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下山口の丸山に丸山稲荷神社がある。西側の麓に本社が、山頂には奥社がある。
本社の鳥居脇の石碑には以下の碑文が記されている。
「丸山稲荷神社は天保11年(1840年)、山頂の丸山城跡に伏見稲荷大社の分霊を勧請奉祀してきたが平成7年(1995年)1月17日の阪神大震災により倒壊す。再建に当たり山頂は本殿を修築し奥社と称号。当地に財団法人山口町徳風会の協賛を得て新神社を造営。之を本社と称号す。下山口山口会自治会、神社総代とで再建。平成10年(1998年)3月竣工す。」
本社境内では、九月の八朔大祭には子供の奉納相撲大会が行われる。
丸山山頂には、室町時代末期の武将・山口五郎左衛門時角の居城があったが、今は山口氏の鎮守として祀られた稲荷神社が鎮座する。稲荷神社の地籍は、「山口町字下山口山口五郎左衛門屋敷」である。
稲荷神社社記に以下の由緒伝説を伝わる。
「当社は往古多田源氏の一族山口氏が、当地に城を構え、その鎮守として祀られたのがはじめといわれ、山口氏の没落後祭祀も絶えていた。ある時この地方に悪疫が流行し、霊夢を受けた者が当社に祈願したところ、たちまち病がなおった。これを聞いた人々の参拝が多く篤信の者が社殿を再建した。」 |
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山口と有馬を結ぶ県道から阪神高速の西宮山口南インターに向う道路に入ってすぐの所に、地元では城ノ垣内(しろのかいち)稲荷神社と呼ばれる小さな社がある。
神戸女子大学文学部史学科発行の「西宮市山口町上山口・下山口の民俗」には以下の内容が記されている。
「城ノ垣内と呼ばれ、元は丸山にあった城の出城の跡に建てられたと言われ、上山口の守りとされている。言い伝えによると、戦国時代に情報提供をする集団がここにいて、表の仕事として神社の経営をしていたと言われている。十王堂橋という橋が近くにあるので、以前からお堂があったと思われ、永蓮寺のお堂とも言われている。秀吉大明神の額が掲げられているが、秀吉とどのような関係があったか分らない」
十王堂橋は稲荷神社の北西200mの金仙寺口バス停横にあり、その袂には有馬・船坂方向を示す道標が建っている。
有馬郡誌には山口伝説のひとつにこの地に中野城があったと以下の内容を伝えている。
「上山口と中野との境、有馬川の湾曲せる所、自然の要害をなせる南岸の平地城址にて、今一株の松樹残れり。交通路の十字路に衝りたり。天正の頃、有馬中務の築きしものといえり。有馬氏は、後、豊公に属し、播州淡河の城に居り、後、有馬郡三田に封ぜられしなり」 |
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