一年前のきょう、「できるなら来年のきょうは、暗愚の帝王がクロフォード牧場での逼塞に備えて、ホワイトハウスで荷造りをしているというシーンを見たいものだが・・・」と書いたが、残念ながら望みは叶わなかった。もっとも、ものは考えよう。これでアメリカ合衆国という暗黒国家の寿命が縮まったと考えることもできる。それにしても大変な一年だった。

 朝刊から、一息つく記事を書き写しておこう。

 今年ブラジルで最も国民の注目を集めたニュースのひとつは、アテネ五輪の男子マラソンで活躍したデリマ選手(35)だろう。残り6キロでトップを独走している時、沿道の男に妨害されたが、レースに戻り銅メダルを獲得した。
 南部パラナ州内陸部の出身。父といっしょに大農家の日雇い労働者として8歳のころから働き、2人で1日10レアル(約370円)を稼ぐ生活だった。マラソン選手として日の目を見るまで貧しかったが、デリマさんは「引け目を感じたことはない」と地元雑誌のインタビューで語っている。
 帰国後も取材攻勢を受ける中、印象的だったのは「男に妨害された時、けがをしなかったのが幸運で神に感謝している」と語ったことだ。周囲が「金メダルを要求すべきだ」と騒がしい中、淡々とした謙虚さが一層好感を与えた。
 「資源も潜在能力もあるのに、ブラジルが一流国になれないのは、貪欲さが足りないからだ」とよく先進国から言われる。しかし「一流国を目指してギクシャクするぐらいなら、いまのままでいいさ」と考える人がブラジルには多い。
 「あれもこれも欲しい」と悩むより、今あるもので満足し一日の無事を感謝する。忘れがちな大切なことをデリマさんが教えてくれた。

 どのように一生を送ろうと、人間が生きられる時間は限られている。その限られた時間をいつもギリギリの緊張感で自己主張と時によっては自己「修飾」に終始して過ごすのか、それとも生きている歓びを反芻しながら過ごすのか、どちらがよいか。たしかに向上心とか努力とかの必要性は認めるとしても、ほどほどということを来年も考えてゆきたい。おれはずっとそうしてきたのだから。(12/31/2004)

 奈良の小学生誘拐殺人の容疑者が逮捕されたというニュース。36歳、新聞配達員。主要紙すべての配達員を経験して、この7月から毎日新聞販売所に勤めていた由。最初、十数年前に女児への強制わいせつなどの犯歴があると報ぜられたとき「大丈夫かな?」と思った。しかし家宅捜索で被害者のランドセルと携帯電話が出てきたというから、おそらく間違いのないところだろう。

 もうひとつのニュースは紀宮の婚約発表。発表というたびに地震や不幸やらがあって延び延びになっていたものだが、ここまできてしまったなら、いっそのこと明けてからの方がよかったのにとも思う。

 片づけものをしながら見た映像の印象は微笑ましくいいものだった。最近は敬語、中でもとりわけ謙譲語を破綻なく使うことができる日本人は少数派になりつつある。フィアンセになる黒田君は、先月の朝日のスクープ後の記者会見で感じたことだが、敬語を危なげなくこなせるところがさすがという男。でも、きょうはさすがに少し緊張していたようだった。

 それだけに、マスコミの「紀宮サマ」、「黒田サン」という使い分けは、かえって耳障りだった。だれもこれを不思議に思っていないらしい。マスコミは「サマ」という敬称をいつ、どういうタイミングから「サン」に切替えるのかと想像すると、可笑しくてならぬ。(12/30/2004)

 きのうのほろ酔いコンサート、「さくらんぼの実る頃」、「美しき五月のパリ」、「百万本のバラ」の3曲を歌ってから、加藤登紀子はこれらの曲の共通点を語った。

 「さくらんぼの実る頃」はパリコミューン、「美しき五月のパリ」はそれに重なる68年の世界的な学生の反乱を歌ったものだと知っていた。だが「百万本のバラ」の作曲者がバルト三国の独立を阻むソ連の介入に対してデモの先頭に立った男だったとは知らなかった。

信じてくれますか 一人の若者が
小さな家を売り バラを買いました
信じてくれますか 嘘だと思うでしょう
町じゅうのバラを あなたに贈るなんて

バラを バラを バラをください
ありったけのバラをください
あなたの好きなバラの花で
あなたを あなたを あなたを包みたい

バラを バラを バラをください
百万本のバラをください
ぼくの ぼくの ぼくのこの命
あなたに あなたに あなたに捧げたい

貧しい絵描きのぼくに できるのはひとつ
何もかもすてて あなたを想うこと
誰も知らない 心の囁きを
花びらにそえて あなたに贈りたい

出会いは短く あなたはもういない
あなたは踊り子 街からまた街へ
夜汽車の窓辺で あなたは思うだろう
見えない愛の火が この世にあるのだと

クルクルクルクル クルクル回る
真赤なサテンのトゥシューズ
残ったぼくの熱い心には
甘い思い出涙のしずく

あなたに捧げたバラの花は
枯れても 枯れても 枯れてもわが命
あなたの あなたの あなたの胸に咲く
あなたの姿は遠く消えても

(松山善三訳のもの:加藤登紀子の訳は「歌」になるようにしてあるものらしい)

 ずっとながいこと、これは愛の無償性を歌っているのだと思ってきた。たつきのすべてをカネに換えて訴える愛など、あこがれではあっても無縁のもの。だからこその歌なのだと思ってきた。

 もし、バラを血とするならば、日常の生活も命も投げ出して愛する人々の未来を贖うことと考えれば、この歌はそのまま革命歌になる。「百万本のバラ」にも「さくらんぼの実る頃」同様、抵抗の象徴歌のような仕掛けが隠されていたようだ。(12/29/2004)

 仕事納め。夜、加藤登紀子のほろ酔いコンサートにつき、午後半休。既に何年も前から、「仕事納めの日も定時まできっちりやり、しかる後に最小限の納会」が決まり。フレックスで5時前に抜けてもよいが、せっかく職場としてきっちりやりながら規律破りがいて疑われては申し訳がないから半休。

 5時に紀伊国屋で**(家内)と待ち合わせ、伊勢丹会館の豆腐懐石の店で夕食をとってコマの地下へ。客の年齢構成は去年と同じ。**さん(会社の同僚)の友人にとってもらった席は4列目、しかも通路側で舞台から降りる階段のすぐ脇。予定より数遅れて開演。15分の休憩をはさんでほぼ10時まで。

 今夜、一番笑った話。「居酒屋兆治」で高倉健の女房役をやったときのこと。「ちょっとしたことで警察に留置された旦那をもらい受けて、函館の運河沿いの道を連れ立って歩くシーンがあって・・・、科白がなくて、とにかくずっと無言で歩くロングショットなんです・・・。ああ、いま建さんといっしょに歩いてる、わぁー、わぁー、なんて気持ちでいて、思わず、フーと吐息を漏らしたら・・・、高倉さん、『思い出してるんですか』って」。

 その他にもちょっとメモを取っておきたいような話がいくつもあって、飽きさせない。すっかりリピーターになっちゃったなぁと思いながら、急に冷え込みがきつくなった中を西武新宿線、所沢経由で帰ってきた。(12/28/2004)

 漢字能力検定協会によって行われている「今年を表わす漢字」は「災」だった。

 親分の命令だから仕方がないというだけのことを国際貢献などというから分からない話になってしまったイラク派兵、宰相自らが若い頃から支払いを忌避し続けてきた国民年金の負担増を自分のことは棚に上げて他人に強いた年金問題、・・・こうした「人災」はこの国の政府をあんな連中に預けているのだからあたりまえの話と思えばあきらめもつくが、今年はそれに加えて、台風の当たり年、中越地震など「自然災害」にも事欠かない一年だった。

 その最後の天災が昨日スマトラ島沖で発生した地震だった。マグニチュード9。夕刊によれば「1900年以降では、52年にロシア・カムチャツカで発生した地震と並んで4番目の規模で、64年のアラスカでの地震(M9.2)以降で最大。95年の阪神大震災(M7.3)の約360倍の規模だった」由。

 被害は地震そのものよりも津波らしく、昨日段階では、スリランカ、インドネシア、インド、タイ、マレーシアなどで、死者総計6千人と伝えられていたものが、今日昼ぐらいには1万人を越え、夜のニュースなどでは2万人と伝えられている。映像で見る限り相当の規模の津波がほとんど予告らしい予告なしにインド洋を囲む地域を襲ったものらしい。

 もうひとつ。ウクライナのやり直し大統領選挙、野党のユシチェンコが当選。速報によれば、開票率99.56%で、野党ユシチェンコ52.12%、与党ヤヌコビッチ首相44.09%の由。存外票差が開かなかったなぁという印象。(12/27/2004)

 ドン・キホーテの環八世田谷店で火事。どうやらまた放火らしい。先日のさいたま花月店での火事のあと消防庁が行った立ち入り検査では、誘導灯が見にくいなどというのは序の口、避難通路は商品置き場、店員の防火教育・避難訓練の不徹底などもあたりまえ、法令違反や改善指導のなかった店舗は都内31店舗中7店舗に過ぎなかった由。

 この世田谷店の場合、いったん撤去していたエンジンオイルなどの危険物を、昨日の朝、火元となった衣類売場の隣に戻していたというから、ドン・キホーテという会社の防火意識は最初からないも同然なのだろう。サンケイ新聞は「少量のため法令違反にはならない」というコメントをわざわざ記事に差し挟んでいるが、系列店にこれだけ放火が集中している時期にあえて放火しやすい商品に隣接して危険物を置く神経は、サンケイのような企業論理優先・非論理性を売り物にする新聞には理解できても、一般には理解しがたいものだ。

 死者を出したさいたま花月店火災直後の記者会見で安田社長は「火事は放火によるもの、悪いのは放火犯、ドン・キホーテは被害者だ」という趣旨の発言をした。たしかに「憎むべきは放火犯」ということには、だれも異論はない。しかし被害を大きくしたのは度重なる消防当局の改善指導を無視し、あるいは、その場では指導に従うふりをしてすぐにまた元に戻すというドン・キホーテの悪質極まる営業姿勢だったことにもまた異論はなかろう。そしていまだにドン・キホーテはそこを改めようとはしていない。

 来店客のために必要な安全策を講じないばかりか、むしろ放火犯に協力するかのようなやり方はドン・キホーテの企業倫理がすでに破綻していることを示している。「ドンキのキは危険のキ」になりそうな雲行きだ。(12/26/2004)

 ラムズフェルドがイラクを訪れ、迫撃砲攻撃を受けて一度に22名もが死んだモスルの基地やらバグダッド・ファルージャなどの「戦場名所巡り」をした由。クリスマス休暇を返上するくらいに熱心なところを見せようという魂胆が見え見え。戦死した兵士に対する弔文の手紙に自筆サインする手間を惜しんだ「ツケ」を払わされたというところか。

 タイプうちした文面の最後が自筆署名、これが親書の常識であるのかどうかは知らない。しかし1年ちょっとで千人、月あたり数十通程度の「死亡通知」を国防長官名で出しながら、署名さえしないでいたとは、アメリカの国防長官も一般兵士を「一銭五厘」と蔑んだ傲慢な大日本帝国の皇軍マインドに似ていたものと見える。批判されるやあわてて「これからは一通ごとに署名する」と宣言した。そのとたん、いちどきに二十名近くもの戦死者が出てしまったのは神様も皮肉なオチを用意したものだ。

 ドナルドは憂鬱になっているだろう、「クソ、娑婆じゃろくな働き口もないから仕方なしに軍隊に入ったようなバカどもが死んだからって、なんでエスタブリッシュメントのこの俺の直筆サインがいるんだ、たかがGI、たかが兵卒、死んであたりまえ、死ぬための兵士じゃないか」と毒づきながら。(12/25/2004)

 政府は火曜日に李登輝前台湾総統から申請のあった入国ビザを発給した。これに対し、中国は外務次官が阿南駐中国大使を呼び撤回を求め、王毅駐日中国大使が経団連での講演で李登輝を「台湾独立勢力の代表的な人物。分裂活動を進める急先鋒」と呼んで取り消しを訴えた。

 李登輝がただの民間人であるとはだれも考えないだろう。だが前職とはいえ既に総統の座を降りて4年が経っていること、申請が観光目的の短期ビザであることなどの客観条件を考慮すれば、これを不許可にすることには合理性がない。まして純粋に個人的な申請を日本政府がどのように処理しようと、中国政府がそのことにくちばしを入れる筋合いのものでないことははっきりしている。一部に不当な内政干渉だという主張があるのはその通り。

 今月11日に行われた立法員議員選挙で陳水扁の率いる民進党は手痛い敗北を喫した。公的機関やこれに準ずる組織の名称から「中国」・「中華」を抹消し「台湾」に置き換えるなどの「台湾独立」に向けた一連の政策は有権者から「ノー」を突きつけられた形になった。民進党と与党連合を組んだ李登輝の台湾団結連盟は35議席の獲得をもくろんで選挙戦を戦い、結局、12議席しか獲得できなかった。これはひたすら台湾へシュリンクする感のある李登輝路線がもう生命を失ったことを示している。

 台湾資本の活躍場所は既に大陸に重心を移している。老残の李登輝にはおそらくその現実が見えていない。だから日本の理解者、ただ、ただ、大陸中国の「社会主義」が嫌いな故に「台湾独立」を快事と夢想する、李登輝同様に視力低下の進んだ老残者たちと心地の良い現実逃避的な会話を楽しみたいのだ。なにしろ彼らの中には「政府与党(陳水扁の民進党+李登輝の台湾団結連盟)は安定多数どころか、立法院の絶対多数を制することも夢ではない。そうなれば、陳水扁政権は、独立路線に基づく本来の基本政策を実行に移すことが可能になる。李登輝氏が打ち出した団結連盟構想は、このような可能性を秘めた大戦略である」などという「見識」を得々と披露した者さえいる。傷心の李登輝が現実を忘れるためには格好のホストだ。訪日の折、彼は涙を流すに違いない。無力な老人にはぬくもりがなにより嬉しかろう。たとえ、負け犬の傷の舐めあいだったとしても。

 元に戻って、王毅大使の李登輝評は正しい。しかし李登輝本人の影響力は過去のものになりつつある。敗残の老人の慰めを奪うことにムキになるのは大人げないと知るべきだ、中国は。それともいまだ中国は「打落水狗」の伝統を墨守しているのか。(12/24/2004)

 終日、年賀状書き。親戚やら**(家内)の分を含めて150枚くらい。図柄や宛名などはプリンタで処理をするから、さほどのことはない。大変なのは手書きで添えるひとこと。書きたいことがパッと浮かぶような間柄のものはいいが、すべてそんな人ばかりではない。

 できるならスラスラひとことが書ける相手だけにしたいものだが、まだそうばかりもいかない。それでもことしは喪中欠礼が挟まったチャンス、少しばかりしぼることを考えた。

 青眼で迎えられるメンバーだけに限定できるようになったら、学生時代のようにことし読んだ本の中から、相手にあわせて「ここ」というくだりを紹介する、あのスタイルに戻したい。鬱陶しい関係をすっぱり切れるようになるには、あと4回くらい我慢しなくてはならない。

§

 朝刊にイラク派遣反対ビラ入れ事件無罪判決に対し東京地検が控訴方針を固めたとの記事。検察の面子なのか、それとも公安警察からの強い要請なのか。日歯連の政治献金事件では、橋本・野中などはお構いなしで、村岡だけが起訴された。最近の警察・検察の仕事ぶりはひどく恣意的かつ不公正だ

 同じ朝刊の一面には神戸大学院生殺害事件における警察の職務怠慢を認定し兵庫県に9,700万円の賠償を命ずる判決があったことが報ぜられている。判決文を伝える記事を読むと血が逆流するほどの怒りがわいてくる。被害者は自ら交番に駆け込んだにもかかわらず、二人もいた当直警官はともに睡眠中で応ぜず、さらに被害者がかけた110番通報に、パトカーはサイレンも鳴らさず、昼間でさえ10分もかからないところを深夜20分近くもかけて出動し、被害者同僚の「連れ去られたかもしれない」という言葉をなんの根拠もなしに黙殺し、さらには出頭した暴力団員をそのまま返すという信じ難い手抜きまでして、被害者が暴行・殺害されるに任せた。このうちのどれかひとつでもあたりまえの処理が行われていたならば、被害者は死ぬことはなかった。兵庫県警は殺害の共犯者だといっても言い過ぎではない。

 一方、立川のビラ入れ事件はどうか。こちらの方は警察官がわざわざ被害届けを手ずから作成したうえで、被害意識のない住民にハンコを捺させて「事件」を作り上げている。兵庫県警が怠け者で、警視庁が働き者なのか。それとも警察は事件にしたくないものは徹底的に無視し、事件にしたいものを事件にしているのか。いったい、どちらなのだろう。(12/23/2004)

 昨夜9時からのNHKの「不祥事釈明番組」の視聴率は6.5%。同一時間帯の前週の視聴率を大幅に下回った由。番組開始時はそこそこの視聴率だったのが、冒頭部で、いまやエビジョンイルというニックネームまでたまわった海老沢が「会長職にとどまり再発防止をするのがわたしの責務」と言ったあたりから、ぐんぐんと瞬間視聴率が落ちたという。空気はもはや会長辞任ということのようだ。

§

 朝刊からの切り抜き。見出しは「ユコス子会社の競売実施 ロシア政府、解体に着手」。

 ロシア連邦財産基金は19日夕(日本時間同夜)、巨額の追徴課税などで経営危機に陥った石油大手ユコスが保有する子会社ユガンスクネフチガスの競売を実施した。AP通信によると、無名のバイカルファイナンスグループが、2607億5000万ルーブル(約1兆560億円)で落札した。ユコスはこれで主な収入源が絶たれ、破綻することが確実で、かねてプーチン大統領が推し進めてきた同社の解体が現実のものとなる。
 当初は、準国営のエネルギー企業ガスプロムの子会社によって落札されると見られていた。バイカルファイナンスグループは先週、競売に参加を表明、最終的にガスプロムの子会社と2社だけが応札した。同グループは「ほとんど知られていない」(ニューヨーク・タイムズ紙)が、AP通信によると「ガスプロムの代役」と見られているという。また、別の石油大手のスルグートネフチガス社に関係しているとの説もある。
 米国に営業拠点があるユコスは15日、資産保全をねらい、テキサス州の連邦破産裁判所に破産手続き開始を申請。裁判所は、競売に参加を予定していたバイカルファイナンスを含む4社に対し、10日間の差し止めを命じる仮処分を決めた。この影響で、ガスプロムは当初予定していた資金調達が困難になった。
 米政府は「ビジネスの場としてのロシアの評判や、同国経済への影響を懸念している」(国務省スポークスマン)などと、競売を見送るよう求めていたが、ロシア政府は「ユコスの処理はロシアの国内法に基づいてのみ行われる」として、無視する姿勢を示していた。競売が強行されたことで、両国間では今後、政治問題化する可能性もある。
 プーチン大統領は、旧ソ連崩壊後に誕生したユコスなど新興財閥が、豊富な資金を背景に政治力を高めていることに危機感を強めていた。ロシア当局は03年10月、ユコスのホドルコフスキー社長(当時)を脱税容疑などで逮捕。ユコスと関連会社は00年から03年までの脱税容疑で、約175億ドル(約1兆8000億円)の追徴課税も受けた。ユコスはそのうち約5分の1を支払ったが、当局は不足分を埋めるためとして、今回、子会社ユガンスクの株式を競売することにした。
 ユコスはロシアの原油生産の約2割を占め、ユガンスクはグループ生産の6割を担う。プーチン政権は、エネルギー産業全体を政府の支配下に置こうとしている。

 これをプーチン政権の「ソ連化」とだけ見るのは間違いだろう。プーチンに強権的な姿勢があることは事実だが、これにはロシアの石油をアメリカ資本に食い物にさせないための防衛的側面があることも認めなければならない。グルジアの「薔薇革命」も、毒殺騒ぎで話題のウクライナの大統領選挙も、けっしてこのニュースと遠い関係にあるものではなさそうだ。

 アメリカとロシアの間に石油に限定されない角逐が始まっている。(12/20/2004)

 先週のOECDの調査結果に続き「国際教育到達度評価学会(IEAと略すらしい)」が昨年実施した中学生と小学生に対する理科と数学・算数の結果が水曜日の朝刊に載っていた。こちらの結果も中学校2年の理科は第6位、数学は第5位、小学校4年の理科は第3位、算数は第3位と、順調に世界の平均にむけてレベルダウンしつつあり、「できん者はできんままがよい」とする三浦朱門先生のお望み通りのものになっていることはまことに慶賀すべきことだ。

 斎藤貴男の三浦とのインタビューにはこのようなやり取りが続いていた。

――それは三浦先生個人のお考えですか。それとも教課審としてのコンセンサスだったのですか?
「いくら会長でも、私だけの考えでは審議会は回りませんよ。メンバーの意見はみんな同じでした。経済同友会の小林陽太郎代表幹事も、東北大学の西澤潤一名誉教授も・・・・・・。教課審では江崎玲於奈さんの言うような遺伝子診断の話は出なかったが、当然、そういうことになっていくでしょうね」

斎藤貴男「機会不平等」から

 つまり「できん者はできんままで結構、非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいい」、なまじものを考えるような教育など大半の人間には不要だというのは、財界と学会のコンセンサスだったということだ。OECD、IEAという晴れ舞台で彼らの「教育理念の実現」が確認できたことはじつにすばらしいことだった。各界のリーダーが審議会委員を務めた精華というべきか。

 そのニュースが伝えられた翌日の天声人語は「教育とは、学校教育に邪魔されないで身につけなければならないもののことだ」というマーク・トウェインの皮肉な言葉で書き出し、同じニュースを米紙がかなり深刻にとらえて報じたことを伝えていた。曰く、「危機が近づいているのではなく、危機のまっただ中にいる」、曰く、「私たちは技術の戦争に敗北しつつある」。それもそうだろう、アメリカの中学の理科は第9位、数学は第15位、小学生の理科は第6位、算数は第12位だったのだから。

 三浦先生は「アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる」からいい、「日本もそういう先進国型になっていかなければ」ならないといったのだから、低学力という米紙のいうところの「危機のまっただ中に」進んでゆくためには、これからもより一層「できん者をできんままに」見捨てる教育に精を出さなくてはならない。

 それはそうと、ではもともとこの国の教育は物事を論理的に考える力を育ててきたかというと、答は否だ。ちょっと前に読んだ小谷野敦の「すばらしき愚民社会」などその例証になる。共感するくだりもあったが、読後感は軽い「乗り物酔い」のような感じ。論理の大黒柱が浮いたまま揺れているからだ。彼が建てられるのはせいぜいしっかりした物置小屋ぐらい、ちょっとした個人住宅となるとこれは無理だ。1962年生まれ、東大文学部から大学院博士課程終了、こういうキャリアでこの程度。じつに情けない国だ。(12/19/2004)

 忘年会続きで見落とし記事がいくつかある。山下京子の手記もそのひとつ。酒鬼薔薇聖斗とされた少年が今月末で保護観察期間を終えて来年1月から社会復帰する。殺された二人の子供の親はこういう節目ごとにマスコミ取材を受ける。実際その映像なり記事なりを見聞きするのだから、こちらも下衆であることにかわりはないのだが、そっとしておいてさしあげるということができないものか。

 それぞれの親はある対照をなしている。土師家は父親が、山下家は母親が応え、土師は主に肉声で語り、山下は主に書き物で語る。どちらがどうということはないのだが、なにか平凡な印象をまぬかれない土師守の言葉に比べると、山下京子の手記は永久に我が子を失った母親の悲しみが沁みてくるところがあって、男親はついに女親ほどには子供とつながっていないのではないかとなどと思ってしまう。

 それにしても山下京子は、いつものことながら、人の暮らす世の中にはそれと知れずに光を秘めている人がいるということを実感させてくれる。ふだん「俺が俺が」や「私よ私よ」ばかりを眼にして、つくづく嫌なものだと思いなしているこの世間が、そんな連中ばかりでできあがっているわけではないと知れると浮き立つような気がしてくる。

 社会復帰をする青年とどこかで薄ら笑いを浮かべているやも知れぬ酒鬼薔薇聖斗はこの手記をどう読むのだろうか。名も知らぬ青年よ、せめてキミだけは、この人の願いに立派に応えてくれ、頼む。(12/18/2004)

 この1月に防衛庁の立川官舎にイラク派兵反対のビラをまいて逮捕・拘留されたメンバーに対する地裁判決は「無罪」。判決理由は「法秩序全体の見地から刑事罰に値する違法性はない」とするもの。ごくごくあたりまえの話であるだけにホッとする反面、ではいったい彼らの拘留を認めたのはどういう判断だったのかという気がする。

 もともとが「異常な事件」だった。被害届は官舎の住民の発意によるものではなかった。警察が届け出事項を予め書いてきたものに印鑑を捺させたということが公判中の弁護人尋問で明らかになった。近頃の警察は恐ろしく住民サービスに力を入れているらしい。アムネスティ・インターナショナルは3月に彼らを「良心の囚人」に認定していた。これは日本では初の認定例だったという。アムネスティのサイトにはこんな記事が載っている。

 アムネスティは、また、この三人の家族に対しても嫌がらせがおこなわれている点を懸念している。たとえば家宅捜索であるとか、ノートやコンピュータ類を押収するなどである。三人の運動家は立川の警察留置場に勾留されており、逮捕後、毎日ほぼ8時間にも及ぶ取調べを受けている。取り調べの最中には弁護人は立ち会っていない。アムネスティが受け取った情報によれば、彼らの取り調べを担当しているのは警視庁の公安二課であり、この事件が公安事件として取り上げられていることを示唆している。「アムネスティは、彼ら三人を直ちに釈放するよう要求する。また釈放後、日本は彼らの権利が、日本も締約国となっている国際人権基準に保障されているように、きちんと守られるよう要求する。」アムネスティはそのように語った。

 法適用の恣意性は最近に限ったことではないが、客観的に見て危険水域に入ったということだろう。多くの人々は徐々に徐々に変わってゆくことがらには鈍感なものだ。ひところ喧伝された「ゆでガエル」はそれをさしたものだ。ニーメラーの詩のようなことが起きつつあると考えた方がいい

 きょうの判決は画期的でもなんでもない、至極当然の判決だ。むしろ被告たちの75日間にも渡る拘留を申請した検察庁やそれを許可した裁判所の「違法性」こそ批判されなければならない。まさか拘留許可を与えた裁判所ときょうの判決を下した裁判所とが別ではあるまい。(12/16/2004)

 昨日の夜さいたま市にあるドン・キホーテのふたつの店舗で前後2時間の差で相次いで火事があった。先に出火した「浦和花月店」は12時間後のけさようやく鎮火、従業員3人が焼死している。どうやら放火らしい。ドン・キホーテは出店前の営業時間協定を一方的に破棄するなどして、いくつかの店舗で周辺住民と対立しているから恨みによる可能性も無視できない。

 焼けた浦和花月店は消防局の立ち入り検査で避難通路の確保や非常口表示灯などの設備に改善指導を受けていた由。ドン・キホーテ商法はレジまでの間にさらに余分なものを買わせるために、あえて商品を通路まではみ出すようにしたり天井まで積み上げるなど、迷路・ジャングルのようなディスプレイを行なうことで新奇性を打ち出す戦略を特徴としてきた。

 強みというものは度を越して弊害を生むと皮肉なことにそれがなかなか克服できない弱みになる。奇策は、所詮、奇策に過ぎないのだが、上げた成果があまりに大きいと発案者自身まで幻惑される。アイデアマンだった元の発案者はその時点ではただの人より始末が悪くなっていることも多いものだ。「面白いドン・キホーテ」が「危険なドン・キホーテ」と思われた瞬間に、もういままでのやり方はヤボでつまらないものに変わっている。空涙で記者会見に応じた「やり手社長」の頭がどの程度柔軟であるかによってドン・キホーテの明日も決まってしまうだろう。(12/14/2004)

 **(家内)と神保町で待ち合わせ、ランチョンで夕食をとってから岩波ホールで「父と暮らせば」を見る。宮沢りえがきれいだった。帰りの電車で**(家内)、「花粉症の人が多かったね」。

 たしかに涙は出た。ホールの急性花粉症罹病者の涙にはいろいろのものがあったろうが、あえて書けば、原爆という途方もない兵器により生死をわかたれた人々に同情したということよりは、宮沢が演ずるミヅエという娘がもつ「人間関係への責任感」とでも呼びたいような意識の美しさに泣いた。そういうものをとっくに失ってしまった自分といまの時代が、いかにも情けなく思えてしかたがなかった。いま、いったいどれだけの人が「死者への責任感」を持っていることか。

 もとより映画が終ったところでミヅエは存在を失う。ミヅエと夫婦になった木下青年、彼らが実在するとしたら、五十数年を隔てたいま、彼らが交わす「日本語」はどのような言葉になのかと、そんなたわいもないことを秋津に着くまで考えていた。彼らの交わす「日本語」とそれを支える意識は、いまも、あれほど美しいままであろうか。(12/13/2004)

 毎日新聞の内閣支持率調査で37%の数字。あしたは新聞休刊日。各社の支持率調査結果が出そろうのはあさってになる。もし同様の支持率低下傾向が見られるとしたら、イラク派兵延長、対北朝鮮消極姿勢、いずれが原因になったものか。時期的には微妙なだけに興味津々。(12/12/2004)

 帰宅が遅かった日の新聞を読み返し、目にとまったものをふたつ。

 まず8日水曜日朝刊の「海外メディア深読み」から。主題は先週ラオスで開催されたASEANプラス3で提唱された東アジアサミット。その末尾にはこんなくだりが書かれていた。

 韓国紙の東亜日報は異質な国家間の共同体実現には共通の経験が必要だとしたうえで「大部分の東アジア国家は帝国主義の侵略を受け、収奪と侮辱を味わった共通の経験がある。東アジア首脳会議は来年8月15日に中国の南京あたりで開くよう提案したい。日本の首相もそこで不戦の誓いを約束すれば、中日関係だけでなく東アジアのためにもよい出発になろう」と書いた。
 インターナショナル・ヘラルド・トリビューンのコラムにも「日本は国内政治のせいで国際的影響力を損ない続けている。中国は小泉首相の靖国神社参拝の意味を誇張するが、その外交的代償は日本に高くついている」という。

 もうひとつはその翌日9日木曜日の「船橋洋一:日本@世界」。こちらも主題はASEANプラス3。タイトルは「アジアのアジア化」。

 地域主義を突き動かしているのは経済である。東アジアの経済統合は急速に進んでいる。02年の域内貿易比率は52%近い。EU(欧州連合)の62%には及ばないが、NAFTA(北米自由貿易協定)の46%を上回る。それに伴って地域の対米貿易依存度は低下している。アジアのアジア化が進んでいる。
 米国も落ち着かなくなってきたようだ。このほど来日したミッチェル・リース国務省政策企画局長は「個人的見解」としつつ、「米国は西太平洋パワーとして東アジアに権益と利害を持っている。この地域の対話と協力から除外されたくない」と同サミットへの懸念を表明した。米国は、サミットが将来、中国の東アジア支配の道具になるのではないかと心配している。・・・(中略)・・・米国はこの地域の対米不信感が10+3の下敷きになったことを忘れている。97、98年のアジア経済危機の時、ASEANは米国に見捨てられたと感じた。「あの時、米国の友人に、なぜ米国はタイを助けなかったのかと聞くと、米国はタイとは国境を接していないからねと言われた」とタイの女性経済学者は感情を高ぶらせて語ったものだ。・・・(中略)・・・
 東アジアでの米中の葛藤(かっとう)は、アジアのアジア化が進めば進むほど激しさを増すだろう。日本は、対米依存と対中恐怖を克服し、自らのアジア構想を持たなければならない。日本の使命と役割は格段に重くなる。

 第一回の東アジアサミットはマレーシアのクアラルンプールで開催されることになったというから、東亜日報の「提案」はすでに流れた。しかし東アジア貿易圏に向けて中国はすでにASEANと協定を結び、関税撤廃の交渉を始めている。この国はつい先日フィリピンとの間でかなりフィリピンにハンディキャップを背負わせたFTAに合意したばかりだ。

 北米はドル、EU内はユーロとして、東アジア経済圏で基軸通貨は何になるのか。バカな「ナショナリスト」どもが「靖国参拝」や「領海侵犯」などをがなり立てているうちに、日本は新たな「失われた十年」を作りつつあるようだ。(12/11/2004)

 けさの朝刊には8頁にもおよぶ病院一覧が別刷りでついていた。C型肝炎ウィルスが混入している恐れのある血液製剤「フィブリノゲン」の納入先病院とのこと。問題のフィブリノゲンの製造元は三菱ウェルファーマ。この会社、昔の名前は「ミドリ十字」。公表データは1980年から2001年までが対象。危険性が指摘され始めたのは1987年頃というから、役者も舞台も薬害エイズとまったく同じ。

 **(弟)もたしか肝炎がつまずきの始まりだった。あれは去年の春だったか、メールに「ちょっとこの頃体調が悪くて」と書いたら、「早めに一度ウィルス検査をした方がいい、ぼくはちょっと気付くの遅れたけど」といってきた。検査結果は陰性。その旨メールすると「よかったね」という返事があったっけ。

 何度聞いても*型肝炎というのは憶えられない。だからC型だったのか、そうだったとして、「フィブリノゲン」が原因だったのかどうかは分からない。こんな感覚の人はたくさんいるだろう。(12/10/2004)

 マキャベリの「君主論」の「君主」はそのまま「国家」に置き換えても通る。その有名な章に彼は(君主は信義・誠実・慈悲・人情などの)「諸性質をことごとく備える必要はない、ただ備えているようにみせることは絶対に必要である」と書いた。あえてこの言葉をすこぶる評判の悪い「マキャベリズム」風に解釈すれば、「国家は信義を裏切らないふりだけはせねばならない」。しかし朝鮮民主主義人民共和国はこの鉄則すら守ろうとしなかった。

 横田めぐみの遺骨として引き渡されたものはDNA鑑定の結果別人のものであることが分かった。北朝鮮は国家としての信義がないと断ぜられてもよいと考えていたということだ。それだけではない。5つの遺骨のうち4つは同一人のもの、残る1つは別人のものだった。北朝鮮は、捏造に際して、同一人の骨を集める労苦すら惜しんだということだ。

 あるいは「二度の火葬に付した」といえば最初からこちらが不可能と諦めると考えたのか。発表によれば、科学警察研究所は断念し、帝京大法医学研究室が鑑定をやり遂げたということ。帝京大は南方での戦没者の遺骨鑑定に相当例の経験があり結果を出すことができたらしい。自国の科学技術水準で世界を見るなど夜郎自大もはなはだしい。

 食糧支援の凍結は当然の措置だし、ことここに至っては経済制裁も視野に入れなければなるまい。軍事力の行使をメニューに持たない我が国にとっては経済制裁はほとんど最終手段である。したがって一部の愚かな人たちの主張するようにすぐに切るカードではないし、我が国単独で切るカードでもない。少なくとも我が国が断交するやその真空を埋める国があっという間に現れるなどという事態は絶対に避けなければならない。切りうるカードを切ってしまい、あげくにまだ事態にいささかの変化も与えられないとしたら、こちらの負けだ。

 北朝鮮政府の喉元をこの経済制裁で確実に縊りきるだけの準備が必要だ。その準備は明確なプログラムとして公表し、各国の協力を順番に取り付け、北朝鮮政府に見える形でそのプロセスが着実に一歩ずつ進んでいることを常に示すことが重要だ。ギロチンの刃が自らの首筋に落ちる恐怖を与え続けなくてはならない。そのためには朝鮮総連にはプログラムの進捗を正確に伝えた方がいい。

 まず国連のチャネルから効果的な経済制裁への準備にはいること。その意味ではWFPに対する支援食料の提供凍結だけではなく、WFPの活動を絞ってゆくための働きかけぐらいは最初にしなければなるまい。あわせて中国を説得すること。最善は味方に付けること、最悪でも周囲環境から北朝鮮の側に立つことが許されないと意識させることが必須の条件だ。

 平和国家、軍事力を行使しない国家が満腔の怒りをこめたときには、どれほど恐ろしいかを示すことだ。そのことに勇気づけられる国々がある限りプログラムは進められる。(12/8/2004)

 15歳を対象にしたOECDの国際調査で、読解力は14位(前回2000年は8位)に、数学応用力は6位(同1位)になったというニュースが夕刊トップ。

 読解力に関するレベル分布のグラフと解説記事が印象に残った。

 最高位レベルの比率だけが前回とほぼ同じ。中位までは前回より落ち込み、下位レベルにいくにしたがって前回に比べて比率の伸びが大きくなっている。つまり地滑り的に下位にシフトが進んでいる。また読解力については、この国の子供たちが得意とするのは選択問題、不得意とするのは「文章や図を論理的に解釈してそれを」自由記述によって表現する問題である由。

 かつて教育課程審議会会長を務めた三浦朱門はこんな風にいっていた。

 学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまりできん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。・・・(中略)・・・
 今まで、中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら"どうせ俺なんか"で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。昨今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。・・・(中略)・・・
 国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが"ゆとり教育"の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ。

斎藤貴男「機会不平等」から

 良かった、良かった。今回のOECDの調査結果は、文科省のお先棒を担いで「先見の明」を発揮した三浦先生の努力のたまものだ。「できん奴」はよりできないようになり、あげられたものから答を選ぶことはできるが、フリーに考えることやそれを主張することは「どうせ俺なんか」ときれいさっぱり諦めている。まさに三浦先生のおっしゃる理想がめでたく実現されているではないか。本当に良かった。

 しかし「すごいリーダー」がブッシュかぁ。チャーチル(ちょっと持ち上げられすぎという気もするが)のパブリックスクールでの成績は「できん者」そのものだったはず。いや、そもそも三浦朱門にしてからが「小説家」といわれているけれど、どれほど「一流」なんだろ。まさか、これほどのことをいいながら、そのじつ自分は「小説家」としては「非才」、「無才」ってことはないはず。もしそうなら、説得力がない。ところで、三浦の代表作の題名を知っている人って、・・・、いる?(12/7/2004)

 眠気覚ましに喫煙ルームに行って、ぼんやりと外を見ていた。夕方の富士がシルエットになっていた。塗装工場の跡地にマンション建設が進んでいる。ものづくりの工場からソフトウェア工場へ。正式配属前に現場実習をしたショップはとうになくなった。グラウンドも立体倉庫も塗装工場もすべて土地として売り払ってしまった。工場とは名ばかり、もう半数以上が本社機構のメンバーだ。

 マンションは十数階建てになるらしい。この建屋も圧倒されるだろう。いまはまだ6階部分まで。ひと月もしないうちに喫煙ルームから富士は見えなくなる。完成すればおそらくマンション住民組織からこの建屋の西側の窓は常時ブラインドを下ろすように依頼が来るに違いない。それくらいに敷地いっぱいに建てられている。建設現場の溶接の青白い火が暗がりを際立たせている。その火を凝視していたら、切れ切れの詩句が浮かんだ。

この美しい都会の建築を愛するのはよいことだ

すべての高貴な生活をもとめるために

ああ このおおきな都会の夜にねむれるものは
ただ一匹の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ

このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか

 朔太郎は都会を走る路面電車のパンタグラフに生ずるスパークから青い猫を想起した。・・・「少しばかり大げさな連想だったな」と微苦笑しながら席に戻った。(12/6/2004)

 台風崩れの低気圧が迷走し、凄まじい強風と季節はずれの高温。千葉では明け方に40メートルを超える強風が吹き荒れた由。こちらは風はさほどのことはなかったが、気温はなんと20度をはるかに超えて暖かい、というよりは暑い。どうやら夏日になったらしい。スポット的なことならば「異常気象」と騒ぎ立てる気はないが、これだけ暖かく、冬の気配がほど遠いとやはりひとこと書いておきたくなる。(12/5/2004)

 ウクライナの大統領選挙の有効性を審理していた最高裁が決選投票に大規模な不正があったとしてその無効を決定した。夕刊にはいくつかの不正行為や容疑の例が載せられている。ひとつ、投票締め切り後に百万票以上が与党候補に入れられた。ひとつ、一部の州では投票率が百パーセントを越えた。ひとつ、得票を集計する電算システムに使う暗号が選挙直前に外部に洩れた。ひとつ、投票所の配布されたペンに特殊インクが仕込まれ記入後一、二時間で不鮮明になった。ひとつ、このインクはソ連時代のKGBが開発したものだ。

 ロシアはこれに沈黙で答え、EUとアメリカは歓迎の声明を出した。アメリカはよほどこの決定が嬉しかったらしく、大統領報道官が「ウクライナ国民の意思を反映した平和的かつ民主的な解決に向けた第一歩だ」とコメントした由。

 ウクライナの選挙にロシアの影がちらつくことは事実で、政府与党側の大がかりな不正があったこともおそらくその通りなのだろう。ただ嗤いたくなるのは、他ならぬアメリカの大統領選挙にも大同小異の不正があったと推測するにたる指摘が出ていることだ。

 マイノリティに対して投票を認めない選挙区や事務処理を遅らせて行列を作らせ投票を諦めさせた選挙区があったことは周知の事実だし、投票率が百パーセントを越えた選挙区もあった。電子投票を採用した州では出口調査の結果とコンピュータ集計の結果に数パーセント以上の差が出たことも一部には報道された。そしてこれらの「不具合」と「不思議」はすべてブッシュに利する方向で機能したといわれている。

 ウクライナの疑惑とアメリカの疑惑の根拠には、さほどの違いはない。ホワイトハウスの報道官がウクライナ最高裁の英断をためらいなく賞賛できたのは自分たちが行った不正と同じものをそこに見たからではないのか。ならず者が自分を追いかけることがない管轄外の保安官を賞賛する、皮肉な話だ。(12/4/2004)

 アメリカは今月中にイラクへ1,2000人を増派し、あの「戦闘終結」宣言後最大の15万人体制にするとのこと。

 10月28日付の朝日朝刊によれば、10月25日現在イラクに部隊を派遣している国はアメリカをはじめとして30ヵ国、総勢約16万3千人あまり、いったん派兵しながら撤退した国は7ヵ国、約3千人。じつは派兵国30ヵ国のうちノルウェーは司令部要員10名を残して主要部隊をすべて引き上げているのだが、少しでも派兵国数を水増ししたいアメリカはノルウェーをカウントしている。嗤える話。

 しかしこの中から派兵数ベスト5から7までの3ヵ国が撤退の予定。(年末までにウクライナ1,632名、来年3月までにオランダ約1,300名、来年末までにポーランド2,400名)。つまり現状のままでは近々16万人体制に縮小してしまうわけだ。アメリカが増派したのも無理からぬところだ。それでも実際に必要な人員見積りの水準にははるかに及ばないのだが。

 イラク侵略直前のアメリカの戦費見積りは月あたり22億ドルであったものが、ここ数ヵ月は58億ドルまで増加していた。1万人余の増派はこの戦費をかなり押し上げることになるだろう。

 財政赤字はアメリカ史上最悪だったレーガン政権時のGDP比6%に次ぐ4.5%になっている。今後イラク戦費が増大すれば危険水域と呼ばれる5%はすぐにも越えて1983年を上回ることは十分に考えられる。なぜならレーガンにはイラクはなかったがブッシュにはイラクがあるからだ。(12/3/2004)

 朝刊の「日本@世界」で船橋洋一が核不拡散条約(NPT)の枠組みから見た六ヶ所村再処理の凍結を主張している。

 凍結の理由として船橋は、@日本はすでにプルトニウムを大量保有している、Aこれに加えてさらに核燃料の再処理施設を稼働すれば、イランや北朝鮮などの核疑惑国に要らぬ口実を与える恐れが出てくる、という二点を上げている。現に、先月末ようやく結着したIAEAにおけるイランのウラン濃縮活動停止論議において、イランは自らの核燃料サイクルを弁護して、「日本には許されているのになぜ、我々には認められないのか」と疑問を呈した由。

 核保有国の既得権をほとんどそのまま認めている姿勢を転換しない限り、非核保有国の一挙手一投足を縛ろうとするNPTはいずれ行き詰まるのではないかと思うが、その見直しに有効な発言権を持つためには、検討する価値のある提言かもしれない。(12/2/2004)

 朝刊に橋本元首相の政倫審での発言の要旨が載っている。書き写しておく。

 日程表や自動車運転日報を調査した結果、私が01年7月2日に日本歯科医師連盟の臼田(貞夫)前会長らと会食したことは事実だと思う。臼田前会長らが私に1億円の小切手を渡したと言っている。(旧橋本派の会計責任者の)滝川(俊行)さんが私から小切手を受け取ったと話している。7月3日に平成研究会(旧橋本派)の銀行口座に入金され、平成研の政治資金収支報告書に記載されていなかった。客観的事実から考えると、私が受け取って滝川さんに渡したのだろう。
 私は1億円の領収書を出さないと決めたことも、収支報告書に記載しなかったことにも、まったくかかわっていない。だれが決めたのか、わたしには分からない。村岡氏(元官房長官)が起訴されたことも寝耳に水だ。04年7月14日に収支報告書が訂正されているが、訂正を私が指示したことはない。私は収支報告書の記載には関与していないが、道義的責任をまぬかれるものではない。私が会長を務めていた平成研の1億円の処理について、ずさんで不透明な資金管理が行われていたのは恥ずかしいことだ。国民におわびする。平成研の会長を辞任し、同会を退会し、あわせて小選挙区からの出馬を辞退することにした。

 記事にはこれに続いて取り交わされた質疑の要旨も載っている。(気をつけなければならないのはこの政倫審は非公開で行われ、当人の弁明も質疑も出席議員への取材によっているということ。こういう時代だから、ICレコーダーぐらい持ち込んでいるとは思うが。形式的には「伝聞」であることを意識しておく必要はあろう)

 それにしても・・・、刑事責任を問われる場面ならば、こういう物言いは分からぬでもない。しかし、政治「倫理」審査会ではないのか。政倫審設置のホンネの目的はどうあれ、訴追などの法的な制約を取り除いてあげるから、少なくとも事実関係だけははっきりさせ、その上で道義的・倫理的にどうかということを明らかにする、そういうタテマエぐらいはもう少し尊重すべきではないのか。刑事責任に対する防御しか念頭にないような語り口で逃げ回るのは卑怯この上ない。剣道の心はどこに忘れた、橋本龍太郎。

 新聞各紙もさすがに元首相の鉄面皮は捨て置けぬと考えたようだ。各紙社説の見出しを書き写しておく。

朝日   橋本元首相――この芝居で幕は引けぬ
毎日   橋本元首相 国民を愚弄するような弁明だ
読売   [衆院政倫審]「説明責任にほど遠い橋本弁明」
日経   政倫審で幕引きにするな
東京   橋本氏の弁明 年明け国会で決着を
サンケイ (なし)

 各紙、怒っている。ただ一紙、サンケイ新聞を除いては。

 いくらレベルの低いお粗末な新聞とはいえ、サンケイ新聞にも「社説欄」ぐらいはある。しかしサンケイのけさの社説は「東アジア首脳会議 統合は中国の変革が前提」と「世界エイズデー 治療と予防を結ぶ戦略を」だった。

 どうやらサンケイ新聞には橋本を批判できないか、批判したくない深い事情があるのだろう。ひょっとするとサンケイには政倫審の記事そのものが載っていないのかもしれない。夕刊を発行していない新聞としては、午後の早い時間帯に起きた自紙の主張に都合の悪い事態は故意に「ネタ落ち」にすれば事足りる。可哀想なのはサンケイ読者という気がするが、もともと政財界の誤用(なかなか洒落た変換だ、このままにしておこう)新聞、騙され役の貧乏人以外、真っ当な新聞として購読している者は少なかろう。(12/1/2004)

 旅行中の土・日の新聞をさらっていて「新明解国語辞典−第6版」の広告を見たのは昨夜だった。はたしてけさの「スタンバイ」、荒川洋治が取り上げた。

 「明解国語辞典」が最初の国語辞典だった。どういう事情か珍しく**さん(父)と一緒に三省堂に行ったとき買ってもらった。思い出した、日記を一年続けたご褒美で万年筆を買ってもらうために、仕方なく一緒に行ったのだった。(親と歩くのではなく親の財布と歩いていたのは自分も同じだったわけだ)。小学校6年の一月だったことになる。まだ都電が駿河台下を走っていた。帰りに電停近く、御茶ノ水に登る坂の角にあった蕎麦屋に入った。夜学に通っていた頃、よくここで蕎麦をたぐったと幾分懐かしげに話してくれたことも、いま、思い出した。いまより時代がゆっくりと流れていた。

 大学に入って「広辞苑」を手許に置いてからも、コンパクトな「明解」を使うことの方が多かった。コンサイスを除けば、いちばん使った辞典だったかもしれない。「明解」はここに引っ越したときはまだあった。もう背表紙が崩れてグズグズになっていた。建て替えてからだいぶ経って、なくなってしまったことに気付いた。

 「新明解」が出たのはちょうど会社に入った頃だった。版を重ねユニークな語釈が話題になって「シンカイさん」の愛称が生まれてからも、元祖「明解」という本妻があって、「浮気」の意識がはたらいたせいか、手を出すことはなかった。どうしよう、これを機会に買ってみようか。できればCD版が欲しい。広辞苑だって、ペーパー版の方はめったに使わないのだから。(11/30/2004)

 きょう配信の田中宇メルマガのタイトルは「ドルの自滅」。大要は、まずアメリカの財政赤字と経常赤字のそれぞれについて実数をあげ、「11月25日には、ドルがユーロに対し、これまでの史上最安値である1ユーロ=1.3178ドルを割り込み、最安値を更新して下落した」とドルの独歩安を強調した後、「差し迫る経済ハルマゲドン」という見出しを掲げ、幾人かのかなり悲観的な予想を紹介している。

 経常収支の赤字というのは、ドルが基軸通貨として使われている以上、「トリフィンのジレンマ」などで説明されているように、専門家はある程度までならば許容されると考えているらしい。問題はその基軸通貨を供給している国の財政収支が大赤字であることと、政府首脳がその状況になんら効果的な手を打とうとしていないばかりか、かえってより悪化する方向に舵をとり続けていることだ。

 冷戦が終わってアメリカ一国が世界の潮流を決める時代が始まり、この状況は比較的長く続くと考えられた。いまもまだそのように考えている人は多いようだ。しかし、安定期はそのようには訪れない可能性が出てきた。ある程度の見識を持つ者がアメリカの指導者になったならばアメリカの優越はヨーロッパ、それに連なるロシア、日本などの支持で保たれたのだろうが、アメリカは反知性の道を選択することにより、自らの安定的地位を無自覚に棄ててしまった。その結果、好むと好まざるとに関わらず、ヨーロッパはこれに対抗する姿勢をとらざるを得なくなり、ロシアと中国はその間隙を突くことが可能になった。いくつか想定される安定状態のうち、アメリカにとって最悪の形は、ユーラシア圏対アメリカの対立という構図だろう。そのときアメリカにとって、ユーラシア大陸の西端の前線基地はイギリスとなり、東端の前線基地がこの国になる。イギリスが座して属国の道をとるとは思えないが、長期の展望を持ち得ないこの国は唯々諾々とアメリカに従属し、衰亡のアメリカ帝国とおつきあいをすることになりそうだ。

 ロシアとEU、ウクライナの選挙に対する欧米対ロシアの対立構図を一方に置きながら、ロシアは来年からドル連動制をユーロ中心の通貨バスケット方式へ転換する動きにある。10月にはシラク大統領、プーチン大統領が共々に訪中し、EUの対中国武器禁輸の緩和や経済・軍事両面に渡る中ロ行動計画の立案などを進めている。ドルだけを基軸とした通貨制度からの離陸が意味するものは、ひたすらブッシュに尻尾を振り続けるポチ・コイズミやアメリカだけをまぶしく眺め続けているこの国の情けない売国奴達の眼には見えないのだろう。(11/26/2004)

 年末調整の申告。今年から扶養配偶者に対する特別控除がなくなったため恐ろしく簡単。定率減税も廃止の方向にあるらしく、どうやら大増税時代に向う趨勢。きのうだかおとといのニュースではサッポロビールが開発した発泡酒に続く第三のビールの税率をあげる話が取り上げられていた。景気回復の匂いがするやいなやの増税、そして粒々辛苦の開発をして新製品を開発するやその効果の上前をはねるやり口は、消費税率アップで芽を摘んだときや発泡酒課税強化のときと同じ。

 第三のビールの税率について、インタビューを受けた政府税調会長の石は「まがい物のビールの税率が低いがために本物のビールが苦戦し本来の酒文化を損なっている」などと、何を言いたいのかよく分からぬ話をしていた。本来の「酒文化」なるものがどんなものなのかとんと分からぬが、増税したいなら増税したいと言えばよい。「文化防衛」などと言うな。「まがい物」と呼ぶなら、その「まがい物」に「本物」なみの税を課したいなどと言うな。バカ者。(11/25/2004)

 目覚ましがわりの「タケロー・スタンバイ」によると、きょうのサンケイの一面トップは大学生の国語力の低さに関する記事だった由。思わず寝床の中で吹き出してしまった。先週、読んだ呉智英の「言葉の常備薬」のことを思い出したからだ。

 この本のまえがき「言葉のトンデモ論」で呉は8頁を費やしてサンケイ新聞の国語力の低さを具体例をあげて徹底的にこき下ろしている。

  1. 「平仮名のヒラ」の意味を誤認している例
  2. 「幸せ(仕合わせ)」から反ジェンダーフリーを主張する如何にもサンケイ的なこじつけ談義の話
  3. 「捨象」という言葉の意味を誤認し、気取ってみせて大失敗している例
  4. 半ちくな漢文知識でそのじつ赤恥をかいているサンケイ抄子の知ったか振りの話
  5. 動詞の活用形も理解していないバカっぷり

 ここに見る限り、サンケイがバカ学生の国語力を云々するなど、まさに「目くそ鼻くそを笑う」類のこと。おそらく取り上げたバカ学生なり、それと同等のろくに日本語も操れぬバカどもこそ、そのままサンケイ新聞読者となっていることにサンケイの貧しい想像力は及んでいないのだろう。「お客様をバカにしてはいけないよ、サンケイ新聞さん」。呵々。

 末尾近くに腹を抱えて笑うエピソードが書かれているから書き写しておく。

 ところが、文藝春秋のPR誌「本の話」二〇〇四年九月号に、評論家の屋山太郎が恐ろしいことを書いている。
「新聞記者志望の学生達を集めた『作文教室』に」「教本として持って行ったのが石井英男さんの『産経抄』」だというのだ。
 私もある大学で作文教室をやっているが、そこでは誤文悪文の例としていつも「産経抄」をコピーしては教材に使っている。日本語観の相違なのか、どうも恐ろしい教本を使う人がいるものである。

 ・・・と、まあ痛烈。

 じつは「しあわせ」は「幸せ」ではなく「仕合わせ」と書くのが正しいと、これを読むまでは知らなかった。その点では必ずしもサンケイを100パーセント嗤えなかったのが残念。(11/24/2004)

 ブッシュには世界はどのように見えているか。そういう話が朝刊に載っていた。いわく「北朝鮮半島やイラクを含め・・・」、いわく「米国も太平洋国家。だからOPECの会議はとても重要なのだ」、いわく「(イラクでは)選挙は6月30日に予定され、(イラク国民をさして)彼らは大統領を選ぼうとしている」。

 まあ、ここまでそろえば、これは単なる言い間違いではないのだろう。

 ブッシュのトロトロの脳みそには、ユーラシア大陸の東端には北朝鮮半島があり、自分が現在出席している会議は石油輸出国機構の会議であり、イラクで来年一月に予定されている国民議会選挙などは幻想で、じつは六月に大統領選挙が行われることになっている、とこれが実像として認識されているということだ。

 ブッシュはサルなみの頭脳ではなく、じつはクロイツフェルト・ヤコブ病なのではないか。またアメリカ国内のBSE汚染はそれと報告されていないだけのことで相当数にのぼっているのではないか。こう考えた方が合理的かもしれない。

 その下に小さい記事。「アラウィ・イラク暫定政府首相のいとこのビジネスマンが21日、解放された。AP通信によると、首相府が事実を確認したという」。ただのお芝居だったということか。(11/23/2004)

 円相場、一時、1ドル=102円台まで急騰というのが夜のニュース。

 APECの首脳会合後の記者会見で、ブッシュは「強いドル政策を堅持していることをわたしは強調した」と答えたらしい。可笑しいのはこれに続く言葉だ、「ドル相場を注視している人々に与えるもっともいい方法は短期的、長期的な財政赤字に対応すると約束することだ」。

 為替相場は心理的なものに左右される場であるという。とすると、市場がこの言葉をアメリカ大統領の言葉と受け取るか、ブッシュの言葉と受け取るかで反応は違うものになったはずだ。約束が約束たり得るのは約束する主体が信用できる場合に限られる。きょうの結果で見れば、この言葉はウソつきブッシュの「約束」と受け取られたようだ。

 朝刊によれば、アメリカの経常赤字は昨年、過去最大の5,306億ドルに達した由。ブッシュがクリントンからバトンを受けたとき、アメリカの経常赤字は4,000億ドルだった。借金大国であることは変わらないが、この時のアメリカ政府の財政収支は2,000億ドルを超える黒字だった。ドルの信認を確保するためのある程度の裏付けがあった。しかしブッシュはたった三年でもののみごとにこの財政収支を4,125億ドルの赤字にして見せた。たいした「お手並み」だ。

 記事にはグリーンスパンの警告が載っている。「どこかの時点でドル資産への投資は減退せざるを得ない。経常赤字削減のためには財政赤字削減がもっとも効果的だ」。イデオロギーにことさら熱心な連中はおおむね経済には暗いものだ。一期目のブッシュ政権でゴタゴタが顕著だったのは財務長官ポスト周辺だった。おそらく二期目もブッシュは優秀な経済スタッフは持ち得ないに違いない。だからレーガノミックスというブードゥー経済運営以外のアイデアはブッシュ政権には浮かぶまい。

 アメリカ経済が実態的にはマイナス成長に入るとき、ブッシュを支持した保守的なキリスト教徒たちは、その愚かさ故によってきたるメカニズムについてはなにも承知しないままに、自分たちの選択のツケを払わされることになるだろう。

 恒産を失ってなお彼らが恒心を持ちうるものかどうか、じつに興味深い。とくと見物させていただこう。(11/22/2004)

 プライベート部分を外して滴水録をホームページに掲載している。「公開」の意識がどこかに説明調を混じているし、かといって最初から他人に己が考えを伝えようと構えて書いているわけではないから、読み返してみると、論理がまるでカンガルー・コート、「やっぱり、日記だなぁ」というところも散見する。

 新座のレコード棚の奥に高校時代の日記を見つけたときは、一読、いたたまれぬ気持ちになった。文章そのものは再読には耐えない。しかし、それを書いたときの気持ちだけではなく、それを書いた日の天気、匂い、音すらも鮮やかに思い浮かぶ。生きてきた二万日あまりのうちのさほど目立たぬふつうの日の記録でさえ。だからそっとあった場所に戻した。

 大学に入ってからの日記は将来の自分に宛てた手紙という意識で書かれている。こんなことを書いた日がある。

 きょうのようなよく晴れあがった、しずかな午後、今この部屋にさしこんでいるような陽の光をあびながら、背の高いゆりいすにかけて、とろとろとまどろんでみたい。
 かすかな外の音を、夢うつつに聞く時、その時、おれは、いったい、いつを、どこを、だれを、なにを、思いだし、まぶたに描くだろうか。その時、おれは自分を許せるだろうか。

(1970-10-6 TUE 快晴 22.3℃ 1:44 PM)

 火曜日、平日、休講だったのか、サボったのか。これもやはりナルシシストとしては棄てがたく、本棚の上にひっそりとおいてある。

 そして、いま。もうほとんど腹立ち老人日記になってしまった。「おぼしき事云はぬは腹ふくるるわざなれば」、放屁同様、我慢せぬが体のため。(11/21/2004)

 奈良で小学校1年の女児が誘拐され、その日のうちに殺害されるという事件が一昨日あった。犯人は母親に女児が持っていた携帯を使って娘の写真を添付したメールを送信するなど、単なる誘拐というより殺害そのものが目的であったような印象を与える、奇妙で居心地の悪い事件。

 女児の携帯にはGPS機能がついている由。犯人はそれを知った上で利用したのか、そしていまも持っているのか、・・・。それにしてもどこか違和感がぬぐえない。違和感の所在がどこにあるのか、それが分からないのだが。(11/19/2004)

 夕刊に橋田信介が仲立ちし、眼の手術を受けたイラク・ファルージャ在住のモハマド・ハイサム・サレハ少年の再来日に関するニュースが載っている。来月初旬を予定していたのだが、現地情勢が悪いため、早めに出国した由。

 この少年を知るイラク人は、アメリカ軍がどういう存在である(アメリカ軍の爆撃で少年は眼に傷を受けた)か、日本の民間人がどのように行動してくれた(橋田は彼を迎えに行き途上で殺害されたが、夫人が遺志を継ぎ、いくたりかの日本の人々の善意が少年の視力を回復させた)か、同じ日本が派遣した自衛隊がどのように活動している(道路整備をしてその業績を顕彰する碑を自ら作り、直後にその碑は何者かによって破壊されたなど)かを、じっと見ているだろう。

 そこからどのようなことが引き出されるか、「民間のイラクへの貢献」と「政府のイラクへの貢献」のアウトプットがどのように要約されるか。コイズミの言葉は空念仏だ。(11/18/2004)

 **(家内)、京都旅行から帰る。**(息子)から彼が下訳を担当した「ウルカヌスの群像」という本を預かってきた。

 パラパラと眺めてみた。ウルカヌスはギリシャ神話ではヘパイストス、ゼウスの武器である「いかづち」を作った鍛冶の神だ。この本によれば、「ウルカヌス」というのは前回の大統領選においてブッシュの外交チームが自らに名づけたニックネーム。著者、ジェームズ・マンはこれをそっくり借りて、ブッシュ軍事政権の高官、6名、チェイニー、ラムズフェルド、パウエル、アーミテージ、ウォルフォウィッツ、ライスの人格形成期から現在までを書いているらしい。おりしも予定通りパウエルは今期限りで辞任というニュースが流れたばかり。パウエルとセットでアーミテージも辞めるとのことで、残されたウルカヌスたちがこれからどのようにふるまうか、興味津々のテーマに好資料。ということで、**(息子)に感謝。(少しばかり、読む本がたまりすぎているけれど)

 それはそれとして、パウエル個人のためにはこの辞任はよいことだった。彼が完全に引退してしまうとしても、何らかの形で捲土重来を期すとしても、この4年間で一区切りをつけるというのは聡明な選択だと言える。しかし、アメリカと世界のためによかったかどうか、なにしろ後任が、一見するや、あの犯罪者のような目つきの凶悪な面貌で忘れがたい印象を与えるライスだというのだから。(ウッドワードの「ブッシュの戦争」を読み終えるのには時間がかかった。ほとんど書き出しのあたりに「ライスは・・・長身で、非の打ちどころのない姿態、優雅な歩き方、輝くような笑顔をそなえた」とあって、スタイルの善し悪しと身のこなしについては真偽不明ながら、「輝くような笑顔」などとは「こいつ、幇間か」と思い、しばらくの間、その先を読む気がしなかったためだ)

 二期目の大統領は歴史を意識するという。誰しも自分の名前を暗帝としてとどめるよりは賢帝としてとどめたいと思うものだし、なによりアメリカ大統領は二期限り、次の選挙を意識してつまらぬ妥協を排し内実のある取り組みが可能ということもある。もっとも歴史を意識するためには身のうちに「見識」のあることが前提となる。ブッシュに見識などかけらもないとあらば、残された4年は、ひとえに失われたウルカヌスのバランスがどんなメンバーによって補われるかにかかっているといってよい。ライスはさしずめブッシュ家のドーベルマンのようなものだから、バランサーとしてそうとう強力な国務副長官が必要になろう。(11/17/2004)

 コンテナは7つにもなった。日朝実務者会談代表団が北朝鮮から渡された「物証資料」が入れられているというコンテナだ。既に「横田めぐみの遺骨」という報道があったが、形のあるものがコンテナのうちの何パーセントを占め、残り何パーセントが写真やペーパーなのだろうか。もしペーパーが中心だとすると厖大な量ということになる。いったいどんな内容なのかという疑問、それを精査するのに必要な人員と時間が気になる。カスのような資料でもカスだという断定をするためには一から十まで当たらなくてはならない。ごくごくわずかな「金」か「ダイヤ」を混ぜておき、日本側がそれを見つけるかどうかをテストするというような悪意を彼の国の当局者が忍ばせていないとも限らない。

 「証拠資料については帰国して調べますから提出して下さい」などという腰の引けた姿勢では時間が経つばかり。感情的な苛立ちは増すが、それは狡猾な犯人を追いつめる側にとっては敗北の一歩になりかねない。相応の人数の専門家を平壌に常駐させ、ひとつひとつの提出資料の意味を「犯人側」に語らせながら追いつめるぐらいでなくては、ことは進まないのだ。それだけのカネは使えないというのなら、政府は家族会と救う会、いきり立つ国民にそのことを伝えなくてはならない。逆に言えば、家族会やら救う会、そしてなんとか議員連盟は、威勢がいいだけの経済制裁を主張するより、そういった着実に「犯人」を追いつめる方策を政府に迫るべきなのだ。

 それを税金の無駄遣いというか、それをしてこその国家というかは、ただただ「良い人」ヅラをして署名に応じたり、付和雷同して新潟埠頭あたりで「帰れ」を連呼したり、街でチマチョゴリを剃刀で切るなどしている、様々な国民のそれぞれが判断することだ。

 それにしても全体としての印象は横田めぐみに関するデータが他の被害者に比べて突出している。それはマスコミ報道に固有のバイアスがかかっているせいもあるかもしれないが、ある意味でこれは北朝鮮当局者の「心理的足跡」だ。この「足跡」からどのように取り調べを構築するか、そういう知恵者はこちら側にはいないのだろうか。(11/16/2004)

 半休をとって整体に行くと言い出しかねているうちに、**の会議に出てくれといわれてしまった。

 これも例によって営業直接手配で工場を通らずに出ていったもの。しかもあまりレベルの高くない外注先に丸投げの形。品質を云々する以前、リスク管理そのものがすっぽりと抜けているのだ。しかも対策検討そのものも、きょうの報告で聞く限り、広範囲の要因を列挙して論理的に詰めたものではなく、これではないかと当たりをつけて、そこだけをきりきりと突き進めた感じが否めない。現在在職しているメンバーではきちんと見られないのではないかということで、早期退職で辞めている旧設計メンバーに相談することに。

 会議が終わったのは定時をはるかにまわってから。入っているメールのいくつかにレスを返してから工場を出て豊田の階段を下りると、混雑するホームに**さんと**さんがいた。会議が終わって、比較的早くに出てきたのに、中央線が止まっていたという次第。中央線の信頼性の低さは三菱自動車なみだ。いや、事故の発生率を考えれば、それ以下だろう。

 腹立たしいのはなかなか来ない電車の合間に特急がどんどん通過してゆくこと。特急は遅れた時間によっては特急料を払い戻さなくてはならないから、なんとかそれだけは逃れようと繰り合わせをつけているものらしい。ならば定期券利用者にも定期期間内の累積遅れ時間の多寡に応じて一定金額の払い戻しを義務づけるべきかもしれない。これくらいのペナルティを課さない限り、やれ信号不良だ、ポイント故障だ、車輌整備不良だ、人身事故だとありとあらゆる口実を動員して四六時中、遅れながらいっこうに改善の兆しも見えないどころか、恬として恥じる様子のないJRの図々しさは改善されないかもしれぬ。

 基盤となる信頼性を無視して、いや、「無視」というのは認識があってこそのこと、基盤についての理解もなくやみくもにコストダウンをはかり人員も合理化、気がつけば火事ボウボウ、どうやら、当社に限らず、いまは、すべてがこの調子なのかもしれない。(11/15/2004)

 拉致問題に関する第3回の実務者協議が9日から平壌で開かれている。日本側メンバーは総勢19人。警察庁の外事課長と鑑識専門家が7人、写真鑑定の専門家として法人類学の橋本正次東京歯科大助教授なども加わっている。当初一昨日までだった予定はあした15日まで延長された。あしたはチャーター機が平壌まで迎えに行く由。持ち帰るものが相当量あるからだという。

 5月の小泉訪朝の折、北朝鮮から北朝鮮以外の調査メンバーを参加させてもよいという話があった際、家族会や救う会は「日本側の調査チームの参加など北朝鮮側のペースに載せられるだけだ」といって政府がその提案に同調しないよう主張した。しかしこれで愚かな彼らにも分かったことだろう、北朝鮮の提出する資料に対するレスポンスを早くするためには今回のような専門家の同行は不可欠であり、適うなら彼らを平壌に常駐させる体制で臨んだならば、はるかに早く北朝鮮当局を追いつめることができたかもしれないということが。

 家族会と救う会は感情論に駆られて、ことの進展を妨げ続けてきた。蓮池・地村・曽我の子弟の帰国に時間を要したのも、彼らが扇動した「北朝鮮ヒステリー現象」ともいうべき現象が仇となったからだった。やっと最近になってあの一年半近い時間はヒステリー現象のクールダウンに空費した時間であったことに気づき始めた人が多かろう。

 誘拐犯は憎い。が、人質の救出が真の望みならば、憎い相手と交渉しなければならない。「テロには屈しない」などという呪文を唱えても事態は好転などしない。拉致被害者の救出を望むのか、国家犯罪を憎んでその国家の滅亡を望むのか、もう一度、家族会は考えた方がいい。二兎を追う者は一兎をも得ない。

 家族会に忠告するとすれば、救う会には必ずしも拉致被害者が生きて帰国することを望まない、イデオロギー闘争を最優先に考えている連中が含まれているということに留意すべきだ。救う会の一部の者が望んでいるのは「拉致被害者が酷い殺されかたをしていること」なのだ。だから彼らは経済制裁をはじめとする一連のハードランディングにことさら熱心なのだ。かろうじて生存しているかもしれない拉致被害者が一連のハードランディングの過程で金正日の指示で抹殺されるなら、かえってその方がいいというのが彼らの考え方なのだ。それは素朴な拉致被害家族の願いの対極にある。どちらかといえば、彼の北朝鮮という国のありようであるイデオロギー至上主義に不思議に通底しているような気がする。(11/14/2004)

 土曜日の夕刊の「文化芸能」の頁。「一展逸品」という開催中の展覧会からの作品紹介を真ん中に、まわりに五つのコラムが配置される。このコラムがいつも面白い。たいてい、二つ三つに膝を叩く。

 今週の「ソウソウ」は、吉岡忍の「御社」。見出しは「むずむずする、私は嫌いだ」。

 「御社(おんしゃ)」という言葉を耳にするようになったのは、十年ほど前からだろうか。私の記憶では、二十年以上はさかのぼらない。「御社の経常利益は」とか、「御社製の下剤は」などと、ビジネス会話では頻々と聞く。
 私は「御社」が嫌いだ。変にへりくだったようでもあれば、相手方企業におもねっているようでもあって、背筋がむずむずする。しれっとしたそつのなさが何よりいやだ。

 まったく同感だ。ほんとうにあの「しれっとした」感じ、ペタッとすり寄ってくる感じ、猖獗を極めている「させていただく」に相通ずるところがあって大嫌いだ。

 そして、今週の「オシイッ」は、内藤陽介の「アラファト」。見出しは「唾されたのは、彼、それとも」。こちらの方は、かつてイスラエルではやったアネクドート(これはソ連の専売だったのでは?)にこんなのがあった。1994年、発足間もないパレスチナ自治政府は独自の切手を発行した。最初の切手にはアラファトの肖像が描かれた。ところがその切手いつも封筒からはげてしまう。理由は差出人が切手の裏に唾をせずに表のアラファトの肖像に唾をするからだった。チャンチャン、というもの。内藤は、90年の湾岸危機の調停に失敗したアラファトは国際的にも国内的にも支持を失いつつあり、このアネクドートはそうしたカリスマの落日を痛烈に皮肉ったものとして流布したと解説をつけつつ、こんなオチを用意した。

 もっとも、自治政府が最初に発行した切手には、アラファトだけが描かれていたのではなく、クリントンを中心にアラファトと握手するラビン(イスラエル首相)も取り上げられていた。とすると、ジョークの背景には、イスラエル社会の中に、中東和平の枠組みそのものに唾を吐きかけたいという空気が濃厚だったということなのだろうか。
 90年以降、とみに手荒になっているイスラエルのやり方を見ていると、そのように思えてならない。

 「オシイ」と思うのは、ラビンの暗殺を組み込んだ方がより効果的に書けたと思うからだ。たとえばこんな風に。

 その切手にはアラファトだけが描かれていたわけではない。クリントンの前に立つアラファトの握手する相手はラビン、そうだ、一年を経ずしてユダヤ強硬派に暗殺されたイスラエル首相ラビンも描かれていた。唾されたのがアラファトだったのか、ラビンだったのか、唾をしたのがパレスチナ人だったのか、ユダヤ人だったのか、アネクドトス(注)の版元は分からないものだ。

(11/13/2004)

注)「アネクドート」(小咄)の語源は、「アネクドトス」(地下出版)の由。

 「オレが小便するところが便所だ」、朝のラジオで小沢遼子が、「ネッ、そういうことよね、『自衛隊が活動している場所は非戦闘地域だ』ってのは」と言っていた。あまり品のいいたとえではないが本質をついている。しかしこの答弁を咎めたのはわずかに朝日新聞の社説と東京新聞の筆洗だけだった。読売新聞の社説はこの答弁を引き出した岡田を批判し、サンケイ新聞のサンケイ抄は「小欄も苦渋とともに首相発言を支持し、一日も早い作戦終了を祈りたい」などとまるで他人事のような書き方をしている。盲いた両紙の過去の主張がどれほど無惨に崩れ去ったか、多少とも目が見える者なら、ただただ苦笑するのみだろうが、そんなことは問うまい。

 この数日、中国の原潜騒ぎがあり、アラファトの逝去があり、ファルージャ攻撃があり、・・・、社説もコラムも繁盛しているようだが、自国の宰相が自らの政策をきちんと説明する労を厭い、詭弁を弄して、本質的論議から逃げ回っているとすれば、そういう宰相の姿勢こそは、この国の民にとってなにものにも優先する一番大きな問題ではないのか。

 かりに政府の政策が一から十に至るまで自明で非のうちどころのないものであったとしても、その自明の論理を説明し、それに対する疑義のひとつひとつにきちんと答弁することは基本中の基本で、それをおろそかにすることはいかなる理由があっても許されるべきことではない。そうだとすれば、いささか古い言葉になったとはいえいまだ死語ではないはずの「社会の木鐸たる新聞」は、なにをおいても、「オレが小便するところが便所だ」というような答弁についてはその非について論じなければならず、「顧みて他を言う」がごとき社説やコラムにかえて、茶を濁すことなど許されざることだ。

 なにゆえかコイズミをたしなめることを避けた毎日新聞、かえって質問者の非を論って大きな問題から遁走した読売新聞は新聞としての資格がゼロであるというべきだ。赤か黄の色つきカタカナペーパーなどはどうでもいいけれど。(11/12/2004)

 国籍不明の潜水艦はほぼ「中国」の「原子力潜水艦」だと政府は判断しているようだ。各紙の社説タイトルはこのようになっている。

  朝日:中国潜水艦?――解明急ぎ、緊張を避けよ
  毎日:海上警備行動 外交努力でトラブル防げ
  読売:[原潜領海侵犯]「領域警備の態勢を強化せよ」
  サンケイ:海上警備行動 国の意思を一応は示した

 朝毎読は潜水艦を「中国の原潜」としているが、サンケイは件の「潜水艦」を中国のものとさえ書いていない。また、朝毎は潜水艦救難艦の存在についてふれ、事故の可能性について言及しているが、読売は頭に血が上ったままの書き方になっている。

 素人でも抱く疑問は「原潜」にしては、ずいぶん「とろいなぁ」ということ。少なくともアクティブソナーからピンがうたれていることぐらいは分かっていようから、意図的な行動であるならば機関を停止してほとぼりの冷めるまで待つか、あるいは日本の領海を全速で通過すればいいはずだ。

 神浦元彰はホームページで「明らかに中国原潜が故障か事故が起きたことを示している」としたうえで、「事故か故障が起きて緊急救難通信を行って潜水艦救難艦を呼んだ。しかし何とか自力で潜水航行できるように回復したので、自力潜航で帰港を目指していたのだ。そこで救難に向かった2隻の救難艦は、海自のP3Cの注意を引きつけるために、わざと離れた海域を航行している」と推測し、「しかし海自のP3Cはそれに騙されることなく、日本の領海を侵犯した潜水艦を現行犯でキャッチした。これはP3Cの一本勝ちである。それ以上の意味も、それ以下の意味もない。東シナ海で行っている海洋地下資源の調査や、示威行動とはまったく関係ない」と結論している。

 神浦はさらに「このことを考えて、いろいろなニュースを見て欲しい。日本で軍事専門家といわれる人の水準がよく理解できるはずだ。今日の夕方のニュースでは、あまりにもひどい解説に絶句した」と続けている。そういう眼で各紙の社説を再読するとなかなか興味深い。

 911を予言したとして話題になった「超限戦」を読む限り、中国は現実に獲得している軍事技術は低いものの、戦略的・戦術的な解析力においては一級のレベルに達していると考えておいた方がよい。つまり彼らは自分たちの装備の実力と仮想敵の総合的な実力はかなり正確に理解している。したがって過度の反応は本来我々が有している優位性を著しく損なうことになりかねないのだが、そういうことが分かっていないのがこの国の特質のようだ。(11/11/2004)

 朝刊の片隅に「アルジャジーラ、事務所閉鎖され乏しい現地情報」という見出し。

 カタールのアラビア語衛星放送アルジャジーラは9日、ニュースの時間にアナウンサーがファルージャ問題に関連して「暫定政府の命令で、3カ月前からイラクの事務所が閉鎖されており、イラクから直接報道することができません」と視聴者に謝罪した。アルジャジーラは8月上旬以来、暫定政府から「暴力をあおっている」として閉鎖措置を受けている。
 同テレビは4月のファルージャ掃討作戦では、米軍の空爆による民間人の犠牲を市内から生々しい映像で伝えたり、困窮する住民の生活を報じたりした。今回、同テレビがいないことで、現地からの報道は大きく制限されている。
 1年前からバグダッド市内では携帯電話が使用できるようになったが、首都から65キロ西方のファルージャではいまも使えない。固定電話も使えなくなっており、米軍や暫定政府が不通にしていると見られる。

 今回のファルージャ攻撃は春の失敗原因をアメリカなりに総ざらいし、忠実な傀儡である「暫定政府」を動かした上で、周到に準備、計画されたものだ。しかしどうしても説明しにくい問題が残る。「なぜ、ファルージャなのか?」という素朴な疑問に対しどのように答えるかだ。窮したアメリカが無理に作った名目が「ザルカウィ」だった。

 ところが夜のニュース。@アメリカ軍報道官は「ファルージャの7割を制圧した」と発表した。Aメッツ作戦司令官は「ザルカウィの拘束に失敗した」と語った。@とAを聞いて嗤わぬ者はおるまい。

 ファルージャ市街地の7割を制圧したという発表の真偽は問わないとして、まだ三分の一も残した状態で攻撃の理由にしていた「ザルカウィはもういない」というのだ。「大量破壊兵器」のときは「白状」するタイミングを失って、世界中にずいぶんみっともないザマを晒すことになったものだから、こんどは早々と「白状」して見せたということかもしれぬが、これはあまりに早過ぎたようだ。「ザルカウィ」が名目に過ぎないことをアメリカは自ら証明してしまった。

 同じイラクでは傀儡政権の首相アラウィの親族が武装集団に拉致され、犯人側からファルージャ停戦の要求があった由。親族というのはアラウィのいとことその妻ら3人という。はたしてこれが発表通りのものかどうかは疑わしい。「親族を人質に取られたにもかかわらず首相は毅然と対処した」などという美談を作るためのお芝居の可能性、もともと仲が悪い親族であった可能性、いくらもある。占領軍の傀儡として平然と国を売るほどの人物なら、親族を売ることなどいささかの痛痒も感じないかもしれぬ。

 この国のアラウィは、きょうの党首討論でイラク特措法の非戦闘地域の定義を尋ねられて、「自衛隊が活動している場所は非戦闘地域」と答弁した由。我が宰相はブッシュの番犬を自認するうちにどうやら知能も犬なみに退化したらしく、「法律上の定義」という言葉の意味が分からなかったようだ。忠犬、ジュン。あまりに哀れで情けないぞ。

 きょうは、このほかに国籍不明の潜水艦騒ぎがあったのだが、センセーショナルなわりに内容が希薄。(11/10/2004)

 ファルージャへの一斉攻撃が始まったようだ。イラク傀儡政権は日付でいうと一昨日7日、北部のクルド人自治区を除くイラク全土に非常事態宣言を出し、夜間の外出禁止、令状によらない検束・移動制限などを指令している。

 きのうは、この宣言が本当に効果を発して欲しい場所ではこの宣言が効力を発し得ないこと、そしてそのことを誰もが知っていること、それを嗤った。

 きょうは、宿営地へのロケット弾攻撃で、先月末以来、何度目かの巣ごもりを決め込んでいた自衛隊が、まるでこの非常事態宣言に反発するかのように、施設補修工事の監督のために現場に出たというニュースを聞いて嗤った。

 永田町に住む「ブッシュ家の番犬」あたりから巣ごもりを叱責されたのかもしれぬ。しかしなにも非常事態宣言が出されるや否や、さしたる重要性もないのに現場に出なければならぬとは。そんな自衛隊員を心から不憫と思うは、忠犬コイズミ一派を除く、日本国民全員の感情だろう。(11/9/2004)

 終業間際に母から電話があり、父を新宿署まで迎えに行く。みなとみ会に出かけたのだが、会場を間違ってウロウロしているところを保護されたらしい。なんという書類かは見損ねたが、住所・氏名を書き、押印をし、礼を言って署を出た。

 大変だったのはそれから。ほとんどすり足でしか歩けない。最初の交差点は手を引いてなんとか渡れたが、青梅街道は途中で歩道に引き返した。あいまに信号が変わってしまうのだ。よくまあこの程度の歩行能力で同期会に出ようなどと家を出たものだ。なんとか西武新宿の駅までと思って歩くものの、百メートル足らずを歩くのにも難渋する。「疲れた?」と聞くと、真顔で「そんなこと、言っておれんだろう」と答える。思わず吹き出した。それほど惚けているわけではないようだ。悠然たるいつもの調子。

 署から駅までせいぜい数百メートルもないはずだが、大きな交差点を二つ三つ渡らなければならない。そのうちひとつは大きな歩道橋だ。あきらめてタクシーに乗ることにした。青梅街道は比較的空いていて8時半頃には清瀬に着いた。「出歩くな」というのはこちらの都合、外出の意欲はかわなければならないとしたら、どうしたらいいだろうなどと考えながら帰ってきた。子供の悩みが去る頃には、老いた親の悩みが来る、その悩みが去る頃にはおそらく自分の体に悩みが来るだろう。ヤスパースのいう「死苦争責」からは逃れえぬものらしい。

 父を送り届けたついでに「一日一言」を書棚から出してきた。昨夜書いた戸坂潤の言葉を確かめたかったから。あった、こんな言葉だった。

 元来思想と風俗とは一聯のつながりのあるものだ。思想は風俗となって現れるものだし、風俗は思想を象徴する。ところで風俗の自然的必然性を、抑圧せねばならぬということは、実は思想の自然的必然性を抑圧する必要があるときだ。だからつまり、風俗抑圧は言論上のデマゴギーと兄弟分なわけだ。・・・・・・世界のファッショたちは押しなべて道徳屋であることは有名である。彼らはすべて風紀屋である。服装まで妙な制服にしたがるのである。思想に妙な制服を着せるなどは朝飯前だ。「道徳」振りとは思想のこの妙な制服のことである。(検閲下の思想と風俗)

桑原武夫編「一日一言―人類の知恵―」からの孫引き

(11/8/2004)

 ブッシュの再選を支えたのはキリスト教右派だという。彼らはふつうには「保守派」と呼ばれている。彼らにとって今回の大統領選のメインテーマはイラク戦争でも、テロでも、経済問題でもなく、「モラル・バリュー」だった。つまり同性婚や妊娠中絶などの是非がブッシュ支持者の視野の中では非常に大きく捉えられていたということだ。似たような話はこの国にもある。この国の「保守派」も一例をあげるなら「全国津々浦々に国旗を掲揚させ国歌を歌わせる」こととか「青少年に有害な図書を規制する」程度のことを非常に大きく捉えている。

 いずれの「保守派」もそういう自分の「信念」を絶対的かつ普遍的な価値だと考えている。王より飛車を可愛がるのはあまり利口なこととは思わないが、そのこと自体はとやかくいうことではない。なぜならば、それは個人の思想なり信条だから。厄介なのはこの手の「保守派」が考えを語り、説得して、自分のパーソナリティの及ぶ範囲の人々にその考え方を実践してもらおうという地道な方法をとらず、法律に頼り、法の強制力で一気に同時代の人々全部を律しようとすることだ。

 道徳の範囲におくべきものか、それにすら至らないものに法網をかぶせても目的は達せず、かえって現出するのは息苦しいだけの社会だということは世界中の歴史が実証していることだが、これらの「保守派」の人々の教養レベルではこういう歴史は視野に入ってこない。いやべつにそんな知識などいらない。ほんの少し身の回りの人間の行動をしっかり見つめる「眼」を持ってさえいれば、これの程度のことは簡単に分かるのだが、残念ながら彼らはそういう「洞察力」をほとんど持ち合わせない。「知識」も、「知恵」も、どちらも持たないとなれば、最初に気付いたことに目を眩まされるのは道理かもしれぬ。

 そういう「信念」を国内の「道徳」にとどめず「グローバルな価値」として「戦争の大義」に変換したものがネオコンの思想だ。アンドリュー・ベースピッチというボストン大学教授はネオコンを「保守」ではないと断じていた。彼によれば「ほんとうの保守は、歴史に対する悲劇的な感覚を持つ。歴史の進歩を簡単に信じない。人間は誤りやすい存在で、その誤りをどう防ぐかということを考える。また、政府は人間の自由を侵す敵だと考える」。

 ブッシュ支持者やこの国の巷にあふれる「保守派」は洞察力に富む本来の保守主義とは無縁の、どちらかというとファシストと呼んだ方がより近い連中だ。(そういえば、戸坂潤は「世界のファシストはおしなべてすべて道徳家である」というようなことを書いていたっけ)(11/7/2004)

 コクドが西武ライオンズの売却を複数の企業に打診というニュース。"Et tu, Brute!"というところ。有価証券報告書への虚偽記載やらインサイダー取引やらで西武鉄道株が急落して、積年の膿が一気に噴出しているのだろう。ライオンズというチームの形が残るならば、「監督がおやりになりたければどうぞ」などというオーナーの手から離れるのは悪いことではない。

 もうひとつ。大統領選が終わるのを待ちかねたようにアメリカ軍がファルージャへの空爆を開始した。既に郊外には一万人規模の部隊が終結し、総攻撃の命令を待っている状況という。攻撃理由はアルカイダ幹部のザルカウィの掃討ということになっているがそれは名目。おそらくは抵抗都市として象徴的な存在になったこの町に報復的攻撃を行うことにより「傀儡政権アラウィ」とアメリカ軍の力を誇示しようというものだろう。だいたいアフガン戦争この方、アメリカの主張の通り、見つかった、あるいは拘束できたのは、フセイン一族だけ。平然とウソをついて人殺しを続ける世界最大のテロ国家、それがアメリカ合衆国だもの。

 一方、アナン国連事務総長がブッシュ・ブレア・アラウィの三氏宛に「治安回復の重要性は理解するとしつつも、『武力行使は特定住民の疎外感を強めるだけでなく、イラク国民にまだ占領が続いていると思わせる』と警告、政治的な解決を求め」(夕刊から)る書簡を出していることが5日付ロサンゼルス・タイムズにより報ぜられた。ウェブ掲載の記事には夕刊掲載分に続け、さらにこのように書かれている。

 アナン氏は5日朝、記者団に対し、手紙の存在は認めたものの、「内容を明らかにすべきでないものだ」とコメントを避けた。書簡の存在がメディアに意図的に漏らされたことに不快感も示した。
 パリー英国連大使はロサンゼルス・タイムズ紙に対し、「これはイラク政府が決めることだ」と述べた上で、「イラクにいない人たちが、治安に対するイラク人の懸念を過小評価するのは簡単なことだ」と皮肉を述べた。ワシントン、ロンドン、バグダッドの政府高官もアナン書簡を批判するコメントを出している。

 このような異例の書簡が出されたということは、ファルージャに対する攻撃が報復性の高い異常なものになる懸念があったからであろうし、三国の「政府高官」が書簡を批判するコメントを出しているというのは暴発の可能性のあるアメリカ軍をそれぞれのポジションから事前に牽制したものとも考えられる。

 世界はここ数週間、ファルージャを注視すべきだ、アメリカの蛮行を抑止するために。(11/6/2004)

 朝起きてみるとブッシュが当選していた。焦点となったオハイオ州の暫定投票数が15万あまりにとどまるのに対し票差が13万票もあることから、ケリー陣営が敗北宣言をしたため。

 夕刊に掲載されている集計率99パーセントでの得票数などを書き写しておく。

一般投票 獲得選挙人
得票数 得票率 州・首都 人数
ブッシュ 59,106,230 51 29 274
ケリー 55,546,066 48 20 252
ネーダー 395,780 1 0 0
合計 49 526
残り(アイオワ・ニューメキシコはまだ確定せず) 2 12

 前回と異なり、今回のブッシュは選挙人獲得数だけではなく一般投票数でも相手方を上回ったわけだから、この数字だけを見る限り、接戦だったとはいえ、堂々の勝利だったといえる。しかし先月配信された田中宇のメルマガによると、アメリカ大統領選の仕組みには数多くの問題点があり、先進国で行われる選挙の中で一番不透明で疑惑の多い選挙であるようだ。そのことは数週間前の「日々の非常口」にアーサー・ビナードが、なぜ期日前の郵便投票が異常に多いのかについて書いていたことからも裏付けられた。

 ケリーに変わってもさしたる変化が予想されない以上、たいした期待はしていなかったものの、まだあと4年のあいだあのエテ公のしたり顔を折々見続けることになるとは。何が疎ましいといって、頭が悪くて趣味も悪い奴とつきあわねばならぬことほど疎ましいことはない。・・・ったく、アメリカ人のバカさ加減と無教養ときたら最低、最悪だ。おかげで、こちらはさらにエテ公に媚びを売る世にも珍しいワン公、忠犬ポチの詭弁を聞き続けねばならぬ、もうウンザリだ。(11/4/2004)

 きのう三番町の帰りに買った森達也の「世界が完全に思考停止する前に」を読む。新聞や週刊誌のコラムに寄せた短文を集めたもの。いくつかは掲載時に既に読んでいるが、いま一番波長があう言説ということで買ってしまった。ボツになったものがふたつ収められている。ひとつが福岡の小学校教諭が担任児童の曾祖父がアメリカ人という理由でいじめを繰り返したという報道をめぐる「汚れた血」、もうひとつが「今上天皇の内なる葛藤」だ。前段にこんなことが書かれている。

 今上天皇については昔から気になっていた。数年前、知り合いの雑誌記者に、「今の天皇陛下が『君が代』を歌わないことをどう思うか?」といきなり訊ねられた。
「歌わないの?」
「みたいだよ。テレビ局勤務の友人にライブラリーで確認してもらったら、確かに式典などで周囲が国歌斉唱しているときに、天皇は歌っていなかったそうだよ」
 もし仮にこれが事実だとしても、考え方としては『君が代』は天皇家を称える歌なのだから、本人が歌わないことは当然なのだとする考えかたもできる。でも僕の記憶では、昭和天皇は歌っていたはずだ。
 言わずもがなかもしれないけれど、今回のこのコラムは、国歌斉唱の際に起立しなかった教師たちを大量処分した都教育委員会を批判する趣旨じゃない。「強制は絶対にしない」との条件付で国旗国歌法を成立させておいて、よくもこうぬけぬけと手のひらを返せるものだと呆れてはいるけれど。
 僕は単純に、『君が代』を歌わない今上天皇に強い意思を感じることを書きたいのだ。筋論だけじゃない、深読みしすぎかもしれないけれど、表層的な右傾化が進む今のこの時勢に、自分が天皇に即位したことへの葛藤を天皇から感じるのだ。

 この本は10月30日の初版、森はおしまいに「この原稿を書いたのは、今年の五月十日。つまり皇太子による宮内庁批判の記者会見の直後だ」と書いている、掲載媒体を想定しながら、結局はボツになったこととあわせて。だからべつに先週の米長某のお粗末極まる一件を受けて書かれたものではない。だがじつにみごとに園遊会での今上の言葉につながっている。鳥越俊太郎が日曜日の「キューブ」の中で指摘していたような皮肉な現象が起きているのかもしれない。

 こんなことだ。「多くの人は陛下のことを見誤っているのではないか。陛下はクエーカー教徒であるバイニング夫人から民主主義の根本を教え込まれた人だ。だからそれまでの皇室の伝統に逆らい、民間から妻を娶り、生まれた子供は自分たちで育て、食事は自分たちで作ると言い、即位後の巡幸に際しても、それまでのノンストップではなく、信号に従って自分の車をゴー・ストップするようにさせるなどの民主化を図ってきたのだ。世の中は戦後の民主化を棄てて保守化してきているのに、皇室という温室のような環境で陛下のまわりだけその民主主義が生きている」と。

 鳥越の説が当たっているとしたら、今上には皇太子時代のような言葉遣いをもう一度思い起こしてもらいたい。昔、彼は「国民の皆さん」と言い慣わしていた。それが天皇に即位してからは「みな」と言うようになっている。森の書くような葛藤があるものなら、こうしたごくごく小さなことに意思を潜ませてもらいたい。そのことがただ天皇を利用するだけの勢力を無力化し、本当に皇室を支える力を育てるのだから。

 きょうのニュースをふたつ、単に記録するのみ。チャールズ・ロバート・ジェンキンスに対する軍法会議がキャンプ座間で開かれた。きょう一日の審理だけで、懲役6箇月の判決を決め、司法取引により禁固30日、不名誉所帯処分になった由。

 もうひとつはアメリカ大統領選。この時刻までの選挙人獲得数はブッシュ254人、ケリー252人。未定はオハイオ州、アイオワ州、ニューメキシコ州の3州。それぞれの選挙人は20人、7人、5人ということで、オハイオ州の結果で過半数が決する。しかし十数万票の差でブッシュがリードしており、ケリーの挽回は難しい情勢とのこと。(11/3/2004)

 新規参入「許可」は楽天におりた。数日前から楽天有利という報道が散見していたから、大方は「やっぱりね」と受け取ったようだ。一度は回避された選手会のストが、翌週の話し合い決裂となった原因のひとつに「楽天がライブドアに追いつく時間稼ぎのため」ではないかと考えたのも、とんでもない見当違いではなかったのかもしれない。そういえば、文春の「読売関係者が楽天の三木谷に参入を哀願(土下座までしたとの話)」という記事、読売は提訴したそうだが、これでもう記事の信憑性は9割方裏付けられたといってもよかろう。

 もっともこの提訴騒ぎは嗤えた。というのは「読売が楽天担ぎ出しを画策」記事は文春だけが報じたものではない。堅いと思われている日経も報じていたことだから。同じ事実を文春が書けば「事実無根」で日経が書けば「事実無根」ではないのか、読売新聞の生理はよく分からない。

 さらに嗤える話をあるブログで読んだ。それによると件の記事見出しの入った週刊文春の広告の見出し部分を読売新聞は墨塗りで消したというのだ。

 都合の悪い部分だけを墨塗りするくらいなら、広告掲載そのものを拒否すればよいのに、広告費はいただきながら、自分にとって気にくわないところは抹消する、なんとまあ驚くべき神経か。嗤うべし、読売新聞の浅慮を。蔑むべし、読売新聞の心根を。

9月30日付各紙朝刊の文春広告

930日付読売新聞朝刊の文春広告

 それにしてもNPBが楽天を選定した理由がいい。「楽天の方が赤字に対する財務的体力がある」というのだ。絶句するほどの「負け犬」主義。

 オーナー会の気持ちはおおよそこんなところだ、「おれたちがやって赤字なんだから、誰がやっても赤字に決まってる。まあ、やってみな」。裏を返せば、もし新入りが赤字を圧縮して黒字などだそうものなら自分たちの面子は丸つぶれになるのだから、死んでもそうならないように足を引っ張ってやろうぐらいの根性なのかもしれない。だから彼らはカネのかかる選手獲得やテレビ放映権料依存体質などの根本的問題にいっさい手を打とうとしない。はやり言葉の「構造改革」という言葉はここではなぜか聞かれない、本当にこの言葉が活きそうなのはこの世界なのに。(11/2/2004)

 きょうから新札が流通。千円札は夏目漱石から野口英世に、五千円札は新渡戸稲造から樋口一葉に、一万円札の福澤諭吉はそのままだが、すべて意匠は変わった。新札への切り替えの最大の目的は偽造防止。その技術に関する一覧が朝刊に出ていたので書き写しておく。

新紙幣 旧紙幣 米ドル ユーロ
ホログラム
(千円札を除く)
× ×
すき入れ・バーパターン × ×
潜像模様 × × ×
潜像パール模様
(千円札のみ)
× × ×
マイクロ文字
特殊発光インキ

 シニョレッジを独占している感のあるアメリカが偽造に対してこれほど無防備でいられるというのは不思議な感じがする。

 ビンラディンよ、おまえが本当に反アメリカ闘争を企てているとしたら、人をターゲットにしたテロ行為などそろそろやめて、このようなアメリカの無防備をつく戦術に切り替えたらよい。その方がはるかにアメリカにダメージを与えるだろう。ドルには既に信認を失わせるだけの巨額の対外債務があるのだから、思わぬ「背後からの一突き」を受ければ、まるであの傲然とそびえ立っていたツインタワーが信じられないほど脆く崩れ去った、あれと同じことが起きる可能性はけっして低くはないはずだ。

 ドル紙幣の贋造は難しくはない。なにしろボッグス氏などはサラサラと手書きでニセドル紙幣をものすることができるくらいだ。自爆テロよりははるかに易しく効果抜群のテロ行為になろう。(11/1/2004)

 けさも起き抜けのニュースは「遺体発見」。昨日、アメリカのインチキ情報を鵜呑みにして確認もせずに発表して満天下に恥を晒した我が政府、さすがにこんどばかりは指紋の照合など手順を踏んだ。(通報者がアメリカ軍ならばそのまま信用し、イラク人医師ならば確認する、なんともこの国らしい反応の仕方。これを嗤う声はとんと聞こえぬ。人々の感覚、麻痺したか)

 発見場所はバグダッド中心部、メインストリート沿いの病院の裏手、遺体は首を切断され、星条旗にくるまれていた由。あざといことをするものだと思う反面、ついにここまできてしまったかとも思う。星条旗に包まれた日本・・・。犯人たちにとって香田証生という青年は「星条旗によって辱めたい」対象であったということか。一部に限られるはずと思いつつも、イスラム世界に「日本は星条旗で表象されるにふさわしい国」という認識が生まれていることに驚く。(10/31/2004)

 起き抜けのニュースは、水曜日に武装集団に拘束された香田証生という青年と思われる遺体発見というものだった。しかし、夕方までに、別人であることが確認されたという訂正ニュース。

 朝のニュースは午前4時の外務省の記者会見によるもの。そのときは「バグダッドとティクリートの間にあるバラドで日本人らしい遺体が発見され、身長・体重、後頭部の髪の特徴が香田さんと一致」というものだった。しかし午後3時過ぎになって「一見して日本人ではなく、顎髭があり、太り気味で頭髪ははげている、香田さんではない」と訂正発表。

 すべてアメリカ側から伝えられた情報を鵜呑みにして発表し、クウェート移送後、大使館の医務官が検査して似てもにつかないガセネタだったことが分かったという。なんだかイラク戦争全体を象徴するような話で嗤ってしまった。(それにしても、禿げていて、髪の毛の特徴が云々というのは、アメリカ軍も相当バカばかりそろえているもののようだ)

 アメリカは信頼できる国ではないことに未だに気付かずにその情報を100パーセント信頼し裏をとる慎重さを持たない。なんとも危うい国に住んでいるものだ。(10/30/2004)

 きのう開催された秋の園遊会でこんなやり取りがあった由。

「日本中の学校に国旗を上げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」
「ああ、そう」
「頑張っております」
「やはり、あの、あれですね、強制になるというものではない・・・」
「(言葉をさえぎって)あ、はへへ(笑っているのではなく慌てている様子)
             もちろん、そう・・・(ここで言葉につまり絶句)」
「・・・のが、望ましいと」
「(また言葉を遮って)ほんとうにすばらしい言葉をいただきました、ありがとうございました」

 会話の主は今上と米長邦雄。米長は元棋士でいまは東京都教育委員会の委員である由。そう、いまや各校の卒業式に監視員を送り、何人起立したの、歌声は何ホンだったのなどということに血道を上げているあの東京都教育委員会だ。

 米長の今上に対する答えの言葉は本心だったか。その答は出ている。米長のホームページには「さわやか日記」と題する彼の日記が公開されているが、そのきょうの項にはこのように記載されている。

 全く思いもよらず、天皇皇后両陛下からお声をかけていただきました。
 さすがに緊張します。
 将棋のことをお話ししました。
 「現役はやめました。将棋盤を挟んで親子が楽しんでいる家族は幸せだと思います。将棋の普及に務めております。陛下のお正月の昭和天皇と皇太子殿下とご一緒の写真は大切な我が家の宝でございます」
 「あの、もう随分前のことになります」
 「教育委員として本当にご苦労さまです」
 「はい。一生懸命頑張っております」
 しばらくして隣の妻にもお声をかけて下さいました。
 「ご苦労は大変なものでしょうね」
 妻はその後は全くなにも覚えてはいない由です。
 皇后陛下からは日本の文化、特に音楽についてのお話をさせていただきました。又、養護学校についても心豊かな子どもの教育が大事と教えられました。

 本当に素晴らしいお言葉を賜ったと心から思ったものならば、公開日記には何をおいても記すのが自然というもの。これが答だ。つまり、米長某という男にとって、今上の「国旗・国歌を強制するものではなかろう」という言葉は少しもすばらしい言葉ではなかったということだ。

 権威の前ではへつらうことが習い性となっている、こうした輩が自分たちの趣味として、もうほとんど嫌がらせの雰囲気で押しつけようとするから、日の丸も君が代も嫌われてしまうのだ。

 酩酊し三白眼をギラリとさせて「なにぃ〜、オレの杯が受けられぬとぉ〜」などと押しつけられては、うまい酒もちょっとばかり洒落た杯も台無しなのに。

 この手の底の浅い「保守主義者」を見るといつも思い出す言葉がある。「保守論者、皇学者流の諸士は忠を尽くさんと欲して之を尽する方を知らず」(福澤諭吉「帝室論」)。まことに米長某こそ「之を尽する方を知ら」ぬ阿呆に見えてならぬ。(10/29/2004)

 イラクで日本人男性がひとり、イラクアルカイダ機構を名乗る組織に拘束され、自衛隊の撤退を要求、要求が入れられなければ殺害するという映像をウェブ発信する事件が発生。拘束されたのは香田証生という24歳の青年。ジャーナリストでもNGOメンバーでもないようでイラク入国の目的などは不明の由で、もうひとつのニュースの前に少し霞んでいるような感じ。

 もうひとつのニュースというのは新潟中越地震による土砂崩れで埋まった車に乗っていた親子連れのうち、2歳の男児が4日ぶりに救出されたというもの。母親は救出されるも死亡確認、もう一人の3歳の女児の救出作業が徹夜で続けられる予定という。それにしても信じられないような奇跡。(10/27/2004)

 新潟中越地震の被害状況は、震災地域が農村部だった関係からか情報の集積が遅く、やっとその深刻さが見える形になってきた。夕刊などに伝えられている数字では、死者は27人、避難者数は34市町村で10万1,958人の由。余震は震度5〜6級のものが十数回にも及び、上越新幹線の脱線車輌を除く作業も安全上の問題からはかばかしく進んでいないらしい。

 小泉首相はやっときょうの午後、被災地を視察した。そもそも内閣総理大臣が自ら現地に足を運ぶかどうかということで政府の対応を云々することにどれほどの意味があるかは疑問で、そんなところにばかり焦点を当てる論議はいかにも頭の悪い連中がしそうな話だが、最近の趨勢はそういうノータリンのだだっ子もいろいろな意見表明のチャネルを持っているからばかにはできない。

 その視点からだけ見れば、散々に「現地視察が遅い」と批判された村山首相でさえ地震発生の翌々日には神戸を訪れていたそうだから、パフォーマンスが身上のコイズミとしては少しばかり後れを取ってしまったことだけは事実のようだ。(10/26/2004)

 午後一番、三番町で個人情報保護法打合せ、3時過ぎに三番町を出て、大崎へ。機器制御との打合せは6時少し過ぎまで続いた。山手線に乗りラジオのスイッチを入れたときには試合はすでに始まっていた。

 2回裏、2アウト、ランナー、2塁にリナレス。電車は新宿駅のホームに滑り込んだとき、リナレスがキャッチャーからの牽制でアウトになった。雌雄を決する戦いというのは案外伯仲したものにはならないことが多い。焦点がその試合に絞られるまでに出尽くすべきものは出尽くしてしまうからかもしれない。きょうのような試合は最初の運の一転がりがどちらに転がるか、それで決まってしまう。リナレスのボーンヘッドは分水嶺の東側に最初の一滴が流れたように思われた。

 その予感はあたった。新大久保を出るときに始まったライオンズの攻撃は大泉学園に着くまで続いた。3回表、中島がライト前にヒット、細川のショートゴロ、ヒットエンドランがかかっていて、1アウト2塁。続く打者はピッチャーの石井。あっさり三球で三振のはずが2−0からのドミンゴの投球がボークをとられて、1アウト3塁。それでも石井をセカンドゴロにとって2アウト。トップに戻って佐藤の当たりがドミンゴのグラブをはじいて内野安打で先制点はライオンズに入った。なおも、2アウト1塁。

 ラジオで聴きながら、この回の攻撃がここで切れないことを確信していた。こういう浅瀬で思いもよらぬ深手を負うのが野球というゲームなのだ。はたして赤田がつなぎ、フェルナンデスがタイムリーを打ち、ドラゴンズのショート井端が1・2塁間の挟殺プレイでフェルナンデスの頭に送球をぶつけるエラーを犯し、あっという間に3−0。落合はここでドミンゴを第4戦6イニング無失点にライオンズを抑えた山井に替えた。通過する江古田のホームを眺めながら、ほくそ笑んだ。あの試合、山井はカブレラを三打席押さえ込んだ。山井はきっと自分の実力を誤解している。最初に三振を取ったあと、彼はカブレラに外野フライを2本打たれている。しかし「抑えた」という意識の方が強いに違いない。カブレラはスライダーを狙っているはずで、山井は煮え湯を飲まされることになるだろうと。この予感も当たった。どでかいツーランであることはラジオ中継でも分かった。5−0。

 家に帰り着く前に試合の帰趨はほとんど決し、ナゴヤドームは一気に静かになった。さすがにきょうの中継アナウンサーは「五十年ぶりの日本一」という言葉を一、二回、発するに留まった。

 ふと清水義範の「蕎麦ときしめん」の一節を思い出した。名古屋に出張した東京のサラリーマンがタクシーの運転手とどんな会話ができるかのくだりだ。

 ・・・すると何の用かときく。仕事だと答えると彼は、名古屋のようなつまらないところへ来て大変ですね、という意味のことを必ず言う。名古屋人は名古屋に誇りを持っているくせに、他所者には必ずそういう言い方をするのである。
 あなたが、どこか穴場はないかね、ということを尋ねても、同じことが起こる。まず彼は「名古屋に面白えとこなんかあれせんでいかんわ。歌舞伎町がにゃあで」と言い、その後、ようやく穴場を教えてくれる。
 あなたが運転手の機嫌をとろうと、「中日は強いねぇ」と言うと、その答は必ず次のようなものである。「あんなもんいかんわ。選手がみんな馬鹿だで」
 しかし、その意見には絶対同意してはならない。采配が悪いねぇ、などと言おうものなら運転手は急に不機嫌になり、とんでもないところで「こっから先は歩いてちょ」と降ろされることになりかねない。

 7−2でライオンズはゲームを取り、92年スワローズ相手にシリーズを制して以来、12年ぶりに日本チャンピオンフラッグを手にした。MVPは石井貴がとった。あの92年のMVPも石井(丈裕)だったのはなにかの因縁だったか。(10/25/2004)

 きのう、夕方5時56分を一回目に新潟県小千谷付近を震源にした地震。いまのところ死者が十数名、負傷者は千人を超える被害。

 ホームページのメンテを早めに終えて日本シリーズ第6戦をテレビ観戦。先発は松坂と山本。初回、先頭の佐藤のヒットを活かしてカブレラが松坂に先取点をプレゼントして試合は始まった。荒木を討ち取った松坂だが井端は四球、盗塁に失敗してくれて、どうにか事なきを得たという立ち上がり。テレビ中継の解説の平松は「全然、ダメ」という。

 はたして2回裏、ワンアウト後、リナレスにまたまた四球、谷繁にレフト前にはじかれて1・3塁、このシリーズのラッキーボーイ、井上の高いバウンドのサード内野安打で同点。もういつシリーズが決してもおかしくない空気だった。そして4回裏、ノーアウトからリナレスのツーベース、谷繁のシングル、井上のシングルでついに勝ち越される。

 ところがこのノーアウト1・2塁という状況から不思議なことが起きた。不思議な変化が起きていることに、少なくともこの回は気付かなかった。森をファーストファールフライ、山本の送りバント、荒木のセカンドフライ、ドラゴンズは責めきれなかっただけ、と、そのイニングは思っていた。しかし松坂は立ち直っていた。そこから8回ワンアウトまで、和田の逆転ツーランと追加点のソロを間にはさみながら、3イニング3分の1、ひとりのランナーも許さずに片づけた。いや、8回裏、ワンアウトから打席に入った立浪の2−2からのハーフスイングはあきらかに振っていたから、本来なら次のアレックスのショートゴロで連続4イニングをパーフェクトにおさえたと記録してもいい。

 ゆっくりとしたモーションからの変化球はある種の安定感すら感じさせ、9回裏、豊田が出てきたときは逆に不安に思ったほどだった。今年の豊田は絶対の押さえではない。皮肉なことに8回裏のサード塁審の立浪のハーフスイングジャッジは豊田に利した。つまり豊田はリナレス・谷繁という打順を相手にせずにすんだからだ。井上・渡邊・英智などという打順ならば、いまの豊田でも十分だった。ツーアウト2−1からの外角ストレートをアンパイアはボールと判定し、直後、英智はレフト前ヒット、ナゴヤドームはちょっとだけわいた。しかしドラゴンズはこのプレゼントも活かせなかった。

 それにしても中継した名古屋テレビのアナウンサーはいったい何回「五十年ぶりの日本一」と言っていたことか。50年前・・・か。1954年、昭和29年、**(弟)はその年の5月に名古屋で生まれた。一周忌の日、母が「どっちを応援するの?」と訊いたとき、父は「中日」と答えていた。「西武じゃないの?」、「いや、中日だ」、それが父の答えだった。父は比較的長かった名古屋時代からドラゴンズファンだった。あの時、父は**(弟)が生まれた頃のことを思い出しながら、答えていたのかもしれない。(10/24/2004)

 日の射しているうちにと思いウォーキングに出る。スカッとした晴れ間にはならない。先日のメールによると**君(友人)はいま出張で北京の由。ふと「北京秋天」という言葉を思い出した。上海蟹、月餅の中秋節が過ぎると空気はズンズンと澄んできて、抜けるように青く高い空が頭上に広がる。北京の秋を称えて印象に残る言葉だった。(梅原龍三郎にこういうタイトルの絵があるが、残念ながらあの絵からは信じられないような高く抜ける青空は感じられない)

 何週間か前の「ニュース23」が組んだ特集に「消えゆく胡同(フートン)」というのがあった。20年も昔のことになるが、第九浄水場の仕事のオフタイムに「ごちそうしたい」と言い出した通訳の*さん、失礼ながら彼の財布を考えて「日本人だけでは絶対に行けない店がいい」などと注文を付けたら、裏通りの小路を何度も曲がったところにあるどう見てもきれいとは言えない食堂へ連れて行ってくれた。はぐれたら二度とホテルには帰れないかもしれない、そう思ったのは何度角を曲がっても同じようにかつ切れ目のない建物がつながっていたからだ。それが胡同というのだとは後で知った。

 最近の北京はその胡同がどんどん取り壊されて高層建築のラッシュなのだそうだ。記憶にあるあの秋天もいまは高層ビルに遮られ、なにより増加した車の大気汚染に覆われて、昔語りになってしまったのかもしれない。洟をたらしお尻をパッと出せるようにしたズボンをはいて走り回っていた子供たちも、路地に木箱を持ち出して盤を据え、悠然と煙草を吸いながら碁に興じていた老人たちも、少なくとも北京ではもう見ることができなくなりつつあるのかもしれない。(10/23/2004)

 玉木正之は「愛と幻想のベースボール」所収の「日本シリーズは連勝(連敗)で勝負が決まる」のなかでこんな風に書いていた。

 わたしは、日本シリーズの季節が訪れるたびに、ひそかに期待していることがある。それは、相撲の星取表でいうところの「ヌケヌケ」が起こらないか・・・・・・ということだ。
 「ヌケヌケ」とは、○●○●○●○と、勝ち負けが順序よくきれいに並ぶことで、真に実力が接近した二チームが闘えば、このようなことも起こり得ると思われるのだが、過去三十九回のシリーズのなかで、まだ一度も起きていない。今年も第三戦まで○●○となったときは、おおおっ・・・・・・と思ったものだが、残念ながら、そのあとは○○と、あっけなくライオンズの連勝で終わってしまった。
 日本シリーズ七回戦の白星と黒星の組み合わせは、引き分けを除外すれば全部で三十五通りであり、確率論的にいえば、「ヌケヌケ」はもうすでに起きていてもいいはずなのだが、なぜかいまだにない。それどころか、過去八十六回(1903〜1988)の歴史を誇るアメリカ大リーグのワールドシリーズでも、1962年のニューヨーク・ヤンキース(4勝)対サンフランシスコ・ジャイアンツ(3勝)のたった一度しかないのだ。

 玉木がこれを書いたのは88年のこと。ここにいう「そのあとは○○と、あっけなくライオンズの連勝で終わってしまった」と書いたシリーズの相手チームは中日ドラゴンズだった。昨夜、ライオンズが負けて、○●○●となったときは、玉木の夢が実現できるかと思ったのだが・・・。

 日本シリーズ第五戦。先発、ライオンズ、西口。ドラゴンズ、川上。投手戦と、あしたの新聞は書くかもしれないが、貧打戦という方が正確。勝った方が王手という言葉に体が固まったのはライオンズだった。とにかく情けない試合だった。ドラゴンズが勝ったのではなくライオンズが負けただけ。それも浅瀬で溺れてみせたのは一昨年の対ジャイアンツの時と同じ。

 せめて一日おいたあさって、ライオンズが勝ってくれれば、かりに78年の阪急ブレーブズと同じ運命だとしても、面白くなるのだが。いや、もちろん91年の対広島東洋カープとのシリーズのように○○で逆転してくれればベストだが。(10/22/2004)

 5時になるかならぬところでフレックスで会社を抜けて西武球場に向かった。電車の接続にことごとくふられて、それでもギリギリ試合開始には席に着くことができた。

 先発はライオンズ、張、ドラゴンズ、山井。球審はパリーグの栄村、そう、あの吉村を壊した男、栄村だ。タダ券だから感謝しなくてはならないのだが、内野指定といっても目前は外野、前から7列目というのはかえってフェンスの上の網が気にかかる位置。最後まで何か集中できない感じ、試合内容同様、欲求不満の残る試合で2−8でロスト。(10/21/2004)

 午後、本社で個人情報保護分科会。4時前に終わったが、台風接近ということでそのまま本屋にも寄らず帰宅。日本シリーズ第4戦はあしたに順延。**(息子)からもらったチケットで久しぶりに**(家内)と観戦する予定だったのだが台風の通過待ち。

 きのうの第三戦、7回表、ドラゴンズとしては2点差をつけてなお引き離すチャンス、谷繁はキャッチャーゴロ・併殺だった。多少とも野球観戦に年期を積んでいる者ならば「ン?」と思ったに違いない。第二戦、5回表、同じようにライオンズが2点勝ち越してなおツーアウト満塁というところで野田が放った左中間の飛球をドラゴンズのレフト井上が好捕するシーンがあった。片方はファインプレー、片方はヘジテーション・ヒッティング。内容は大きく違うがゲームはこういうところで曲がり角を曲がるものだ。

 7回裏、ワンアウトから中島がツーベースを打ったところで落合はベンチを出た。ブルペンから次の投手が出た。試合後、ピッチングコーチの森が「交代が告げられていないのだから、引っ込むしかなかった」と語ったということは落合がマウンドに着くまでは交代は確定だったのだろう。

 テレビの前で、この日曜日、例の大杉のホームランをめぐるトラブルに当時のコミッショナーがどう動いたかをネット検索した時、偶然、眼にしたに当時のブレーブズ監督上田の言葉を思い出していた。それは関東弁護士連合会のサイトにある「わたしと司法」という企画もの。こんな話だった。

○そして,上田監督と言えばやはり,昭和53年シリーズ第7戦,ヤクルト大杉疑惑のホームランですよね。

上田さん  いや,それよりもね,あのシリーズは自分の決断ミスで第4戦を落としたのが大きかったんですよ。あのときは,2勝1敗で勝ち越してて,今井雄太郎が9回2アウトランナーなしまで頑張って,最後のバッター伊勢孝夫がサードゴロ打ったんですよ。普通なら,これで3勝1敗,シリーズは決まりですよ。そしたら,当時西宮球場は競輪場と併設だったから,ちょうど競輪のポールの埋まってた堅いところで跳ねてヒットになってね。それでブルペンに連絡したら「山田が絶好調ですよ」って言うんです。5対4で一点差,ランナーは一人,バッターはなんでも振りにくる外人のヒルトン。100%ピッチャー交代の場面ですよ。それでマウンドに,「ご苦労さん。山田に替えるからな。」ってねぎらいに行ったら,キャッチャーの中沢君や内野手がみんな「監督,雄ちゃんまだ行けますよ。あと一人じゃないですか。僕たちも守りますから替えないで下さい。」って口々に言うんですよ。雄ちゃんも「監督,投げさせて下さい。」って言うんですよ。それまでそんなこと一度も言ったことなかった男ですよ。それで,僕も替えると言い出せなくて,「フォアボールでいいんだぞ。」と言ってベンチに帰ったら,ヒルトンに2ランホームラン打たれちゃった。あれは,本当に今でも悔やみきれないですよ。一番大事な場面で情に動かされてしまったんです。
関東弁護士連合会  「わたしと司法」 シリーズ29から

 今井雄太郎はその年のレギュラーシーズンにロッテオリオンズ相手にパーフェクトゲームを達成している。力のある投手ではあったがノミの心臓といわれ、気の弱さでは定評のある人物だった。上田の「それまでそんなこと一度も言ったことなかった男ですよ」というのはそのことを指している。

 おそらく、落合・岡本・谷繁の間の会話もこれだったのではないか。カブレラが谷繁のグランドスラムを帳消しにするグランドスラムを打った時、なにか必然のような気がしてならなかった。(10/20/2004)

 ほんとうによく降る。あしたにはまた台風が列島縦断コースをとるだろうとの予想。この秋は台風と熊の人里出没とで記憶されることになりそうだ。

 日本シリーズ第三戦。先発はライオンズ、帆足。ドラゴンズ、ドミンゴ。10−8でライオンズ。試合時間、4時間。満塁ホームランが両軍にひとつずつ。6回表、絵に描いたようにはまった谷繁の逆転グランドスラム。続く7回表、アレックスのタイムリーで2点差、さらにノーアウト満塁、アップアップの長田を助けてくれたのは谷繁のキャッチャーゴロだった。

 とにかくテレビ朝日のアナウンサーがうるさい。四六時中、ギャーギャーと甲高い声でがなり立てる。忘年会を盛り上げようとひとりテンションをあげる新人幹事を思わせる。名古屋あたりの田舎放送なら、まだわからぬでもないが、全国ネットのキー局のアナウンサーとはとても思えない。耐えかねてテレビの音量を下げてラジオのスイッチを入れて、面白いことに気がついた。ラジオでアナウンサーが「ストライク」と言ってから、テレビ映像はそれを追いかけるように「ストライク」を映すのだ。テレビに映し出されている「現実」は一呼吸だけラジオの「音声」に遅れている。つまり遠くで観る花火大会の逆。おそらくスタジアムから局までの中継回線に衛星を使っているのだろう。

 イスラム圏のテレビ局がヨーロッパで行われるサッカーを中継する時には、衛星回線によるロス以上のロスタイムを人工的に差し挟むのだと聞いたことがある。映し出される観客席の映像にイスラム教のタブーに相当するものがある場合、差し向けられた当局の検閲技術者が映像をカットして別のカメラ映像に切り替えるのだそうな。

 音声オンリーのラジオ・アナウンスの方がはるかに聴きやすく的確に事態を伝えている。まるでラジオが未来を告げながら現実を創り出しているような不思議な錯覚を楽しみ始めた、その時、試合は再び動き始めた。疲れたので、続きはあした書く。(10/19/2004)

 一日遅れでホームページの更新。

 きのうはディズニーシーへ行き、帰る早々から日本シリーズ中継。先発はドラゴンズが山本、ライオンズが松坂。フェルナンデスのツーランでスタートし、常に先手をとりながらの展開にもかかわらず、松坂は例の調子で第二戦をロストした。石井で勝ち、松坂で負ける。得てしてこんなものだ。これで1勝1敗。楽しめるシリーズになりそうだ。どっと疲れて、定例更新などする気にもならなかった。

 トップ頁のショーケースには「根来コミッショナー」「ブッシュ対ケリー」を飾った。なかなかぴったり来る惹句が出てこない。こういうときはいくら時間をかけても同じ。あきらめて「コミッショナーの人間的要件」、「リモコン大統領の話」とした。

 「リモコン」という言葉が連想を生んだ。

 「少年」というじつにシンプルな誌名の漫画雑誌があったっけ・・・。看板はロボットをテーマにしたふたつの漫画。ひとつが手塚治虫の「鉄腕アトム」、もうひとつが横山光輝の「鉄人28号」だった。人気を二分するものだったが、登場するロボットは対照的であった。鉄腕アトムが人工頭脳を持ち会話をし自分の意見を言い、なんと泣くことすらできるロボットであるのに対し、鉄人28号は当初は空を飛ぶこともできず(これはすぐに背中にロケットを背負わせるという改造がなされたが)判断機能はおろかしゃべることもできず、ひたすら金田正太郎少年のリモコン操作にしたがうだけの木偶であった。

 こう書いてくるとはたして鉄人28号がロボットと呼ぶにふさわしいものであったかどうか疑問がわいてくるが、当時の技術水準ではリアリティのあるロボットはアトムではなく28号だった。そのリアリティ(そもそもその誕生が太平洋戦争末期に秘密兵器として開発、その第28番目の試作機が我らが主人公という説明自体、じつにリアルであった)こそ鉄人28号の人気のもとでもあった。

 のちにテレビアニメ化されたときの主題歌にはこのように歌われている。

〜〜、敵に渡すな大事なリモコン、
鉄人、鉄人、空を飛べ、びゅんと飛んでく(木偶?)、
テーツジン、ニジュウ、ハチ、ゴウ〜〜

 鉄人28号には正邪の意識はない、ただのリモコン機械に過ぎないのだから。命令を受けて動くことすらない、そもそも命令を解釈するルーチンを持たないのだから。リモコンをあやつる者の意のままにあらゆることをしてのける、それが鉄人28号だった。

 ところでカジモド・ブッシュのリモコンはいったい誰が持っているのだろう。(10/18/2004)

 朝刊に西村欣也が昨夜の誤審問題について書いている。こんな書き出しだ。「『ファンが審判の名を知りたいと思うのは、それは彼がミスをした時だけだ』。大リーグの格言は、審判のつらい立場を言い当てている」。まさにその通り。結語もまた痛烈だ。「根来コミッショナーはこのトラブルの直前に球場を後にしていた。野球協約第8条は『コミッショナーは、日本選手権シリーズ試合(中略)管理する』と定めている。こちらはもう、『ミスジャッジ』と言うのもむなしい」。

 日本シリーズで最大の試合中断といえば78年のブレーブズ・スワローズ最終戦、大杉のレフトポール際に打った「ホームラン」の判定にからむものだ。それがホームランであったのかファールであったのかは別として、思い出すシーンがある。ファールであるとして譲らないブレーブズの上田監督に対して、当時の金子コミッショナーは事態収拾のためダッグアウトで説得を行った。テレビ中継が伝えたその言葉をいまでも憶えている。「上田君、私がこれだけ言っても、どうしてもだめか」。中断は一時間を超え、最後はたしかコミッショナー裁定の形で再開が命ぜられたように記憶している。

 日本シリーズについての条項は野球協約第8条第6項に記載されている。全文は以下の如く。「コミッショナーは、日本選手権シリーズ試合およびオールスター試合を管理し、社団法人日本野球機構に主催させる」。

 たしかに野球協約にはコミッショナーの人間的要件は書かれていない。だが大切なことは、プロ野球のコミッショナーは野球が好きな人物であるべきだ、ということだ。根来という男にはコミッショナーとして一番必要なこの一事が決定的に欠けているようだ。(10/17/2004)

 午後、愛泉道院。所沢の局から**(息子)に食料品などを送り、夕方、床屋。帰るやいなや、日本シリーズをテレビ観戦。先発はライオンズが石井。ドラゴンズが川上。

 伊東は松坂を明日にまわした。一見プレーオフ同様の考え方に見える。だが全5試合のプレーオフと全7試合のシリーズを同じと考えたとしたらそれは間違いだ。伊東に深慮があっての起用法か、単にプレーオフの考え方を機械的に踏襲しただけのことか、いまはわからない。素人にはわからぬ深慮、あるいは負担を軽くしてやる方がよい松坂の特性といったことでもないならば、この起用法は裏目に出るだろう・・・。そう思いながら始まった試合は、石井の予想外の好投、4回表に和田のレフトポールギリギリのソロホームラン、5回表ツーアウトランナーなしからの1・2番の連打ののちのドラゴンズライト英智の落球による追加点、と、ライオンズペースで進んだ。

 トラブルは5回裏、トップのリナレスのピッチャーゴロの処理を石井が誤ったところから始まった。続くドラゴンズ自慢の渡邉は三振してワンアウト・ランナー一塁。ここで落合は谷繁にバントを命じた。谷繁のバントはホームベース板にふれそうなところを転がった。キャッチャー細田はそれを拾い上げ、目前を通り過ぎた谷繁の後ろ足にタッチを試みた後、ショートの中島に送球、中島からボールはファーストのカブレラに渡った。流れの上からは走者リナレスはフォースアウト、谷繁も一塁目前でアウト、ダブルプレー完成に見え、二塁塁審も一塁塁審もともにアウトを宣告しチェンジになった。

 これに対して落合は主審橘高が細田の谷繁へのタッチに対してアウトを宣告しているところを見咎め、谷繁が先にアウトになっている以上、中島がリナレスをアウトにするためにはタッチプレーが必要、リナレスはセーフであると抗議した。橘高はあっさりと落合の抗議を認め、ツーアウト・ランナー二塁から試合を再開する旨、伊東に伝えた。

 リプレイで見る橘高のジェスチャーは審判としては失格だった。彼はまず両手を広げてフェアのコールをし、その後に広げた左手はそのままに右手を軽く斜め上に差し上げたが、それはとてもアウトを宣するジェスチャーには見えない中途半端なものだった。アンパイヤのジェスチャーを誤認したのは守備する選手だけではなかった。セカンドの塁審杉永は中島がキャッチャーからのボールを受け取り触塁したときにアウトをコールしている。塁審が誤認するようなあやふやなジェスチャーでは選手は救われない。橘高が谷繁のアウトをもっと明確にきちんとしたジェスチャーつきで宣告していたならば、中島はタッチプレーでリナレスを刺していた。中島が捕球した時点でリナレスはまだセカンドベースまで数メーター以上手前にいたのだから。

 当然伊東は納得するはずがない。中断は50分近くにもなった。最終的に審判団は誤審を認める場内放送をして押し切った。再びマウンドに戻った石井は次の英智をキャッチャー・ファールフライに討ち取り、ガッツポーズをとりながらダッグアウトに戻った。まさに「セイギはカッツゥ〜」の心境だった。

 審判の誤審があった場合、どのように処理すべきかは一般論としては難しい問題だが、「見なし」で処理をすることが納得されやすい場合がある。きょうの試合では8回表、一塁走者カブレラが和田のセカンドゴロに際して守備妨害をしたとして走者も和田もアウトになっている。これはカブレラがセカンドに体当たりをしなければダブルプレーが完成したはずという「見なし」によって、実際には送球アウト処理がなされていない和田もアウトにされたのだ。きょうの試合のケースはこれと同じでよかった。なぜならリナレスは誤審がなければ間違いなく刺殺されていたのだから。そういう説明ならば、落合は納得したと思う。「誤審」よりも「事後の処理のまずさ」、それがこの審判団の最大の問題だった。(10/16/2004)

 一週間ぶりの好天。快晴。きのう買ったガルブレイスの「悪意なき欺瞞」を読む。薄い本なので一気に読めた。

 本棚にあるガルブレイスは十数年前の「バブルの物語」だ。この本には格別の想い出がある。パスポートを確かめると91年10月。バブル景気の末期、というよりはバブル崩壊が目に見え始めたちょうどその頃、アナハイムで開催されたISAショーの視察を命ぜられた。英語となると読むことが精一杯で話すことなど覚束ない奴にISAショーへ行ってこいというのはまさにバブル期の感性ならでは。その出張に携行したのが「バブルの物語―暴落の前に天才がいる―」だった。「カリフォルニアの青い空」を思い出すごとに、この本の題名と我が身もわずかながら享受した「バブル」が重なって皮肉な感慨を呼んだ。

 ことし96歳になるガルブレイスは怒っている。なぜ、人々はこれほど明らかな欺瞞を見抜けずに、唯々諾々と詐欺師たちに言いくるめられているのかと。いま叫ばれている「構造改革」なるものはガルブレイスがこの本で暴いて見せた(残念ながらいまひとつ説得力に欠けるところがあるけれど)「アメリカの病」をこの国にも慢性病として定着させるための試みだ。

 全然脈絡のない話。こんばんのTBSニュースから。北朝鮮からの脱北者が持ち出した写真に特定失踪者としてリストアップされている加瀬テル子と酷似したものがあるというもの。注目すべきなのは行方不明になったのが1962年ということ。もしこの写真が加瀬であるとすると、北朝鮮による拉致という国家犯罪が70年代後半に始まったものではなく、帰還事業の開始直後、60年代初頭から既に実行されていたことになる。(10/15/2004)

 ブッシュ対ケリーのテレビ討論の三回目があった由。テレビ討論が終わるや否や、彼の国の主要マスコミは「どちらが勝ったか」という電話調査をやる。あちこちのニュースサイトの記事からわかった範囲の各論戦の勝者判定値を表にしておく。

ABC CBS CNN NewsWeek
Bush Kerry Bush Kerry Bush Kerry Bush Kerry
9/30 第1回 36 45 28 43 37 53 19 61
10/5 副大統領 43 35 29 41
10/8 第2回 41 44 28 43 45 47
10/13 第3回 41 42 25 39 39 52

 第一回の討論における「ブッシュの阿呆ぶり」は際立っていた。この数字はそれを如実に表している。

 あの日、「ブッシュ陣営は、次回から、別室にブレインを待機させ、そのブレインが用意するセリフをプロンプターに映す仕掛けでも用意しなければ、とても太刀打ちできまい」と書いた。それかあらぬかブッシュは第二回の討論に「シワつきの背広」を着用して現れた。アメリカのインターネット・サイトにはブッシュの背中の「コブ」のようなものは無線受信機であり、舞台裏にいる選挙参謀カール・ローブからどのように答えるか教えてもらっていたと主張するものが出てきた由。これに対しブッシュ陣営はこの奇怪な「コブ」を「背広のシワ」だと説明した。ことの真偽はわからない。ただ世界中の人々が眼にしたのは、背中にノートルダムのせむし男のような盛り上がりをつくる不思議な背広と、不安そうにしきりに眼をパチクリさせたブッシュが魔法の背広を着るやまるで別人のように振る舞えた落差の大きさだった。そしてシワのないふつうの背広を着て応戦した第三回の討論はABCの調査のみが伯仲を伝えるにとどまり、ジョージはまた明らかに言い負けてしまった。ズルは恥を知らぬこの大統領の常套手段なのだろう。

 ケリーが当選しようとブッシュが当選しようとアメリカが「悪の帝国」であることをやめることは当分期待できない。問題はブッシュが脳みそのかけらもないエテ公だということだが、なにリモコンを握るスタッフさえ真っ当であればパフォーマンスは変わる可能性があるということをこの「シワつき背広」は立派に証明してくれた。アメリカ合衆国の国民がまだなお「サルの帝国」に住みたいという選択をするのなら是非もない。(10/14/2004)

 朝刊に95年のもんじゅナトリウム漏れ事故に関連して自殺した職員の妻が「ウソのマスコミ発表を当時の動燃から強要されたことが自殺の引き金」として賠償請求を提訴するというニュースが載っている。以下、その一部。

 自殺後、大石理事長は記者会見で、遺書を「ほぼ全文に近い形」として読み上げた。原告はその内容に「意図的な改ざんや省略などがある」と主張する。会見に触れた部分について、大石理事長は「私の対応のまずさから、深刻な事態を引き起こす恐れを生じさせてしまった」と読み上げた。
 しかし、原文では<私の勘違いから理事長や役職員に多大の迷惑、むしろ『ほんとうのウソ』といった体質論に反転させかねない事態を引き起こす恐れを生じさせてしまった>。原文と違った個所は全部で10カ所近くになる。

 芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中に「時には嘘による他は語られぬ真実もある」という言葉があったが、原発ないしその関連施設は間違いなく「常時、ウソによって飾り立てねば、独り立ちできぬ技術」で運転されている。

 ところでこの西村成生なる職員はほんとうに「自殺」したのだろうか。思い出すのはカレン・シルクウッドのことだ。プルトニウム被曝に関する情報をニューヨークタイムズの記者に渡すことを約した日、彼女はナゾの交通事故死を遂げた。(メリル・ストリープの主演した映画「シルクウッド」はこの事件を描いたものだが、いつぞやNHK総合テレビはこの映画のオンエアの当日になって突然別の番組に差し替えた。問い合わせに対して「後日放送します」という答えがあったがついにオンエアされることなかった)

 原子力産業はいろいろなところに不明朗な影を落としながら、なお、「明るい技術」と自称している。(10/13/2004)

 午後、品質管理学会講演会。演目はふたつ。元日産の品質管理部長による「中国の品質管理の実態」は退屈(中国の協会に作らせたものをそのまま使う姿勢こそ「改善」の対象とすべきだろう)。「中国の最新事情」は一橋の関満博。大学院教授という肩書きから想像するのとは違うパワフルな人物。

 関は中堅の八色印刷機メーカ、アキヤマを上海電気集団が買収し、どのように立て直したかというところから話を起こし、中国における台湾企業・日本企業・韓国企業の戦略対比と中国に育ちつつあるネイティブ起業家のプロフィールなどを紹介。豊富なフィールドワークをバックにした話は貴重かつ抜群に面白かったが、会場に詰めかけた二百人近い品質屋さんにとっては十年一日(いや、ひょっとすると五十年一日?)のマジメな「改善」活動の講演こそ貴重なもので、関の話はただの漫談に聞こえたかもしれない。

 しかしアキヤマ印刷の買収といい、つい最近、報ぜられた池貝鉄工の株式取得といい、中国はじつにいい買い物をしている。近頃しきりに中国脅威論をがなり立てている「SAPIO」だとか「諸君」だとかいう雑誌は、どうせのことならこういう例を的確にあげて警鐘を鳴らして欲しいものだが、そういう冷静な観察はヒステリックな感情論で売ろうとする両誌には少しばかり難しすぎることなのだろうか。いや、おそらく、比較的「ローブラウ」な両誌の読者に焦点をあわせるとすれば、そのような記事は猫に小判なのだろう。

 どうやら「日本」の国号が泣くような時代になりつつあるようだ。それは中国がそうしているというよりは、この国が自らそうしているという方があたっている。しかし落ち目になった人間は、ふつう、被害者意識のみが亢進してしまう。散見する中国脅威論のほとんどはそういう体のものだ。(10/12/2004)

 長かった。ほんとうに長い試合だった。4時間14分。延長10回4−3でライオンズがプレーオフ第5戦を制して、パリーグ優勝を決めた。

 しかしどうもこの「パリーグ優勝」という言葉には引っかかりがある。レギュラーシーズンではホークスに4.5ゲーム差をつけられての2位だった(レギュラーシーズンにおける直接対決がストライキの対象となって2試合少なかったとしても)からだ。「優勝」とか、「リーグ制覇」という言葉を使うのは、ホークスの選手やファンに対しては申し訳ないような気がする。でもメジャーリーグでもワイルドカードが勝ち上がって「リーグチャンピオン」と呼ばれることはあるから、そういうものだと思うことにしよう。

 ライオンズが勝ったからというわけではなく、いい試合だった。4回裏に2アウトから城島がソロホームランを放ってホークスが先制点を入れる。続くバルデスが四球、ズレータのセンターオーバーフェンスダイレクトのあたりでバルデスは本塁突入、これを赤田−高木の中継で刺殺するところなどは、かつての平野−辻の中継プレイなどを彷彿とさせるみごとなものだった。さらに5回裏にも宮地のヒットでホームをついた柴原をライト小関からの好返球で刺殺。野球というゲームはこういうプレーには必ず報いてくれる。6回表、快調にきていた新垣がにわかに乱れて先頭の赤田がヒット、フェルナンデスの敬遠、カブレラはファーストゴロを打つがこれが送りバントのようになって一死二・三塁。和田が敬遠されて満塁から代打石井がレフトオーバーのツーベースを放って、ついに逆転。その後、野田の犠飛で3−1。

 ライオンズファンとしてはそこからが長かった。ほんとうに長かった。新垣は6回の乱調が嘘のように7回・8回を三者凡退で切り抜けると、8回裏先頭の井口がセンターにソロホームランで1点差。福岡ドームは騒然、ムードは完全にホークスになった。9回ライオンズがなんの工夫もなく三者凡退に終わり、運命の9回裏。ノーアウトからこのステージのラッキーボーイ鳥越がレフトオーバーのツーベース。川崎が送り、柴原が前進守備のサードを抜くゴロのヒットでついに同点。ライオンズは同点では駄目。アッ、終わったなと思った。だが豊田がなんとか踏みとどまって、延長へ。

 10回の表、運はライオンズに味方した。小関のたたきつける当たりが松中の頭上を抜いてノーアウト2塁。赤田が送り、代打犬伏がセンターに犠牲フライ。再度勝ち越し。ベンチで犬伏を迎えるときの伊東監督の顔がよかった。野球少年そのものの無邪気といってよい笑顔だった。この時の伊東の笑顔はこれからも忘れることはないだろう。本当にいい笑顔だった。

 そして10回裏。伊東が最後に指名したピッチャーは石井だった。今シーズンの石井はたしかに力も落ちているのだが、徹頭徹尾、運がなかった。このセカンドステージ初戦も、初回の宮地のショートゴロ、際どいタイミングをセーフと判定される不運。いまの石井にはこういう不運を跳ね返す力がない。レギュラーシーズンでも何回かこういうところを見てきた。だからこの伊東の采配は裏目に出るだろうと思った。ところが城島があっさり初球をセンターに打ち上げて、ずっと巡り合わせの悪かった運が一気に石井に戻ってきた。力が入りすぎてツーアウトからズレータを歩かせたものの続くラッキーボーイ鳥越をアンラッキーピッチャー石井はセカンドゴロに打ち取る。試合はライオンズのものになった。

 直後、**(息子)と電話で話をした。「こうしてパリーグ代表になったからには、ライオンズには、是非とも、ドラゴンズには勝って欲しい。そうでなくては、ホークスの選手とファンに申し訳が立たない」ということで意見が一致した。(10/11/2004)

 台風22号。ことし9個目の上陸。首都圏直撃で、気圧・風速などかなり記録的だったが、コンパクトサイズだったことと横浜・千葉寄りに進路がずれたため短時間の暴風雨でさほどには感じなかった。

 ライブドア・楽天の新規参入審査について、「サンデー・モーニング」で金子勝がこんなことを言っていた。どちらが合格するか、はたしてチーム編成はきちんとできるのかなどというところに焦点が集まっているが、ひとつ、近鉄の経営が思わしくないのならまずはじめにバッファローズというチームをいずれかの会社が引き継ぐというのがあたりまえの話で、そうしたならばチーム編成に関する心配など杞憂になるはず、ふたつ、経営がうまくできず赤字ばかりという無能な経営者が集まっている野球機構に審査をする資格や能力があるのか。むしろ受け入れる地域側に審査をお願いするのがあるべき話ではないのか、と。目からうろこ、まったくその通り。(10/10/2004)

 おととい、大量破壊兵器の存在に関するアメリカ調査団の最終報告書の内容が報ぜられて、細田官房長官は「現時点では大量破壊兵器がないということは非常に結構ではないか」と応えたという。半可通とはこういうことを言うのだろう。そういえば、我が宰相はアメリカ支持の根拠を問われて、大量破壊兵器の存在はフセインの存在と同程度に確かなことと答弁したのだから、その論拠が吹っ飛んでしまったいま、答弁をし直さねばなるまい。もっとも、誰一人、小泉や細田が歴史の前に責任を持つ意識で発言をしている政治家だなどとは露ほども思っていないから、どうでもよいといえばどうでもよいことではあるが。

 パウエルの上院委員会公聴会での証言に際して知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ読売も、今度ばかりはさすがに無視もできず、きのうの社説でこれを取り上げた。タイトル、「脅威は間違いなく存在していた」。最初の一行は「大量破壊兵器は見つからなかった。だが、脅威は間違いなく存在していた」と書き出されている。だがこの後に続く文章のウロウロぶりは読むに耐えるものではない。なにより記事を並べ立てて社説に代えるとは恐れ入谷の何とやらだ。以下いくつかの文章の主・述を列挙する。

 調査団が・・・発表した。・・・としている。報告書は・・・とも指摘している。・・・という判断である。ブッシュ大統領は・・・主張し続けている。報告書は・・・と結論付けている。・・・確信した、としている。事務局長は・・・と主張している。・・・というのが報告書の論旨だ。ブレア首相は・・・と強調した。・・・との認識を示したものだ。

 と、まあ、こんな塩梅だ。

 ここには「本紙は、これこれの論拠により、このようにすべきと考える」、あるいは「本紙が、かつて、このように書いたのは、こういう根拠に基づく」などという「主張」はかけらもない。事実の影に逃げ込み、隠れようとばかりしている。

 読売新聞は大量破壊兵器の脅威を根拠に国際法上問題の多いアメリカの先制攻撃を支持し、自衛隊の派兵を大上段に主張し、スペインなどの撤兵をテロとの戦いの放棄であると非難してきたではないか。いま、一連の読売社説の基礎を為していた一番大きな礎石がなくなったならば、根本からみずからが組み立てた論理を検証し直して読者に提示する責務があるはずだ。区々たる事実を適当に編集してまるで他人事のように書くのは卑怯千万であろう。

 サンケイのようなちゃちな新聞ですら精一杯のこじつけを書いている(きょうの「主張」、いかにもチンピラが書きそうな素朴な主張――「大量破壊兵器を砂漠地帯から発見するのは至難の業なのだ」そうだ、バカも休み休みに言え、呵々)というのに。読売にはプライドというものがおありか。それともあのテロに怯えて、いの一番にバグダッドから遁走しつつ、スペインの撤兵をテロに屈することと批判した、あの図々しく、かつ腐りきった体質がここでも発揮されたということか。だとしたら、読売新聞よ、二度と天下国家など語るな。下衆は下衆らしくしているのが一番と知れ、愚か者。(10/9/2004)

 トーマツからの帰り、本屋を覗く。面白い本を見つけた。曽野綾子の「アメリカの論理・イラクの論理」と題する本。腰巻きの宣伝文、「イラク戦争はやはり間違っていた!」とある。イラク戦争はこの国で「保守」の看板を上げてきた連中をみごとに選別してみせた。保守思想とは縁もゆかりもない権力志向のみのクズのような連中と、少なくともそれだけではない保守(これとてなかに紛い物を大量に含んでいるから、さらにふるいにかける必要があるのだが)とに。

 曽野綾子はサカリのついたただの権力猫だと思ってきた。だからイラク「戦争」であろうとアフガン「戦争」であろうと、ただひたすらにアメリカに尻尾を振っているんだろうと思っていたが、少しはものを見る眼を持っていたのかもしれない。と、そこで、**さんが「曽野綾子さんにがっかり」と書いていた(注)のを思い出した。彼が書いていた曽野綾子の一文とはどんなものだったのか。そんなことを思いながら、パラパラと本をめくってみた。

 面白いと思ったのは、巻末に何人かの「識者」の開戦から今に至るまでの「発言」が収められていたこと。寺島実郎あたりから田久保忠兵衛までだ。恥をかかずにすんでいたのは、岡本行夫と寺島ぐらいのもの、岡崎久彦や田久保なんぞは完全に失格。彼らはいまや「オオカミ少年」であることがばれてしまった、可哀想に。岡崎・田久保など、イラク戦争の展開を前にして、大恥をかいた面々にアドバイスしよう。「めげてはいけません。長谷川慶太郎さんのように鉄面皮にどんどん主張を変えることです。1分前の自分が言ったことを平然と否定できるそういう心臓を持てばいいだけのことです」と。

 曽野綾子など興味の外だったから、イラク戦争について彼女がどのように発言してきたかはつまびらかにしない。だが、彼女は深い知恵を持っているふりをしたがるけれど、本当のところはただ単に機を見るに敏、長谷川慶太郎のようなタイプだから、この本もそういう類の本なのかもしれない。

 夕刊のトップはアメリカ調査団の最終報告書、「核兵器?」、「ない」、「生物兵器?」、「ない」、「化学兵器?」、「ない」、「ミサイル?」、「ない」。要するに「ないない尽くしで何もない」。あったのは「開発意図だけ」だったのだそうだ。しかし実在を証明することもできずに、意図の存在(つまり思ったのかどうか)を証明することができるのかしら。単に決めつけただけのこととすれば、これはまさに魔女裁判だ。(10/7/2004)

注)若草鹿之助の「今日はラッキー!」の10月3日の項。

 朝刊、国際面に二つの興味深い見出し。ひとつめ、「イラクの米兵、足りなかった:ブレマー元CPA代表」。記事の内容は、主権委譲をするやいなやその日のうちにイラクを逃げ出したブレマーが、最近ウェストバージニアで開かれた保険業界関係者の私的会合の際に、旧フセイン政権崩壊後に十分な兵力の投入がなかったことが現在のイラクの混乱の原因だと語ったというもの。

 もうひとつの見出しは「兵力の投入など不要」と豪語し、ブレマーの指摘する問題を惹起した元凶、ラムズフェルド国防長官に関するもの。「イラクとアルカイダ:昼の講演『証拠ない』、夜は一転『関係ある』:米国防長官揺れる」。

 ラムズフェルド米国防長官は4日昼、旧フセイン政権と国際テロ組織アルカイダとの関係について、ニューヨークでの講演で「両者を結びつける強力で十分な証拠は見ていない」と発言した。イラク戦争開戦前、両者の結びつきを断定的に認めてきた過去の長官発言を修正したと見られたが、同日夜になって「発言は誤解で、両者には関係がある」とする声明を発表、発言を事実上撤回した。
 両者の関係は、ブッシュ米政権が大量破壊兵器とともにイラク戦争正当化の主要な根拠に掲げてきた。その関係をいったんは否定した発言だけに、戦争の正当性やブッシュ政権の信頼性をめぐる大統領選の議論に影響を及ぼすとみられる。
 長官は講演で「どんな関係だったかについて、情報機関の中で食い違いがある」と指摘。アルカイダ関係者がイラクに出入りしていたという情報については認めたものの「だから関係があるとも、ないとも言える」と述べ、「強力で十分な証拠」ではないと説明した。
 ところが同日夜の声明では、米中央情報局(CIA)の情報分析として「02年9月以来、両者に結びつきがあることを承知していた」と強調。双方の高官、幹部の接触を示す信頼できる証拠があるなどと従来の主張を繰り返した。同時多発テロ事件に関する超党派の調査委員会はすでに「両者が(米国内攻撃の)作戦面で協力した証拠はない」と結論づけている。

 先日のテレビ討論でプアな頭脳構造が露呈して「圧倒的に有利」という下馬評に黄色信号がともりながらも、なお、巨額の選挙資金で乗り切ろうとしているブッシュとその陣営だが、洩れ伝わる話はなんとも杜撰、かつお粗末なその内幕ばかり。いったいあの「大量殺戮:別名イラク戦争」はなんだったのか。(10/6/2004)

 朝の武蔵野線、「ブッシュ」と「声」がした。近くの女性が声の主を確かめる。明らかに不快の表情。と、もう一度「ブッシュ」。いかにもツバキをたっぷり飛ばしていそうなクシャミ。「ブッシュ」はここでも嫌われ者だ。

 ずいぶん前の失敗を思い出した。きょうの「ブッシュ」氏のように通勤電車の中でクシャミが出そうになった。あわてて口に手を当てながらクシャミをこらえたが、口は閉じられたもののこみ上げたクシャミは止められず鼻と耳にまわった。その時、鼻から小さな鼻くそが勢いよく飛び出し、吊革につかまる自分の正面に腰掛けてうつむき加減に本を読んでいた女性の髪の毛に着地した。

 まわりに気付いた者はいない。それと見なければ鼻くその存在は目立たない。抑えたクシャミで飛んだぐらいだから鼻くそは乾燥しており、いずれ風に吹かれればどこかに飛ぶだろう。そう決めて知らぬ顔を通そうとしたとき、女性が顔を上げた、ドキン。

 ドキンとしたのはふたつ。ひとつ、(エッ、ばれた?)。ひとつ、(アッ、きれい!)。目がクリッとして、親しみの持てる、かわいい顔だった。

 そこから煩悶が始まった。こんな感じのいい女性の髪に鼻くそをつけたまま、会社に向わせていいものか、ではどうする、鼻くそがついてますからとりましょうなどと言えるか、まわりの乗客はそのやり取りをどう思う、じろじろ見られるぞ、オレはいい(じつはよくない)けれど彼女は間が悪かろう、いや、なによりこんなかわいい女性に侮蔑のまなざしを向けられるのは耐え難い、でも知らん顔はあまりに不実というものだ、どうしよう、・・・。

 池袋について、乗客が出口に向かい、座っていた彼女も腰を浮かせた、その刹那、「ゴミ、ついてます、とりましょう」、烈火の気合いで竹刀を振り下ろすように、決然と。ほとんどの乗客の神経は降車待ちの人の流れに向い、件の彼女も不審を抱く間もなく、ことは済んだ。

 失敗の解決としては、会心のものだった、と、いまでも信じている。でも「いやらしい髪の毛フェチ野郎」と思わていただけ、かも。(10/5/2004)

 メジャーリーグのレギュラーシーズンが終わった。シアトル・マリナーズはアリーグ西地区の最下位、63勝99敗、勝率3割8分9厘はアリーグでは下から二番目の成績(最悪はカンサスシティー・ロイヤルズの58勝104敗、勝率.358)。イチローにとっては比較的気楽に「記録」に取り組めたという点で恵まれたシーズンだったのではないか。ご苦労様。

 イチローの「新記録」とその周辺の記録を、レコードホルダーだったシスラーの1920年の記録とともに書いておく。

試合数 打 数 安 打 単 打 二塁打 三塁打 本塁打 打 点 打 率 長打率 出塁率
シスラー 154 631 257 171 49 18 19 122 .407 .632 .449
イチロー 161 704 262 225 24 5 8 60 .372 .455 .414
試合数 得 点 四 球 敬 遠 死 球 三 振 盗 塁 盗塁死 犠 打 犠 飛
シスラー 154 137 46 2 19 42 17 13
イチロー 161 101 30 19 4 63 36 11 2 3

 イチローが優ったのはシングルヒット数・四死球・盗塁死(の少ないこと)、それも単純計算でいっての話に過ぎない。打点は試合数の少ないシスラーの半分にも及ばない。

 足の速さを実感するのはベースボール観戦の快感のひとつだ。両者の数字を見るとイチローの足の速さはシングルヒットの多さにつながっていることが分かる。俊足を見る快感は、ふつう、打ち損ないゴロをヒットにする場面より、果敢な盗塁や冒険に満ちたスリーベースの場面で実感できるものだ。チャレンジングなところが見えない記録は退屈の集積でしかない。一円ずつこつこつと貯金するのがいかにも日本人らしい、か、なるほど。それがカネを取って見せる野球かという気もするが、まあ、いいだろう、目明き千人めくら千人だ。

 まだシーズンは終わっていない。ポストシーズンを勝ち取った選手たちにとっては、これからがプロ野球選手としてのシーズンの総仕上げだ。彼らが見せるものを楽しみにすることにしよう。それは数字に囚われたり、商売上の思惑から作られた面白さとは次元の違うものだ。さあ、それを楽しみにしよう。(10/4/2004)

 ブッシュ−ケリーのテレビ討論会は9月30日に行われた。そして10月に入るやいなやアメリカ軍はイラクの全土で反米勢力に対する一斉掃討作戦を開始した。傀儡政権の国務相ダウードの「1月の選挙に向けた準備作業だ。市民の求めに応じ、テロリストと旧政権の残党を『掃除』した。これから、危険地帯での作戦を本格化する」というコメントは、まさにこれが「1月のイラクでの選挙」ではなく「11月のアメリカでの選挙」のために行われた作戦であることを問わず語りに示している。

 ファルージャではアメリカ軍の爆撃で女・子供を含む7人が死亡13人が負傷し、サマーラでも同様の無辜の人々23人を含む百数十名の死亡が伝えられている。あの読売新聞ですら「米軍は、ヨルダン人テロリスト、アブムサブ・ザルカウィ容疑者一派の『テロ拠点』を精密誘導爆弾で攻撃したとしているが、がれきから子供が全身泥だらけで救出される様子がテレビなどで放映されるなど民間人に大きな被害が出ており、反米感情にさらに油を注ぐ結果となっている」というカイロ支局員の記事を載せているところをみると、「ピンポイント爆撃」の内実は「無差別爆撃」なのだろう。これは、換言すれば、「無差別テロ」となんら変わらない蛮行だ。

 ディベートに負けて支持率が下がるやその挽回を狙って「無差別爆撃=無差別テロ」を行い、「毅然とテロリストと戦う軍最高司令官」を演出して「愚かなアメリカ市民」の目を幻惑するというのがブッシュのやり方なのだ。(10/3/2004)

 イチローが「年間最多安打新記録」を達成したニュースで持ちきり。ゲップが出てくるほどの大騒ぎだ。NHKの夜7時のニュースは、例の等身大の姿写真を記録となった258本目でリフトさせる仕掛けを作り、つり上げるときにはスタジオを暗くしスポットライトをあてる演出、30分の放送時間のうち20分近くをこのニュースに費やしたことを記録しておく。

 最近のNHKニュースにはニュースの理解とは無縁の過剰な演出ばかりが目立つ。先日のオリンピックの時にはメダルの積み木を作って積み上げ、アナウンサーが甲高い声をあげてはしゃぎまわっていた。その異様さについて、誰も、何も、言わない。

 パラリンピックは28日に閉幕した。オリンピックにはあれほどメダル獲得数を騒ぎ立てながら、パラリンピックになるやじつに素っ気ない。この大会の日本選手のメダル獲得数は金17、銀15、銅20の計52個。これは金メダル数、メダル総数とも88年ソウル大会(45個うち金16)を上回る史上最多の由。ちなみにあれだけ囃し立てたオリンピックのメダル獲得数は金16、銀9、銅12の計37個、種目も多く、参加選手数も多かったのに、だ。

 素っ気ないといえば、必ず報ぜられる国別のメダル獲得数もあまり見かけない。公式サイト掲載のものを書き写しておく。

中国 63 46 32 141
イギリス 35 30 29 94
カナダ 28 19 25 72
アメリカ 27 22 39 88
オーストラリア 26 38 36 100
ウクライナ 24 12 19 55
スペイン 20 27 24 71
ドイツ 19 28 32 79
フランス 18 26 30 74
10 日本 17 15 20 52

 中国がトップとは意外。高度経済成長の中で障碍者など打ち棄てられているものと思いきやこの活躍。やはり社会主義国の一面を示しているととるべきか、国威発揚の場なれば障碍者も容赦されぬものととるべきか、判断に迷う。日本の「善戦」がどの程度のものか、なんでも一番をとらねば気の済まぬアメリカの意外な低調ぶり、オリンピックではあまり上位に来なかったイギリスの意外な健闘、各国社会の「素性」がよく見えるような気がする。(10/2/2004)

 ブッシュとケリーのテレビ討論があった。直後のメディアの行った調査では「ディベートはケリーの勝ち」という結果だった由。一対一のディベートでは、一人で何もできず、考える力も語る力もないブッシュの劣勢ははっきりしている。ブッシュ陣営は、次回から、別室にブレインを待機させ、そのブレインが用意するセリフをプロンプターに映す仕掛けでも用意しなければ、とても太刀打ちできまい。

 ただテレビと夕刊を見る限り、ケリーもブッシュとさしてかわらない。それは「テロとの戦い」がどのような状況の中から現出したものかということに関する根本的な洞察を欠いているからだ。延々と続く因果の終端のほんの少し手前のところに焦点を当てて、そこをどうするかについて「右だ」「左だ」などという議論をしている限り、その不毛性は永久に解消されない。しかも、その左右を決する姿勢が己がどれほど強気のマッチョであるかを争っているのだから、バカバカしさは際立っている。

 浮薄な大衆国家における選挙とはかくの如きものにならざるを得ないのか、現代の民主主義はこんな袋小路にいるのかと思うと暗澹たる思いがする。

 中日ドラゴンズがリーグ優勝。前回のドラゴンズの優勝は1999年、翌年の4月に小渕首相は急逝し、内閣はシンキローと呼ばれた森に引き継がれた。今次の優勝の「影響」は如何に。(10/1/2004)

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