あしたからどんな負担が増えるかというニュースが多い。もっとクローズアップされるべきことがあまり強調されていない。「後期高齢者医療制度」のこと。来月から75歳以上の老人は従来の医療保険の枠組みから外れて、75歳以上の老人のみを被保険者とする別枠の医療保険グループにまとめられる。

 それにしてもすごい呼び名と感心する。「高齢者」というだけで人生の終盤にさしかかっていることは十分に分かる。それをあえて「後期」と形容してダメを押す。

 ・・・あなたは「高齢者」の中でももう「後期」です。「後期」というのはおしまいごろということですよ。自覚を持ってくださいね。「後期」なんですから痛い・痒いは当然ありますよ。痛い・痒いくらいで医者にかかってもらっちゃ困るんですが、それでも医者に行くんでしょ。カネがかかってしようがない。そういう困った「後期高齢者」の皆さんが普通の健康保険の中にいたらみんなが迷惑します。だからあなたたちだけの専用の保険制度を用意させていただきました。75歳になったら「後期高齢者」のための保険にかわっていただく。息子の扶養家族になっていますって? 甘えてもらっちゃ困りますね。そんなことは関係ありません。あなたが「後期高齢者」ならば所得があろうがなかろうが、保険料は確実に払っていただきます。とりっぱぐれがあるといけないから年金から天引きします。ご不満ですか。ならばもう「後期」なんだから早く死んでくださいな・・・。口には出していわないが、こういうことだ。

 こういう言葉を聞いて厚生官僚は冷たいなどと思ってはいけない。そもそも厚生官僚はエイズウィルスが混入している恐れがあっても、クロイツフェルトヤコブ病の感染がありそうだと知っていても、肝炎ウィルスが妊産婦に蔓延するかもしれないと分かっていても、じっと押し黙って警告を発しないという種族だった。しかしいまや彼らは十分に反省したのだ。

 そしてその轍を二度と踏むまいと堅く心に誓い、心を鬼にして警告を発するように改心したのだ、きっと。もういつ死んでもおかしくない年齢の人々に、「人生の後期にさしかかっているのですよ、あなたは」という自覚を持ってもらうために、「75歳になりましたね。あなたは後期です、後期。人生のおしまいの時期です」と注意喚起することにしたのだ。そして保険料を未払いのまま、あの世に旅立っては成仏できなかろう。いや、なんとしても宙に浮いた未払い保険料が発生しないように、年金から直接差し引くという「後期高齢者」の身になって考えに考え抜いた方式を実施することにしたのだ。なんと慈愛に満ちた扱いであろうか。

 厚生官僚の皆さんにはけっして足を向けては寝てはいけない、バチが当たるというものだ。(3/31/2008)

 朝刊の文化欄「100Answers」、昔テレビ番組にあった「100人に聞きました」と同じ企画。

 テーマは「事件に時効は必要ですか?」。「Q1:殺人罪の時効はあった方がいいと思いますか」、「Q2:どれだけ時間が経過しようと追求し続けたい、あるいは追求されるべきだと思う事件や問題を挙げてください。社会的な事柄でも身近な事柄でもかまいません」。

 Q1に対する回答は、はいが15人、いいえが59人、その他・無回答が26人。たしかに「刑罰も受けずに、のうのうと自由を謳歌されては、家族は報われない」という気持ちは理解できないではないが、そもそも「家族に報いる」ために犯罪捜査をしているのだと考えるのはいささか単純ではないか。犯罪を犯した場合には必ず「刑罰という報い」があるのだという「実績」を作ること、つまり「報いる対象」は「犯人」だったはず。「報い」の内容も「報い」の向け先も取り違えていては論議にはならない。(このあたりのことを忘れさせたのが光市母子殺害事件だった。あのあたりから「感情的ホンネ主義」ともいうべきいささか幼稚な精神が大手を振って「大人の論理」としてまかり通るようになった。それほど「罰」を目的化することに執着するのなら、いっそのこと「仇討ち制度」を復活、公認したらどうだといいたくなるが、そういう胆力は持ち合わせていない、余計に嗤いたくなる)

 時効制度は合理的な制度だ。常識的な「時間が経てば経つほど、事件の真相は測りがたく、裁判に誤りをもたらす可能性があるから」という理由の他に、「捜査のリソースに限界がある以上、いつまでも一つの事件にそれを割り当てるのは合理的ではない」という回答があったが、これは感情的時効廃止論者の足許をすくう鋭い指摘だ。(孝明天皇毒殺事件、広沢参議暗殺事件、・・・、これらにすべて捜査員をアサインして捜査にあたらせる・・・、想像するだにゾクゾクしてくる。やってみたらいいかもしれない、呵々)

 Q2の方はもう「質問」ではなく「時効」という言葉からどのように想像を広げるかというコンテストのようなもの。こちらの方にはヨーロッパ諸国がナチス犯罪を時効制度の例外としていることの類推から戦争犯罪、権力犯罪の追求には時効は不要という意見がある。

 面白いと思うのは、「殺人犯」という「個人」を憎む方に力が入っている人ほど、よりスケールの大きい戦争犯罪や権力犯罪に対しては寛大。というよりは、見えていないらしい。対象に密着しすぎて小さいことには腹を立てられるが、大きいことは見損ねてしまう。だから「一人殺せば殺人者、たくさん殺せば英雄」ということになる。騙しやすい人が増えた。出でよ、ヒトラー。(3/30/2008)

 予想したとおり、サンケイ、打てば響くがごとき反射神経できのうの沖縄集団自決判決を取り上げた。見出しは「論点をぼかした問題判決だ」となっている。タイトルを見ただけで嗤って、以下は読まなかった。深く考えて書くことは難しいが、思い込みで書き散らすことは簡単。サンケイ社説子の頭脳程度から考えればじつに分かりやすい話だ。

 今週は「赤be」の方。先週の「赤be」は城山三郎だった。そして今週は団鬼六。「落差」のように見えて両者の距離はさほど隔たってはいない。少なくとも「女性」への向き合い方においては。

 団の小説は「SM小説」という分野に分類されている。もちろん「SM小説」というのはサドの作品ともマゾッホの作品ともまったく別世界のものではあるが、彼の作品の雰囲気は氾濫する「SM小説」ともずいぶん違っている。ほとんどの団の小説は男の夢をこれでもかこれでもかと書き立てたようなところがあって、そこでは女性はほとんど女神の領域に達している。読者は少年の頃あこがれたものに、想像の世界で思うがままの乱暴狼藉をはたらくという趣向。(だか彼の代表作はまったく「役」に立たなかった。なにしろヒロインの名前が静子なのだから)

 記事は団が入れ込んだ最後の愛人さくらについて書いている。年齢相応の物欲がなく、生まれつきの色も匂いもない空洞のような存在、ついには理由の分からない自殺。これだけ条件が整っていたら、それは惚れることにもなる。記者はひょっとすると鬼六先生にだまされたのかもしれない。(3/29/2008)

 都議会本会議は、きょう、新銀行東京への400億円の追加出資を可決した。既におとといの予算特別委員会で自民党と公明党の賛成で可決していたことを受けたもの。きのう、新聞各紙は一斉に前日の委員会決議を批判する社説を掲げた。朝日は「『石原銀行』延命の重い罪」、読売は「都民も首をかしげる追加出資」、日経は「都民にツケ回した『石原銀行』救済の罪」、東京は「石原銀行増資:都民の意に背く独善だ」とタイトルした。

 おや、毎日はと思って調べると、毎日は既に委員会採決の日、26日の朝刊に「新銀行東京出資 知事や議会はどう責任とる」と書いていた。サンケイも毎日同様の判断で書いているのでと思い、調べてみたがそのような社説はなかった。「都合の悪いことには目をつむる」というサンケイらしい判断かと嗤っていたら、けさになって「都民無視した追加出資だ」と題してまるで各紙の社説をカクテルしたような気の抜けた「主張」を載せた。

 サンケイ新聞の社説子は「頭の不自由な」人らしく、難しい問題になるとすぐには社説を書くことができないようだ。だから各紙が一斉に書き立てたものを熟読した上で、その翌日に、右顧して左眄しながらパッチワークのごとき「主張」をでっち上げる。石原銀行顛末記の論評など、さして難しい問題とも思えぬが、サンケイ社説子にはずいぶん頭の痛くなる問題だったようだ。可哀想に。

 しかしどんなバカにも取り柄はある。こと右翼イデオロギーの琴線に触れるような問題になると、サンケイ新聞だって元気一番、事件の翌日に「主張」を掲げることができるのだ。きょうは沖縄集団自決判決があったから、あしたのサンケイ新聞の社説はさぞやご立腹の「主張」を掲げてくれるだろう。

 そういう時は通常の活字よりは一ポイントばかり大きくするというのは・・・気のせいか、呵々。バカを嬲るというのはとてもいい趣味とはいえないが、これがまた憂さ晴らしには一番なのだ。楽しみにしておこう。

 セリーグも開幕。スワローズ-ジャイアンツ:2-5、タイガース-ベイスターズ:4-2、ドラゴンズ-カープ:2-2。ジャイアンツの開幕投手は高橋尚成。(3/28/2008)

 先週土曜に開花宣言された桜は都内では早くも、きょう今日あたり、満開になってしまった。

 朝一番で川崎工場の**部長が本部損番の合議のため来訪。

 ブラジル向けに去年夏に出荷した80MWの蒸気タービン、最終段低圧部ブレードの止め板が外れて復水部のケーシング内に飛び散っているのが発見された。運転開始から数ヶ月で発生した由。

 基本的にタービンブレードは回転による遠心力のため回転軸方向にはあまり力が加わることはない。したがって止め板そのものは軸を中心とする円周の溝に50分割した止め板をはめ込み、とじ合わせの部分のみをスポット溶接する。50枚中スポット溶接をする部分の両側数枚程度は他の止め板の曲率よりは若干大きく加工し、溝の中で止め板が滑って動くことがないようにしている。この加工は現場作業者の判断に委ねられているが、このあたりの技術的なセンスがきちんと伝承されていないのではないかという話。

 説明を聞きながら、回転体の連想で、荘子にある輪扁の話を思い出した。こんな話。

 桓公が木陰で読書をしていると、近くで車輪を作っていた男が「殿様、何を読んでおいでですか?」と尋ねた。「聖人の書かれたものだ」と応えると、その男は「古の人の知恵の残りカスをお読みなのですね」と言った。温厚な桓公もいささかむっとして「何を言いたいのだ、車職人風情が。答えによっては捨ておかぬぞ」と声を荒げると、さすがに男は言葉をあらためて「大変失礼をいたしました。わたしは車輪づくりを生業としている者ですが、車軸を通すところが難しいのです。削りすぎると緩くていけませんし、削り足りないときつくてこれもいけません。ほどよい削り方はうまく説明できませんが、そのコツは自分で身につける他はありません。倅にも教えることはできないので、こんな歳になってもまだこうして車輪づくりを自らやっているのです。そうして人に伝えられずに死んでゆくのです。とすると、お殿様が読まれているのは、古の人の知恵の残りカスなのではないかと思ったのです」。こんな話だった。いかにも荘子らしいたとえだ。

 「再発防止策」の欄には「作業要領書を作成する」とあった。そうしか書きようがないことは事実。会社ではそのように書く。それまでのこと。(3/27/2008)

 きのうの夕刊に面白い記事を見つけた。「米銀行大手JPモルガン・チェースは24日、証券大手ベアー・スターンズの救済合併で、買収額を当初の5倍の1株10ドルに引き上げる、と発表した」。

 日曜日の朝刊記事には

見出し:ベアー救済劇2ドルの謎/不透明な株価に訴訟/隠れ負債の可能性も
 米証券大手ベアー・スターンズの突然の身売りに揺れた米金融市場は株価が持ち直し、金融不安がひとまず和らいだ。米金融当局などが矢継ぎ早に打ち出した対策を評価する声もある。だが、買収額が1株2ドルまで落ちたベアー救済劇には不明な点も多く、金融大手の業績悪化や景気後退への懸念がなおくすぶっている。(ニューヨーク=渡辺知二、丸石伸一)
 「ベアー・スターンズは米国のヤマイチか」
 米金融アナリストの間では、いまの米国の金融不安を、97年の山一証券破綻が象徴する日本のバブル崩壊と比べる分析が出始めている。
 住宅価格の下落で低所得者向け(サブプライム)住宅ローンが焦げ付き、金融不安につながった今回と、地価急落で住宅金融専門会社(住専)の不動産融資が焦げ付いた当時の日本のイメージが重なるからだ。
 いまのところ、日本に比べ危機の拡大は防げる、との見方が優勢だ。
 米リーマン・ブラザーズのポール・シェアード国際担当チーフエコノミストはリポートで、企業会計が時価を反映しづらかった当時の日本に比べ、四半期ごとの決算で時価を明確にする米国では「問題の早期解決を求める圧力が強く、日本の1年分が米国では最長3カ月で処理できる」と指摘する。
 ベアー社の資金繰り難が深刻化した13日、ニューヨーク連銀を中心とする米当局は緊急協議を重ね、14日にJPモルガン・チェースを介した資金供給策を発表。混乱が収まらないとみると、16日夜の救済合併発表と最大300億ドルの特別融資に踏み切った。17日から始めた証券会社への新貸出制度には19日時点で計288億ドル(約2兆8500億円)もの借り入れが殺到し、資金繰り不安を後退させた。
 しかし、資金繰り難の直接の原因ははっきりしないうえ、週末14日に30ドルの終値をつけた株価が、16日の救済合併ではわずか2ドルに値付けされた理由も不透明だ。
 「買収額はベアー社の価値を反映していない」。「激安」の身売りで損失を被る株主の中には訴訟を起こす投資家が出てきたと米メディアは伝えている。合併にはベアー社の株主総会による承認が必要になるため、「JPモルガンが買収額を引き上げる」との思惑からベアー株を買う投資家もいる。20日、同社株には6ドル弱の値がついた。
 JPモルガンは15日時点で1株12ドルを想定していたが、帳簿を分析して切り下げた、との報道もある。買収額は約2億4000万ドル(240億円)。10億ドル(1000億円)はあるとされる本社ビルの価値を大きく下回る。実質は債務超過だったとの観測も残る。
 日本に比べ、透明性は本当に高いのか。市場分析のウェブサイトを主宰するエリック・ジャンセン氏は「証券化商品などの帳簿上の市場価格が誤った格付けに基づいている」と山一破綻で発覚した「隠れ負債」に似た例が、米金融機関にもある可能性を指摘する。
 格付け会社が顧客に配慮して甘い評価をする「利益相反」への疑念に加え、格付け時点の評価が正しくても、信用不安が起きると買い手がつかず、値付けできない、という問題があるからだ。

とあった。会計の透明性などということを口うるさく主張するアメリカも、結局のところ、最後の場面ではけっして公明正大な運用がされているという確信は一般投資家にはないのだということが透けて見えるような話だ。

 アメリカの走狗となって構造改革を主張する人たちに、このあたりのことをしっかりと解説していただいて、数年経ってからその説明に恥ずかしいほどの破綻が生じないかどうか確かめてみたい気がする、おそらく、いまでさえ、顧みて他を言うのだろうけれど。(3/26/2008)

 定例のFCSとの連絡会が終わったのは5時少し前。ほぼジャストに大伝馬町のビルを出て、東京ドームに駆けつけた。ボストン・レッドソックス対オークランド・アスレチックスの開幕戦の切符を**(息子)がとってくれた。

 すでに**(家内の友人)さんも**(家内)も**(息子)も着いていた。試合開始は7時。何のつもりかひたすらうるさいだけのヨサコイソーラン風のショーが終わってアメリカ国歌の演奏。これは礼儀だから起立をした。するとなんと君が代が続く。**(息子)は「こっちはね」と座りかけたが、「星条旗だけ立ってやったんじゃ、君が代がかわいそうだよ」と言うと、「じゃ」と応じた。歌ったのは中丸三千繪。だがもともとこの曲は洋楽風の歌唱に耐える代物ではない。ソプラノ歌手が声を張り上げるほどに「大仰さ」が耳をつんざく。つくづくこんなものを国歌として押しつける連中の趣味の悪さを呪う。(ついでに書けば、歌詞は葬送の詩。世界広しといえども葬送の詩を国歌とし、それを知らぬ無知な民草がこれを歌わされるという図も珍しかろう)

 思いっきり絶叫してお葬式の詩を歌った後の始球式。登場したのは森喜朗元首相。スタンドからのブーイングの声をバックに森はボールを投げた。だがバッターボックスには誰も立っていなかった。バッターラップしないのがメジャー流の始球式なのだろうか。

 まるで試合にけちをつけるようなふざけたセレモニーの後、始まった試合だったが、いままでの観戦経験の中でもベストファイブには入れたいと思う好試合になった。

 松坂はソロホームランをくらい、四球を連発し、1回裏、早々と2点献上。「スミニ」の状態で進んだ試合は6回表レッドソックスがラミレスのレフト線ツーベースで追いつき、続くモスの勝ち越し打で3-2と逆転。その裏、松坂をリリーフしたスナイダーがハナハンのツーランで再逆転を許す。ああ、このままで終わりかと思った9回表、一死からモスが同点ソロホームランを放ち、9回裏には岡島がマウンドに上がった。第一球からスズキを三振に取るまでの投球すべてにスタンドからはストロボの閃光が浴びせられた。それは松坂のオープニング投球以上の量だった。

 かつてこの球場をフランチャイズとするジャイアンツでノーコンピッチャーと評価された岡島の胸中はどうかと思われたが、「彼は昔の彼ならず」だった。延長に入るとき、場内アナウンスが流れた。「延長戦は大リーグの規程により・・・(歓声にかき消され聞こえなかった)・・・お帰りの時間につきましては十分にご注意願います」。そうだ、これこそがベースボールだ。

 10回の表、再びラミレスのセンターオーバー2点タイムリーが出て、その裏にはパペルボンが出てきた。何という試合、何という幸運。

 しかしシーズンのはじめ、まだピッチャーには細かいコントロールがない、一死からパペルボンは四球でランナーを出し、次のブラウンに長打を許した。彼がもしレッドソックスの中継がホームへ送球するものと決めつけずにセカンドに自重していたら、クロスビーのヒットで同点になり、試合はいまも終わっていなかったかもしれない。そういう流れの試合だった。しかしブラウンは二・三塁に挟まれて二死になり、最後はスズキがセカンドゴロを打って終わった。試合時間3時間40分。勝ち投手は岡島。

 こうして帰宅したいまも興奮が抜けない。グッドファイト、ナイスゲーム。(3/25/2008)

 ちょっと肌寒い感じにもかかわらず、豊田の駅近くの桜がわずかに咲き始めた。気がつくと、口ずさんでいる歌、心の中でこの季節と関係づけてしまった歌が多いのも、一年のうちで今ごろかもしれない。

 メロディがいいなと思うのは、由紀さおりの「春の嵐」。

雨が来そうよ 傘を持ってね
港に着いたら 捨ててください
船の別れは 辛すぎるから
ここから見てるわ あなたの船を
口づけは許して 許して
ようやく作った笑い顔が 崩れてしまう
どうぞ出かけて 気遣わないで
遅れてしまうわ 船の時間に

 こうして書き写すと、いかにも歌謡曲でございますという歌詞だが、寒の戻りのような冷たい風を伴った春の雨、その風に波頭が白くしぶいている海面を彷彿とさせるメロディーがつくと、ある種のいたたまれない感情を掻き立てる。名曲だ。

 そして紡ぎ出すイメージで心を揺さぶるのが、布施明の「陽ざしの中で」。

坂道を下って 走り寄る君がいた
明け方に見た夢に 笑顔の君がいた
気まぐれな言葉が 染みついた部屋の壁
窓辺の花だけは ほんのりと色づいた
季節の代わる気配に 振り返ってみたけれど
白い陽ざしがまぶしすぎて もう君を探せない
もう君を探せない

 ・・・白い陽ざしがまぶしすぎて、もう君を探せない・・・、もう君を探せない。探そうとした人がいたわけではないけれど、人は想い出を作って自分を慰めることがある。

 願わくは花の下にて春死なん・・・。会うことも適わなくなってしまった人の、記憶にのみ残る笑顔が、白い陽ざしを浴びつつ閉じたまぶたに映ずるのを見ながら死ぬこと。そんな最期をむかえられたら、もう最高なのだが。(3/24/2008)

 午後、畑村洋太郎の危険学プロジェクト07年度末報告会に行く。場所は六本木ヒルズ森タワー。会場としていかにも使用料金の高そうな森タワーを使うというのは、もともと回転ドア事故の解明のために始めた経緯があるからだろう。(冒頭、畑村は「ここは森ビルの好意でタダなんです」と言っていた)

 失敗学会からの申込で参加したが、一般にも開放ということもあり、日曜の午後にもかかわらず、なかなかの盛況だった。内容的には失敗学と同じ。あえていえば、失敗学が技術提供者の側からのアプローチだとすれば、危険学は一般利用者側からのアプローチということかもしれない。

 かつては人間の側から機械の機能に近づいて機械を使っていた。だから機械は危険なものという認識があった。しかし現在では機械の機能は人間の側に歩み寄り、機械はフレンドリーに動くものという暗黙の期待を人間が持つようになっている。そのため事故の発生の仕方が少し様相を変えてきているのではないか。つまり設計想定をする際にもそのような観点で人間の考え方や行動様式のようなものまでを視野に入れることが求められている・・・、これが危険学プロジェクトの発想。

 12の研究グループの個別の概要説明の中で、「遊具」と「絵本『子供のための危険学』」の話が危険学アプローチとしての特色がよく出ていて面白かったのは、そんな事情があったからに違いない。(3/23/2008)

 けさの「青be」はスピーカー修理の達人。佐藤絹子、女性なのだ。伝説のアキシオム80を修理した経験もあるというから、もうこれは「諸君、脱帽したまえ」と言うべき。

 新座に帰ったときには、いまガラクタ置き場になっているリスニングルームを復活して、少しばかりの贅沢をしようかと思っていたが、こういう会社があるのなら4343を修理してもらって、残る余生の伴侶とするのも悪くないと思った。ウーファーとスコーカーのエッジはボロボロ、おそらくネットワークもコンデンサーの腰が抜けているに違いない。柄も大きいから修理の往復輸送費もかかるだろう。ひょっとすると、気の利いた新しいスピーカーを買うぐらいはかかるかもしれない。しかしなんといってもいまでは手に入らないアルニコのユニットなのだ。懐旧に駆られた年寄りの趣味といわれても反論などしない。「どうせこちらの耳も古くなっている、かえって相性がいいのさ」とでも答えておこう。(3/22/2008)

 新駅「越谷レイクタウン」ができた影響だろう、先週土曜日からの新ダイヤでは新秋津発が47分になってしまった。確定的に56分西国分寺発の電車には乗り換えられなくなった。心なしか、電車の乗り降りにギスギスした感じがなくなった。かえってよかったのかもしれない。ただその影響で今週になってからはデスク上のシステムの起動は8時27分になった。

 けさは支度に手間取って35分に家を出た。47分には乗れないと思っていたら、運良くお地蔵さんの辻の信号にも、西武線の踏切に引っかかることなく間に合った。さらに中央線が少しばかり遅れていて、久しぶりに8時23分のシステム起動。

 こんなものなのだ、人生などというものは。意図しても成らぬ場合もあれば、意図せずに成る場合もある。つまらない偶然が粒々辛苦の試みを無にすることもあれば、その逆だってある。いささか大げさな連想と嗤いつつ、そうつぶやく歳になってしまった。(3/21/2008)

 FRBの利下げは0.75%、あっという間にニュージーランドドルは80円台まで戻してしまった。目安とした78円台はあきらめ、きょう一日辛抱強く振れ幅を追い続けて、やっと79円ジャストで一単位(10,000ドル)だけ約定した。ドル対第三国通貨の関係がどういうメカニズムになっているのか、分からなかったのだから仕方がない。だが、最大20,000円の機会損失と思うと、少し悔しかったりする。気分はすっかりデイトレーダー。

 まあこの後は一日170円前後のスワップポイントを受け取りながら、ひたすら80円台半ばまで戻すのを待つのみ。まさに不労所得。・・・と、書いて成り行きを見たら、いまは78円台に突入している。なるほどランダム・ウォーカーとはよくいったものだ。

 パリーグ開幕。結果はライオンズ-バッファローズ:1-2、ファイターズ-マリンズ:1-0、ホークス-イーグルス:4-3。主催試合を落としたのはライオンズのみ。(3/20/2008)

 アーサー・C・クラークが亡くなった。一番鮮烈な印象を持っているのは「幼年期の終り」。中学3年の時、級友だった****に薦められて読んだ。

 そう、**くん。彼は学区の関係で南校に行った。高校に進んだ年、SFマガジンの読者投稿に彼の作品が掲載された。星新一が選評を載せていたような記憶があるが定かではない。彼はその後どんな道に進み、いまはどこにいるのだろう。

 思えば、彼にはいろいろな作品を教えてもらった。アシモフ、クレメント、ブラッドベリ、ハインライン、シェクリー、スタージョン、・・・、ハヤカワ・ポケットSFは簡易な装丁のわりに高くて、とても毎月買うことはできなかったので、ほとんどを立ち読みで読んだ。「幼年期の終り」も三分の一くらいは立ち読みで読んでから手もとに置いておきたい気がして買ったような気がする。

 その当時、「SFマガジン」には「未来のプロフィール」が連載されていて、これもまた記憶に残る読み物だった。透明人間についての考察が面白かったことを憶えているが、どんな話で何が面白かったかということになると、それはもう霧の彼方。

 「幼年期の終り」は新座の本棚にあるだろう、来年、少し時間ができたら少年時代をトレースするような気持ちで読んでみるのもいいかもしれない。(3/19/2008)

 福田首相はあした任期切れを迎える日銀総裁の後任に国際協力銀行の現総裁田波耕治を国会に提示したが民主党はこれに不同意の方向。

 幾重にも驚く話。まず最初から「大蔵事務次官経験者は不同意」といっている相手に対し、何の根回しも下打ち合わせもなく提示する神経には驚く。事務次官経験者はダメという理屈が正当なものかどうかには議論があろう。余人をもって代え難い(都知事が使って以来、本来の意味が損なわれ、どうでもいい無能な身内を表す言葉のような響きが張り付いてしまったが)人材だというなら、十分に時間をかけて相手を説得すべきで、土壇場も土壇場、あと一日を残すのみという時になって突然提示するものではなかろう。

 日銀総裁の仕事の中に各国の財務相・中央銀行総裁との密接な連絡が必要ということならば、財務官(ミスター円と呼ばれた榊原英資が努めていた職責)なども十分候補になってよいだろうし、民主党も事務次官経験者でなければ同意可能な匂いをさせていた。それでも田波を提示したのは「日銀幹部と大蔵事務次官からのたすき掛け」にこだわる財務官僚のメンツを気にしたからといわれても仕方あるまい。

 日銀総裁の退職金は3億円なのだそうだ。つまり財務省は「出世競争の最優良コース」を待遇面とセットで確保しておきたいという、太平な時代の安逸な願いをいまも捨てていないということ。優秀ではあるが凡庸きわまりないスノブがのさばるいまの時代にはとてもよく似合った話だ。

 しかしそれにしてもそんなことがむき出しに見えてしまって、照れも隠しもなくなってしまったということには驚く他はない。(3/18/2008)

 すさまじい勢いで円高が進んでいる。1ドル95円台。これは12年7カ月ぶりのこととか。FRBが今週半ばに会議を予定しているにもかかわらず日曜日に緊急理事会を開いて公定歩合を0.25%下げ、かつJPモルガンを説得してベア・スターンズなる証券会社を合併させる措置をとったというのは尋常の話ではないのだろう。

 遺贈されたカネを投資に回すつもりの**(息子)に、きのう、「TOPIX連動のETFを買うなら、いまだね。日経平均でぎりぎり12,000円に近いところまで下がるだろうから、1,200円くらいかな」などと話をした。ところがきょうの東京市場はあっさりと12,000円を割り込み、終値は11,787円51銭。**(息子)は1,187円で約定した由。あしたも買いを入れるような口ぶりだった。

 こちらは海外株ファンドを大量購入したせいで手もと資金がほとんどない。じつに残念。あした、あさっては絶好のチャンスになるはずなのに。

 ニュージーランドドルが劇的に安くなっている。76円97銭までふれた。小遣いの範囲でやってみようかと思ったが、18日に予定されているFRBの定例委員会でどれくらい追加利下げがあるか。それによってニュージーランドドルがどちらに影響を受けるのか、それが素人には分からない。追い証できる裕度があまりないいま手を出すのはやめておく方が賢明と決めた。(3/17/2008)

 日銀総裁の空席問題、かなり大きく報ぜられている。たしかに来月開催予定のG7財務相・中央銀行総裁会議までに決まらないとなれば具合は悪かろうが、単にメンツていどのことかもしれない。

 参議院が武藤総裁案を不同意とした日(水曜日)の朝刊にはアメリカとヨーロッパ主要5カ国(アメリカFRB・欧州ECB・スイス・イングランド・カナダ)の中央銀行が大量の資金供給を証券貸出制度の新設などの形で行うことを発表した旨の記事が出ていた。サブプライムローン証券なる毒入りギョーザによる下痢だが、とりあえず脱水症状にはならないようにという方策らしい。ただ前後の新聞を見ても、この件に関して我が日本銀行に相談が持ちかけられたという記事は見あたらない。

 たしかにアメリカが混入したサブプライムローン入りギョーザの被害者は日本には少ないらしい。しかし問題はとっくの昔にサブプライムローンのだけの問題ではなくなっている。にもかかわらず我が日本銀行がつんぼ桟敷におかれていたとすれば、そもそも、日銀総裁が決まろうが決まるまいがたいしたことではないということなのかもしれない。(3/16/2008)

 きのう、チベットのラサで中国政府に対するデモが過激化、市中心部の商店街から出火、武装警察が出動し、相当の死者が出ているらしい。

 いまの中国には政府と共産党に対する鬱屈した不満が充満している。「どこが『共産』党なんだ」、「『社会主義』の立て前はどこにいってしまったんだ」。世界有数の格差社会となった中国の現状に対し、そういう声が上がるのは当然のこと。チベットにはそういう中国全土に共通する問題に民族・宗教問題が加わっている。たぶん、隠し味ていどに。

 中国政府はジャーナリストを含む外国人のチベット地区への立ち入りを禁止する措置をとったらしい。その上でこの騒ぎをダライラマの策謀によるものだと決めつけている。ずいぶんバカなことをいい、かつするものだ。中国政府首脳の頭にはいまだに社会主義国の意識が牢固としてあるのだろう。

 これほど中国の「資本主義化」は進んでいるのに他ならぬ彼らにその認識がないというのだから、じつに滑稽でもある。青海鉄道が敷かれ、圧倒的な貨幣経済化が進みつつあるいま、チベットは既にかつてのチベットではなくなっている。

 誰か、中国政府に教えてやるがいい。もっとスマートにやったらどうだと。まず暴動を起こしている連中、そういう不逞の輩が本当にいるのならば、好きなだけ暴れさせてやればいい。そのさまを世界中のジャーナリストに取材してもらい、記事と映像を送らせる。世界がその存在を認めたならば、そののちにおもむろに「テロとの戦い」というおまじないをとなえて徹底的な弾圧を行えばよいのだよ、と。

 世界には同種の問題がいくつもあるではないか。ロシアにチェチェンがあり、イギリスには北アイルランドがあり、スペインにはバスクがあり、インドネシアには東チモールがある。これらの国々が共通に使用しているのが「テロとの戦い」というじつに便利な「おまじない」だ。それに習えばよい。ブッシュなどは「テロとの戦い」を口実に戦争を仕掛け政権を転覆させたばかりか、「テロリストには人権はない」と主張して堂々とグアンタナモ基地で人権を踏みにじっている。

 「階級の敵」を「市民の敵」と呼び、「テロリスト」というレッテルを貼るだけで、権力が望むほとんどのことはできる時代になっているのだ、胡錦濤よ、その程度の知恵もおまえにはないのか、呵々。(3/15/2008)

 始業から程なく携帯が震えた。コールが続くので見るとメールではなく電話だった。**さん。格別の用事というわけではない。わざわざ電話をかけてくるほどのことではない。いったい何だったのか。切ってから気になりはじめた。午前中いっぱい、ちょっと手すきなるといろいろのことを考えた。ふとホームページの更新をずっとサボっているからかとおもいあたった。「そうか」と思う反面、「何だ、そうか」という思いも。

 サボっているのは少しばかり投資(最終的なポートフォリオでの投資信託の候補研究とその値動き、カネの入れ方など)の方に興味の重心が移っているから。まあアクセス数もあまりないし、最近は老人の繰り言ばかりで他人様が読んで面白かろうはずもない。心の屑箱みたいなものだからと思っていたが、こちらの健康状態のウォッチに使われているとは思わなかった。(3/14/2008)

 久しぶりに横幹技術フォーラムに参加。「フォーラム」というから「参加」と書いておくが、論議などありはしない。内容的には「聴講」。

 総合タイトルは「日本産業の国際競争力と企業経営の高度化」。講演テーマは四つ。順に「横幹連合に期待する企業経営高度化基盤の構築」(日立:中村道治)、「国際企業競争の現実:これまでの経過とこれからの日本産業の展望」(メリルリンチ:佐藤文昭)、「日本半導体産業の技術競争力、企業競争力を分析する」(同志社大学:湯之上隆)、「経営高度化への可能性:リアルオプション・モデルと戦略について」(千葉商科大学:高森寛)となっている。

 話の筋立てはこうだ。まず、日本の電機メーカの世界におけるポジションを明らかにした上で、輝かしい成果を上げていた半導体産業の現在に至る経過とその原因について考察し、今後、反転攻勢をかけるためにどのようにすべきかを考えてゆこうという話。「横断的科学技術連合」としての「味付け」は新たな研究開発、製造技術のトライアルのために必要な「投資」を経営者が意思決定する際、その裏付けをどのていど金融工学的知見で支えられるか、オプション取引概念を援用することの意味と可能性はどういうところにあるかということらしい。

 フォーラムはいかにも秀才型の中村の手際のよい説明でスタートし、佐藤の企業分析に基づいた電機メーカーの世界的位置に関する現況報告があり、元DRAM開発担当者であった湯之上の体験的な技術報告と続き、快調であった。特に湯之上は日立出身、単体開発最前線勤務など、どこか去年品質セミナーに招いた濱口哲也に共通するものを感じさせる人物、エネルギッシュで能弁、なにより面白いことを伝えようという情熱にあふれているところが好感できる。しかしその流れは最後の高森によって完全に断ち切られた。1時間の持ち時間の20分をこの場でしゃべることの資格についてあれこれ修辞を並べられてもしようがない。素人のこちらが聞きたいのは「あなたが何者で、それを語る資格があるかどうか」などということではないし、まして学者としての誠実さをそのまま語ってもらってもうれしくも何ともない。一般にはわかりにくい「オプション取引」という概念を専門家の明晰さであっさりと素人にも腑に落ちるように説明してもらうこと、それが期待のすべてだ。

 それでも月曜日のワークショップほど眠くならなかった。逆に言えば、それくらい原子力ワークショップに活気がなく、そんなものでお茶を濁せると思っているくらいに関係者の意識が停滞しているということだ。はっきりいって原子力関係者や昔ながらの品質管理屋は腐っている。(3/13/2008)

 政府提出の日銀の正副総裁人事案について、参議院は白川方明副総裁案のみ同意、武藤敏郎総裁案と伊藤隆敏副総裁案は不同意と決した。

 帰りの電車車内で。「参議院で否決されるとどうなるの?」、「参議院が先に否決したから三分の二で可決すればいいんだよ」という会話が耳に入った。忌々しげに答えている口吻から想像するに自民党支持者なのだろう。何もわざわざ大声でわたしは何も知らないバカですと公言することもなかろうにと思いながら声のする方を見た。やはり馬鹿面だった。人事案件には先議権もなければ衆議院の優越規程もない。そんなことは先日来、たんと報ぜられていることだ。気の利いた中学生なら知っている。

 閑話休題。人事案件においては対象となる人に傷がつかないようにする配慮は不可欠。そのための確認と準備はきちんとしておかねばならないはず。今回の場合、民主党をはじめとする野党はかなり早くから武藤の不同意を表明していた。福田がしなければならないことは、同意の得られる人選をするか、武藤で同意を得るための下工作をするかだった。結果はきょうのていたらく。自民党幹事長の伊吹が「『財務省出身者だからだめだ』という理由だが、もう少し納得のゆく説明が必要だ」というのは現在の自民党のレベルから考えれば嗤ってすませることもできようが、総理の女房役を務めねばならぬ官房長官の町村までが「同意しないことが信じられない」などと言っているのだから、もうこれは政権も末期症状だ。

 福田・町村・伊吹などの自民党首脳は民主党の分からず屋ぶりをあぶり出せば次の選挙に有利と思っているのかもしれないが、彼らは肝心要のことを忘れている。民主党が過半数を握っているのが参議院だということだ。参議院には解散はない。3年ごとの半数改選ということは二回の選挙を経ること、つまり6年経たない限り空気を入れ換えることはできないということを意味している。

 いまや諸悪の根源のようにいわれている「ねじれ現象」、もし国民が何も進まない現在の状況に焦れて、二回の選挙と6年が待ちきれなくなったとすれば、次の衆議院選挙で民主党を勝たせなくてはだめだという結論になってしまう。つまり「ねじれ現象」でもしっかり国政を切り盛りしていけますということを見せなければ自民党にあしたはないのだ。彼らにはそういうことが分かっていないのでないか。(3/12/2008)

 相続税28億円を脱税したとして大阪市に住む姉妹二人が逮捕された。手口は単純。被相続人の父親が長期療養中になってから、少なくとも75億の遺産のうち、かなりの部分を現金にし、段ボール箱に詰めて自宅ガレージに隠匿していたということ。あるところにはあり、持つ人に限って執着心が強いもの、それがカネだということがよく分かる。

 日経BPに連載の森永卓郎のコラム、先週のテーマが相続税だった。タイトルは「消費税論議を吹き飛ばす、相続税改正の大きなパワー」。

 その中で森永は面白いことを書いている。06年度の統計によると、国民全体の「国富」は前年度末比で2.9%増の2717兆円、そのうち個人の正味資産は2191兆円になる由。もし30年程度で世代が入れ替わるとすると、1年間に受け渡される遺産は73兆円ほどになる。しかし現実に一年間に納められる相続税は1兆円ほどなのだそうだ。この理屈は分かる。相続税の基礎控除は基本が5000万円、これに法定相続人一人あたり1000万円、いわゆる標準世帯ならば配偶者と二人の子供で8000万円が控除されるから、かなりの場合は課税対象外になるわけだ。(代襲相続する人数が多いとこの額は増える。そのため、おかしなことが起きることがある。うちの場合、**(弟)が亡くなっていたので**、**、**が法定相続人になった。もし**(弟)が生きていれば、5000+1000×2の7000万円だったはずが、5000+1000×4で9000万円の基礎控除になった)

 ここからが森永の提案。相続税の基礎控除を一相続あたり2000万円にし、残額をすべて課税したらどうかというのだ。年間の死亡者は約100万人、つまり控除される額はどんなに多く見積もっても2000万円×100万人=20兆円だから、一年間の相続税収は73兆円-20兆円で53兆円になる。この53兆円という額は本年度の我が国の税収総額なのだという。

 「つまり、2000万円以上の遺産は相続させないというルールを作るだけで、所得税も消費税も法人税も一切支払わなくてよいことになるわけだ。われながら非常にいいアイデアだと思うのだが、どうだろうか」と森永は書いている。続けて「2000万円あれば、思い出の品は残るし、一般的な評価ならばたいていの家は残る。それでは困ると言うかもしれないが、ほかの税金はまったく払わなくていいのだから、実際にはそれほど大変ではない。親の七光で威張るドラ息子もいなくなり、純粋な競争社会になる。こんなに経済活力を生む税制はないではないか」と書いている。

 さらに「いわゆる構造改革派の人たちは、『所得税で税金をとられると、勤労意欲が落ちる』という言い分で消費税率の引き上げを狙っているが、ならば、相続税ならばいいではないか。遺産という、いわば不労所得なのだから、勤労意欲とは関係ないだろう」、そして皮肉たっぷりに「活気ある競争社会というのは、まさに構造改革派の望みのはずなのだが、いかがだろうか」とも。

 たしかに、これを続けて、未来永劫、相続税だけで国の台所をまかなっていけるのかどうかには疑問がある。なんといっても新座の家でさえ、多少の追加納税をしない限り確保は難しいだろう。老夫婦間で残るつれあいのその後の生活費が確保できなくなる場合も多かろう。だから、森永の提案の真意は金持ち優遇税制を勤労意欲を理由に合理化しようとする、いわゆる「構造改革派」のインチキくさい屁理屈に対する解毒剤だと受け取りたい。(3/11/2008)

 午前半休を取り、りそなの東京営業部へ。ホールディングスがグループ全社の出張精算など個人立替分の精算をひとつの銀行にまとめた関係でりそなに口座を作ることになった。「みずほ」ではなく「りそな」になったのは事務経費について一番安い見積だったからだという。

 その新しく作ったキャッシュカード、最初の引出し時に暗証番号が合わず取り扱い不能になってしまった。前のみずほのカードと同じにして手続き書類に記入したのに受け付けられない。新規作成時にわざわざ暗証番号を別の番号に変えるわけもないから誤ってセットされたことは間違いがない。

 窓口で事情の説明をしたが、「カードに設定された暗証番号は窓口では分からない」、「口座申込時の書類はカード作成後に破棄することになっているから残っていない」、「再発行するより他はない」、「手数料を1050円いただきます」との説明。なるほど筋の通った回答だ。さすがに去年の夏には金融機関としては前代未聞の百万件、つい先月も1万5千件の個人情報紛失事故を引き起こしている銀行だけのことはある。

 りそながカード作成時に誤ったことは間違いがないのだが、暗証番号を記入した申込書のコピーがない以上、客観的に証明するものはない。それを証明できるものはりそなの手もとにある。過失を認める気のない者がそれを提示するわけはないし、カードの再発行手数料で稼ごうなどという悪意があった場合(りそなは大手銀行の中で唯一公的資金を返済していない、近々大手町の本店も売却予定とか)ならば、なおさらのこと。業腹だが客観的には「負け」だ。まあ、いいさ。再発行してもらってりそなに儲けさせることもない。出張精算を続けるのも来年までだ。一年分、貯めておいて、退職時に口座解約してやろう。

 午後、東大武田先端知ビルでワークショップ「原子力発電の安全管理と社会環境」に参加。ほとんど得るものはなかった。原子力関係者は対外的にかたちを整えることばかりを考えている。そしていわゆる「品質屋さん」は百年一日「昔の名前で出ています」という状態。いままで起きた程度の事故はこれからもどんどん繰り返されるだろう。そして原子力関係者はますます自閉症児になり、品質管理関係者はますます訳知り顔の半可通になってゆくだろう。(3/10/2008)

 きのうの「明日への遺言」に関して、書き忘れたことをもう一つ。

 冒頭の無差別爆撃に関する説明から名古屋空襲へと話が移る際に、「サイパンのB29爆撃隊司令官が軍事施設爆撃を主張するハンセルからヨーロッパでの無差別爆撃の指揮官であったルメイに交代したことによって日本への作戦も様相を一変させた」というようなナレーションがあった。

 観客の中のいったい何人が、このルメイという軍人について知っているかということ、あるいはこのルメイに対して日本政府は、戦後に、勲一等旭日大綬章を贈ったということ、この勲章を授けることにことさら熱心であったのが小泉純也防衛庁長官、小泉純一郎の父であったということ、・・・それらを知っていただろう。知っていたとしたら、あるいはそれを知ったならば、どのような感想を持ったろう。

 あしたは東京大空襲の日だ。焼夷弾の雨の中を逃げ惑い倒れていった人々に、その後の世界が見えたならば、カーチス・ルメイに勲章を与えた自民党と政府をどのように思うのだろう。(3/9/2008)

 **(家内)と池袋に出てロサ会館で「明日への遺言」を見た。名古屋空襲後に撃墜され脱出したB29搭乗員を国際法に違反した戦争犯罪人として処刑した東海軍司令官岡田資中将の話。

 映画は無差別爆撃に関する歴史を紹介することから始まる。ピカソのゲルニカから始まり、ロンドン空襲、ベルリン空襲、ドレスデン空襲、重慶空襲(サッカーの試合が行われるたびに「反日応援」が話題になるが、その背景に思いをいたす日本人は少なかろう、そんなものなのだ)、そして広島と長崎への原爆投下。ごく自然に岡田資の判断の正当性を観客に納得させている。

 B29の搭乗員の行為が国際法に照らせば違法なものであることは疑いのないところだ。だがそのことは岡田がとった「略式措置」による「処刑」を即時に「合法化」するものではない。疑いのない犯人であっても、弁明の機会を与えず、弁護人をつけることもなく、犯罪の立証すら省略した上で、一個人の判断で(おそらく、そうではなかったのだろうが)罪の有無を決め、量刑を判ずることが「適当である」とする「近代国家」はない。

 岡田資という人物がどういう人物であったか知らない。彼の書いたものを読んだことも、彼の人となりについての証言も承知していない。だから以下はあの映画に描かれた岡田の人物像に立っての想像の話。ただし映画の中にあった「矛盾」を承知のうえでのこと。

 岡田資は彼が司令官を務める組織内でオートマチックに処理されてしまったことの問題性について強く認識していたか、あるいは認識するようになったのではないかと思う。それは日本という国においてはいかにも無意識になされることであり、それを改められるような新しい国にすることを部下たちに希望したのだと思う。彼はなんとしても部下の刑を軽くしたかった。そのために全責任を自分にあるとした。おそらくそれが彼の「法戦」のすべてであった。だから映画の中で唯一「悪役」として登場する(岡田を告発するスティーブ・マックィーンの息子が演ずる検察官ですら「悪役」ではない)日本軍法務部をも、かばった。司令官の個人裁量による措置を許容するよう了解を取っていたと主張することによって。なんと潔いことか、と、思う。しかし・・・。

 映画館を出てからの会話。**(家内)、「どこかの部屋の親方に見せたい映画ね」。オレ、「うん、それもそうだけど、いま八王子の方に眠っている人にもね、なにしろ、軍の最高司令官、大元帥陛下だったんだからさ」。そして、「それにしてもロンドンに駐在武官として派遣されたほどのエリートが、時代のせまい枠組みの外にまでは目が届かなかったということ、その方が悲しいね」。(3/8/2008)

 「道路はまだまだ足りない」、これが政府の主張だ。都道府県知事を筆頭に地方自治体の首長はほとんどが口をそろえて「地方を見殺しにするのか」と息巻く。まるで特例措置がなくなったら、国が滅び、田園は荒れ地に戻り、天下万民は飢え死にするとでもいいたげだが、実情は「特定財源」を単年度消化原則の下で使い切るためにかなり苦労しているらしい。

 朝刊に載っている来年度政府予算案における道路特定財源の使い道のグラフを見ると、国の道路整備費は2兆185億円、地方の道路整備交付金は6825億円、総額が3兆2979億円だから、国が6割、地方が2割に過ぎない。残りは道路関連事業という名目で、ガラガラの地下駐車場を作り、地下鉄を作り、主要道路沿いの建物の耐震補強工事、などを行っている。しかしそれでもまだまだカネは余って困るらしく、道路整備事業を賛美するミュージカルを作り、ミュージカルとは別に道路をテーマにしたPRソングを作り、そのCDを全国の小学校に配布(もちろんただ)し、・・・、それでもなお余るから、国交省職員のレクリエーション器具を購入し、国交省幹部の天下り先法人を雨後の筍のごとく作り、法人職員にはただ飯、ただ酒の職場旅行をさせ、それでも使い切らない1927億円を仕方がないので「一般財源化」するのだそうだ。

 これほど使い切るのに困っているとすれば、各地で開催されている特例税制撤廃反対の集会の開催費用なども出していてもおかしくはない。ニュースにはあまり品のよくないおばちゃん然とした女性が「地方の実情に理解がないのではないか」と言っている映像があった。妙に狎々しい感じが印象に残ったが、あれなどはどこぞの劇団から雇ったプロだったのかもしれぬ。(3/7/2008)

 こんどの土曜は「ミツバチの日」なのだとか。「三月八日、みつ・はち」。同様の発想で八月三日は「ハチミツの日」。最近は安い中国産や南米産におされ、日本のみならずアメリカでも自国の養蜂業者は苦戦、徐々に減りつつある由。

 ところがこの減少は思わぬところに影響が出ているらしい。農作物の三割は花を求めて巡回する養蜂業者の飼う蜂の働きで受粉しているのだそうだ。つまり彼らが来ないことにより一部には深刻な被害が発生しているということ。アメリカでは既に養蜂目的ではなく受粉目的として契約し、蜂を「派遣」する業者もいる由。けさのラジオ、月尾嘉男の話から本論ではない部分。(3/6/2008)

 列子に「朝三暮四」という話がある。猿の群れに餌をやるのに朝に栃の実を三つやり夕暮れに四つやるようにしたら猿ども不平をならしたので、朝に四つ夕に三つやるようにしたら大いに喜んだという話で、とかく目先のことに囚われて全体を見通すことのできない者を嗤ったということになっている。(読みようによっては、気持ちよく人を働かせるためのテクニック、とも読める)

 ちょっと不景気になると多くの会社は人減らしをする。製造会社の場合、人減らしの標的にされるのは保全部門であるとか品質保証部門が多い。会社の稼ぎに貢献しているように見えないからだろう。経営者なり、その委任を受けたコストカッターに見識がないほどその傾向は顕著になる。猿並みのセンスといってよい。

 工場施設の保全や製品の品質を重視せずにコストを下げて、後々、事故やクレーム対応によるコストを上げるとしたらどうなるか。件の猿たちはいずれでも一日七つであったから格別損をしたわけではなかったが、事故とクレームによる解決費用が仮に削減した人件費とイコールだとしても、受けた傷、失った評判の分だけ、そういう会社は確実に損をしている。とすれば、彼らは猿並みではなく、猿以下ということになろうか。(3/5/2008)

 千字文は「天地玄黄」で始まる。文選読みをするとこういう読み方になる。「天地(てんち)のあめつちは玄黄(げんこう)とくろくはたきなり」。もちろん素直に「天は玄(黒)く、地は黄色い」と声を出して読むのもまたなかなか調子がよいのだけれど。

 はじめて中国に行ったのは84年、もう四半世紀近くも前のことになる。初めての中国、空から見た中国、それは北京の近郊だったのだが、その印象は「黄色い国だなぁ」というものだった。

 黄砂の季節。会社の席から谷を挟んで向こう側の多摩丘陵が黄色くかすむのを見ながら、59回目の誕生日。会社生活もあと一年。「慎終宜令:終わりを慎むはよろしくよろしかるべし」。(3/4/2008)

 西国分寺での朝の乗り換えはきわどい。武蔵野線が着くのが55分で中央線が発車するのが56分。乗り換え階段のあるあたりは混雑し、いきおい、多少殺気だったことになることが多い。けさも続いて乗るすぐ前にいた男が妙にエキサイトしていて、大胆にも蹴りを入れてきた。ラッシュ時の混雑の中でここまで攻撃的になる人物も珍しいが、きっと「切れるタイプ」なのだろう。

 一昔前ぐらいまでは「切れる人物」といえば、「スマート」あるいは「シャープ」、つまり仕事のできる人物をさしていたものだが、最近はどうやら「切れる」は「キレる」、つまり「カッとしやすい人物」ということが多いようだ。

 しかし通勤の電車であんなに腹を立てて肩肘を張っていたら、会社に着く頃には疲れ果ててしまわないかしら。日野駅で下車する男の後ろ姿を眺めつつ、他人事ながら心配になってしまった。(3/3/2008)

 円高が進み、あしたはもっと下げそうな感じがする。アメリカ株は総じて安くなっているから、海外株カテゴリーの買い付けには、ちょうどよいタイミングだと思う。

 その海外株の投資法について、ここ一週間、ずっと悩み続けている。MSC-kokusaiインデックス連動のETF(ティッカー「TOK」)を直接購入するか、海外株投信にするかということ。半分以上ETFにする気持ちになっていたのだが、チャートがきちんと表示されないことが引っかかった。350円払って、ロイターからのリアルタイム配信を申し込んだが事情は変わらない。

 原因は取引量が非常に少ない(ティッカー「QQQQ」のナスダック100インデックスはきちんと表示される)せいだと分かるのにきょうまでかかった。素人の悲しさだ。

 取引量が少ないのはなぜか。理由は考えてみれば簡単なことだった。「日本を除く先進22カ国の主要企業の株式によって構成される・・・」、「先進国マイナス日本」ということにそれなりの意味を評価するのは日本株を別カテゴリーに持っている投資家だけだ。つまり「TOK」に興味を持つのは日本人だけということだ。取引量の少ないETFにどんな意味があるか。

 海外株投信を選択することに決め、とりあえず****口の発注をした。ただこの円高にアメリカ市場の低迷、「QQQQ」を買ってみたい誘惑に駆られている。今夜はとりあえず思いとどまったけれど。(3/2/2008)

 女子中学生に対する強姦容疑で逮捕されていたアメリカ海兵隊員がおととい釈放されたのだそうだ。沖縄地検の説明は簡単。被害者が告訴を取り下げたから。

 昨夜の記者会見で、告訴を取り下げた経緯について地検は、「いつからかは言えないが、きょう突然言い出したわけではない」「そっとしておいて欲しいということのようです」と説明した由。記者から「被害者から告訴がなくても立件できる罪名での起訴は考えていないのか」という質問が出ると、「被害者の気持ちを考えると、他の罪で公訴提起するのは適切ではない」と答えたとか。

 たしかに今回の事件では明確な暴行・脅迫行為の立証が微妙だという指摘はあったようで、検察としてはホッとしている、あるいはもっと積極的にそのような方向に誘導したのかもしれない。だいたい、マスコミの中でも週刊新潮のように「『危ない海兵隊員』とわかっているのに暴行された沖縄『女子中学生』」などいうタイトルで、「悪いのは被害者だ」と書き立てたものまであったくらいだから、件の女子中学生は世の中すべてが敵に回ってしまったかのように感じたのかもしれない。

 それにしても、こういう姿勢こそまさに右翼屋さんたちがリベラル派を攻撃するときに使用する「反日」あるいは「媚*」の最たるものだと思うが、政府与党の援護射撃がレーゾン・デートルである週刊新潮など、自らの「反日」・「媚米」の醜態には気がつかないのかもしれぬ。ああ、情けない国よ。(3/1/2008)

 餃子事件(最近はギョーザ事件と表記するらしい)に関して、中国当局が「農薬が中国国内で混入した可能性はきわめて低い」と一方的にプレス発表したことで、感情的なマスコミ報道が横行している。

 日中双方がそれぞれに行った実験を書き抜いてみると

【日本側が行った実験条件】
 温度条件:室温 21℃
 濃   度:検出されたものの1000倍(朝刊記事)・高濃度(NHKニュース)
 溶   媒:記事・NHKともふれず
 時   間:10時間
【中国側が行った実験条件】
 温度条件:冷凍輸送温 -18℃
 濃   度:60% ・ 30% ・ 10% ・ 1%
 溶   媒:メチルアルコール ・ 水
 時   間:10時間

ということになる。

 実験計画として周到かつ現実的なのは中国側だ。冷凍食品が製造から販売までの過程で室温に長時間さらされることはないだろうし、メチルアルコールと水の双方で実験をしているのも頷ける。これほど周到に行ったのなら、袋の外から染み込んだ87%の検体の濃度段階依存傾向、メチルアルコールと水との差の有無についても発表して欲しかったところだ。

 我が警察当局はいたずらに「看過できない」などと反発するより先に、日本側の濃度と溶媒に関する実験条件をすぐに公表すべきだし、なにより中国側の実験をトレースし、その真否を確認すべきだ。またマスコミもそういうあたりについてきちんと取材した上で報ずることが必要だろう。「検出されたものの1000倍」などという説明を垂れ流していては責任が果たせないと知るべきだ。(2/29/2008)

 朝刊に比較的小さな扱いでこんな記事が出ている。

見出し:新証拠の回答/報道官が否定/FBlロス事務所
 【ロサンゼルス=松下佳世】81年の米国ロサンゼルスでの銃撃事件で、日本で無罪が確定した元雑貨輸入販売会社社長三浦和義容疑者(60)が米自治領サイパン島で逮捕されたことをめぐり、米連邦捜査局(FBI)が警察庁に「新証拠がある」と回答したとされる件について、FBIロス事務所の報道官は26日、「捜査に関与しておらず、内部でも回答の事実は見あたらない」と語った。「(回答は)ロス市警が提供したものなのではないか」と述べた。
 朝日新聞の電話取材にローラ・エイミラー報道官が答えた。新証拠の情報は、聾察庁がFBIに逮捕の根拠を問い合わせて回答を受けたとされる。具体的な内容は明らかにされていない。
 この経緯について報道官は「承知しているし、問い合わせが殺到したため、内部で確認も取ったが、回答の事実は見あたらなかった」と語った。ロス市警から支援要帯がないため、FBIは捜査に加わっていないとして、捜査情報を知りうる立場にないことを強調した。
 一方、25日に記者会見したロス市警未解決事件捜査班のリック・ジャクソン捜査官は、新証拠の有無を含めて、コメントを避けている。
 この銃撃事件の被害者は元社長の当時の妻(当時28)で、日米捜査当局の合意のもと、警視庁が88年に元社長を逮捕した。だが、物証や証言が乏しく、03年に最高裁で無罪が確定している。

 同じ朝刊の週刊文春の広告には「現地緊急取材ロス市警が握る決定的な新証拠はDNA証言」という見出しが出ている。もし新証拠なるものがDNAだとするなら、いくつもの疑問が浮かんでくる。まず、そのDNAというのは誰のもので、それが何を証明するものなのかということ。次に、ロス市警はその新証拠をいつ入手したのか、もし日本での裁判中だったとしたら、なぜ、協力関係にある日本当局にその存在を伝えなかったのかということ。どうせ買うほどのことが書いてあるわけではあるまい。不動産屋の広告とどっこいどっこいなのが週刊誌の記事だ。あしたでも立ち読みしてみることにしよう。

 おそらく文春が宣伝するような強力な新証拠はないのだろう。しかしなぜロス市警がこんなローカルな事件にこだわっているのか、それが分からない。たったひとつ、それを説明できそうな仮説がある。つまり「共謀罪」の制定に関して日本の世論形成の仕掛けをするためではないかということ。

 三浦和義は依然として灰色だ。「疑惑の銃弾」事件はどこまでいっても「疑惑」にとどまる。これはそういう事件なのだ。だから、「なんか怪しいくせに捕まらないうさんくさい奴、できるならば痛い目に遭わせてやりたいよね」、これが平均的日本人の三浦和義に対するぼんやりした気持ちだ。

 一方「テロ」という脅し文句でナチス以上の抑圧体制を実現させたいアメリカと、その手先に成り下がった我が政府の「宿願」は「共謀罪」の制定である。「治安維持法」は彼らにとって「夢の法律」なのだ。「共謀罪」がどれほど「胸をつかえを取り、スカッとさせる」のに役立つ法律であるかを平均的日本人の中の上澄みに相当するものごとを深く考えず、感情だけでその日暮らしをしているパープリンたちにアピールする、それが日米両当局の狙いではないか。そういう仮説を立てると、かなりのことが「スカッと」説明できる。(2/28/2008)

 仙台の北陵クリニックで起きたという筋弛緩剤事件、守大助被告の無期懲役刑が確定した由。最高裁第三小法廷藤田宙靖裁判長が25日守被告の上告を棄却する決定を下したことによる。

 これはほぼ間違いなく冤罪だ。検察側の主張通り、点滴に混ぜた筋弛緩剤であれば、警察による鑑定結果は得られない。つまり起訴の論理は科学的には最初から破綻しているのだ。

 そもそも「筋弛緩剤事件」というものがあったのかどうか、まず疑わしい。北陵クリニックの院長だった二階堂昇は一審の法廷で、唯一亡くなった89歳の女性とその女性と同じ日に呼吸困難になった45歳の男性について「筋弛緩剤によるものではない」と証言している。

 以下は想像。北陵クリニックにおいて筋弛緩剤が関係する医療過誤があったか、あるいはクリニックを閉院させたい事情(できれば経営の悪化以外の要因でやむを得ず閉院に至ったという説明のもとに)があったのではないか。前者とすれば、医療過誤を隠蔽する一連の工作があり、その過程で成り行きにより守に容疑がかかってしまったということであり、後者とすれば、病院経営悪化の責任を糊塗するために何らかの「事件」ないしは「スキャンダル」を画策中に、守がその工作の被害者になった、そんなところではないか。

 いずれにしても北陵クリニックの実質的経営者であった半田康延東北大学教授、その妻で事件当時副院長であった半田郁子の名前は記憶しておいた方がいいだろう。

 真実というものはいつか顕われるものだ。とくにこの「事件」では警察・検察は相当の「無理」をしている。天網恢々疎にして漏らさずという。真実に対して弱みを持つ関係者が多いということは、意外に早い時期にすべてが白日のものとに晒される可能性の高いことを意味しているのかもしれない。その際、恥をかくであろう関係者として、あと二人の名前を記録しておく。大阪府警察本部科学捜査研究所の西川眞弓と土橋均だ。このふたりは犯罪者に匹敵する。こう書かれても彼らは怒るまい。なにより自分の良心が折にふれ彼らを責めているであろうから。(2/27/2008)

 夜9時のNHKニュースで都議会での新銀行東京(何度聞いてもなんとも据わりの悪い呼び名。こんなネーミングをするから転けるんだよ)への追加出資論議を見た。

 石原都知事は①清算、②破綻処理、③追加出資の三案を検討したとしているが、「清算」や「破綻処理」にした場合「融資先に甚大な影響を与え、都民にも膨大な負担を求めることになる」と言いながら、その根拠となる数字については何一つあげられなかった。たしかに債権が整理回収機構に渡されれば融資先は影響は受けるだろうが、事業計画に基づいて堅実に返済している企業をつぶすことあるまい。都民に膨大な負担と言うに至っては石原は経済に疎いだけではなく日本語にも疎いのかと嗤ってしまう。すでに泡と消えつつある当初出資の1000億円は「膨大な負担」ではないのか、「膨大な負担」ではないと言いたげな400億円の追加出資ですべての問題が片付きあしたから新銀行東京は健全経営になるのか、そもそも400億円という数字の内訳は何なのか、答弁にはそのあたりのことは一切なかったというではないか。

 ちょうど一年ほど前、都知事選を控えた時期に大前研一が「そもそも東京都に銀行の設立を提案したのは自分だ」と明かした上で、当初の大前の提案がどのようなものであったのかを日経BPのサイトに公表していた。それは01年当時の銀行の自己資本率の危機的な状況を根拠に都の税収の保全を主に考えたネット銀行というアイデアだった。石原は大前の「東京都による銀行設立」という部分のみをパクって、中小企業にバラマキ融資することを公約に03年の知事選を戦った。新宿と並ぶ最初の支店設置を蒲田にしたのは、そのあとの息子宏高の選挙のための配慮だという話さえあった。(こんどの再建計画でこれらの支店はすべて廃止される。もはや選挙に役立たなくなったからと思えば分かりやすい話だ)

 新銀行東京がまさに石原ファミリーの選挙の道具だったとすれば、石原銀行という呼び名はじつに正確だということになる。この銀行が傾いたのはもっぱら前の経営者が悪いからだというのが石原のいいわけだが、そのトップをわざわざトヨタから招いたのは誰だったのか、その責任は石原にはないのかと問われれば能なし慎太郎には答える術はなかろう。

 無担保・無保証の代わりに比較的高利というのはあのグラミン銀行のやり方に似ている。しかしグラミン銀行は無保証ではない。さらにいえば融資先の自立に関して相応のコミットメントの仕組みを作っている。石原銀行のように貸出先に対する審査は緩く、情実を横行させ、しかも融資が決定すれば担当者に数百万単位のボーナスを出すなどというバカなやり方はしていない。新銀行東京の行き詰まりは石原が大前のアイデアを空文化したときに約束されていたと言っても過言ではあるまい。

 しかしそれにしてもだ、そんな石原に281万票もの票が入ったのだから、つくづく都民でなくてよかった、愚かな隣人は持ちたくないものだと思う。民主主義という制度の下で暮らすのならば。(2/26/2008)

 ポートフォリオによるリスク改善についての基礎的な考え方を知るために、野口悠紀雄の「金融工学、こんなに面白い」を読み始めた。本来の目的以外にもなかなか面白い記事があるので関係分とあわせて書き写しておく。

 ポートフォリオ理論というのはハリー・マーコウィッツの研究成果ということだが、まずはじめに彼がこの研究に着手したきっかけについて。そして次にそれが博士論文として認められるまで。

 今から半世紀以上前の1952年、シカゴ大学の大学院生だった無名の青年ハリー・マーコウィッツは、博士論文のテーマが決まらず苦しんでいた。ある日、担当教授に面会するために研究室の廊下で待っていると、見知らぬ紳士から声をかけられた。この紳士はマーコウィッツの悩みを聞くと、「だったら株式市場の研究なんかどうだい?」とアドバイスした。後年、マーコウィッツはこの研究でノーベル経済学賞を受賞することになるのだが、そのきっかけをつくった謎の紳士は、じつは教授に株を売りつけようとやってきた株式ブローカーだった。

橘玲「臆病者のための株入門」から

 しかし、マルコヴィッツの理論は、最初からすんなりと受け入れられたわけではなかった。博士論文の審査会の時に、ミルトン・フリードマン教授が、「これは経済学ではない」と反対したのである。審査会の議論は、「これを経済学の論文と見なしてよいかどうか」という点をめぐって紛糾したのだそうだ。
 フリードマンの攻撃から論文を守ったのが、マルコヴィッツの指導教官であったヤコブ・マルシャック教授であった。マルシャック教授がいなければ、マルコヴィッツの理論は葬り去られ、日の目を見なかったかもしれない。そうであったら、現在のファイナンス理論もなかったかもしれないのだ。考えてみると、不恩議な気がする。

野口悠紀雄「金融工学、こんなに面白い」から

 あのなんでもありと思われているフリードマンが「これは経済学ではない」と言ったというのはなかなか興味深い話だ。彼にとっては「儲け話」はあくまで「儲け話」であって「経済学」ではなかったのかもしれない。そう考えると、「儲かるときに儲けるのが資本主義社会における紳士だ」と絶叫して、コンチネンタル・イリノイ銀行の銀行マンを非難した気持ちも分からないではない。

 つまり銀行マンは「経済学の先生であられるほどの紳士」という気持ちをこめて"No,we don't do that, because we are gentlemen."と言ったのだろうが、フリードマンにとっては「儲け話」にがっつくときには「経済学者の看板などとっくに下ろして普通の『紳士』になっているに決まってるだろう、この偽善者の分からず屋め」と思っていたというわけだ。仮にそんな風に考えると、後にノーベル賞を与えられるほどのマーコウィッツの「分散投資」に関する研究の意味をフリードマンほどの頭脳明晰な学者が認めることができなかった事情も理解できないではない。・・・ハハハ、やはり、オレはフリードマンが大嫌いなんだね。(2/25/2008)

 きのう、10時14分上野発のつばさで山形へ。蔵王温泉に一泊してきた。メンバーは旭が丘メンバー。スキー組は8時くらいのつばさ。スキーなしの樹氷鑑賞・温泉でヌクヌクメンバーはいつものメンバーマイナス**、プラス**さん。

 こちらもきのうは春一番、きょうは強烈な北風だったらしいが、蔵王はもっとひどかった。午前中、雪のあいまを見てゴンドラで頂上まで行ってみたが、すさまじい風吹で樹氷を楽しむどころではなかった。それでも総勢14名。楽しく過ごして16時10分山形発のつばさで帰京。

 強風の影響で東北新幹線のダイヤが乱れていて帰宅は8時半になった。

 一晩泊まり、その間ほとんどテレビを見ないだけで、世の中のニュースには疎くなる。いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義がサイパンで逮捕された。コンビニで万引きをしたとかそういう話ではない。あの三浦一美銃撃事件に関してロサンゼルス市警察が請求した逮捕状に基づくものだという。

 週明けからテレビのワイドショーは活気づくだろうか。ただし新しい映像など、そうそうあるわけがない以上、テレビは苦しいかもしれない。とすると今回の成り行きに小躍りしているのは週刊誌か。

 疑惑の集成が犯罪の立証とイコールだと多くの人を欺いたあの文春の編集長安倍某、夢よもう一度の成り行きか。ちゃちな正義感を振り回した編集長子、どこでどうしているのか知りたいものだと思っていた。是非とも再登場願いたい。オレもあの当時はかなり入れ込んだ彼の愛読者だったのだから。

 あの事件は一種のリトマス試験紙になった。マスコミ・警察の垂れ流すものをほとんど自分の頭で考えることをせずに受け入れてしまう人間なのか、多少とも論理的に頭の中で再構成する意識を持っている人間なのかの。今回も騒ぎが大きくなれば、また絶好のリトマス試験紙になるだろう。(2/24/2008)

 06年12月にアメリカが打ち上げたスパイ衛星が打ち上げ直後から制御不能になり、今月末から来月上旬の間に地上に落下するらしい。問題は姿勢制御用燃料ヒドラジンが450キロほど積載されていること。先日、アメリカ国防総省はこれを破壊すると発表し、20日ハワイ周辺海域のイージス艦から発射したミサイルでこれに成功したと発表したという記事が朝刊に載っている。

 可笑しいのはその記事と並んで「中国が米国に情報提供要求」という見出しでこんな記事があること。「中国外務省の劉建超報道局長は21日の定例会見で、米国のスパイ衛星破壊に対し、情報提供など『国際的な義務』を果たすよう求めた。中国は昨年1月、事前の通報なしに衛星破壊実験を行い、国際社会の批判を浴びたが、米国には『国際社会に必要な状況や関連データの提供』を求めた」。

 自分は提供しないが他人にはしっかりと要求するという心臓はなかなか理解しがたい。

 そういえば中国が衛星破壊を行ったとき、口を極めてこれを批判していたサンケイ新聞、今度もしっかりと批判できるかな。おそらくできはしまい。なんとも不思議なことに中国嫌いのサンケイ新聞の体質は中国の体質とぴったり一致していることが多い。そのような心理的な傾向を「近親憎悪」と呼ぶのだろう。呵々。(2/22/2008)

 イージス艦と漁船の衝突事故。防衛省が「炎上」している。事故に至る経過説明が二転三転、ボロボロ。その後の処置に関する説明も二転三転、ボロボロ。さらには被害者家族への対応もなっていない。そのくせ、きのう、清徳丸の引き上げに立ち会うために訪れた被害者親族へ、横須賀地方総監部幕僚長山崎郁夫は「報道陣の取材には一切応じてはならない」と申し渡した由。報道管制だけはしっかりできるというのも大嗤い。

 夜のニュースでは清徳丸僚船が積んでいたGPSの保存データがオンエアされていた。それをみるとイージス艦は漁船団の存在が目に入らないかのように直進を続けていたことが一目瞭然。どうやら「おれは軍艦だ。どけ、ウジ虫ども」とでも思っていたようだ。しかしこうして事故を起こしてしまってはじめて目が覚めたのか、今度はひたすら自閉症児になりきり、高級幹部ばかりが訳も分からず釈明し続けるためにこのボロボロ劇が演じられているものらしい。不思議なのはいまだに「あたご」の艦長、これから海の銀座海域に入ろうというのにノウノウと艦長室で惰眠をむさぼっていたという怠慢艦長の氏名が公表されないこと。

 ニュースを見ながら**(家内)がぽつりと言った。「防衛省にしたのが早かったんじゃない。まだ防衛庁でよかったのよ。なるほど、世の中には降格人事というものがある。いっそのこと、防衛省を降格して防衛庁、いや、保安隊にでも格下げしたら性根が入るかもしれない。(2/21/2008)

 大崎で*********の監査。・・・(略)・・・

 監査を終えてから、大手町へまわる。去年の暮れに出版された「母べえ」の後書きを確かめるため。大手町まで回ったのは大手町ビル内の紀伊国屋にのみ在庫があると、きのうサイトで確かめたから。

 映画「母べえ」の原作は第5回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞で優秀賞をとった「父へのレクイエム」。同時に優秀賞となった「かんころもちの島で」、入選作「虹の臍帯」とともに84年に読売新聞社から「かんころもちの島で」というタイトルで刊行されている。古本をアマゾンで取り寄せ読んでみた。

 映画同様、末尾は「父はあっけなく死んだ。巣鴨第一警察病院の診断によると、死因は急性心筋梗塞。三十九年と二か月の短い一生だった」となっている。ただ映画にあわせて「父へのレクイエム」のみを抜き出して再刊した「母べえ」(中央公論新社:読売が版権を持っていたのだとすると分かりやすい話)のアマゾンのカスタマーレビュー欄にこんなレビューがあって妙に引っかかった。

 おせっかいを一言・・・「母べえ」の読了後、続いて著者の「あとがき」を是非読んでいただきたい。「あとがき」を読まないと大きな誤解が生じます。
 しかし、「あとがき」を読むと「母べえ」の感銘が薄れることは否めません。ノン・フィクションの難しいところでしょう。
 大切なこと・・・「あとがき」は先に読まないで、先ず「母べえ」を読んで下さい。

 父べえは獄死したわけではなかった。「母べえ」の「あとがき」には「ドキュメンタリー大賞の応募に際して事務局に問い合わせたところ、多少のフィクションは許容されるとのことだったので、作品としての効果を考えて変えた」ということが書かれている。

 「父へのレクイエム」は楽章仕立てにしてあるが、その第一楽章の末尾にはこんなくだりがある。

 後になって父は検事宛に「積極的転向更生に関する覚書」という転向声明を上申するに到るのだが、あれほど潔癖だった父がどんなに苦しみ悩んで自分白身と闘ったことか。その揚句どれ程惨めな思いをして転向という踏み絵に足を載せただろうか、と思うと私は父が可哀そうで涙がこみ上げて来るのである。
 私は、はるかに年下となってしまった父に今、父ベエ辛かっただろうね、などと優しい言葉をかけて上げたいのだ。

 父べえはこのときの上申書で出獄したのかもしれない。彼の内心で起きたことに対する記述はその通りであろうが、ドキュメンタリーとして書くのならば人の生死について「操作」をするのはやはりルール違反だろう。これは「疵」だと思う。まあ映画の脚本にまで及ぶ「疵」とは思わないが。

 あわせて書いておくと、84年刊の巻末には大賞の選考経過が付されており、そこには「・・・小説的手法については応募作品全般に言えることで、かえって読み手の感情に訴えるものが希薄となるきらいがあった」ということが書かれており、主催の読売新聞事務局の「フィクションを許容するドキュメンタリー」という「売り出し感覚」とまっとうな選者との行き違いも想像されて興味深い。(2/20/2008)

 けさ4時7分頃というから「未明」というよりはまだ夜のうちだったのかもしれないが、海上自衛隊のイージス艦と漁船が衝突する事故があった。イージス艦の看守が漁船の脇腹に衝突した由で、漁船は真っ二つ、乗っていた漁師の父子2名が行方不明になっている。

 夕方までの報道では回避義務はイージス艦の方にあったらしい。当直員の交代時間と重なったとかで見張りが不十分だったのではないかという見方が有力。

 レーダーのお化け、同時に10以上もの攻撃に対応する能力を持つことが売り物の金食い虫軍艦(夕刊によれば建造費は1400億円)が、数トンの漁船にフトコロまで入られて気付かないというのはいかにもマヌケな話で、ハードばかりカネをかけてもソフトのスキルが低ければ「猫に小判」、「豚に真珠」、戦争ごっこ屋さんのために大枚の税金を蕩尽しているバカさ加減ばかりが際だってしまう。(2/19/2008)

 人間は「聞きたいように聞いてしまう」という話。

 おととい、新千歳空港で羽田行きの日航ジャンボ機が、着陸直後でまだ走行中の別の日航機がいる滑走路に入り離陸滑走を始めるというトラブルがあった。

 航空輸送史上最大の事故は1977年3月にカナリア諸島のテネリフェ空港で起きたものということになっている。事故の死者は583名。これほどの死者が出たのは滑走路上でジャンボ機どうしが衝突したからだった。おとといの場合、到着便はジャンボ機ではなかったが、B747には446人、MD90には126人の乗客乗員が乗っていたそうだから、最悪の場合はテネリフェ事故に匹敵する大惨事にもなり得たわけだ。

 朝刊には事故原因についてこんな記事が出ている。

 事故調査関係者やJALによると、管制官が502便に出した指示は、「expect immediately takeoff」(直ちに離陸するように備えよ)という英語だった。国交省監修のマニュアルにはない表現だが、混雑時などに国際的に使われているという。この表現では、冒頭の「expect」(予期する)を聞き落とした場合、「immediately takeoff」(直ちに離陸せよ)と受け取れる。調査関係者は、操縦士がこの後段部分に影響され、離陸を許可されたと誤認した可能性があると見ている。

 このトラブルでは操縦士が機体に散布した防氷液の有効時間を気にしていたことが報ぜられている。防氷液とはおそらく降雪時に翼、フラップなどに着氷することを防ぐためのものと思われる。千歳は混雑する空港で天候条件が悪い場合には特に渋滞する。防氷液の有効時間が切れると再度駐機場で散布する必要があるということで、操縦士には潜在的に「離陸せよ」の司令を待ち望む状況にあったのだろう。心理的な陥穽というのは恐ろしいものだ。(2/18/2008)

 東芝がHD-DVDからの撤退するらしい。ソニーのハワード・ストリンガー会長の画策により、この1月、ワーナー・ブラザーズがブルーレイに「寝返った」ことが大きかったと朝刊は伝えている。

 記事の末尾には、「ビデオでは、ベータ方式を発売したソニーが規格争いに敗れ・・・」とある。そういえば、あのビデオ戦争で東芝はソニーのパートナーとしてベータを担いで、松下・ビクターをはじめとするVHS陣営と戦って敗れたのだった。

 技術内容で優れていたベータの敗因は「録画時間の差」だったと思う。HDは技術的に劣るもののコストが安いことが有利という声があったが、次世代DVDの戦いでも「録画時間の差」が勝敗を決めたような気がする。可哀想な東芝よ、キミはまたしても基本的なところで間違ったようだよ。(2/17/2008)

 夜9時からのNHKドラマ「フルスイング」がなかなかいい。高畠導宏という実在の人物を描いたもの。1944年生まれ、中央大学4年の時、ジャイアンツからドラフトで指名されたにもかかわらずこれを断り、いったんノンプロを経てから1967年に南海ホークスに入団。怪我などで72年には現役を引退し、野村兼任監督の薦めでコーチになった。野村が解任されるのに伴いホークスを退団、以後、ロッテ、ヤクルトなど7球団で選手のコーチを務めた。コーチとして育てた選手は落合、水上、小久保、イチロー、田口、福浦など。54歳にして日大の通信課程に入り教員免許を取り、高校野球の監督を目指していたが04年膵臓ガンで亡くなった。

 ドラマは彼のプロ野球コーチ時代ではなく高校教師着任後を描いている。先週の「キャッチ」は高畠(ドラマでは高林になっている)の暖かみを余すところなく伝える佳編だったが、今晩は「?啄」というじつに味わい深い言葉を教えてくれるものだった。

 「?啄(そったく)」、広辞苑には次のように出ている。「『?』は鶏の卵がかえる時、殻の中で雛がつつく音、『啄』は母鶏が殻をかみ破ること」、「①禅宗で師家と弟子のはたらきが合致すること。②のがしたらまたと得難い好機」。教えることと学ぶことの間をつなぐ機微を表して間然するところがない。(2/16/2008)

 「母べえ」の原作は何年か前のナントカドキュメンタリー大賞の入選作だと教えられ、インターネット検索してみた。

 書名は「かんころもちの島で」読売新聞社となっている。アマゾンの中古本のほうに出品があった。1円。あの「美しい国へ」と同じ値段。注文することにした。(2/15/2008)

 待ち合わせに入った本屋で手に取った「諸君」最新号に、阿川尚之「自衛隊イラク派遣の『貯金』はすぐ底をつく」というタイトルの雑文を見た。「ほう、いったいどんなことを書いているのだ」と思ったところで、こういうときに限って間がいいもので記事を読み損ねてしまった。

 阿川はいったい自衛隊のイラク派遣をどのような種類の「貯金」だと思っているのだろうか。

 彼の父君はあの阿川弘之、陸軍嫌いの誇り高い海軍士官だったはず。いくら親米派、あの岡崎久彦と同じ穴の狢のような息子とはいえ、他国の歓心を買うために兵を「貯金」として用いようとするがごとき言説を我が息子がなしていることについて、どう思っているのか伺いたいものだ・・・と、しばしそんなことを夢想をしてみた。(2/14/2008)

 基本的なポートフォリオ構成については決めた。各月の年金不足を補うための金額を64歳のフル支給開始まで(A期間)、フル支給開始から70歳到達まで(B期間)、70歳から一応90歳到達まで(C期間)にわけ、A期間は銀行の定期預金程度で流動性を確保、B期間は国債を中心に小分けに期間設定、C期間分を国内債中心の安定ポートフォリオ(一部、海外REITとコモディティを加える)で10年運用し、年利4%を目指す。

 この生活費用以外、所沢の家の売却費用などは、手元余裕資金を差し引き、残りを基本均等割の標準ポートフォリオ(一部、海外REITと新興国株を加える)で全期間運用し、年利6%を目指す。もくろみ通りの成果が上がれば、まちがって90歳以上まで生き延びた場合やかなり大きく社会変動があってもなんとかなるだろう。

 それでもこの愚かな国がまたまた戦争にでも乗り出せば「アウト!」なのだが。(最近のマスコミ風潮やらネット右翼の戯言を読む限り、その可能性はけっして低くはないのかもしれない)

 国内株についてはTOPIX連動のETFに絞ることにした。とりあえず、きょう、***口(市場取引とはいえ投信なのだから単位は「株」ではないのだろう)、きのうの終値ベースで指し値、東京市場は少し上がってスタートしたものの午後の下げにより1305円で約定。

 過渡的に買ってしまったJFE以下の株は退職金や積年などの資金が一通り出揃う来年まではこのまま様子を見てみることにしよう。配当なり、優待なり、株主気分を味わうのもいいかもしれない。(2/13/2008)

 このときは、1カ月後に平均株価が11000円台まで下落するとは思いませんでした。

 まあ、4回にわけて小口で買いましたし、短期で売るつもりはないので、さほどのショックはありませんでしたが、気分は・・・よくないですね。

 月利が算入される今度の土曜までは引き出すのを我慢しようと思っていたが、夜に入ってニュージーランドドルが急速に値上がりし始め85円を超えた。ここが峠かもしれない。

 85円17銭をつけたところで辛抱たまらず売却した。1月17日に50万買い付けて、51万6394円で売却。27日間で16,394円のゲイン、年利換算で44%。デイトレードにのめり込む理由が分からないではない。焦げ付いてもお勉強代と思うつもりで出し入れしたに過ぎないのだが、この程度でも欲は出てくるものだということがよくわかった。

 ここ半月は為替相場をかなりの頻度でウォッチしてきたが、今週いっぱいは少なくともニュージーランドドルのチャートは絶対に見ないようにしよう。もっと上がっていたら悔しいに違いないから。

 それよりも気になるのは南ア・ランド。来月10日の初回利払いの日までには15円台に載っていて欲しいのだが。(2/12/2008)

 以下、後日談。

 じつはこのあと、ニュージーランドドルは88円まで上がりました。つくづく、こういう勝負に向いていない性格だということが、身にしみて分かりました(^^;)。

 さらに書くと、南ア・ランドは13円台まで、円高が進み、こちらの方は、利払い日のレートで即時に円にされてしまうので、「悲惨」でありました。(最近は11円から12円台前半。来月の利払いも期待できそうにありません。早く来い来い、ワールドカップ)

 立川のシネマ1で山田洋次の「母べえ」を見る。

 山本夏彦の本だったと思うが、なぜか戦前戦中真っ暗史観とかいう話が出ていた。そりゃそうだろう、一日のうちには昼間もあれば夜もある、一年のうちには照る日もあれば曇る日もある、始終年がら年中真っ暗なわけはない、だから「そんな史観はためにする話だ」という指摘は正しい。でもまあなぜしゃかりきになって、そんな当たり前の話をごたいそうにしなければならないのか、これもまたある種の韜晦史観の一種なのだと嗤いながら読んだ。

 そんなことを思い出したのはこんなシーンがあったからだ。母べえ(吉永小百合)の実父(中村梅之助)は地方の警察署長をしている。警察署長の娘婿が思想犯では肩身が狭い。父は「亭主と別れろ」というために上京し、警察関係専用の宿に母べえと孫の初べえ(志田未来)、照べえ(佐藤未来)を招く。夏彦翁のご指摘通り戦争下でも一様に世の中が真っ暗ではない。その証拠に宿の膳にはすき焼きが乗り、姉妹はすき焼き用の肉の山に目を見張る。父は「自分で割れるか」と尋ねながら孫たちに生卵を渡すが、照べえは緊張のあまりか卵をこぼしてしまう。と、父は「なんだ、もったいない」といいながら、卓に口をつけて吸い取る。生活至上主義者である父のバックボーンを一事で説明するシーンだ。

 すぐに父と娘は言い合いになり、娘は姉妹の手を引いて宿を出てしまう。外の寒さも寒さなのだが、一度匂いを嗅いだすき焼きを思い出して幼い照べえはすすり泣く。姉の初べえは「照べえはほんとうにいやしいんだから」と叱るが、初べえにしたところでいつも腹を空かせていることは同じ。だからよけいに妹を叱責したくなるのだ。

 真っ暗ではないからと言って快適なわけではないし、鬱陶しさを意識せずにすむためにはそれなりの覚悟も必要だったことがよく分かる。それが暮らしを立ててゆくことだといえばそれまでだが、あえてそういう鬱陶しさにあこがれる気にはなれない。

 念のため書いておくが、これは韜晦王、夏彦翁を褒めて書いた。こういう書き方を常套的にせねばならぬ時代を望む奴がいたら、そいつはただのバカ野郎だ。


 じつはこの実父の弟、つまり母べえの叔父を笑福亭鶴瓶が演じている。こちらも兄同様の生活至上主義者ではあるのだが、対照的な性格と振る舞い。この兄弟について想像を働かせてみるのもまた楽しい、そういう映画だった。

 昨夜、沖縄でアメリカ海兵隊員が女子中学生を強姦した容疑で逮捕。件の海兵隊員は岩国基地勤務を経ておととしの10月から沖縄勤務の由。艦載機移駐大歓迎の岩国新市長は胸をなで下ろしているに違いない。(2/11/2008)

 朝刊、読書欄、「売れてる本」。きょうは読み終わったばかりの勝間和代の「お金は銀行に預けるな」を紹介している。勝間は金融リテラシーに関する教育がないことを嘆いていた。まったくその通りだと思うが、そもそもこういうことは、どちらかというと、家庭教育の範疇に属するのではないかと思う。

 「蓄財」が市民社会を作ったのだとすれば、「市民」にとって金融リテラシーはその存立基盤だということだ。明治の近代化がいびつな膨張主義(資本主義のとらえ間違い、ある意味の金融リテラシーの欠如)と哀れなナショナリズムに足を取られることがなかったならば、いずれかなり広範な国民が「資産」を築くことができただろう。愚かな戦争によって「国富」を使い果たすことがなかったならば、少なくとも明治から数えて三代目である我々の過半数には、都市住民であっても相応の「資産運用」を父母から教えられたはずだったのではないか。

 **(家内の実家)の家では「おじいさんが帝大出の勅任技師で資産らしい資産がないのはどうしてなのか」という話があったという。**(祖父)さんが性格故の破綻をすることなく、また樺太に転出することなどなければ、おそらく我が家もある程度の面目はあったものと思う。しかし敗戦は国富のみならず、国民の資産をも失わせた。農村には戦争による被害よりは占領による被害(そうではない階層もあったわけだが)の方が影響が大きかったのかもしれないが、いずれにしても国を含めて多くの国民もまたリセットスタートを切らねばならなかった。我が父母の世代の平均でみるならば、金融リテラシーなどに縁のある階層はごく限定的だったのではないか。前の戦争の開けた穴はずいぶん大きなものだったことがここにも現れている。

 岩国市長選。井原前市長を破り、空母艦載機移駐歓迎派の福田元衆議院議員が当選。政府・自民党の地方交付金による兵糧攻め奏功。札束で市民の横面を張ったやり方がいつまで通用するか、そもそもこの国の政府は誰のための政府か、はらわたが煮えるとはこのこと。(2/10/2008)

 朝刊の見出しに「IHI『注意銘柄』に:東証・大証が初指定」とある。「東京、大阪両証券取引所は8日、過去の決算を大幅に訂正したため投資家に注意を促す監理銘柄に移されていたIHI株式を、9日付で特設注意市場銘柄に指定すると発表した。同市場への指定は初めて。IHIの内部管理体制に不備があったとして、早期の経営改善を促す。3年経過しても問題が解消していないと東証、大証が判断した場合は、上場廃止になる」由。

 前後して監理銘柄になっていた三洋電機は一般銘柄に復帰することになったが、IHIについては経過観察が必要ということらしい。J-SOX(そういえば、つい半月ほど前、こういう名前の法律が新しくできたと信じている奴におめにかかった。笑い話のようだが、本当の話だ。だいたい世の中のアベレージはこの程度のところにあるということ)にいう内部統制評価の実質的なエビデンスが必要となるこの4月を前にしてIHI関係者は頭の痛いことだろう。それともこれこそ「奇貨」か。

 それにしても、こんな記事、いままでは目にもとまらなかったのに。人間とは「利害関係」に聡いものだと、自嘲。(2/9/2008)

 珍しくお誘いがかかったのだが、どうもその気にはなれなくて、「忙しいから」と言ってお断りをした。電車に乗ってから、定時退社で帰ろうというのに「忙しい」はなかったなと我ながら微苦笑。しかも**からのお誘いなど二度とはないだろう。「今度ね」とは言ったもののもったいなかったなぁと、ちょっぴり後悔。だが「忙しい」というのはウソではない。

 読み終わった橘玲の本(「臆病者のための株入門」)のエッセンスはここだ。

 株式市場で富を創造するには、次の3つの代表的な方法がある。

  1. トレーディング(デイトレードを含む)
  2. 個別株長期投資(バフェット流投資法)
  3. インデックスファンド(経済学的にもっとも正しい投資法)

 なぜこれらの方法が有効かというと、株式投資が次のようなゲームだからだ。

  1. 株式投資は確率のゲームである(「ぜったい儲かる方法」はぜったいにない)。
  2. 株式市場はおおむね効率的であるが、わずかな歪みが生じている(その歪みは、有能な投資家によってすぐに発見され、消滅してしまう)。
  3. 資本主義は自己増殖のシステムなので、長期的には市場は拡大し、株価は上昇する(それがいつになるかはわからないが)。

 バフェットのようなことは、素人にはできない以上、残されている方法は 3 しかないことになる。つまりTOPIX連動のインデックス・ファンドを買うか、TOPIX連動のETFを買うか、そのいずれかをとるかを検討すること。そして先走って買ったJFE以下の株をどのタイミングで、どうするか。そのあたりについて腑に落ちるまで考える、これが三連休の宿題。(2/8/2008)

 あと2銘柄が決まらない。建設と食品、あるいは石油と思っているのだが、あれこれと気にかかることがあって定まらず。銘柄選びは迷い始めるときりがない。

 だいたいこの歳になるまで財務諸表の見方すら知らないで過ごしてきた男、できることなど限られている・・・という気持ちと、老後の安定はこれにかかっている・・・という気持ちの間をチックタックしている。

 北村慶の「貧乏人のデイトレ金持ちのインベストメント」読了。PHP研究所の本は本棚にはあまりない。「ご宗旨」のためなら平然とウソを書く出版社だから、端から相手にしたことがないだけのこと。**さんのお薦めがなければたぶん手に取ることもなかっただろう。だがなかなかいい本だった。続いて橘玲の「臆病者のための株入門」に移る。まとまった読書時間が欲しい。(2/7/2008)

 先月来、揮発油税暫定税率が国会論戦の主役になっている。政府と自民公明両党は何が何でもこの「既得権」を死守したいらしく、かなり見苦しい予算案抱き合わせ作戦をとって、「野党がそれほど暫定税率を廃止するというのなら『対案』を出せ」と息巻いているところが可笑しい。

 あの薄らバカの安倍が手柄顔に「誰も手を出すことのできなかった道路特定財源の一般化への道を、このわたしが開いた」とふんぞり返っていたことを与党のお歴々は忘れたのだろうか。道路向けにはもはや使い切れないから余った分を一般財源化すると言ったのではなかったか。あれは暗愚の前宰相がそのバカさを露呈して口走った戯れ言だったとでもいうのかしら、呵々。

 朝刊にこんな記事が載っている。

見出し:「59兆円」なぜどこに
小見出し:道路整備中期計画/政府、場所示さず/野党、根拠を追求
 道路をめぐる国会論戦などで、昨年末に政府が決めた今後10年間の道路整備中期計画の根拠が大きな焦点となってきた。国土交通省は、道路特定財源制度と暫定税率の維持を前提に59兆円の事業費を盛り込むが、いつ、どこを整備するかは決まっていない。職員用マッサージチェアの購入に道路特定財源が充てられていたことも判明。「59兆円」の算出根拠に疑念の目が向けられている。
 「この積算が合理的で正当性があって、59兆円、納得して国民が税金を払うと思うか」
 5日の参院予算委員会。福山哲郎氏(民主)は中期計画の事業費算出方法をめぐり、冬柴国土交通相を追及した。
 国交省は昨年11月、道路整備費を65兆円とした中期計画の素案を発表した。基幹ネットワークの整備や開かずの踏切解消、通学路の歩道整備など16の課題について整備の必要性が高い「真に必要な道路」を選定したうえで、必要な整備費を65兆円と算出したという。
 例えば、開かずの踏切解消場所については、全国の踏切から交通に支障が出ている4300カ所を抽出した。このうち、遮断時間が40分以上など1400カ所の工事を計画に盛り込み、過去3~4年間の1カ所当たりの平均工事費(29億円)をかけて、事業費を4・1兆円としたとしている。
 だが、計画の対象となる「1400カ所」の開かずの踏切が、どこなのかは明らかにしていない。ほかの事業も同じで整備個所については、高速道路など一部を除いて明らかにしておらず、どの順番で工事を進めるかも決めていない。
 福山氏は、中期計画の「大気汚染対策個所」の「約30カ所」がどこかをただしたが、国交省の宮田年耕道路局長は「対象は(大気汚染の)基準値を超えている個所で、状況が変化したときには多少の出入りがあると思う」と答えた。
 具体的な整備場所を明示しない理由について、国交省幹部は「場所は絞り込んでいるが、すべてを示すと予算を硬直化させる」と説明する。
 また、政府は昨年末、素案で65兆円としていた道路整備費を59兆円に減額したが、「どう削るかは、まだ決まっていない」(国交省)という。
 素案での65兆円という総額は、今の道路整備計画(03~07年度)の道路整備費(約33兆円)をほぼ倍にした数字だ。このため、先月31日の参院予算委では直嶋正行氏(民主)が「ただ5年の実績を倍にしただけだ。あっという間に59兆円になったが、どこがどうなったか、全然説明がない」と批判。ある国交省幹部も「(ガソリン税などの)暫定税率を維持するため、特定財源を使い切る『逆算』は根底にはある」と話す。

 町村官房長官は半月ほど前の記者会見で、「野党の皆さんはお金が天から降ってくるとでも思ってるんでしょうかね、知りませんが」と皮肉をきかせたつもりでしゃべっていたが、そもそも使い先をこれから考えなくてはならないのが事実とすれば、ずいぶん間の抜けたコメントということになる。ひょっとするといつぞやの「常任理事国騒ぎ」のように官僚のでっち上げた実態のない詐欺話に引っかかって自らのムチムラぶりを発揮しているのかもしれない。嗤うべし。

 しかし使い先も明確にできないものの財源対案を出せとは本末転倒も甚だしい。ひどい国になったものだ、この国は。(2/6/2008)

 少し寝不足。株と債券、それにREITを加え、それぞれについて国内と海外、6カテゴリーに分割。比率についてはまだ思案中。しかし国内株がかなり安くなっているので、とりあえず手許金から年金のフル支給までの4年間分の所要費用を別にし、残余金を先行して株の購入にあてることにした。

 就寝前までに3銘柄を追加。安値につられる形で、小野薬品、スター精密、ハイレックスについて、買い注文を出した。ほぼきのうの終値ベースから50円程度低くした指し値でも3銘柄とも約定。これも安値相場のおかげ。とはいうものの不安がないわけではない。きのう買ったあたりはずっと持ち続けるつもりで選定したが、きょうの分は多少「色気」が入っている。ある程度の値上がりがあれば、売却して差益を稼げたらという気持ち。(2/5/2008)

 結婚して、きょうで30年。真珠婚と称す由。ダイヤモンド婚まではあと30年。あと同じ時間かかるわけ。**(父)さんと**(母)さんは58周年までだったからエメラルド婚を迎え、ダイヤ婚の一歩手前でアウトになったということ。勝てるか。それにしてもよくもまあB-Bの組み合わせでここまでもったものだ。

 別にこの日を狙ったわけではないが、やっとイー・トレード証券の口座が開いたので、JFE、オラクル、ドコモ、SUMCO、パーク24を買い付け。手数料込みで総額*円。カテゴリーとしてはオラクルとドコモ、JFEとSUMCOが重なるわけだが、どちらも「ハミング距離」はそれなりにあると考えられるから、まあいいだろう。もう少し早く証券口座がOKになれば、先月末の東京市場のどん底で買えたものをと思うと悔しい。

 追加は建設、化学、薬品、電機、精密機械から銘柄を選ぶことにしよう。電機、精密機械はある程度イメージがあるが、建設、化学、薬品となると少し勉強が必要。その気で考えるとなると、あれこれと気になることが噴出してくる。あまり短期で売買を繰り返すつもりはないから、考えるだけムダなのかもしれないが。(2/4/2008)

 起きると、一面の雪。さほど寒さは感じない。さしたる降りではないものの大きな雪が絶え間なく舞っている。思い出の中の雪のほとんどはこんな綿ゴミのような下品な雪ではない、さらさらの粉雪。青い帽子の記憶がよみがえった。もう四十年も昔のことになる。遠い時、遠い街、はるかな想い出。

 終日、きのう買ってきた「貧乏人のデイトレ金持ちのインベストメント」を読んだり、パソコンで候補銘柄をリスティング。(2/3/2008)

 廣枝とお出かけ。出るのが少し遅くなったため、青山に着くとすぐに「富徳」のランチサービスで昼食をすませて、ユニマット美術館で「シャガールとエコール・ド・パリコレクション」を観覧。コンパクトな展示室だが落ち着いた雰囲気で楽しめた。シャガールは少し不満だったが、藤田嗣治の裸婦の肌を味わえたのは収穫。それ以上の収穫はカミーユ・ボンボアという画家の作品を見られたこと。6点ほど展示されていたのだが、「森の中」と「散歩道」というタイトルの絵が特に気に入った。「森の中」は木立の間から差し込んだ光が照らし出す葉の具合が印象的。「散歩道」も同様の趣向なのだが、小道を歩いてくる二人がいかにも「素朴派」のままで、それが瑕。

 そのあとワタリウム美術館で「クマグスの森展」を見る。南方熊楠の生涯と身の回り品、そして彼の残した植物標本、日記などの展示。まさに巨人。こちらの方はあしたまでのせいか、かなり混み合っていて少し残念だった。

 ワタリウム美術館から原宿まで歩く。心づもりの喫茶店、一軒は完全になくなり、もう一軒も営業していないようだった。頭の中にあるような落ち着いた喫茶店はもうあの街には住めなくなったのだろう。仕方なく池袋まで戻って、東武の地下でクリームあんみつにつきあってから、廣枝は東急ハンズ、こちらは本屋へ。投資関係の本を三冊ほど買って帰る。(2/2/2008)

 中国産冷凍餃子の件で、マスコミは蜂の巣を突っついたような騒ぎ。けさなどは、餃子被害者が全国で三百何人(読売)になったとか、四百何人(サンケイ)になったとか、こうなると少しでももっともらしくて大きな数字をあげた方が勝ちといわんばかりの報じ方だ。被害を訴えた人たちが農薬中毒なのかどうか、いったいだれがどのような所見に基づいて診断・結論したのかしらと嗤いたくなる。

 けさの朝刊、社会面の「毒物混入 解けぬ謎」にはこんなくだりがあって、まあ、パニック症のバカばかりの国ではないと変に安心したりした。

 ギョーザの具の野菜に残った農薬が原因という可能性を指摘するのは、毒物に詳しい田坂興亜・元国際基督教大教授だ。メタミドホスは水溶性で野菜などを洗っても落ちず、組織内に浸透する。
 「中国では収穫直前まで農薬をかけることも珍しくない。具になった野菜の一部に極端な高濃度で残った農薬が中毒を引き起こした可能性は否定できない」
 しかし千葉市の主婦に見られたような症状の激しさから、「残留農薬説」には否定的な見方が強まっている。
 財団法人日本中毒情報センター理事の内藤裕史・筑波大名誉教授によると、メタミドホスは体重10キロの幼児なら0.3ミリグラム(推定値)という数滴にも満たない微量で中毒を起こす。ただ大人が急性中毒を起こすには、常識では考えられない量の野菜を一度に食べることになるという。

 記事の末尾は「食品分野に詳しいある貿易会社OB(63)は『きちんと熱処理をしている工場で人が重体になるほどのメタミドホスが残留したとは、何者かが故意に入れたとしか考えられない』と指摘する」となっていた。そして午後には兵庫県警の科学捜査研究所が高砂市の一家が食べた餃子の袋と中のトレイに穴が空いているのを発見したというニュースが入った。

 もちろんこれで農薬の混入が人為的なものだと結論づけることはできない。ただ製造元に問い詰めるためにはそれなりのバックデータが必要となろう。そのための「証拠品」はかなりの人々が「信用ならない」としている中国側にあるのではない。幸いなことに我が方の手の内にある。市場から回収した膨大な量の中国産冷凍食品を日本人の手で分析、調査すればよいのだ。

 穴が空いているものがあるのかどうか。そしてメタミドホスが濃厚に検出されるものがどのくらいの確率で出てくるのか、しっかりと調査すればよい。

 母集団となる数量は相当量あるはずだから、品質上の不具合なのか、意図的な犯罪であるのかはたちどころにわかるだろう。その過程できのうからけさにかけての報道やネット雀が騒ぎ立てたことがらが、どのていど「いかがわしいものだったか」もわかるだろう。(2/1/2008)

 中国製の冷凍餃子を食べた3家族計10人が中毒になり、うち5人は一時重体になっていたという事件がきのうから報ぜられている。

 発生順で整理すると、千葉市の母子2人は先月28日にコープ花見川で買った「手作り餃子」を食べて吐き気をもよおし入院・通院、兵庫県高砂市の親子3人は今月5日にスーパーで買った「ひとくち餃子」を食べて瞳孔縮小など3人ともに一時重体、そして千葉県市川市の母子5人は今月22日にコープ市川で買った「手作り餃子」を食べて吐き気・下痢などを起こし、うち5歳の女児は一時意識不明になった。これらはすべてJTフーズが双日食料を介して中国河北省の天洋食品から輸入したもので、製造日は「手作り餃子」が10月20日、「ひとくち餃子」が10月1日となっていた。

 警察発表では市川市と高砂市の被害者が食べた餃子(被害者の吐瀉物ということか?)からは「メタミドホス」という農薬が検出されたが、千葉市のものは薬品名は特定できず有機リン系農薬の成分が確認できたという。パッケージには異常がないので農薬の混入は製造段階ではないかと推定されている由。

 中国産の食品ということでJTフーズ以外の加ト吉、江崎グリコなども同等品の回収に入った。驚いたのは対象品が一般消費者が家庭で使用するものにとどまらず、業務用としての輸入されているものがおびただしい量にのぼること。つまり最近の外食産業は中国で調理・冷凍したものを購入・解凍して、「当店自慢の味」として客に出しているということ。ファミレス・居酒屋の厨房は加熱処理ができるていどの施設があれば事足りるのだろうか。ファスト・フードとはよくいったものだ。

 「いのちの食べかた」という映画があったが、食料生産を工業生産なみに機械的かつ効率的にし、限りない利潤の追求をはかっている資本の論理は、食料をテーブルに載せるところで終わっているわけではなく、我々が人間を取り戻す、飲み、かつ、食らう時までも、整然と機械的かつ効率的にするよう隠れた強制を行っているのかもしれない・・・。我々は生きることすらファスト化を強制されているらしい。

 その延長上には、いわゆる資本家も自らのビジネスの枠組みの中で整然と機械的かつ効率的に利潤を生むプロセスに組み込まれているという嗤うに嗤えぬ姿も見えてくる。もはや「カネ」こそがすべての人間をコントロールしている・・・、とすれば、マルクスは死んでいないことになる。(1/31/2008)

 寒い一月があっという間に終わろうとしている。今月に入ってからきのうまで、最高気温が10℃に達しない日が17日間あり、これは1984年以来とのこと。

 久しぶりの寒冬と思っていたら、「暖冬で肉まん・あんまん売れず、井村屋が業績下方修正」という見出しを見つけた。記事には「この冬は昨年まで暖かい日が多かったため、井村屋製菓(津市)は主力商品が思うように売れず、2期連続の経常赤字になりそうだ。昨夏は主力のアイスが過去最高の売れ行きを見せるなど猛暑に助けられたが、今回は季節外れの暖かさが思わぬ『北風』になった」とある。

 第3四半期はそういう発表だとしても、第4四半期は一転して変わるのではと思って、井村屋のサイトに掲載されているプレスリリースを見てみた。「・・・配当金につきましては、お知らせの通り、当期の業績は損失を計上するものと予測されますが、当社では安定配当を基本方針としておりますことと、第3四半期の業績において前年同期と比較し相当に回復するなど、ここ何年か取り組んできた構造改革の成果が確認でき、方向性に目途が立ってまいりましたことから、期末配当金は当初の通り1株あたり8円として実施することを予定しております・・・」

 こういうところまで目がいくのは少しばかり「投資」の方に心の重心が移動しているからかもしれない。為替の方はせいぜい数カ国分だから、毎日ぼんやり見る程度である程度の感触をつかんだ感じがするが、株価となるともう多すぎてどのように方向感覚を身につけたらよいかまだ戦略が立たない。(1/30/2008)

 ブッシュ最後の一般教書演説。サルなみの知能の愚か者でも自分の成果については気になるのは人間である証拠か。ずいぶん情けない人間もいたものだが、演説後のインタビューでは「歴史は評価してくれだろう」と答えたそうだ。

 歴史について多少とも知識のあるものなら誰でも知っていることだが、自分の歴史評価について自分で言及した人物を歴史がその言葉通りに評価した例はほとんどない。自らの業績(おおむね「所行」という言葉が該当する)に自信のない者の多くは「後世の歴史家」を持ち出さずにはおれないのだ。ブッシュはそんなことにも思いが至らなかったのだろう。人並みの頭蓋の中には何がつまっているんだろう。

 史家はいずれ第43代大統領をアメリカ史上最悪にして最低の大統領と評価するに違いない。これまで史上最低の大統領としてよく名前のあがったハーディングはカニ中毒で在任中に死んだ。ブッシュもプレッツェル中毒(喉につまらせ呼吸困難になることを中毒とはいわないか)で死ねばよかったのだ。そうすれば任期中に頓馬な死に方をしたことだけが記憶に残る凡庸な大統領という評価で終われたろう。神様もじつに残酷なことをしたものだ。(1/29/2008)

 変な夢を見た。

 大きな窓からは冬の陽光がいっぱいに差し込んでいる。それでも暖炉には火が入り、その前の大きなロッキングチェアに老人、そして向かい合うソファに秘書といった風情の男が腰掛けている。ともに眼光は鋭い。

 「ちょうどいい機会だ、アルカイダの『伝説』にいまひとつのりが悪い、あの黄色いサルどもにテロリストへの恐怖を植え付けてやるのに」。
 「と、おっしゃいますのは?」。
 「おまえも、想像力のない男だな。極東のサルどもに確実にヒステリーをおこさせるのは、いまのところ、ノース・コリアだけだ。だから、インド洋での給油などというしみったれたチャリティーでさえ、あいつらは出し惜しみするのだ」。
 「はあ・・・」。
 「つまりは、アラブ・テロリストへの恐怖感が、いまひとつ鈍感な黄色いサルにはないからじゃよ」。
 「そうかもしれません」。
 「だから、ちょうどいい機会だというのだ。この29日と30日にトーキョーでハンドボールのオリンピック・アジア代表を決める、いわくつきの再試合があるだろう。その試合でアラブ人が無差別テロを行えばいいんだよ」。
 「そんなアラブ人がいますか?」。
 「おまえはバカか、アルカイダは我々が作った『伝説』ではないか。また伝説のテロリストが凶行を行った、しかもトーキョーで・・・という新たな『伝説』を作ればいいのじゃ」。
 「なるほど」。
 「ノース・コリア・ヒステリーで木偶の坊をプライム・ミニスターにしたような黄色いサルどものことだ。アラブ・テロリスト・ヒステリーが蔓延したら、もうあの国は我々の意のまま、おそらく進んで『不安定な弧』プロパガンダに貢献してくれるようになるだろうよ。御しやすいサルじゃからな、ふぉふぉふぉふぉ・・・」

 ふぉふぉふぉふぉの笑い声の響きの中で目が覚めた。かなり昔読んだラドラムのテイストの夢。(1/28/2008)

 千秋楽、結びの一番は久々に横綱同士の相星決戦になった。東・白鵬、西・朝青龍。

 仕切りのにらみ合い、劇画に描かれるような大げさでちゃちなにらみ合いではない。時間前に立つ気配はなかったが、勝負は既に始まっており、空気は張り詰めていた。こういう土俵を見るのは本当に久しぶりの感じがした。仕切りの時間は長かったが退屈するものではなかった。

 四つに組んでからの白鵬の引きつけ、素人目にもその強烈さは分かる。それをこらえる朝青龍。迫真の力相撲は寄り切ろうとする白鵬に対し、つり上げを試みる朝青龍の不安定な体勢をとらえた白鵬の上手投げで決した。これほどの好一番、残念ながら、ここ最近は見たことがなかった。

 あえて瑕をあげるとすれば、ともに星ひとつを落としていたことくらいだ。両者、ここまで全勝であれば、もう何も言うことがなかったに違いない。とかくに「品格」を持ち出したがる手合い、きょうの一番を見てどういうのか、「左右を顧りみて他を言う」よりほかはないか。ならば、嗤うべし。

 ついでに書いておく、近頃、跳梁跋扈する「品格専門家」の顔には不思議なことに品格がない、と。(1/27/2008)

 二週連続の朝風呂。今週でさすがに新年会ラッシュも終わり。つくづく思うのは「阮籍が青き眼は誰にでもあることなり」ということ。といっても、昨夜はあらかじめ約したものではなく、朝になってから急にバタバタと蔵王行きの切符の受け渡しを名目に飲もうということになったもの。おかげでアルコールが切れたのは火曜日のみということになってしまった。

 翌朝、こうしてゆっくりと朝風呂を楽しめるのならば、飲むこともまた楽しみになるのかもしれない。**(家内)は**さん(家内の友人)とロートレック展を見て食事とかで出かけた。・・・静かだ。

 BUZZの連想からCDをかけてみた・・・スプーンとカップをバッグにつめて、今が通り過ぎてゆく前に・・・。

 会社に入った年のスカイラインのCM。この歌もCMもその時代の空気を吸った者は例外なく絶対に憶えている。それくらい鮮烈だった。そしてオレにとっても、この歌ほどいくつもの思い出に重なり合う歌もない。「・・・道の向こうへ出かけよう・・・」というあたりのメロディーは、いまもじっとしていられないような切なさを掻きたてる。(1/26/2008)

 ここのところ枕元の就眠儀式本は重松清の「小学五年生」。「オール讀物」に掲載の短編を集めたもの。腰巻きに「人生で大事なものは、みんな、この季節にあった。十歳もしくは十一歳。男子。意外とおとなで、やっぱり子ども」とある。

 なんということもない話ばかりなのだがスタンドを切るまでのひとときに軽く読み切れて、ほの暖かかったり、ほんの少し甘酸っぱかったり、悪くない。毎日、大切に、ひとつずつ、読んでいる。

 帰りの電車で「さっき読んでた本、何」と訊かれ、なんとなく「民営化で誰が得をするのか」などとは答えたくなくて、「小学五年生、重松清の」などと言ってしまった。目顔で笑っていたのはウソがばれたからだろうか。

 新書版の小説本はないか・・・、いや、白水社のUブックスは新書版だったはず・・・、でも大ウソでもないんだけれどなぁー・・・、うん、この感覚は「小学五年生」の感覚に近い・・・、と、一人笑い。(1/23/2008)

 1年もの定期、年利1.2%に惹かれて、住信SBIネット銀行に口座を開設し、なりゆきでみずほの4支店に分かれて入っている分をまとめることにした。全部、定期というのもおもしろくないと思って、ほんの少しだけニュージーランドドルを買ってみた。年利が普通預金で6.25%、つまり4円数十銭程度の為替差損までならば原価割れしないだろうというもくろみだった。

 買ってすぐにレートは円安に振れ、数時間しないうちに1%程度儲けた感じになった。たった2時間で5千円の儲け、なるほどデイトレーダーにのめり込む人の気持ちも分からないではないと思った。先週、木曜日の話だ。

 しかし幸せな気分は長く続かなかった。購入時82円50銭だったものが、今週に入るや一貫して円高に振れ続け、いまは78円台をウロウロしている。許容差損が4円ナニガシとなるのは一年後の話だ。現時点では2万数千円目減りしていることになる。

 試しに同額分いま買い増したらどうなるかを試算してみた。購入単価はあわせると80円数十銭になるわけだから、もう少し円高に振れても大丈夫ということになる。大発見だと思いつつ、あちこちとネット内をさまよううちに、そういう手法を相場関係の世界では「難平買い」というのだと知った。

 どうも素人がウロウロする世界ではないようだ。買い増しは思いとどまった。かといって、数日で精算することもない。しばらく相場変動を実感してみることにしよう。(1/22/2008)

 買ってきたばかりの「戦前の少年犯罪」、じつにおもしろい。各章のタイトルは、「小学生が人を殺す時代」、「親殺しの時代」、「いじめの時代」、「幼女レイプ殺人事件の時代」、「体罰禁止の時代」、「教師が犯罪を重ねる時代」、「ニートの時代」、・・・というぐあい。読売新聞やらサンケイ新聞ていどのバカ新聞などが「だから少年法はダメなんだ、もっと厳罰で臨まなくてはいけない」とか、「だから教育改革は必要だ、だいたい教育基本法が甘っちょろいからこんな時代になったのだ」とか、随喜の涙を流しながら書きまくる種本になりそうだ。

 だがそれぞれのタイトルの前にはすべて「戦前は」という主語がついている。著者(管賀江留郎:かんがえるろうと読む)は国会図書館に通って戦前の新聞を閲覧、整理し、実際の記事を紹介しながら、その時代の少年犯罪が現在のそれとそれほど異なっていないこと「証明」した。(「戦前はニートの時代」に書かれている「磯部浅一(注)=ニート」説は興味深い)。

 あとがきはじつに痛烈だ。

 戦前を生きていたはずの世代で真の戦前を知っている人はほとんどおりません。自分のごく身近な周囲を眺めて、東京の事件しか載っていないような新聞を読んで、それすらも忘れ去って、イメージのなかのヴァーチャルな戦前を生きているのです。
 その時代を生きているだけでその時代のことがわかるのなら教育などまったく必要ありません。今現在のことも、我々はきちんと調べて学ばないと理解はできないのです。何十年も前のことならなおさらです。
 虚構と現実を混同してしまっている人たちが、新聞やテレビニュースを通じて過去についてまったくの妄想を語り、それを信じた人がまた妄想を増幅するというヴァーチャルな円環ができあがって、無意味にぐるぐると回転しています。
 ちょっと事実を調べさえすればこんな円環はすぐに断ち切ることができるのですが、ジャーナリストも学者も官僚なども物事を調べるという基本的能力が欠けていて、妄想を垂れ流し続けています。物事を調べるという一番の基礎的学力がない人々が、ジャーナリストや学者や官僚などの職についてしまっているということです。現代の専門家の学力低下は深刻です。
 そのうえで、根拠のない妄想に基づいて、国の政策決定などもなされるというなんともお粗末なことになっております。戦前の日本は米国の真の力を知らずに無謀な戦争に突入したというようなことが云われておりますが、現在のお粗末な状態から比べると、戦前のほうがまだしも正しい情報を持っていましたし、少なくとも正しい情報を得ようと必死に努力していました。
 こういう学力のないお粗末な人々が教育について論じたりするんですから、世も末です。
・・・(中略)・・・
 現代の日本を論じるときに少年犯罪というのはなぜか重要な要素だと多くの方に考えられているようですが、してみると、戦前の少年犯罪をきちんと検証できていなかったこれまでに提出された日本に関する考察はすべて根拠のないデタラメだったと考えてもいいのではないかと愚考しています。本当の日本の姿を知っている者はじつはこれまでひとりもいなかった、それどころか基本的な情報の収集と分析を試みる人さえいなかったのではないでしょうか。
 戦後六十年間、膨大な数が積み上げられてきた日本論のたぐいはすべてニセモノだったということです。教育論のたぐいも云わずもがな。

 マスコミの表舞台でしたり顔に少年犯罪の凶悪化を嘆き、ひたすら厳罰化を主張した連中は裸足で逃げ出したくなるに違いない。いや、面の皮の厚い「犯罪者のような」連中だから、シラを切り通すのだろうか。

 いやいや、人の振り見て我が振り直せ、折々、「昔は・・・」と語りたくなる歳になったことを認識して、自戒するのが肝要かもしれぬ。(1/20/2008)

注)磯部浅一は二・二六事件の首謀者の一人。

 朝風呂。きのう、帰宅が遅かったため。頭の中に流れた曲はBUZZの「朝」。

朝のまぶしいほどの日射し
あんなに待っていた
ここにある時は
なんて静かな時だろう
また来る朝は手のひらを広げ
ボクを包むだろう
そしてほほえむ空の風は
ああ戻ってくれはしないだろう
いまそれは時のつぶやき
かすかな、かすかな、かすかな

 こんな歌、まだ、憶えていたんだね、もう、60に近い歳なのに。(1/19/2008)

 きのう買い忘れた文藝春秋二月号を買ってきた。あらためて安倍晋三の手記を読み返してみる。

 記事のタイトルは「独占手記:わが告白 総理辞任の真相」となっているが、この程度のことが辞任の真相だというのなら「クソして寝てろ」というだけのことだ。安倍の手記は「病気を理由にした言い訳」に「実際的なことは何一つしなかった内閣の言い訳」をブレンドしたもの。とにかく終始一貫言い訳ばかりで、これほど女々しい(・・・と入力したところでATOKは「不快用語」と警告してくれた。しかし不快極まるものを形容するためには差別用語も不快用語も使わねばならぬ時があるということを如実に語るのが、この「手記」だ)文章も珍しい。・・・ドタ休の翌日、グダグダと聞かされる言い訳ほど聞きたくないものはない。「いい、分かった、早く仕事しろ」だ。

 「私はもともと潰瘍性大腸炎という持病を抱えております・・・潰瘍性大腸炎は厚生労働省が特定疾患に指定している難病で・・・潰瘍性大腸炎であると診断されたのは社会人になってからで・・・何の前ぶれもなく発症し、直る時は嘘のようにピタリと収まるのが特徴・・・したがって一昨年九月には、この病気を克服することができたと考え、総裁選立候補を決意・・・この外遊を契機に、病状は一気に悪化・・・一方で、体調は悪化の一途をたどり・・・何しろ食事がまるでとれず・・・食事がとれないと、体力ががっくりと衰え・・・それにともない、気力も萎え、思考能力も鈍ってきます」・・・。「独占手記」のほとんどはこんな記述で埋められている。

 もう、「ハイハイ、お気の毒ですね」というより他にはない。あえて書けば、世の中には本当の難病を抱えている人々が多くおり、その人たちのほとんどは「何の前ぶれもなく発症し、直る時は嘘のようにピタリと収まる」病気なんですと説明したとたんに、「ずいぶん、都合のいい病気もあればあるもんだね」と嫌みをいわれるか、それ以前に「そういうことなら辞めてください」といわれることを恐れて血反吐を吐きながら歯を食いしばってがんばっている。銀のさじをくわえて生まれ相続税をちょろまかしてきた「安倍のシンちゃん」などには、そういう厳しい現実は想像もつかないことだろうが。

 この女々しい手記にはどんでん返しが待っている。立ち読みをした時はそのどんでん返しまで読み進んで文春を放り投げたくなった。

 幸いにして、私の持病の潰瘍性大腸炎は加齢を重ねるごとに病状が緩和されていきます。また、病状を劇的に改善してくれる新薬の開発も進んでいます。加えて、親しい代議士のご家族にお医者さんがおり、潰瘍性大腸炎の患者用食品を送ってくれました。その方も同じ病気で苦しんでいたのが、この食品の効果もあって、ほぼ完治したといいます。お蔭で私も近い将来の完治に向けて、希望を抱くことができるようになりました。
 今後は一議員の立場から、日本に本格的な保守政治を根づかせるための捨て石となって粉骨砕身してまいります。

 安倍晋三はまだ生きているつもりらしい、政治家として。安倍は気づいていないのだろうか。この手記が嘘偽りのないものだとすれば、その瞬間に自分が内閣総理大臣として臨んだ最後の記者会見の場で辞任理由として嘘をついてしまったことになるという、致命的な事実に。

 あの日、安倍は「テロ特措法の成立のために辞めるのだ」と言った。しかしこの手記によれば体調不良で苦しいから辞めたのだそうだ。ということは、あの会見では私個人のために辞任するという真実を隠すために、あたかも公の利益のために辞任すると嘘を言ったということになる。嘘にもいろいろあろう。しかし私的理由で逃げ出すのを公的理由と説明する嘘は卑怯な嘘だ。人非人、安倍晋三の面目躍如たり。(1/17/2008)

 昨夜、寝る直前のニュースはシティバンクが07年10-12月期決算でサブプライムローンにより235億ドルの損失を出したというものだった。けさ、起き抜けのニュースはニューヨーク市場のダウ平均株価が277.04ドル下がって12,501.11ドルだったと報じていた。

 大発会の翌日、瞬間的には14,000円割れもあるのではないかと書いた。先週中はどうにか踏みとどまっていたものの今週に入って13,000円台に突入することになった。きょう、東証は468円12銭下げて終値で13,504円51銭になった。

 寺島実郎が社会技術シンポジウムで行った講演の要約がサイエンス・ポータルのサイトに出ている。その中にこんな部分がある。

 21世紀に入って7年間の世界潮流を見るとき、重要な3つの数字を挙げたい。世界経済の年平均実質成長率は、3.5%である。しかし、世界貿易の年平均実質伸び率は、7%と倍になっている。さらに世界株式市場時価総額年平均伸び率は14%で、この3つの数字が倍々で大きくなっていることに注目してほしい。 IT革命が実体経済の倍のスピードで物流経済を伸ばし、さらに産業の金融化も招いて「実体経済」「物流経済」「金融経済」という経済の3層構造ができているということだ。

 いつぞや読んだ吉川洋の本のことを思い出した。「ケインズ」について書いた原稿の査読をしていた彼の妻が金本位制について尋ねてきたという話。人間の際限のない欲望に節度を持たせるために有限の資源による制約を設定することには意味があるのではないか・・・という話だった。いや他に、西暦元年に1ペニヒを年利何分かの複利で預けたとすると西暦二千年には太陽何個分かの金塊が買えるほどの金額になるというエンデの話もあった。

 株価という欲望は膨らむだけ膨らめば、いずれ割れるか萎む。その道の専門家はしたり顔にいろいろな説明をするが、実態の裏付けのない思惑で膨らんだバブルははじけるだけの話だ。

 そうはいいつつも、そろそろ株を始める。バブルの峠をとっくに過ぎた頃に家を建て直した。失われた十年のまっただ中で車を買った。いつも世間的には逆張りをしてきたのだから、これがうちにとっての潮時だろう。(1/16/2008)

 128日間の臨時国会がきょうで終わったのだそうだ。終わってみてつくづく思うことは、安倍晋三はいったい何のために辞めたのかということ。辞任会見の時に安倍が理由にしたのは例のインド洋での無料燃料配りの継続だったはずだ。だが中断があったとはいえタダのガソリンスタンド営業はほどなく再開される。そのために後任の福田康夫が知恵を絞り、秘策を尽くしたかというと、格別のことは何もしていない。ただ時間の経つのを待って、衆議院3分の2による再可決をしただけだ。

 時の経つのを待つだけのことならバカでもチョンでもできる。つまりボンクラの安倍晋三にもこの程度のことならできたのだ。福田は安倍からの「バトンタッチ」に空費した時間のために「14年ぶりの越年国会」などと叩かれながら二度にわたる会期延長をやった。だが安倍が投げ出さなければ、一回の会期延長ですんだはず。そう考えてみれば与太郎もイワンも安倍を指さして嗤うに違いない。「あー、シンちゃん、おいらよりもバカぁー」と。

 ことここに至って暗愚の前宰相もこのままでは満天下に自分のバカさ加減が悟られると考えたのだろう、文藝春秋二月号に「我が辞任の真相」なる手記を掲載させて陳弁にこれ努めた。その駄文を帰宅の途中、本屋で立ち読みした。まず、可笑しい、嗤える、次に少しばかり腹が立ってきた、こんなものを読むために数百円投ずるのはいかにももったいなくて、買わずに帰ってきた。・・・と、ここまで書いてから、久々にmixiにログインして同様のことを書いた。その末尾。

 安倍晋三は、少なくとも、政治家、イヤ、政治屋として、生きている価値のない人間だ。(誤読する勿れ、政治屋・安倍晋三は死んで然るべきだと書いただけだ。一個人・安倍晋三の生命について言及したわけではない、そういう論評に値しない「人でなし」であることは確かだが)
 人非人・安倍晋三の人でなしぶりを、是非、文春二月号でお確かめあれ。(この期に及んでも、安倍のファンという人は読んではならない、おのれの不明をいまになって知り、心から自分もバカだと知って、死にたくなるかもしれぬから

 やはりどこがどのようにバカかをきちんと記録しておくことは必要かもしれぬ。06年9月から07年9月にかけて、この国の内閣総理大臣を務めた男がどれほどお粗末きわまりない「人間のくず」であったか。そんな男を宰相として選出した自由民主党という腐り果てた政党があったのだということ、そして、それでもそういう事態を無批判に受け入れた日本人が相当数いたのだということを記録しておくことも無意味ではあるまい・・・と。

 あしたでも文春二月号、買って来よう。(1/15/2008)

 二場所出場停止の処分が解けて朝青龍が復帰した。強い朝青龍を見たいのか、不振の朝青龍を見て「ざまあ見ろ」といいたいのか、きのう初日も、きょう二日目も、なんと満員御礼。

 その朝青龍、初日は琴奨菊を豪快に投げ飛ばしたが、きょうは稀勢の里に背中をとられる不様な形で土俵下に転げ落ちた。横綱審議委員を務める内舘牧子はそれがよほどうれしかったらしく、笑いをかみ殺すようにして「土俵勘が戻っていない、地道に稽古していただかないと」とコメントした。

 しかしブルドックおばさんにはひとこと言いたい。初場所の初日・二日目連続の満員札止めは最近絶えて久しかった「快挙」のはず。これはひとえに朝青龍のおかげ。とかくに品格を強調する気難しさが審議委員様の「売り物」だとしても、公の場であまりグダグダ言わぬがよかろう。相撲は興行だ。あんたたちの「売り物」にカネを払う奇特な客はいない。あんたたちがもらう謝礼金を稼いでいるのは朝青龍だ。(1/14/2008)

 台湾立法員選挙は野党国民党が圧勝した。先月の韓国大統領選は長らく野党にあまんじていたハンナラ党の李明博が勝利した。それぞれに直接の敗戦ではないが陳水扁と盧武鉉が「敗北」したことは失政をナショナリズムで糊塗することはもはやできない世の中になったことを示している。

 陳水扁・民進党の敗北は台湾経済がもはや中国本土との緊密な連携なしには立ちゆかなくなっている現実の中では必然であった。原発建設に対して揺れ続けたことに見られるように、陳水扁は現実を理解することが少し苦手なのかもしれない。

 現実把握が苦手といえば、この国の右翼マインドの人々の「台湾像」は陳水扁以上に現実離れをしている。彼らの目の梁は中国共産党だ。中国共産党を左翼政党とみなすから見えるものが見えなくなってしまうことにもういい加減気づいてもいいはずだが、彼らのイデオロギーはいまや左翼のイデオロギーよりも自己肥大してもともと思考力に乏しい彼らをより阿呆にしているらしい。(1/13/2008)

 ニューヨーク原油先物市場での原油高が響いて、この冬の灯油価格は一時1,800円台にも達した。寒冷地の年金生活者は音をあげている。一部の自治体では補助金を出すなどしている由。

 与党自民党・公明党はじつに太っ腹だ。補助金などとケチなことはいわない。どれほどの量を必要としようが、すべてタダで石油(おそらく重油だが)をあげるという法案をきのう衆議院で再可決した。しみったれた野党がせっかくの政府提出法案に「ケンポウ」だの「ヘイワ」だのという愚にもつかない難癖をつけて参議院で否決したからだ。しかし自民党も公明党もエラい。民草が石油で困っているとあれば、やるべきことはドーンとやらねばならぬと、衆議院の三分の二の賛成による再可決をやってのけた。さすがに大政党だけのことはある。これこそ与党であり、これこそ政府というものだ。

 ただ、石油が欲しい場合には、インド洋まで行かねばならないらしい。それと、合い言葉にも通じていなければならぬとか。「テロリストには」といわれたら「屈しない」と応じなければならないそうだし、「テロとの戦い」といわれたら「アフガンに爆弾を」と答えないとダメらしい。多少めんどくさいが、割安ではなく、一円もいらないタダというのだから、その程度のことは妥協しなければいけない。

 ああ、こんなに国民思いの国に生まれて、オレはなんと仕合せ者か。本当に税金の払い甲斐があるというものだ。(1/12/2008)

 松下電器が会社名を「パナソニック」に変更するという。あわせてブランドも「ナショナル」ブランドを捨て「パナソニック」に統一する由。

 我が家には、かなり長い間、ナショナル製品はなかった。松下電器が大嫌いだったからだ。理由は松下電器の「芸風」にあった。よそが開発したものを後からまねて、安く、素人受けするようにゴテゴテと愚にもつかない機能をつけて、どうだといわんばかりの「花電車のようなまがいもの」を作る。それが松下の「芸風」だった。だから、およそ技術者であることにプライドを持っている者は、皆、「松下電器」などという正式名称では呼ばなかった。「マネシタ電器」、それがナショナルの別名だった。

 松下のものをそれなりに評価して買った最初はリニアトラッキング式のレコードプレイヤー(「テクニクス」ブランドだった)、最近ではヒートポンプ式洗濯機だ。これらは先行例はあるもののマネシタ電器らしくない製品だった。だから「ナショナル」のブランドがかえって災いしているような印象さえあった。

 社名変更を伝える朝刊にこんなことが書かれていた。

 実は、ブランドの統一は20年前からすでに持ち上がっていた、「古くて新しい課題」だ。だがそれは、ある「事件」をきっかけに松下にとって最大のタブーとなる。
 幸之助氏がすでに病院に入っていた80年代後半。ある役員が「もうナショナルは古い。ブランドをパナソニックに統一してはどうか」と打診した。ところが、幸之助氏は何も言わずに顔をぶるぶると震わせて憤り、この役員は青い顔をして病院を後にしたという。
 当時を知る元幹部は「それ以来、ブランドの統一は松下社内でタブーとなり、幸之助氏の死後も続いた」と説明する。

 これなど「経営の神様」といわれた松下幸之助にして「老害」から逃れることはできなかったというエピソード以外のなにものでもない。もともと「幸之助がすごかった」というのは原稿料をもらった提灯本が書き立てているだけのことで、松下電器のホームページにある「幸之助一日一話」に紹介される話を読んでも「経営の神様」として非凡なものを感じさせるものにはめったにお目にかかれない。

 幸之助の指導にしたがって「そんなモン、マネしたら、よろし」でやってきたマネシタ電器が、社名とブランド変更という戦略の「マネ」をいままで避けてきたのはおかしな話だが、幸之助が最後まで認めなかった「マネ」を断行したことを最後として、彼の遺したマネシタ電器精神を捨て去ったのだとしたら、マネシタ電器らしくない製品を愛用するユーザーとして心から拍手を送りたい。(1/11/2008)

 石川遼のプロ宣言と大阪府知事選の公示がニュース。

 我が同胞が、センターコートで勝利する日、グリーンジャケットを着る日、・・・、そういう日はいつ来るのかと書いたことがあったが、彼はその一方の夢を現実化してくれるのだろうか。(1/10/2008)

 中央線の高架工事が進んでいる。三鷹-国分寺間は既に下り線は高架上に移動しているが、国立-立川間は掛け替え用の高架の工事が本格化したところ。まだ2年以上かかるようだから、ここを通ううちに完成を見ることはなさそうだ。この線の利用は72年4月から77年9月までの5年半、94年3月から99年2月までの5年、そして02年の3月からと合計で16年ほどになる。

 なんということもない光景なのに何年経っても忘れない光景がある。国立と立川の間には大小取り混ぜて5つの踏切がある。その国立から数えると4つめの一番大きな踏切にさしかかる手前、線路から一本南側に隔てた道に面して建った大きな家があった。商店というか畳屋のような作りで、道路に面しているのは店舗なのか作業場なのか、玄関は左手の奥にあるような感じだった。

 会社に通い始めてまだそんなに間がない頃だった。暑くも寒くもない、晴れた朝、電車の中からその家の小路に人影が見えた。先に見えた人影に、後ろから鞄が手渡された。振り向いて受け取りざま二人はチュッとやった。走る電車の中から見たのだから、その記憶のどこまでが実際に見えた光景で、どこからが記憶が付け足したものか、いまはもう分からない。たったそれだけの話。だがどういうわけか電車がその踏切に近づくと、その光景を思い出す。

 工場を離れ大崎に通っている間に、その家は南北に細長い中層マンションに建て変わってしまった。最近は高架工事のフェンスに遮られて見えない。それでも通るたびに、その光景を思い出す。

 あれは新婚の夫婦だったのだろうか。彼女はあの家のお嫁さんだったのだろうか。それとも間借りしていただけだったのだろうか。あの夫婦はいまどんな家庭を営んでいるのだろうか。高架工事が完成した折には、是非とも7時12分に武蔵小金井を出る下り電車に乗って、高架の上からあのマンション脇の小路を見下ろしたいと思い続けている。(1/9/2008)

 「あの広告の写真、見なかったの」との**のお言葉に、おとといの朝刊を取り出してきた。

 うまい!! 座布団、三枚!!

 ブッシュに追随するがために、どれほどこの国が世界から「軽侮」されているか、一目瞭然。いや、それは主観に過ぎる。世界中から侮蔑のまなざしを向けられているのは、主役・USA大統領エイプ・ブッシュその人であり、アメリカ合衆国そのもの。その左大臣がステファン・ハーパーであり、右大臣が福田康夫というわけだ。

 "NO TARGETS(数値目標なし), NO ICEBERGS(温暖化のため氷山もなし), JUST GLOBAL DISASTER(地球規模の災害) COMING SOON(ご期待ください)"、作品タイトルは"BALI(バリ)"、サブタイトルは"WORLD, DON'T GIVE IN(世界は、環境テロリスト三兄弟に屈しない)"と、まあ、こんな「タイタニック」を本歌にしたポスターになっている。

 ところで、いつから、日本はアメリカに併走する環境政策の「抵抗勢力」になったのだろう、いったい、誰が、日本の「悪名」を高めてしまったのだろう、ねっ、フクダくん?(1/8/2008)

 例によって、米原万里の本から。ハンガリーに青年海外協力隊のメンバーを派遣することになり、派遣側の日本海外協力センター担当者と受入側のハンガリー担当者が取り交わした会話。

「そうだ、スポーツをやりましょう」
 ということになった。ところが、実際に話し合っていくうちに、先のオリンピックで人口1億3000万の日本が獲得した金メダルは4個、人口1000万のハンガリーは11個であることを思い出した。とても、日本がご指導申し上げるような相手ではない。日本側が恥じ入っていると、ハンガリー側が助け船を出した。
「日本の伝統的な武道は、ハンガリーでも大変人気がありますから、剣道や柔道の先生を派遣してくださると、助かります」
「ああ、それならお役に立てそうです。では、どんなレベルの先生を派遣いたしましょうか」
「そうですねえ。わたしどもは、初心者ですから、大家の先生などに来ていただくのはもったいない。贅沢はもうしません。柔道と剣道の基本をわきまえておられる方なら、どんな方でも大歓迎です。まあ、ついでに、と言っては何ですが、その方が宮本武蔵の『五輪書』と新渡戸稲造の『武士道』を解説してくださると有り難いのですが……」
「はあ……」
 と溜息をついたまま、何と答えてよいか迷っている平野氏にハンガリー側は、さらに続けた。
「そうそう、ハンガリー人はもともとアジア系のフン族の末裔ですから、日本文化全体に対する親しみと関心が強いのです。日本語の教師を派遣していただけると、大変人気を呼ぶと思いますよ」
「どんなレベルの日本語教師がおいりようなんでしょうか」
 と今度は平野氏は恐る恐るたずねる。
「集まるのは、入門者ばかりですから、これも偉い先生に来ていただくのは恐縮です。まあ、日本語の基本が教えられて、お茶とお花のたしなみがあって、清少納言の『枕草子』を解説してくださる方なら、もうどんな方でもよろしいのです」

「魔女の1ダース」から

 「教養」などというものは「日常」の役に立つものではない。「道楽」ならば日常の役に立たないと分かっているし、へりくだっているから許せるけれど、「教養」でございますなどと偉そうにしているくせに役に立たないということになると、もはやそういうものは「軽侮の対象」でしかなくなる。4日の日記に、そんな底の浅い話が透けて見えるようなコメントをもらって、記憶にあったこのエピソードを紹介して差し上げた。いまこうして本を取り出して書き写してみると、このあとに続く部分をお知らせした方がもう少し親切だったかもしれない。

 同じ「武道教師」、「日本語教師」という言葉ながら、それに込める意味、思い浮かべるイメージが、想像を絶するほどかけ離れているのがおかしい。そして、ここには日本人とヨーロッパ人の人間観、文化観の根源的な相違が反映されていてゾクゾクする。
 古代ギリシャとルネッサンス以来、ヨーロッパ人の理想的人間像は、万能の天才なのである。レオナルド・ダ・ビンチとまではいかなくとも、多面的に知識・教養・能力を伸ばし開花させていくことこそが、その人と社会の幸福につながるとする見方が強い。そして、知識とか教養とか文化とは、そもそも無限の広がりと連なりを持つものとして捉えられているから、バラバラにぶつ切りされることは不可能だというふうに考えているようだ。教育の方法も制度も、その考え方に則して組み立てられるのは、いうまでもない。そして、どちらかというと、ヨーロッパの辺境に位置し、人種的にはアジア起源のハンガリーの人々が、一生懸命ヨーロッパしているのが、これまたひとつの真理を突いていて楽しい。

 しかし米原は少し見落としている。日本人もテクニックの伝授だけを重視していたわけではない。オールラウンドの天才を理想にしたわけではないが、「柔道」といい、「剣道」といい、「茶道」といい、「華道」という。つまり学問も技芸もすべて「*道」とせずにはおれなかった精神性へのベクトルは持ち合わせていた。

 そういう見方で見直してみると、祖父・吉田茂の言葉の「音」のみを引っ張り出してきて、麻生太郎が歪んだ唇でペラペラと「とてつもない日本」と言ったところで、「道」を忘れた「技芸」は「猿芸」にしか聞こえない。せいぜい最近はやりの「うすっぺらな日本」にでも自己陶酔しているがいい。(1/7/2008)

 新潮の「日本語漢字辞典」が元日の新聞に広告されていた。大槻文彦に宛てた手紙という体裁のコマーシャルコピーにはこんなくだりがあった。

 その「言海」の十二年後、初の漢和辞典として「漢和大字典」が出ました。しかしこの辞典は、英和辞典にならってつくられた、漢文すなわち古代の中国語を学ぶための辞書でした。以来、漢和辞典は、ずっと中国語のための辞書でありつづけました。これによって、どういうことが起ったでしょうか。たとえば小学生が、「御節」は何と読むのですか、「初詣」は、と先生に質問します。先生は漢和辞典をひきなさいと答えます。小学生はさっそくひいてみます。でも容易には見つかりません。「御節」も「初詣」も日本独自の熟語です、だからほとんどの漢和辞典が載せていないか、載せていても従属的な扱いなのです。こうして多くの日本人が、漢字に親しめないまま敬遠するようになりました。

 先生に言われたからとさっそく漢和辞典を引く小学生がどの程度いるものか相当疑問があるけれど、和語・和字の辞典があるべきだというのは道理だと思い、おととい、秋葉原からの帰りがけに本屋で「日本語漢字辞典」を手に取ってみた。

 漢和辞典というものが敬遠される理由は、経験的にいえば、日本独自の熟語が載っていないとか、載っていても従属的に扱われているから頭にくるなどということではなく、そのものずばり「引きにくい」からだ。

 広告コピーの末尾には「これまでまったくなかった『新潮日本語漢字辞典』によって、日本語が新しい年を迎えています」とあったから、従来の漢和辞典の「引きにくさ」がどんなアイデアで解決されているかと期待をして手に取った。がっかりした。部首、画数から引く康煕字典の方式そのままなのだ。そして画数に関してもほとんど従来型を踏襲することを原則にしている。凡例にでていた「淵」の画数などは、どのように数えるのか説明する「親切心」が必要だが、そのあたりは従来の「漢和辞典」と変わらない。凡例に見る限り、画期的な日本語の漢字辞典の匂いはない。

 だいたい「漢字辞典」なるものが「これまでまったくなかった」わけではない。小学生にまず最初にあてがわれるのは「ナントカ漢字字典」である。たしかに最近の日本人の言語レベルは低下の一途をたどっているから大人向けの「漢字字典」のニーズは少なくないと思われるが、ならばまず小学生向きのもので読みを調べて、あとは国語辞典に頼ればそれで済む。たかが「初詣」の読みを調べるために「日本語漢字辞典」を引く奇特な人、いるのだろうか。

 この「これまでまったくなかった」と自画自賛するだけの半端な辞典に一万円近くもかける意味はほとんどあるまい。(1/6/2008)

 きのうの東京証券取引所は大発会にもかかわらず、終値で前年最終値よりも616円37銭下げて14,691円41銭だった。年明け早々のニューヨーク株式の下落と先物原油の高騰が原因と伝えられたが、半日遅れのニューヨーク市場はダウ平均でさらに対前日比で256ドル54セント下げて12,800ドル18セント、2日の取引で1バレル100ドルの大台に乗った原油価格は二日連続で下がり97ドル91セントに戻した。為替はドルの独歩安が続き、1ドル107円92銭まで円高が進んだ由。

 週明けの東京市場がどのように反応するか、見ものかもしれない。アメリカばかり見ているこの国の性行からすれば、14,000円割れも瞬間的にはあるのかもしれない。いまになってもアメリカを主要市場と思っているとしたら、よほど迂闊な企業だろう。アメリカのピークは過ぎた。

 ベトナム戦争の「敗戦」がアメリカに数多くの影響を及ぼしたように、イラク戦争の「失敗」も国際社会におけるアメリカの地盤沈下を招いている。失意の軍事大国がどこまで正気を取り戻せるか、あるいは狂気を増幅させるか、興味のあるところだ。おそらくアメリカの自壊は止まらないだろう。

 それは同時に「民主主義」の可能性を考える上で絶好の教材になるに違いない。愚かな選挙民と愚かな政治屋で行うキャッチボールは第三者から見れば滑稽なものだが、いったんそういう状況に陥ると「民主主義」という制度はなかなか正気を取り戻せないものなのだ。(1/5/2008)

 新春セールをねらって、**(家内)と池袋へ。昼食をとってから、カシミヤのセーターを買ってもらう。ビックカメラにはあまりソフトの品揃えはなく秋葉原にまわることにした。**(家内)は「布団を干してきたから帰る」とのことで、ひとりで行くことに。

 石丸で Money を買ってから久しぶりにラジオ会館に寄った。5階にはもう店はなかった。4階に下りてみると、若松通商、キムラ無線はまだあったが、清進商会はなくなっていた。

 中古オーディオの清進商会には比較的安いものから当時でも二桁万円するような高級機までが店内に所狭しとおかれていた。おいそれとは手のでない名器たちに一瞥をくれてから、キムラ無線あたりでワッツのクリーナー、ピクソール、オーディオテクニカのレコードスタビライザーなどのオーディオ小物、若松通商で換装用のMPUやNDP(数値演算コプロセッサ:287、387、487)を買って帰った、そんな記憶がある。

 PCを買い換えるごとにけっして安くはないコプロを律儀に買い求めたのはなんだったのだろう。堰流量計の換算テーブルの演算やら住宅ローンの繰り上げ返済シミュレーションなど、多少、役に立つこともあったけれど、当時のアプリケーションソフトの状況からすればコプロを使いこなす場面はあまりなかったはずだが。

 清進商会は若松通商に向かいあった角、L字型に店舗を占めていた。去年のPSEマークのドタバタの中で廃業に追い込まれたのだろう。経産省の想像力と注意力に乏しい頭が石よりも固いバカ役人が地道に良心的な商売を続けてきた業者をつぶしたことは間違いのないところだ。

 様変わりしたラジオ会館でのさばっているのはフィギュアと風俗風マンガ本。いずれもアニメカルチャー。麻生太郎は「とてつもないナントカ」としてアニメをえらく持ち上げ、秋葉原の駅頭で自民党総裁選の演説をしたそうだ。だが会館内をリュックを背負って歩くおたくたちの表情を見ていると、とてもこの状況を「とてつもない日本」の証しであるとは思いにくい。それはオレが柴田翔の「ロクタル管の話」に出てくるようなラジオ少年、いや、ラジオおたくとしてこの秋葉原を歩いていた経験があるからかもしれない。

 ウィンドーに並ぶフィギュアにじっと見入るアニメおたくは、内向する力においては「とてつもない」ように見えるものの、とても「とてつもない」潜在力を示しているとは思えなかった。かりに彼らがそのポテンシャルを外部に向けるとしても、非常に分かりやすいものに群れて集中する程度のことしかできないだろう。彼らには新しいものを創り出すために一番肝心なもの、幅の広い「教養」が決定的に欠けているのだから。

 おそらく麻生が期待をしているのは、彼らの「とてつもない」絶望か、「とてつもない」盲従なのだろう。野心的な政治家には、羊のようにおとなしい「有権者」、かつて森喜朗がいったように「投票日には家で寝ていて」くれるような「有権者」か、虚偽の説明にたやすく騙されるような「信天翁」であることこそが望ましいのだから。そしてややもするとこの両者の関係は低レベルの循環に陥りやすい。その兆しは麻生が2チャンネル族から賜った「ローゼン閣下」の称号を喜んでいるところに現れている。所詮その世界はお人形さんの世界であって、活きた現実の世界でないことは書くまでもないことだが。(1/4/2008)

 きのうはチェックアウト時間に引っ掛かり、ほとんど見られなかった箱根駅伝。往路優勝は早稲田。順位は早稲田、駒沢、山梨学院、関東学連選抜、中央学院、日本、亜細亜、東海、東洋、中央。

 去年、往路・復路・総合すべてで優勝した順天堂が五区のあと500mでゴールという地点で棄権。

 復路順位は、駒沢、中央学院、早稲田、学連選抜、帝京、亜細亜、城西、中央、日本体育、東洋。復路では、大東文化、東海が途中棄権。途中棄権が三校、過去最多の由。

 総合順位は、駒沢、早稲田、中央学院、学連選抜、亜細亜、山梨学院、中央、帝京、日本、東洋。往路・復路・総合のそれぞれで4位と安定した結果を残した「学連選抜」とは予選会で敗退したチーム所属の選手を集めて構成したものとのこと。彼らは普通ではなかなか持ち得ない「友情」を手にしたと思う。

 **さんの「きょうはラッキー!」にこんなことが書かれていた。

今年、テレビを見ていて、例年よりうるさいと思った。
各大学の監督が、車で選手に付き添っているが、監督の声がガンガン聞こえる。
去年までは、テレビのアナウンサーが、「監督から声がかかりました」と報告するので、それとわかった。
監督車に、拡声器の導入が許可されたのだろうか。
「いいよ!いいよ!」の声援は、まだいいが、「ここで上げなければお前は四年生じゃない!」なんて怒鳴ってるというのは、耳障りである。
監督は、選手が危険な状態のときに、走るのをやめさせるくらいでいいのではなかろうか。

 まったく同感。(1/3/2008)

 1時少し前に水上を出る。**(息子)が見せてくれた携帯配信ニュースによると積雪は60センチを超えた由。しかし沼田まで出るかなり手前で雪は見えなくなった。ほんの少しの差で雪を含めて雲も日射しも空気まで、すべてが変わってしまうのだ。いまは使われなくなった「裏日本」という言葉を思い出した。

 古くは「北越雪譜」の鈴木牧之、新しいところでは田中角栄・・・、えらく極端な取り合わせを思いだしたものだと苦笑しつつ、「裏」から「表」に向かった二人が、それぞれ、どのように「格差」を意識したか。と、そんなことも連想するほど、みごとな天候のコントラストだった。4時半過ぎに帰宅。

 パソコンを起動してびっくり。スパムメールの山。百数十通を超えるメールの9割以上がすべて、反吐を吐きたくなるような表題・内容のスパム。年末年始は定期のメーリングリストが休止するせいもあって相対的にスパムの率が上がる。千三の詐欺師どもがネットという公のインフラリソースを蕩尽している。こういうウジ虫のような連中を懲らしめる方法はないものだろうか。(1/2/2008)

 テレビ中継などを見る限り、家にいれば晴天の元旦を迎えていたはずなのだが、ここ、水上は時折強く横なぐりの雪が降る。わざわざ雪見のために来た感じ。

 外出はあきらめていたが、お昼過ぎにわずかに日が射してきた。このときとばかりに近くのお寺(成田山水上寺)に初詣。

 思えば、「初詣」という言葉も変な言葉だ。「初」もなにも宗教心の薄いほとんどの日本人にとっては、年にいっぺん、あるかなしかのお詣りということが多いだろうに。

 おみくじをひく。**(家内)と**(次男)は「大吉」、**(息子)は「吉」、オレは「小吉」。いつも思うことだが、「くじ」というのはどうも「自分は、絶対、くじに強い」と思っている者ほど良いものを引き当てるようだ。**(家内)とか**(次男)はくじに絶対の自信を持っている。商店街の抽選でも末等をひくことはない。それに比べると、**(長男)は最初から「オレ、くじ運が悪いから」と腰が引けているし、オレはできればこういうバカなものには関わらない(「子不語怪力乱神」)というタテマエを堅持してきた。それでもたまにバカになることも必要かと、きょうはかなり強い心で、「占いではない、幸運を勝ち取るのだ」と念じつつ引いたのに・・・。

思うにまかすようで心にまかせぬことがあり
思わぬ幸福ある様でもよく気をつけないと後で損することあり
女難にことに気をつけなさい

 神様、仏様、こちら、人生の暮つ方にさしかかっておりますから、平々凡々に過ごしてきた最後の瞬きとして、「女難」、望むところであります。あまりややこしいのは困りますが・・・、よろしく。

 夕食後、腹が痛くなるほど笑い転げつつ、「ババぬき」など。一家でトランプをするなど、何年ぶりのことか。(1/1/2008)

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