskには引っ掛からないかもしれないと思っていた。ところがすぐに約定。嘲笑うように、チャートは75円50銭など軽く横切って真っ逆さまに落ちてゆく。「やっちまった」と思った。あれほど新規建玉厳禁と誓っていたのに。大きなことにはなるまいと思いつつ、すぐに100万、保証金を追加した。根が小心者なのだ。ほどなく76円台に回復したが、午前中はドキドキが続いた。

 福島原発。自衛隊がヘリから4回ほど3号機への注水を試みたが、見たところ効果を上げたのは最初の1回だけだったような気がする。地上からの放水はなかなか実行されず、夜7時をまわってやっとはじめたものの警視庁機動隊などはなすところなく引きあげ自衛隊に譲る形になった。警察と軍隊とでは覚悟のレベルが違うと思わせるが、デモ鎮圧の放水車では最初から無理があったわけでいささか気の毒な感じもする。

 為替チャートを横目に、きょう、ネットコネクションのメンバーと取り交わしたメールから。

 きのうのメールに「スリーマイル以上チェルノブイリ未満」と書きました。根拠は二つあります。一つ目は4基の原子炉に同時発生していること。もうひとつは監視機能が完全に失われていることです。スリーマイル島の時はたった1基の原子炉でした。そして中央管理室において原子炉の状態の把握も、必要な弁の操作もできました。現状、福島の状態は監視機能も操作機能も完全に喪失しています。
 ・・・(中略)・・・
 ご存じと思いますが、福島第1の1号機から4号機は1971年から78年にかけて運転を開始したものです。1号機には格納容器の補修試験データを改竄があり、2号機にはシュラウドの全周にわたるひび割れが発生し、3号機には再循環ポンプの破損事故があり、4号機には圧力容器が製造時に欠陥加工履歴があります。そういう華々しい「過去」を持つロートルたち。
 ちなみに、チェルノブイリは稼働後2年が過ぎた最初の定期点検時の事故でしたし、スリーマイル島は稼働後数カ月というニューフェースでした。別に古いから起きたということはないでしょうとおっしゃるかもしれませんが、津波をくらうという「想定外」の事態がすべての原因、だから天災なのだと決めつけるには早過ぎるのではないか。すでに隠れた変調があり、地震、もしくは津波により、それが機能不全の引き金を引いたということも考えられないわけではない・・・そう言いたいのです。

 取り交わしたメールで教えられたこと。

・・・(前略)・・・ただ少し不思議に思うのは、今回の停止原発の出力容量を全部足すと、500万キロワットアワー弱のはず。確保できる3,100万に足しても、必要と宣伝されている4,100万には足りない。原発がなくてもいいじゃないといわれるのが嫌なので、どこかの数字をごまかしているのでは・・・?
→ ところで、東電の需給不足量ですが、止まったのは福島1、2だけでなく、あの海岸には東電の火力も相当あると思います。また、売電で共同火力から買っています。東海原子力も東電に供給していますがもろもろ足しての不足量と思います。

 どうもこういう事態が発生すると「陰謀論」にとらわれやすくなる。こういう時は**さんのようにやんわりと思い込みを指摘してもらうのはじつにありがたい。

 オーストラリアドルの戻りがはかばかしくない。ドル円78円台というのはいささかひどいのではないか。棒で殴りかかられているのに与謝野は「投機筋の風評は不見識」といっただけ。投機筋は見識で動いているわけではない。ミルトン・フリードマンは言ったではないか、「儲かる時に儲けるのが資本主義社会の紳士だ」と。

 投機筋に「見識」に基づいた行動を期待するのは、敢然とフリードマンの下卑た根性をはねつけた銀行マンのようなもので、残念ながら、いまや「化石」に等しい。フリードマンのような資本主義社会の「紳士」やハゲタカ野郎なんぞに殴られたらニヤッと笑って殴り返すべきなのだ。(3/17/2011)

 けさ、日本時間の5時(今週月曜からサマータイム)に終わるニューヨークダウは一時300ドル近く下げた後、137ドル74セント安ではねた。きのうは51ドル24セント位の下落だっただけに、きのうの東証の下落が大きく影響したという印象。よりいっそうの下落かもしれないと、半分恐いもの見たさ、半分期待を抱きながら、東証が開くのを待っていたところに、**さん、来訪。

 土曜日のうちに屋根瓦の点検をお願いしておいたもの。瓦屋さんは引く手あまたの状態なので、とりあえず目視で確認するからということ。格別の問題はなさそうということで一安心。あとは仙台の墓が気になるのだが、**石材店に連絡したものかどうか。もう少し時間が経ってからがいいだろうか。

 福島第一原発はもう悲劇的状況のようだ。点検のために休止していた4号機までが火災が発生し、使用済み核燃料の全部ないしは一部が空気中に露出した状態になっているという。第1原発の北側に少し離れて配置している5号機、6号機も点検のために停止しているのだが、冷却機能も止まっていて4号機のようになる懸念があるとか。

 「スリーマイル以上チェルノブイリ未満」はほぼ確定だ。テレビは福島原発の1号機から4号機までをとらえた映像を流している。画面の左上には「30km以上離れて撮影」と出ている。つまり、30キロの間、遮るものがないということ。放射性物質が放出されれば、楽々と風に流されてくるに違いない。

 夕方、**(長男)から電話。水、食料などの準備は大丈夫かということと、ウォーキングに出ていないかどうかなど。何か不足するものがあるかというから、単一電池が欲しいというと、名古屋でも電池はきれいにないのだという。これには驚いた。

 閑話休題。

 石原慎太郎が月曜日の記者会見で「津波をうまく利用して我欲を洗い流す必要がある。日本人の心の垢をね。やっぱり天罰だと思う」と発言し、きのうになって「天罰という言葉が添える言葉がたらずに被災者の皆さま、国民、都民の皆さまを深く傷つけたこと、発言を撤回し、深くお詫びいたします」と謝罪した。その都度マスコミは律義にこのニュースを流した。

 失言、暴言こそがバカな選挙民には効果満点のアピールになることを意識した上で、立候補宣言を震災のニュースにかき消された石原が起死回生の大PR作戦に打って出たというわけだ。マスコミはまんまとこの作戦にのせられてしまった(のったのかな?)。慎太郎とバカ都民にカンパイ!(3/16/2011)

 日経平均の終値は8,605円15銭、下げ幅はじつに1,015円34銭。きのう、少し指し値を下げすぎたかと思っていたが、悪くない数字だったのかもしれない。TOPIX連動ETFは750円、きのうの862円は少し残念だったが、長い間、懸案だった信越化学と花王をそれぞれ3,520円、1,851円で仕入れることができたし、株主優待だけが目当てのニッコウトラベルも、**(家内)ともども、追加500株を買えたから、これでよしとしなくてはなるまい。もっとも、あした、さらに続落すると、これまた後悔することになるが、こればかりはなんとも分らない。信越も花王も終値では既にプラスに転じているから、さらに悪いことが起きなければ、それほど下がることはない・・・と信じたい。

 朝のニュースのトップは2号機のサプレッション・チャンバーで爆発があったというものだった。1号機、3号機のような水素爆発ではなく、原子炉格納容器下部での爆発ということで、東電も原子力保安院も原因の推定をしていない。

 この件について、**と取り交わしたメールにこんなことを書いた。

 けさからの福島原発のニュースによれば、どうも事態はスリーマイル以下ではなく、スリーマイル以上チェルノブイリ未満になりそうですね。
 花粉症ともども、放射能塵埃にそなえるとすれば、当分は「引きこもり生活」がお薦めです。とくに**くんのところはうちよりは福島に近いから。
 ご紹介のブログは初見でした。ニューヨークタイムズの指摘にはかなり同感します。ほんの数日のつもりで避難した方たちは、かなりの確率で半年、一年の避難生活になると思います。
 けさから報道されているサプレッション・チャンバーの損傷というのは、きのう・おとといの水素爆発とはまったく別のものではないかと思います。
 あまり考えたくはないのですが、格納容器下部での爆発とすれば、既に燃料棒が溶け出して圧力容器も一部溶融ないしは圧力容器外面が溶け、サプレッションプールに落下し、プールの水と反応水蒸気爆発を起こすなどということはないのか・・・という危惧。
 スリーマイルの時は、事故後の調査で圧力容器にヒビが入っていたことが確認されたそうです。今回の福島の状況で同等以上のことが起きていないとは考えない方がいいでしょう。
 それにしても、テレビに登場する、東電・保安院関係者、御用学者コメンテーターの、バカ丁寧な言葉遣いや、一行で言えることを数行にして語るバカバカしさに、あきれ果てています。

 政府は「福島原子力発電所事故対策統合本部」を設置したらしい。やっと、それなのに中途半端。

 きのう、品質保証センター・コネクションのリタイアメンバーと取り交わしたメールにこんなことを書いた。

 ・・・(前略)・・・ただ少し不思議に思うのは、今回の停止原発の出力容量を全部足すと、500万キロワットアワー弱のはず。確保できる3,100万に足しても、必要と宣伝されている4,100万には足りない。原発がなくてもいいじゃないといわれるのが嫌なので、どこかの数字をごまかしているのでは・・・?
 ・・・(中略)・・・はっきり言って、こんな事態を引き起こした東京電力などに、当面の事故フェーズの計画や運用を任せるのは間違いではないかと思います。昔の経企庁、古くは企画院のような臨時組織を作って、そこに権限をすべて集中する、東京電力はその指示に従って配電するくらいのことが必要でしょう。

 ・・・(前略)・・・鉄道会社にはこういう運行計画、だから東電の発電量はこうする、これに従って、時差通勤を促し、ピーク電力量を下げる・・・。これを東電のPRで、「お願い」するのではなく、政府指導(管理)の形で実現するのは、現在の状況では当然の処置でしょう。

 主に「計画停電」の論議の中で書いたもの。だが既に決定された海水の注入などは原子炉をおシャカにする決断だから、曲がりなりにも営利企業である東京電力にとっては決断しにくい問題のはず。逆に政府に「命令」されれば遅滞なく行動に移せただろう。住民避難にしても同じ。一民間企業からは「お願い」の形式になるが、政府の看板で行うならば強制力が違うはず。しきりに「政治主導」を主張してきた民主党が、この緊急事態に民間企業の自主性を尊重するような姿勢は責任放棄そのもの。それとも、これこそ市場原理主義なのか、呵々。

 **からメール。「いつもメールにもろくに返事もよこさない息子が2回も電話してきて、避難した方がいいと強く言う事もあり、万一とは思いたいけど、20時から動く予定のつくばエクスプレスで横浜のかみさんの実家に向うことにしました」と。理学博士さんを説得するのだからたいした息子さんだと思っていたら**(長男)から電話が入った。放射性物質の懸念があるから、当分、ウォーキングをしないようにしろという。「数値が低いとか、距離があるとか、ただちに健康に影響はないとか、いろいろ理屈はあるだろうけど、やめてくれる?」と。どこのうちの長男もしっかり育っているようだ。

 ・・・等々書いていたら、10時半ころ、富士宮付近を震源とする地震があった。ドキンとした。いま、一番恐いのは長い間警告され続けている東海地震が発生し、今回同様の津波が中部電力の浜岡原発を襲うことだ。ついでに書いておけば、北海道電力の泊原発。今回の地震は太平洋プレートが北米プレートの東側との間で発生した。もし北米プレートの西側が震源となる地震が発生するとすれば、日本海側になるからだ。その意味では、中部電力と北海道電力には暫定的な備えを検討してもらいたい。もし、これ以上の原発災害をここ半年から一年の間にくらったら、そのダメージは限りなく深刻なものになるだろう。(3/15/2011)

 たまたまのことだが国債の償還やステート・ストリートの外国株インデックス投信を損切りした関係で手元資金余裕がある。ゲッテルデンメルングというのは少し大げさとしても仕入れチャンスの到来。候補としていた信越化学、花王、エーザイ、エネクス、ニッコウトラベルに買いを入れた。**(家内)から頼まれたシャルレはまだ下げきっていないので見合わせ。

 いろいろ考えず自動的に発注したTOPIX連動ETFを862円、ニッコウトラベルを167円で約定。その他は指し値を低くしすぎて引っ掛からず。こういう時に追いかけてもいい結果にはならないので、きょうのところは見送る。日経平均の終値は9,620円49銭、先週末から600円以上の値下がり。

 福島原発は深刻。おとといの1号機に続いて、3号機もきょうの11時頃爆発が起き、1号機の建屋同様天井部分が吹き飛んだ。水素爆発という。テレビは1号機と同じプロセスによるものと伝えている。しかし3号機と1号機では、発電容量が違うのみならず、使用している核燃料も違う。3号機は既にMOX燃料に変えているのだ。いろいろ議論のあったプルサーマル。視た範囲のテレビ局でそれを伝えている局はなかった。

 宝島社のムックに「これから起こる原発事故」という本がある。AMAZONのブックレビューには対照的な評価が書き込まれている。

【見出し】この本に書いてあることが起こる確率は宝くじ一等より大きい?小さい?, 2008/5/17
By 菅谷梨沙子 "地球と自然を守りたい" (茨城県那珂郡東海村)
レビュー対象商品:これから起こる原発事故 改訂版―原発問題の専門家から警告 (別冊宝島1469)

 偶然手にする機会がありましたが、正直驚愕の内容でした。もちろんこの著作に書かれている原発に対する危険性の主張は、極めて偏った内容であり、そして科学的に見ても何ら論拠のないものばかりです。理論を無視して、反対活動家の都合のよい主張をコピペしたような、言うならば本当に愚かです。部数を伸ばすために一般受けが良い、宗教的終末論に徹した内容といっても過言ではありません。
 おかしな点を整理してみると、最初に耐震重要度分類がおかしいと指摘していますが、これは明らかな誤りで、原子力施設のことを理解してるとはいえない主張です。例えばカテゴリーCのコンポーネントが破損したからといって、著作の中で述べられているようにシステム全体が機能喪失することはありません。そもそも機能維持に重要でないからランクを下げているのです。
 次に設計想定の2倍の地震動だから、Asクラスの機器でも確実に塑性変形したとありますが、これもおかしな表現です。しないとはいえませんが、基準地震動S2を超えたと塑性変形したは必要条件でも十分条件でもありません。そして塑性変形したからといっても、微小な変形であれば十分監視しながら再使用可能です。構造物にとって最も怖いのは亀裂ですが、これも定期点検時に確認を行っています。
 更に事故シュミレーションが3つほど(東海・浜岡・大飯)ありましたが、小出氏らしいお粗末なものでした。どうしてチェルノブイリと日本の原子炉を同列に扱えるのでしょうか?反応度制御、遮蔽機能、事故シーケンスは全く異なるものです。当然リスクも全く違う値でしょう。この議論を無視して事故が起こるというのは狼少年と変わりありません。
 原発のことを勉強したいと思う一般の初心者にはお勧めできない著作であるといえます。
【見出し】公平に知識を広めるべき, 2009/10/21
By マイライフ (東京都)

 レビュー対象商品:これから起こる原発事故 改訂版―原発問題の専門家から警告 (別冊宝島 1469)
 菅谷梨沙子 "地球と自然を守りたい さんは、原発の専門用語などが連発されることから、原発に従事する方なのでしょうか。
 そうすると、それも偏った考え方になるのでしょうね。
 地球と自然を守りたいなら、核兵器より膨大な放射能を、日常的に発生させる原発「核発電」を容認することは、相反する行為です。
 市民が原発の正しい知識を得ることのできる機会を奪う行為は、許せないよ。YO。

 東海村に菅谷梨沙子なる人物が実際に居住するのかどうかは分らない。この人物のブックレビューは、きょう現在、全部で6冊、すべてが原発に関係するものであり、原発推進もの3冊はすべて星5つ、反原発もの3冊はすべて星1つという内容なので、逆に「なんだ、『主義者』か」と分る。あるいは「雇われレビューワー」なのかもしれない。

 菅谷梨沙子さん(「シュミレーション」などと書いているところを見ると、そのていどの「知的レベルか」と嗤えるが)は、「例えばカテゴリーCのコンポーネントが破損したからといって、著作の中で述べられているようにシステム全体が機能喪失することはありません。そもそも機能維持に重要でないからランクを下げているのです」と書いているが、「千丈の堤も螻蟻の穴によりて潰え、百尺の室も突隙の熛によりて焚かる」とは韓非子の教えるところ。どうやら信頼性工学の基本を知らぬお方らしい。いまごろは、福島原発の惨状を目の当たりにして、己の不明に顔から火が出る思いをしているだろう。それとも、そういう廉恥心も持ち合わせない「原子力村の住人」かな、呵々。(3/14/2011)

 ほとんどテレビの前に釘付け状態。利府も塩釜も無事らしい。しかし、直接には、話もメールも通じない。**(家内)は「こういう時にこそ携帯と思うのに、全然役に立たない」と苛立っている。**(長男)は新婚カップルが仙台から出て来られないため披露パーティーは中止になり、きのうのうちに名古屋に帰った。パーティーに参加する新婦友人群を狙って、ここ数週間、減量と髪の手入れに励んだあの努力はなんだったんだと言いながら。

 日経ヴェリタスにケネス・ロゴフの「This Time Is Different:Eight Centuries of Financial Folly」の邦訳版の書評が載っている。しばらく本屋のパトロールを怠っているうちに出ていたらしい。去年の話では夏頃には出るという話で、ずいぶん気をつけていたつもりだったが。

 邦題は「国家は破綻する」。副題は原書タイトル通り「金融危機の800年」となっていて、すぐに分るようになっているが、あえて大げさなタイトルにした理由が分らない。こういうタイトルの方が売れると思っているのだろうか、じつに不愉快な「改変」だと思った。しかし、そのうち、思い直した。原子力村のインサイダーは「This Time Is Different」と言い訳し、アウトサイダーは「原発は破綻する」と言うとしたら・・・、じつにいまの状況に当てはまっているではないか。

 気象庁は今回の地震のマグニチュード値を再度変更して9.0とした。その差は0.2。log2=0.3010だから地震エネルギーに関する推定値を倍に変更したということ。(計算があっていない(^^;))

 あしたから東電は「輪番停電」を実施するという。停電時間帯を確かめるべくホームページを見ると、「需給逼迫による計画停電の実施と一層の節電のお願いについて」という文書がアップされている。ところがスキャンしただけのナマ文書なので検索がかけられない。仕方がないのでアクロバットのテキスト認識機能を使ってなんとか検索可能にしたが、複数グループに同一の市の名前が登録されていて、自分の住む場所がどこに該当するのかが分らない。そればかりか、最後のページの図とその前の記載が必ずしも一致しない。ECCSを起動しようとしたら肝心の自家発が動きませんでしたなどというマヌケなシステムでノウノウと「原発は安全です」キャンペーンをしていた会社だけのことはある。たいしたものだ。(3/13/2011)

 「一夜が明けると・・・スターになっていた」という言い回しがあるが今回はまるで逆。一夜が明けると悪夢のような惨状が露わになった。マグニチュードは8.8(最初の発表は8.2だった)。それが近海の海底で起きたわけだ。津波はきのう地震後に出た警報の10メートルほどはなかったという発表だが、その割には凄まじい被害。

 あさ、**・**・**に出した携帯メールに「日本人が試される時が来たと思う。福島の原発が心配」と書いた。その予感は的中した。

 きのうの地震発生直後に、東北電力の東通原発(定期点検中だった?)、女川原発、東京電力の福島第一原発、第二原発は緊急停止した。東京電力のホームページには「・・・建築基準法で定められた3倍の規模の地震力に対しても、十分に安全であるように設計することで、原子力発電の『止める』『冷やす』『閉じ込める』という安全機能を維持しています」とあるが、この「安全機能」は地震については対応していても津波については対応していなかったらしい、少なくとも福島第一原発の場合は。

 「止める」というのは制御棒を燃料棒の林の中に挿入して核分裂が進行しないようにすること。これに続いて「冷やす」はECCS(緊急炉心冷却システム:Emergency Core Cooling System)が炉心に冷却水を注入することにより行う。ただしこれが動くためには所定の電源が必要となるが、そのための電気供給が止まり自家発にあたるディーゼル発電機もバックアップもろともに起動しなかった。

 けさの朝刊にはさらに「原子炉隔離時冷却系」(炉心の熱-停止後の余熱か?-により発生する蒸気で発電し注水ポンプの電源にするものの由)までもが機能しなかったとある。原子力技術者の皆さんがつねに強調する「二重、三重に安全を担保する仕組みが構築されています」という宣伝文句があっさりと反故にされたというわけだ。

 そして冷やす機能が止まったまま24時間経った、きょう、午後3時半、1号炉が爆発した。炉心にある燃料棒が露出することにより、加熱、表面を覆っているジルコニウムに接触した水蒸気が反応して発生した水素が爆発した由。圧力容器内で発生した水素がどのようなルートで原子炉建屋に漏れ出たのだろう?

 以下、きょう、旭丘コネクションで飛び交ったメールに書いたことから。

 **くんが書いているように福島原発が心配です。奥歯に物の挟まったような説明をするから、腹が立つ。二つの圧力逃し弁の片方が動作しないと説明されても、それらが直列に設置されているのか、並列なのかが分らなければ無意味に近い。何をどのように伝えるか、まったく考慮がないのは不思議。
 保安院の会見の生中継をいま見ました。
 建物の損壊そのものの事実確認を認めるかどうかに配慮があるのは理解するとしても、施設の境界部分で観測された放射線量についての質問についても逃げるのはまったく理解できません。
 避難が必要な住民をパニックにさせないためならば、逆に、数値はきちんと把握して発表すべきなのに、45分も延期した後に「現在、確認中」などと逃げるのは憶測を生むだけでしょう。
 いま出ている数値は一年間に人間が浴びる放射線量を一時間で浴びてしまうものだとか。これらの発表にグラフを使わないのも理解に苦しむ。

 圧力逃し弁の配置は設計思想を表わす。そのことにより設計者がフェイル・セーフをいずれの側としているかが分る。直列ということらしい。つまり「誤操作」が二つ重ならないと開放しないようにしているということ。このシステムの場合は「放射能を外部に放出するのは望ましくない」のだが、「圧力容器全体が破壊するというより致命的なケースを避けたい」という場合に使用する弁なのだ。

 ところで、なぜ、グラフを使って一目瞭然に素人にでも分るようにしないのだ。子力安全・保安院はできるなら正確な理解などしてもらいたくないのだろう。原発がとてつもない危険施設であるという当たり前の事実を。「由らしむべし、知らしむべからず」とでも思っているのだろう。(3/12/2011)

注)原子炉隔離時冷却系(RCIC)
文中の「炉心の熱により発生する蒸気で発電し注水ポンプの電源にする」という記述は誤り。
炉心の熱により発生する蒸気でタービンを回し、圧力チャンバーないしは復水貯蔵タンクから水を圧力容器内に供給するポンプの動力源とするシステム。

http://www.tepco.co.jp/fukushima2-np/1rcic0-j.html

 62年生きてきて最大の揺れだった。2時50分頃(46分だった由)だろうか。最初は「おっ、地震だな」と思うていどだったが、どんどん揺れが大きくなる。脇の本棚がミシミシと音を立て始めた。天井突っ張り板で固定してあるが、下置きと上置きのところが弱そうだとあわてて手で押えた。

 去年、**さんたちとお花見に行った時、起震台に乗ったことを思い出した。いま、日記を繰ってみると、4月8日。こんな風に書いている。

 飛鳥山公園から古河庭園に向かう途中、滝野川消防署の隣にある地震の科学館に寄った。ここには見学者用の地震シミュレータがある。阪神淡路大震災、関東大震災クラスの地震を体験した。頭で知っているということと、体で知るというのとはまったく違うということがよく分かる。
 震度4、5くらいはまだ「こんなもんかな」というレベルだが、震度6となると凄まじい。模擬と分かっていなければ、数十秒も続く揺れは永遠に続くのではないという恐怖感を誘うに違いない。この書斎の場合、机脇の書棚は確実に倒れ、造り付けの本棚はなんとか持ったとしても、収められた本はすべて落ちてくるだろう。先日の静岡の地震で本の下敷きになって女性が亡くなったが、その可能性は高い。この家も相当の被害を受けるに違いない。死ぬまでの間に起きないことを祈るばかり。

 幸い、このあたりは震度5弱だったようだ。しかし恐怖感は桁違いだった。いつ終わるのか分らない、さらにもっと大きくなるのかもしれない、どのタイミングでここを離れるべきか、階段を下りて玄関から出るか、玄関扉が開くだろうか、靴は履かないとその後が困ると聞いた、いや、屋上の方が安全かもしれない、・・・、机を振り向くと、モニタが右に傾いていた、日本ヒューム管の株はどうだろう、・・・。すべて揺れている間に考えたことだ。こうして書き抜いてみると、短時間のうちに支離滅裂なことを考えるものだとあきれる。

 意外に被害はなかった。机のマグカップのコーヒーがはね、マウスが濡れた。本棚から落ちた本は一冊。気に入っていたユンハンスの置き時計が落ち、足が一本折れた。これだけ。

 きょう、**(家内)は**・**・**のPTA三人組を招いて昼食からお茶会をしていた。居間にゆくとガラス戸が空いていた。とりあえず、ガラス戸は開け、テーブルの下に頭だけを入れたらしい。ざっとプレートテクトニクスのさわりを説明してさしあげた。そのうちに、それぞれの携帯に「無事か?」メール。余震が続いてもおしゃべりはやまず、結局、予定どおり5時すぎまで。

 **(長男)からは安否確認伝言板。きょうは休暇でこちらに来ていた由。国立で立ち往生し、歩きで11時前に到着。**(次男)からは電話。無事、出火したコスモ石油は一駅隣だとか。東北はひどいことになっているらしいが、利府とも塩釜とも連絡がつかない。

 けさの朝刊トップは菅首相の政治資金管理団体が在日韓国人から政治資金を受け取っているというものだった。前原2号というわけだ。そして、夕刊には石原慎太郎が記者会見して都知事選出馬宣言をしたニュース。どちらも冷めたコーヒーのような感じ。特に滑稽なのは「後出し慎太郎」。土日の週刊ニュースショーを独占するつもりで、仕掛けたつもりがみごとに不発。ざまぁみろ、慎太郎。(3/11/2011)

 8時半過ぎに家を出て、まずトヨタへ。車を預けて税務署まで歩く。申告書の提出は拍子抜けするほど空いていて、あっという間。続けて、「個人事業の開廃業等届出書」と「所得税の青色申告承認申請書」の提出。これも形式チェックのみですぐに受理。歩きの時間をいれても1時間とかからなかった。

 少しトヨタの店で待つことになったが10時半には完了。いつものコスモのスタンドまで回って給油。天気は上々、少しドライブでもしたいところだが、少し睡眠時間が不足気味。おとなしく帰宅。(3/10/2011)

 確定申告作成のため、ウォーキングをとりやめにした。切羽詰まらないとなかなかやる気にならないという悪癖は直らない。結局はこうして「非常事態宣言」をしてからの作業になってしまう。自由時間は以前に比べれば、有り余るほどにあるというのに。「時間がない」といういいわけはウソだ。

 国税庁のホームページの申告フォーム、毎年のことながらこれはありがたい。大枠はこれでできてしまう。あとは問い合せがあった場合に備えて、配当金計算書などのエビデンスをスキャンする時間、これがけっこうかかる。プリントアウトの時間まで含めるとほぼ二日がかり。(3/9/2011)

 先週金曜日に同期会の案内を発送した。案外早く、出欠回答が来始めた。今回は単純に同期会への出欠だけではなく、住所・電話番号・携帯番号・メールアドレス・携帯メールアドレスなどを取り直して、再配布に関する同意・非同意を取り直すため、封書にした。

 大半が返送シートだけなのだが、一筆箋が添えてあって謝辞がサラリと書いてあるものがあった。***さん。たしかに全項目きちんと記入して近況欄も適当に埋めてあればそれでいいのだが、こういうものを添える心、やはりそれはキラリ光るものだと思う。さあ、あと何通、そんな返信が来るだろうか。

 トヨタ朝霞から連絡。バッテリーが入荷した由。確定申告のとりまとめがあるので、あさっての約束にした。(3/8/2011)

 雪まじりの雨。きょうも「内勤」、ステップボード。

 夕刊に、アメリカ国務省日本部長ケヴィン・メアが研修旅行に出発する前の学生に対し行ったレクチャーで、「沖縄はゆすりの名人」などと話したという記事が載っている。

 講義を聴いた複数の学生がメモを基に作成した「発言録」によると、メア氏は「日本の和の文化とは常に合意を追い求める」と説明したうえで、「日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをしながら、できるだけ多くの金を取ろうとする」と述べた。
 沖縄については、日本政府に対する「ごまかしとゆすりの名人」「怠惰でゴーヤーも栽培できない」などと発言。普天間飛行場は「(住宅地に近い)福岡空港や大阪の伊丹空港も同じ」で特別に危険でないとし、日本政府は仲井真弘多・沖縄県知事に「お金が欲しいならサインしろ」と言うべきだと述べている。

 身内と思い気を許すと平生心の底に溜めていることをそのまま吐露してしまうというのは人間の常なのかもしれぬ。恐いのはそういう場面では自分の人間観・人生観のようなものまでが綯い交ぜになって現れるということだ。メアの言葉の中にある「合意を追い求めるふりをしながら、できるだけ多くの金を取ろうとする」というのは可能な限りグァム移転費用を日本からむしり取ってやろうというアメリカ国務省の薄汚い根性の投影に他ならない。

 しかしメアは根本的に沖縄を誤解している。沖縄は普天間飛行場の危険性が軍事基地であるがゆえに板付や伊丹とは一線を画することを理解しているから、そしてそういう存在が狭い沖縄本島の本来の経済発展を歪めているからこそ、こんどばかりは基地は出て行け・辺野古移転は嫌だ、さらにはカネをちらつかせる民主党政府のおためごかしも拒否しているのだ。

 メアはほとんどアメリカ人同様の考え方しかしない日本の外務官僚や防衛施設官僚などとしかコンタクトしないのだろう。だからことの本末を取り違えているのだ。(3/7/2011)

 どうも花粉が最盛期を迎えたようだ。目は痒いし、喉はヒリヒリするし、くしゃみは絶え間なし。唯一の救いは鼻づまりが一度に両方にならないこと。これだけでもずいぶん助かる。ただし、横になるとなかなかそうもゆかない。朝起きると喉がカラカラになっているのは鼻づまりのため口を開けて寝るからではないか。

 ウォーキングの最中は感じないのだが、夕方から夜になると確実に外気に触れた時間に比例して、かゆみ・ヒリヒリ・鼻汁の三点セットが襲ってくる。

 天気は問題がないのだが、きょうは「内勤」、ステップボードにした。

 前原誠司が外務大臣を辞任する由。辞任理由はたったひとつ、在日韓国人から政治献金を受け取っていたから。朝刊にその在日韓国人女性の話が載っている。

 この女性は「在日が献金しちゃあかんなんて、知らんかった。あかんことやってわかってたら、せえへんかったのに」と語った。女性からの寄付は日本名の「通名」によるものだった。
 女性によると、前原氏が中学2年生の時、近くに引っ越してきてからの知り合いという。「(前原氏の父が亡くなり)当時から貧乏で苦労していた。議員になってからも慕ってくれていたし、ずっと息子のように思っていた」と振り返った。・・・(略)・・・
 いま、自身の献金で外相辞任が取りざたされていることについて女性は、「前原君とは人間同士の付き合いで、在日とか日本人とか、いちいち彼も確認せん。そんな失礼なこと聞かんやろ。『在日をいつまで差別するねん』って話になる。(北朝鮮問題で私を)利用するとか、そういう関係じゃないのに」と憤る。「献金はもうせえへん。こういうことで大臣を辞任しろとかいわれると、心苦しい」

 永田メール事件対応などでわかる通り、考えられないほど杜撰なところがあるというのが前原という男だから、水たまりにおぼれるような話はいかにも彼らしい。アメリカのエイジェントのようなことをしている前原だから、アメリカにつながる別のルートからカネをもらっていることは想像に難くない。とすれば、「天網恢々疎にして漏らさず」とはよくいったものだと、皮肉な巡り合わせを嗤いたくなる。

 それにしても政治資金規正法というのはじつに面白い法律だ。「日米平和・文化交流協会」のような売国的マネーロンダリング法人経由ならば資金の出元が外国の誰であろうがお構いなしであるのに、在日のような由緒正しい「日本人より日本人らしい人々」(よほど紅毛碧眼の異人よりは信頼できそうだが)が資金の出元となるとたちまちに規制の対象となるのだから。かつて「半島」や「大陸」でこの国がやろうとしたことが脳裏にあるがゆえの規制、そんな気がしないでもない。(3/6/2011)

 注文していたEIZOのFlexScanSX2762が着いた。解像度は2,560×1,440。大昔の640×400というPC9801時代の解像度に比べれば約14倍、一時期、憧れであった1,280×1,024に比べても約3倍弱の表示能力。試しに新規にオープンしたエクセルのシートならば71行35列のセルが一気に見通せる。A4イメージのワードならば3ページを視野において入力ができる。

 当分の間、ディスプレイに不満を覚えることはないだろう。もう少しスペースが確保できれば、きのうまで使っていたS2410と2台接続にして、一方を株価・為替表示専門にして常時表示するのも面白いのだが、そのためにはスキャナーをどけなければならない。プリンターは多少我慢できてもスキャナーを手の届かないところに置く気にはなれない。ノートPC接続専用に転用するか、誰かにあげるかだ。勤めていたころならちょっと声をかければ必ず「欲しい」という奴が現れたものだが、リタイア族にはそういう環境がない。(3/5/2011)

 先日来の社会面独占ニュースは「入試投稿」。同志社、立教、早稲田、京都の4大学の入学試験中に問題をヤフー知恵袋に投稿するという、ある意味、斬新なアイデアによるカンニング事件。

 カンニングの主は仙台の一浪生。NTTドコモ・ヤフーなどからデータを提出させた京都府警が携帯電話を特定し、京都大学からの被害届により「偽計業務妨害」容疑で逮捕した由。

 発覚から、誰が、どの範囲で、どのように行ったのか、単独なのか複数による広がりがあるのかなどの疑問が噴出したために観客席の側は異常に「興奮」したわけだが、こうしてみると新手のカンニングという以上でも以下でもない。

 おとといの夜の段階で投稿者はしぼられたと報ぜられていた。きのう、一時、所在不明と伝えられたときは自殺などしないことを祈る気持ちだったから、宮城県警が身柄を確保したというニュースで安堵したことは事実。しかし、被害届を出させて逮捕するほどの「犯罪」なのかとなると、疑問を通り越して警察もこの受験生と同等程度に「子どもっぽいなぁ」というのが実感。

 警察に言われるままに「被害届」を出すという「判断」だが、いったい京都大学のどのレベルでなされたものかと思う。かつての最高学府も眼前に出来する事実に幻惑されれば、いまやテレビのワイドショーや売らんかな週刊誌と同様、事実を並べ直して冷静に判断することすらできなくなってしまうとは、いささか情けない気持ちがしないでもない。(3/4/2011)

 チュニジアに始まった中東の「民主化革命」はエジプト、バーレーン、リビアと伝播しつつある。バーレーンの「民主化」はサウジアラビアには容認しがたいものらしく、治安部隊をバーレーンに差し向けて「民主化」の弾圧に入ったという。

 しかし我がマスコミにおけるメインの報道はリビアのカダフィ政権に関するものになっている。

 この国ではカダフィは悪逆非道の圧制者という悪玉、反体制派は善玉ということになっている。1969年の王制打倒クーデターから「ジャマヒリヤ」という独裁体制を半世紀以上も維持してきたのだから、カダフィ政権が反民主的な恐怖政治体制であることに間違いはないのだろうが、ではカダフィ体制が倒れれば、それで万事がめでたしめでたしとなるかというと、どうもそういうわけにはゆかないようだ。そのあたりが、曲がりなりにも対抗権力の受け皿があったチュニジアやエジプトとはまったく違うらしい。

 わずかにこのあたりの事情を伝える記事が朝刊に載った。中東駐在の編集委員川上泰徳の署名記事。末尾近くにこんな部分がある。

 すでに強権体制が倒れたエジプトやチュニジアには憲法も、選挙法も、議会もあり、権力の不正さえなければ、民主体制への移行は可能だ。しかしリビアのジャマヒリヤ体制では議会や政党は存在せず、民主化の基盤がない。
 一方、エジプトやチュニジアの例を見ても、反体制勢力には組織も指導者もなく、すぐに民主化の担い手にはなりえない。この点はリビアでも同じだが、リビアではカダフィ氏とともに統治システムが砂上の楼閣のように崩れてしまう危険性がある。
 リビア社会について、カダフィ氏の次男セイフルイスラム氏が「我々はチュニジアやエジプトとは違って、市民社会も政党も存在せず、部族の連合がある」と国営テレビの演説で語った。当初、体制内改革派と見なされた同氏の本音だろうが、「内戦となれば60年も70年も昔の状態に逆戻りする」と警告した。

 優位を伝えられる反体制側だが、それを「民主化を求める市民の味方」と見ると、実際のところを見失う可能性がありそうだ。(3/3/2011)

 発売中の「PRESIDENT」、タイトルがすごい。「見捨てられない働き方」。サブタイトルは「過酷な選別!」、「これが社内人事のウラ側だ!」。付随記事は「いる社員、崖っぷち社員」、「人事部証言! 用済み箱へ! 42歳課長が危ない」、「年代別:これが手放せない人の条件だ」、・・・と続く。

 「すごいなぁ、読んでみようか」と思ったが、リードには「あなたは、必要な2割の人か、8割のその他大勢か」とある。なんだ「2-8の法則(別名:パレートの法則)」じゃないか。

 よほど愚かな人事担当者でない限り、「なるほど、その通りだ。必要な2割を残し、残りの8割のごくつぶしは即刻馘首にしよう」とはしないだろう。なぜならそれが組織の衰退への入り口だから。

 働き蜂(蟻でも同じらしい)の働かない8割を取り去ると、全体数があるボリュームを持っているうちは残された中の8割は働かなくなる。けしからんということで、働かなくなった8割を除くとまた同じ。そして安易な「リストラ」が繰り返され、全体数がある一定のボリュームを切ると、どうなるか。蜂は営巣機能を失ってしまうのだ。それはそうだろう、ボリュームが小さくなるごとに女王蜂と雄蜂の相対的オーバーヘッド率が高くなるのだから。

 つまりこんなていどの特集テーマで紙面を維持しようとする「PRESIDENT」誌そのものが、「見捨てられる8割の雑誌グループ」に入って来つつあることを象徴しているとも取れる。その証拠にこんな広告がうってある、「予約購読1年24冊定価16,560円をわずか10,000円に:約39%OFF!」。

 でも「PRESIDENT」さん、心配しなくても大丈夫だよ。世の中には「ロングテール商法」というのもあるのだからね、呵々。(3/2/2011)

 朝刊の文化欄に福岡伸一のちょっと興味深い「仮説」が載っている。仮説のテーマは専門である分子生物学の話ではない。自作の顕微鏡により微生物への観察の世界を開いたアントニー・ファン・レーウェンフックの観察スケッチを担当したのがフェルメールではないのかというもの。

 17世紀、ガリレオは宙に望遠鏡を向けた。レーウェンフックは顕微鏡を手作りしてミクロな小宇宙を発見した。フェルメールもまたその潮流の中にあった。たとえば真珠の耳飾りの少女を描いた彼の絵には、そこに至る時間とそこから始まる時間がとどめられている。細部はおどろくほど精密に、光の粒だちはまばゆいほどに際立つ。
 微生物や精子の発見者として生物学史にその名をとどめるレーウェンフックは、フェルメールと同じ1632年10月、オランダの小都市デルフトに生まれた。
 2人は光学的な興味を共有していたのではないか。フェルメールの作品「地理学者」と「天文学者」は、レーウェンフックを描いたのではないか。臆測はあれど2人の交流を示す記録はない。ただ、レーウェンフックは、フェルメールの死後、彼の遺産管財人となったことがわかっている。
 レーウェンフックのごく初期の記録にはこう記されている。自分は絵が上手に描けない。だから顕微鏡のスケッチは専門の画家に頼んで描いてもらったと。私はこの記述に興味をもった。それは一体誰だろう。そしてそれはどんな絵だったのだろうかと。

 職人の子であったレーウェンフックは当時の学者としての基本条件であるラテン語も知らず、趣味の顕微鏡観察の成果を発表するチャネルも持たなかった。しかし陶器製造などで豊かな経済力を有していたデルフトに育ち生きたことが幸いしたのだろう、同じ町の解剖学者グラーフやホイヘンスらの紹介でロンドン王立協会会員だったロバート・フックの知己を得ることができた。

 福岡は王立協会が所蔵するレーウェンフックのスケッチを実際に見る機会に恵まれ、「その素描の、あまりの鮮やかさ」と「陰影のつややかさ」を感得し、スケッチを担当したのがフェルメールではないかという「仮説」をたてた。「昆虫の脚の鋭い爪先は、まるで石膏のデッサンのような筆致で、光と影の強いコントラストによって描きだされている。その硬さをじかに感じることさえできる。毛根のスケッチはやわらかな丸みを帯びている。いずれも、自然を分節化し、区画しようとする科学者の視線ではない。なめらかに変化する光のグラデーションをつなげようとする芸術家の目線がある」というのだ。

 記事には専門家のコメントがついている。

 17世紀オランダ美術史が専門の高橋達史・青山学院大教授は「夢のある面白い仮説だと思う」と認めつつ、レーウェンフックのスケッチ画をフェルメールが描いたと判断するのは難しいと考えている。
 「フェルメールは油絵しか残っていないので、素描を判断する基準がないうえ、描写対象も違いすぎて画風だけで論じるのは難しいですね」
 また、当時すでに図鑑などで仕事をする挿絵画家が多数いたはずだという。「そういう状況でフェルメールに白羽の矢が立つとは考えにくい」

 ばっさりで、面白くも何ともない。だが、あえて「仮説」と表現した福岡の以下の言葉は簡単には捨てきれない仮説のロマンの余韻を残していると言えるのではないか。

 ここで意外なことに気づいた。レーウェンフックが王立協会に送った観察スケッチは1676年の半ば以降、急にそのタッチとトーンに変化が生じているのだ。絵は細い線だけで描かれるようになる。初期のスケッチに見られたような陰影や強いコントラスト、連続する光の粒のグラデーションなどは完全に消え去ってしまうのである。
 私は、単なる偶然の一致を指摘しておくにとどめる。ヨハネス・フェルメールは1675年12月15日、43歳の若さでこの世を去った。現在知られている三十数点の作品以外にも、フェルメールの息づかいは、いずこかにひっそりと残されているかもしれないのだ。

 寡作で謎の多いフェルメールにはふさわしい「if」のひとつにしておきたい。(3/1/2011)

 起きるともう雨が降り出していた。勤めていたころならば、「とかく月曜日は・・・」とつぶやきつつ、"Talkin to myself andfeelin old ・・・ Rainy Days and Mondays always get me down"・・・カレンの歌声が耳の裏に聴こえたろう。

 カレン・カーペンターズの発音はどうしてあんなに聴き取りやすかったのだろう。どうしてあんなにいっぺんに気持ちをアットホームにしたのだろう。彼女のように発音してくれたら、すぐにでも苦もなく英語に親しめるような気がする。

 いつもこの時間に通勤時間帯のことを思い出すときには、再々度、工場勤務になった、いわば「会社生活の晩年」の通勤風景だった。しかしけさは建て替える前のこの家から工場に通った「会社生活の始まり」ころのことを思い出した。カーペンターズの歌がそうさせたのかもしれない。

 あのころは6時半過ぎには家を出ていた。工場の始業は8時だった。武蔵野線はまだなく、武蔵小金井までバスで出なくてはならなかった。6時台ならば20分ていどでゆくバスは7時台になると30分以上、どうかすると40分以上もかかることがあった。

 7時12分発の下りに乗る。通勤時間帯の小金井駅の記憶、その電車が国分寺駅に着くときの記憶、国立駅に着くときの記憶、・・・時期的には少しずつずれているが「通勤」という作業の周辺にもほんのり暖かくなるような記憶がいくつかある。

 時間合わせのために煙草をやったこともあったっけ。あの娘たち、それぞれに55、60、65(彼女だけは、「あの娘」ではない、「あの人」だな)くらいになっているはず。いまはどうしているのだろう。人の世は分からないもの。もしかすると、もうとっくに亡くなっているということだって、ありうるのだ。(2/28/2011)

 全4回シリーズで始まったNHKの「日本はなぜ戦争へと向かったのか」、きょうは第3回「"熱狂"はこうして作られた」。戦争へ驀進する日本社会の「熱狂」はどのようにして育ったものか。

 満州事件に際し全国紙でただ一紙、「早く外交交渉に移して、これを地方問題として処理することに違算なきを期すべきである」と社説に書いた朝日新聞も全国各地で不買運動が起きるや、営業的配慮から編集局長緒方竹虎は参謀本部作戦課長(あの今村均だった)と接触するに至る。今村は軍内部の実情を率直に話した上で「世論に味方してもらいたい」と言った由。それを証言する今村は続けて「それからコロッと変わりました、朝日が・・・」とも言っている。

 緒方、今村の双方を知るむのたけじ(武野武治)は今村の証言テープを聴いて、「これ使う?」と確認してから、「『コロッと変わった』ねぇ」と反芻し、「『国益』ですよ、それはやっぱり」、「それが真実を明らかにして、間違ったものなら間違いを正すという方向に行かせなかったんだと思います」と言った。

 戦果に酔う国民は勇ましい記事を書く新聞を買い、販売部数が伸びる新聞は軍に密着した上でますます売れる記事を書く。見かけ上はインフレスパイラル、冷静に見れば真実から遠ざかるデフレスパイラルに陥ることに何の不思議もない。

 こうなればもう新聞は共犯者、陸軍省新聞版の谷萩那華雄大尉が「満鉄の爆破は関東軍の仕掛けた謀略なんだよ」と打ち明けても、どのメディアもこの事実を報ずることはなかった。

 もっとも、仮にこれを伝える新聞があっても、国民は逆にその新聞を「反日売国新聞」と呼んで袋叩きにしただろう。いま、この時代ですら、そういう輩の声の方が大きいくらいなのだから。ウソではない。ネットのバカブログを三つ、四つ眺めてみれば、それはすぐに確認できるだろう。

 まあ、バカとバカがワンワンと共鳴しあえば、どのようにでも事実は枉げられるし、どのようにアホらしいことでも真実のように見えてしまう。なぜなら、世の中の半分は平均以下(あたりまえの話だが)のバカなのだから、呵々。悪貨が良貨を駆逐する。そのメカニズムは違っても、結論は同じ。

 進行役の松平定知は「日本の舵取りを任された指導者たちは行動に自信がないために輿論を利用しようと思った。輿論の動向に一喜一憂した。しかしその輿論はメディアによって熱狂と化した。その熱狂は最後の段階で日本人を戦争へと向かわせる一つの要因になった」とまとめたが、そのまま現下の社会情勢に重なるというところが恐ろしい。(2/27/2011)

 ユーミンを聴きながら歩いていて「この曲のことを言っていたのか」と小さく笑った。

椅子に座って爪を立て
莢えんどうのすじをむく
莢がわたしの心なら
豆はわかれたおとこたち
みんなこぼれて鍋の底
煮込んでしまえば形もなくなる
もうすぐ出来上がり
あなたのためにチャイニーズスープ
こんやのスープはチャイニーズスープ

 こうして歌詞だけを書き写しても、この歌のなんとも言えない味は分らない。

 ・・・別れた男?、疵を残してったことはたしかネ、でもサ、そんなのぜーんぶまとめてサ、ぐつぐつすれば、カタチなんか残んないだナ、これが・・・。

 煮詰まったものを残すのは、案外、男で、女はさっさと食ってしまうのだ。

 そういえば、萩原朔太郎にこんなアフォリズムがあった。

私の別れた妻が、私に教えてくれた教訓は一つしかない。観念で物を食おうとしないで、胃袋で消化せよと言うことだった。
妻はいつも食事の時に、もっと生生した言葉でこれを言った。
ぼんやりしてないで、さっさと食べてしまいなさい。
「絶望の逃走」

(2/26/2011)

 天気はいい、気温も高い、風も強い。花粉が大量に舞っている感じ。

 そんな中を飯山夫妻と西国立の駅で待ち合わせして無門庵で昼食。その後、分倍河原へ移動、シャトルバスでサントリー武蔵野工場へ。ブルーワリー見学を兼ねた「プレミアム・モルツ講座」。

 おいしいビールのつぎ方、市販されていないモルツの黒の試飲。おみやげなど無料でここまで楽しめるのは相当にお得。

 サントリーのビールについての質問なら何でもというので「メルツェン」のことを尋ねた。武蔵野工場で作っていた地域限定出荷のビールだったという答えに**(家内)ともども納得。結婚したてのころの懐かしいビール。ずいぶん長いことグラスだけはあったのだが、いまはどこにいったのだろう。(2/25/2011)

 ニュージーランドの地震による死者はきのう現在で75人。行方不明者は約300人。邦人は2人が救出されたものの、まだなお行方不明者が27名。

 ニュージーランドは太平洋プレートとインド・オーストラリアプレートがぶつかるあたりに位置する。ある意味日本によく似ているのだが、少し複雑なのは、北部では太平洋プレートが、南部ではインド・オーストラリアプレートが沈み込む形、つまり捻れていること。

 その割にニュース映像で見るクライストチャーチ現地の建物の状況は耐震性ということに関しては、おおらかな感じがする。特に今回崩れ落ちた大聖堂などは歴史的建造物とはいえ、何の補強もされていなかったのではないかと思わせる。植民した人々の出身がイギリス・ヨーロッパ諸国で、本国同様の自然認識のもとに都市建設を行ったからかもしれない。人間の想像力などというものは、起きてみるまでは呼び覚まされないものなのかもしれない。(2/24/2011)

 きょうも名薬コース。それだけではなく黒目川遊歩道も折り返してのフルコースで1万7千歩強。さすがに少し疲れた。

 ちょっと車を出そうと思って愕然。ドアが開かない。補機バッテリー上がり。11月に豊里に帰ってから乗っていないのだから、無理もないのかも。JAFを呼ぶが、初代プリウス以上にいまのプリウスはエレクトロニクス依存が進んでいるらしく、かなり手こずった。

 JAFの話では「取説にはトヨタ販売店でチェックを受けてくださいとありますから、なるべく早く見てもらってください」とのこと。

 立川で飲み会の約束があるが、またJAFを呼ぶことになるとみっともないと思い、朝霞に持ち込む。とりあえずのチェックはクリアしたものの「いったん完全放電すると、なんとも言えないですね」との話に、交換を依頼。入荷はしばらくかかるとのことで予約をしてから帰宅。飲み会にはかろうじて間に合ったが、大変な一日だった。(2/23/2011)

 久しぶりに名薬コースを歩く。安松神社からは富士がくっきりと見えた。

 きのう、石原は今回も「後出し勝利」を狙っていると書いた。しかし、夕刊によると「石原知事は22日までに『出る気はない』との意向を親しい関係者に伝達した」そうだ。もっとも、記事は「ただ、長男で自民党幹事長の石原伸晃氏や自民支持団体が出馬を要請しており、こうした事情も考慮して最終的に判断するとみられている」と続けている。

 朝日が取材した「親しい関係者」とは誰なのか。副知事周辺だとしたら、朝日が騙されている方に一票だね。

 日本時間の午前8時51分(現地時間午後0時51分)、ニュージーランドのクライストチャーチで強い地震があり、かなりの死者が出ている由。死者の中に語学研修で滞在中の日本人が含まれている模様と夜のニュースが伝えている。浩之がホームステイしたお宅もたしかクライストチャーチだったはず。(2/22/2011)

 東京都知事選の公示日は来月24日。今のところ名乗りを上げたのは、共産党の前参議院議員小池晃とワタミ創業者の渡邉美樹のみ。

 石原慎太郎は今回もまた「後出し戦法」を取ろうとしている。本人は「ケセラセラだ」とうそぶくが、息子の伸晃が自民党幹事長の肩書で出馬希望コメントを出し、別働隊「東京都各種団体協議会」がラブコールというお芝居をしているのが嗤える。要するに「余人をもって代え難い」という声に促された形で、恩着せがましく「仕方ない、出てやるよ」というシナリオでゆきたい、大方そんなところだろう。状勢が不利と思えば、「出馬するなんて一度も言ってないよ」と逃げてもメンツはつぶれない。口ほどの器量は持ち合わせない小心者らしい計算。これから会見のたびにマバタキが増えるか減るか。それでお芝居かどうかが分る。

 石原にとって、闘うとすれば、渡邉美樹は闘いにくい相手だろう。渡邉と石原の支持層は重なる。石原の有力な支持層は彼が内心最も軽蔑している浮動層だが、その浮気者たちが雪崩をうって流れそうな候補が渡邉だから。

 小池に比べれば有利と思われる渡邉だが、立候補記者会見における彼の言葉は、所詮、ベンチャー屋さん以上ではないことを暴露している。曰く「経営を政治に持ち込みたい」。曰く「経営にはミッション、ビジョン、選択がある。都の経営のミッションは都民の幸せだ」。浮動層が泣いて喜びそうな言葉だ。

 しかし企業経営というのは「経営資源をかたむけて利潤を上げること」だろう。「政治の目的は利潤を上げること」なのか。「利潤というのは企業家ないしは出資者の所得になるもの」であって、「お客さん」のものにはならない。「経営を政治に持ち込む」ということはマネジメントをする人間が儲け、出資者が出資額に応じて分配を受けるということだろう。つまり、税金をまったく払っていない人や、納税額の少ない人には報いない都政を標榜する、それが渡邉の立候補宣言だということになるではないか。国の政治のみならず、身近な地方行政サービスもまた金持ち限定になってしまうとはね。まことに恐ろしい。

 後出しジャンケンという一種のチキンゲームに参加しそうなメンツとして、マスコミは東国原や蓮舫、猪瀬直樹などを上げている。たしかに都知事の座は魅力たっぷりだ。なにしろ、行き詰まることが保証されているお役人商売「新銀行東京」、ほぼ確実に落選と決まっている「東京五輪誘致」などに何百何千億もの税金を使い、予定どおり、ドブに捨てたことが確定しても責任は問われない。それどころか、厚かましくラブコールを演出すればマスコミはまたまた囃し立ててくれる。「盗っ人に追い銭」とはこのことだが、最近のマスコミにはモラルはないようだから、山っ気のある者はどんどん手を上げればいい。石原がやったように、「余人をもって代え難い才能」とかなんとか言って息子の小遣いに流用することもできる、ぼろい仕事だ。

 東京都の予算というのはちょっとした小国の国家予算に匹敵するほどの額だ。ちょっとやそっとの「無駄遣い」などで破産することは・・・ないだろう・・・きっと。さあ、よってたかって食い物にしよう。(2/21/2011)

 きのうシステムを落としてから「野暮」な男とずいぶん言われたものだったのにと独り嗤い。

 土曜の「青be」、「うたの旅人」は「女ひとり」だった。

 京都が舞台の「女ひとり」に歌われるのは結城紬(茨城県)、大島紬(鹿児島県)、塩沢絣(新潟県)と、他県で織られる布地だ。なぜだろう。
 作詞した永六輔(77)は、「フォークソングの登場で時代が変わった。もう作詞をやめようと思い、最後に作ったのが『にほんのうた』シリーズです」と話す。・・・(中略)・・・祖母が着物に詳しく日常会話に着物がよく出たため永さんは産地の見分けがついた。「でも、歌詞は自分の好きな着物を並べただけで、いい加減なんです」と笑う。
 その言葉が照れで、深い美意識に裏打ちされているとわかったのは、着物の研究家でもある田中優子法政大教授に会ってからだ。
 田中教授は「歌われた着物は、取り合わせがとても洒落ている。藍染めの結城は軽い感じで、しっかりした羽二重の塩瀬が合う。帯の地色は白で季節は春先。大島は泥染めで、つづれ織りの帯ともども重厚さがあり晩秋のにおいがする。帯はペルシャ模様が浮かぶ。塩沢は生糸で織った本塩沢で薄手でシャリ感があるから夏ですね」と名探偵のように解き明かした。
 紬も絣も手織りで独特の温かみがあり、今では高級品だがもとは普段着だったという点が共通する。帯の方は、塩瀬は最も一般的な生地だ。名古屋は短い仕立て方を指し、普段着やおしゃれ着に締める気軽な帯だ。田中教授は「歌われたのは、30歳前後で経済的に自立し、日常に着物を着る女性。恋に疲れた女性が急に華やかな着物を着るわけがない」と明快だ。

 尋ねられても「いい加減なんです」と笑うだけ。「分る人だけ分れば、それでいい」と流せるのが「粋」だとすれば、尋ねられるや知っている限りあるいは怪しげなことまでも取り混ぜて蘊蓄を傾ける我が平生の性根はまさに「野暮」の極みだなぁ、と。

 この引用も「いつか、使える日のために」と思って書き写しているだもの。野暮は矯正不能。(2/20/2011)

 気分転換が奏功。あっさりというわけにはゆかなかったが、プログラム製作とデバッグ終了。気持ちの余裕こそがすべて。煮詰まってしまったときは、ちょっとわきに降ろすのがいいと実感。

 もうひとつの宿題、同期会の案内状作成に取りかかり、これもなんとか仕上げた。まだ、春の浄瑠璃寺ウォーキング案内と奈良散歩の企画・案内が残っている。「ヒマ」という自慢話に足を取られるなどは愚の骨頂。「豚もおだてりゃ木に登る」では、なんのためにノーストレスの年金生活を選択したかということになる。反省。

 朝刊、吉田秀和の「音楽展望」のコーナー。好角家で知られる吉田としては、やむにやまれず書かずにはおれなかったのだろう、レコードについても、コンサートについてもひとこともふれずに、小学校にも上がっていないころ出入りの大工の棟梁が語った話からはじめ、柏戸の休場明け優勝のかかった一番に石原慎太郎が八百長と騒ぎ立てた話、嫌われ者の北の湖対若きプリンス貴乃花の一番をテレビ観戦した記憶などを語り、最後、「今相撲は非難の大合唱の前に立ちすくみ、存亡の淵に立つ。救いは当事者の渾身の努力と世論の支持にしかない。あなたはまだ相撲を見たいと思ってますか」と結んだ。

 吉田さん、もう「粋」は死に絶え、「野暮」だけがのさばってるんですよ、いまのこの国には。ああ、ほんとに嫌な国になりました。(2/19/2011)

 むかし作ったプログラムのパッチワークでお茶を濁せると思ったのが間違いだった。構造設計というのも大げさだが、サイコロを振り直すことに覚悟を決めた。こういうときはひたすら頑張るよりはいったん離れた方が存外効果的なものだ。「実機の前で考え込むな」という**さんの声が聞こえてきそうだ。

 思い切って、**(家内)と礫川(「こいしかわ」とふりがなしてある。「こいしかわ」は「小石川」で「礫川」は「れきせん」のはずだが)浮世絵美術館に行くことにした。いつものタダ券利用。

 美術館といってもローソクビルの5階にある小さなものだから、展示の点数は30点ほど。国貞、国芳、英泉、広重といったところ。その他、ガラスの平ケースの中に豊国の「絵本開中鏡」などがあったりする。半ページのみの展示にしてあるのが、かえって想像をたくましくさせて、ご愛敬。それにしても摺り師の技術には驚嘆。

 けっこうしっかり「鑑賞」してから、すぐ近くの文京区役所(シビックセンターというらしい)25階の展望レストラン(椿山荘が入っている)で一休み。展望ラウンジからはスカイツリーが見える。池袋に戻って、**(家内)とは別れ、よせばいいのにまた本屋へ。

 電子出版をテーマにした本、エーコとカリエールの対談「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」から岩波新書「本は、これから」まで数冊。他に、いささかゲンナリしている政治状況を念頭に「民主主義は、いま?」など。・・・「**は、**?」のような書名がはやるのかな、これから?(2/18/2011)

 あさの「日めくり万葉集」。きょうは巻16:3851の詠み人知らずの歌。

心をし 無何有の郷に 置きてあらば 藐姑射の山を 見まく近けむ

 「無何有」の読みは「むかう(ムコウ)」、広辞苑には「無向有の郷」とは「自然のままで、なんら人為のない楽土」とある。

 「荘子」の内篇「逍遙遊篇」。惠子(恵施)が「なんの役にも立たぬ木があって困っている」と言うと、荘子は「自然のまま人為のはたらきのない広々としたところに植えれば、思わぬ用に立つとはお考えにならないのか」と答える。なんの役にも立たぬと思われる木であっても、「役に立つ」などという「人為」がはたらいていない土地に植えれば、ひょっとするかもという、その土地が「無向有の郷」。いかにも荘子らしい言い様。

 「藐姑射」は「はこや」、「藐姑射の山」には不老不死の仙人が住むと広辞苑にはある。手もとの岩波文庫「荘子」に金谷治がつけた読み下し文は「藐(遠)き姑射の山」となっている。同じ「逍遙遊篇」から。「藐姑射の山」に住む仙人の暮らしぶりの話が信じられぬという男を、あっさり、「分からぬ奴には分からぬのだ」と切って捨てるところが心地よい。あげくに、聖天子の代表格である尭が天下を治めたのち、この山の仙人たちに会ってからというものはボンヤリ空ろになってしまって天下のことは忘れてしまったというのも、尭・舜を神聖視する孔子や儒教を茶化しているようで楽しい。

 宣長は「漢意」を批判したが、その視線はせいぜい孔子にまでしか届かず、荘子の無為自然にまでは及ばなかったのではないか。とかく「惟神の道」などとは言いたがる神主さんたちだが、賽銭箱の中身ばかりが気になるような俗物は端から捨てても、じつは十分に人為的であるというのが嗤える。

 案外、万葉人のこの歌の方がじつに素直で、ある意味、十分に「惟神」だったりする。

 さて、「人為」の極たるプログラム。ウォーキング中に変数定義の落とし穴に気づいた。最初のうちは笑いながら楽しくやっていたが、徐々に顔が引きつってきたのが分かる。(2/17/2011)

 先日の新聞公正取引協議会の**さんの話によると、きょう、協議会側メンバーと新聞6紙の代表者、販売店地区代表が出席する「確認会議」が開催されたはず。

 新聞購読者のほとんどはもらえるものはもらえる方がいいと思っている。その立場からは「折角、良いものをたんとくれそうなのに、つまらないケチをつけるんじゃない」という方が一般的かもしれない。「景品」や「おまけ」は誰でも好きなのだ。

 近視眼的に物事を見るならば、その理屈の方がもっともらしい。しかし、現品の品質で競争せず「おまけ競争」で勝負が決まるようになれば、「悪貨が良貨を駆逐する」のはたやすいことになるだろう。品質が悪いからこそ、他のもので釣ろうとするのだから。そうすれば、資本力がある奴が勝つに決まっている。しかし、「悪貨」だけが世の中に残れば、どのような荒野が訪れるか、想像力が少しでもある者なら容易に予想できるはずだが。

 ただでさえネットの普及により存在理由を問い直されている新聞が墓穴を掘ることは必定。いや、最近の流れに従えば、そもそも「景品」に釣られる(オレもビールに釣られたことは事実だから嗤えないが)ていどの新聞購読者は、もうそろそろ、新聞そのものをとらなくなるに違いない。そういう意味ではどんな価値をつけて新聞を取ってもらうかの勝負が始まっている。景品競争をする新聞がどうなろうと知ったことではないが、少しだけ成り代わって考えてみる。

 まず新聞を読まない奴に媚びることをやめるのがいい。多くの人々が惰性で新聞を取っていた時代にはとにかく購読者数を多くすることにより広告収入を狙うという戦略が成立した。しかし惰性で月に数千円のカネを払えるような時代はもう終わりかけている。フトコロが寂しい奴から新聞を購読しなくなるというわけだ。

 では新聞はどうしたらいいのか。むかし読んだ推理小説に登場する悪人は「人が知識を身につけるようとするのは他人の無知をうまく利用するためだ」とうそぶいていた。いまや単なる「事実」はほとんど「ただ」で手に入る時代だ。「ただ」だから溢れかえっている。それはプラント異常時のスコールのような警報に似ている。「他人の無知につけ込む」ためには「氾濫する警報」をどのように読み取るかがキーとなる。新聞の生きて行く道はここにかかっている。

 発行部数を競って、そこから収益を上げようと、ミーちゃん・ハーちゃんの素朴な正義感や愛国心などをくすぐって購読者を稼ごうとしても、数千円の購読料金がもったいないと思うような連中は新聞をやめようとしているのだから無意味だ。サンケイ新聞の破綻はここから訪れるだろうし、読売新聞も限りなくそれに近いところにいる。愚かな朝日新聞は「反日チェッカー」というバカどもに媚びようとして自らがもっていた優位性を捨てつつある。

 衆愚に媚びても収益は上げられない。衆愚を切り捨てることだ。衆愚の無知につけ込んで利用するためにはどう着眼するかのヒントを与えるような記事を掲載することが、これが競争に勝つための(あえて唯一のとは書かないが)ひとつの道だ。日経がプレミアム価格で戦えるのは金儲けの基礎データが載っていると信じられているからだ。(もっとも日経の相場解説などは噴飯もの。苦笑するためには多いに役に立つ。王様が裸だという声が大きくならないうちはあんなクズにも「そうか、これが美人コンテスト市場における『世論』か」というくらいの意味はあるかもしれないが)

 望みたいことは「ニュースをまずファクトだけを伝える」こと。そしてニュースを取り巻く背景と基礎情報をしっかり提供、分析した記事を提供すること。愚にもつかない説明記事は一切要らない。主観を伝えるときは社外のさまざまの人間が語る主観を掲載すること。たとえば、オピニオン欄に、きのう、きょうと続いた「耕論:スフィンクスが動いた」のように。社説は要らない。最近の朝日の社説には反吐が出る。(サンケイやウケウリの真似をしてどうするのだ)(2/16/2011)

 予報では11日からの三連休よりはずっと控えめだったのに、昨夜の雪の方がよほどすごかった。

 飲み会のスタート直前に**くんから「豊田はすごい雪です。都合でクルマで来たんですが、とても行けません。すみません、欠席します」との電話。ちょっと遅れて着いた**さんが「雪です」と報告。飲み放題のタイムアップがきたところで、次回日程も決めずに散会。影響が出ないうちに帰宅した。

 けさ、起きると、既に上がっているものの、周辺の道路はベチャベチャ。ウォーキングは取りやめにして、「コロンボ」を観ながらステップボード。

 ***くんに頼まれたプログラム作成にはかえって好都合。(2/15/2011)

 これから有楽町でいつもの飲み会。バレンタインデーにしたのは**くんが上海から一時帰国するのにあわせたのだが、何かあったらしく出席できず。

疾く起きてバレンタインの花市に  橙青

 橙青は大久保武雄の俳号。海上保安庁の初代長官にして、朝鮮戦争時、半島周辺海域掃海作業の最高責任者の由。さしたる句と思えぬは素人の故か。(2/14/2011)

 **(家内)におつきあいして、保谷の「こもれびホール」で千住真理子のヴァイオリン・リサイタル。ピアノは丸山滋。

 「G線上のアリア」で始まり、ヴィターリの「シャコンヌ」、フランクの「ヴァイオリン・ソナタ」と続き、ここで休憩。第2部は親しみのある小品を7曲(「愛の挨拶」、「愛の夢」、ショパンの「ノクターン第2番」、ラフマニノフの「パガニーニの主題によるラプソディ第18変奏」、「歌の翼」、「エストレリータ」、モンティの「チャルダッシュ」)並べ、アンコールは手堅く「瞑想曲」と「トロイメライ」。

 あいまに彼女による曲の紹介とヴァイオリンの話が挟まる。さらっとした内容で、音楽を聴く楽しみを呼び起こすもの。このていどの話すら何か自慢しているもののように言う人がネットにはゴロゴロいるらしいが、そういう人は最初からナマを聴きに来ない方がいい。

 彼女のヴァイオリンはストラディヴァリウス。愛唱「デュランティ」。帰って調べたら、「ストラディヴァリが製作し、ローマ教皇クレメンス14世に献上。その後フランスのデュランティ家に約200年間所蔵されスイスの富豪の手に渡ったもの」とか。「2002年にその富豪が演奏家のみを対象に売りに出した為、千住家が数億円で購入した」とある。

 「9年ほどつきあっています。じゃじゃ馬で、なかなか思ったように鳴りませんでした・・・乾燥しているときがいいので、きょうはご機嫌よく鳴ってくれると思います」と言っていたが、300年、弾かれることがなかったと知れば、うなずける話。リサイタル1回で1キロは体重が減ると言っていたが、そういう演奏であり、そういうパートナーらしい。なかなか大変な伴侶のようだ。

 ほんの10メートル足らずのところで鳴るストラディヴァリウス。半分くらいは曲ではなく、音色そのものを聴いていたような気がする。そしてピアノがベーゼンドルファーだったら(ごく当然のようにスタインウェイだった)どんな感じになったろうと勝手なことを考えていた。(2/13/2011)

 午後からまた雨ないしはみぞれという予報。9時少し過ぎにウォーキングに出たが、押出し橋を過ぎたあたりで小雪がチラチラと舞い始め、遊歩道を歩くうちに雪になった。寒い。ありがたいことに足元は乾いている。速歩に支障はなかった。逆にもたもた歩く人があまり出ていないので歩きやすかった。

 おとといから古井戸さんのブログでコメントを取り交わしていて、ひょっとしてと思ったこと。以下、書き込んだコメントの一部。

 蛇足。

 今回の騒動で、ちょっと不思議なのは、三段目の力士が、関取衆の八百長に関与していること。「談合」の調整は、ふつう、あるていどの「権威」が必要なのではないか・・・とすると、彼はトカゲの尻尾なのではないか。もし、トカゲの頭が協会内にはいなくて、頭は外部。つまり、問題は八百長なのではなく、相撲賭博のようなものが絡んでいるのではないか。
 根拠のない邪推ですが、騒動の発端は野球賭博関係で押収した携帯にあったメールについて警視庁が「通報」したのは、相撲賭博についていろいろ捜査をしたが警視庁としては手詰まりになり「瓢箪から駒」・「なにか出たら儲けもの」と考え、最後の策として文科相に垂れ込んだ・・・とか。そこまでゆけば、これはもう「伝統」の枠には入りませんが。

 それとも、これから相撲協会が「外部有識者」を招くとき、「警察関係者も入れろよ」という「謎かけ」だったりして。もちろん「根拠のない邪推」です。

 調べてみると「特別調査委員会」のメンバーには協会監事として元警視総監の吉野準が名を連ねていた。根拠のない邪推はやはり邪推だった。しかし協会監事としての吉野は何をしていたのかしらね。結局「馴れ合い」だったとすれば、これも一種の八百長と言えなくもない。(2/12/2011)

 雪、というよりはみぞれ。ずいぶん久しぶりにウォーキングはとりやめにした。記録を見ると12月12日から14日までの3日間雨で「内勤」にして以来。「内勤」はステップボードを使う。これで1万歩相当をやるのには約1時間半強かかる。ステップ昇降は単純作業で退屈するから録り溜めた「コロンボ警部」を観ながら行う。ちょうど一話分の時間でまことに好都合。

 ことしは花粉が例年の倍ないしは三倍になるとか。来月くらいになれば天気のいい日こそウォーキングを見合わせなくてはならなくなるかもしれない。録り溜めたコロンボのストックがなくなったら、どうしようか。そうだ、寅さんシリーズがある。こちらの方は前作すべてそろっているから、花粉の季節を1シーズンくらいはのりきれる。(2/11/2011)

 宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍「友の会」会員に対するデモンストレーション中の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され9名が亡くなった事故から10年になる由。まことに「去る者は日々に疎し」。

 夕刊に「グリーンビル」のワドル艦長を軍法会議にかけるかどうかを決める査問会議に出席した当時海上自衛隊幹部だった人物の話が載っている。貴重な証言だ。

 原潜の元艦長を軍法会議にかけるかどうか決める米海軍の査問会議に、日本人として唯一加わった元海上自衛隊幹部の小澤勇さん(60)が取材に応じ、当時の心境などを初めて公に語った。
 査問会議は事故から約1カ月後にハワイで開かれ、舞鶴地方総監部の幕僚長だった小澤さんは、評決権がないアドバイザーとして日本政府から派遣された。元艦長の責任を問えなければ日本に帰れないという重圧を感じたという。
 潜水艦乗務の経験が豊富な小澤さんが注目したのは、元艦長の潜望鏡操作だった。記録上、潜望鏡は衝突前に海面から60センチしか上がっておらず、最長で80秒しか見ていなかった。
 「えひめ丸との距離などから計算すると、安全確認は不十分だった」。3人の査問委員に毎晩、潜水艦乗りの常識を説明した。説明を始めて1週間後、委員の一人が「He is guilty」(彼は有罪だ)と言い、ほかの委員も同調した。
 ところが、査問委員をサポートする法律顧問は「陪審制の軍法会議では無罪になる可能性が高い」との見解を示したという。結局、軍法会議は見送られ、行政的な処分の「アドミラルズ・マスト」が選ばれた。
 査問会議の最終報告で会った太平洋艦隊司令官には「発表ではguilty(有罪)という言葉を入れてほしい。日本人にとっては大事なことだから」と訴えた。司令官の声明にguiltyの文言が盛り込まれ、元艦長は譴責と減給の処分を受けて除隊した。
 「査問会議のことをいつか遺族に直接伝えたい」。3年前に海自を退職した小澤さんは、それが自らに残された任務と考えているという。(小池竜太、其山史晃)

 歴史に「もしも」はないと言われるが、ここで思考実験。もし、「えひめ丸」を沈没させたのがアメリカ海軍の潜水艦ではなく中国海軍の潜水艦であったなら、どうだったろうという話。いや、これから十分に起きる可能性がありそうな話として。

 たとえば、「えひめ丸」事故の年、サンケイ新聞は「アメリカに謝罪を求めてはならない」、「過剰なアメリカ批判は両国の信頼関係・同盟関係を損なう」、「えひめ丸引き揚げの要求をするべきではない、そのまま海底のモニュメントとすべきだ」、「引き揚げてくれたアメリカに感謝するとともに、こうした常識を逸脱した要求をするような『甘え』はこれを最後にしたい」、「そもそもアメリカの庭とも言うべきハワイ沖で水産実習をすることが失礼でおかしい」、・・・、などという「社説」、「コラム」を10カ月近くにわたって書き連ねたそうだが、この「もしも中国の潜水艦が・・・」という事故が発生したらサンケイ新聞はどのように「ご主張」遊ばされるのだろうか。君子が豹変するごとく、下衆も蝟変するのか、呵々。(2/10/2011)

 朝刊の片隅に小さく、証拠改竄検事として勇名を馳せたあの前田恒彦の証拠隠滅に関する公判前整理手続きがきのう終了したというニュースが載っている。初公判は来月14日、17日に第2回を行い結審、判決は3月中の予定とか。

 閑話休題。

 ちょうど1年ほど前かなりの騒ぎになったトヨタ車の急加速トラブルについて、アメリカ運輸省が最終調査報告書を公表した由。夕刊の記事によれば、

  1. 電子制御システムに問題は見つからなかった。
  2. 急加速の原因はアクセルペダルとフロアマットの欠陥にあった。
  3. 2以外の原因は運転者がアクセルとブレーキを踏み間違えたことである可能性が大きい。

 3にはおまけがついている。「今後、さらに広範な観点から電子制御システムの信頼性と安全性の検証に着手する」として「ブレーキ優先装置」、「事故記録装置」などの義務づけの検討、アクセルとブレーキの踏み間違いを防ぐためペダルの形状・配置に関する設計のあり方を調査するというもの。

 夕刊の解説記事は、「トヨタは論争に終止符を打てることになった」、しかし、「ブランドイメージへの打撃は深刻」にも関わらず、「集中豪雨的」な報道によるトヨタバッシングだったにも関わらず、「CNNテレビなど主要メディアは(このニュースを)ごく短く報じただけ」となっている。

 たぶん、このニュースに対する多くの日本人の反応は、ホッと胸をなで下ろしながら、「やっぱりね」とか、「日本叩きのでっち上げだったのだから当然の結果」というものかもしれない。さっき見かけたちょっとアホっぽいブログには、この発表をしたラフード運輸長官の「娘にはトヨタ車の購入を勧めた」という言葉と1年ほど前の彼の「トヨタ車の運転はやめるべきだ」という発言と並べて嗤っているのを見かけたが、衆愚政治がはびこるような国の政治家や高級官僚はこういう発言をしたがるものなのだ。なぜなら、こういう単細胞動物のようなブログを書くような連中に「媚び」を売りたいからだ、呵々。

 格別にトヨタを悪し様に言いたいわけではない。初代のプリウスから乗り続けているプリウスユーザーのはしくれなのだから。一連の騒ぎのはじめころのある重役さんの「失言」などには、あのクセのある「カックンブレーキ」を知っているプリウスユーザーとしては多いに同情したくらいだ。

 しかし、忘れてはならないことは少なくともアクセルペダルとフロアマットのリコールは厳然とした事実であり、ヨーロッパ市場を含めて当初のユーザークレームを軽視したことが問題を大きくしてしまったことも事実だということ。そしてトヨタにはリコール隠しの体質が根深くあるということも。

 さらにちょっとでも品質の仕事に関わった者から見れば、この「最終報告」は「シロ」を意味しているわけではなく単に「クロ」とする事実は見つからなかったというだけのことに過ぎない。ソフトウェア制御の品質問題を甘く見ると(「必ず」ではないところが有り難いところだが)「ツケ」を払わされる場面に遭遇するものだ。

 夕刊は「CNNは短く報じただけ」と報じているが、そのCNNのサイトの「短い記事」には「急加速の圧倒的多数はドライバーがブレーキと間違えてアクセルペダルを踏んだことに起因する可能性があると指摘し、『急加速はトヨタ車に限った問題ではない』とも述べ、過去数年に報告された急加速問題の3分の2はトヨタ以外の車だったとした」という記述がある。朝日もアメリカのマスコミを批判するヒマがあったら、伝えるべきことをきちんと伝えるべきだ。アメリカ運輸省がアプローチを変えて「アクセルとブレーキの踏み間違い」の防止について取り組もうとしている事実こそ重要なのだから。(2/9/2011)

 きのう、東京都消費生活部取引指導課の**さんという人から電話。3日に「情報提供」としてFAXした読売新聞の不法勧誘は多摩支部新聞公正取引協議会のチャネルで処置する由。ついては協議会の担当者が内容確認のために訪問するが了承して欲しいという。了承の旨を伝えるとほどなく協議会から電話、きょう3時半という約束をした。

 郵便配達のバイクの音で書斎の窓から下を見ると大柄の男性がウロウロしている。郵便を取りに出た風を装って玄関を出て声をかける。義理堅い人らしく、きっかり3時半になるのを待っていたらしい。事務局長の**さん。

 話そのものは簡単だった。あらかじめ勧誘時の「読売新聞購読お申込契約書控」のコピー、土曜日に読売販売店と取り交わした「確認書」のコピーなどを準備しておき、手渡したから。日付、担当、内容などの事実は一目瞭然。備考欄にはしっかり「ASAの後、エビス1ケース」と書いてある。エビデンスとしては必要十分のはず。確認書には読売新聞東京本社の広報部担当が慇懃無礼な姿勢でなんとか口頭説明で逃れようとした「調査事実」と「不適切行為」が読売販売店の署名・捺印つきで明記されている。

 来週16日が今月の多摩支部としての「確認会議」だという。会議には協議会側メンバーと6新聞社(朝日、サンケイ、東京、日経、毎日、読売)の代表者と各紙販売店グループの代表者が出席し、事例について話し合う。その結果を東京都に報告して終わり。各社、イリーガルな実例について「再発防止に務める」とでも回答するのだろう。しかし、少なくとも読売に代表されるヤクザ新聞は面従腹背、「読者なんざぁ、タオルよりは洗剤、洗剤よりはビールに決まってるだろ、バーカ。こんなもん、やったもん勝ちなんだよ」とばかりにぺろり舌を出しているのに違いない。

 タテマエを語るのは紙面と公の場のみ。裏へ回れば、どんな汚い手も厭わない、それが車夫新聞の真骨頂かな。まあ、この世は「のし上がるまでは何でもする」、そういう奴がのさばるようにできているのだ。(2/8/2011)

 立春を過ぎても「春は名のみ」というのが決まり文句だが今日は暖かい。

 遊歩道、いつもの時間にもかかわらず、どういうわけか中学生やら、高校生が歩いている。期末試験には早いはずだが、入試だろうか。

 小金井街道にかかる上落馬橋を過ぎて落馬橋へ向かう左岸。髪の長い女の子の後を男の子が追いかけるように歩くのが見えた。近づくにしたがって、男の子の背中からは女の子を意識しながら歩いている「空気」が伝わってきた。ああいう時代があったなぁ・・・、と、距離を詰めてゆきながら思った。

 わずかに女の子の方が早く落馬橋のたもとに着き、クロスする車道の左右を確かめた。わずかに遅れたものの、声をかけるにはちょうどよい距離。ところが男の子はプイッと右に曲がって橋を渡った。まるで「声かけよう、声かけよう、きょうはもうやめた」、そんな感じだった。

 視野の右端には右岸を歩く彼が入っている。ほどなく女の子に追いつこうとするとき、彼女が振り向いたのが視野の左端に入った。どんな表情だったのかはわからない。ただ、追い越そうとしているのがヒゲ面のじいさんだったことに落胆した「空気」が伝わってきた。彼女は近づきつつある「彼」を意識していたらしい。

 「あいつ、バカだなぁ」と思いつつ、「あしたはいつまでもあるものじゃないんだぞ」、そう教えてやりたくなった。そういうことを何回くらい経験したら「分かる」だろう。「分かる」タイミングもまた問題なのだが。

 きょうのお伴は大塚博堂。男が失った恋人を歌うというシチュエーションが多いにもかかわらず、ファンはどちらかというと女性が多い。想像するに「あの人、いまもこういう思いでいてくれるかも」、彼女たちはそう思いながら聴いているのではないか。

 そうだよ、忘れかねる人の面影を胸にしながら、ね。「・・・坂の通り見下ろせる窓際の席、いつも空いてる向かいの椅子に・・・クツクツ煮えるサイフォンの音に、苦い想い出が揺れる揺れる・・・」。

 **(家内)から「坂の上の二階」という喫茶店が本当に神楽坂にあると聞いて、いろいろあるけれど、小さなことにこだわって断ったら、この歌詞が胸に突き刺さるようなことになるだろうなと、そう思ったのだった。まだあるのだろうか。**(家内)と行ってもいいのだが、やはり、独りで行ってみよう。

§

 やっと小沢事務所秘書三人の公判が始まった。よるのNHKニュースを見ても、夕刊を読んでも、分からないのはおととし始まり、去年、延期されたはずの「大久保裁判」の扱いがどうなったのかということ。きょう始まった裁判の裁判長は「大久保裁判」の裁判長だった登石郁朗だという。登石は「大久保裁判」において検察側の「訴因変更」という荒技を認めた人だから、ひょっとすると「大久保裁判」はこの裁判に継承されているのかもしれない。

 そう思ってニュースに注目。しかし検察側の冒頭陳述には西松建設の名前は出てこなかったらしい。なにより可笑しいことがある。

 検察側は冒頭陳述で、大久保元秘書が、中堅ゼネコン「水谷建設」(三重県桑名市)元社長に対し、「胆沢ダム」(岩手県奥州市)工事を下請けで受注させることを了承した謝礼として計1億円を要求し、2004年10月15日に石川議員、05年4月19日に大久保元秘書が5千万円ずつ受領したと主張。特に1回目の5千万円は土地購入の04年10月29日と近接するため、石川議員は「土地購入費として小沢議員から借りた4億円が、ダム工事に関する建設業者からの違法資金と詮索される恐れがある」と考え、4億円を収支報告書に記載しなかったと動機を説明した。

 これほど裏金の収受が明確ならば、収支報告書の虚偽記載などではなく「『本件』で立件・起訴しろよ」と思わぬ者はおるまい。「被告がスピード違反の上、赤信号を無視したのは、殺人現場から一刻も早く逃走したかったからであります」と「道交法違反」で起訴するよりも「殺人」で起訴する方が的確であると思うのは素人の浅はかさで、プロ中のプロである検察官は「殺人罪」には見向きもせずに「スピード違反」と「信号無視」の罪を重視するのだ・・・などと言って、誰が納得するか。バカも休み休みに言え。

 それとも東京地検はまたまた「訴因変更」をするつもりなのかな、呵々。(2/7/2011)

 相撲協会は春場所の中止を決めた。放駒理事長は会見で「問題が完全解決するまでは本場所の開催は見合わせる」と言っていたから、場合によっては夏場所の開催も危ぶまれる状況。

 いまの騒ぎからすれば当然の結果ということになるのだろう。たしかに取り組みの勝ち負けをカネで売り買いし、それを「ほんこ」(「うそんこ」の反対)と思って観ていたとしたら興ざめな話だ。だが、この騒ぎには曰く言い難い違和感がつきまとう。

 マスコミが先導(「扇動」の方がいいか)し朝青龍いびりをやったとき、どんな言葉が飛び交ったか。曰く「横綱としての品格」、曰く「ガッツポーズは言語道断」、曰く「勝てばよいというものではない」等々、そこで言われたのは「相撲は単なるスポーツ、格闘技ではない」ということだった。しかし、ここ数日、一連のニュースとそれにつけられるコメントはどこか「公明正大であるべきスポーツ」を前提にした語り口にしか聞こえない。そのくせ「国技」などという言葉を使うのだから嗤ってしまう。

 相撲は柔道、剣道あるいはボクシングなどとはやはり違う側面をもっている。神事の残滓を内包しているところが決定的に違うのだ。たとえば道具立て。「うずめもの」を中央に埋めている土俵(これについては去年3月7日の日記に書いた)がそうだ。まず陰陽五行の思想を体現した仕掛けがあり、行司、力士の所作の一つ一つには意味が込められていることも同じ。もっとも、その時も書いたように、相撲は限りなく神事から遠ざかった。だから、残滓と書いた。

 では相撲は何ものであるか。神事の残滓を尊重した所作事、その所作事の集成を見せる興行だと思う。ある意味では歌舞伎に似ている。歌舞伎役者の世界を梨園、相撲関係者の世界を角界、どこか他の業界とは隔絶したニュアンスの呼び名がつけられているのはそのせいだろう。古めかしい言い回しが残っているのも、そういう性格故のことと思える。「給金を直す」という言葉もそんな言葉のひとつだ。

 取り組みはかつては一門別総当たりだった。現在は部屋別総当たりになったが個人別総当たりはなかなか実現しない。相撲興行が苦しかった時代、一門の相互扶助は当然だったから一門別総当たりだったのだろう。個人別総当たりが実現しないのは部屋で「同じ釜の飯を食う」世界だからではないのか。これは何を意味しているか。相撲には外部の者には理解しにくい「情」がはたらく場面がどうしても出てくるということではないのか。「給金を直す」一番のことを「給金相撲」という。

 良いことか、悪いことか、どちらかしかない(911の後、あのサル大統領が言ったことだ)というのが最近の薄っぺらな風潮だが、給金相撲となれば情の入ることもあるというのが相撲の世界だとしたら、それを天地許すべからざる「八百長」であると決めつけて「極悪」のスタンプをポンと押すというのは風潮とはいえ興行を支える事情を無視した話ではないか。もちろん、携帯メールでシナリオを打合せ、何万やる・もらうというのは、「形骸化」ここに極まる話ではあるが。(三段目の力士が仲介のハブになっているのはいささか不自然な気がするが・・・)

 相撲のファンではないし、野球ほど長い間気を入れて観てきたわけではないが、本当に相撲を観てきた相撲好きなら「給金相撲の機微」は理解するし、またその一番も楽しめるのではないか。ちょうどプロレスファンのように。「八百長だなんて、騙された、裏切られた」というのは観る目がなかったというだけのことではないのか。そんな気がする。

 話は飛ぶが「初っ切り」。いろいろな「スポーツ」があるが、ルール違反・マナー違反の「勝負」を見せ、「悪の手口」をも見世物にしてしまうのは相撲くらいのものだ。

 相撲協会は「新公益法人」という鼻先のニンジンを目標として形を整えようとするだろうが、ツルンとしたスポーツ競技団体になるのか、伝統文化の枠組みの中で神事の残滓を尊重する興行団体になるのか、しっかり選択した方がいい。二兎を追う形では、また別の問題が噴出し、何も残せないままに消えてなくなることもあり得るのだから。(2/6/2011)

 昨夜のうちに「解除契約書」を作成してみた。「契約書」などというタイトルはやめて、単に「確認書」とし、「甲」だの「乙」だのという表現も避けた。要件さえ満たせば、素人らしい、たどたどしく素朴なものの方がいいように思う。

 この確認書は、平成22年7月16日付けにて、下記の二者の間で行った平成23年1月から3月までの読売新聞購読契約を、双方の合意の下に解除することを確認するために作成したものである。
  A.******-*-*  ****
  B.******-*-*  読売センター****(代表者:*****)
【解除に伴う取扱い】
 平成23年1月からこの確認書により契約解除が確認されるまでの購読料、および「読売新聞購読お申込契約書」(「原契約」と呼ぶ)の記載に基づいて平成22年7月16日夕刻に「B」から「A」に届けられた「エビス1ケース」の扱いは、次のようにする。

  [1] Aは1月分購読料をBに支払う
  [2] Bは2月1日より契約解除の日までの日割購読料を請求しない
  [3] BはAに対し「ビール」の返却を請求しない

【解除理由】
 上記の[2]および[3]は、2月2日4日に、読売新聞広報部から示された「原契約は下記の3点において適切ではなかった」とする見解を踏まえ、A・B両者が協議した結果、合意したものである。
  1. 3カ月の購読契約に対し「ビール1ケース」としたのは公正取引委員会告示(「通称:景品表示法」第3条に基づく「新聞業における景品提供の制限」)に違反している。
  2. 購読契約勧誘の際、「新聞セールス証」の提示など「新聞セールス・インフォメーションセンター」にて申し合わせた事項を守らなかったことが確認された。
  3. 勧誘を担当した者が原契約に従いAの名前を使ってAがそれまで購読していた新聞販売店に対し「平成23年1月以降の購読を断る」旨の連絡をしたことが確認された。
 A・Bは円満に契約の解除を合意したもので、本件の経緯を含め、合意した以外の新たな請求、責任の追及などは今後一切行わないことを約する。

 朝一で電話をしてから一件書類と「確認書」をプリントアウトして読売の販売店に出かけた。店長の**さんという人に、昨夜の**さんからのメールを渡し、「こういう連絡、来てます?」と尋ねる。「来てないです」。

 「話を整理する意味で、私の方で、こんな風にまとめてみたんです」と「確認書」を見せた。話の流れを承知している販売店にとって契約解除そのものについては異論がないはず。一気に「先月分の購読料はお支払いしなくちゃと思っているんです。で、今月に入ってからのぶんですけど、これはこういうお話になった以上、目をつむっていただきたいんですが」と持ちかける。ビール分が回収できれば文句はないのではないかとの見込み。「ええ、ええ、いいですよ」。

 「ビールの方は、本来、購読契約の付帯条件ですから、お返しするのが筋だと思います。そういう点では虫がいい話ですが、解除理由の方に書いたように、広報部の**さんから、このようにうかがっていますから・・・、よろしいですね」。経緯はあらかじめFAXで伝えてある。読んでいるかどうかは分からないが、来ていたことは知っているはず。

 ちょっと目を通すと、あっさり、「いいですよ」との答え。こんなことなら、③の「Aの名前を使って」という部分は、広報の**さんが言ったままの「Aの名前を騙って」としておくのだったと思った。

 「まあ、これは私の性格かもしれないんですが、あとで行き違いがあったのなんのということになるのは嫌なので、この確認書に署名して、お互いにもっておきたいと思うんです。いかがですか」。これも論議はなかった。「じゃ、こちらに私の名前・・・。ハンも要りますか?」、「アッ、お願いします」。

 これで、今回の「不適切な勧誘行為」の「調書」が取れた。読売本社から直接取ったものではないものの、被害者側の一方的で主観的なメモではない。加害者側の署名・捺印のある「調書」だ。東京都の消費者センターに「情報提供」として寄せた件の追加情報にはなるだろう。都がすぐに動くことはない。しかし役人に持ち駒を与えるのは無意味なことではない。

 先月の購読料の支払いをし、領収書を受け取ってから、「おたく、日経の取扱いもしてるんですね。日経ヴェリタスも扱ってらっしゃいますか」と持ち出した。「やってますよ」、「じゃ、お願いします」。たいしたコミッションにはならないだろうが、一度、とってみてもいいと思っていたことでもあるし、「後味」はよくしておくに越したことはない。お互い、同じ街に住んでいるのだから。

 ここ数日の間に二度ほど、毎日新聞の勧誘電話が入った。「購読キャンペーンを行ってまして・・・」。よほど「電話一本で購読契約が取れるわけがないでしょう、読売さんなんかは汗水垂らして、こんなあこぎなことをやってるよ」と教えてやりたくなった。いまの経営体力からすれば、毎日にはできないことだろう。しかし、そういう甘さが毎日の地盤沈下の一因になったのではないか。

 業界申し合わせを積極的に推進する一方で、裏ではその申し合わせを踏みにじって相手を蹴落とす。騙し討ちでもなんでも勝てばいい。卑怯千万な手法をとる一方で、アメリカべったりのプロパガンダに「愛国調」の色づけをして国民をミスリードする・・・。ああ腹が立つ。

 そうだ、顧客を失いかけた朝日と、電話勧誘に頼る毎日にも、「しっかりしろ、読売に寝首を掻かれるぞ」と書いて、一件書類とこの「調書」を送ってやろうかしら。(2/5/2011)

 5時半過ぎに目が覚めた。パソコンを立ち上げて、いささか早いダウと為替のチェック。ニューヨークは小動きで12,060ドル界隈。製造業指数などが強くても影響を維持できる時間が短いところが現在の実力か。ドル円は0時頃に82円台にのせてから81円40銭を手前まで下げ、その後81円60銭まで戻してきている。豪ドルはパリティ・オーバーを維持。82円45銭を底にして、昨夜、就寝時の82円80銭台へとジワジワと戻して来たところだ。水害だ、サイクロンだと騒いでも、資源国は底堅い動き。

 米国債の利回りは10年債も30年債もジリジリと上がっている。こんな短信が目についた。

見出し:米30年債利回りは10年4月以来の高水準へ
 米30年債利回りは、昨年4月以来の高水準となる4.667%まで水準を上げた。
 4時23分現在、米30年債利回りは4.658%(+0.039)、ドル円は81.62円、ユーロドルは1.3625ドル、ユーロ円は111.22円で推移。

 当然、国債価格は下落している。これを「景気底入れの期待」と解するか、「財政状況の悪化、ドルの減価への警戒」と見るか。きのうの田中宇の「拙速分析」にはこんな情報が紹介されていた。FRBによる量的緩和策(QE2)が予定の半分にとどまっているにも関わらず、「FRBが中国を抜いて世界最大の米国債保有勢力となった。米国債の保有総額は、1位がFRBで1兆1080億ドル、2位が中国で8960億ドル、3位が日本で8770億ドルとなっている」という。そんな中でアメリカ財務相の諮問機関は「50-100年ものの米国債を新規発行すべきだと提案した」由。もうひとつ。

 メキシコは従来、米国の経済植民地で、国内の多くの店で米ドルがそのまま通用した。だがメキシコ政府は昨年9月から米ドルの流通を規制し、今ではドルを使って買い物をすることはほとんどできず、ペソへの両替が必要になっている。メキシコ政府は、米当局の過剰発行によってドルの購買力が低下しており、ドル崩壊の前に国内のドル流通量を減らす必要があると考えた。メキシコでは両替所でのドルとペソとの両替にも、身分証明書の提示義務付けや最高両替額(300ドル)が設定され、ドルを市場から排除する政策が強化されている。メキシコは、米国に虐待され続けてきただけに、ドルが裸の王様になっていることを知っている。
http://shtf411.com/mexican-government-successfully-sheds-the-us-dollar-from-its-economy-t13103.html
Mexican Government successfully sheds the US Dollar from its economy

 にわかには信じ難く日本語で読めるところを探してみた。トラベルビジョンという会社のサイトに去年の11月17日の掲載情報として「メキシコ国内にて米ドル利用が困難に~ロスカボスの状況~」という記事を見つけた。ちょっと前、アリゾナ州の不法移民規制がニュースになったが、ひょっとすると、わざわざアメリカに行こうとするメキシコ人が減少することになるのかもしれない。少なくとも「出稼ぎ」の意味は薄れるのだから。

§

 さて、読売購読契約の件。

 きのうまでのやり取りでもゆけそうだが、念には念を入れ、再度、例の「お問合せ」フォームを使うことに。昨日同様、読売の販売店にも同一の内容をFAXする。

【広報の責任者と****さんへ回送ください】
これは1月17日の「お問い合せ」から数えて3通目のものです。
昨夜(2/3)、貴「広報部」の**さんから下記のメールをいただきました。確認させていただきます。
「弊社読者センターに送られたメールは確かに受け取りました。弊社の考えは、昨夜、電話で説明した通りです。」
これに対して、小生からは下記のごとく返信をしております。ご確認ください。
「落とし処を、ご検討ください。たぶん、販売店さんが迷惑だと思います。『押し紙』など、平生、いろいろご負担をかけているのでしょう。」

できましたら、落とし処について、読売新聞の方からご提案をいただきたいと存じます。
ダラダラすると販売店さんがお困りになるだけだと思いますので、本日中に何らかの返信をいただきたいと思います。
返信がない場合は、「もともと販売店への卸した一定部数の中の1部に購読料が入金されるかどうかだ。捨て置け」というご判断をされたのだなと解釈することに致します。
なお、この内容は、そのまま「読売センター:****」販売店さんへもFAXにて、お伝えするつもりです。
以下、送信FAXの書き出し部分です。

【読売センター:****さんへ】
昨日、夕方に小生より差し上げたFAX内容に対し、広報部の****さんから返信をいただきました。確認ステップを順に踏みたいと存じますので、本日中の回答の有無について確認がとれるまで、暫時、お待ちくださるようお願い致します。

 十中八九、回答は来ないだろうと思っていたら、夜になって、こんな文面のメールが来た。

 今回のご購読契約は、不適切な勧誘によるものであることに加え、**様から1月分の購読料金を支払っていただけていないという状況に鑑み、当該販売店には**様との契約を解除し、配達を中止するよう助言いたします。

 「ほう」と思う一方であわてた。販売店からの一方的解除では面白くはならない。自己満足に過ぎないが、双方合意の「解除契約」にしたい。「助言」という「指示」は今晩中には下りないだろう。

 役に立つかどうかはわからないと思いながら、「本件は、読売センター:****販売店さんにも、お伝えになっていらっしゃいますか? 仕掛り分の購読料についての扱いについては、どのような見解ですか? また、公取告示に違反して渡された『景品』についての取り扱いについては、どのような見解ですか? 少しは、まじめに考えてくださいな」。

 最後の一行は、あまり品のいい書き方ではないが、効果を発揮すれば儲けもの。(2/4/2011)

 毎日、一万歩を目標に歩いている。BMIは22を切り、おおむね21.5前後。体調はいいし、ご飯がおいしい。不思議に野菜が食べたくなり、肉よりは魚が食べたくなる。このあたりは、おそらく、健康フリークの方に重心が移っているせいで、体質が変わったわけではないと思う。それは悪くないのだが、この心地よさには自己陶酔的なところがある。一種のナルシシズムだ。外見の肉体は健康だが、目に見えぬ精神は必ずしも健康とはいいかねる。

 ずいぶん前に読んだプロクターの「健康帝国ナチス」の序章には、第二次大戦を闘ったチャーチル、ルーズベルト、スターリンは喫煙者だったが、ヨーロッパの3人のファシスト、ヒトラー、ムッソリーニ、フランコはそろって非喫煙者だったという指摘があって、「健康志向」(というよりは「健康嗜好」と書く方がいいかもしれないが)とナチズムには微妙な関連があると書いていた。当時の反喫煙運動家の言葉も紹介されていた。「我々には必要とあらば祖国のために死ぬ義務がある。となれば当然、健康でいる義務もあるということではないか」。右翼マインドの方たちなどは随喜の涙を流しそうだが、真っ当に考えれば、まさに「バカじゃないか」のひとことだ。(そういえば、いまは忘れられてしまった哲学者・戸坂潤は「世界のファシストたちは押しなべて道徳屋である」と書いていた。どこか通ずるものがある)

 昨日来の大相撲八百長メール騒ぎに関するニュースを見聞きするうちに、どうもいまのこの国は「健康フリーク」なのではないかと思い始めた。小沢問題も、この八百長騒ぎも、去年の大相撲野球賭博騒動のとき、小沢昭一が言っていた「清く、正しく、すべからくクリーン」でなければならぬという、薄っぺらな「健康嗜好」にとらわれて、おおもとの問題の「大小」、「軽重」を忘れた議論に走っている。

 小沢一郎は極悪政治家、八百長相撲は凶悪犯罪、これらを社会的に抹殺しなければ、日本国、相撲は滅びてしまうかのような言い方が肩で風を切るようにして天下の大通りを歩いている。

§

 それほど「清く、正しく、すべからくクリーン」でなければならぬという社説を掲げている大新聞が、自分の売り込みにあたっては、自ら制定に意見具申したルールを破っていても平然としている。「大犯罪」を犯したのが自分か、そうではないか、また、「大犯罪」が社会的に広く露見したか、否かによって、二枚舌をもって世の中を泳いでいるということだ。自分が「大犯罪」を犯しても、それが広く知れ渡っていなければ、頬被りをするということ。

 読売は、口頭では「違法行為」と「ルール違反」は認めたが、それを文書によって表わすことは頑として認めない。当然の話、「ご迷惑をかけた」とはいうものの、「謝罪」はしないし、どのように解決するかについても口をぬぐっている。

 こちらは直接の「供述調書」が要るわけではない。いくつかの目的が達せられれば、それでいいのだから、「実効」の上がる方向にゆくだけだ。ちょいと面倒だが、まず、「お問合せ」フォームにこのような書き込みをした上で、読売の販売店にも同一の内容をFAXしておいた。

【広報の****さんへ回送ください】
昨夜(2/2)、貴「読者センター」の**さんから引き継がれた件について、電話をいただいた者です。
重ねて、お願いします。昨夜の**さんの回答(まだ伝えきれていない回答があればそれも含めて)を文書にて当方にお送りください。
それが手元に届くまでは、「読売センター:****」販売店さんへの購読料の支払いはペンディングと致します。
昨夜の電話でのお話によれば、読売新聞として、勧誘に関する指導に瑕疵があって惹起した問題であるということはお認めになるということでしたから、契約は(不適切な勧誘を行った勧誘員の介在で)販売店さんと小生との間のもので、タテマエ上、読売新聞さんとしては直接関知しないとしても、契約の成立条件にはそれなりの責任があるはずです。(昨夜、「勧誘業務の依頼は販売店が行ったもので販売店の責任だ」というニュアンスのお話しがありましたが、消費者の立場からは読売新聞内の責任のキャッチボールは見苦しいという印象を受けました)
販売店さんをいじめる(言い過ぎだとしたら、「困らせる」)ことなく、新聞社としての責任を果たす形での解決をお願い致します。
なお、この内容は、そのまま「読売センター:****」販売店さんへもFAXにて、お伝えするつもりです。
以下、送信FAXの書き出し部分です。

【読売センター:****さんへ】
先日は集金のためご足労いただいたにもかかわらず、失礼致しました。
昨夜、やっと読売新聞の広報の方から、ご連絡がありました。回答の内容は、契約勧誘について3点ほど問題があったということをお認めになるものでしたが、口頭説明で終わらせたいとするのみで、あまり誠意を感じさせるものではありませんでした。(まるで「お役人」口調そのもの)
集金の方にはお話ししましたが、小生は外でしっかり汗を流している方に四の五のいう気は毛頭持っておりません。購読料の支払いは当然のことと考えておりますので、販売店さんからも解決に向けてのお口添えをお願い致します。

 つい先ほど、「弊社読者センターに送られたメールは確かに受け取りました。弊社の考えは、昨夜、電話で説明した通りです。読売新聞東京本社広報部 ** **」というメールが来た。広報などは雑務に振り回されるセクションのはず。繁忙にも関わらず、最低限のことはきちんとする。読者センターの**さんとは違う。ある意味、能吏タイプの人物らしい。

 また**くんのことを思い出しつつ、「落とし処を、ご検討ください。たぶん、販売店さんが迷惑だと思います。『押し紙』など、平生、いろいろご負担をかけているのでしょう」と返信しておいた。たぶんこれに対する応答はないだろう。「押し紙」などという言葉をあえて使ったのは布石のつもり。(2/3/2011)

 お昼前、大相撲の八百長についてのニュースが報ぜられた。野球賭博捜査のために押収した力士の携帯電話に八百長を仕組んでいると受け取られるメールが複数あることを警視庁が相撲協会を所管する文科省に連絡したというのだ。きょうはNHKのトップニュースまでが「八百長メール」になりマスコミは大張り切り。

 きのう、小沢強制起訴関係のニュースの中で、記録しておこうと思いつつ忘れたこと。

 指定弁護士は起訴後の会見で、有罪を得られる見込みについて「有罪を確信したから起訴するのではなく、起訴議決がされたので職務として起訴した」とする一方、「良心には恥じない」と話した。
朝日朝刊(第14版)1面記事から
 記者からは今後の立証方針に関する質問が相次いだが、大室弁護士は「起訴状以上のことは申し上げられない」と慎重な言い回しに終始した。ただ、「小沢氏を起訴することが、法曹の良心に恥じるとは思わない」と、有罪立証への手応えものぞかせた。
読売朝刊(第13版)35面記事から

 たぶん同じ大室俊三弁護士の記者会見での発言だと思うが、朝日・読売両紙のデスクの「編集」のコントラストが興味深い。記者クラブに所属する記者は司法官僚の「統制下」にあるといっていいらしい。

 読売の記事は司法官僚に迎合して「事実」を記者の主観的な言葉で飾り立てたのに対し、朝日の記事は「事実」のみを書くことに留めた。朝日は「読み取る能力がある人は読み取ってくれ」というシグナルを出しているのではないかとも受け取れる。

§

 事実を飾って書きたがる、その読売新聞から、ようやくレスポンスがあった。夜7時半ころの電話。

 「読者センターの**の方にお問合せいただいた件ですが、広報部の****が引き継ぎました。いま、お時間よろしいですか」と話を切り出した。どうやら**なる御仁はこちらの問合せにフリーズしたか、ショック死でもして、当事者能力を失ったらしい。

 「**さんに問合せをしたのはいつだったと思います?」、「長いことノーレスだから、確信犯だと思って、東京都の消費生活部にも情報提供しちゃったよ」、・・・、「きょう、夕方ね、月が変わっても音沙汰がないので、新聞セールス・インフォメーションセンターの**さんに問合せをしたんだよ、読売のどのセクションのなんという人物に渡したのかを。そしたらね、読者センターの**さんだっていうから、こりゃ、ダメだと思ってね、読売の責任者として登録されている人はどなたですかって訊いて、**さんという方だというから、電話したんですよ。きょうは休暇だということだったけど。その時、電話口に出たのが**さんで、まずいと思ってあなたに回したのかな」などと、本筋を外して、少しバカっぽく、いかにもの調子でまくしたてた。

 「そういうわけではありません」と答えるので、「なぜ二週間以上もかかったの?」などと問う。二、三のやり取りをするうちに、広報の**さんは「一応、私の方から最後までお話しさせていただけますか」と余裕綽々の話しぶりになった。「よくある人間類型だ」と少し安心したのかもしれない。「どうぞ」と言うと、彼は説明を始めた。

 要約すると、こんなところだ。

勧誘は販売店が勧誘業務を請け負う業者に依頼して行う。したがって、本来、読売本社は直接には関わらないが、問合せがあったので読売新聞としてお答えをする。
さりげなく逃げをうつところがなかなかうまい。
回答が遅くなってしまったのは、勧誘を行った**に直接事情を聴くのに時間がかかってしまったからだ。直接の雇用関係にないことも時間がかかった原因だ。
絶妙の釈明と言えるが、「事実を把握するのに時間がかかるから、しばらく時間が欲しい」という連絡をしなかったという不手際の釈明にはならない。
今回の勧誘には不適切なところがあった。ひとつめは景品(ビール1ケース)が公取告示に違反していること。ふたつめは**が身分を明かさなかったこと。みっつめは**がお客様の名前を騙って朝日の販売店に購読の中止連絡をしたこと。
広報担当さんはすんなりこれら三点を言ってくれたわけではない。それなりのやりとりがあってようやく出そろった。
可笑しかったのはこちらが「景品表示法違反」とか「公取告示違反」というと、その都度、「**協定違反」(**の部分はサンロクとかなんとか言っていたが、はっきりしない)と言い換えるところ。極力、法律違反というニュアンスが入らない言葉を使いたがる。途中からはいささか滑稽になって笑ってしまった。
「みっつめ」はこちらとしては知らない事実だった。いわば「犯人のみが知りうる秘密の暴露」ともいうべきもので、彼としてはここに「誠意」を汲み取って欲しいと思っていたのかもしれない。(・・・とすると、朝日の販売店はこちらからの問合せにウソで応えたことになる)
勧誘業務についてはいろいろな機会を設けて、このようなことのないように、教育・指導している。勧誘をした**本人には厳重に注意した。
よくある釈明パターンだ。基本的には(彼はこの言葉が大好きらしく、いろいろな場面で「基本的には」と「通常は」を連発した)問題なくやっているのだが、たまたま今回は問題のある人物が勧誘をしてしまったというストーリー。

 読売としてはきちんと教育・指導をしているのかもしれない。だとすると、現実にそれが崩れたときにどうしているか、それが問題だろうに、それに対する答えはなかった。

 途中から**くんのことを思い出していた。典型的な業務屋さん。挑発に対しては「そういう風に受け取られるのならば、どうぞ、そのように。しかし、それはお客様の受け取り方です」と相対化に逃げ込み、柳に風と受け流す。あとは「オレがルールブックだ」という姿勢でマニュアル通りの対応。無力なもの相手にまともに取り合うことはないという慇懃無礼が基本姿勢

 ちょっと意地悪に「読売新聞の監査制度はどうなっているの?」と尋ねてみた。「ありますよ、でも、それは社内のことです」という答えだった。まずまずの応答をしてきた**さんだったが、これに対する応答はマニュアル的にも零点、いや、マイナス百点だった。こういう質問は尋ね方に問題があるのだから、質問の真意を問い返すのが第一歩だ。読売の看板を上げて行う業務の外部委託先に対して「機会をとらえて法令順守の教育・指導を行っている」と言ったことを忘れていたのかな。

 電話での会話は小一時間になろうとしていた。・・・「じゃ、読売新聞として、問題があったと認めるところを文書にして送ってください」と切り出すと、「それはできません」。「なぜ?、さっきまであなたがお話になったことを書いてくれるだけでしょ」。「これまでどなたにもそういうものをお出ししたことはありません。ここまでの説明でご理解ください

 予想通りの答えだったが、必要とするステップだから押し問答を繰り返した。単純な押し問答では面白くないから、「そういう内規でもあるの?」とか、「そう言った言わないの水掛け論になると、私としても困るから」とか、バリエーションを入れた。電話を切ってから「私としても困る」というのはちょっとまずかったなと思ったが、彼はそこに格別の興味は示さなかった。そうそう、**さんは「私が申し上げたことをメモなさればいい」と言った。それはマニュアル的には余分な発言だよと、内心、嗤いながら「じゃ、今度は録音の準備をしてから電話しようか」と言いつつ、それも悪くはないなと思った、手間となによりカネがかかりそうなのが難点だが。

 「文書化しておく方がいいんじゃない、あなたが言ってもいない適当なことを言いふらすかもしれないよ。文書にしておけば、そんなことは認めていないとはっきりするじゃないですか」というと、マニュアル通りに「きょうの説明でご理解ください」と繰り返した。決めぜりふで終わったのだから、彼は「勝った」と思っただろう。こちらは「これで保険がかかった」と思っていたのだが。

 一通りは終わり、そろそろクロージングだなと思って、「ところで、読売は読書欄がプアだね」と言うと、「読者欄ですか?」。この聞き違い、やはり「読者からのクレーム」ということが彼の念頭から消えていなかったからに違いない。

 「新聞は速報性ではどうにもならない。朝日の『GLOBE』って、知ってる?」、「はい」、「あれみたいにニュースの周辺のようなものを分厚く取り上げるのなんか、これからのかたちじゃないか?」、「テレビも最近は地上波なんてニュースくらいしか見ないんだよ、BSハイビジョンなら見る。ミーちゃんハーちゃんは、これから新聞なんか取らなくなるよ。新聞を取ってくれる人に応えるには文化欄の充実だね」などと言ったら、案外、力を入れて、「私もそう思います」。いったいどの部分を「そう思う」のか尋ねたいところだったが、「じゃ、がんばってください」などとまったく無意味なことを言って電話を切った。だいたい記録しておくのはこんなところだったか。

 さて、あしたは木曜だ。どんな応答になるかはわからないが、販売店へのインプットはしておかなくてはならない。(2/2/2011)

 朝日の朝刊一面も、読売の朝刊一面も、小沢一郎の強制起訴がトップになっている。社説もこれを取り上げている。読売などは通常2テーマについて書く社説を小沢起訴一本に絞っている。ボリュームだけはあるのだが、読んでみるとその中身の軽さに「なんじゃ、これで社説か」と落胆させられる。中見出しを書き抜くだけで用は足りる。「道義的な責任は重い」、「証人喚問が欠かせない」、「法廷で真実を語れ」。裁判と証人喚問がそれぞれに必要だとしたら、どのように目的と内容が違うのか、もし、違わないとすれば、なぜ裁判と証人喚問が必要なのか、そのあたりはどこにも書いていない。いったい読売新聞の社説子の頭の構造はどうなっているのか。

 一方の朝日の社説はいかにも朝日流のあれもありこれもありのお話しを並べ立てているだけで、何がおっしゃりたいのか、よく分からない。朝日はよく入試問題に使われることを自慢しているが、かつて小林秀雄の評論が入試問題に取り上げられたことと、朝日が使われる事情はよく似ている。つまり、何が書いてあるか読み取るのに苦労するからだ、呵々。

 我がマスコミは「オ・ザ・ワ」と聞いただけでアドレナリンが過剰に分泌して、「何が何でも叩かなきゃならん」というモードになってしまうようだ。もし愚かなマスコミさんに成り代わって問題点を整理すれば、こんなことになるのではないか。

 もともと東京地検の特捜部が取り上げたのは「西松建設からの政治献金問題」だった。これに「水谷建設からのヤミ献金疑惑」がくっついていたが、特捜部は「水谷建設ヤミ献金」は立件できず、「西松建設政治献金」のみで小沢の秘書大久保隆規を逮捕・起訴した。この裁判で検察は立証に行き詰まり、出口を求める形で「政治資金収支報告書への虚偽記載(実態的には記載漏れ)」に飛びつき、小沢の秘書だった石川知裕と秘書の池田光智を逮捕・起訴した。

 伝えられる今回の強制起訴の起訴状によれば、起訴理由は「収支報告書の虚偽記載」のみ。「虚偽」だという内容は世田谷区内の土地取得の記載時期がずれていることと、土地購入にあてた4億円の小沢個人からの資金借入と返済を収支報告書に記載していないことの二点に集約される。

 世間一般のニュースを聞き流すだけで自分の頭で組み立てることができない(頭が悪いからかもしれないし、その時間がないからかもしれない。しかしサラリーマン勤めをしていたころのオレは典型的な後者の人間だった。それほど食うための仕事というのは大変なのだ)人々はマスコミが「政治とカネ」と連呼するものだから、小沢がヤミ献金を4億円受取り、その金で土地購入をしようとし、それを隠そうとウソを書いたのだのだろう。今回の起訴はそれを明らかにするものだと思っている。マスコミの表層で泳ぎ回っている連中もたぶんそのていどの認識なのだろう。

 しかし、この裁判では4億円というカネが怪しいかどうかは取り上げられない。そもそも大久保・石川・池田の裁判でも起訴対象にもなっていない。

 もし小沢のカネが怪しいというのなら、それこそ「証人喚問」で取り上げるべき問題なのだ。ところが読売の社説をはじめとして、このあたりの二つの異なる問題をきちんと腑分けをして書いている社説は見当たらない。バカな国のバカな論説。絶句する他はない。

 ところで・・・、いまだに景品表示法に基づく公正取引委員会の告示違反となる違法な勧誘行為を指摘されながら、ダンマリを決め込んで逃げようとしている読売新聞、その読売が他人様の行為をよくも「違法だ」、「道義責任があるぞ」、「証人喚問だ」、「真実を語れ」などと書けるものだと大嗤い。(2/1/2011)

 **(家内)と国立博物館で開催中の「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」展に行く。本来、月曜日は休館。asParaクラブ会員限定の特別展覧。

 朝一番の入場受付。10時からだから9時前に出れば十分なのだが、音声ガイドも無料になるとかで、**(家内)、「早めに行かないと借りるのに時間がかかる」と主張、8時半に家を出た。9時40分に到着。既に40人ほどが並んでいた。10分ほどで入場。音声ガイドもすんなり借りられた。(返却の時のアナウンスでは50分待ちとか、**(家内)は鼻の穴を大きくして「ネッ、言った通りでしょ」)

 平山郁夫の画業のうち、中国からシルクロードを経てインド、アフガニスタンに至る仏教遺跡の作品とこれに関係する国立博物館、大阪市立美術館の収蔵品など。こういう視点で石仏、レリーフ、工芸品などを見るのもなかなか面白い。

 平山の絵はどこか東郷青児などに似て「きれいで心地よいというだけ」のような気もしないではないが、文化財保護に対する功績を考えるならばその「政治性」もまた貴重だったのかもしれない。少なくともカネを集めて散ずる、その思想と行動を批判するのはたやすいが、その成果と功績は否定しがたい。それは彼の壁画を収めた薬師寺の管長・高田好胤に通ずるものがある。

 2時間ほど見てから韻松亭で昼食。12時ちょっと前だったからか予約なしでもすぐに通された。池之端を見下ろす座机風のテーブル。いつものごとく満足のお膳。新橋のカタログハウスをまわって帰宅。(1/31/2011)

 きのう、夜、読売新聞の販売店が今月の購読料の集金に来た。3カ月の購読契約をして、きちんと配達してもらっているのだから、購読料の支払いにやぶさかでない。しかし読者センターに電話を入れ指定の形でインターネットから入力をし、さらに新聞セールス・インフォメーションセンターを通じて不正行為に対する見解を求めているのに、いまだに「申し出では受領した」とも、「回答に向けて検討中」とも言ってこない。

 集金に来た販売店の担当の方には気の毒な話だが、新聞セールス・インフォメーションセンターに送ったFAXの写しを渡して経緯を説明して、「回答が来ないうちは、購読料の支払いはできない」と言った。押し問答くらいはあるかと思ったが、あっさり「わかりました」と言って引き上げていった。印象としては、なんだか「覚悟の上の集金作業」だったような気がする。

 勧誘員の**くんに言った「外でしっかり汗を流している人に四の五の言う気はない」というのはウソでもいいわけでもない。彼らの汗に報いる条件をクリアするのは企業としてはごく当然のことだろう。読売新聞というのは偉そうにしているが、ごく当然のことができない新聞社らしい。

 いったい組織のどのレベルで「不当景品類及び不当表示防止法」第3条に基づく「新聞業における景品類の提供に関する事項の制限」に違反した営業活動であっても他紙の購読者を欺いて自紙に切り換えさせることを「是」としたのかはわからないが、読売新聞社の看板で「違法行為」をしたことは歴然たる事実だ。その事実に対してどのように対処するのか、きちんとした意思表示ができなければおかしい。「軽微な違反」というのなら「軽微な違反と考えている」と回答するのもいいだろう、「自社のコンプライアンスに違反する行為だった」というのならそれを認めることだ。どういう認識かを示した後に、今後どのようにするのかを回答すればいい。

 まさか「新聞業界では、他の新聞社もやっていることだから、違法行為であっても何ら恥じることもないし、改善する気もない。違法行為のどこが悪いんだ」というわけではあるまい。もしも、そういう答えであるならば、読売新聞は今後犯罪報道をする際には「このていどの法律違反は咎めるほどのことではない」とか、「このくらいの重大な法律違反は弊紙のように自らに対しては時に違法行為を容認することをポリシーとしている新聞社としても断じて認められない」とか、車夫新聞なら車夫新聞なりのクレジットをつけるべきだろう。

 読売新聞よ、いったいどう考えているのだ。(1/30/2011)

 ニューヨークダウが急落。前日比で166ドル13セント。今週あけに今年になって最大の108ドル52セント上げた分におつりをつけた下げ。日経の「NY特急便」のけさの記事。

 チュニジアを発端に、イエメンやヨルダンなどアラブ世界に野火のように広がりつつあるデモ。市場が恐れるのはリビアやアルジェリアといった石油輸出国機構(OPEC)加盟国への混乱の波及だ。さらにもう1つ。エジプトの運営するスエズ運河の封鎖だ。同運河は中東産油国から欧州へ石油を運ぶ大動脈で、仮に航行が止まれば先進国経済も打撃を避けられない。
 市場が閉まる週末の間に情勢がどう動くか読み切れない投資家は、とりあえず安全資産に逃げ込んだ。米国債や金先物が買われ、外国為替市場ではドルと円が上昇。株式市場の不安心理を映すため「恐怖指数」と呼ばれる変動性指数(VIX)は前日から24%急伸し、2カ月ぶりの高水準を付けた。

 VIXはきのうの朝時点では16.15だったが20.04。今週は一貫して下げ、どこかから「安心し過ぎ」という声が出そうだと思っていたが、一気にクォーターアップというのがいかにも「恐怖指数」らしいところと言えば言える。この「オーバーシュート」という歪みに適格に対応できれば絶対に儲かるのだが、その恐怖感にちょっとポジティブフィードバックをかけたのが自分の心臓と知れば是非もない。

 ムバラクの政権維持はどうも難しくなりつつあるという。エジプトがアメリカ・イスラエルに対して融和的な政権から、どのていど遠いところに着地するのかあるていどの見通しがつくまでは単純にこの要因だけで株価・為替のシナリオが「作られる」だろう。その間はまだ安心なのかもしれない。しかしエジプトの政情の「可制御」性に疑問が持たれれば・・・。ちょっと恐い。どのみち4月の旅行までにはオーストラリアドルの買い玉は決済するつもりだった。思案のしどころだ。

 こうしたリスクの顕在化があれば、ふつう上がるはずの金価格が今年に入ってから延びていない。見ているのはロンドン市場の売買価格の終値で先物市場価格ではないのだが、今日配信された田中宇の「拙速分析」にこんな話があった。

 米国の小さなヘッジファンド(SHK Asset Management)が、金先物相場の10%以上もの割合を占める巨額な先物投資をして、数年間にわたって相場を動かしてきたことが判明した。同ファンドは損失を出して1月24日に市場から撤退し、金先物市場の規模が急に収縮したので、ここ数日金相場が下落していた。

 検索をかけてみると、ブルンバーグのサイトにはこんな記事。

 1月28日(ブルームバーグ):米国の小規模なヘッジファンドによる金先物8億5000万ドル(約700億円)相当の大口取引が失敗し、市場を混乱させていると、米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が報じた。同紙によれば、運用資産1000万ドルのSHKアセット・マネジメントを率いるダニエル・シャク氏のこの取引は、米先物市場の10%超に相当し、南アフリカ全体の年間金生産に匹敵する。
 金相場は下落し始めており、シャク氏は24日に持ち高を清算し、顧客に資金を返還しているところだという。同氏はWSJに対し、金清算のドル建ての金額は「非常に小さい。多くの枚数があるだけだ」と述べた。同紙は、CMEグループのCOMEX部門では金先物枚数が8万1000枚余り減り約50万枚となり、単発での減少としては最大を記録したと伝えた。一般的に1営業日で動くのは約3000-4000枚だという。
(更新日時: 2011/01/28 17:49 JST)

 エジプト危機にもかかわらず、27日(日本時間のきのう朝)のニューヨーク金先物は1,335ドルあたりで始まって1,320ドルあたりまで急反落したのが不思議だったが、これだったのかもしれない。けさ(ニューヨーク28日のクローズ)は1,311ドルから1,348ドルの振れ幅の中で、21.90ドル高の1,341ドル70セントで終わった。まことに「多体問題」は難しい。(1/29/2011)

 スタンダード&プアーズが日本国債の格付けを一段階引き下げた(AA→AA-)というニュースで持ちきり。朝刊には主要国に対するS&Pの格付けが載っている。朝日と読売の一覧表のORをとったものを下記しておく。(朝日にのみ載っていたり、読売にのみ載っていたりするので)

順位 格付け記号 国  名
AAA アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・カナダ
AA+ ベルギー・ニュージーランド
AA スペイン・カタール・スロベニア
AA- 日本・中国・クウェート・サウジアラビア・台湾
A+ イタリア・チリ
アイルランド・韓国
A- ポルトガル
BBB+ 南アフリカ
BBB ロシア
10 BBB- ハンガリー
11 BB+ ギリシャ

 日本国債の格付け引き下げはある意味で当然と思う。だからこのニュースには驚かない。逆にリストを一覧して「なんだ、あまり信頼のおけるものではないな」と苦笑いさせられる。

 ここ半世紀の為替トレンドを見れば、ドルとポンドの長期低落傾向は誰にでも見てとれる。ポンドがローカル通貨に成り果てたことはよほど経済を知らぬ者にも常識となっていようし、ドルは既に実態的裏付けをはるかに超えて「増刷」されているのもかなりの人々の常識になりつつある。

 フランスとカナダについてはわからないが、現在、相対的にトリプルAに値するのはドイツ国債くらいのものだろう。イギリスは過去に何度もいまの日本並みの債務超過になったことのある常習犯だし、アメリカ国債については数年前から格付けを見直すべきだという声が出ている。

 きょうのロイターにはこんな記事も掲載されている。

[ニューヨーク 27日 ロイター]大手格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスは27日、米国の格付け見通しを今後2年以内にネガティブにする可能性が高まっているとの見解を示した。ムーディーズは昨年12月、ブッシュ減税が延長された場合、2年以内に米国の格付け見通しが「ネガティブ」になる可能性が高まるとの見方を示していた。27日のリポートでは、米国の格付けに対するリスクについてより詳しく説明し、米国のねじれ議会に懸念を表明。財政赤字削減に向けた合意の見込みが低くなる恐れがあるとの見方を示した。
 昨年11月の米中間選挙では、共和党が下院の過半数を獲得したものの、上院では民主党が過半数を守った。ムーディーズは、財政赤字削減に向けてオバマ大統領が設置した財政責任・改革委員会の提言が議会で可決されない可能性にも懸念を示した。リポートは「政府の財政状況の最近の傾向や今後の見通しを踏まえると、(米国の格付けへの)リスクは依然小さいながらも高まりつつあり、その傾向が今後数年間続く可能性が高い」と指摘。「現時点で格付け措置は検討していないが、将来的に措置をとる可能性のある時期は近くなっているようだ。今後2年間に見通しをネガティブにする可能性は高まっている」とした。
 ムーディーズのアナリスト、スティーブン・ヘス氏はロイターのインタビューに応じ、リポートの目的は米国の信用力についてより詳しい見解を示すことであり、格付けに影響を及ぼす動きを受けたものではないと強調。米国の格付けに影響を及ぼす次の材料は来月の予算教書になると述べた。
 27日の米債券市場はムーディーズのリポートには反応薄で、指標の10年債は発表前の6/32高からほぼ動かなかった。利回りは3.39%。ムーディーズはリポートで、米長期金利は今後3年間に5%に向けて上昇するものの、平均ではそれを下回ると予想。ヘス氏は、金利が5%を下回る水準にとどまれば、ムーディーズは米国の債務償還能力に引き続き満足できると述べた。リポートは27日の取引終盤に発表されたことから、市場関係者の間では、28日の債券相場が圧迫される可能性があるとの指摘も出ている。ランドコルト・トレーディングのマネジングディレクター、トッド・ショーエンバーガー氏は「ムーディーズやその他の格付け会社からこのような厳しいリポートが出てくれば、米国債にネガティブな印象が残るのは明らかだ」とし、「明日、利回りが上昇する可能性がある」との見方を示した。

 あっちこっちと論旨が揺れているので軽い船酔いを起こしそうだが、要は「遺憾ながら米国債の格下げを遅くとも2年以内にやらざるを得ないだろう」ということだ。

 それを回避する真っ当な方策はひとつしかない。それは増税(少なくともブッシュ減税の撤廃くらいは)なのだが、クレージーな共和党が下院を握っている間は再選にこだわるオバマは共和党の宿痾とも言うべき「ブードゥーエコノミクス」の呪縛と心中することになるからだ。

 では真っ当ではない方策としてはどんなものがあるか。それはドルの更なる「増刷」だ。米国債の償還はドルでなされるわけだからドル紙幣を印刷すればそれで済むわけだ。当然ドルの価値は下がる。日本国債の償還のために円を「増刷」して円の価値が下がっても、いまのところは日本国内の経済が混乱するていどで済むが、ドルとなるとそうはゆかない。曲がりなりにも基軸通貨としてアメリカが関与しない国々間の決済にも使われているから世界経済は破綻するだろう。先日、胡錦濤の「ドルを基軸通貨とする国際通貨体制は過去の遺物になりつつある」という発言が報ぜられたとき、これを成り上がり中国の暴言と受取ったおバカさんがたんといたようだが、彼は目の前の「いまそこにある危機」をスマートに指摘しただけのことだ。

 S&Pにしろ、ムーディーズにしろ、フィッチにしろ、アメリカないしはイギリスの会社なのだから、イギリスやアメリカの国債に対する格付けは眉唾と思った方がいい。彼らの他国の国債格付けはフェアか。そんなことはない。アングロサクソンがビジネス収益を上げるためのバイアスがたっぷりかけられている代物だと考える方が賢明だろう。フェアプレイの精神はもはやアングロサクソンにはない。たとえばサブプライム証券の混ぜられたジャンク債をどう格付けしていたか。「投資適格」と格付けしていたではないか。けっして「ミス」ではない。それが彼らの「騙しのビジネス」だったからだ。

 日本国債を買っているのは9割以上が日本国内の金融機関だ。彼らの格付けを参考にする投資機関や投資家はあまりないはずだ。ではその日本国債の格下げは何を意図したものか。おそらく相当量の日本国債を引き受けている日本の大手銀行や保険会社の格付けに影響を与えることを狙ったものだ。つまり「将を射んとせば、まず馬を射よ」という効果を狙っているのだ。それが「AA-の日本国債をそんなにもっているようではあなたの銀行(または保険会社)の格付けを下げなければならなくなります。日本国債の購入量を減らし代わりにAAAの米国債の購入に振り向ければ、格付けは維持されますけれどもね」という「謎掛け」だとすれば納得がゆくというものだ。

 しかしその米国債こそサブプライム債のようなものだ。ドルも米国債も実力以上の「幻想」に支えられている。ドルも米国債も「裸の王様」なのだ。誰にもそれは見えている。しかし恐くて言えない。ある日、子どもが「王様は何も着ていないよ、王様は裸だよ」と叫んだ途端、一気に「そうだ、そうだ、王様は裸だ」という声が吹き出すのだ。

 素朴なつぶやきが発せられる前に、本当は、この国は保有する米国債を一気に売却した方がいいのだ。そんなことをしたら暴落すると言う者がいるだろうが、値崩れしようがどうしようが紙くずになる前に売れば、まだ少しは回収できるというものだ。「ババ」は早く「バカ」に引かせることだ。市場には必ず「後から来る愚か者」がいるというから大丈夫。それではあまりにお気の毒というなら、思いやり予算などの支出はゼロ(格付けトリプルAの国に対して格付けダブルAマイナスの国が「思いやってあげる」のは失礼というものではないか)にして、かわりに海兵隊のグァム移転費用は全額負担して差し上げる。ただし支払いは米国債で・・・というのはいかがか、呵々。(1/28/2011)

 午後、**(家内)と「いわさきちひろ美術館」(正式には「ちひろ美術館・東京」というのだそうだ)へ。上井草の駅を降りて北へ歩き、千川通りを渡り数分、新青梅街道近く。

 平日にもかかわらず来館者は多い。ほとんどが女性でおばさんが中心。チラホラ見える男はほとんどがかみさんにつきあわされての来場らしい。亡くなったのは1974年の由。とっくに三十数年を経ているわけだがそういう感じはしない。いまだにいろいろなところで彼女の作品に遭遇するからかもしれない。

 作品を見ているうちにずいぶん昔の日記の書きつけた句を思い出した。

こがねなるひかりのなかにこどもたち
こがねなるひかりのなかのこどもたち
こがねなりひかりのなかのこどもたち
こがねなりひかりのなかにこどもたち

 悪くないつもりで「どれがいい?」と訊いたら「季語がないから問題外」と言われたっけ。

 展示室に彼女の仕事場を再現したコーナーがあった。アップライトのピアノはうちにあったようなカバーがかけてあり、机にはゼットライト、書棚脇の床には懐かしい電動の鉛筆削り、そして書棚にはアンデルセン全集、そしてなぜか百科事典の総索引の巻だけが収められていて、その部屋の主に対して自然に親近感がわき出てくる・・・そんな部屋だった。

 喫茶コーナーでシフォンケーキとミルクティーを楽しんでから帰宅。季節が良くなったらドライブを兼ねて「安曇野ちひろ美術館」にも行ってみようか。(1/27/2011)

 たまたま、きょう、配信された田中宇の「拙速分析」から。

 国連の人権問題特使(パレスチナ担当)であるリチャード・フォークが、01年に起きた911テロ事件について「米政府の発表には矛盾がある。米政府は事件の真相を隠している。米国のマスコミはこの矛盾について報じたがらない」と1月11日に自分のブログで表明した。米政府は激怒し、フォークを辞めさせろとバン・キムン事務総長に圧力をかけ、バンはフォークを批判する声明を出した。
 すでにドイツでは、人々の9割が、911事件に関する米政府発表の筋書きを信じていない。反面日本では官界とマスコミによる言論統制が強く、いまだに911に対する疑問視を「間違った考え」「極悪な行為」とみなすプロパガンダ軽信の態度が強い。
http://richardfalk.wordpress.com/2011/01/11/interrogating-the-arizona-killings-from-a-safe-distance/
Interrogating the Arizona Killings from a Safe Distance

http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5gWCTbMwqBJ_I-srVglLLJsX1hoTg
US fury over UN expert's 9/11 'cover-up' claims

http://911blogger.com/news/2011-01-21/poll-germany-895-doubt-official-version-911
Poll in Germany: 89.5 doubt official version of 9/11

 いずれ真実は露見するだろう。「反・陰謀論」の立場をとるならば、なおのこと、指摘された「矛盾」に対する誠実な回答を求めるべきだと思う。まあ、どこからかカネをもらって「陰謀論」のレッテル貼りを請け負っている人々は別扱いにしての話だが。(1/26/2011)

 下高井戸シネマで「ZERO:9/11の虚構」を観た。ウィークデーの朝一番の上映でこんなに客が入るのは珍しいとか。

 911事件に対するアメリカの公式報告に対する疑問、客観的事実や事件の被害者あるいは目撃者の証言との矛盾をそのまま提示した映画。

 映画はまず世界貿易センタービルの崩壊に関する疑問から取り上げる。公式報告では突入したジャンボ機の衝突による衝撃と引き起こされた火災により、あのギロチン現象が発生し崩壊したとしている。映画は事件に遭遇した人々、消火・救助にあたった人々の証言をいくつか集めている。勇気ある救出をしたとして「国民的英雄」とされブッシュとのツー・ショットに収まった人物の証言も。彼らに共通する証言は爆発音を聞いたということだ。この証言に関する公式報告の扱いは非常に冷淡で、「国民的英雄」の証言すら取り上げられていないことを彼は憤っていた。

 映画は第7ビルの崩壊についてもかなり深刻な疑問を提出しているし、ペンタゴンへの「攻撃」についても同様。おおむねはグリフィンの「9・11の矛盾」での指摘と重なる。後半は「アルカイダ」論議になり、「素人」にはなんとも判じかねる部分が続くが、「テロとの戦い」というポケットからブッシュが取り出したものについての指摘はもっともなものだと思う。

 多少「くどい」あるいは「あざとい」とも思える繰返し・強調が鼻につくきらいはある。ただ、少なくとも前半部分については「アメリカ政府当局はこの疑問に丁寧に答えるべきだ」ということであって、「だからアメリカ政府こそが犯人だ」という主張をしているようには思えなかった。その意味ではいわゆる「陰謀論」の映画とは思わない。

 もっとも911についての公式報告に疑問を差し挟むだけで、なかば自動的に陰謀論者のレッテルをはって疑問に正面から答えないか、ものすごく些末な部分を論って小馬鹿にするというのが現在の状況のようだ。皮肉な言い方をすれば、そのような「手口」が定式化していることこそが「陰謀説」に強力な根拠を与えているとも言えなくはない。つまり「陰謀論者」と「反・陰謀論者」は互いに「鏡像」の関係にあるといえる。

 上映は12時半には終わった。外はいい天気。押し出された観客のほとんどは駅に向かうが、近くの住宅街の中の小さな家庭料理の店で昼食をとり、ちょっと懐かしい気分もあって羽根木公園までゆるゆると歩いた。チューリップの「青春の影」などを口ずさみながら。

 ふと、思った。ソ連の崩壊は1991年のことだった。そして911は2001年のことだった。それぞれに世界の状況を大きく変えた事件だった。そして今年は2011年。今年も世界の状況を大きく変えるような事件が待ち受けているのだろうか。(1/25/2011)

 隔週月曜、朝日の朝刊に入る「GLOBE」、きょうのテーマは「80后」(「バーリンホウ」と発音するらしい)。80年代生まれを中国ではこう呼ぶのだそうだ。いわば中国の「新人類」。

 彼らと同じ年代、01年から05年の間、北京大学経済学部に留学していた記者(今村優莉:父が日本人、母が中国人とか)の同級生に対するインタビューが面白い。ただしこれはバーリンホウの「光」。同じ記者は重慶のハローワークで職探しをするバーリンホウにもインタビューしている。逆にこちらは「陰」。

 光と影の深刻さについては、さらにバーリンホウの低所得グループ6人(22~28歳、月収31,000~36,000円)同士、高所得グループ6人(23~29歳、月収100,000~160,000円)同士、二つの座談会からもうかがえる。

 ある断面から見たことがらだけでその国を判断するのが間違いであることは常識だが、中国に限っていえば、他の国でそれをするよりも手ひどく見まちがってしまう。そのことはかつて日記に書いたことがあった。

 きょうの「GLOBE」にもそんな例が載っている。「ハーバードのバーリンホウたち」に紹介されている秀才たちの中の教育学博士課程に学ぶ28歳の女性(唯一名前が記載されていないのが気になるが)。彼女は「上海から少し離れた農村」出身で、両親は農民。父は彼女が16歳の時に病死、文盲の母に育てられた。それでも奨学金を得て南京大学に入学、同大の博士課程在籍中に招かれてきていたハーバードの教育学教授の話により、是非ハーバードで学びたいと思うようになった由。どのようにしてその思いがかなったのかは書かれていないが、「読み書きできない農民の子どもがハーバードで学ぶことは、一昔前は考えられなかっただろう。彼女の話は、中国人留学生の増加と共に、留学生のすそ野が広がりつつあることを感じさせた」とある。

 内田樹のブログによれば「ハーバード大学の学費は年間35,000 ドル。四年で14 万ドルである。年収6万ドル以下の家庭の子供は学費寮費無料」だが「その奨学金のハードル」は図抜けて高いそうで、結局のところ、「ずば抜けて勉強が出来るか、勉強もできかつ親が十分に金持ちであるか、どちらかの条件を満たしていなければ」とてもかなう話ではないらしい。つまり彼女のレベルはとてつもなく高いらしい。中国はそれだけの高さを支えるすそ野の広さを持つ国だということ。

 G1からG5までの全ページを通読して強く印象に残ったのは、現在の境遇が恵まれている者も、そうではない者も、ともに親・親族に報いたいという思い、それに対する責任意識が強烈にあるということ。それはこの国では、いまの若者はもちろんのこと、団塊世代の我々にして既に失われてしまった意識だ。それが彼の国の後進性とこの国の先進性を証するものか、はたまた、いかにしても守らねばならぬものは守る頑迷さあるいは賢明さを証するものか、さあ、どちらだろう。(1/24/2011)

 宮崎の養鶏場で鳥インフルエンザ。二月前、島根で発生した際には当該の養鶏場で即日殺処分を行い、拡大を押さえ込むことに成功したが、昨年春の発生した口蹄疫の際、記者会見で「簡単に言うが殺処分にいくらかかるか知ってるか」と逆ギレする知事や「補償を単に『検討する』では現場は動けないと、しつこくゴネ」た町長のいる宮崎県だけに心配。救いは逆ギレ知事が数日前に退任したこと。(東国原は「際どいところで逃げ切れた」と安堵しているだろう、呵々)

 発生がゴネバカ町長のいる川南町ではなかったからか、はたまた、知事が替わったからか、それともさすがに口蹄疫処理のもたつきに反省があってのことか、かなり迅速に1万羽の殺処分を終えたようだ。牛馬に比べれば、屍体の処理もしやすいことも利したのかもしれない。これ以上拡がらないことを祈りたい。通常の状態では鳥インフルエンザはヒトには感染しないといわれている。しかし、豚を介することで鳥インフルエンザのウィルスとヒトインフルエンザのウィルスが「結婚」するようなことがあれば、口蹄疫とは異なり人命に深刻な影響が出る事態になりかねないのだから。

 夜のニュースによると宮崎県内(新富町)で新たに鳥インフルエンザの発生が確認された由。(1/23/2011)

 支度をしてウォーキングに出る直前に電話がかかってきた。読売の勧誘員・**くんからだ。きのう、出かけている間に電話があったというのは**(家内)から聞いていた。

 「ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と言う。「読売から言われて連絡してきたの?」と訊くと、「ええ、ご迷惑をかけましたので」と応ずる。「で、なにを?」と訊くと、「私の方がご迷惑をかけて・・・」などと要領を得ないことを繰り返す。

 「注意されたわけ?」、「そうです」。彼の方も辛いところ。察しはつく。むしろ、こちらの方からガンガン罵倒された方がいいのだろう。ひたすら「ご迷惑をかけました」を繰り返しているうちに、こちらから電話を切ってくれるのが狙いに違いない。そうすれば、一応、命ぜられたであろう謝りの電話は「入れました」と報告できるわけだから。

 「あのね」と言ってやった。きれい事をいう甘チャンだったよと、あとで舌でも出すだろうと思いながら・・・。「あのね、わたしはね、販売店の人やあなたのように外でしっかり汗を流している人に四の五の言う気はないんだよ。わたしだって、ほんの一、二年前までは組織にいて、その看板背負って仕事をしてたんだから。ああ、お客さん、本当のところは・・・なんて思いながら、タテマエ、言うこともあったんだから」。「あなたさぁ、こういう制約のないところでセールスやったらいいよ。人の表情見ながらのセールス、なかなかのものだったよ」と世辞も言ってやった。

 「あなたにタテマエどおりの謝りを入れてもらいたいと思ってクレームつけてんじゃない。それから、難癖をつけて契約を解除しようと思ってるんでもない。たしかにビール1ケースはもらって、もう飲んじゃったんだから。去年の暮れ、あなたには言ったでしょ。あんまりフェアじゃないよということを、あなたや販売店さんにではなく、読売の然るべき筋にはいずれ『こんなやり方、どうなんだ?』とクレームつけるつもりだって」。

 「あなた、あの時『名乗らなくてもいいんだ』って言ったでしょ」。「はい」。「それで、ああこれは読売の営業教育がそうなんだなと思ったんだよ」。すると、そこではじめて「それは違うんです」ときた。「別にそういうことはなくて、自分のやり方としてそうしたんで、それでご迷惑をかけて申し訳ないと・・・」。「なに、読売からそう言えと指導されたわけ?」。「いえ、違います。私が・・・」。「まあ、そうだよね、あなたとしては、はい、そう言われましたとは言えないよね」。「・・・」。

 縷々やり取りがあって、「あなたの方から言えるかどうかわからないけど、報告するときには、話は聞いてもらった。でも、読売から直接の報告がないと怒りまくっていたと伝えてくれない?」、「だいたい、こういう苦情処理の窓口に伝えたんだぜ。ところがさ、そこからは未だに何の連絡もないんだぜ。どうなってんだ、オイ・・・ってことだよ」。「ちょっとこちらからベラベラしゃべりすぎたね。なんか、言いたいことある?」と訊くと、「ご迷惑をかけたのは、私が・・・したことで、やり方を指導されたとか言うことはないんです。・・・本当にご迷惑をかけました」。最後まで「迷惑」という言葉を乱発する**くんの言葉を聞きながら、日中国交回復のときの田中角栄の発した「迷惑」が中国側に与えた違和感のことを思い出していた。「迷惑」ねぇ、便利な言葉だ。

 さて**くんは月曜日にも「迷惑電話」の件について報告するだろう。読売新聞はどう処理をするつもりだろう。もうこれで終わったという姿勢で来るのかな?

 月曜日、一日、待ってみようか。それとも、そろそろ、次のツンツンを仕掛けるか。東京都のサイトには「情報提供」を呼びかける記事がある。FAX番号も載っている。あるいは消費者庁の表示対策課というのもいい。もっと面白そうなとっておきの仕掛けも考えられる。(1/22/2011)

注)読売新聞、違法勧誘をするの記

 夜、幹事会。3時すぎに家を出て新宿南の紀伊國屋へ。忘れないうちに**(家内)から頼まれた「『子宮ナントカ』という文庫、最近出たの、著者は女優のナントカさん」(よくこれだけで「大丈夫。買ってこられる」と確信できるものだ)を探す。店内の検索端末で「シキユウ」で検索。ダメ。「最近3カ月以内」で絞り込み。出た。洞口依子の「子宮会議」。小学館文庫の本棚へ。「ホラグチ・・・」。見つからない。平積みに眼を移すと、あった。「ドウグチ」と読む由。

 6時には中村屋に行かなければならない。いつものようにいくらでもゆっくりとというわけにはゆかない。このあいだ臍を噛んだ「デカルトの骨」、そしてマンデルブローの「禁断の市場」、安丸良夫の「神々の明治維新」など数冊を仕入れ。

 安丸の本は奈良旅行の際、頭部がなかったり顔面が削り取られた仏像をあちこちで見かけ、廃仏毀釈の実態について教科書レベルよりは少し詳しく知りたくなったため。バーミヤンの大仏破壊にいかにも「文化人」のようなそぶりで眉をひそめた人々は多いが、世界が嗤ったタリバンの蛮行同様のことをこの国の神道関係者は百年ほども先行してやってのけていたというわけだ。

 彼らの気持ちはわからぬでもない。中身が空疎であることが神道の特質なのだから。世間知と金銭欲を身につけ、いっぱしの「近代人」に近づくにつれ、彼らの内心のコンプレックスは押え難い不安に転化し、いわゆる「テロリスト」的な攻撃と破壊によって「昇華」をはかるほかなくなってしまったのだろう。それほどにしても、さしたる教義もなければ、思想も持たない神道のこと故、文化と伝統を破壊した挙句に権力のイヌ・国家神道に活路を見出す以外に手がなかったのだから、もうこれは何をか言わんや。

 ついでに書いておく。当時の神道関係者がどれほどバカだったか(いまもかもしれないが)は「祭天の古俗」騒動を見ればわかる。久米邦武はおそらく神道を擁護しようとして「神道は祭天の古俗」と言って差し上げたのだろう。「まさにその通り、神道は宗教ではない」と応ずれば首尾一貫したものを、頭が悪いものだから、何か自分たちが貶されたと思ったようだ、久米の排撃に乗り出した。本当にハサミにも使えないバカ、それが神道関係者だ。(1/21/2011)

 夕刊の1面は昨年の中国のGDPが名目で39兆7,983億元(約5兆8,812億ドル:朝日による、約5兆8,790億ドル:読売による)となり日本を抜いて世界第2位になった由。夜のテレビ各局のニュースも「抜かれた」というところに力点を置き、「にも関わらず、国民ひとりあたりのGDPは我が国の十分の一で世界ランキングの百位にも入らない」と言い添えることを忘れない。そして「中国の所得格差は大きな社会問題となりつつあり、これが社会の不安定化をもたらすことになろう」とも付け加えている。そのひとつひとつは歴然たる事実であり、客観的には大きな問題であることは間違いない。

 しかし・・・と思う。日本がGNP(あのころはそう言っていた)で西ドイツを抜いて世界第2位になったのは夕刊によれば1968年、庶民はこう言っていたのをしっかりと憶えている。「世界第2位の経済大国といっても、暮らしはこんなていどなのかね」。

 所得格差はクローズアップされていなかったが、横目に見る欧米の生活水準とのギャップは大きかった。だが社会の不安定化はなかった。経済成長が目前にあり、すべてのものが右肩上がりだったからだろう。他人との比較ではなく自分自身との比較で、今日より明日、今年より来年、確実に良くなるという実感があれば、不満はごく身近な範囲にとどまるものなのだ。

 そんなことは経験済みなのに、なぜ「しかしながら」というコメントをつけるのかというところに、いまのこの国の精神状態が現れている。それほどに大きなGDPと大きな所得格差を問題視するのなら、なぜ、この国のマスコミさんはアメリカという国を取り上げないのだろう。明らかなことは、ことが中国となるとこの国の人々は気持ちが落ち着かなくなるということ。

 彼の国とこの国とを並べてみれば、大きさも違えば、人口も違う。もともと文化というものの生産性も違っているのだ。たとえば「この国は文字を自力で生み出したか」と問うてみればよい。

 こういう話になるといつも漱石が日記に書いていたことを思い出す。19世紀末から20世紀末のわずか百年の間の両国のポジションの違いに囚われると、この国の人々は不幸になるばかりだ。その間「不振の有様に沈淪」していたことを常態と思うから胸が騒ぐ。もとより彼の国は大国なのだ。GDPがこの国を上回ることになんの不思議もありはしない。国の大小を優劣と思うのは愚かなことで、そんなことにコンプレックスを抱くことはないし、羨むのはむろん妬むことさえ無意味だ。そう考えれば、「しかしながら」というコメントをつけて、騒ぐ胸を鎮める必要などなにもない。

 それでもと思うなら、まず悠然と「アメリカに次ぐGDP第二位、おめでとうございます」と祝いを述べた上で、心の中で「お手並みを拝見させていただきましょう」と思えばよい。それが大人のすることだ。彼の国は高度成長に励みつつ、かなりのていどしっかりと隣国・日本の状況を研究してきたらしい。ちょうどこの国が欧米諸国を範としてきたように。

 この国は世界第二位に到達するころまでは、留保条件はいろいろつくものの結構うまくやってきたと思う。しかし80年代に到達したころから徐々に無能性を発揮するようになった。まるでピーターの法則そのまま。つまりフォロワーであるうちは有能だったがリーダーになることには失敗した。フォロワーにはヒントがあるが、成り上がった者にはオリジナリティーが必要となる。

 2020年から30年ごろに中国はアメリカに追いつくのではないかと言われているようだ。どうだろう、彼の国が中華三千年の歴史に新たな展開を加えるようになるのか、それともこの国同様に軍事に躓き、経済に躓き、精神文化にすら躓いてしまうのだろうか。

 閑話休題。例の読売新聞勧誘に関するクレームの経過を記録しておく。

 新聞セールス・インフォメーションセンターから封書が来た。当然のことだがフルネームの署名入り「この度FAXにて頂戴致しました件につきましては、問題のある勧誘行為であると思われます」という文面に続けて、この件を住所・氏名を含めて読売新聞に伝えることについて意向を確認したいということ。さっそく電話をして了解する旨を伝えておいた。車夫新聞の苦情窓口からはなんの応答もない。あの勧誘にして、この対応あり。まことにたいした新聞社だ。(1/20/2011)

 寒い日が続く。きょうも富士がくっきりと見えた。きょうのお伴は「無伴奏チェロ組曲」、ピエール・フルニエ。このiPodにはブリュッヘンのリコーダーによる1番から3番も入れてある。急にポール・トルトゥリエ盤が聴きたくなった。残念ながらLP。LPであることが残念なのではなく。未だにリスニングルームは倉庫となっていてレコードがかけられないこと。もうまる2年になる。今年こそは4343を修理に出さなくては。ウーファーのエッジを張り替えて、たぶんネットワークも交換になるだろう。

 遊歩道沿いを急ぎ足で歩くと木漏れ日がチラチラと顔にかかる。ずっと昔、小学校のときから、多少寒くとも晴天の続くこの季節が好きだ。札幌にいたころも冬は嫌いではなかった。雪の晴れ間は特に。丸山墓地の下を抜けて、公園の中を宮の森の方へ、冬木立の中は格別だった。そうだね、いまならiPodにチャイコフスキーの「冬の日の幻想」を入れておいて第2楽章なんかを・・・と思ったら、胸がキュンとつまるような感じがした。なんだろう、聴きたいというよりは行きたい方に重心があるようだ。別にあの時代に戻りたいわけではないはずだが。(1/19/2011)

 **(家内)、左の大腿部がひどく痛むというので、駅前の三浦整形外科まで付き添ってやる。9時になるかならぬかなのに、既に待合室は満員。受付の話ではこの順番だと確実に午後の診療になりますというので、初診の問診票を記入していったん家に戻った。

 いつもよりはコースを短縮してノルマのウォーキングを終え、軽い昼食をとってもう一度付き添う。東京ガスの定期点検が来る日ということで、**(家内)をおいてこちらは帰宅。

 来週までには観ておこうと思い「ミツバチのささやき」を取り出したが、途中で遮られるのもと思い直して本を読むことにした。なかなか読み進まない「ブラック・スワン」。すいすい読めるにもかかわらず、何度もスイッチバックさせられる。随所に鋭い言葉。「私たちは現実の場面では論理的な誤りを犯すが、教室では犯さない」。まったくお説の通りです。

 **(家内)が帰ってきた。肉離れではなかったらしい。お茶を飲んでいたら思い出した。読売新聞・読者センターの「**先生」のことだ。

 ふつう、「ホームページに書き込んでいただけば、私、**が担当しますから」などと大見得を切ったからには当該の書き込みを確認したら、すぐには回答できないとしても、その旨のコンファームくらいはするのが常識だろう。あれから24時間以上経つがナシのつぶてだ。営業もヤクザならば、クレーム対応もヤクザだ。車夫(車夫が迷惑する、か、呵々)新聞の面目躍如。

 読売はどう回答するのだろうか。身元を明かさずに行ったトリッキーなやり取りについては、録音もないことだから、「お客様の言いがかりです」と抗弁することもできるだろう。しかし、ヱビスビール1ケースの事実は否定できない。なにしろ契約書の<備考>にはしっかりと「ASAの後、エビス1ケース」と書いてあるのだから。立派な景品表示法附則違反の証拠だ。

 読売の抗弁の道はこんなところか。「勧誘を委託した委託先が勝手な判断で違法行為を犯したものです。非常に遺憾なことで再発防止の指導を徹底したいと存じます」と言い逃れる手だ。あるいは「件の勧誘員は読売新聞との契約ではなく、販売店が独自に契約したものです」とでも主張し、販売店に責任を押しつけるか。でもこれは相当に狡い手だなぁ。そういえば勧誘員のオフィスの電話番号は045で始まった。「万一」の場合にそなえて、いろいろ細工をしているのかもしれない。(1/18/2011)

 旅行から戻り、落ち着いたところで、ちょっとトリッキーで、アンフェアな読売新聞の勧誘方法についてツンツンしてみることにして、読売の読者センターに電話。

 電話口で経緯を縷々説明したとしても、こちらは電話代がかかるだけ、先様も辛かろうということで、書いたもので伝えたいからというと、「弊社のホームページに送信フォームがあるので、そちらを利用して下さい」という話。後日のこともあるかもしれないと思い氏名を尋ねると「****です」との答え。「お名前は?」と尋ねると、「必要がないのでお答えしません」ときた。「氏名というのは氏と名前でしょ、両方そろってはじめて氏名でしょ。大新聞社なんだから同姓もいるでしょ。フルネームもいわない人の話が信用できるの。だいたい、あなた****って、サンボン川の川か、サンズイ河の河かも、言わなじゃない、不親切でしょう」などいろいろ言うと、「サンボン川と、上下の上です」とか、「読者センターには**しかいません」とか。それでも名は頑として言わない。つまらない意地をはっているのか、メールアドレスが「フルネーム@ドメイン」の構成にでもなっているのか、どちらなのか。それでも「ホームページに書き込んでいただけば、私、**が担当します。もう切りますよ」と見得を切るから、それ以上は押さないことにした。

 以下が、書き込んだ文章。

【読者センターの**さんの扱いです】
 昨年7月16日に勧誘員が来て、本年1月から3カ月の購読契約を結びました。
 その際の約束は、契約時にビール1ケース、購読開始時にビール1ケースということだったが履行されていません。
 以下、勧誘員が来た日のやり取りから、購読開始時のビール請求までの経緯は、ホームページに公開している小生の日記をお読み下さい。
 
 契約時の勧誘について:http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/diary/2010_3q.html#2010_0716
 購読開始時の請求について:http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/diary/2010_4q.html#2010_1229
 勧誘員の釈明について:http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/diary/2010_4q.html#2010_1230

 公開日記にも書いていますが、読売新聞の勧誘のやり方には問題があると思います。
 問題点のいくつかは、日記にも書いていますので繰り返しませんが、全体として「トリッキーで、アンフェア」だということです。
 ところで、今回の件があって、ちょっと調べてみたのですが、新聞業の場合は「景品類の提供に係る取引の価額の百分の八又は六か月分の購読料金の百分の八のいずれか低い金額の範囲」(公正取引委員会告示による)ということになっているようです。
 これに従うと、既に履行された契約時のヱビスビール350ml缶24本でも、既に、3カ月の購読料の8%を超えています。
 これらの点について、読売新聞としての見解を回答していただきたいと思います。
 なお、ホームページ上には、勧誘員の個人名、携帯番号は伏せ字にしてありますが、小生の日記には、記載がありますので、どうしても調べがつかないということがありましたら、適当な時間帯、ホームページでオープンにしましょうか、呵々。(大丈夫です、小生のサイトのアクセス数は最近は少なくなっておりますから。でも、MIXI、あたりでPRするかもしれませんが・・・)

 さて、どのように回答して来るやら、楽しみに待つことにしよう。(1/17/2011)

 子どものころに憶えた歌は忘れないものだ。「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている、月光仮面のおじさんは正義の味方よ良い人よ、疾風のように現れて疾風のように去ってゆく、月光仮面は誰でしょう、月光仮面は誰でしょう」。この歌を歌ったころは「月光仮面は正義の味方なのに、なぜ、顔を隠しているのだろう」などという疑問は持たなかったが、長ずるに及んで正義の味方が顔を隠さねばならない事情についていろいろ考えるようになった。

 ほんの半月ほど前のクリスマス、「伊達直人」と名乗る人物が群馬県の養護施設にランドセルをプレゼントした。その人物が「サンタクロース」と名乗れば、その後の流れはどうだったのだろうと思わぬでもないが、「タイガーマスク」の「伊達直人」というのがクローズアップされることになった。これがもう1年前だったら、マスコミはもっとコーフンしただろう。去りゆく寅年では少しインパクトが足りなかった。しかし、以後、ここ半月、「伊達直人」名による寄付行為が全国各地で相次ぎ、ちょっとした「タイガーマスク現象」となっている。

 梶原一騎の原作によるマンガとして記憶にあるのは圧倒的に「巨人の星」と「あしたのジョー」であって「タイガーマスク」についての記憶は切れ切れになっている。だからあまりたしかではないが、伊達直人はカネを稼ぐときは仮面によって顔を隠し、そのカネを「孤児院」に還元する際には面体を晒していたと思う。その点では今回の伊達直人くんの行動とは少し「ズレ」がある。

 仮面(架空人名)に隠れて良いことをするという行動は、むしろ、「月光仮面」の方がぴったりするような気がするが、ランドセルを贈った人物の年齢によっては「月光仮面」など知らないかもしれない。いや、もしかすると「匿名であること」よりは、「養護施設(孤児院)への思い入れ」の方に力点があるのかもしれない。

 ・・・いや、そんなことを書くつもりではなかった。マスコミが報ずる「タイガーマスク現象」に対する反応は総じて「プラスイメージ」で「好意的」なのだが、これがきのうもきょうもと頻発する状況には、どこか曰く言い難い落ちつかなさを覚える。

 「正義の味方が面体を隠すのはなぜか?」ということにではなく、「それが単発ではなく、雪崩となってうち続くのはなぜか?」("It never rains but it pours."ということか、呵々)ということに、どこか健康とばかりは言い切れないものが隠れているように思えるからかもしれない。(1/16/2011)

 旅行から帰っていちばん驚いたのは、菅改造内閣の経済財政相におさまったことだ。外見的には「百鬼夜行、ここに極まれり」という話に見える。しかしこれを「菅の迷走、与謝野の無節操」というレベルの話(まさにそうなのだが)で語れば、重要なことを見落としてしまうだろう。

 長谷川幸洋の「日本国の正体」という本を一行で要約すれば「この国を支配しているのは霞が関の官僚である」ということになる。長谷川は東京新聞の論説委員。彼によれば支配の仕方は単純だ。霞が関は手元の情報の出し方に手心を加えることによりマスコミをコントロールする。新聞、テレビ、週刊誌、・・・などが「立体的」に世論を操作することにより「支配」を実現しているというわけ。自らの記者経験を踏まえて語られる「官僚のポチ」化したマスコミの実態は無惨だ。

 この週末、テレビの週間ニュースショーは与謝野起用という「ウルトラC」を取り上げ、菅政権の「ネジレ現象」(衆参のネジレなどは序の口、いまや民主党内もネジレ、政権内もネジレている)を面白可笑しく取り上げるだろう。しかし「ついに霞が関が菅政権を掌握したのだ」ということをきちんと伝える局はないだろう。見えない支配、それこそが理想的な支配だ。

 「日本国の正体」のサブタイトルは「政治家・官僚・メディア――本当の権力者は誰か」となっている。では、政治家はどうなのか。小沢一郎亡き現在において、霞が関と対等に渡り合える政治家はいないのではないかと思う。それは「自民党」の怒り方を見ればわかる。

 たしかに自民党は怒りまくっている。当然だろう。なにしろ与謝野はおととしの総選挙で落選し比例代表で復活当選した「ゾンビ議員」なのだから。しかし与謝野が離党し「たちナントカ」という政党に加わったとき自民党はどのていど怒ったか。自民党に比例代表議席を返せと言ったかしら。記憶にない。そのていどの「怒り方」だったのだ。

 いまの自民党の怒りは「こんな形で自民党を捨てる議員が出るかもしれない」という切実な可能性に怯えていることの裏返しに過ぎない。もし舛添要一まで与謝野のような行動に走ったなら、民主党とのチキンゲームは一気に片が付いてしまうかもしれないからだ。

 それは自民党にとっての悪夢かもしれない。だが多くの国民は民主党も自民党と五十歩百歩の政党に成り果てたという無惨な夢の残骸を目の当たりにしているのだ。(1/15/2011)

 8時半にチェックアウト。近鉄奈良駅でコインロッカーに荷物を入れ、9時20分のバスで浄瑠璃寺へ。乗客は我々のみ。貸し切りバス状態。木津のコミュニティバスに乗り換え岩船寺。

 岩船寺のお堂には電気カーペット、うれしい。「冬のお寺まわりはマイスリッパ用意だね」、実感。岩船寺から野良の石仏を辿り浄瑠璃寺へ。**(家内)は九体の阿弥陀像に感激。門前の「あ志び乃店」で甘酒、そして昼食。12時47分発のバスで近鉄奈良へ。2時5分近鉄奈良発、3時22分京都発ののぞみ、7時前に帰宅。きのう、まだ暮れきらぬ東の空に出ていた上弦の月が、きょうはもう頭上高くに。

 好き好んでこの寒い時期に奈良・明日香を歩く人は少ないようで、どこでも我々以外の観光客はちらほらの旅。(1/14/2011)

 ウェルネスに近いバス停は桜井駅行き。桜井経由で奈良へ。乗り換え2回。近鉄奈良に着いたのは10時50分。ホテル・サンルート脇の小道から奈良ホテルへ。チェックインして荷物を預ける。

 十輪院近くのそば屋「玄」(なかなか探しあたらず、ちょっと苦労)で、きょうは早めの昼食。十輪院、元興寺、ならまちをブラブラ。とにかく寒い。きのうよりも寒く感ずる。足先が冷たくなってどうにもならず「なかにし」でお汁粉をすする。福智院、頭塔(道路から見える部分のみ)、奈良公園を歩く。心づもりでは新薬師寺、入江泰吉写真美術館と思っていたが、寒さにめげて早々にホテルへ。

 ほとんどの民家にはまだ注連飾り。このあたりの松の内は昔どおり15日までなのだろう。(1/13/2011)

 ゆっくり朝食。レンタサイクルで9時すぎに出発。飛鳥資料館、飛鳥寺、入鹿首塚、甘樫丘、亀石から鬼の俎、鬼の雪隠とまわる予定が、中学校から先は工事通行止め。県道へ降り、天武・持統天皇陵。こちらからも鬼の俎方向は通行止め。

 飛鳥駅前で昼食。店の主人に「昔から、飛鳥って駅名でした?」と尋ねると、「12年前までは橘寺という名前でした」との答え。これで疑問は氷解。

 高松塚古墳、壁画館、歴史公園館。再び県道を村役場方向へ。振り返るとあの日と同じ「天使の階段」。橘寺脇から石舞台、近くの店で一休み。**(家内)はおみやげなどの買い物。岡寺に登る坂、レンタサイクル、変速機がない。高めでもいいから電動があるといい。酒船石へは民俗資料館とは逆の方向から。あさのルートを逆に辿り、宿の手前の山田寺跡に寄る。(1/12/2011)

 東京10時発ののぞみで京都着12時21分。近鉄急行、大和西大寺で乗り換え、西の京2時ころ着。ホームのコインロッカーに荷物。薬師寺、駅前で遅い昼食、唐招提寺、再び西の京から橿原神宮。駅前からタクシー「ウェルネス大和路」5時着。関東よりは日の入りが遅く、明るいうちに着いた。(1/11/2011)

 きのうから配信が始まった田中宇の「拙速分析」が面白い。

【9日配信】中露やアラブ産油諸国など各国の中央銀行が、ドル備蓄を忌避し、発表しないまま金地金を買い増している。ドルの潜在的な崩壊が進んでいる。中国は国内市場で金地金を買って非公式に備蓄を急増している。サウジ当局は昨年「統計上の修正」と称して金備蓄の発表総量を倍増させた。

 いずれ、少額とはいえなにがしかの投資運用をしなければならないと思い始めた05年ごろ、金価格の動きについてもウォッチをはじめた。まあ、金に関しては「投資運用」というよりは消費税率が上げられるとき、前後の税率アップ分でちょっとした利ザヤを狙うことにそなえて、値動きを見ておこうというのが正直なところだった。

 当時、国内の金価格はグラム当たり1,600円から1,700円くらい、100数十万用意すれば、消費税率が5パーセント上がれば73,000円から78,000円くらいサヤが取れる見込みだった。当時の記憶では前年の水準からすればさほどのリスクはない。持ち金のほとんどを金につぎ込むなどというバカなことをしない限り悪い選択ではなかった。

 **(父)さんが亡くなって**(母)さんが入院。新座の家計管理を見始めた時期でもあった。老夫婦はいかにも高度成長期の庶民で預貯金と農林債券・国債だけで株式は当然のこと投資信託すらもなかった。まだ、意識はしっかりしていた**(母)さんに「少しは考えたら」と言うと、「どうせあんたにゆくんだらから、好きにしていいよ」と答え、「難しいことはわからないけど、買ってもいいわよ」とも言った。そうは言っても取引名義は**(母)さんにしないややこしい。そうすると相続のときにいろいろ志木に説明しなければならなくなるのは避けたかった。得てしてそういう「直前の資金移動」は何かを隠すためととられがち、変に勘ぐられるのは本意ではないから、新座のカネを振り向ける気にはなれなかった。

 手元の金価格データを見ると、05年の秋から冬になるころに金価格は上がりはじめグラム2,000円を超えた。06年になると春先、どんどん上がり続け2,600円(5月12日2,690円)ぐらいまでいって、その後、2,100円台(6月14日2,170円)まで1カ月ほどで下げた。これでは下手をすると、消費税アップ時の益税など吹っ飛んでしまう。急速に興味を失った。

 最近の国内金価格はグラム4,000円直前のところまで来ている。もし、当時、三百万ほどの浮き金があれば、2キロほどであっさり数百万くらいの稼ぎができたことになる。

 リーマンショックがあってからまたデータをとりはじめた。金はドルで取引されているから為替相場による「変換」を受ける。ただ過去にグラム五千数百円をつけたとき1オンスで六百数十ドルだったのに対し、直近の国内最高値だった一ヵ月前12月7日のロンドンは1,420ドルだったから、相当の高水準になっていることはたしかで、ドル備蓄が嫌われつつあることは動かしがたい事実なのだろう。

 きょう配信の分析から一つ。

【今日配信】ニューヨーク商品取引所で銀地金の大量引き出しが起きている。金銀の先物市場は、現物の裏づけが十分でないので、投資家の多くが証券を信用しなくなって地金を求めて引き出し始めると、取引所や商社の金庫に貯蔵してある地金が不足して交換不能になる。これが起きると、地金の実質的な価格が急騰する。今回の大量引き出しがその兆候に当たるかどうかは不明。

 ニューヨークダウの「回復」は「眉に唾をつけてみる」のが正解なのだろう。しかし市場はどこまで行っても美人コンテスト。「根拠なき熱狂」が支えることもあれば、「根拠なき信頼」が支えることもある。そして多くの零細投資家から資金を吸い上げるための大がかりなお芝居だって用意されていないとは限らない。(1/10/2011)

 書棚に未読の本が「めじろおししてゐる」。たぶん死ぬまでには読み切らない量になったに違いない。最近は本屋に行っても、一時期のようにあれもこれもと買い込むことを控えることにしている。

 しかし、けさはおおいに後悔した。朝日の読書欄に「デカルトの骨」が取り上げられていた。2、3カ月前だった、リブロの1階の窓際の棚にあるのを見たとき「面白そうだ」と思った。それまでならば、すぐにカゴに入れるところをぐっと押さえたことをはっきり憶えている。

 評者は田中貴子。書評の末尾はこうなっている。

 デカルトは、実は単なる二元論ではなく、二つをつなぐ「心」といってよい概念をも論じていたが、本書のラストでデカルト自身の「心」の秘密が明かされるのはじんと来る。徹夜覚悟でぜひ一読を!

 こう挑発されると、もっこり頭を持ち上げたココロを押え難くなってしまうではないか。やはりあの時買っておくのだった。

 未読の山?、そんなものどうでもいい。読み始めたばかりのニコラス・タレブは「ブラック・スワン」の中でこう勇気づけてくれた。

 読んだ本は、読んでない本よりずっと価値が下がる。蔵書は懐と住宅ローンの金利と不動産市況が許す限り、自分の知らないことを詰め込んでおくべきだ。歳とともに知っていることも本もどんどん積み上がっていく。読んでない本も増えていって、本棚から意地悪く見下ろしている。実際、ものを知れば知るほど読んでない本は増えていく。そういう読んでない本のコレクションを反蔵書と呼ぶことにしよう。

 というわけでAmazonに清水卯之助の「管野須賀子の生涯」を発注。「デカルトの骨」は、来週、街に出た折に買う。店頭にて入手可能なものはなるべく店頭で買うのがポリシー。ポイントがつくから。バカにしてはいけない。リブロでは毎年5,000円ほど、紀伊國屋でも新書や文庫を買うときにはけっこうのアシストになる。ジュンク堂はいい本屋なのだが、ポイントバックがないうちはあくまでもサブ。(1/9/2011)

 寒い。黒目川のコースからは富士がくっきりと見えた。きょうは東久留米七福神めぐりがあるとか。こちらは9時少し過ぎに出て10時半ごろには帰ってきたのでさほどのことはなかったが、入れ違いに出た**(家内)は往生した由。自分のことしか眼中にないジジババが、自転車が来ようが、ランナーが来ようが、お構いなしに遊歩道いっぱいに拡がっておしゃべりをしながら歩いていたそうな。早いうちに出て正解だったようだ。

 日経メディカルオンラインに「筋弛緩剤事件」について、長崎大学の池田正行教授が「そもそも犯罪が存在せず、ベクロニウム(商品名マスキュラックス)中毒とは全く異なる病気を、すべてベクロニウム中毒と誤診したのが、この冤罪の本質です。医師が病気による急変を殺人行為と誤って認定してしまったために、あたかも事件のように見えただけなのです」という主張を述べている。

 指摘されていることに目新しいことはないが、なにより裁判所の判断が著しい偏りの中でなされたことを明確にしているので、一部を書き写しておく。

見出し:「筋弛緩剤中毒事件」は無罪だと断言できる証拠

リード:2000年に仙台市のクリニック(2002年廃院)で筋弛緩剤ベクロニウム(商品名マスキュラックス)を点滴などに混入したとされた、いわゆる「筋弛緩剤中毒事件」。1件の殺人と4件の殺人未遂の罪に問われた准看護師の守大助氏は、2008年2月に無期懲役刑が確定し、現在千葉刑務所に収監されている。だが、当該診療録を検証した池田正行氏は「守氏はえん罪で、『筋弛緩剤中毒事件』など存在しない」と主張する。神経内科医の立場から、池田氏に主張をまとめてもらった。

 2010年2月、私は守氏の代理人(弁護人)からの依頼を受け、再審請求手続きのために、守氏がベクロニウムを投与したとされた5人の患者さんの診療録を詳細に検証しました。しかし、どの診療録にも、筋弛緩剤中毒を疑う旨の医師の記載は全くありませんでした。さらに、私が第三者の立場から検証しても、筋弛緩剤中毒を思わせる所見はありませんでした。
 診療録に記載されていた病名は、重症筋無力症やボツリヌス中毒といった筋弛緩剤中毒類似の疾患とも全く関係がありません。それどころか、脱力・麻痺といった症状すら出現しない疾患ばかりでした。にもかかわらずこの裁判では、血液・尿などの生体試料からベクロニウムが検出されたという鑑定結果が出され、さらに担当医たちも裁判の際には診療録に記載のないベクロニウム中毒を支持しました。判決でも、「発症当日のX線CTで異常がないので、脳症は否定できる」「発熱がないから脳症は否定できる」といった、医学常識を無視した判断によりえん罪が成立したのです。
 ベクロニウム中毒説を積極的に主張したのは、5名の患者の診療に全く関わっていなかった故橋本保彦氏(当時東北大麻酔科教授:検察側証人)でした。もちろん、医療が関わる裁判で、第三者的立場にある医師の意見を求めることはあります。しかし、その場合でも、裁判に対するその医師の専門性や利害関係について、適切な吟味が行われた上で、鑑定結果が文書として提出されなければなりません。
 ところがこの裁判では、5例すべての担当医たちが所属する医局のある東北大の医師の発言ばかりが取り上げられただけではなく、医師による鑑定書が一切提出されていません。橋本氏の証言、すなわち検察官、弁護人、裁判官との問答記録が残っているだけで、ベクロニウム中毒説に至った医師としての思考過程を示す文書が存在しないのです。・・・(中略)・・・診断根拠となる文書が何一つないまま、診療録には全く記載されていない判断を示した担当医たちと、患者を全く診察していない医師の言葉によって、診療録では全く考察されていなかったベクロニウム中毒の診断が下され、今日まで維持されています。
・・・(中略)・・・
 橋本氏は、一連の病歴・症状経過を合理的に説明できる疾患から診断を導き出すという、診断学の大原則を無視して、ベクロニウム中毒と主張しました。各症状 をばらばらにして、ベクロニウム中毒に関連する症状だけを取り上げ、関連しない症状を無視することによって診断を組み立てたのです。このような橋本氏の論 旨展開に対して、医師ならば誰でもおかしいと思うのではないでしょうか。
・・・(中略)・・・
 5例全例がベクロニウム中毒でないとすると、血液・尿などの生体試料からベクロニウムを検出したはずの鑑定結果はどう説明すべきか、との疑問もあるでしょう。ここでは紙幅の関係で、詳細に説明しませんが、大阪府警科学捜査研究所(以下科捜研)による鑑定結果は再現性がなく、客観的・科学的に検証されていないのです。世界標準ではなく、科捜研独自の測定法が用いられている上に、鑑定試料を既に全量消費してしまっていることから、追試・再現ができません。ですから、肝心の鑑定が、科学の基本である第三者による検証が一切不可能な、「個人的な単発実験の結果」に過ぎないのです。さらに、データの解釈の際にも、科捜研は未変化体と代謝物を取り違えていることが明らかになっています。

 守大助には婚約者がいた。相手の女性がいまどのようにしているのかはわからない。意図的であったかどうかはあえて書かないが、なにごとかを隠そうとして守という青年の将来を奪った北陵クリニックのオーナー半田康延・郁子夫妻、そして技官にあるまじき詐欺行為をはたらいた大阪府警科学捜査研究所の西川眞弓と土橋均の名前を記録しておく。いつの日か、守の冤罪が晴らされることと、半田夫妻と両技官が真実の前に赤恥をかくことを祈りつつ。(1/8/2011)

筋弛緩剤事件に関する滴水録
2001年1月13日   2001年2月18日   2001年12月15日

2004年3月30日   2006年3月22日   2008年2月27日

 ホームページの「玄関飾り」、最近はちょっとネタ切れ。もともと、たいして多くの引出しを持っているわけではない。詩だの歌だのについては教科書に出て来たものとその周辺に限定されている。それがもう60近くになろうとしているのだから、ほとんどの引出しは開けてしまってすっからかんだ。

 思案投げ首、ぼんやり本棚を見ていたら「大逆事件」の書名が見えた。幸徳秋水らが処刑されたのはちょうど今ごろの季節だった。厳寒の監房で幸徳の耳は凍傷に冒されていたことを読んだ記憶がある。切れ切れの記憶の中から、与謝野鉄幹に事件に連座して処刑された友人の死を惜しむ痛烈な詩があったことも思い出した。題名は「誠之助の死」。和歌山県新宮の医者大石誠之助。

大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました。
人の名前に誠之助は沢山ある、
然し、然し、
わたしの友達の誠之助は唯一人。

わたしはもうその誠之助に逢はれない、
なんの、構ふもんか、
機械に挟まれて死ぬやうな、
馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

それでも誠之助は死にました、
おお、死にました。

日本人で無かつた誠之助、
立派な気ちがひの誠之助、
有ることか、無いことか、
神様を最初に無視した誠之助、
大逆無道の誠之助。

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
その誠之助は死にました。

誠之助と誠之助の一味が死んだので、
忠良な日本人は之から気楽に寝られます。
おめでたう。

 世にいう「大逆事件」は一から十まででっち上げられたものではない。たしかに爆弾の製造と実験を行った宮下太吉と、後に「妖婦」「毒婦」などという肩書を頂戴することになる管野スガ(須賀子)との間に天皇爆殺の企てがあったことは本人たちも認めている。爆薬入手に協力した新村忠雄も製造目的については意識があったろう。

 しかし、いまは削除されている刑法第73条「天皇、太皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加へ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」の条文を拡大解釈するならば、森田運平、古川力作あたりまではなんとか該当するとしても、何に使うかは知らずにブリキ缶を作った新田融、弟忠雄に頼まれて薬研を宮下に送った新村善兵衛となると、これは相当に無理(実際、新田・新村(兄)は大審院判決でも、それぞれ懲役11年、8年になっている)がある。

 森田運平が逮捕される前の1910年6月3日、宮下・管野・新村兄弟・新田・古川の6名に、スガ(須賀子)の内縁の夫であり宮下・新村(弟)の師にあたる幸徳秋水を加えた7名の起訴を公表したとき、東京地方裁判所(当時は裁判所組織の中に検事局が置かれていた)の小林芳郎検事正は「他に一切の連累者なき事件と確信する」と言い切った。

 だが、大審院検事局に指揮権が移るや、これを「好機」と見た元老山県有朋の指示により、あっという間に逮捕者は合計26名、大がかりなフレームアップへと事件は拡大される。「追加」された19名のうち、宮下太吉と接触があったのはたった2名というのだから、この捏造ぶりは凄まじい。

 与謝野鉄幹の友人である大石誠之助はこの過程で逮捕される。彼の人となりについては「大逆事件と知識人」に中村文雄が2章を割いて紹介している。その一部。

 明治43年11月10日の『東京朝日新聞』記事、獄中の「▲一味徒党の面々」中の「△大石誠之助」について「被告中の一異彩なり、米国ドクトルにて新宮の名望家なり。温厚にして聡明なる君子人と伝えらる、医を業とし其薬代診察料等の掲示には必ず『何十何銭の筈』『何円の筈』と書し筈の字なきはなし、蓋し医は仁術なりの古風を学び謝礼金のみにとめて薬料の如きは貪らざるの主意なり」。また、多くの医師が被差別部落への往診をいとう中、誠之助は一人「平然として赴」いたという。

 弁護人宛に大石が書いた「社会主義と無政府主義に対する私の態度」などを読むと、「理想主義の金持ち坊ちゃん」という気もしないではないが、持てる資産をどのように散ずるかを見れば、所得税の累進制には反対しつつ消費税の増税にのみ熱心な(換言すれば、オレからとるな、貧乏人にも「公平に」負担させろということだ)昨今の志なき醜い資産家なんぞに真似のできない立派な人物だ。

 大石の「獄中断片」には「自分は人から非常に誤解せられて居るやうに思ふ」という言葉が見える。いかにもお坊ちゃんらしく「さうして多くの場合にはわるく誤解せられたよりもよく誤解せられて居たやうだ」と続けているが、医者や学者を輩出した家柄の資産家にして洋行帰り、しかも亜米利加で医業を学んだというまぶしいばかりの男が、じつに爽やかに「医は仁術」を実践し尊敬を集め、被差別部落さえ何事もない顔で訪れる姿は、同業ないしは地元素封家の一部に言うに言われぬ妬ましい気持ちを抱かせたのかもしれない。

 君は、多数者をして、いやいやながらも君にたいするかれらの判断と認識を改めざるを得ないようにした。そのことをかれらは深く君にたいして恨みとしているのだ。君はかれらのそばに来たのに、そののちそこを通り過ぎて前へ高みへ進んでしまった。そのことを、かれらはけっして君に許すことはないのだ。
 君はかれらを超えてゆく。しかし君が高みに登れば登るほど、妬みの目は君を小さい者と見る。そして飛翔する者は、もっとも憎まれる者なのだ。

 ニーチェの「ツァラトゥストラ」の一節を思い出した。たまたま毎日新聞のサイトにこんな記事をみつけたからだ。

見出し:「大石誠之助:名誉市民に異議 男性が議長に請願書」
 大逆事件で処刑された新宮市の医師、大石誠之助を名誉市民にする動きに異議を唱える請願書を、市内の無職男性が奥田勲・市議会議長に提出した。「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」は昨年12月、名誉市民推挙を求める請願書を提出している。
 「大石誠之助を名誉市民に異議」と題する請願で、同市神倉の大谷二三男さんが提出。請願書は「大石のすぐれた人間性を感じるが、名誉市民に値するかどうかは疑問だ。賛否相半ばする中での名誉市民は、推挙される側が迷惑。名誉市民に推挙する動きがあるが反対だ。誰もがうなずくための検証と論議を」と訴えている。
毎日新聞 2011年1月7日 地方版

 既に幸徳秋水の出身地である高知県中村市(現在は四万十市となった由)は二十世紀最後の年に「郷土の先覚者である幸徳秋水の偉業を讃え顕彰することを決議」している。

 同時代の「飛翔する者を憎む」心理は理解できるとしても、百年を経て、事件の全貌も明らかなって、なおそれでも「飛翔する者を妬む」のは新宮という土地柄がそうさせるのか、それとも、この「大谷二三男」なる人物がよほど狭量なる精神の持ち主なのか、どちらか。後者だろう。新宮は大石誠之助を生んでいるのだから。

 狭量な人物と言えば、フレームアップの指揮をとり裁判で論告を行ったのは、あの「欧州の天地は複雑怪奇」という歴史的迷言で名高い平沼騏一郎だった。平沼騏一郎は独身のため、兄の孫娘一家をまるごと養子にとった。その孫娘の子が平沼赳夫。男系天皇にこだわる平沼赳夫が女系でつながれた身というのは可笑しい。もっと可笑しいのは、騏一郎が冤罪に陥れた大石誠之助のために、平出修に弁護を依頼した与謝野鉄幹の孫が与謝野馨、つまり「立ちあがれ日本」なるミニ政党の二枚看板は世が世ならば敵味方のご両人ということ。歴史は皮肉な仕合わせを用意するものだ。(1/7/2011)

 ネット共同購入サイトのグルーポンが仕組んだおせち料理。配送指定日までに届かなかったり中身が事前広告見本とは大幅に異なるなどでトラブルになっている。寄せられている苦情の中には「チーズは6Pチーズがゴロンとひとつだった」というのや、「傷んでいて食べられない」というのまであり、朝日の夕刊によれば、横浜市の保健所職員が製造業者に立ち入り検査をした由。いくら2万円相当の商品が格安1万円という「甘言」にのせられたとしても、お重のふたをとったら扇形のチーズが銀紙のままというのではこれはもう「悪意」が込められていると受取られても仕方なかろう。

 「高級レストランが半額」だとか、「老舗超高級旅館が一泊1万円から」とか、この手のネット仲介システムは花盛りだが、最大限好意的に解釈しても、玉石混淆は常識。

 サービス提供側は嫌でも客と接触せざるを得ないが、ネット仲介業者は「顔」をあわせずともコミッションは入る。顧客の不満はサービス提供側に向かうのが常で、仲介業者にクレームが入ったとしても「しっかり請け負うという契約になっており、そのようなことになったのはまことに残念です。今後は事前調査を強化して再発防止に努めます」くらいのことを言えばそれで済むとタカをくくっていられる。

 利用者側がいきり立って「二度と使わないぞ」と食ってかかっても、口先で「まことに申し訳ございませんでした」と言いながら、腹の底では「なに、あんたなんぞが利用してくれなくとも、ネットの中にはカモはゴロゴロいるよ、バーカ」と舌をペロリと出しているというわけだ。

 3日の朝日の朝刊にはバイク買取専門店の「バイク王」なる業者が、別名の複数の買取業者を買取した上で比較サイトに登録し、見かけ上、買い取り価格を競っているように「演出」して、客を自社に誘導するようにしているという記事が載っていた。仮想空間ではいくらでも市場原理主義を演出することができる。「高級レストラン」の半額メニューもなんのことはない、最初からその値段のものを倍額のものと偽っているだけということかもしれない。端から「高級レストラン」なんぞにご縁がない人間にとっては、半額クーポンで出されたものがまさしく半額かどうか分かりはしないのだ、哀しいことに。

 ところでバイク王のニュース、読売は一日遅れの4日の朝刊、グルーポンおせちに対する保健所立ち入りのニュースに至ってはきょうの夕刊になっても報じない。テレビでもネットでも大騒ぎしているというのに。グルーポンはアメリカ生まれ。アメリカ・・・となると、読売は条件反射的に「遠慮」が先に立つのかしら。それとも、彼の国のようにグルーポン・クーポンを日曜版に挟み込む計画でもあって、グルーポンがらみのスキャンダル報道は避けるようにとでも車内にお達しが出ているのかな、呵々。(1/6/2011)

 午後、**(家内)と池袋へ。みどりの窓口で来週の奈良行きのための切符を購入後、東武へまわって引っ越し以来どうしても見つからない旅行用洗面バッグを買うことにした。

 **(家内)、「このあいだはこっちの売り場はガラガラだったのよ。平日なのにずっと混んでる」と言う。29日に食材の買い出しに来たとき、地階はすごい混雑にも関わらず、その他の階はさっぱりだったとか。それが明けて2日から割引セールに入るや、きょうは平日でもかなりの人出。「待っていても売れてしまうことはない。すぐに値引きするさ」、これがデフレ時代の消費者側の意識ということなのだろう。

 洗面バッグを買ってからも、ちょっといろいろなものの価格イメージを作っておこうと**(家内)に付いて見て回った。以前はこういうことをしたことはなかったのだが・・・。いつものように、地下の「みはし」であんみつを食べてから、こちらは本屋、**(家内)はレディーズもののフロアへと別行動。

 一応、手帳に書き留めてある中からマルセル・モースの「贈与論」、たまたま平積みでその近くにあった横関英一の「江戸の坂/東京の坂」、立読みで感触のよかったハジュン・チャンの「世界経済を破綻させる23の嘘」(この邦訳題名はいかにも徳間書店がつけそうなタイトルだが、中身を誤解させる最悪のタイトルだ)、ちょっとまじめに「キャピタリズム」について考えたいと思い伊藤誠の「『資本論』を読む」、単純に息抜き用として、山本直人の「電通とリクルート」を購入。

 がらにもなくデパートのブラブラ歩きにつきあったからだろう、ちょっと疲れがあって、リブロで見つからなかったトクヴィルの「アンシャンレジーム」とマンデルブローの「禁断の市場」はあきらめた。客観的に見たら、この二冊を同時に買おうとしているなんて精神分裂病気味な話、と、独り嗤い。とどめを書いておこう。きょう、電車内で読もうと持参していた本は、先日Amazonの古本で入手した「セヴィニェ夫人手紙抄」だった。こりゃ、分裂病どころではない、キチガイだ。(1/5/2011)

 2011年の株式市場、ニューヨークは93ドル24セント高の11,670ドル75セント、東証は169円18銭高の10,398円10銭で始まった。これをご祝儀相場と見るか実力と見るか。ニューヨークはいささか不自然。東京も不自然感はあるわけだが、なにより取引高を見ると「いじられている」感じが強い。

 ダウの高さはアメリカ経済の状況を素直に反映しているものと言えないのではないか。

 カリフォルニア州知事シュワルツェネッガーが退任したニュースは報ぜられているが、なぜかその州財政が危機的であることについての言及はまったくないか、単なる添え物。きのう配信された田中宇のメルマガによると、アメリカの州財政の危機はカリフォルニアにとどまらず、イリノイ、ニューヨーク、ニュージャージーも深刻とか。頭文字をとって「PIIGS」ならぬ「CINNs」(いったい何と発音するのだろう)というのだそうだ。このあたり、この国のマスコミは一切報じない。

 さらに「全米で100以上の市町が今年財政破綻してもおかしくない状況にあると報じられている」とも伝えている。これらが頼りにするのは基本的に連邦政府だが、その連邦政府自体が経済対策で財政状態を悪化させているにもかかわらず、今年度の軍事費は史上最高の7,250億ドルにも積み上がっている。昨年の中間選挙で大勝した共和党は、オバマ民主党の医療保険などが財政悪化の理由のように主張し、これをつぶすことには熱心なようだが、軍事支出がイノチ、戦争大好きが党の体質である以上、財政状態の悪化に歯止めはかけられないだろう。既に昨年末から米国債の価格は下落、長期金利は上昇しつつある。大声をあげて「日本は明日にも破綻する」と叫んできた人たちの主張が、日本よりも先にまずアメリカで「実現」しそうなのだから大嗤いだ。(きょうの読売の朝刊「日本の改新」にはジェームズ・べーカーが登場し、日本の財政赤字のコントロールを主張してから添え物のように「米国にも同じことが言える」などと偉そうに語っている。まず自分の頭の上のハエを追ってからにした方がよかろうに)

 アメリカの場合、問題は財政だけではない。住宅市況が二番底に向かって悪化を続けており、それが商業用地の下落に飛び火する可能性が出てきているらしい。つまり「サブプライム危機」から、今度は「プライム危機」として起きかねない方向に向かっているわけだ。FRBの量的緩和策第二段(QE2と略称するらしい)があるから、からくも国債を買い支え、株価も維持されているが、なによりアメリカの国内投資家がこうしてばらまかれたカネを株の売却により吸い出して新興国投資に回しているとすれば、遠くない将来、いわゆる「黒い白鳥」が誰の眼にもはっきりと見えてくるようになるだろう。

 田中が書いているように、「投資をする人は、短期で儲けて再崩壊前に引きあげる」という姿勢が必要かもしれない。「ただし、いつ再崩壊が起きるか予測は困難」なわけだが、金儲けの基本は「価値ギャップ」につけ込むことにある。「アメリカ経済」あるいは「ドル」への妄信という「価値ギャップ」、そのメッキの剥落時間の長短に関する「価値ギャップ」をどう予測するか?

 きのうの朝日の朝刊のオピニオン欄には高安美佐子が「為替の物理学」について語る記事が載っていた。従来、為替や株価はブラウン運動のようにランダムに変動するので予測できないとされてきたが、実際に市場に参加する個々のプレイヤーには「ここでは順張りでゆく」、あるいは「逆張りでゆく」などの意識とともにその強さや方向に「クセ」があり、これが市場価格に「ゆらぎ」を生む。「そのゆらぎが、みんなの『順張り』によってどんどん増幅されて、大きな価格変動を生み出すことがわかってきました。極めて低い確率でしか起きないはずの大暴落や大暴騰が、実際の市場でたびたび見られるのも、加速度がゆらぎを増幅させた結果です」というお話し。

 別の言葉で語るならば、為替や株価の推移は個々の事象が独立ではなく過去の事象に現在の事象が依存するため、その分布は正規分布とはならず冪分布となる。したがってリスクを「分散の度合い」で評価することはできない。では冪分布であることをリスク判断のものさしにできるのだろうか?

 いやもっと大きな問題は別のところにありそうだ。市場を対象とする際、個々の事象には、まず「記憶力」の違い、また記憶が恐ろしくよいとしても、それを「テキトー」に判断する「ココロ」があるということ。この心理的ゆらぎまで経済物理学が理論化できるとは思えない。

 やはり「君子危うきに近寄らず」というごく平凡な答えしか残らないのだろうか。(1/4/2011)

 **(長男)はお昼前に、**(次男)は箱根駅伝の中継が終わってから帰った。そう、勤め人はあしたが仕事始め。

 この年末年始、奴らの寄生虫(本当によく食い、よく飲む)ではなかった、帰省中にゲットしたもの。かわぐちかいじの「バッテリー」とドランクドラゴン。奴らが持ち込まなければ、おそらく絶対に読むことも見ることもなかっただろう。

 「バッテリー」は設定が面白い。ただ展開が読み始めの印象に比べて「小さい」のでちょっとがっかり感が残る。そしてドランクドラゴン。たまたま居間に下りたときに見た中では「全校集会」が抜群に面白かった。「17歳」は塚地の演ずるちょっと秀才風のキャラクターが**くんにそっくり。もちろん**くんはあんな風にしゃべらないし、ああいうことも言わない。しかし「現実」にピントを合わせようとして微妙に外す様がじつによく似ている。塚地は漫才の枠を超えてかなりの名優という印象。

 箱根駅伝。元日の実業団ニューイヤー駅伝は1秒差という劇画のような勝負(トヨタ、富士通の順)だったが、こちらもなかなかドラマ性があった。きのう2位だった早稲田が6区の山下りで東洋を抜き去り首位に出る(凍った路面に足を取られ転倒、給水係が東洋の進路を気にしてランナーに接触、それでも27秒差を取り返して36秒差をつけた)と、そのまま大手町まで走り抜けた。東洋との差は最後21秒差だった。1位、2位がゴールインしても興味はまだ続いていた。10位までのシード権を8位以下の4校が争っていたから。三越の角を曲がってからのラストは優勝争い以上に白熱した。

 復路順位は早稲田、東洋、駒沢、拓殖、青学、中央、明治、東海、山梨学院、日体大。総合順位は早稲田、東洋、駒沢、東海、明治、中央、拓殖、日体大、青学、国学院。わずか3秒差でシード落ちしたのは城西。総合10時間59分51秒、11時間を切ったのは距離が延長されてからは初めての由。(1/3/2011)

 久しぶりに熟睡し心地よい目覚め。何が良かったのだろうと思いつつ時計を見ると7時半。あわてて起きて着替え。どうにか箱根駅伝のスタートに間に合った。駅伝(マラソンもそうだが)の中継には不思議な魔力がある。映像としては退屈、他のスポーツ中継と異なり、ちょっと目を離したすきに局面ががらりと変わっているなどということはない。それでも見てしまう、見させるものがある。

 往路優勝は東洋。以下、早稲田、東海、明治、駒沢、国学院、城西、中央、拓殖、日体大の順。早稲田は1区で一年生の大迫がトップに立って、4区までは首位を保ったものの、5区山登りで東洋の柏原に抜かれた。柏原は本当に強い。去年、「彼がつまずくとすれば、案外、来年かもしれない」と書いたが、どうしてどうして、この人はありがちな石などにはつまずかないようだ。

 きのうよりもきれいに晴れ上がった気持ちのよい冬の午後。駅伝中継が終わってからウォーキング。

 長距離走は「技術」を感じさせない。球技にも、格闘技にも、アクロバット的な体操・フィギュアスケートといったスポーツならばなおのこと、ほとんどのスポーツには素人の習得など不可能と思わせる「隔絶性」がある。しかし長距離走ならばなんとかなりそうな気がする。

 まず、あれくらいのスピードで走るのなら自分でもできそうに思う。そのように「誤解させる」ところが長距離走にはある。もうひとつ、他のスポーツはすべて専用の舞台で行われるのに、マラソンと駅伝は特別の舞台ではなくごく普通の道路で行われることも「誤解」を生むのに役立っているかもしれない。

 もちろん「あれくらい」と思ったスピードをゴールまで維持するのは大変なことだ。マラソンや駅伝の中継映像に舗道に並ぶ応援の人垣の後を選手と併走する人が映っているのを見かけることがあるが、ああいうことをすれば(ごく普通の頭がついていれば、あんなことをしなくとも分かるはずだが)たちどころに実感できるだろう。しかしそれは「高度な技術」によって解決するのではなく、単純に「体を慣らす」ことと、なにより「精神力」を鍛えれば、なんとかなるのではないか。そう誤解するのだ。

 さらには、中継をするランナーとしては素人のアナウンサーはもちろんのこと、かつては選手として走っていた解説者もほとんども、「技術」について語らない。だからよけいに「精神力」による「解決」が可能なのではないかと思わせるのではないか。

 だいたい「慣れ」と「精神力」による長丁場となれば、すべての人が経験済みなのだ。生まれてから死を迎えるまで「人生」という長距離走を続けているのだから。

 そこにアナウンサーのいかにもの人情話がかぶり、解説者の「ここが我慢のしどころ」などという「解説」ならぬ「感想」が重なれば素人はますます「その気」になり選手の「技術」には思いが及ばない。

 かくして、まったり見るスポーツとしての駅伝が完成するのではないか。正月休みとあって走る人が多いいつもの遊歩道を、ごく普通の速度で歩きながら、そんなことを考えた。(1/2/2011)

 快晴というわけではないが薄日の射す、まずまずの元日。もっともこの好天は関東限定のようで、日本海側は大雪。特に鳥取方面は米子便が欠航、タンクローリーが雪でスリップして国道をふさぎ、1000台近いクルマが立ち往生。岩手は雪で特急「カシオペア」が運休、青森は2万世帯ほどが停電している由。

 2011年。安穏な年金生活に入って、もう少しで丸2年。

 起きてパソコンのスイッチを入れ、宵っ張りの連中から来るメールに眼を通し適当に応信。閉まったばかりのニューヨーク市場の数字を記録(けさの場合は12月31日分)しつつ、株・債券・為替・原油・金の市況サマリーを読んで自分なりのイメージを作る。それから、唯一、直接金を入れている(他はすべて投信/ETF経由)オーストラリアドルのチャートを起動し、就寝後からの動きを確認、6時30分(サマータイム時は5時30分)で区切りとなる前日の始値・高値・安値・終値を記録する。

 朝ドラを見ながらサラダとヨーグルトで朝食。再びパソコンの前に戻り、東証開始前の気配値を確かめるなどしつつ腹具合の安定を待つ。ウォーキングに向けて上下の着替え、お手洗いをすませ生理的条件が整ったところで出発。BMI22を切った先月からはほとんど黒目川コース、めったに薬科大コースには行かなくなった。1万歩は80分ほど。平均速度は6.6~6.8キロ/時。消費熱量は350~380kcal、燃焼脂肪は50~60グラム。こんなところが通常値。

 戻ってシャワーを浴び、録画してある番組(おおむねBS-Hiの「プレミアム8」)を見ながら果物を食べる。いまの季節はリンゴがおいしい。大げさではなくほんとうに生きている歓びを実感する。「日課」はここまで、あとはその日の体調、気分で、いろいろ。残りの「日課」は、読書に飽いた夕方、夕食後、それぞれにその日の株価と投信の基準価格を記録することくらい。

 **(家内)は「ほんとに極楽トンボねぇ」と言う。たしかにその通りで返す言葉はないから、最近は「ゴクトンと呼んでちょうだい」と応ずることにした。しかし、年金制度が現在のスタイルで維持されるだろうかとか、夫婦それぞれ健康でいられるだろうかとか、そういうごく普通の悩みについては人並みには意識しているのだけれど。(1/1/2011)

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