第13章 霊界通信の難しさ
〔シルバーバーチの交霊会にたびたび出席しているメンバーは、その巧みな話術、当を得た例え話、間髪を入れない即妙の返答、そして淀みなく流れ出る名調子の英語に感嘆するのが常であるが、そこに至るまでには霊媒のバーバネルを相手とした、人間界とは異質の霊的な苦労があったという。その苦労話を語ってくれた本章は、霊媒という仕事に携わる者にとっての良きアドバイスとなるであろう〕

あなた方の住む物質界は活気がなく、どんよりとしています。あまりに鬱陶しく重苦しいために、私たちがそれに合わせるべく波長を下げて行くうちに高級界との連絡が切れてしまうことがあります。私の住む光の世界とは対照的に、あなた方の世界は暗くて冷たい、じとじととした世界です。

太陽の本当の姿、太陽の霊体の光輝を、あなた方はまだご覧になったことがありません。あなた方が見ているのはその本体のお粗末な模造程度に過ぎません。ちょうど月が太陽の光を反射して輝くように、あなた方の目に映っている太陽は、私たちの太陽のかすかな反射程度に過ぎません。

こうして地上に降りてきた私は、例えてみればカゴに入れられた小鳥のようなものです。用事を済ませて地上から去って行く時の私は、鳥カゴから放たれた小鳥のように、果てしない宇宙の彼方へ喜び勇んで飛び去って行きます。死ぬということは鳥カゴという牢獄から解放されることなのです。

さて、私があなた方と縁のあるスピリットからの伝言を依頼された時は、そのスピリットのレベルに合わせたバイブレーションに切り換えます。その時の私は単なるマウスピースに過ぎません。状態が良い時は実に簡単です。が、この交霊会が開かれている部屋の近所で何事かが起きると混乱が生じます。突如として連絡が途絶えてしまい、私は急いで別の伝言に切り換えます。ということは、バイブレーションも別のものに切り換えなくてはなりません。

そうした個人的なメッセージの時は、先方の言っていることが手に取るように聞こえることがあります。それは、こうして私が今この霊媒を使ってしゃベっている時のバイブレーションと同じレベルで通じ合っていることを意味します。

しかし、これが高級界からの啓示を受け取るとなると、そう簡単には行きません。私は別の意識に切り換えなくてはならないので、同じバイブレーションを使うわけには行きません。シンボルとか映像、ビジョン、直観といった形で印象を受け取り、それを言語で表現することになります。それは霊覚者が啓示に接するのと非常によく似ております。その時の私は、普段シルバーバーチとして親しんでくださっている意識よりも一段と高い次元の意識を表現しなければならないのです。

例えば画家がインスピレーションに接する時は、普段使用しているものとは別のバイブレーションに反応しています。その状態の中で画家はある種の霊力の作用を受け、それを映像に転換してキャンバスの上に描きます。インスピレーションが去ると、それが出来なくなります。

それと同じで、私が皆さんに霊的真理をお伝えしようとすると、私の意識の中でも高等なバイブレーションに反応できる回線を開き、高級霊がそれを通路として通信を送ってくる。それを私が地上の言語で表現するわけです。

その際、私は所詮この霊媒の語彙(記憶している用語)の制約を受けるだけでなく、魂の進化の程度による制約も受けます。霊媒が霊的に成長すれば、その分だけ、それまで表現できなかった部分が表現できるようになるのです。

今ではこの霊媒のどこにどの単語があるということが分かっていますから、それらを何とか駆使して、私の思ったこと、と言うよりは、ここへ来るまでに用意した思想を百パーセント表現することが出来ます。

この霊媒を通じて語り始めた初期の頃は、一つの単語を使おうとすると、それとつながった別の要らない単語まで出てきて困りました。必要な単語だけを取り出すためには脳神経全体に目を配らねばなりませんでした。現在でも霊媒の影響をまったく受けていないとは言えません。用語そのものは霊媒のものですから、その意味で少しは着色されていると言わざるを得ないでしょう。しかし、私の言わんとすることの内容が変えられることはありません。

あなた方西洋人の精神構造は私たちインディアンとは大分違います。うまく使いこなせるようになるには、かなりの年数を要します。まずその仕組みを勉強したあと、霊媒的素質をもった人の睡眠中をねらって、その霊的身体を使って試してみます。そうした訓練の末に、ようやくこうして入神させてその口を使ってしゃベることが出来るようになるのです。

他人の身体を使ってみると、人間の身体がいかに複雑に出来ているかがよく分かります。一方において心臓をいつものように鼓動させ、血液を循環させ、肺を伸縮させ、脳の血液を適度に刺激しながら、他方では潜在意識の流れを止めて、私たちの考えを送り込みます。容易なことではありません。

初めのうちはそうした操作を意識的にやらなくてはなりません。それが上達の常道というものです。赤ん坊が歩けるようになるには、最初は一歩一歩に全意識を集中します。そのうち意識しなくても自然に足が出るようになります。私がこの霊媒をコントロールするまでにやはり同じ経過をたどりました。一つ一つの操作を意識的にやりました。今では自動的に働いてくれます。

もっとも、他界したばかりの霊がしゃべる時はそこまでする必要はありません。霊媒の潜在意識に思念を印象づけるだけでよいのです。が、それでもかなりの練習が要ります。その練習をこちらの世界の者どうしで行います。そう簡単なものではないのです。こうして霊媒の口を使って語るよりは、メガホンを使ってしゃべる方がずっと楽です。

人間の潜在意識はそれまでの生活によって一つの習性が出来ており、一定の方向に一定の考えを一定のパターンで送っています。その潜在意識を使ってこちらの思想なりアイディアなり単語なりを伝えるためには、その流れをいったん止めて新しい流れをこしらえなくてはなりません。もしも同じような考えが潜在意識にあれば、その流れに切り換えます。レコードプレーヤーで聞くようなものです。その流れに乗せれば自動的にその考えがでてきます。新しい考えを述べようと思えば、新しいレコードに替えなくてはならないわけです。

私にとってこの部屋に入って来るのに壁は別に障害になりません。私のバイブレーションにとって壁は固い物質ではないのです。むしろ霊媒のオーラの方が固い壁のように感じられます。私のバイブレーションに感応するからです。もっとも、私の方はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めています。それがうまく行くようになるのに十五年も掛かりました。

霊媒のオーラの中にいる間は暗くて何も見えません。この肉体によって私の能力が制約を受けるのです。それで私は、この霊媒が赤ん坊の頃から身につけて行くことをいかに使用するかを勉強しなくてはなりませんでした。もっとも、足の使い方は知る必要がありませんでした。私には足は用事がないからです。必要なのは脳と手だけです。

この霊媒を支配している時に別のスピリットからのメッセージを口移しに伝えることがありますが、その時は霊媒の耳を使うのではなく私自身の霊耳を使います。これも霊媒のオーラと私のオーラの違いの問題です。私のオーラは霊媒のオーラほど濃密でなく、霊媒のオーラの中にいる時でも、他のスピリットが私のオーラに思念を印象づけることが出来るのです。

例えてみれば電話で話をしながら同じ部屋の人の話を聞くのと同じです。二つのバイブレーションを利用しているわけです。同時には出来ませんが、切り換えることは出来ます。

質疑応答
――霊言現象は霊が霊媒の身体の中に入ってしゃベるのですか。

必ずしもそうではありません。大抵の場合、オーラを通じて操作します。

――霊媒の発声器官を使いますか。

使うこともあります。現に私は今この霊媒の発声器官を使っています。拵えようと思えば(エクトプラズムで)私自身の発声器官を拵(こしら)えることも可能ですが、私の場合はエネルギーの無駄になります。私の場合はこの霊媒の潜在意識を完全に私自身のものにしていますから、全身の器官をコントロールすることが出来ます。いわば霊媒の意志まで私が代行し――本人の同意を得ての話ですが――その間だけ身体を預かるわけです。終わって私が退くと霊媒の意識が戻って、いつもの状態に復します。

――霊媒の霊的身体を使うこともありますか。

ありますが、その霊的身体も肉体とつながっています。

――邪魔しようとする低級霊集団から守るためには、列席者にも心の準備が要りますか。

要ります。何よりも大切なことは、身も心も「愛」の一念で一つになることです。そうすれば同じく愛の一念に満たされたスピリット以外は近づきません。

――霊界側でもそのための配慮をなさるのですか。

もちろんです。常に邪魔を排除していなければなりません。あなた方との調和も計らねばなりません。最高の成果を上げるために全ての要素を考慮しなければなりません。その為に私たちは高度に組織された体勢で臨んでおります。

――霊媒は本をよく読んで勉強し、少しでも多くの知識をもった方がいいでしょうか。そんなことをしないで、自分の霊媒能力に自信をもって、それ一つで勝負した方がいいでしょうか。

霊媒の種類にもよるでしょうが、霊媒は何も知らない方がいいという意見には賛成できません。知らないよりは知っている方が良いに決まっています。知識というのは先輩の経験の蓄積ですから、勉強してそれを我がものにするよう努力する方が賢明でしょう。私はそう考えます。

――立派な霊能者となるには日常の生活面でも立派でなくてはいけませんか。

生活態度が立派であればそれだけ大霊の道具として立派ということです。生活態度が高尚であるということは、それだけ内部に宿された神性が多く発揮されているということになるからです。日常生活で発揮されている人間性のレベルが霊能者としてのレベルを決定づけます。

――ということは、霊格が高まるほど霊能者としても向上すると言って良いでしょうか。

決まり切ったことです。生活面が立派であれば、霊能も立派になります。自分を犠牲にする覚悟の出来ていない人間に、いい仕事は出来ません。このことは、こうして霊界での生活を犠牲にして地上へ戻ってくる私たちが身をもって学ばされて来た教訓の最たるものではないでしょうか。

――他界した肉親や先祖霊からの援助を受けるにはどうすれば良いでしょうか。

かつてあなたが愛し、またあなたを愛してくれた人々があなたを見捨てることは決してありません。言うなれば、愛情の届く距離を半径とした円の範囲内から出ることなく、あなたを見守っております。時には近くなり、時には遠くもなりましょう。が、決して去ってしまうことはありません。

また、その人たちの意念があなたを動かしています。必要と見れば強く作用することもありますが、反対にあなたが恐怖感・悩み・心配等の念で壁を拵えてしまい、あなたに近づけなくしていることもあります。悲しみの涙に暮れていると、その涙で霊を遠くへ押し流してしまいます。穏やかな心、安らかな気持、希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、きっと大勢の霊が寄ってまいります。

私たち霊界の者はできるだけ地上の人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どの程度まで接近できるかは、その人物の雰囲気、人間的成長の度合、霊的進化の程度によります。霊的なものに一切反応しない人間とは接触が取れません。霊的自覚、悟り、ないしは霊的活気のある人間とはすぐに接触が取れ、一体関係が保てます。

それは必ずしもスピリチュアリストばかりとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことは知らなくても、霊的なことが理解できればそれでいいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つことです。取り越し苦労、悩み、心配の念がいちばんいけません。そうした低級な感情が周囲にモヤを生みだし、私たちを近づけなくするのです。

――愛し合っていた相手が他界した場合、こちらからの愛念がその霊に通じますか。

一概に「イエス」とも「ノー」とも言いかねます。魂の進化のレベルが問題となるからです。双方が精神的並びに霊的にほぼ同じレベルであれば通じるでしょう。が、あまりに離れ過ぎていれば、界層がまったく違うわけですから通じないでしょう。

――他界した人のことをあまり心配すると向上の妨げになるのでしょうか。

地上の人間に霊界の人間の進歩を妨げる力はありません。霊界の人間は霊界での行為によって向上進歩するのであって、地上の人間のすることとは関係ありません。

――世俗から隔絶した場所で瞑想の生活を送っている人がいますが、あれで良いのでしょうか。

「良い」という言葉の意味次第です。世俗から離れた生活は心霊能力の開発には好都合で、その意味では良いことと言えるでしょう。が、私の考えでは、世俗の中で生活しつつしかも世俗から超然とした生き方の方が遙かに上です。つまり霊的自覚に基づいた努力と忍耐と向上を通じて同胞のために尽くすことが、人間本来のあるべき姿だと思います。

――世俗から離れた生活は自分のためでしかないということでしょうか。

いちばん大切なことは、他人のために己を捨てるということです。自分の能力を発達させること自体は結構なことです。が、開発した才能を他人のために活用することの方がもっと大切です。

――どうすれば霊媒や霊視能力者になれるのでしょうか。

大霊のために自分を役立てようとする人間はみな大霊の霊媒です。いかにして魂を向上させるか――これはもう改めて説くまでもないでしょう。これまで何回となく繰り返して説いてきたことではないでしょうか。

自分を愛するごとく隣人を愛することです。人のために役立つことをすることです。自我を高めるよう努力することです。何でもよろしい、内部に宿る神性を発揮させることです。それが最高の霊媒現象なのです。こうすれば霊視能力者になれるという方法はありません。が、大霊の光が見えるように魂の目を開く方法なら教えられます。それは今述べた通りです。

――これからホームサークルを作りたいと思っている人たちへのアドバイスをいただけますでしょうか。

嫌な思いをすることのない、本当に心の通い合える人々が同じ目的をもって一つのグループをこしらえます。そして週一回、同じ時刻に同じ部屋に集まり、一時間ばかり、あるいはもう少し長くてもよろしい、祈りから始めてそのまま瞑想に入ります。

目的、動機がいちばん大切です。面白半分にやってはいけません。人のために役立たせるために霊力を開発したいという一念で忍耐強く、ねばり強く、コンスタントに会合を重ねて行くことです。そのうち同じ一念に燃えたスピリットの一団と感応し、必要な霊力の開発へ向けて援助してくれるでしょう。

言っておきますが、私どもは人目を引くことばかりしたがる見栄っ張りには用事はありません。使われずに居眠りをしている貴重な霊力を引き出し、同胞のために、人類全体のために有効に使うことを目的とした人たちの集まりには大いに援助いたします。

第14章 交霊会の舞台裏
〔シルバーバーチの交霊会は最初から霊言による説教ばかりだったわけではない。初めのころは数人の知人だけの集まりで、テーブル現象その他の物理的なものもよく見られたようである。その中に混じってシルバーバーチによる霊言が語られるという形を取っていたが、ある時期を境に物理的なものが出なくなり、サークルのメンバーの入れ替えもあって、シルバーバーチによる霊言が中心となって行った。本章ではその舞台裏の霊的な事情が語られている〕

この交霊会には一団のスピリットが携わっております。発達程度もいろいろです。一方には地上圏に近い、多分に物質性を具えたスピリットがいます。霊力を操る上で不可欠のものを用意するのがその役目です。

一方、光輝く高級霊の一団もいます。本来の所属界での生活を犠牲にして、地上のために働いております。こうして交霊会を催している時だけではありません。皆さんの睡眠中も活動しております。少しでも多く霊的真理を地上にもたらすために、いろいろと心を砕いているのですが、それでもまだ闇夜に輝くほのかな明かり程度でしかありません。

にもかかわらず、そうした大霊の使徒が足繁くこの小さな一室に通うのは、ここが素敵な場所だからです。それは建物が大きいとか、高く聳(そび)えているとか、広いとかの意味ではありません。真理という名の光を地上界に注ぐ通路として、ここがいちばん優れているという意味です。こうしたサークルから地上世界は新しいエネルギーを摂取し、それが利己主義や不正、不寛容といった邪悪を取り除く力となっていきます。大霊の摂理に反するからこそ取り除かねばならないのです。

この仕事はこれからもずっと続きます。大霊が計画された(地球浄化の)大事業の一環だからです。皆さんがサークルの一員として選ばれたのは、お一人お一人が特異な体験をお持ちだからで、その特質をうまく融和させると愛と調和と善意による完全な調和体が形成され、それが光の神殿を形成するほどの力を生み出すのです。

これは途方もなく大きな仕事です。大霊の神殿をこしらえつつあるのですから。そのことを直観して神妙な思いをなさることがあるでしょう。そうかと思うと目先が真っ暗になり、いったい何のためにこんなことをしているのか、こんなことをしていて良いのだろうかと煩悶されることもあるでしょう。それも(肉体に宿る人間として)無理もないことですが、忘れないでいただきたいのは、私たち霊団としては、暗闇に閉ざされた地上界へ光明をもたらすべく、片時も休むことなく皆さんの背後で心を砕いているということです。

直接談話現象が上達する(鮮明で長時間持続するようになる)には、繰り返し練習するしかありません。言いたいことがどれだけ伝えられるかは実際にやってみないと分からないものです。ともあれ皆さんは当初からその上達ぶりを実地に見てこられて、本当に恵まれた方たちというべきです。

この現象もバイブレーションの問題でして、言いたいことがどれだけ伝えられるかが目安となります。皆さんの側としては語られたものしか聞こえないわけで、語られずに終わったものは、当然のことながらお分かりになりません。

霊界側にとって最も厄介なのは、話したがる者が多すぎるということです。ほんの少しだけでいいからしゃベらせて欲しがります。「お願いです、一言だけでいいです」と言って迫ります。そこでやむを得ず「では話してごらんなさい」ということになるわけです。

そうした厄介なことはあるにしても、ここに神殿を築く仕事は休むことなく続けられております。エネルギーを蓄えること、いろいろと実験を試みること等々、来る日も来る日も、昼夜の別なく、この部屋での交霊会の準備のために大勢の霊が出入りしております。

そのことにあなた方が気づかないのは、例えばあなた方が電話で対話をしている時、電話機を製造するために働いている人たちのことは念頭にないのと同じです。電話口に向かってしゃベっているだけで良いわけで、先方もそれを聞いて受け答えするだけです。が、実際は大勢の人たちの働きがあったからこそ両者は話が通じるわけです。それと同じです。あなた方にはこちらがマウスピースでしゃベったことが聞こえるだけですが、それを可能にするための仕事は大変なのです。

例えばこちらの化学者は一種の光線を使用します。それを用いて現象を発生させるのですが、その化学的成分は地上のいかなる分析器にも引っかかりません。こちらの化学者もよほど熟練していないと扱えないほど精妙なバイブレーションをしています。ですから、こちらの化学者も一時の油断も許されないのです。

その光線はとても強力なパワーを秘めていますが、このサークルの出席者に危害が及ぶことはありません。霊的身体がそれに順応するような体質になっているからです。そのようにこちらで工面してあるのです。実験の度に順応性が高められております。その光線は皆さん自身には見ることも感じることも出来ませんが、私たちにははっきりと見えております。

そうした霊団の者も含めて、今夜だけで五千人ものスピリットがこの部屋に集まっております。あなた方のよくご存じの方で交霊会というものに関心のある人もいれば、こういう場所があることを今まで知らなくて、今日初めて見学に来たという人もいます。

また、霊媒というものを使用して地上界との間でどのような仕事をやっているかを勉強しに、世界各地から幾つもの霊団がやって来ています。こちらでも地上に働きかける方法についての研究が盛んに行われているのです。霊的エネルギーをいかに活用するかが最大の研究課題です。無駄にしてはならないからです。そのために、こちらからいろんな形で人間に働きかけております。自分では意識しなくても霊界からのインスピレーションを受けている人が大勢います。

地上の偉大な科学者も発明家も教育者も、元をただせば霊界のスピリットの実験道具に過ぎない場合があります。要は法則なり思想なり発明なりを地上に届けることが出来れば良いのであって、どこそこの誰がということはどうでも良いのです。

宇宙は全て協調によって成り立っています。一人だけの仕事というものはありません。だからこそ「霊団」というものを組織するのです。目的に沿って必要なスピリットを集め、そのうちの一人がマウスピースとなって地上に働きかけます。私も私が所属する霊団のマウスピースです。霊団の一人として働く方が、自分一人で仕事をするよりも遙かに楽に、そして効果的にはかどります。仕事の成果はそうした霊団全部の力を結集した結果なのです。

成果が素晴らしいということは霊団としての調和が素晴らしいということでもあります。それは、霊媒の出来がいいということが霊媒と支配霊との調和がいいということであるのと同じです。そうでないと、必ずどこかにきしみが生じます。オーケストラとおなじです。演奏する楽器は一人一人違っていても、ハーモニーさえ取れれば一つの立派なシンフォニーとなります。が、そのうちの一人でも音程を間違えれば、全体が台無しになってしまいます。調和が大切なゆえんです。

質疑応答
――心霊現象を起こすためには出席者の霊的エネルギーを使うそうですが、部屋にある物体からも引き出すのでしょうか。

その通りです。カーぺット、カーテン、書物、時には家具からも引き出します。物質に宿っていない私たちが物質を操るのですから、身近にある物体からエネルギーを引き出して使わざるを得ません。といっても、少しずつです。あまり多くを取り過ぎると、バラバラに分解してしまいます。

――物質化現象が起きる部屋のもの、例えばカーテンなどが異常に早く朽ちるのはそのためですか。

そうです、それが原因です。それでも随分その点に気を使っています。物質化現象では色彩を必要とする時がありますが、これもその場の物体から抜き取ります。そういったことをもっと知っていただくと、私たちが何一つ無駄にしていないことが分かっていただけると思います。しかし何よりも大きな力となるのは、あなた方列席者の内部から湧き出るエネルギーです。これが最大の成分です。

物理霊媒も、霊媒現象の質を向上させると同時に、自分の霊性を強化することも心掛けないといけません。霊性が強化されると、その霊媒から出るエクトプラズムの質まで向上するのです。霊現象は材木や粘土を扱っているのではありません。霊媒の体内にある生命のエッセンスを扱っているのです。思想や性格、知性など、その霊媒の人間性の全てがエクトプラズムに反映するものなのです。

――物質化現象は霊媒現象の中で質的に高いものでしょうか、低いものでしょうか。あなたとしては奨励なさいますか。

何事であれ一人の人間に幸せをもたらし霊的摂理についての知識を与えることになれば、それはそれなりに目的を達成したことになります。高い低いの概念で考えるのはいけません。必要な人にとって役に立つか否かの観点から考えるべきです。

第15章 交霊会についての誤解
〔交霊会を催しても何一つ現象が起きないことがある。すると出席者は時間を無駄に費やしたと不満に思うものであるが、シルバーバーチはそれが誤解であることを指摘して、次のように述べる――〕

交霊会のような場で霊的な一体化を求めて過ごす時間が無駄に終わることは決してありません。何か現象が起きないかと、今か今かと辛抱強く座っておられる時の気持はよく分かりますが、そんな時でもこちら側ではいろいろと工作をしている――つまりホームサークルとしては着々と進展していることを知っていただきたいのです。霊団との絆が強化され、出席者の霊的感受性が鋭くなっております。

目に見える現象が交霊会の目安となるわけではありません。出席者の内的な反応の鋭敏性、つまり霊性の開発と、それを活用する霊団との間の一体性がどこまで深まるかが大切なのです。

ですから、どういう現象が見られたとか、どんな音が聞こえたということは、大して重要ではありません。もっと大切なのは、サークルのメンバーの霊性の開発です。というのも、例えばあなた方は週に一回この部屋で着席しておられるわけですが、それは、より高度なバイブレーションに波長を合わせ、太古からの不変の霊的叡智に触れておられるのですから、魂の開眼を促さないはずがありません。

その叡智すなわち宇宙の霊的摂理は地上という物質界に届けられるべく、常に用意されているのです。ですが、それが実際に地上に届けられるためには、霊媒を含めたこのサークルのメンバーのような通路の存在が必要なのです。

あなた方の魂が開発されてより高度なバイブレーションに反応するようになれば、それだけ高度で強力なエネルギーに触れることになります。そのエネルギーは目にも見えず耳にも聞こえませんが、永遠の霊的実在の一部です。実はそれこそが生命の実在なのですが、人間の大半が朝から晩まで影を追い求め、幻影を捕らえようとし、その場かぎりの満足を得ようとしております。

その点あなた方は、こうして一つの目的をもってこの部屋に集い、静寂と調和と愛の中で魂が一時も休むことなく開発されております。その速度は遅々としておりますが、着々として確実です。内部に宿る大霊が開発され、進化し、その分だけ神性を表現することが可能になってまいります。ナザレのイエスがその昔こう言いました――二人ないし三人の者が集う所には大霊が賜を授けてくださる、と。私たちも同じことを述べているのですが、耳を貸しません。

真理が変わることはありません。変わるのは人間の心です。認識力に裏打ちされた真理は不変です。認識力は大霊から出るものだからです。大霊こそ全てのインスピレーションの中心であり始源です。難しく考えることはありません。始源は一つです。簡単なのです。が、地上界では真理を難しい物としてしまっております。

このサークルの方たちとはすでに何度もお会いしておりますので、私たち霊団との絆が強化されております。その霊団の中には皆さんの知らない人、名前を聞かされても分からない人が大勢いますが、いずれもお役に立ちたいという一心で来ている人たちで、名前を知って貰いたいとも感謝されたいとも思っていません。

そのスピリットたちがこの場を訪れるのは、地上界へ霊的知識を届け、真理の普及を促進し、間違ったことを改め、不幸と迷信を駆逐し、光明を広げ、痛みと苦しみに変わって幸せと平和と福祉をもたらす上で都合の良い手段(霊媒と出席者)があるからです。

その仕事を推進する上で皆さんは大いに役立っているのです。万一何の役にも立っていないように思えた時は、どうか次のことを思い出してください。即ち、大霊への畏敬の念を胸に皆さんがこの部屋に来て、私たちと一時間そこらを共に過ごすということそのことが、ここに霊的神殿をこしらえる上で大きな力になっているということです。

この交霊会に出席しておられる間の時間は、一時として無駄に終わることはありません。調和の心で集う時に蓄積されるエネルギーが大いなる架け橋を築く上で役に立つのです。その架け橋を通って新しい光、新しい力、新しい希望を地上界へ届けんとする霊が大挙して降りて来ます。そのことを忘れないでいただきたいものです。時には冗談を言って笑いの渦を巻き起こしていても、その背後には大きな目的が控えているのです。

その目的とは、大霊の摂理が皆さんの一人一人を通して地上界で正しく機能するようにすることです。皆さんはその目的のために今日まで献身してこられたのです。大霊の摂理を受け入れる用意が大きくなるほど、それだけ多くの霊的エネルギーが地上界へもたらされるのです。

質疑応答
――交霊会で笑いの渦が巻き起こるということは良いことでしょうか。

心が楽しければ楽しいほど、それだけ大霊の心に近いということを意味します。あなた方一人一人が大霊であり、従って物質界のいかなることも、取り返しのつかないほどの影響を及ぼすことはできません。このことを私はこれまでどれほど口を酸っぱくして言ってきたことでしょう。この世的なことに煩わされている限り、その真意は分かっていただけないかもしれません。

この世的なことを無視しなさいと言っているのではありません。この世に生を営んでいる以上それは不可能です。それに、社会の一員としての義務もあります。私が言っているのは、あなた方には大霊が宿っていること、そしてそれを自覚し発現すれば、あらゆる物的なものに超然としていられるということです。

それは、今も言った通り「自覚し発現すれば」あらゆる邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かう力となるのです。しかし、現実にはそれを活用している人間はほとんどいません。イエスは二千年も前に「神の王国は人間の中にある」と明言しているのですが……

――最高の霊現象でも世間では騒がれず理解もされないことがありませんか。

私は「高い」とか「低い」とかの概念で霊現象を評価しません。役に立つか立たないかの観点から見ます。霊的能力は一人でも多くの人に役立たせるために開発すべきもので、その意味で、能力に自信がついたら(少人数のサークルのものにしないで)一人でも多くの人のために活用すべきです。

もっとも、人によっては少人数に限定した方が良いこともあります。サークル以外の大勢の人の注目の的になることに耐え切れない人がいます。が、霊媒現象のそもそもの目的は、霊界から地上界ヘメッセージを届けることですから、多ければ多いだけ、それだけ能力を役立てたことになります。

私は「世間を騒がす」ということにはまったく関心はありません。私の関心事は役に立つこと、即ち人生に疲れた人には生きる力を与え、信仰を失った人には希望を与え、身も心も苦しみに苛(さいな)まれている人には慰めを与えてあげることです。

――自動書記が霊的現象の中でもいちばん信頼性が乏しいようですが、なぜでしょうか。

それはその霊媒の能力の問題です。未熟であれば、地上の人間の想念と霊界から送られてくるメッセージとの区別がつきません。発達程度の問題で、ある一定のレベル以上に発達すれば地上界の想念を払いのけ、霊界からのメッセージを受け取りやすくなります。霊媒が未熟なのに、それを霊側の責任にしてはいけません。私たちの側としては、そちらから提供してくれる道具で仕事をするしかないのです。

――幽界から霊界へと向上していった霊が地上と交信する時は、幽界まで降りて来なければならないのでしょうか。

いえ、いえ、そんなことはありません。メッセージを届けてくれる仲間に依頼します。そうした霊はいつでもそのための道具(霊界の霊媒)を調達できるのですが、条件として、幽界つまり地上界のすぐ次の世界を卒業しているだけでなく、そのレベルを遙かに超えていなければなりません。地上界に近い界層の者だけが地上界と通信できるわけではありません。それより上の界層からでも、地上の霊媒がそのバイブレーションを受け取るだけの感度があれば、通信を送ることが出来ます。

――われわれ人間の知識の範囲は受け入れる能力によって決まるそうですが、そうなると霊的な知識の理解力に欠ける人間は、霊媒を通して証拠を求めるのが賢明ということになるのでしょうか。

証拠と魂の成長とは何の関係もありません。真理を受け入れる能力というのは、具体的に言えば、霊界のどの界層まで至ることが可能かということです。魂がどの程度まで進化しているかということです。それを証拠の追求と混同してはいけません。両者は必ずしも二人三脚とはまいりません。生命が死後にも存続することの証拠を手にしていながら、魂そのものは霊性に目覚めていない人がいるものです。

第16章 睡眠中は何をしているのか
〔睡眠中に体験したことを翌朝思い出せる人が何人いるであろうか。肉体の睡眠中は霊界で活動しているのが事実であるのなら、肉体に戻った時にその間のことを少しでも思い出しても良さそうなものである。実際にはそういうことが滅多にないのはなぜか、シルバーバーチの説明を聞いてみよう〕

脳を中枢とした小さな物的意識では、より大きな霊的意識の中で生じたことを思い出すのは難しいのです。それが物質界の宿命です。死ぬまでは本当の意味で生きているとは言えないと言っても過言ではありません。

ただ、覚醒中であっても霊の波動が高まり、背後霊との一体化が成就されると、一瞬の間ではありますが、物質界では味わえない超越的喜悦に浸ることがあります。

実際には人間の全てが睡眠中に霊界を訪れております。これは霊的身体を死後の環境に適応しやすくするための自然の配慮の一つです。地上でも子供時代を過ごした土地を訪れると懐かしい記憶がゆっくりと蘇ってくるように、いよいよ肉体との縁が切れて霊界の住民となった時のショックを和らげると同時に、地上時代に訪れた時の記憶が次第に蘇ってその環境への適応が促進されるのです。

霊性の発達程度いわゆる霊格は、魂の進化の程度によって決まります。例えば誰でも行きたいところへ行けますが、その行き先の波動の高さや距離は、霊性の開発の程度によって制約があります。暗い界層へ行くこともあります。その場合は二つのケースが考えられます。その人の霊性の程度が低くて、親和力で同じ程度の環境へ引きつけられる場合が一つ。もう一つは、霊性の高い人が救済の目的で自発的にそういう環境へ出向く場合です。

実は死後の世界には、高級霊よりも肉体に宿った人間の霊の方が役に立つ地縛霊が多いのです。バイブルにもイエスがいわゆる地獄へ降りて行った話があります。睡眠中ではありませんでしたが、原理的には同じです。

訓練によって睡眠中のことを思い出せるようになることは不可能ではありませんが、霊的意識を脳の細胞に印象づける作用ですから、これはよほどの集中力を要します。人によって難しさの程度が異なります。物的身体と霊的身体との連携作用がどの程度まで緊密かによります。簡単に思い出せるようになる人は精神的霊媒に適した人と言えます。

質疑応答
――夢について説明していただけませんか。どう考えても霊界での体験の記憶とは思えないものがありますが……

夢には数え切れないほどの種類があります。主のいなくなった脳に残っている残像の反映にすぎないものとか、食べたものの影響など、物理的な説明のつくものもありますが、そうしたものに混じって、霊界での体験が断片的に入っていることがあります。

夢が支離滅裂になりがちなのは、霊界へ行っている間は脳の制約から放たれて別の次元で体験していたのが、再び肉体に戻ってからその記憶を思い出した時に、それが脳の意識に馴染めなくて歪んでしまうからです。

――睡眠中の人間に働きかけるスピリットは、自分の言いつけたことがきちんとその人間の意識に印象づけられたかどうかが分かるものでしょうか。

いえ、必ずしも分かっていないのです。それは、こうした交霊でも同じでして、伝わったかどうかは後になって分かることで、その時点では判断がつきません。日常生活で印象づける場合でも同じです。

――睡眠中に指導霊としばしば会っている割には交霊会での話の中でそのことに言及することが少ないのはなぜでしょうか。

言及しているのです。ただそれが霊的意識の中に印象づけられているために、すぐに脳の意識に上って来ないだけのことです。今は知らなくても、そのうちその記憶が蘇ってくる日がきます。これは、知っているといないとにかかわらず事実は事実であることの良い例です。

――私たちは睡眠中は肉体を離れていて、その間の肉体はいわば「空き家」になっているわけですが、そんな時に地縛霊に侵入されたり憑依されたりすることがないのは、背後霊の誰かが監視してくれているからでしょうか。

当人に憑依される原因がある場合は別として、普通睡眠中に低級霊に憑依されることがないのは、自然の仕組みがそのようになっているからです。

誤解があるようなので注意しておきますが、自我の本体である霊は肉体の「中」にあるのではありません。霊は肉体とはバイブレーションが違うので、内側にあるとか外側にあるとかの表現はできません。心臓と肺の間に挟まれて小さくなっているのではありません。本来のあなたは肉体という器官を通して自我を表現している「意識体」です。

睡眠中はその意識体が肉体ではなく霊体を通して自我を表現しているのであって、その間は霊界のどこかの界層にいるわけです。ですから、その肉体に他の霊が入り込む気遣いは無用です。肉体のドアを開けて外出し、その間に別の者が入り込んでドアを閉めてしまう――そういう図を想像してはいけません。そういうものではありません。意識体は肉体から霊体へと移行したあとも相変わらず肉体を管理しており、その肉体に戻る時間がくれば再び脳とつながった意識を取り戻すわけです。

――と言うことは、憑依する霊は憑依される人間の霊の許しを得て侵入するということでしょうか。

そうではありません。憑依されるのは憑依される霊的原因が内部にあってのことで、それぞれの人間によって違ってくる問題です。

例えばあなた方が愛と奉仕の精神に燃えた時は、そのバイブレーションに感応した高級霊が引きつけられます。それと同じ法則です。法則は善の方向にだけ働くのではありません。悪の方向にも働きます。最大の奉仕を成就するために働く法則が最大の悪逆無道の行為にも働くのです。なぜなら、高く上がれるということは、それだけ下がる可能性があるということであり、下がれるだけ下がれば、その分だけ高く上がれるというのが道理だからです。どちらも同じ法則の働きです。どちらを選ぶかは各自の自由意志によって決まることです。

――予知的な夢はそちら側から「伝達」されるのでしょうか。

そういうこともあります。愛の絆で結ばれた霊からの警告であることもあります。が、物的束縛から放たれた霊的身体が未来の出来事を感知して、それを夢の形で持ち帰ることもあり得ます。

――睡眠中は霊が肉体を離れているのに、どうやって肉体に生気を与え続け、死なないように出来るのでしょうか。

シルバーコード(玉の緒)でつながっていて意識が残っているからです。シルバーコードが切れて霊とのつながりが無くなったら、肉体は生気を失ってしまいます。

――麻酔をかけられている間、霊はどこにいるのでしょうか。

それは分かりません。どこかにいるのでしょう。どれくらい遠くへ行けるか、どんな環境へ行くかは、その人の魂の進化の程度によって違ってきます。

――脳の障害によって生じた無意識状態と睡眠中の無意識状態とは何か違いがあるのでしょうか。

もちろんです。障害によって無意識になった場合は霊と肉体との正常な関係を妨げる何ものかが生じています。一方、睡眠というのは自然な生理現象で、夜になると霊は肉体のバイブレーションが下がることを知っていて、霊界へ行く準備をします。前者は物的身体に障害を与える異常現象であり、後者は正常な人間的営みの一部です。睡眠の場合は霊は自発的に肉体を離れますが、障害による場合は肉体が正常に使用出来ないために、無理やりに追い出されている状態です。