第13章 質問に答える
(一) 戦争になると友情、仲間意識といったものが鼓舞されるという意味では〝宗教心〟をより多く生み出すことになると言えないでしょうか。

「それはまったく話が別です。それは、〝窮地〟に立たされたことに由来するにすぎません。つまり互いの〝大変さ〟を意識し合い、それが同情心を生み、少しばかり寛容心が培われるという程度のことです。団結心にはプラスするでしょう。困った事態をお互いに理解し合う上でもプラスになるでしょう。それまでの感情的わだかまりを吹き飛ばすこともあるでしょう。

しかし真の宗教心はそれよりもっともっと奥の深いものです。魂の奥底から湧き出る〝人のためを思う心〟です。そして今こそ地上はそれを最も必要としているのです。

何でもない真理なのです。ところが実はその〝何でもなさ〟がかえって私たちをこれまで手こずらせる原因となってきたのです。もっと勿体ぶった言い方、どこか神秘的な魅力を持った新しい文句で表現しておれば、もう少しは耳を傾けてくれる人が多かったかも知れません。

その方が何やら知性をくすぐるものがあるように思わせ、今までとはどこか違うように感じさせるからです。

しかし私達は知識人ぶった人間をよろこばせるための仕事をしているのではありません。飢えた魂に真理の糧を与え、今日の地上生活と明日の霊的生活に備える方法をお教えしているのです。あなた方は永遠の旅路をいく巡礼者なのです。今ほんのわずかの間だけ、地上に滞在し、間もなく、願わくば死後の生活に役立つ知識を身につけて、岐れ道で迷うことなく、旅立つことになっております。

あなた方は旅人なのです。常に歩み続けるのです。地上はあなた方の住処ではありません。本当の住処はまだまだ先です。

人類は余りに永いあいだ真理というものを見せかけの中に、物的形態の中に、祭礼の中に、儀式の中に、ドグマの中に、宗教的慣習の中に、仰々しい名称の中に派閥的忠誠心の中に、礼拝の為の豪華な建造物の崇拝の中に求めてまいりました。

しかし神は〝内側〟にいるのです。〝外側〟にはいません。賛美歌の斉唱、仰々しい儀式・・・こうしたものはただの殻です。宗教の真髄ではありません。

私は俗世から遁れて宗教的行者になれとは申しません。地上生活でめったに表現されることのない内部の霊的自我を開発する生き方を説いているのです。

それがよりいっそう、人のため人類のためと言う欲求と決意を強化することになります。なさねばならないことは山ほどあります。ですが、大半の人間は地上生活において〝常識〟と思える知識ばかりを求めます。余りに永いこと馴染んできている為に、それがすでに第二の天性となり切っているからです」

(二) 休戦記念日にあたってのメセージをお願いします。(訳者注-一九一八年に始まった第一次大戦の休戦日で、これが事実上の終戦日となった。毎年十一月十一日がこれに当たり二分間の黙とうを捧げる。こうした行事を霊界ではどう見ているか。日本の終戦記念行事と合わせて考えながら読むと興味深い。なおこの日の交霊会は第二次大戦が勃発する一九三九年の一年前である)

「過去二十年間にわたって地上世界は偉大な犠牲者たちを裏切り続けてきました。先頭に立って手引きすべき聖職者たちは何もしていません。混迷の時にあって何の希望も、何の慰めも、何の導きも与えることができませんでした。

宗教界からは何らの光ももたらしてくれませんでした。わけの分らない論争と無意味な議論にあたら努力を費やすばかりでした。何かというと、神の目から見て何の価値もない古びた決まり文句、古びた教義を引用し、古びた祭礼や儀式を繰り返すだけでした。

この日は二分間、すべての仕事に手を休めて感謝の黙とうを捧げますが、その捧げる目標は、色褪せた、風化しきった過去の記憶でしかありません。

英雄的戦没者と呼びながら、実は二十年間にわたって侮辱しつづけております。二分間と言う一ときでも思い出そうとなさっておられることは事実ですが、その時あなた方が心に浮かべるのは彼らの現在の霊界での本当の姿ではなくて、地上でのかつての姿です。

本来ならばそうした誤った観念や迷信を取り除き霊の力を地上にもたらそうとするわれわれの努力に協力すべき立場にありながら、逆にそれを反抗する側に回っている宗教界は恥を知るべきです。

戦死して二十年たった今なお、自分の健在ぶりを知ってもらえず無念に思っておられる人が大勢います。それは地上に縁ある人々がことごとく教条主義のおりの中に閉じ込められているからにほかなりません。

聖俗を問わず、既得権力に対する吾々の闘いに休戦日はありません。神へ反逆する者への永遠の宣戦を布告するものだからです。開くべき目を敢えて瞑り、聞くべき耳をあえて塞ぎ、知識を手にすべきでありながら敢えて無知のままであり続ける者たちとの闘いです。

今や不落を誇っていた城砦が崩れつつあります。所詮は砂上に基礎を置いていたからです。強力な霊の光がついにその壁を貫通しました。もう霊的真理が論駁されることはありません。勝利は間違いなくわれわれのものです。

われわれの背後に勢揃いした勢力はこの宇宙を創造しそのすべてを包含している力なのです。それが敗北することはあり得ません。挫折することはあり得ません」

(三) ・・・これほど多数の戦死者が続出するのを見ていると霊的知識も無意味に思えてきます。
(この頃第二次大戦が最悪の事態に至っていた-編者)

「死んでいく人たちのために涙を流してはいけません。死の際のショック、その後の意識の混沌はあるにしても、死後の方が楽なのです。私は決して戦争の悲劇、恐怖、苦痛を軽く見くびるつもりはありませんが、地上世界から解放された人々のために涙を流すことはおやめなさい」

・・・でも戦死していく人は苦痛を味わうのではないでしょうか。

「苦しむ者もいれば苦しまない者もいます一人ひとり違います。死んでいるのに闘い続けている人がいます。自分の身の上に何が起きたか分らなくて迷う者もいます。が、いずれも長くは続きません。いずれ永遠への道に目覚めます。むろん寿命を全うして十分な備えをした上でこちらへ来てくれることに越したことはありません。

しかし、たとえそうでなくても、肉体と言う牢獄に別れを告げた者のために涙を流すことはおやめになることです。その涙はあとに残された人のために取っておかれるのがよろしい。こう言うと冷ややかに聞こえるかもしれませんが、とにかく死は悲劇ではありません。」

・・・後に残された者にとってのみ悲劇ということですね。

「解放の門をくぐり抜けた者にとっては悲劇ではありません。私は自分が知り得たあるがままの事実を曲げるわけにはまいりません。皆さんはなぜこうも物的観点から物ごとを判断なさるのでしょう。ぜひとも〝生〟のあるがままの姿を知って下さるように願わずにはおれません。いま生活しておられる地上世界を無視しなさいと申し上げているのではありません。

そこで生活している限りは大切にしなくてはいけません。しかしそれは、これから先に待ち受ける生活に較べれば、ほんのひとかけらに過ぎません。あなた方は霊を携えた物的身体ではありません。物的身体を携えた霊的存在なのです。ほんのひと時だけ物的世界に顕現しているにすぎません」

(四) 霊界の指導者は地上の政治的組織にどの程度まで関与しているのでしょうか。

「ご承知と思いますが、私たちは人間がとかくつけたがるラベルには拘りません。政党というものにも関与しません。私たちが関心を向けるのは、どうすれば人類にとってためになるかということです。

私たちの目に映ずる地上世界は悪習と不正と既成の権力とが氾濫し、それが神の豊かな恩恵が束縛なしに自由に行きわたるのを妨げております。そこで私たちはその元凶である利己主義の勢力に立ち向かっているのです。永遠の宣戦を布告しているのです。

そのための道具となる人であれば、いかなる党派の人であっても、いかなる宗派の人であっても、いかなる信仰を持った人であっても、時と場所を選ばず働きかけて、改革なり改善なり改良なり・・・一語にして言えば奉仕のために活用します」

・・・それは本人の自由意志はどの程度まで関っているのでしょうか。

「自由意志の占める要素はきわめて重大です。ただ忘れてならないのは、自由意志と言う用語には一つの矛盾が含まれていることです。いかなる意志でも、みずからの力ではいかんともしがたい環境条件、どうしても従わざるを得ないものによって支配されています。物的要素があり、各国の法律があり、宇宙の自然法則があり、それに各自の霊的進化の程度の問題があります。

そうした条件を考慮しつつ私たちは、人類の進歩に役立つことなら何にでも影響を行使します。あなた方の自由意志に干渉することは許されませんが、人生においてより良い、そして理に叶った判断をするように指導することはできます。

お話ししたことがありますように、私たちが最も辛い思いをされられるのは、時として、苦境にある人を目の前にしながら、その苦境を乗り切ることがその人の魂の成長にとって、個性の開発にとって、霊的強化にとって薬になるとの判断から、何の手だしもせずに傍観せざるを得ないことがあることです。

各自に自由意志があります。が、それをいかに行使するかは各自の精神的視野、霊的進化の程度、成長の度合いが関ってきます。私たちはそれを許される範囲内でお手伝いするということです」

(五) 各国の指導的立場にある人々の背後でも指導霊が働いているのでしょうか。

「むろんです、常に働いております。またその関係にも親和力の法則が働いていることも事実です。なぜかと言えば、両者の間に霊的な親近関係があれば自然発生的に援助しようとする欲求が湧いてくるものだからです。

たとえば地上である種の改革事業を推進してきた政治家がその半ばで他界したとします。するとその人は自分の改革事業を引き継いでくれそうな人に働きかけるものです。その意味では死後にもある程度まで、つまり霊の方がその段階を卒業するまでは、国家的意識というものは存続すると言えます。

同じ意味で、自分は大人物であると思いこんでいる人間、大酒飲み、麻薬中毒患者等がこちらへ来ると、地上で似たような傾向を持つ人間を通じて満足感を味わおうとするものです」

・・・指導者が霊の働きかけに応じない場合はどうなりますか。

「別にどうということはありません。ただし忘れてならないのは、無意識の反応・・・本人はそれと気づかなくても霊界からの思念を吸収していることがあるということです。インスピレーションは必ずしも意識的なものとはかぎりません。

むしろ、大ていの場合は本人もなぜだか分らないうちに詩とか曲とか絵画とかドラマとかエッセーとかを思いついているものです。霊の世界からのものとは信じてくれないかも知れません。が、要するにそのアイデアが実現しさえすれば、それでよいのです」

(六) 各国にその必要性に応じた霊的計画が用意されているのでしょうか。

「すべての国にそれなりの計画が用意されています。すべての生命に計画があるからです。地上で国家的な仕事に邁進してきた人は、あなた方が死と言う過程を経てもそれをやめてしまうわけではありません。そんなもので愛国心は消えるものではありません。なぜなら愛国心は純粋な愛の表現ですから、その人の力は引き続きかつての母国のために使用されます。

さらに向上すれば国家的意識ないしは国境的概念が消えて、全ては神の子という共通の霊的認識が芽生えてきます。しかし私どもはあらゆる形での愛を有効に活用します。少なくても一個の国家でも愛しそれに身を捧げんとする人間の方が、愛の意識が芽生えず、役に立つことを何一つしない人間よりはましです」

(七) 人類の福祉の促進のために霊界の科学者が地上の科学者にインスピレーションを送ることはあるでしょうか。

「あえて断言しますが、地上世界にとっての恵み、発明・発見の類のほとんど全部が霊界に発しております。人間の精神は霊界のより大きな精神が新たな恵みをもたらすために使用する受け皿のようなものです。しかしその分量にも限度があることを忘れないでください。

残念ながら人間の霊的成長と理解力の不足のために、せっかくのインスピレーションが悪用されているケースが多いのです。科学的技術が建設のためでなく、破壊の為に使用され、人類にとっての恩恵でなくなっているのです」

(八) そちらからのインスピレーションの中には悪魔的発明もあるのでしょうか。

「あります。霊界は善人ばかりの世界ではありません。きわめて地上とよく似た自然な世界です。地上世界から性質の悪い人間を送り込むことをやめてくれないかぎり、私たちはどうしようもありません。私たちが地上の諸悪をなくそうとするのはそのためです。

こちらへ来た時にちゃんと備えができているように、待ち受ける仕事にすぐ対処できるように、地上生活で個性をしっかり築いておく必要性を説くのはそのためです」